テーマ:「新刊本の本音&裏話(前編)」
書き込み期間:2004/05/04〜2004/06/06
要旨:
 序章では、まず読者を作者の場に引き込むことが肝要です。ここはテンポ良く一気に書き上げました。
しかし、「私自身」を中心に話を書いていません。主役はあくまでも私の「問い」です。ですので個人的な感情は交えず淡々と話を展開させていきました。

第一章は、人生は白紙だと思ってきた私が六爻占術を知り、「運命は決まっている」という、あってはならない事実に直面した話を書いています。
私はずっと自由に興味があり、新刊本の裏のテーマも「自由」なのですが、「運命が決まっている」と知ったことによって時空の概念が完全に覆され、「自由」の意味が変化に乗っていったのでした。
第一章での最大の問題提起は、「台本から外れることはできるのか?」ということです。
私はタイヤの川下り体験を例に挙げ、「運命が決まっている事実を受け容れる」という、諦めの境地を書いています。
この点の認識が、時空を解明する一歩となり、世界が変わる鍵にもなると思っています。
そして私は、個を確立する必要が全くないと知ることが、結果的に個の確立に繋がることに気付いたのです。

第二章では、六爻占術の運命変更の事例が登場します。
六爻占術が一般の占いと一線を画しているのは、運命変更法に対する理由が説明されている点です。方程式の解を導き出すのと同じ様に、運命変更の方法を求めているのです。
もう一つ、六爻占術が一般の占いと一線を画しているのが、「運命変更のレーザー砲」です。
第二章では「選択型」と「底上げ方」の二種類の運命変更法を説明していますが、「自分を変えれば未来が変わる」ということを一切言っていないのが重要なところです。
もう一つ重要なのが、六爻占術と運命変更に特別な条件や能力は要求されないということです。
全くの凡人であっても普通に我欲を持っている人であっても関係なしに出来る、これが第二章の隠れたテーマだったのです。

第三章は、私の根源的な問いと趣味の領域に話の焦点が移ります。すなわち「時空はどうなっているのか?」という問いと、その裏のシステムに迫る話です。
この章では、「外応」という現象を取り上げています。問いを発すると時空が外界の現象に関与して答えを出す現象ですが、これは非常に深い問題を含んでいます。
外応という概念は、環境が拡大された自分であり、自分と環境は別個のものではないという認識をもたらし、大きな転換に繋がると思います。

第四章は、六爻占術そのものの説明から離れて、別の話題から六爻占術を関連付けるという主旨で書きました。
その内容は、孫さん、神坂さんの蘇生現象を始めとした、私の不思議調査の数々です。
これらの現象を六爻占術と関連付けるキーワードは「右回転」「零時」「東向き」でした。
現状の科学では運命の仕組みを説明することは出来ません。それでも科学的な検証をしたいと考えた私は、科学の範疇外の所にその糸口を求めました。
第四章は「なぜ」という原因の世界を科学的な切り口で追究した、すごい内容になっていると自負しています。
目次
○序章
○序章に書いた「(理由はあとで説明します)」
○序章に書いた「白紙の手帳」の部分
○第一章「占いを信じていなかった」「人生は白紙ではないか?」
○第一章「株を占う(ニッセンという銘柄との出合い)」
○第一章「卦の簡略化」
○第一章「台本から外れることはできるのか?」その1
○第一章「台本から外れることはできるのか?」その2
○第一章「台本から外れることはできるのか?」その3
○第一章「台本から外れることはできるのか?」その4
○第一章「台本から外れることはできるのか?」その5
○第二章「占いで運命を変更する」
○新刊本の本音&裏話・・第二章「未来は陰の世界」
○第二章「集合無意識にアクセスしているのか」
○第二章「運命変更のレーザー砲」
○第二章「占いで運命を変更する」(続)
○第三章「未来と現在がシンクロする」
○「外応」が与える社会への影響
○第三章「未来と現在がシンクロする」
○第三章「未来と現在がシンクロする」(続)
○第四章「不思議現象と占いもシンクロしている」
○第四章「編集者からの問いの応酬と私の気づき」
○第四章「なぜ方程式は存在するのか」
○第四章「因果律が逆転する現象」
○第四章「誰からも信用されなかった異端の科学者」
○第四章「12年周期の天然エネルギー」
○第四章「運命は100%決まっていると言った超能力者」
○第四章「超能力者の前で実演する六爻占術」
○第四章「あってはいけないモノ同士のシンクロ」
序章

 あっという間に書き上げたのが「序章」です。
「序章」は、赤川次郎風に書いたつもりです(笑)。
 赤川次郎は、なんと言っても引き込みがうまいです。
 彼は「小説の書き方」という本の中で次のように言っています。
「私は会話文から始めます。いきなり会話文から始めれば読者を引き込めるし、なんと言っても自分自身がノッてくるのです」
 これを読んでから本屋さんに行って確かめてみました。すると赤川次郎の本は、やはり会話で始まるのが多かったのです。
 会話でなくても、テンポの良い感じで始まります。
 私の序章は次の文章から始まりました(最初の内容紹介は除く)。
「それは26歳のバレンタインデーの日でした。」
 これを読んだ読者は思います。「いきなりバレンタインデーか、軽いなこの本は」(笑)
 でもその後は意外な行動(その日に辞めるという)が書いてあります。
 導入部としては、かなりイケていると思います。
 この本は、私を全く知らない人を対象にしているからです。
 そして再び転機が訪れます。不思議研究の開始です。
 宇宙のルールは誰が作ったのか・・(交通ルールは人間が作ったりのだから理解できる・・)という私の問題提起があります。
 その後は株で一億円以上儲けた話があり、土地の入札へと続きます。
 本を買う人は、最後の部分と、最初を見ると思います。
 最後は例の「肯定外応サイン」があるのでOKです(笑)。
 そして序章は、テンポの良さで、OKを取れると思います。
 普通、導入部はかったるい本が多いです(笑)。本が出来るまでの過程をだらだらと書いたものもあります。
 そういうのは、「おい、早く始めろよ」と思います。
 だからこそ序章はとても大切なのです。読者を、作者の場に持ってこないといけないからです。

 作者の場にするために読者に対して問いを発します。まずは科学の分野に対する問いです。
 序章の中には次のように書かれていました。

   さて、物理の法則があると、物は自由に動くことができません。バットでボールを打ったとき、一分一秒後の位置まで正確に決まっています。
 もちろんボールには意志はありませんから自由を論じても始まりません。しかし人間はあらゆる法則の枠外でしょうか? 物理の法則には縛られていなくても、他に我々を縛る法則は無いのでしょうか・・

 ここで未来を制御するのも「法則」ではないかということを問いています。
 もう一つは、24ページの後半から25ページの序章の終わりまでにかけてです。

 私たちは常に夢や希望を持って生きています。しかし夢や希望を持ってそれを実現することが、実は始めから決まっていたというのを、あなたは受け入れられますか?

 この問いは、大変な問いなのです。なぜなら「夢や希望」に楯を突いているからです(笑)。
 この問いは精神世界に向けられています。
 ここで何も励起されない人は、この本を読む必要はないのです。
 序章はとても短いですが、本の神髄へと一気に流れていると思います。
 私はパソコンで書きますが、キーをほとんど止めずに書いてしまいました。この部分は自分としても、いつも立ち返っているところだからです。
 ここを「練って」書くようでは、私は時空への問いの中に、生きていないことになります。

序章に書いた「(理由はあとで説明します)」

 序章には15ページに「(理由はあとで説明します)」というフレーズが出てきます。
 富士通に辞表を出して、課長と問答をしているときに後ろでは女子所員の談笑が聞こえました。自分の心境と正反対なので、私はよく覚えているのです。
 私は自分の奇怪な行動を課長から問い詰められ、実は汗をかいていたのです・・たら〜り(笑)。
 そのとき「ギャハハ」という笑い声が聞こえれば、外応などという概念を知らなくても「あれ?」と思うでしょう。
 さて、「笑い」は新刊本の中では重要な意味を持ってきます。
 ウエイトレスからコーヒーをこぼされたことと対比するからです。
 ですが普通、本の中には「(理由はあとで説明します)」というフレーズが出てくることは極めて希だと思います。
 注意書きをするか、何も書かないか、どちらかだと思います。
 読者にとっては、歯に何かがはさまったような感じを受けるからです。「早く言えよ」・・と(笑)。
 案の定、原稿を書いた後で、編集者とは「ここをどうしましょうか?」となりました。
 編集者とは何度も会い、原稿を検討してきましたが、これは最後までペンディングにされたところです。
 でも結局「このままいこう」ということになりました。
 本の後半でこの「笑い」が重要なファクターになるからです。
 それともう一つ、この本は、ミステリーの様な展開をしています。そのための伏線が引かれています。
 でも読者は、自己紹介も兼ねた序章に、まさか伏線があるとは思ってもいないでしょう。
 序章は軽快なテンポで進みます。どちらかと言えば、私の感情抜きに進みます。
 あの時は悲しかったか楽しかったか・・そんな主観的なことは書いてありません。
 なぜなら序章での主役は「私」ではなく、私の「問い」だからです。
 感情ドップリに書けば「私」が主役になります。
 一億儲けようが、土地をゲットしようが、そんなことは私の人生ではちっぽけなことのように、淡々と筆が進みました。でも、実際、そうなのです。
 逆に、「一億円」と「土地ゲット」に焦点が当たれば、この本は単なる成功本になってしまうのです。
 ですので序章というのはとても大切です。
 作者が何にフォーカスしているのかが、バレバレになるのです。
 読者ハガキの中には、「富士通に入るまでの人生も知りたかった」というのが数人いましたが、これはたぶん別の本でなら書けます。
 1951年、東京のはずれに生まれ・・とくれば、焦点は「私」になってしまうからです。
 さて、本題に戻りまして・・・
「(理由はあとで説明します)」というフレーズがあるのと無いのでは、どちらが良いでしょうか?
 私は6:4で、あった方が良いと考えます(笑)。
 富士通を辞めるという身の上話よりも、「笑い」に焦点が当たるからです。
 もっともこのHPを見続けている人は、何を意味するか、分かっていたと思いますが・・(笑)

