テーマ:「女装強化月間」
書き込み期間:2001/05/06〜2001/06/19
要旨:
新宿二丁目のお店では、色々な人達と会って話をしました。
男性の体に生まれてきたけれど心は女性の人、またはその逆の人・・
家族にも言えないで二丁目に通い続ける人、性の問題に悩んで命を懸けている人達・・
なぜ与えられた性を全うしないのかと言われても、彼(彼女)達は「自分の心を裏切りたくない」と言います。
私も女装をしていて、アイデンティティや男女の区別が揺らいで白紙に近い状態を味わいました。そんな中で「私は誰?」と問い続けました。
性差が曖昧になっていくのが、未来への方向ではないかと思います。
男は男らしく、女は女らしく・・こう言われるのは、定点を失いたくない、環境を変えたくないからではないでしょうか・・。
一般的な男性、女性と呼べるものはどこにもないのではないかと思います。
女装強化月間最後の日の夜、私はフォーカス35に向かい、帰還した時もりけんとりんごは統合しました。
男性に戻った私は、女装する前の私と同じではありませんでした。少なくとも「スカートが履けないから男性服を着ている私」からは自由になれました。また、男性性の良さも発見することが出来ました。
再び男性に戻ったとき、男性性・女性性はそれぞれ片割れではなく、私達は断片ではないことに気付きました。
一人一人の魂の大きさは全宇宙に等しく、魂の世界では「1」はいくら足しても「1」なのです。
魂に性差はなく、何にでもなれます。無限の可能性を持っているのです。
神は無限を経験するために、有限の世界を作ったのではないでしょうか。男女の性別を作ったのも、本来魂に性差がないことを知るためかも知れません。
「あなたは誰ですか?」この問いに私はこう答えたいです。
「私は神です」・・と。そして「もりけんの中に住む女性性(女神)です」・・と。
目次
○一線
○りんご日記1
○りんご日記2
○梯子を降りる
○何でわざわざ女装してホステス役をやるのでしょう・・
○「場を作り出すこと」から「場に作り出されること」への変化
○浮き沈みの激しい日々
○不安定
○孫さん来日
○孫さんセミナー後の懇親会にて
○女性修行の扉
○積極的な女装も、あとしばらくのことだと思います
○メールによる批判
○白紙に近い状態
○5月21日の仕事着
○新宿二丁目より
○5月22日の仕事着
○アイデンティティとは「慣性」
○5月23日の服装
○未来の姿
○性転換できない彼
○一度しか無い人生
○5月28日の服装
○定点
○5月29日の服装
○5月31日の服装
○OLスタイル三点セット
○男としての女性
○今日(6月4日)の私
○6月5日の服装
○女装強化月間最後の日
○フォーカス35から帰還しました
○男性に戻った私
○ただいま
○無限と有限
○あなたは誰?
○「もっと生きたい」
○切り口
一線

 私は近いうちに完璧に女性の格好になります。しかし格好は女性でも、私は男性です。声が変わるわけではありません。喋り方が変わるわけではありません。
 私の職業が変わるわけではありません。得意先が変わるわけではありません。
 パンストにスカート、そしてブーツという女性の格好をしたのは同窓会と小樽でした。その二つとも日常ではありません。
 道教の導師が帰ってからスカートの毎日でしたが、下にタイツとかスパッツを履いていました。
 ですからスカートを脱いでもそれで街を歩くことは出来ました。つまりスカートは男性としてのおしゃれとして見ることも出来ました。
 私はその服装をするにあたって、一線を感じることはありませんでした。道行く人、電車の中で私の前に座る人が変に思っても、私は関係ないことでした。ニューファッションを楽しんでいるだけでした。
 しかし最後のステップは、一線があるのです。スカートの下は、下着です。
 非日常ならいくらでもできます。しかし会社生活でのそれは、一線なのです。
 たぶんその日の朝、私は少し泣くと思います。その後で泣かないためです。
『ミームとアイデンティティ(本論)』の書き込みの中で、このことを宣言しました。あれをアップした後、少し泣きました。
 私はいったい誰なのでしょう・・一線は、これに対するヒントをくれるでしょうか?
 人生は楽しむため?これは精神世界でよく言われます。でも私は疑問に思っています。
 本当に、そう思いますか?
 辛い、悲しい、寂しい、楽しい・・この一つの状態が「楽しい」ではないでしょうか?
 だから、人生は楽しむため・・ですか?
 人生は味わうため? これも精神世界ではよく言われます。
 でも味わうためには、対象物の外にいる必要があるのではないでしょうか?
 人生は神が我々の肉体を使い、この世界を体験するため?これも精神世界ではよく言われます。
 しかし、「体験」は全て過去のような気がします。今と言う状態しかなかったら、体験はおそらく無いと思います。神は結果などに興味はないはずです。
 神さま・・なぜ私を作ったのでしょうか?なぜこんなにも弱い私を・・。

りんご日記1

 朝出勤する前、私はりんごちゃんの部屋に寄り、OL用みたいな服とパンプス(ハイヒール)を取って行きました。
 私は会社に着くとすぐにパンストを履き、OL用みたいな服を着て、パンプスを履きました。そしてメイクを始めました。
 今日は出来る事なら女性として見られたい・・そういう気持ちがありますから、丁寧にやりました。その間に社員はどんどん出勤してきます。
 そして社内は連休明けのあわただしさになりました。私はそれでもメイクを続けます。
「社長、あの件はどうしましょうか?」男性の社員が私の所に来ました。
 私はマスカラを付けながら「あの件ねぇ・・その問題になっている人の電話番号は何番だっけ?」と訊き、私は鏡を覗きながらその人に電話をかけます(私が直接かけるのはとても珍しいのですが、OL服を着ているので身が軽くなっていました)。
 そして一件落着して「この件、〇〇にすることになりました」と担当者に伝えました。
 とりあえずメイクは完成しました。その後、外出する必要が出てきました。駅で指定券を取るという女子社員と、駅まで一緒に行きました。
 信号待ちをしていると彼女が言いました。「社長は足が細いから、一緒にいる私の方が恥ずかしい・・」
 彼女に駅で写真を撮ってもらいました。私は電車に乗り新宿まで行きます。用事を済ませ、また電車で帰ってきます。
 その間、私を見つめる目はありませんでした。以前のように、ほぼノーメイクで、スカートの下にタイツを履いていた時の方が見る人が多かったです。
 自分で言うのもなんですが、今はひょっとすると本当の女性と間違えている人が多いのかも知れません。
 それから郵便局に行き、振込みをしました。それから銀行に行き、税金の支払いをやりました。これらは普通、経理がやるのですが、何となく挑戦してみたくなったのです。
 銀行の窓口の女性は私のことを知っています。だってこの銀行とは20年の付き合いですから・・用件を依頼するときは別段、変な顔はされませんでした。
 ところが用紙を見ながら「森田さん、お待たせしました」と言ったとき、私が「は〜い」
と言って近づくと、「あら・・・、森田さん・・ね・・♪」と言いました(笑)。
 その顔は笑っていました。銀行が混んでいるのでそれ以上の会話はありませんでしたが・・。
 今はりんごちゃんの部屋に着きました。
 ビルの管理人さん(女性)に挨拶すると「あら、きょうはちゃんとした格好で・・でも綺麗ですよ」と言ってくれました。
 そのとき、別の階の女性(50歳を過ぎている)が、とてもまじまじと私を見ました。
 とにかく半日が終わりました。これなら何とかやっていけそうです。
 下の写真は朝、代々木駅で撮ったものです。とても緊張していました(笑)。


