テーマ:「下條さん講演会2001.11」
書き込み期間:2001/11/10〜2001/11/12
要旨:
下條さんの講演を聴きに行きました。ゲスト一人ずつとのディスカッションスタイルです。
人間の身体には、指と指との間の組織が死ぬことによって五本指の手になるアポドーシスという現象と、ES細胞という何にでもなれる細胞があるという話がありました。これらはDNAの配下にはないらしいのです。
これをうまく使えば、未来には身体を自由に変えられる時代が来るだろうといいます。人間も「奴」も変身願望を持っているのかも知れません。
また、人間は身体感覚を持ちたいがために身体を化粧や髭剃りなどして加工するという話もありました。身体感覚は外部との境界であり、その境界をはっきりさせるための行為であるといいます。
熱いお風呂に入ったり、身体を締め付ける服を着たりするのも、身体感覚を増幅する行為なのだそうです。この話を聴いて、自己という感覚は境界に属するものではないかと思いました。
中でも、巨大風船を使ったパフォーマンスは凄かったです。これは、下條さんの吊り橋実験に似た実演です。
講演の最中に、真上で巨大な風船がどんどん膨らんでいきます。ドキドキして、いてもたってもいられません。風船は大きな音で爆発して、場内で悲鳴が上がりました。こんな派手な実演付きの講演は初めてでした。
その後、さらに面白い話が出ました。同じ人の写真でも、カメラ目線のものの方が、被験者が好感を持つ確率が高いという実験結果が出ているというのです。つまり、相手から見つめられた方が好きになりやすいのです。
この実験によれば、好きという感情に理由はなく、たまたま起こった物理現象だとも言えそうです。
この講演会は、タダでした。しかし中身は、一万円でも高く感じないほどの凄い内容でした。実験結果を発表する場ではなく、講演会そのものが実験場であり、聴講者が被験者でもあったのです。
下條さんはとてもエネルギッシュで、本当に「自分の感情なんてない」という感じで、流れるように喋る人です。下條さんと会話を交わしながら、自己のアイデンティティとはいったいどこにあるのかということを考えさせられました。
非常に心地良く、示唆に富んだ講演会でした。
目次
○下條さんの講演会
○下條さんに会った感想
○逆さメガネ
○タダの講演会
下條さんの講演会

 下條さんだけの講演会というより、ゲスト一人ずつとディスカッションをするというスタイルでした。
 まず最初はSF作家でもあり生物学者でもある椎名秀明さんでした。彼の書いた『ブレイン・バレイ』は私も読みました。
 そこで話に出たアポドーシスという現象がとても興味を引きました。
 アポドーシスとは一つの死です。例えば胎児の段階では、手のひらはアヒルの様にくっついています。指と指との間の組織が死ぬから自由に動く手が出来るわけです。
 秋になり葉が落ちるのも、葉と幹の枝の間の組織が死ぬのです。
 これらをアポドーシスと言います。そしてこの現象は、DNAには書かれていないそうです。
 さらに人間にはES細胞というのがあるそうです。ES細胞とは汎用細胞です。
 何にでもなれる細胞です。胎児の頃はほとんどこの細胞だそうです。
 死ぬ細胞と何にでもなれる細胞・・
 ES細胞は大人になってもあるらしいのです。
 しかもDNAの配下にないらしいので、女装したら胸が膨らむなどという現象もあるかも知れません。
 これをうまく使えば、整形手術など簡単になるとも言っていました。未来は、自由に身体を変える時代が来るだろうと・・
 講演会のテーマは「変身願望」でした。神話や童話やアニメから、世の中あらゆるところに変身願望が渦巻いています。この世は「奴」の変身願望かも知れません。