序章に書いた「白紙の手帳」の部分

 新刊本の16ページから18ページにかけて、会社を辞めてから白紙の手帳にするまでの事が書いてあります。
 もちろん実際には、完璧な白紙ではありません。今日だって人間ドックに行ってきました。
 しかし私の普段の書き込みを見れば分かりますが、朝9時の書き込みは、りんごの部屋です。それで16時頃まではそちらで過ごします。
 一応、部屋に電話は引いてあります。でも会社の社員ですら、その番号を知りません(笑)。だから昼の間7時間、私はかなり自由です。
 物書きをされている方で、そこまでのフリータイムとフリースペースを持っている人がいるでしょうか?
 しかも私の収入は会社からので充分です。だから本の印税は、余計なのです。そういう意味では、経済からもフリーです。
 だったら本を書かなきゃいいって? 食べるためではないのです。趣味なのです。
 私のことを嫉妬する人は多いはずです。ボロ儲けしている・・と(笑)
 しかしそれは、本の16ページから18ページに書いたことが原因なのです。
 六爻占術というすごい占いが既に存在し、それを目指して中国に行ったわけではないのです。
 そういう意味では、『インディー・ジョーンズ』を越えていると思います。
 すべては偶然に身を任せて旅をした結果、向こうから降ってきたのですから・・・
 編集者の上司がこの部分について「これは別の本になれそうですね」とも言いました。
 ところでこういう生活は、表現の仕方によっては「到達点」とも言えます。
 でも私には「出発点」なのです。どんなに会社が反映してうまくいっても、それは出発点なのです。
 序章では、出発点に立つまでの事を2ページで書いたのです。
 しかしそれを、極めてサラッと書いたのは、そうしないと論点がずれるからです。

第一章「占いを信じていなかった」「人生は白紙ではないか?」

 序章がハイテンポに終了して、「次の章からいよいよ神髄に迫ります」と、第一章にバトンタッチします。
 最初は作者本人(私)が「占いを信じていなかった」「人生は白紙ではないか?」ということから始まります。
 これも数ページしか書いてありませんが、実際には8年という年月でのことです。
 なぜ私が占いを信じていなかったかというと、私は「自由」に興味があったからです。
 会社に辞表を出し、不思議研を設立していくとき、心のどこかで「私はもっと自由になるにはどうすれば良いか?」という問いを発していました。
 これは「神はいるのか」とか「時空どうなっているのか」と同等なくらい強い問いでした。
 だから新刊本の裏のテーマは、やはり「自由」でした。
 その答が「占いで出た通りに運命は決まっている」では、たまったものではありません(笑)。
 あってはならなかったのです。未来が決まっていることなど・・
 だからあの頃の私と、今の私とでは、何かが大きく変わっているはずなのです。
 過渡期はあのチベットです。
 ランクル(ランドクルーザー)でチベットの大地を走りながら、トラさんからポツリポツリと聞く話は、衝撃的でした。
 朝五時に落ちた大学に行ったら、受かった話も聞きました。
 ウサギ八匹で病気が治ったことも聞きました。
 携帯電話を探した卦で、秘書の恋愛運まで出る話も聞きました。
 故障したランクルの前を、お馬の親子が通り過ぎました・・・トコトコ・・
 カルマは個人には無いかも知れない・・そういうインスピレーションが降りました。
 全体の業(ごう)です。
 超高僧は「人生は楽しむためじゃろ」と言いました。
 高僧は「変化に乗ることが空です」と言いました。
 既に私の「自由」は、変化に乗りつつありました。
 トラさんはランクルの中で何度も言いました。
「運命は決まっていますが、ある程度、変えることも出来ます」
 しかし、私の耳には「変えることもできます」など、どうでも良いことでした。
「決まっている」というのが、衝撃的だったからです。
 だって今までの時空の概念が180度ひっくり返ったのですから・・・

第一章「株を占う(ニッセンという銘柄との出合い)」

「森田さん、この六爻占術は株も占えます。」
 トラさんの言ったこの一言は、最初冗談だと思いました。
 私が知っている占いと言えば、街角の薄暗いところで手相を見ながら
「うーん・・あなたはあまり、金運が良いほうではないですな」
「じゃあそれを挽回するために株で一儲けしたいのですが・・」
「株?? やめたほうがいいよ。損をすると出ているから・・」
 というようなやりとりしか頭に浮かびません(笑)。
「何の銘柄が良いですか?」と訊こうものなら、「私は証券マンじゃないんだ」などと言われそうです。
 だから六爻占術がいかにすごいとは言え、自分の会社の金運などで試す気はありませんでした。会社の金運など、街角の占い者で十分ですから。
 六爻占術を試すには、株しかありませんでした。
 だって、今でもファックスDMの返事の中には「占いで株?? ふざけるな!」というのが来るからです(笑)。
 そして中国で何銘柄かを占いました。でも上がっても大したこと無いと出た銘柄ばかりした(後から思えば、それらの銘柄のすべてが当たったのでした)。
 もっと急激に上がりそうなのでないと、試せたとしても見せ場を作れません(笑)。
 新刊本には「通販が好きで、そのとき着ているトレーナーはニッセンという会社で買ったものでした」と書いてあります。
 本当に株が占えるとすれば、こんなにすごいことはありません。
 億万長者になるためのノウハウ本を読み、精神論を勉強するよりも、よほど具体的です。
 もしもこれが本当なら、私は遊んで暮らせることになります。
 そして幕は切って落とされました。たニッセンが、すごく上がると出たからです。
 ニッセンを1000株だけ買い、私はホームページに発表しました。こいつ(ニッセン)が「来る」・・と。
 そして毎日ホームページに、占いの予想とその結果を発表していました。その間、株価は下がり続けていました。
「そうきたか・・・なら私はこうする」と言って、私の買い増しがスタートしました。
 それは時空への攻撃でした。撃って撃って打ちまくる・・それは買って買って買いまくる・・でした。
 私だって「並」で時空と勝負しているわけではありません。そういう「本気」を時空にぶつけました。
 撃って撃って打ちまくる・・買って買って買いまくる・・
 あの日、ストップ高の株価を見たとき、戦慄が走りました。時空はマジだったのか・・と。
 結局一億円以上の利益を残しました。
 ニッセンという銘柄がどんな役割を果たしたか、後から考えれば、やはりすごいです。
 株を買ってから数年経って上がっても、しようがないのです。半年でも長すぎます。だから翌年3月決算の会社だと、すぐには結果が出ず、ダメだったのです。
 しかも2倍程度上がったくらいでも、しようがないのです。そんな銘柄は、ざらにあります。
 12月決算で、しかも利益が五倍にもなる会社は、たぶんニッセンだけだったと思います。

第一章「卦の簡略化」

 新刊本では卦を簡略化しました。
 最初この本を作るとき、卦をどうするかが一つの問題でした。編集者も悩みの一つだったようです。
 私は卦を簡略化して表示することを考えました。
 用神は「占う対象」、原神は「プラスエネルギー」、忌神は「マイナスエネルギー」です。
 これで表現できれば、詳しい卦の説明をする必要がありません。
 でも、応期とか、六爻占術特有な詳細情報を表現できるかが問題でした。
 しかし実際にやってみると、うまくいきました。
 ウサギ八匹で病気が治ることすら、表現できました。
 あれを見て「六爻占術も難しくない」と思った人も多いようです(読者ハガキより)。
 ニッセンが12月7日に上がることすら、説明が出来ました。
 ということは・・基本を押さえれば、かなりの部分を解釈可能なのです。
 以前、このHPに次の投稿をされた人がいました。

 占いが経済に与える影響
 いつも読ませていただいています。お遊びソフトのころから、株、為替で試しています。すべての結果で、利益が出ました。去年は三銘柄の株を占い、三銘柄とも数倍になりました。私は練習問題数十問程度で挫折中で、あまり卦が読めません。時空に対しても、被害者意識があります。それでもこの結果ですから、これから占いに参加してくる人たちの、経済にあたえる影響は、計り知れないものがあると思います。
2004/03/31 1:08:44