りんご日記2

出勤前のりんごちゃん



 夜は新宿二丁目に行きました。
 新宿二丁目とは、知る人ぞ知る「その手の人達」が集まる場所です。女装者、ニューハーフ・・エトセトラ・・。
 私は以前から、この界隈に一度行ってみたかったのです。
 さて19:00に代々木の事務所を出て高島屋の前を通り、新宿二丁目に向かいます。
 伊勢丹を過ぎ、新宿通りを歩いていくと新宿一丁目になってしまいました。
「あれれ、通り過ぎてしまった・・」私は慌てて戻りました。
 新宿二丁目という地域は、とても狭かったのです。戻ってみても、目指すお店がなかなか見つかりません。
 結局入ったのは19:30でした。30分もヒールで歩きっぱなしでした。
 さてお店に入ると・・うんうん、とても綺麗なママさん(笑)がいました。脚線美は私以上、しかもメイクも抜群に上手です。
 その店は全員で10名くらいしか入れません。とても狭い店です。女装の人はあと二人いました。
 スカートで街に出たのは今日が最初だと言うと、みんな本当にびっくりしていました。
「あら〜、メイクなんかナチュラルしちゃっているわよ。」
「最初の日に、昼間、街を歩いたの? 度胸あるわね。」
「最初、女かと思ったわ・・」
 こんな風に言われました。
 その時、超ミニで編タイツの人が入ってきました。続いて超ミニで生足(笑)の人が入ってきました。編みタイツの彼女は私のことをとても色っぽい目で見ます(笑)。
「その格好で歩いてきたんですか?」と私・・。
「まさかぁ、これはメイク室で着替えたのよ。」
 そうなのです。ここにはちゃんとロッカーとかメイク室があるのです。こういう人をパートタイム女装者と言うらしいです。
「りんごちゃんは最初からフルタイムで女装ができちゃったのね・・すごいわね。」と言われました。
 それもしてもみなさん、ものすごい厚化粧・・。私のルージュは夜出るときに濃い目にしましたが、それでも薄い方です。
 でも思いました。女装と言うのは、できるだけ薄化粧(ナチュラルメイク)の方がいいって・・。
 そのあとはサラリーマンの男性が二人入ってきて、つまらない外国出張の話になりました。そこで私は店を出ました。そして次の店に行きました。
 
 そこは先ほどの店の倍以上の広さはあります。20人くらいは入れそうです。
 女装したお客さんが、一人しかいませんでした。その人がとても無口なので、ママさん(もちろん男)は私とばかり喋りました。
 道教の話・・仙道の話・・ママさんはとても詳しかったのです。
 私が仙道のテストで最初89点を取り、そのあと100点を取ったと言うと、笑い転げていました。
 一時間も喋ったでしょうか・・。一人のサラリーマンの男が少し酔って入ってきました。
「おや、きょうは新顔がいるな・・」と彼は言いました。
 ママは答えます。「彼女、りんごちゃんよ。こちらは時々来る××さん」
 私は「りんごと申します。よろしくお願いします」と言いました。
 ママは付け足しました。「りんごちゃんは、今日初めてスカートで外出したのよ。それも昼間っから・・」
「え〜、初めてなのかぁ」とサラリーマン氏は言いました。
 そのあと先ほどの話の続きが始まりました。
 ママが言います。「その蘇生が出来るって人、凄いじゃない・・世の中面白くなりそうね。」
 そんな話に盛り上がっていると、サラリーマン氏がスリスリと寄って来て
「ねえ、りんごちゃん、手を握っていいかい?」
「ダメです。今日は最初の外出だし・・」私は彼をグイと押しました。
 しかし話しに盛り上がっているとまたスリスリきて、今度は黙って私の足に手を置いて・・「いい足、しているなぁぁ」と呟くではないですか・・。
 ママは言いました。「この人は陰陽両方可能だから気をつけてね・・」
 彼の手は私の太ももに移動してくるので、また手で払いました。
 私はだんだん席がずれていきます(笑)。もう椅子から落ちそうになった時、サラリーマン氏が私の耳元で囁きました。「りんごちゃんのヒールが舐めたい・・」
 ここで私は店を出ました。
 
 伊勢丹の前まで来た時、別のサラリーマン風の男が声をかけてきました。
「ねえちゃん、飲みに行こうよ〜。」
「ダメです。もう帰るところです。」と私は男の声で言いました。
 でも彼は「いいじゃん、硬いこと言わないでよ〜。ねえちゃん冷たいんだから・・」
 彼がしつこく追ってくるので、私は早足に歩きました。
 その時ヒールがこけて、右足の小指に怪我をしてしまいしました。
 高島屋の前まで戻った時、ものすごい焦燥感に襲われました。
「僕は何をやっているんだろう」・・と。(なぜか「僕」です)
 僕は何をやっているんたろう・・そのとき脳裏には、沢山のマイナスな状況が写りました。
 こんなことをやっていると、失敗する・・こんなことをやっていると、離れていく・・
 会社の失敗、人の非難、等々・・僕だけ好き勝手をしていていいのか?
 今日一日で何を得た?失ったものの方が多いだろ?
 確かにそうです。連休明けの忙しい日に、私はメイクをしていました。他の社員にはどう映るのでしょうか?
 紀伊国屋の前に来ると人通りがなくなり、私はホッとして挫いた右足を引きずるように歩きました。
 私は何をやっているんだろう・・。少しだけ涙が出ました。これでいいんだろうか・・。
 会社に帰ると、社員がまだ働いていました。私は手洗いに行き、メイクを落としました。
 何をやっているんだろう・・。
 でもね、私はもう一度行ってみたいのです。最初の店に・・。
 パートタイムであっても、なぜそういう格好をするのか・・彼女達の話をもっと聞いてみたい。
 私は何をやっているの・・。でも、アイデンティティを探すのだっていいじゃないかと言い聞かせながら家に戻りました。
 ところで彼女達に言わせると、私の女装はかなりイケるそうです(笑)。それを聞いて心のどこかで嬉しくなっているりんごです。
 今日一日、色々ありました。りんごちゃんはもうおやすみです。グッナイ・・

梯子を降りる

 私が行った新宿二丁目のお店の料金ですが、最初のお店は
女性、女装者・・3000円(時間は無制限)。
男性・・・・・・6000円(2時間)
(男女とも飲み放題の料金です。)
 二番目のお店は
女性・女装者・・3000円
男性・・・・・・4000円
(ただし、飲み代は別です。)
 このように男女差があります。確かに世間にはこういう料金体系をしいている店は多いです。
 でも、自分が女性になって料金的に優遇される立場になったことは初めてでした。しかしこれには別の意味がありました。
 
 最初のお店では恰幅の良い男性が三人いました。
 そのうちの一人は社長さん、あとの二人は商社マンでした。いずれもこの店の常連さんのようでした。
 女装者は私を含めて三人いました。私以外の二人は社長さんの相手をしていました。私はママさん(男性)と一緒に商社マンの相手をしていました。
 商社マンは外国の入出国管理、税関等の評価を始めました。私も外国に行ったりするので、相槌を打ちながら聞きました。その話は一時間にも渡りました。
 今から思い出すと、「だからどうした・・」という内容でした(笑)。しかしその時の私は、ただただ相槌を打つだけです。
「そんなことまであったんですか・・大変だったですねぇ・・」と言い、相手が面白い話をすると、私はハンカチを口に当てて楽しそうに笑いました(笑)。
 すると商社マンは「なんか今夜はいい感じだなぁ・・。まさに社交場という感じだねえ・・」と満足そうに言いました。ママは私を見てちょっと微笑みました。
 ママは商社マンの人がタバコをくわえると、すぐにライターを差し出していました。
 商社マンはタバコの煙を吐きながら私をちらりと見ました。私は笑いました。
 商社マンはもう一度言いました。「いいなぁ、今日は・・」
 今思い出すと、あの店は精神的・因習的女性性をも体験する場所だったのです。
 男性が満足するようにバックアップをするのが、女性と女装者なのです・・たぶん。
 そして私もなぜか自動的にその役をやっていました。
 二番目のお店では特別会員制度というのがありまして、女装者は週に一度ずつ行くと、飲食代がタダになります。
 さらに週二日以上行き、不特定のお客さんの接待ができると、すべてタダになります。
 そういう制度があり、これはお店の人がOKしてくれれば簡単になれる様子です。
 というと、やはりこれは一種のホステス疑似体験なのです。
 女装して男性にもてなし、擬似ホステスの体験も出来て、しかもタダになるなら、こんなに良い場所は無いかも知れません。
 私は昼間スカートを履いています。でも心が受身的になっているかとそうではありません。仕事をこなさなければならないという点では、男性なのです。男性の主体性の中にいます。でもそれは時として、とても疲れることです。毎日はプレッシャーの連続です。
 この契約はどうしても取らなきゃいけない・・相手に呑まれてはいけない・・みんなをまとめていかなければならない・・とういうような「ねばらならい」的な気持ちが継続するのが男性性です。ちょうど梯子を一段ずつ上がっているような感じです。
 下を見て「俺はここまで来たんだ・・」と思いたい・・。そういう達成感がなければやっていられません。それを人に認めてもらえると、とても嬉しくなります。
「あなた、すごいわね。あなたやっぱり男よ」こう言われると悦に入ります。 
 ところがこのとき、受身的に聞いている側がそれを超えてはいけません。
 商社マンとの話のとき、たまたまチベットの話になりました。彼は一度だけ行った事があり、それは困難を極めたことをトツトツと喋りました。
 でも私は言ってしまったのです。「私も今度、行ってみたいと思います」・・と。
 彼は一瞬黙りました。そして私の格好を上から下まで、まんじりと見ました。
 私はスカートが少しめくれ上がって足が露わに出ていることに気付き、慌ててスカートの裾を引っ張りました。
 彼はそれを見ながら言いました。「君じゃあ、チベットは無理だよ・・」
 私は何故とは訊きませんでした。
 男性は飲みに行った場所でも、なかなか梯子を降りることが出来ません。
 