 次に登場したのは鷲田清一という大阪大学の教授でした。
 彼はモードとかファッションが一つの専門です。そういうテーマを選んだのは、人がバカにするようなことを研究したかったというのです(笑)。
 さて、彼は言います。体の中で加工されていない所はない・・と。
 男はお化粧しないと言いますが、髭を剃るのはお化粧に当たります。加工だからです。
 なぜ加工をするのかと言うと、身体感覚を持ちたいのではないか・・だと言うのです。
 身体感覚とは、外部との「境界」に発生します。女性が口紅を付けるのは、「境界」をよりハッキリさせるためだそうです。
 お風呂に入るとき、体温と同じ温度では入った気がしないのだそうです。体温より熱いか冷たいか・・それが重要なのだそうです。
 熱いお湯に入ると、今まで「境界」として意識できなかった腿(もも)の内側とかも、身体感覚の境界として意識できます。
 男女が抱き合うのも同じだと言います。お互いの境界を確認しあうのだそうです。
 彼は『体表面=「歓喜」と「愛」の地製図』と書きました。
 三宅一斉が10グラムの衣服を作ったそうです。しかし全くヒットしませんでした。
 それは、身体感覚を増幅するのではなく、反対に喪失させるからだそうです。
 衣服は「締め付け」たり「こすれたり」しなければならないのだそうです。身体感覚を増すのが衣服の目的の一つだからです。
 フェチという言葉がありますが、それは隠れた部分に焦点を当て、それを愛することです。これはお風呂に入って別の部分の身体感覚を呼び起こすのにも似ています。
 これを聴いていて私は思いました。自己という感覚は「境界」に生じるものかも知れません。

 次は前田太郎というロボット工学の先生でした。ここでも興味ある話が出ました。
 私達はロボットと言えば、感情もないものだと思っています。
 しかし前田氏は下條さんの『サブリミナルマインド』を読み、ヒントを得ます。
『サブリミナル・マインド』には書いてありました。人間だって感情は自分のものではない・・と。
 人間は好き嫌いの感情がもともとあってそれを元に行動しているとなれば、ロボットが人間にとって代わることは出来ません。しかしそうでなかったら・・
 前田氏はインプットを研究します。人間と同じような多種のインプットをすれば、人間と同じ行動に近付くのではないかと・・。
 なぜなら人間も「境界」・・すなわち「インターフェース」の部分で自己を感じるからです。それを研究するための実演までしました。

 次はタナカノリユキという芸術家のパフォーマンスでした。そのとき、「吊り橋現象」に似た実演をやったのです。
 下條さんの書いた比較的倫理的な文章の朗読をバックに、人影が踊るのです。
 スクリーンが前面にあり、ダンサーはその向こうにいて、後ろからライトを浴びながら踊ります。
 影だけですが、ヒップや胸を強調したコスチュームだっりするので、こちらから見ていると、現物以上にエロチックです。
 そこに下條さんの左脳系の文章の朗読・・
 私は下條さんの書いたセリフが素晴らしいので、メモをしていたくらいです。そのセリフの一部です。
「蝶はさなぎを破る直前に、破りたいと言う願望と意思を持つのだろうか、いや、そもそも願望は、どこに芽生えるのか。もしかしたら、願望は、さなぎを観察する私達の間に生じているのかも知れない・・」
 で・・上を見上げると、どでかいバルーンが膨らんでいるんです(笑)。
 私はステージの影絵とナレーションに集中します。
 で、上を見ると、バルーンはさっきより膨らんでいます(恐怖)。
 えーーーー!!!そりゃないよ〜
 直径10メートルもあるバルーンが爆発したら、どうなるの??
 でも、バルーンはどんどん膨らんできます。
「これは吊り橋現象のパフォーマンスなんだ・・」と思いました。
 次に思ったことは、「さあ、私はどうやってこの実験に参加しましょう」でした。
 周りを見ると女性達は耳を抑えています。
 しかし私は依然、ステージとナレーションに集中しようとしました。
 でも・・出来ません。言葉が頭の中に入っていきません。
 私は既に浮き足立っていました。だってバルーンは場内の30%を占めるくらいの大きさなのです。しかも私の真上にあり、しかもバルーンの表面と頭との距離は1メートルくらいに接近してきました。
 心臓はドキドキ・・この高揚感は、シチュエーションさえ整えば、恋に変換するかも知れません。
 後で下條さん自身から聞いた話ですが、裏で踊っているダンサーも、いつ爆発するかを気にしていたと言います。照明の人も気にしていたと言います。
 なぜなら爆発と同時にダンスが変わり、照明も変わるからです。みんなドキドキしていました。
 私が気になったのは、人為的に爆発させるのかどうかということです。しかし後で下條さんに聞くと、自然爆発するまで待ったそうです。
 もう少しで頭にぶつかると思うくらい大きくなった時点でそれは爆発しました。
 ばーーん
 同時に「きゃーー」という声も聞こえました。
 バルーンの破片が場内に飛び散りました。そのくらい爆発は激しかったのです。
 こんな激しい実演付きの講演会は、初めてです(笑)。