 この人にとっては、お遊びソフトで充分だそうです(お遊びソフトは新刊本に出した簡略版と同程度です)。
 基本さえしっかりしていれば、卦の情報量はあまり関係ないのかも知れません。
 六爻占術に挫折されている方、まずは新刊本に出てくる事例を理解されたらどうでしょうか?株なんて、あれで充分です。
 ところで簡略版を本の原稿に書いている時、思いました。
 株の値上がり時期を予測したり、色や数字で運命を変更したりが、簡略版の卦でできるのを見ると、まるで方程式だと思いました。
 それも、美しい方程式なのです。時空に惚れ直しました・・・♪

第一章「台本から外れることはできるのか?」その1

 72ページから5ページに渡り、「台本から外れることはできるのか?」というくだりがあります。これは私の中では、非常に大きな部分を占めています。
 ですが、言葉ではわかっても、体でわかるという人は、意外に少ないのではないかと思います。
「台本から外れることはできるのか?」の後には「事実を受け容れよう」とあり、その次は「タイヤに乗ってどんぶらこ」です。
 つまり次のセクションには、「諦めの境地」が控えているのです。
 事実の受け入れをしないで、諦めの境地に入ることはできません。
 弁護士や芸術家や俳優の話が出てきます。
 これを読んで「そうだ、その通りだ! 俺の運命はバッチリ決まっていた」と思う人の方が少ないはずです。
 大半の人は「そうかも知れないな」程度のはずです。
 私の本で世界が変わるとすれば、「台本から外れることはできるのか?」という、この章の認識だと思っています。

第一章「台本から外れることはできるのか?」その2

 運命が決まっていることを体で実感することは、とても大変だと思います。
 まず多くの読者は生き方から入るようです。もちろんそれでもかまいません。生き方が楽になったという人はとても多いですから・・
 そして私も、第6章を読んで、楽になってくれたら良いと思って書いたフシはありますから・・
 ですから、運命が決まっていることに体感していなくても、何の問題もなく、私は批判するわけではありません。
 でも、中には次のよう感想ハガキをくれた人がいます。
「あなたの本を今読み終えたところです。これが真実であれば(とてもそうとは理解できませんが)大変なことです。不思議どころの話ではなく、世界的、宇宙的な大問題です。普通の人間では信ずることは難しいと感じています(面白い読み物としてとらえることはできますが)」
 この人は、結構「キテ」いると思います(笑)。
 真実とはとても理解できない・・世界的、宇宙的な大問題だというのは、私が持った実感でした。
 国民保険料の未払い者を避難した本人自身が払っていなかった政治家のようなものです。
「自由へ」などとサインしておきながら(「不思議の科学」シリーズにはそのサインだった)、実は不自由そのものだったなどと、言えません(笑)。
 私は時空の捉え方の、180度転換を迫られました。しかし、ドキドキワクワクしていたことは間違いありません。
 なぜなら、今までの世界観からは、時空を理解することが出来なかったからです。
 運命が決まっていることを実感して、時空を理解する一歩が踏み出せました。

第一章「台本から外れることはできるのか?」その3

 私は今までの世界観からは、時空を理解することが出来ませんでした。その理由は「自由」にあります。
 私が『自由からの逃走』(心理学者のエーリッヒ・フロム著)に感動したことは、何度も書いています。
 人間とはすべて、自由に向かうものだと思っていました。しかしこの本によって覆されました。
 自由というのは建前で、本音は自由から逃げたかったのです。
 その、自由からの逃避度は凄まじくて、97%と値踏みしました(笑)。
 つまり3%しか自由を使っていないと・・。
 人間はあらゆる場面で「選択」をしますが、ほとんど不自由になる方を選択していたのです。
 一般的な精神世界も、かなりそれに該当すると思います。
「思えば叶う」というのも、私に言わせれば自由からの逃走です。自由が怖いから「思う」のであり、「叶う」という不自由が欲しいのです。
(かなり深い意味があるつもりで書いていますが、本題からそれるので省きます。要はハンドルをガッチリ握るということです。)
「成長する」というのも、自由からの逃走です。ある一つのことがら(精神的目標)に自分を縛り付けるからです。
 わざわざ人間に意識を与えておきながら、それは自由からの逃走をさせるためだというのは、いったいどういうことでしょうか?
 自由に興味のあった私は、最初から出鼻を挫かれたのです。
 私たちは何のために生まれてきたのか・・
 私たちはどこから来て、どこに向かっているのか・・・
 私は今まで、仮説にせよ、この問いに対する回答を書いたことがありませんでした。
 それは、今までの世界観からは、時空を理解することが出来なかったからです。
 でも『運命を変える未来からの情報』には書くことが出来ました(仮説ですが)。
 この一歩は、大きいのです。
 だって私は、仮説にせよ、死ぬまでの間に、答が欲しいと思っていたのですから・・・。
 運命が決まっていることを実感して、時空を理解する一歩が踏み出せたのです。

第一章「台本から外れることはできるのか?」その4

 私は今までの世界観からは、時空を理解することが出来ませんでした・・・という続きです。
 その理由が「自由」にあったことは、既に書きました。
 まだあるのです。それは「個の確立」ということです。
 私達が学校とか講演会とかで教えられてきたことに「個の確立」があります。
 それは、他に影響されず、個性でしっかりと未来を選択できるような自分を作ることでした。しかもエゴではダメだ・・とも言われてきました。
「あなたが変わることで、世界が変わる」とも言われてきました。
 とにかく「自分が変わる」というのが精神世界のセミナーでの決まり文句であり、欠点だらけの私たちとしては、直す所だらけだったのでした(笑)。
 しかし少なくとも私は、意識して自分が自分を変えたなどという経験を、一度も持ったことがないのです。
 つまり意識では自分を変えることは、不可能だと思いました。
 自分が変わるのは、すごい経験をしてしまった後などです。つまり何もなくして変わったことなどないのです。
 だから、根本的に何かが違うんじゃないか・・と思いました。でも、それを証明することが出来ません。
 道教を学んでいるとき「無為自然」という教えを知りました。でもそれは、単に道教の教えの一つに他ならなかったのです。私が自ら作り出した「教え」ではありません。
 私は疑問でした。個の確立は本当に世界を救うのか?個の確立は、本当にエヴァの世界に導いてくれるのか?
 これらの問いが、私の中で大きな矛盾の渦を巻き起こすのです。つまり答が出ないのです。
 そんなわけで、私はある時期から個の確立を目指すことを、やめてしまいました。
 個の確立は、未来を自分で作り出すことにあります。でも私が入っていった世界(六爻占術)は、その逆だったのです。
 未来が自分を作り出すと言っても過言ではありません。
 そしてある日、運命は決まっている・・という概念が答として押し寄せました。
 その瞬間、私は個の確立が出来てしまったのです。
 なぜなら私は、個を確立する必要など、全く必要のないことが分かってしまったからです。
 そしてその事を知ることが、逆に個の確立につながることだと、分かってしまったのです。だって個の確立とは、自分の全肯定なのですから・・
「個を確立しよう」などという目標を立てている間は、なれるはずがなかったのです。

第一章「台本から外れることはできるのか?」その5

 本の中に、私が諦める部分が出てきます。77ページです。その抜粋を書きます。

   そういう事実が何度も続いたとき、あらゆる事は決められていると思ったのです。
 私は腹が立って仕方がありませんでした。
 いえ、腹の立つことすらも決められているはずです。
 しかし・・・長い時間が経ち、私は次第に納得してきたのです。