 お店に行って気付いたこと・・女性の格好をすることのみが、女性性の経験ではないようです。女性性とは一種、梯子を下りられるか・・ではないかと思いました。
 他の二人の女装者は、社長さんの話をいい感じで聞いています。
 彼ら二人はパートタイム女装者です。昼間はどこかの会社で商社マンと同じように働いているかも知れません。
 でも夜な夜なこうやって女性になるのは、梯子から降りてしまいたいという欲求があるのではないでしょうか。
「なんか今夜は、いい感じだなぁ・・」と商社マンが言ったとき、私は自分の身体を少しですが、エクスタシーが走るのを感じました。その言葉に、私も満足感を覚えたからです。
 彼がトイレに立った時ママが言いました。「りんごちゃん、本当に今日が初めて?充分にオンナしているわよ。」
 もしもこれが不思議研究所関連の会だったらどうでしょうか・・。
 私は何かを提供する側に回っているはずです。そしてうまく提供できたときに私は満足するはずです。
 しかし昨夜の私は逆でした。今までの私が商社マンでした。私は受身になっていました。
 私はあのとき、梯子を降りていました。
 
 同様なことは二番目の店でも言えると思います。
 もしも私が女性でしかも夜のホステスなら、少しくらい触られることや変なことを囁かれることは頻繁にあるはずです。
 彼女達はそれで傷付くことは少ないと思います。なぜなら彼女達も、梯子を降りていると思うからです。
 夜の街でも男性は梯子を登ったままです。その状態で認めて欲しいのです。その状態であやして欲しいのです。
「よくやったわね、こんなに高く登ったのね・・いい子、いい子・・(でももっと高く登ってね。あなたなら出来るわ)」・・と。
 しかし梯子を登るのは大事な仕事です。登って、登っていくのが男性です。
 でも、それを時々降りるのも大事だと思いませんか?
 梯子を登るのは、アイデンティティを極めることです。高く登れば登るほど、降りるのは怖くなります。
 では、降りると言うのはどうすれば出来るのでしょうか?
 一つは仙道が言っている環童功かも知れません。五歳の頃私達は、まだ梯子を登っていませんでした。
 そして女装も、梯子を降りる行為の一つに思えました。
 登り詰めたものを手放す・・完全に受身に回る・・。
 でもわざわざ女装しなくても、このような事は出来るような気がします。
 導師は言いました。「頂上に登らなくてもいいのですよ・・」
 これはある意味、女性的な生き方かも知れません。

何でわざわざ女装してホステス役をやるのでしょう・・

  
 それはたぶん、いつもと状況が変わっているからだと思います。
 店には本物の女性(純女と言う)と本物の男性(純男と言う)と女装した男性(女装者と言う)がいます。
 通常、飲みに行ったりするお店は男女の出会いの場でもあるわけです。
 もちろん同性の出会いもあるでしょうが、それはおそらく健全(何が?)です。
 しかし私が行った店は、状況は複雑だと思います。純男は女装者を、精神的に買っているのではないかと思うのです。
 男性客が帰るときは、ちゃんとエレベータまでの見送りがあります。しかし私たち女装者には見送りはありません。これは料金格差が原因でしょうか?
 男性は「面子を立てる」のが常識という路線・・そのものをやっているのではないでしょうか・・。
 ですがあそこは新宿二丁目です。性に関しては東京一進んでいると言われているところです。ですからもっと因習を壊しても良いと思います。
 でも、なぜ男性の料金が女性&女装者の倍もするのでしょうか?平等でも良いと思います。
 しかしです・・。おそらくそれでは、ゲームが面白くないのです。
 料金体系からすれば、純男は女装者を買っているのです。以上が私の考えた理由です。
 女性の場合、こういう料金格差がある店で対等になれるのでしょうか?
 今回のケースでは、女装者はわざわざ非対等を体験したいのではないかと思います。
 男性が女性におごるケースがあります。あれはひょっとすると、無言の支配をしているのではないですか?

「場を作り出すこと」から「場に作り出されること」への変化

 昨夜は下の格好で外出しました。コートを羽織っていますが、コート自体がスケスケなのでかなりセクシーです。
 タクシーで伊勢丹前まで行き、五分ほど歩いて新宿二丁目に入りました。


 
 最初、前回一度目に行った店に行きました。19時開店なので、私は19時に行きました(笑)。
 ところが20時まで待っても誰も来ません。私はママとずっと話をしていました。彼女(実際には男)は不思議な話にとても興味を持ちました。そして「不思議の友」の会員にもなりたいと言ってきました。
 でも誰も来ないので3000円を払い、別の店に行きました。そこは前回、二度目に行った店です。
 今日は経営者のママが来ていました。私はしばらく喋ったのですが、21時からテレビ朝日の取材があると聞き、しっかりと21時にスタッフが入ってきたので、私は退散しました。そして一度目の店に舞い戻りました。
 すると女装者が二人、恰幅のいい男性が四人、女性が一人いました。一時間の間にずいぶんとお客さんが来ていたのです。
 私が入っていくとカラオケが始まりました。女装者はちゃんと高い声で歌っていました。
 でも私の隣に座った男性はカラオケは歌わずに、私の耳元で囁き始めました。
「君、綺麗だよ。本当に女性みたいだ。」「ありがとうございます。」
「いつからこういう格好を始めたの?」「スカートを履いて外出したのは今日で三日目です。」
「すごいねえ、勇気あるねえ・・」「はい・・」
 
 彼は話を続けます。
「変なことを訊くけれど・・」「はい、何でしょうか?」
「あっちの方はどうなの?」「あっちの方というと?」
「つまり・・男性経験・・」「ああ、それですか・・無いです。」
「ずっと無いの?」「はい・・」
「じゃあ、相手は女性しかないの?」「はい・・」
 ここでママが「ねえ、そこの人達(私達の一角に向かって)、何か歌ってよ。」
 彼はそれを無視して喋ります。
「こういう格好、何でしたの?」「う〜ん、なんとなく・・」
「似合っているよ、素敵だよ・・」「ありがとうございます。」
 