 パフォーマンスが終わると、芸術家のタナカヒロユキ氏との対談でした。
 そのときも面白い話が出ました。下條さんが今取り組んでいる課題です。それは・・
 二つの写真を被験者に見せます。その視線をアイポイントカメラで記録します。
 写真の一つはカメラ目線で撮ったもの、もう一つはカメラからは目を逸らしています。
 被験者にはどちらが好きかを聞くのです。
 被験者は最初は半々に見比べますが、カメラ目線で撮った写真のほうに次第に目がいくようになります。
 そしてカメラ目線の人に目が固定された時点で被験者は言います。「こちらの人が好きだ。」
 色々写真を変えても結果はほとんど同じだそうです。下條さんは言います。
「好きとか嫌いとかは、もともと自分の中に基準があったわけではないのです。カメラ目線の人の方が自分を見つめているような気になり、目の動きがその写真に多くいくようになり、自分はこの人の方が好きだと思うようになるのではないでしょうか・・」
 つまり日常生活の中でも、この現象が潜在意識の下で起こっているのです。だから「好き」に理由はないそうです。突き詰めれば、たまたま起こった目の物理的現象なのです。

 さて、科学技術館のトイレに、下條さんが面白いトイレを作ったそうです。
 館内の展示物のひとつに仕込んだテレビカメラの画像が、おしっこをする便器の、それも下から覗かれているようになる感じの位置に取り付けられているそうです(笑)。
 女性の便器にも取り付けられました。すると色々な身体変化があるらしいです。
 おしっこが出なくなる人は多いそうです。
 覗いている女性に恋をする男性も出てくるのではないでしょうか(笑)。
 だってみんな、ドキドキしながらおしっこをするのでしょうから・・。
 好きとか嫌いという感情は本当に自分のものでしょうか・・・
 パフォーマンスを含めて、とても楽しいイベントでした。
 パーティーで妻が下條さんを紹介してくれました。私を見て下條さんが言った最初の言葉は、「おお、お若い!!」でした(笑)。
「私はオカルトを研究しています」と言うと、「知っています。不思議の科学は読みました」と言いました。
 その後、バルーンの話になったのでした。
 スタッフ達はバルーンが膨らんできたら、遠のいていたそうです(笑)。

下條さんに会った感想

 下條さんの本のことは、ハワイ旅行のときにたくさん書きました。
 特に『サブリミナルマインド』という本は面白いです。
 さて私は今回、初めて下條さんに会いました。
 講演会・・というか、ステージでディスカッションをしている彼は、とても心理学者には見えません。とてもエネルギッシュなのです。
 心理学者と言うと、一つ一つの言葉を意識して使うような静かな人だというイメージがありますが、逆でした。
 彼は言葉に身を任せているように、スムーズに喋ります。誰と会っても、どんな人とも対等に、流れるように喋ります。
 何度となく「自己のアイデンティティ」という単語が出ました。アイデンティティとは、いったいどこにあるのか・・・
 感情も意思も自分のものでない自己・・人を好きになったりするのも、自分の感情ではない・・
 私はコイン占いが思い出されました。占いの話をすると、「では私達の意思はいったいどうなるんだ」という反論をする人がいます。
 その前に、意思は本当に自分のものなのか・・本当に奥が深いテーマでした。
 自己というものがあるという前提に立つ人、それも「自己は魂です。魂の成長をめざしています」などと言う人の話を聞いた後、パーティーなどでその人に話し掛けるのは億劫になります。
 この人は成長している、この人は成長していない・・などという秤にかけられそうだからです。
 しかし下條さんの場合はどうでしょうか・・自分の感情なんて、無いんです。
 私もそういう方が好きですので、無いもの同士が話をすることになります。
 下條さんには色々な人が話し掛けていましたが、まさに彼は流れるように喋っていました。
 流れに身を任せているようにも感じられました。
 しかしもしもそこに何らかの感情が発生したとしたら、それは両者の狭間が作り出したものなのです。したがってそれは両者の「狭間」のものなのです。
 その感情に縛られなければ、その感情は浮いたままどこかに行ってしまい、また別の感情のエネルギーになるのでしょう・・。