 私はこれを書いている時、そして後から読み直す時、ある漫画の場面を思い出します。
 手塚治虫の『火の鳥・未来編』です。
 核戦争で人類が滅びて、誰も話し相手がいなくなる場面です。
「さらに、気の遠くなるような年月が流れていった」という文章が入るページです。
 それまで主人公は自分の手で生命を作ろうとしていました。
 でもことごとく失敗し、そのページのあと、有機物を海にいれ、自然発生を待つのでした・・
『火の鳥・未来編』は時空までは終わっていません。しかし・・
 私が感じた「長い時間」は、時空の輪廻も考えられるような「長い時間」でした。
 実際には一分かも知れません(笑)。でも、精神的時間は、とても長く感じたのです。
 そのとき私は、何気なしに、トロッコに乗せられている絵を描いていました。
 そしてその「長い時間」のあと、「自由」を手放すと同時に、「個の確立」も手放していました。
 それがもっと大きな自由へと広がることを、その時は知りませんでした。
 それが「個の確立」にも繋がることを、その時は知りませんでした。
 トロッコの絵を描きながら私が思い浮かべたのは、タイヤに乗っていた時のことです。
 スキーをする人はいますか?
 止まり方を知らないとき、猛スピードで斜面をくだり始めてしまった時のようです。
 スキーは転べばいいですが、タイヤはそうはいきません。
 ジェットコースターは一分もすれば終わりますが、タイヤは終わりません(笑)。
 問題点は次々に訪れます。
 問題点が起これば、「確立した個」による「自由な選択」で切り抜けるのが普通です。
 しかしタイヤは、そうはさせてくれません。
 行く手に岩が現れます。水はよけて流れますが、私は質量の大きな物質なので慣性があります。タイヤごとぶつからないといけません。
 行く手に木の茂みが現れます。タイヤはカーブの外周を通るので、岸に近くて、そういう場面が多いのです。そんなとき私はタイヤに伏せて、突っ込みます。
 オールを操りながら、内周のゆっくりした流れを選択しているカヌーから、笑い声が聞こえます。
 タイヤに自由はあるでしょうか・・・
 オールが無くて、個の確立が出来るでしょうか・・・
 新刊本ではその後、アインシュタインの場の解釈に移ります。
 ここでは、映画『2001年宇宙の旅』で、猿が放り上げた骨が宇宙船に変わる場面を思い出します(笑)。
 小さなタイヤは、今度は惑星に喩えられたからです。
 しかし・・タイヤも惑星も、場の流れに乗っているだけだったのです・・。
 第一章は株で儲けたというドロドロした欲の世界から始まり、最後は惑星の軌道の話で終わります。
 そして運命変更するには、場を変えるしかないと、次章に繋げます。
 第一章はこの本の要(かなめ)とも言えると思います。

第二章「占いで運命を変更する」

 第二章からいよいよ「運命の変更」に入りました。いきなりウサギ八匹の話が出てきます。
 六爻占術が運命を変えたという例の中では、ダントツにすごい話題でしょう。それを第二章の最初でぶつけました。
 それまでは運命は決まっているという諦めにも近い話が続いた中、ウサギ八匹はまさに切れ味抜群の名刀にも似ています。
 常識をひっくり返すには、充分だと思います。
 新刊本で私のことを始めて知った人は、「ウサギ八匹で病気が治ったことに驚いた」と多くの人が感想に書いています。
 しかも「にわかに信じがたい」と付け加える人までいます。
 さて、一般的な占いはどうでしょうか・・・
 たぶん霊感の鋭い占い師が「ウサギ八匹を飼いなさい」と言っても、そこに理由を聞くことは無理でしょう。
 超能力者に聞けば「私の天目で見えたから」と答えるでしょう・
 つまりこういうことの理由は、凡人には分からない世界だったはずです。
 しかし、新刊本にはその理由が書いてありました。
 悪いエネルギーは十二支の「酉」なので、十二支を円に書いたときに反対に来る「卯」で攻撃すれば良いと・・
 しかもなぜ「八匹」でなければならないかという理由まで書いてあります。
 さらに、「グレー」ではなく「ベージュ」でもなく、「白い」ウサギでなければならない理由まで書いてあります。理詰めで迫ります。
 次の例は、落ちた大学に朝5時に行ったら、受かったという話です。
 その後は、日本の例が二つ続きます。
 一つは私の会社のねずみ退治を、鈴と猫のオモチャで行った例です。
 次は魚のぬいぐるみで病気が治った例です。
 魚のぬいぐるみは、前の例で生きたウサギ八匹を殺してしまったため、どうしても出しておく必要がありました。
 第二章に出てくるのは四つの例ですが、これ以上出すと飽きられます。これ以下では説得力に欠けます。つまり必要必然の数だと思います。
 さてこれらの例で共通点があります。それは運命変更を、あたかも方程式の解を求めるような感じで行っていることです。
 みなさんが方程式に対してどういう感覚を持っているか知りませんが、私は感情が入らないものだと思っています。善悪も入らないものだと思っています。
 それが理由で理数系が嫌いだと言う人もいれば、だから好きだと言う人もいると思います。私は後者です。
 方程式に美しさを感じたのは、善悪が無いからです。しかも誰でもに共通です。
「この方程式は、神を信じる者にしか効かない」なんてのも、ありません(笑)。
 ウサギが可哀想だと思っても、ここでは方程式の解として出てしまったのです。だから使わざるを得ません。
 しかも病気になったお父さんの過去のカルマなど、まったく問題にしていません。
 病気は本人に何かを気づかせるためにあるのです・・などと言う人がいますが、方程式が何かを気づかせるのでしょうか?
 第二章の神髄は、この点にあると思います。
 第一章では自由を諦めました。
 しかし、自由が別の方向に見え始めているのを、私は第二章に感じていました・・

新刊本の本音&裏話・・第二章「未来は陰の世界」

 運命変更の事例が終わると、「未来は陰の世界」というセクションに入ります。
 そして陰陽の不思議について書いています。
 六爻占術はコインを使った占いであり、コインの表と裏の数だけが勝負なので、陰陽の概念はとても大切です。
 ところがまだ科学的な証明がされていません。
 平安時代には陰陽師という職業がありました。彼らは陰の世界と陽の世界を行ったり来たりできました。
 陰の世界が「原因の世界」であり、それを変えれば、陽の世界(この三次元の世界)は自動的に変わってしまうというものでした。
 こういう話を聞くと、「陰陽」という響きには、おどろおどろしいものがあります。
 では科学の世界での陰陽は、何でしょうか・・
 例えば、プラスとマイナス、NとS・・
 これらがなぜ存在するのか、科学的な証明がされているでしょうか?されていないと思います。
 けれど、測定器を使えば針の振れで見せることが出来ます。
 しかし、六爻占術の世界における陰陽を、測定器を使って見せることが出来ません。
 ここが大きなネックです。
 六爻占術がいくら方程式に近いものだとはいえ、測定器に引っかからないのです。
 さて、大学の専攻でいうところの「理工学部」は、「理学部」と「工学部」に分けることができます。
 私は電気電子工学科というところでしたので、工学部に属します。
 何が違うかと言えば、理学部は「Why」を研究するところで、工学部は「How」を極めるところです。
 新刊本の第二章は、「How」に徹しています。
 ですから陰陽を説明する部分も多くの情報を出し、それが繋がっているように書いています。
 しかし、押しつけがましく「これが六爻占術の根本原理だ」などと書いていません(笑)。
 序章から第一章にかけては、私の自叙伝的な流れでした。川下りの話とかも出て、飛ぶようにテンポよく進みました。
 ですが第二章は違います。説明的になってきます。
 それでもこの陰陽の部分は、編集者のリアクションも良かったのでした(笑)。
 くどくなく、情報提供に徹して、簡潔に述べていったのが良かったと思います。
 未来は陰だから、変えることが出来る・・実に分かりやすいと思います。
 さて、子(ね)という時間は、陰陽が切り替わるときで運命変更では重要な役目を果たします。第四章に出てくる孫さんや神坂さんともラップします。
 そして本には書きませんでしたが、トラさんが初めて私の部屋のドアをノックし、交友が始まったのも子年だったのです(笑)。

第二章「集合無意識にアクセスしているのか」

 104ページからは、「集合無意識にアクセスしているのか」というセクションに入ります。
 このページは、新刊本の一つの山場です。というのはユングがコインを振っていたという情報が載っているからです。
 心理学に興味のある人や、精神世界に興味のある人は、ユングのことを知っていると思います。
 そしてユングが易の研究をしていたことも、知っている人は多いと思います。
 ですが、研究をしているというのと、実際にコインを振っていたのとは、大きな差があります。
 例えばオカルトを批判する早稲田大学の大○教授が易を研究していたとしても、「あっ、そう」で終わりそうです(笑)。別に大きな驚きはありません。
 学者が研究するというのは、外から客観的に研究するという意味が大きいからです。
 しかも批判的に研究することも可能だからです。
 だって大○教授は「火の玉」を研究していましたから・・
 つまり内側から研究するということは、あまり無いのが学者の世界です。
 そうでなければ宗教学者は宗教に入らなければなりません(笑)。
 アフリカの民族踊りを研究する学者がいたとしても、アフリカに行ってサイケな化粧をして、毎晩のように踊り狂った人は、いないと思います。
 つまり自分と対象との間に距離を置くのが学者です。
 しかし、新刊本のこの章は、あのユングが実際にコインを振っていた情報なのです。
 この章までの流れは「運命は決まっているけれど、変えることができる」というテーマでした。
 読んでいる人は「占いにハマった人の物語だよね」と解釈したかも知れません(笑)。
 特にインテリ層は・・・
 しかしインテリ層でユングを知らない人はいないはずです。
 でも、そのユングがコインを振っていたのです。傍観者ではなく、体験者として・・・
 私はこの本を、心理学者に読んで欲しいです。特にユング派の人に・・・
 彼らのほんどは、コインなど振りません。
 私もユングの本は沢山読みました。でも実際にコインを振っていたと書かれたものには、出会っていません。
 ユングがコインを振っていたということが書かれた本に出会うのに、大変な道のりがあったのです。
 会報誌『不思議の友』を二回経由しています。
 まずは何年か前に、ハワイでユングの本を読んだときの書き込みです。そこにユングが易をやっていたと書きました。
 そして二年ほど後の『不思議の友』に、「ひょっとしてユングは実際にコインを振っていたのではないでしょうか? 誰かそのことを知りませんか?」
 という記事を出しました。するとたった一人からお便りが来ました。その人が「ユングと共時性」という本を教えてくれました。この本は、ほとんど知れていないはずです。
 そこに、ユングがコインを振っていたことが、実況中継スタイルで載っていたのです。まるで私の本のために作られたようです。
 私のことを『不思議の友』などで知っていた人は、こんな所を読んでも、「フンフン」という状態だと思います(笑)。
 でも、この部分は非常に意味が大きいのです。新刊本で私が唯一、他の本の抜粋を載せた部分でもあります。