 ところでこの男性は30代前半です。彼は続けます。
「こういう格好をすると、その気になってこない?」「その気って?」
「つまり・・」
 ここで私はトイレに立ち、帰ってくると男の向こう側の女装者と喋り始めました。でも、彼はまた話を自分の方に持ってこようとします。
 向こうで歌い終わった恰幅の良い男性が言います。「俺達歌ったんだから、そっちも歌えよ。」
 私はここで少し、嫌悪感に襲われました。まず、向こうで歌っている男性の横柄な態度・・。
 そこにいる男性も女装者も女性も、みんな嫌になりました。もちろん、私が女装していることも嫌になりました。
 カラオケのディスプレイには男女が織り成す風景が写っていました。
 そこに流れる文字を追って、恰幅のいい男がエコーをガンガン響かせて歌っていました。
 
 ここまでは昨日書いた部分です。しかし今日になると、少し変わっていました。
 女装をする目的は幾つもあると思います。その一つは性の対象を求めるためかも知れません。
 人がその性に見合った服装をするのは、「私が求める対極の性は、私がアピールしてる服の反対側の性なのよ。」こう表現しているのではないでしょうか・・。
 服装と性は、切っても切れない関係だと思います。ですから人が女装をすれば、その対極の性、すなわち男性を求めていると思われても致し方ないでしょう。
 これが女装に対する根本的な嫌悪感に繋がっているような気がします。
 現に私は、二丁目に来て二回とも男性から求められそうになりました。
 外を歩いているときも、特に夜だからかもしれませんが(男性であることがばれにくいので)何度か男性から声をかけられました。
 これ自身は女装の成果と言えます。私は女性として見られるという経験が出来ました。
 しかし私の女装の意味は、性の対象として男性を求めることにはありません。
 昨夜は、男性から言い寄られることにとても嫌悪感を感じました。
 でもそれはおかしいことに気付きました。彼らとて性を生きているのです。
 彼らが彼らの性を生きることに嫌悪感を感じるのは、私の社会規範の成せる業だと思いました。
 求められ、その気が無ければ、嫌だと言っていればそれで済むことです。
 私も一人の人間だし、彼も一人の人間です。私がこんな格好をしなければ、彼も私に言い寄ることはありません。すべて私に原因があることなのです。
 自分が女装するのは自由だ・・しかし誤解しては困る・・私はこういう態度でいました。
 私は自分が「アッチ系」で見られたことに嫌悪感を感じ、ノーマルに見て欲しいと態度に表していました。でもそれは、本来どうでもいいことなのです。
 私の目的は、男性の視点だけという一方方向から脱却したいのです。
 さて、女性の視点ということで一つ気付いたのですが、女性はやはり受身的です。
 何故かというと、梯子を降りているからです。女性は「待って」います。
 男性にはこの「待つ」という行為があまりありません。というか、待つと言う行為を良しとされていません。
 私は女装して初めて「待つ」という行為を肯定化されたような気がします。
 待つという行為は「ある」状態なのです。
 男性は待つ状態・・すなわち何も作り出さない状態でいることを良しとしません。常に何かになろうとします。
 私が行った店には、正確にはほとんど男性しかいません。しかし、あたかも男性と女性がいるように見えます。
 リードするのは女装していない男性です。それに順応していくのが女性(女装者)です。
 女装した私にとって、それは新鮮でした。女性は場を作り出すのではなく、場に作り出されるのです。
 人生は作り出さなければならないと言い聞かせて生きてきた私にとって、場に作り出される側を・・いえ、そういう生き方でも良いという体験が出来たことは貴重です。

浮き沈みの激しい日々

 自分のやっていることがとても卑屈に思えるときが多く、浮き沈みの激しい日々です。
「どうしちゃったの?」「何故?」「いつから?」今週はこの質問に明け暮れました。
 りんごは虫の息です。意識的に息をしないと、止まってしまいそうです。
 自分のアイデンティティを持続するということが、こんなにも大変なことだとは思いませんでした。
 今私は自己の同一性を維持しようとして、(自動的に)努力をしています。
 性に関係する変化、これは大変なものがあります。
 月曜日から今日まで、パンストにスカートという格好で、全て過ごしました。
 20年にも渡り、私は代々木という街に住んでいます。その街では多くの知り合いがいます。
 口紅を付け、マスカラを付け、ちょっとミニのスカートからはパンストの足が出ています。好意的に受け取る人もいれば、気持ち悪がる人もいます。
 後者のケースが続くと、「私は何をやっているんだろう・・早く正気に返れよ」などと呟く私がいます。そんな時に限ってヒールで挫きます。
 昨夜帰り道で、一方通行を逆進してきたバイクと衝突しそうになり、私は転倒しました。
 相手のバイクは走り去りましたが、音を聞いた近くの飲み屋の人達が飛び出してきました。
 私は「大丈夫です、大丈夫です」と言って近寄らせませんでした。
 だって、着ている服は女性服でヘルメットの下は、まだメイクが残った顔だからです。
 バイクは生きていました。助かりました。100メートルほど走り、身体を点検しました。車体の下になった右足から、血が出ていました。
「何やっているんだろう・・私・・」と呟きました。
 一日経った今でも血が出ています。異常に腫れているのですが、今日もスカートを履きました。
 でも今晩、りんごはおやすみです。

不安定

 あるがままというのは、安定した状態なのでしょうか?
 精神世界では、あるがままを受け入れると、平穏になるということが言われています。
 あるがままは受身的だから、感情は安定しているはず・・。
 しかし女装で知ったのですが、場に合わせて作られるアイデンティティは、非常に不安定なのではないかと思いました。
 世間では、女性の方が感情的であり、不安定だと言われています。りんごは外見上の女性になることで、一種その感覚を味わったようです。
 場にアイデンティティを合わせていくということは、ラジオで言えばチューニングをしていくようなものです。
 自分に合わない状況には、泣いて対処しなければなりません。つまり為すすべも無いときがあるのです。
 大した例ではないですが、二丁目のお店でペースメーカーは明らかに男性(純男)でした。女性(女装者)達はそれに合わせていくだけでした。
 別の例では、夫の転勤に合わせていくのは妻です。
 
 さて、男性の場合の方が感情は安定していそうです。それは「あるがまま」ではなく、「なる世界」にいるためだと思います。
 今の状況が悪いとすれば、それを改善させようとします。男性は引っ張っていくのです。
 ところが女性は引っ張っていくのではなく、状況に合わせていくタイプなのではないでしょうか?
 そこでどうなってしまうかと言うと、感情がショックを吸収する役目をするのだと思います。
 泣いたり笑ったり・・それらの行為は、外界と常にマッチングを取っている状態だと思います。
 男性はどちらかと言うと、自分の感情に外界をマッチングさせる努力をするのではないでしょうか・・。
 りんごはスカートを履いているとき、本当に幸せそうでした。生き生きとしていました。
 それは男性モードであるもりけんより、外界とのマッチングがうまく取れているのです。
 ほんと、何をするにも楽しそうでした。だからこそ、不安定そのものなのです。
 芸術家が不安定なのも同様かも知れません。あの人達は、外界と自分との間に起こる感情変化に敏感なのです。
 心は別に安定化させなくても良い・・そんな風に思いました。

孫さん来日

 瞑想セミナーのため来日する孫さんにどういう格好で会うか随分と考えましたが、やはりスカートで行くことにしました。孫さんの反応を知りたかったからです。
 私は孫さんを女性の格好で迎えに行きました。
「どうしたのですか、その格好は・・??」と言われるかと思いましたが、なんと「森田さん、北京で天目に出てきたのと同じでした。でも似合っています」と言いました。
 そして「人は思った事をやっていった方が良いです。やりたい事をやらないで自分を抑えて自分のため以外の事をしていると、病気になってしまいます。やりたい事をやることは若さを保つ方法です。森田さん、素晴らしい・・」
 すると沈教授が「孫さんより綺麗だよ。肌なんて特に・・」と言うと、今度は二人で早口の中国語で言い合いを始めました(笑)。
 通訳の女性は最初まったく分からず・・彼女は「どこかで会ったような気がする女だなぁ・・」と思ったそうです。
 私が話し掛けると、「ぎゃ〜」と言ったまま、しばらく絶句しました(笑)。
成田空港にて