逆さメガネ

 下條さんは逆さメガネをかけて一週間を過ごしたそうです。
 それは自分が向こうににるように見えるそうです。
 おしっこをするとき、向こうから飛んでくるそうです。最初はよけたりするそうです。
 しかしだんだん慣れて、そのうち完璧に縦横できるそうです。
 でも、彼は言いました。「向こう側にいる私とこちら側にいる私は、いったい何だろう・・」
 私も逆さメガネが欲しくなりました。
 上下逆転タイプと左右逆転タイプがあるそうです。
 上下逆転が、いわゆる自分が向こうにいる感じになるそうです。
 手を伸ばして物を取ろうとすると、向こうから伸ばしてくるのだそうです。
 しかしメガネの間から本物の自分の足が見えたりなんてするのです。
 でも、それでも違和感がなくなるのだそうです。
 どっちの自分もアリ・・みたいな・・と、下條さんは言っていました。
 逆さメガネは、プリズムと鏡を使っていると言っていました。
 網膜に映る像は、反転していると言うではないですか・・それを脳内でさらに反転・・
 ということは逆さメガネは、単に元に戻しているだけです(笑)。
 講演会でも、自分という情報ほど少ないものはない・・ということが何度も出ました。
 自分は、逆さメガネの向こう側の自分にさえなれる・・
 ということは、生まれ変わりの村で自分の名前を覚えていないことと関係あると思いました。

タダの講演会

 下條さんの講演会はタダでした。それは『不思議の友』のような資金回収構造でした。
 自分が払わなくても、別の知らない誰かが払ってくれるシステムになっていました。
 さて、講演の中身はどうでしょうか・・こんなすごい内容は無いと思うくらい、ぶっ飛んでいきました。一万円でも高くないです。
 極めつけは、下條さんがスライドを出して言うセリフです。
「(対談者に)これはあなたのコメントが欲しくて持ってきたのです」と言うときです。
 例えばロボット工学者に対しては「ロボットにとって神とは何か?」こんなのがスクリーンに出るのです。「これをあなたに質問したいのです。」
 事前の打ち合わせ無しみたいなので、対談者はビックリ・・息が詰まる一瞬でもあります。
 要は、下條さんの興味の範囲で会は引っ張られていきます。それが実に心地良いのです。
 下條さんが「これが聞きたいのです」と迫るとき、「おお、それそれ」と相槌を打つ私がいます(笑)。
 何かを教えてやろうなどというスタンスはほとんどありません。
 バルーンが爆破したとき、スタッフが私達の方に走ってきて「大丈夫でしたか?」を繰り返していました。あれすら、実験だったのです。
 我々は「結果」を聞きに来たのではなく、リアルタイムで「結果」を出す被験者でもあったのです(私は被験者そのものを楽しく味わうことも出来ました)。
 終わった後の懇親会もタダでした。飲物もタダでした。
 で・・すごい熱気でした。
 講演者が全員バラバラに配置され、その周りにサークルが出来て、熱気ある意見交換が始まっていました。こんなにエネルギッシュなのを見たことがありません。
 私は思いました。講演者は充分元を取っている・・と。
 私の主催する会でも、ここまで熱気あるものになるでしょうか・・。
 しかしもしも一万円を払っていたら・・・私は今回、ハワイの書き込みまで送ることになるでしょうか・・
 なります。というのは、あそこまで全開で出されては、引っ込んでいるわけにいきません。
 通常引っ込む理由は「私なんかが何かを言っても・・」という部分があると思います。
 みなさんも、そうではないですか?
 確かに講演者はすごいメンツでした。売れっ子作家、最先端のロボット工学者、芸術家・・
 私は下條さんに自己紹介するとき「オカルト研究者です」と言いました。
 これは卑下ではありません。既に私が全開になったサインです。
 何だっていいのです。「女好きです」でも「女装好きです」でもいいんです。
 私は引っ込んでなどいられません。タダだろうが、一万円だろうが、関係ない世界です。
 もしも私がここで(これから)全開になれなかったら、私は「タダのシステム」にお金を払うつもりです。
 それは下條さんが「森田さん、そこまでしなくていいよ」と言ったとしても、関係ありません。妻が同級生だというのも、関係ありません。
 私はぶち切れるしかありません。

書き込み期間:2001/11/10〜2001/11/12