第二章「運命変更のレーザー砲」

 私の元には既に2000通近くの読者ハガキが来ています。
 その中には占いの達人もいます。しかし彼らは「運命変更のレーザー砲」という概念にとても驚き、絶賛してくれます。
 未だかつて一人も「私の占いでも同様に運命変更できます」とか「私の占いのほうがすごい」というのが来ていません。
 そのくらい「運命変更のレーザー砲」という概念は、六爻占術特有なのです。
 さて、運命を変える方法は二つあります。このことをうまく説明する必要がありました。
 一つは「選択型」で、もうひとつは「底上げ型」です。
 選択型は、「六爻占術テキスト第一巻」があれば充分です(笑)。
 私がニッセンで儲けたのも、選択型でした。どちらの銘柄が上がるかを知り、選択すれば良いのです。
 事が始まっていなければ、「するか、しないか」を選ぶ情報さえあれば、OKなのです。
 だからこれは、ドンドンやるべきです。
 通信教育には「医者を選ぶときの判断の仕方」とか「薬を選ぶときの仕方」が出てきます。これで病気にすら、対処できます。
 本の中ではタイタニック号で説明しています。
 未来を見渡せるレーダーを装備しておけば、未来の障害物(氷山)を回避できるからです。
「底上げ方法」は「運命変更のレーザー砲」と呼び変えました。エネルギーを使うのでちょうど良いと思ったのです。
 氷山に囲まれて身動きのとれないタイタニックは、厚い雲にレーザー砲を打ち込むのです。それで氷を溶かします。
 選択の余地のないような、がんじがらめの状態から抜け出せます。
 ふたつの方法が、タイタニック号だけで説明できるのも良かったです。
 さて、ここで大事なことが出てきます。
 一般的に言われている「自分を変えれば未来が変わる」というフレーズが一つも出てこないのです。
 この章だけで十分「キテいる」あるいは「イッている」はずです(笑)。
 自分を変えたって何にも変わらないのですから・・・
 さて、もしもこの章で本が終われば、大変な批判をされるでしょう。
「世の中を良くしようという気があるのか?」、「自分だけ良ければそれでいいのか?」、「運命を変えても自分が変わらなければ無意味ですよね」等々・・・。
 だから第6章と「おわりに」がどんなに必要だったか・・・
 それは私の自己防衛のためでもあるのです。
 だから、問題提起をするだけではなく、その答まで述べる本になってしまったのです(笑)。
(著者がここまでの本音を明かして、良いのでしょうか?(笑))

第二章「占いで運命を変更する」(続)

 第一章では「運命は決まっている」ということを言い、第二章では「運命は変更できる」と言いました。事は急テンポに進みます。
 さて、第二章ではとても大切なことがあります。
 それは、運命変更は誰にでも出来るということです。テキストが販売されているのでそれを買い、コインを振って自分で判断すればよいのです。
 どのように運命を変えるか、その方法まで簡単に載っています。凡人(失礼)にもできます。
 仏教や道教の修行をする必要は全くありません。執着を捨てる必要すら、ありません。
 全くの凡人(またまた失礼)が欲のかたまりのままコインを振っても、それは可能なのです。
 時空と一体にならなくても、可能なのです。
 自他が分離したままでも、可能なのです。
 鳥の声が聞こえなくても、可能なのです。
 ここがすごいところです。
 コイン占い(六爻占術)というのは、凡人が普通の状態でコインを振っても、OKなのです。
 しつこいですが私は第二章に、何の条件も書いていません。
 今までの占いというのは、ある程度の霊感のようなものが必要でした。
 でも六爻占術は、全く違います。霊感は無くても出来るのです。
 凡人でもできる運命変更・・これが第二章の隠れたテーマなのです。
(でもそんなことは、本には一言も書いていませんが・・)

第三章「未来と現在がシンクロする」

 第三章から私の趣味の分野に入ります。
「時空はどうなっているのか?」という問いを持ち、その解明に向けての一歩がはじまります。
 ですので運命を変更することに興味のある人は、第二章までで十分なのです。
 コインを振れば、時空は相手が誰でも答えてくれます。修行をする必要など、全くありません。
 第三章がなぜ「趣味の分野」かと言うと、もしも私が六爻占術を売りたいだけの目的ならば、第二章までをガッチリと書くからです。
 だって、第三章からはコインを外れた方向に向かうからです。
 さて、私の前にも多くの人が占いに関する本を出していると思います。占いではなくても、インドにあるアガスティアの葉などもその一種です。
 でもこんなに良く当たるという記述はあっても、その裏のシステムに挑戦しようとした本は、あまり無いと思います。
 その最初のステップがこの章からはじまり、その一つは「外応(がいおう)」でした。
 本の中に出てくる最初の例は、「雨が降ってきたこと」です。
 病気の子供を持つ親がコインを振り、トラさんが判断している時です。
「もう助からない」と告げようとしたら、突然夕立が降り始めました。
 それを見てトラさんは言いました。「お子さんは助かります」
 卦では子供の陰陽五行が「木」だったので、雷雨の「水」は木を生じるからです。
 私はこの話を聞いた時、映画『マトリクス』を思いました。本の中に「SF映画」と書いたのはこのことです。
『マトリクス』を観ていない人もいるので、実際のSF映画の名前は本には書きませんでしたが・・・
 さて、未来は「陰」で過去は「陽」であることは、すでに述べました。
 コインがアクセスするのは、陰の世界です。
 陰の世界はエネルギーだけの世界であり、物質化していないから、変更もしやすいのです。
 映画『マトリクス』で言えば、頭に電極を付けてバーチャルな世界に行くのが「陰」に似ています。
 でも「陰」の世界で死んでしまうと、現実の世界の肉体も死んでしまいます。
 バーチャルな世界と現実がラップしていました。
「雨が降ってきた」のは、これに似ているのですが、現実は映画以上なのです。
 なぜなら、陽の世界が、陰の世界を動かしてしまうからです。
 コインが落ちるのは、誰にも迷惑をかけません。しかし雷雨は多くの人に迷惑をかけたでしょう。
 それでずぶ濡れになって風邪を引き、こじらせて死んだ人もいるかも知れません(笑)。
 そこまでして時空は、お子さんの占いに「関与」したのです。
「すべてはつながっているのよ」などと言う人がいますが、簡単に済ませる問題ではありません。
 外応という現象は、あまりにも深い問題を秘めています。
「すべてはつながっている」という一言に、私はエゴ的なものすら、感じるのです。
 中心には常に「自分」がいて、その周りが「つながっている」というニュワンスを感じるからです。
 つまりシンクロニシティに注意すれば、ツキも上がると・・・
 私はその程度で済ますことはできません。

「外応」が与える社会への影響

 読者ハガキを読んでいたら、こんな事を書いてきた人がいました。
「神田昌典さんの成功セミナーに行ってきました。その中で神田さんは、実践会をやめたのは外応があったからって言っていました」
 おおおぉぉ・・、ビジネスを主体とする「成功セミナー」のようなところで、あの神田さんが「外応」という単語を使ったらしいのです!!!
 この単語は、すでに自己増殖を始めたようです(笑)。
「環境」とは、私たち人間の側が壊したり生かしたりするものでした。人間が主体であり、環境が受け身でした。
 環境に対して何ができるかというのが、今まで私たちに課せられた課題でした。
 方向は「自分」→「環境」でした。
 でも神田さんのビジネスの転換に対して、「環境」が影響を与えました。
 ということは、その方向は「環境」→「自分」です。
 この方向性の変化はとても大きいと思います。環境とは拡大された自分になったのです。
 ですから外応という概念だけで、世界はある程度変わると思います。
 さて、外応とはちょっと違うかも知れませんが、新刊本を書いているとき私は編集者から何度か言われたことがあります。「森田さんなら出来る」・・と(笑)
 編集者本人は恥ずかしがってこれを言ったのを否定しますが、私は覚えています。
 なぜなら、随分と救われたからです。
 第四章がなかなかうまく書けず、苦労しているときに「森田さんなら出来る」と言われたのです。それを聞くたびに前進しました。
 私自身は「出来るかな? 書けるかな?」という問いを発し続けていたので、一種の外応だと思っています。
 ところで新刊本そのものも、一つの外応として機能するかも知れません。それは、社会に対する外応としてです。
 一般的精神世界の本には、自分のレベルを上げなさいという話がよく出てきます。それをまるでお説教の様に書く本が多いです。
 でもそれは外応からすれば、逆効果です。今のあなたはそうではないから、そういう方向に意識で変わりなさい・・と言っているようなものだからです。
 新刊本には、無意識の世界と意識の世界の融合を書きました。
 100人の中で、1人でもそれが起これば、それがまた外応になると思います。
 百匹目の猿現象は、こうして起こるのかもしれません。
 だから私の本の内容が釈迦の言っていることに似ていると言われると、その人にはまだ融合が起こっていないのだと思います。
 さらに、釈迦の言っていることと似ていると思っただけで、釈迦を乗り越えることが無理になると思います。
 そうやって歴史は、繰り返してきたのです。
 釈迦やキリストにヒントを得ようとしても、どうにもならないでしょう。自己満足感を増やすだけです。
 しかしこの件に関して、ちょっとこれ以上は書けません。釈迦を乗り越えるために何が必要かとここに書けば、それは理屈だけの世界になってしまうからです。
 やはり本のページ数が必要です。
 でもたった一言だけ言えば、「快に自動選択させれば、悟りすら必要ない」ということです。
 一つ大事なことは、運命を変更するのに、執着を手放すことなど全く不要だということです。
 これが意味することは、釈迦やキリストといった過去の偉大な先人の誰よりも、私たちは前進をしてしまったということだと思います。2000年もかかりましたが・・・
 環境と個人は一体であるという外応の考え方は、何もしなくても世の中を変えていくと思います。
 布教活動など不要です。なぜなら「快」が自動的に変えていきますから・・・