明日のセミナー会場の入り口にて



 孫さんの私への評価は、まず「ナチュラルメイクが素晴らしい」と言われました。
 さらに「歩き方が素晴らしい、モデルみたいです」「仕草が素晴らしい」と言われました。
 そういう評価を言っているとき、沈教授が「孫さんは男になったら?」と言い、また二人で言い合いを始めました。
 ところで沈教授は「マリリンモンローのDNAは男だったらしい」と言っていましたが、本当でしょうか?
 以下は孫さんと私の会話です。
「森田さん、東京新宿のある街の一角が女装者ばかりだと聞いたことがあります。それは本当ですか?」
「ははは、よく知っているすね。さすが・・(ゴシップ孫さんと言いそうになりました)私は二回行きました。」
「どうでしたか?」
「すごいです・・そういう人ばかりです。行ってみたいですか?」
 ここで孫さんは、しばらく天目を見ている様子・・
「森田さんより厚化粧の人が多くはないですか?」
「はい、はっきり言って、ボテボテです・・」
「じゃあ嫌です。私は男性が厚化粧して女装するのは好きじゃありません。森田さんはホント、薄化粧でいいです。そういう人(私のこと)が目の前にいるから行く必要はありません。」
 この後、中国でも最近女装して有名になっていく男性の話をしてくれました。
 中国の化粧品の会社が男性をモデルに使ったCMを放送したら、その化粧品が売れ始めたのだそうです。
 男性から女性への波は、中国では始まったばかりだそうです。これはトレンドなのです(笑)。
 私の一連の女装画像を見せていると、突然「これがいいわ。これを拡大して・・」と言いました。私はPCを操作して画像を大きくしました。
「う〜ん・・・」孫さん、しばらく絶句(笑)。
 すると沈教授が「孫さんの肌より、綺麗じゃないか。」また二人は言い合い(笑)。
 でも孫さんは言いました。「内面の女性性が現れると、肌も変化します。」



孫さんセミナー後の懇親会にて

 私の女装に関する悩み相談をしました。
 自分では精神世界の気付きのために女装しているのに、性に関する視点から見られていたことを知り、とても戸惑っているという相談です。 
 でもこの時間を持てたことで、前進が出来そうです。
 一週間パンストにスカートという出で立ちを支えてくれたのは、私のアイデンティティではなかったか・・・という気付きに出会いました。
 アイデンティティを捨て去るために始めようとした女装ですが、その踏み台となったのは、私の(それまで蓄積された)アイデンティティだったのです。
 私はどんな風に見られても、私は・・私でしか・・無い。この気持ちが、私に勇気をくれました。
「何やっているんだろう・・」こう呟いた後、「でもやっぱり、これが私だ・・」と思えたのです。

女性修行の扉

 孫さんは私に言いました。
「昨夜私が傍にいたとは言え、森田さんの百会(ヒャクエイ)で磁気黒板に模様を描けたことは、森田さんの修練もかなり進んでいると言えます。このまま女性修行を続けると一つの扉が開くと思います。そのときは私が傍にいれば、ピーナッツから目を出せるかも知れません。頑張って下さい。そうそう、女性修行をしていると陰の世界に入っていることになります。陰陽のバランスを取るために、是非朝も瞑想して下さい。」ということです。
 コテージで、孫さんが磁気黒板のテストをするために私にパワーを送った時、私から女性の気(私にとっては陰の気)がかなり出たそうです。
 孫さんはフラフラしそうになったと言います。
 でも、もともと私は陽の気を持っているので、その陽の気と陰の気を合一させると次へのステップになると言うのです。
 それが、もうしばらく女装をしたほうが良いという理由の一つです。
 でも、現状で発する陰の気に支配され尽くされないように、女装するときには朝の修練もしなさいと言われました。
 朝はメイクするまえに瞑想する必要がありそうです(笑)。
 孫さんは、「思ったことをそのままやってしまう森田さんには、今回もびっくりさせられました。特に足が綺麗なので、私は一緒にいたくありません」と言っていました。
 食事のとき、孫さんと私はよく向き合って食べました。すると孫さんは言いました。
「私は男みたいで陽です。森田さんは女みたいで陰です。陰陽のバランスが取れて、とても良いです(こうやって食べるのは)。」

積極的な女装も、あとしばらくのことだと思います

 毎日スカートを履くというチャレンジは、既にクリアしました。あとは自分に起こったこの現象から、何かを掴み取ることです。
 いえ、そうではありません。私は何かを掴み取るために女装をしたのではありません。
 何かを失うためにしたのです。49年間、私にこびり付いた何かを・・。
 孫さんセミナーを女装で出たことにより、マイナスのフィードバックも沢山もらっています。
 私は私で変わりはないのに、外見がスカートというだけで、こうも評価が変わるものだと思いました。
 女装の仕方に意見を言う人もいます。嫌悪感を感じた人もいます。
 でも、もうしばらく・・少なくともあと二週間は続けます。そうすると、私の扉が一つ開くような気がします。

メールによる批判

 私へのメールによる批判は大別すると三つに分かれます。
 一つは、私の女性に対する見方が相変わらず男性の視点であるという点です。
 これをくれる人は女性の方がほとんどです。
 特に、女性は受身的だ・・という書き込みをしたときには数人から来ました。 
 そのときは、ここに書き込んで下さいと入れたのですが、その後その一人から、とても不快でしたというメールまで貰いました。
 もう一つは私の性的嗜好を指摘されていることです。
 冗談にせよ、女性にあまり感じなくなった(笑)などと言っているため、さてはもりけんはホモになったのか・・という指摘です。
 しかし性的嗜好が変わったとしても、それで人を差別するのはどうでしょうか?
(ここにカッコ書きで「私はノーマルだ」と書くのさえ差別に繋がってしまうと思いますが・・)
 もう一つは、私がアップした女装写真に対する嫌悪感です。
 肌を露出しすぎている・・もっとおばさんらしくしろ・・というものです。
 彼らは、一様に言います。「HPにアップすれば、もりけん擁護者から批判の嵐を食らうでしょう。そんなことまでするつもりはありません」・・と。
 以上なのですが、私は写真に関してだけはアップを続けるつもりです。どんな服を着て一日を過ごしているか、それはここに残したいと思うのです。
 女装に関してですが、実際に会う人から立て続けに嫌悪感をもたれると、その場でへたり込んでしまいたくなります。
「なんてこんなことをしているんだろう・・」と。
 でも、どこかで私は楽しくてしようがないのです。
 これらを支えてくれているのは、奥深い所にある私のアイデンティティなのですが・・・

 実は「もりけん」で硬派な書き込みをしている時は、メールによる批判はこれほどでもありませんでした。
 なぜか「りんご」で女装系の書き込みを始めてから多くなりました。
 HPに批判を書けないというのも、女装と何かの関連がありそうです。
 それは自分のアイデンティティの中の「恥部」に近いからではないでしょうか・・。
 つまり、日の当たる所で行うものではない・・というような・・。
 新宿二丁目のお店の中では、写真撮影が禁じられている所が多いです。
 私は店内の様子をHPに伝えようとしてデジカメを出し撮ろうとしましたが、それは行った全ての店で断られました。つまりそこは表で見てはいけないもの・・。
 女装者のほとんどは非日常的でした。女装を始めたばかりの私が日常で行っていると言うと、本当に驚かれました。大半は、隠れた場所で行うものなのです。
 この線を延ばしていくと、メールによる批判に辿り着くような気がします。
 私はノーマルですが、二丁目に来る人達の中にはノーマルではない人達もいます。
 なぜ女装をするのか・・この問いに対してアイデンティティの追求だなどと言えば、彼らとの間に垣根を作ります。
 私は女性服を着るとドキドキして楽しいから・・と答えています。実際にそうなのです。
 男性服のときの倍くらいのエネルギーを使います。そのエネルギーは自動的にどこからか補給されてきます。つまりエネルギーが螺旋状に循環するのです。
 これは瞑想に匹敵するくらいの効果があります。
 感情の浮き沈みは激しいですが、だからこそ私は生命の躍動感を感じます。

白紙に近い状態

 何か今、白紙に近い状態を味わっています。
 私は誰?本当に森田健?生まれる前も森田健?死んだ後も、森田健?
 ズボンを履いた私も森田健?スカートを履いた私も森田健?
 森田健って、いったいだあれ?
 私はとても新鮮な感じを味わったのです。受身的という表現に・・・
 受身的に生きたい・・
 積み木のように私を崩すと、バラバラになるのでしょうか?
 また組み立てると、森田健が出来るのでしょうか?
 ずっとスカートで過ごしても、完璧にはバラバラになりません。
「森田健」がどこかで支えています。
 それがあるから、私はスカートが履けたのですが・・
 でも森田健は、どこまで支えるのでしょうか?

5月21日の仕事着



新宿二丁目より

 世の中は広いです。
 今日は女性から男性に変わった人とお話しました。
 彼(元は彼女)は髭まで生え始めて、見るからに男性そっくりです。
 人はホルモン一つでこうも変わるものでしょうか?
 彼は、なぜ与えられた性を全うしないのでしょうか?
 でも、彼は言っていました。「僕は今、幸せです」・・と。
 という私も幸せです。私は自由に女装することにより、そういう世界に何の壁も感じないで入ることができます。
 神はなぜ男女を作ったのでしょうか・・
 男女差は生まれる前の選択でしょうか?男女差は神から与えられた課題でしょうか?
 それを崩している彼らは、アブノーマルでしょうか?

5月22日の仕事着

 昨日のグレーと似ていますが、今日は涼しいので襟付きタイプです。


アイデンティティとは「慣性」

 アイデンティティとは「慣性」のことではないかと思いました。
 女装を始めた頃は、社内では大変な動揺がありました。それが今では、ごくごく普通の事になってしまいました。
 私にしても、自分がパンストにスカートを履いていることすら忘れているときがあります。かなり自由にトコトコと外出します。
 以前スカートで外出などと言えば、目から火が飛び出るほどのドキドキがありました。
 でも今は平気で山手線に乗ったり、タクシーに乗ったり、人と会ったりしています。
 慣れって恐ろしいですね・・。
 私はバイクで通勤しているので、スカートでは乗ることが出来ません。ですのでパンツスタイルに変えます。
 すると知っている人は「あれ、それ、どうしたの?」と訊きます。
 同じ台詞は、私がスカートを履いた時にも言われました。
 つまり私は、スカートを履いているのが私のアイデンティティになったのです。それは「慣性」と化しました。
 アイデンティティとは、慣性・・すなわち、パターンなのです。
 とは言え、女装の緊張感は続いています。
 既に「私はどう見られているのでしょう・・」という緊張感は薄らいできましたが、スカートに関する緊張感は今まで以上です。
 慣れてきて身のこなしが自由になった分、風を気にしたり膝を気にしたり、お化粧を気にしたり・・
 だって食事のあと手鏡を見ることなんて、今まではありませんでしたから・・。
 この緊張感は、とても心地良いです。
 私の女装強化月間は6月6日までとします。
 なぜなら、パンストにスカートを履き始めたのが5月7日だったからです。ちょうど一ヶ月・・。
 なぜ区切るかというと、ある瞬間すっぱりと、全面的に男性に戻りたいのです。
 その落差を知りたい・・

5月23日の服装

 ずっとワンピースを着ていたのですが、きょうは初めて分離したスカートを履きました。
 これは11号です。身長158センチの女性用のものです。体型的にはこれがピッタリです。
 たぶん158センチの人が着ればスカートは普通の丈になるのでしょうが、171センチの私にはミニになってしまいます。


未来の姿

 ロバート・モンローさんは、対外離脱をして遠い未来に行った際、エネルギー体となった存在達に遭遇します。
 彼らは高次元に住んでいるわけではありません。この三次元の地球上に生きている人間だったのです。
「肉体は?」と訊くと、「あそこで休んでいます」と言い、木陰を指差しました。そこには何体もの肉体がありました。
 まるで洋服を着替える様に、好きな肉体に入ることが出来るのです。
 SFマガジンという雑誌がありまして、いつも人気投票で一位になるSF小説があります。
 それは『幼年期の終わり(アーサー・クラーク著)早川文庫』です。その小説は近未来を描いたものです。
 最後の場面は、モンローさんの描写とよく似ています。人類が肉体から脱皮するのです。
『幼年期の終わり』という題は、まさに今が幼年期だというわけです。
 私は、これは本当に起こるような気がします。
 導師は言いました。「百日飛翔すれば仙人になれます・・」
 この意味はまさにエネルギー体への脱皮です。
 こうなったとき、私達のアイデンティティは一体どうなるのでしょうか?
 女性の恥じらい・・これは肉体が原因ではありませんか?
 男性の支配欲・・これは肉体が原因ではありませんか?
 私達はこの世界に修行に来ているのですか?男は男らしく・・女は女らしく・・
 
 私はスカートを履くようになって、床に落ちた物を拾う時、恥じらいを感じるようになりました。その恥じらいは、今まで感じたものではありませんでした。
 電車の中でも膝を揃えるようになりました。
 女性がそうしているからではありません。自分の中から出てきた「恥じらい」がそうさせるのです。
 自分の性格あるいはアイデンティティは、瞬間瞬間にどんどん作られてくるものです。
 再び私が男に戻るとき、以前の私には戻りようがないと思います。
 スカートが履けないからズボンを履いている私ではなくなります。
 不思議研究所を始めるとき、未来を垣間見たいと思いました。
 未来は、蘇生やテレポーテーションや幽体離脱が当たり前になっていると思いました。
 そして価値観も多様化され、もっと自由になっていると思いました。
 女装を始めてまだ一ヶ月経ちませんが、服装に縛られないという自分になれたことは、自分の描く未来像に一歩近づけたと思えるので、とても嬉しいのです。
 私が男性の声で喋ったとき相手がとても驚く顔にも慣れました。
 この先、何が起こるのでしょうか・・。
 ハイテンションなだけに、落ち込む時はすごいです。こんなにドキドキした日々は、私の一生でも珍しいと言えます。
 エネルギー的にも面白いです。銀河駆動装置を使って毎日実験していますが、何もしないで水に念を送るだけで、少しばかり数値が変わるようになりました。
 私が銀河駆動装置を実験始めたのはスカートを履くよりも前でした。その頃はいくら念を送っても数値の変化はありませんでした。
 孫さんが「もう少し続けなさい」と言うのも、何かエネルギーに関係しているような気がします。
 モンローさんが会った未来人は、自分の念で、食べ物さえも物質化して出していました。
 数多くの事が絡み合っているようです。
 あともう少しですが、女装強化月間(笑)を楽しみたいと思います。

性転換できない彼

 彼は結婚しています。相手の女性はいとこでした。
 彼女の失恋の相談をしているとき彼は彼女(いとこ)から好かれ、一緒に住むようになりました。
 ある日「ねえ、婚姻届を出してきていい?」と訊かれたので、「ああ、ハンコならそこにあるから、押しといていいよ」と答えました。
 以来仲の良い生活が続くのですが、彼には女装癖がありました。もちろん彼女も知っています。いとこ同士の結婚なので子供を作る気はありません。
 それで彼は彼女に言いました。「性転換したい・・。」
 彼女は「いいわ。あなたが男だって女だってあなたに変わりはないもの・・好きな性になっていいよ」と言い、彼女も一緒に病院に行きました。
 すると、夫婦は性転換できないと言われたのです。いくつかの病院を訪ねましたが、答えは同じです。
 彼女が「妻である私がいいと言ってもダメなのですか?」と食い下がりました。
 でもダメなのだそうです。
 しようがないので、彼はしばらく「イボコロリ」を付けました。
 私は訊きました。「あそこって、イボなの?」
 彼は言いました。「私にとってはイボと同じ・・」
 私は言いました。「でも薬にとってはイボと思っていないでしょ。」
 彼は「う〜ん、もっと視点を変える必要があるなぁ」と言いました(笑)。
 彼と彼女は共働きです。その日、彼は伊勢丹の地下で買ったと言う食料品の袋を持っていました。
「今日は私がお料理作るんです」と言いました。
 彼は自由だと思います。奥さんも自由だと思います。しかし彼は言いました。
「りんごさんの方が自由だ。私はフルタイムが出来ない。フルタイムをすると会社をクビになるかも知れない。私が私に戻れるのにはアフターファイブと土日と有給休暇です。髪の長さは社内の規定ギリギリです。」