第三章「未来と現在がシンクロする」

 雨が降ったことで子供の病気が治るという外応の話を聞いたとき、私が感じたのは、雨が降る時間にコインを「振らされた」のではないかということでした。
 次の例は恋愛占いでしたが、相談者の女性に一緒についてきた友達(女性)が、トラさんの方に近づいたので、「あなたは恋敵に負ける」と判断しました。
 この例では、友達は「付いて来させられた」のではないかということでした。
 彼らにそれをさせたのは、時空です。
 我々は時々「生かされている」という言葉を使うときがあります。外応も、そういう解釈が可能です。
 しかし、本筋はそうではないと思います。
「すべては決まっている」ということだと思います。
「生かされている」と「すべては決まっている」とでは、天と地ほどの差があります。
 しかし私は「すべては決まっている」と思うようになってから、外応を多くキャッチできるようになりました。
「生かされている」というフレーズの中には、主体である自分が、まだ存在します。
 主体である自分に、向こう側から援助してくれるという意味があるからです。
 でも「すべては決まっている」というフレーズの中には、主体である自分は、ほとんど存在しません。
 外応は、「環境」→「自分」という方向性だと述べたことがあります。
 しかしこれも、不完全な説明だと思います。自分と環境が別個にあるように感じさせるからです。
「すべては決まっている」とは、「すべてはつながっている」どころの話ではありません。

第三章「未来と現在がシンクロする」(続)

 第三章についての最後の書き込みになりますが、「未来と現在がシンクロする」という話ではありません。新刊本からカットされた件を書きます。
 トラさんは手計算で卦を出しています。その時、トラさんでも間違えるときがあるのです。
 六爻占術には64卦しかありませんが、間違えた卦は、64卦以外のもので、六爻占術では存在しない卦でした。
 ところがその間違えた卦で判断して当たったのです。間違えなければ、当たりませんでした。
 第三章までで、コインを振るタイプの六爻占術のパターンは出尽くします。
 そこに、「間違えて当たった」という事例は、一度は書いたのですが、最後にはカットされました。
 なぜかと言えば、「六爻占術はいいかげんな占いだ。だって間違えて当たるのだから・・」という風に取る人がいると思われるからです。
 もしくは「トラさんや森田さんは都合の良い人間ですね。間違えて当たらなかったことを隠して、その逆だけは公表するのですから・・・」
 しかし本来は、とても重要な箇所でもあったのです。
 六爻占術は発展途上の占いであり、当たる確率も完璧ではありません。
 完璧でないものを完璧に働かせるには、間違えさせるしか無いのです(笑)。
 だから時空のルールが降りた人間(占い師)に対しては、卦を間違えてもらう以外に、時空側は打つ手が無いのです。
 これはたぶん、外応よりもすごいことだと思います。
 外応は外側のことでした。しかし「卦を間違える」のは、自分の内側の出来事です。
 時空は外だろうが中だろうが、お構いなしに介入してくるのです。
 何のために?それは問われたことに対して、正しい答を送るためです。
 もしもキリスト教徒だったらどう考えるでしょうか?
「神様が私に乗り移って、正しい答を導いてくれたんだわ♪」
 一方の懐疑派は(もう一度書きますが)、「トラさんや森田さんは都合の良い人間ですね。間違えて当たらなかったことを隠して、その逆だけは公表するのですから・・・」
 これを本からカットした理由は、分かる気がしませんか?(笑)
 これをドカンと出すには、時代が早すぎると思います。
 それにしても時空は、どこに答を送ってくるか分かりません。
 さらに言えば、人間が間違いを犯すような不完全な生き物だからこそ、「間違えさせる」ことで時空からの答を「間違えないで」送ることが出来るのです。

第四章「不思議現象と占いもシンクロしている」

 第四章の目的は二つあります。
 まず一つは、六爻占術の話題ばかりが続くと読む側も息切れするので、話題を変えて息抜きさせることです。
 もう一つは、別の話題からも六爻占術に関連付けることでした。
 うーん・・よく考えると、この二つの目的は、相反するようなところがありました(笑)。
 変えた話題なのに、六爻占術に関係させないといけないからです。
 でも私は、軽い感じで書き上げてみました。初稿を送ったとき、編集者から電話が来ました。
「すごく良かったです。特に第6章には感動しました。」
 私は編集者が次の言葉を言う前に、言いました。
「でも第四章などは自分としてもイマイチです。」
 編集者は答えました。「そうですね。」
 ゲッ・・(笑)
 というわけで、この部分は編集者の鋭い突っ込みが最後まで入った章なのです。
 第四章の初稿がなぜいけなかったのかというと、解釈を読者に投げたからです。
 それはどういう事かと言えば「私が体験した客観的事実だけを書くから、みなさん勝手に解釈して下さい」ということをしたのです。
 しかも葉の縮小現象の調査から、仙人修行から、生まれ変わりの村まで書いてしまいました。
 これらを六爻占術と関連付けるとすれば、ほとんど力ずくでやるしかありません(笑)。
 つまり、まるで取って付けたような第四章になったのです。
 そこで、何を取って何を捨てるか・・その作業が始まりました。
 この章は、どちらかというと「科学的」な章となっています。ですから仙人修行や生まれ変わりの村は切り捨てました。
 切り捨てたもう一つの理由は、やはり六爻占術とは接点が少ないからです。
 だから、モンロー研究所の体験など、始めから無視されていました(笑)。
「残った不思議体験と六爻占術と接点は何か」・・これをずっと考え続けました。
 しかし、列挙していくと幾つも出てきたのです。こうして第四章が出来上がっていきました。
 その結果、この第四章は後から読み直しても、本の中では大変な広がりを見せ、しかも科学的な切り込みが入るという、素晴らしい章になったと思います。

第四章「編集者からの問いの応酬と私の気づき」

 第四章の最初には、不思議なことに対する私のスタンスが載っています。
 最初、この文章はありませんでした。編集者から「第四章の最初に、森田さんのスタンスを書いてみたら?」と問いかけられたのです。
 この問いがなければ私は気づきませんでした。
「おわりに」で私は編集者にお礼を述べています。ぐだぐだとは書かずに(笑)、「問いと答の応酬で私に気づきを与えたくれました・・」とだけ書いてあります。
 問いというものがいかに重要なものかは、この本を書く過程でも知らされました。
 教祖が教えを垂れるのは、逆なのです。最初に答を言ってしまったら、それで終わりです。
 なぜかと言えば、私が答を言うと編集者は「えー、そんな答があるとは思いもよりませんでした・・」と言って驚くときが多いのです。
 私の答は時として、編集者が予定していた問いを越えるのです。
 でも、もっと言えば、越えたものを受信するのも能力の一つだと思います。
 第四章の始めは、私の不思議調査に対するスタンスです。これが重要なのは、六爻占術そのもののスタンスにも関わってくるからです。
 私はよく当たる占いを求めて中国に行ったわけではありません。
 超能力を求めて中国に行ったわけではありません。
 不思議研究所は以前、超能力一辺倒に見えたときがありました。
 中国に行ってまで、超能力開発セミナーを開催したりしました。
 そこに行った人の多くは、今の私からは離れています。
 だって今の私は、凡人でもできる占いにのめり込んでしまったのですから(笑)。
 今でも私のファンでいてくれる人は、たぶん、第四章の最初の部分を理解する人なのです。
 だから、書いておく必要がありました。私は単なる超常現象研究家ではないのです。
 テレビタックルに出演する時代は終わりました(笑)。嘘かホントかなどという議論に費やすことはなくなりました。
 もしも最初の部分がなかったら、孫さんや神坂さんの記事も「嘘かホントの世界」にはまり込んでいく可能性があるのです。
 第四章は「なぜ」という原因の世界を追求しています。
「世の中にはこんなにビックリする現象がある」という世界を通り越しています。
「なぜ」の追求は、自分としてはとても科学者的だと思っています。
 孫さんがやっている修行の世界ですら、宇宙から見ています。
 この章は、実に私らしいと思っているのですが(笑)