一度しか無い人生

 女装者の中には、輪廻を否定している人がいます。彼女(彼)は、言いました。
「もしも輪廻がないとすれば、この宇宙に誕生して、一方の性だけを生きることなりますよね。そんなのつまらないじゃないですか・・」
 私はここでモンロー研などの体験を話して、輪廻はありそうだと言います。でも彼女は言います。
「りんごちゃんの説が正しかったとしても、いまこのアイデンティティで女性に輪廻できる保証はないですよね。私は今、このアイデンティティで両性の体験をしたいんです。もちろん完全な女性体験は不可能としても・・」
 女装者というのは、欲深いのかも知れません。もしくは自分に忠実・・。

5月28日の服装


定点

 まず、二丁目の店に行きました。そこで前々から計画していたことを実行に移しました。
 それは以前会った男装者と女装の私と純女(看護婦)が、ごく普通の店に行き、ばれるかばれないかを試すというものです。
 私達はわざわざ青山に移動しました。そこでスナックに入りました。
 私はラ音で通しました。男装者はド音で通しました。そこのお客と一時間も喋りました。
 私のルックスが少し刺激的だったこともあり、私の隣にいた男性が誘ってきました。私はもちろん断りました。
 そして一時間後、ついに純女が言いました。「この子は女、この子は男」
 店にいた全員が「え〜」と驚きました。大成功でした。
 店を出で二丁目に戻りました。
 そこで二軒ハシゴをしたのですが、今度は男性二人からモーションをかけられました。女装っ子としてです。
 一人は「りんごちゃんの笑顔が素晴らしい」と言ってくれました。
 もう一人はなんと、「りんごちゃんからはオーラが出ている」と言いました。
 りんごちゃんの明るさは、一体どこから来ているのかという話題が出ました。
 それはカミングアウト(以後アウトと言います)しているからだと言われました。
 オーラはたぶん、アウトの結果だということです。アウトしないと陰(イン)の世界で女装をすることになります。
 今日テレビで女装のことを取り上げていました。私も店で見ていました。
 そこに出てくる女装者全員、家には内緒だと言っていました。
 りんごちゃんの場合は、陽の世界で女装をしていると言うのです。それが明るさにつながっているのではないかと・・(私、女装すると本当に明るいんです)。
 ところで青山の店はSM系スナック(笑)でした。
 私が女装男子であることを言う前は男性からモーションをかけられていたのですが、アウトしてしまうと、今度は女性からモーションをかけられました。
 彼女、私のパンストをスリスリするんです(笑)。彼らの私に対する視点が変わったのです。
 外見的な性別というのは極めて不安定なものだということが分かりました。
 性別を基本として私達は自分のアイデンティティを決めています。
 外見的にせよ、性別を変えることで、環境はこうも変わります。
 つまり私達は、環境を変えたくないから定点も変えたくないのではないでしょうか。
 そして自分を変えたくないから、環境も変えたくないのではないでしょうか・・。
 
今夜の服装


5月29日の服装

 大江戸線の入り口です。最近開通したこの地下鉄は本当に便利です。
 新宿二丁目、青山、六本木・・アブナイ地域(笑)をこれで一本です。
 会社からこの入り口まで一分です。


5月31日の服装

給湯室にて



事務所の入り口にて


OLスタイル三点セット

 女性服を着たら、とたんにハイになりました。今日はいっぱい仕事をしないといけません。動きやすい生地のワンピースです。






男としての女性

 女装は一種、自分を騙している風に感じます。同様に他人も騙しています。しかし・・
 嘘をついたことのある人は分かると思いますが、嘘がだんだん本当に思えてきます。
 現実と嘘の区別がなくなります。そして嘘は現実と化します。
 男としての女装ですが、三度目の女子トイレで、嘘が本当になったと思ってしまいました。いえ、それすらも思わずに、駅の構内を歩いていきました。
 今日いた女装者はみんなホルモンを打っています。それほど女性化したいのです。
 でも昼間は男としての仕事で生計を立てているので、手術は出来ません。
 彼女達は、話してみるとやはり相当「女性」が入っています。しかし女装しないとスイッチがONにならないそうです。
 演技と本物の話が出ましたが、どちらも本物ではないかと言っていました。

今日(6月4日)の私

 男性服を買いに行きました。



 何せ試着室でスリップとパンストになるのがおかしくて・・
 店員さんもまるで女性のように扱ってくれました。



 体型が変化して、自分でもびっくり・・
 67センチというウエストのズボンはなんて無いのです。ですので74センチを詰めてもらうことにしました。 
 でもこの写真のように、男性が女装しさらに男装すると、とても華やいだ感じになると思いませんか?
 女性が男性服の売り場でスーツを買いネクタイルックになっても、かなりセクシーだと思います。
 それって「男装」と言うのですよね・・

6月5日の服装

 女装強化月間での最後のスカートになるかも知れません。
 明日は瞑想をしたいので、スカートにはならないと思います。今日は白系統です。 


 
ルノアールにて・・


女装強化月間最後の日

 黒で迫りました




 あんなに大変なことだったスカートでの外出も、一ヶ月経った今は、何てことなくなりました。
 会社関係の取引先等にもほとんど会いました。業務に支障はありませんでした。
 考えられた不安は自分で作り出していたものでした。
 私を変だと思う人は、私と直接やりとりの無い人達だけでした。
 私はこの一ヶ月でとても貴重なことを知りました。
 私の中の女性性・・それは「片割れ」ではありませんでした。
 自分とは何かを知るとき、あらゆることにこれは言えるのではないかと思います。
「女装しても所詮は男からは抜け出せない」・・果たしてそうでしょうか?
 なぜ今の性で生まれたのか・・神はなぜ性差を造ったのか・・
 もしも一方の性が「断片」でないとすれば・・
 この感覚は、今晩もっと深く調べます。でもここへの書き込みはしない予定です。もっともっと深く調べたいからです(右脳で・・)。
 男という鎧、女という鎧・・鎧を脱ぎ去った剥き出しの状態を、人はたぶん経験したことはないのかも知れません。
 剥き出しになれない理由は、社会が受け入れてくれないから・・・
 私が美しい女性になりたいと思った時、女性の鎧が出現しました。
「女はこうやってお化粧するのよ・・」
「女はこうやって歩くのよ・・」
「りんごちゃんのはちょっと違う・・男が入っている・・」
 でも、私は私の中の理想の女性になりたかったのです。それは「女とはこういうものよ・・」とは違いました。そしてなれました。
 試行錯誤でデッサンしたりんごの容姿、服装はまさに私の中の理想の女、それはアダムとイブがりんごを食べた後の姿。
 その分離されたりんごの呼び出しに成功した今、再び統合に向かいます。今夜、満月の夜に・・。
 深夜にかけてフォーカス35に向かいます。エネルギー、あります。
 陰から陽へ・・それは嫌悪感を乗り越えたことが原因かも知れません。

フォーカス35から帰還しました

 もりけんも帰還です。りんごは、私の中に統合しました。
 神にとっては、女装なんて当たり前の世界です。きっと・・・。
 まさにフォーカス35は性差の接点に当たります。
 私達は「断片」ではない・・。
 断片だとすれば、私達は永遠に輪廻を繰り返さないと神を知ることは出来ません。
 断片でないとすれば、私達は生き方を考え直す必要がありそうです。
 私達は断片でないのに、まるで断片の様に自分を捉えています。