第四章「なぜ方程式は存在するのか」

 140ページから141ページについてです。
 不思議調査のスタンスを述べた後は、実際の調査の記述が軽快に始まります。
 いきなり煎ったピーナッツからの蘇生です(笑)。
 その後は赤りんごが青りんごへの変化です(笑)。
 そして〆は「ほーら、信じないでしょう?」です。しかも「(笑)」まで付きます(笑)。
 私のことを全く知らない人は読者ハガキに「この本に載っていることは、信じがたいことばかりだ」と書く人が多いですが、この部分がかなり影響していると思います。
 麻酔なしで15センチ切られ、私のお尻はフィストで犯され(笑)、アナル処女を失った叫びは、50メートル先で寝ていたタクシーの運転手まで起こしました(笑)。
 そして〆は「マゾだからではありません。」
 不思議現象を紹介する本ならば、ここがメインとなるはずです。でも、1ページちょっとです。
「スプーンを曲げて、どうするのですか?」
「ピーナッツから芽を出して、どうするのですか?」
「リングをお尻から入れて臍から出して、何をしたいのですか?」
 こういう質問をする人がいます。実利を追うタイプの人です。
 だからその後の文章が大切になります。
「なぜ方程式が存在するのか、発見した科学者は問わないのでしょうか?」
 発見した科学者でなくても同様です。なぜ問いを発しないのでしょうか。
「方程式はなぜ存在するのか」という・・
 実は、この問いは「実利」ではありません。
 ピーナッツなど蘇生していないで、早く人間を蘇生しろとか、病気を治せ・・とか言う人にとっては、実利ではない物は無意味なのです。
 でも私は違います。私は実利だけのために、六爻占術を研究しているのではありません。
 生きがいを研究しているわけでも、幸せを研究しているわけでもありません。
 ましてやお金持ちになることを研究しているわけではありません。
 カルマを解消することを研究しているわけでもありません。
 なぜ方程式は存在するかを研究しているのです。
 この動機を持った人に、あまり出会ったことがありません。だからわざわざ書いておく必要がありました。
 でも根本の原因が分かれば、すべて分かるかも知れません。根本が分かれば、世界はひっくり返るかもしれません。
 作為的にひっくり返さなくても、自動的に・・です。修行も何も、必要ないと思います。
 地球が太陽を公転してすることは、火星や木星のほんのささいな変化が知らせてくれました。そして今では、誰一人天動説を信じません。
 でもあなたが無人島に生まれたら、天動説で育ったはずです。
 情報が世界観を変えたのです。地球から遠く離れてみなくても・・
 だから出版記念講演会は、「聴くだけで五次元に行ける」というサブタイトルになりました。
 本当の情報が与えられれば、人は変われるのです。

第四章「因果律が逆転する現象」

 孫さんのピーナッツ蘇生を、このセクションに書きました。
 私が発行する会報誌『不思議の友』の読者の中には「会報誌と同じ事が書いてあり、ガッカリした」とか、「もっと知らないことを書いてほしい」という読者ハガキをくれる人がいますが、たぶんマヒしてしまったのだと思います。
 私の不思議調査の中ではトップにランクされるのがこの蘇生現象です。しかもそれをたったの4ページで書いています。
 私の場合、一度や二度「見た」だけでは済ませず、何度も孫さんと会い、何度も見ています。それでも、不思議な現象のナンバーワンなのです。
 新刊本の表紙を見て「いかがわしいと感じた」という評価をする人がいます。
 その期待を裏切っていないのが、この蘇生です(笑)。
 六爻占術も信じがたいが、蘇生も信じがたい・・たぶんそうだと思います。
 私は会報誌を読んでいる人は、全く対象には入れていません。
 目指すのは、私のことを全く知らなかった一般の人です。
 そういう人にとって私の本は、今まで生きてきた常識を崩すのに充分だと思います。
 運命のことしかり・・蘇生しかり・・です。
 21世紀が新しい世界の始まりだとすれば、「運命を変える」ことと「蘇生」がキーではないかと思います。
 この二つの問題を露わにした私の本は、画期的だと自負しています。
 しかし話はそこで終わっていません。
 昔、サイババが流行った頃がありました。
 ビブーティーと称する物質をサラサラと手から出すところを、私は目の前で目撃しました。
 私が「なぜ?」という問いを発すると、周囲にいた日本人ツアーの人たち(200人の団体)の人は私に言いました。
「そういうこと(物質化現象への疑問)を問うのではなく、サイババの言うことに耳を傾けなさい。」
 サイババは、言葉を使って愛を説いていました。
 私には言葉の愛よりも、物質化現象に対する問いの方が大事でした。
 チャネリングのセッションに参加した時も同様です。
 私が「あなた(チャネリングで出てきている存在)がいらっしゃる星はどこにあり、何光年離れていて、今どういう方法で通信しているのですか?」と訊けば、「アセンションが始まろうとする今、そんなことは重要ではありません。人類はそうやって大切なことを逃してきました。私のメッセージの中に愛を発見できるかが、アセンションのキーなのです」と言われました。
 私は光のスピードを超えて通信できるその方法を知る方が、よほどアセンションに近づけると思っていました(当時も今も)(笑)。
 だから孫さんが「この現象(蘇生現象)は、世界人類の愛の波動が高まったときに、一気に広がります」などと言わなくて、ホッとしました(笑)。
 その代わり孫さんは、数々の科学的な調査に自ら挑戦をし続けています。
 その解明こそが、世界のためになると思っているのです。
 神の教えとかの能書き垂れる超能力者は、大抵は実験に応じてくれません。そういう疑惑の目で見ること自体を、良くないことだと言います。
 しかし孫さんは、実験室でしか応じてくれません。それの作業は、とても孤独だと聞きました。
 数々の実験器具を頭などに付けられ、密閉された空間でビデオだけが乾いた音を出しながら記録を続ける中、孫さんは現象を繰り返し起こすことに挑戦します。
 口先で愛を説く自称超能力者よりも、よほど愛があると思いませんか?
 孫さんは一年に二度来日して、超能力セミナーを開きます。その中級コースは磁気黒板を使った実習です。
 孫さんは、参加者が瞑想中に磁気黒板を持って回ります。吹き出ているエネルギーが強い部分に当てると、マークが出るからです。
 孫さんの目には、みんなから出ているエネルギーがすべて見えているのです。
 だから参加者は、嘘が付けません。
 自称超能力者(失礼)はバレバレになります(笑)。だから「自称本物」(もっと失礼)は参加しません(笑)。
 従って、そのセミナーに出る人のほとんどは、ど素人です(さらに失礼)。
 それでも何人かが磁気黒板に、刻印を残します。うーん、すごいことだと思います。
 六爻占術の方でも同様です。初段が誕生すればトラさんも来日して、直接指導に当たると思います。
 私の今度の本は、絵に書いた餅ではありません。私だけが体験できるものではないのです。
 世界一の六爻占術師と世界一の蘇生超能力者から、直接指導を受けられるのです。
 それもコネのあるなしに関係しません。電話予約の順番です(後から申し込んで、船井さんと知り合いだからという人を、何人断ったか分かりません)。
 もちろんお金は必要ですが、愛で支払うよりはマシでしょう?(笑)
 さて、新刊本で孫さんのことを書いた章の最後は、六爻占術との繋がりを書いています。
 キーワードは次の三つです。「右回転」「零時」「東向き」です。
 この情報だけでも、新刊本はすごいことなのです(自称「すごさの押し売り」とも言う(笑))。

第四章「誰からも信用されなかった異端の科学者」

 トラさんと孫さんが中国の人なのに対して、この章では私以外に初めて日本人が登場します。それは、神坂新太郎さんです。
 さて私は、「右回転」「零時」「東向き」この三つのキーワードを会報誌『不思議の友』に書きました。
 それを読んだ神坂さんは、閃きました。「これは機械でも出来るぞ」・・と。
 そして作ったのが銀河運動装置です。
 ところで右回転、零時、東向きと聞いて、『不思議の友』等から、今でこそ「ああそうか」と思う人は多いと思いますが、何もない状態からこれを作り出すことは、たぶん無理でしょう。私でも、完璧に無理です。
 ここが神坂さんの天才的なところです。
 私でも閃かない原因は、超能力に対する先入観があるからです。
 超能力はその人の個人技であり、体から発せられる何らのエネルギーが関係していると思う先入観です。
 だから、チャクラやツボをめぐるエネルギーを調べようとします。
 しかし、神坂さんは視点を宇宙に持っていきました。
 この視点移動があったからこそ、銀河運動装置が出来たのです。
 個人から宇宙・・の広がり・・
 それは新刊本において、運命が、個人から全体にという視点に移動したのと似ています。
 だから多くの面で新刊本は、スケールがかなり大きいと思います(自負)。
 右回転、、零時、東向きというキーワードを地球の表面で考えれば、0時がもっとも速く移動しています。
 この事に気付く人も少ないはずです。私たちは普通、止まっていると思っているからです。
 読者ハガキにこの感激を書く人は、もちろん誰もいません(笑)。
 だって本の中に書いてあることは、もっと個人にとって重要な、運命に関わることだからです。
 でも孫さんと神坂さんが、運命のところでもラップしてくるのが「零時」です。
 なぜ運命変更の置物を「零時」に設置するとなぜ良いのか・・その仮説が、超能力と、それを実証した科学の側から出てきます。
 本当の不思議ファンならば、簡単に済ませられる箇所ではありません。
 そして視点を宇宙に持っていったこの章は、四次元だの五次元だのという概念を使って展開する次の章のためには、不可欠の話なのです。
 さらにこの章は、科学と超能力と時空の秘密に問いを発した私が、その能力を充分に発揮した箇所なのです。

第四章「12年周期の天然エネルギー」

 サイン会に出た人のために録音したCDで、「今まですごいと思われる不思議現象は何ですか?」という質問に対して「神坂さんがエネルギーを測ろうとしたアイディアです」
 という答を、その三番目に入れています。
 つまり数多くの不思議現象の中で、ナンバースリーに入るほどのすごいことなのです。
 新刊本では超能力の蘇生に続き、機械による蘇生が出て、その後が、これなのです。
 ですが、エネルギー測定をすごいと思う人は、あまりいないような気がします。
 新刊本を読んだ科学者・・いえ、科学者で無くてもよいのですが、科学に興味ある人は、どう受け取ったでしょうか・・。
 科学の最先端は宇宙論であったり、量子論であったりします。
 ところが神坂さんの発案は、そういう種類のものではありません。洗濯機に使うようなモーターを使っただけです。
 ですが、反作用で測るというアイディアは、ノーベル賞モノだと思います。だから、是非とも本に入れたかったのです。
 もしも将来、この方法によるやり方が正しいとして広まれば、私の本は神坂さんがその第一人者だということを、世に証明しています。
 ですから新刊本の情報は、運命の解明だけではなく、エネルギーの新天地も切り開いているのです。こんなに凝縮された本も、珍しいと思います(自負)。
 私の本は、いかがわしいトンデモ本ではなく、科学の最先端だと思います(自負2)。
 そしてエネルギーの周期は12年でした。これが六爻占術の十二支とも関係してきそうです。
 さらに神坂さんの測定器では、加速時にしかエネルギーは関与してきません。
 同様に、六爻占術で運命を変更するときも、置物を動かしたりするとエネルギーが出ます。
 この章に登場する事柄と六爻占術は、大変に類似するところが多いです。
 しかし「まだ分かっていません」と書いた部分も多いです。
 これから解明されるべき事項が沢山詰まっています。そういう心地よさが伝わってきませんでしたか?

第四章「運命は100%決まっていると言った超能力者」

 運命は100%決まっていると言った超能力者についての読者感想文は、それなりにあります。
 まず一つは「森田さんが自分の死ぬ日を言われたとき、どう感じましたか?」という質問が多いです。
 実は私は、「フンフン」という感じでした(笑)。それは確かに仙人になれる歳ではありませんが、平均寿命よりは長く、かといって周囲に迷惑をかけるほどの歳ではありません。
 まあ、その辺ならいいかな・・という感じです(笑)。
 京房が自分の死期を変えませんでしたが、それも分かるような気がします。
 京房は六爻占術を通じて、時空の秘密を知っていたかも知れません。だとすれば自分の命が、時空と同じだけあることを(つまり時空と自分は一つであることを)、知っていたのではないでしょうか・・
 次の感想は、「たぶん、それほど短命でもなかったのですね・・。でも森田さんが短命では困ります。だってここまで時空の秘密を解明しておきながら、ポックリ逝ってしまわれては嫌だからです」というものです(笑)。
 はい、私も死ぬ前に解明をしたいです。
 もう一つは、「運命が100%決まっているのなら、人間は何のために生きているのでしょうか」という私の質問に対して、彼(超能力者)が「人間に生きる目的はありません。しいて言えば天命に従うのが目的です」と答えたくだりです。
 これについての感想は、大変に面白かったというのが多いです。思わず唸ってしまったというのもありました。
 しかし・・です。一般的な占いと言えば、相談者にアドバイスをするのが常ですが、彼の場合はそれが通用しません。だって100%決まっているのですから・・・。
 それが原因だと思いますが、これほど当たっても、彼の相談所は繁盛している風には見えませんでした。
「運命は決まっているけれども、変えることができる」・・これが私の本のテーマでした。
 もしも「運命は決まっている」で終わるとすれば、買ってくれる人はずっと減るでしょう。
 人は運命を変えたいと思うのです。だって意識があるから・・
 でもその変える方法が意識では相当難しいというのが、新刊本の隠れたテーマでもあります。
 人間は願望実現のために意識を使おうとしてきました。でもそれは、大変に効率の悪い方法だったのです。

第四章「超能力者の前で実演する六爻占術」

 孫さんから「森田さん、占いの実力を見せてください」と言われたときは、ドキッとしました(笑)。
 孫さんは超能力者の中の超能力者・・蘇生が出来るスーパー超能力者です。私は凡人です(笑)。
 しかし私の好奇心が放っておきませんでした。
 それでスーパー超能力者と凡人の、世紀の対決となったのです。
 結果は新刊本に載せた通り、互角の戦いをすることが出来ました。
 次に来日した時、成田で孫さんのスーツケースが出てきませんでした。
 孫さんは結構怒っていました(笑)。
「明日から始まるセミナーで何を着ればいいの? プンプン」(笑)
 女性にとって着替えの服は、命の次に大事なものでした。
「航空会社を訴えてやろうかしら・・プンプン・・あっ、森田さん、占ってみて頂戴!私のスーツケースがいつ戻るかを・・」
 私はコインを振りました。そして孫さんに言いました。
「明日の午後にはここに配達されます。」
「朝イチではないのですか?」
「はい・・午の刻(11:00〜13:00)なので。」
「えー!!!」
 私は「孫さん、あなたの天目には何時と出ていますか?」という言葉を飲み込むのが大変でした(笑)。とにかく憎めない孫さんです。
 でもその一時間後(前日の夜)に成田空港から電話がありました。
「荷物が見つかりました。どうしましょうか?」
「朝イチで届くようにして下さい。」
「はい、分かりました。」
 この時点で、占いの応期は外れたと思いました。
 念のためにホテルのフロントに電話をしました。
「明日の朝に孫さんの荷物が届きますので、彼女の部屋に届けて下さい。」
 フロントは「はい、分かりました」と言いました。
 翌日、私はセミナーの準備で孫さんのスーツケースのことはすっかり忘れていました(笑)。でも朝10時に登場した孫さんは、成田についた洋服でした。
 ゲッ、荷物は???吉凶自体を外したのか??
 昼休みにフロントに電話すると、スーツケースはすでに来ていました。でも夜の担当者が朝の担当者に言い忘れて、部屋に配達しなかったのです。
 こんなわけで私の六爻占術は、孫さんお墨付きとなりました(笑)。
 それが原因でしょうか、孫さんはトラさん経由でテキストを買ったようです。
 しかし勉強しているかどうかは、不明です(笑)。
 だってトラさんに電話をして、何かを占ってもらったことがあったからです(笑)。
 新刊本にはとてもここまで書けません(笑)。

第四章「あってはいけないモノ同士のシンクロ」

 孫さんの蘇生の話をするとよく言われます。「それってピーナッツをすり替えているんじゃないの?」
 でもガラスの下から撮影していたら、すり替えも無理でしょう。あってはいなけないものは、否定しようとします。
 そういう意味では、「運命は決まっている」という仮説も同様でした。それを言っても人は否定しようとします。
「運命の仕組みを説明してくれ」と言われても、今の科学では無理です。
 不思議なことに、「自由意志があるので運命は決まっていません」と言えば納得します。
 でもそれを科学で証明することは出来ますか?出来ませんよね・・・
 だから運命の問題は、今、始まったばかりです。
 私は運命の問題を科学的に検証したかった・・でも今の科学では無理だった・・
 だとすれば、科学では「範疇外」のことがらにシンクロを求めました。それが第四章です。
 意外にも多くのシンクロがありました。
 科学の範疇外のことは、科学の範疇外で説明がつきそうなのです。でも、範疇外と範疇内を接触させる必要があります。
 それが次章に登場する「五次元」という概念です。だから第四章は第五章の伏線でもありました。

※この続きは今、不思議研究所のホームページに書いているところです。

書き込み期間:2004/05/04〜2004/06/06