男性に戻った私

 

 
 一度女性服を経験していると、男性服を着ていても不思議な感じです。
 うまく書けないのですが、女性服の間、私は男性の良さを発見しました。
 男性服に戻ったとき、とても違和感を感じました。でもあれから三時間が経ち、次第に適応しつつあります。
 瞬間に切り替わるわけではないのですね。
 ということは、生まれてこのかた一方の性をやっいると、その性に次第に適応していくのですね。
 周りの反応は、「なーんだ、終わっちゃったの・・」でした。
 17時に来る取引先の人が「どうしても女性の方がいい」と言うので、早くも女性に着替えました。
 五月に入社した社員(女性)がいました。彼女は私の女装しか知りませんでした。
 そして今日、初めて男装を見て・・「女装に慣れていたもので、なんか変・・」(笑)
 でも 女子所員の多くは、「一ヶ月ぶりに男装を見ましたが、やはり男性もいい」と言ってくれました。
 女性服と男性服とでは風景が違います。風景とは内面そのもの・・
 観察されるものとして風景は存在しているのではなく、体験するものとして存在しているからではないでしょうか・・。
 女装を通じて、「気」を見る能力が高まりました。
 これはどうも、風景に対して同調する・・つまり自分をその中に入り込ませて体験させる能力に関係するような気がします。
 女性着をしていたとき、ショーウィンドウに映る自分の姿・・鏡で反転した風景・・
 信号待ちをしているときの交差点全体の風景・・
 女性のときは広角になります。
 男性のときは物思いにふけり、その思考の反映としての風景になります。
 女性はSee、男性はLook・・

ただいま

 色んな意味で「ただいま」です。「もりけん」として、本当に帰ってきました。
 最後の日、行きつけの店で、レズママは言いました。
「今日はりんごちゃんばかり見ていました。りんごちゃんは今日、女性そのものになっていました。レズである私が感動しました。こんな人は初めてです。」
 りんごという女性性が発育して成長し、もりけんと再び合体した直後だっただけに、とても嬉しい一言でした。私はもう、思い残すことなく男性に帰れます。
 人ひとりの魂の大きさは、おそらく全宇宙そのものです。まさか女装で、魂の大きさまで分かると思いませんでした。
 これは全員がそうなのです。魂の世界では、「1」はいくら足しても「1」なのです。
 魂は全宇宙の大きさと同じだと考えると、整合性のとれる部分が多いのです。
 なのになぜ末端のように感じる我々が存在するのかは、これからの課題です。
 神はなぜ私達はもともと「全体そのもの」なのに、末端である部分のみを経験させているのか・・
 この問題は、「神はなぜ宇宙を存在させたのか」という問題でもあります。
 しかし、私達が「全体そのものである」というインスピレーションは、私にはありませんでした。
 推察するに、末端を作ったのはエネルギーの問題であるとも考えられます。
 +と−、NとS、男と女
 安定から不安定を作り出すことにより、そこからエネルギーを生み出す。
 +は+らしく、−は−らしく、男は男らしく、女は女らしく・・そこからエネルギーが生まれます。
 しかし、私達はエネルギーを生み出すための発電所の部品でしょうか?
 
 種族保存のためのシステムに振り回される私達・・。
「所詮男には女のことは分からない・・。」
 しかし、果たして女には女のことが分かっているのでしょうか?
「所詮、人の心は分からない。」
 では、自分の心は分かっているのでしょうか?
 私達は本来、全員が社長(オールマイティな神)なのに、あたかも社員(末端)であるかのように仕向けられています。
 全員が社長(オールマイティな神)だと、分業が出来ないからでしょうか?
 分業とは、それすなわち「役割」。女装者のことを「性役割服装倒錯症」と言うのです。
 やはり、社員(末端)を作らないと仕事が進まないとすれば、もって生まれた役割(例えば男性であること)を全うしないのは、神の摂理に反するかも知れません。 
 しかし、そんなくだらない宇宙を運営するために、わざわざ大金(エネルギー)をかけて宇宙を作ったのでしょうか・・。
 そうだとすれば、バカバカしいとしか言いようがありません。今の社会のシステムと同じではないでしょうか・・。

無限と有限

 二丁目で知り合った女装者が面白いことを言いました。これは私が神についての話をしているときに出た話題です。
「教科書を作り変えるという話はよく聞きますよねえ・・。そんな中で円周率(3.14)を3とするという話が出ているんです。するとねえ、私の出た大学の教授がとても怒ったのです(笑)。パイを3にするなんてとんでもない・・と。
彼はパイを計算し続けているのが仕事なんです。スーパーコンピュータで何億行も出しています。それはギネスにも載っています。それを3とするのはとんでもないと言うのです。 
でも一般に生活する人にとっては3.14でも3でも、大して変わらないのです。計算するのも簡単だし、3にしてしまおうと言うのです。
でもその教授は、円周率が無限だと知ったことが自分の人生を変えたと言うのです。天体はほとんど球体ですから円周率をよく使います、それが無限に割り切れるのかどうかというのは、大問題なのです。あるところでループしているかも知れません。そんな意味があるかも知れない円周率を3にしてしまうことに抵抗があるのです。
実はこの話を聞いたとき、この教授もいいこと言うなあ・・と思ったのです。
りんごちゃんが問題にしている神はなぜこの世を作ったのか・・という問題とはちょっと離れましたけど・・。」
 
 魂には性差は無く、男にでも女にでもなれます。
 そういう意味では魂はオールマイティ・・、魂には無限の可能性があります。
 宇宙が誕生する以前は、「有限」は存在しませんでした。無と無限しかなかったのです。
 神はなぜ宇宙を存在させるなどという面倒なことをしたのでしょうか・・。
 それは有限側からして、自分は無限であることを証明したかったからではないでしょうか・・。
 円周率は(今のところ)無限です。有限の中にこうして無限が潜んでいます。
 顕在意識は有限側です。潜在意識は無限側だと思います。
 もしも有限が存在しないと、私達は何ものも造り出すことが出来ません。
 造り出すという行為は、非常に有限的行為なのです。肉体を使い、材料を使い、私達は何かを造り出します。
 言葉というものも、かなり有限的だと思います。ありがとうと一言言われてしまうだけで、無限的だったはずの関係が有限的に感じられたりします。
 しかし造り出すという行為がすべて有限的とは限りません。
 有限の中でも無限を経験する方法の一つに道教の道(タオ)という概念があります。
 ワダチに入るということは、潜在意識に選択させるということです。潜在意識は魂に繋がっていて、無限の世界に通じています。
 何かに没頭するのも、有限の顕在意識を離れるということで無限の世界に通じます。
 
 なぜ神は有限の世界を作ったのか・・
 精神世界の一般的な回答は「それは有限の世界を経験したかったからだ」というのが多いです。
 男女の違いを作ったのも、それを経験したかったからだというのが多いです。
 それらは「違い」を経験するということに力点が置かれています。 
 しかし有限の向こう側にある無限を経験したかったという理由の方が、なぜか私にはしっくりきます。無限は無限側からでは経験しようがないからです。
 仏陀の悟りなどに興味があるのは、人は無限を知りたいからではないでしょうか。
 心の中は無限の広がりを持つような気がします。でも私達は常識という砦を作り、有限化させてしまいます。
「私の生き方はこうだ」と断言し、無限領域への扉を閉じます。
 無限の世界にはアイデンティティは存在しません。
 変化(へんげ)していく私の服装、私の嗜好・・
 もしもそれが無限に通じているとすれば、すごいエクスタシーを感じます。

あなたは誰?

 性差はアナログ的だと思います。男女の混ぜ具合は人によって違うと思いますし、自分の考え方一つでも変わると思います。
 性差と魂・・魂と宇宙・・私にとっては、神への探査に一歩も二歩も近付いた感じさえします。
 高校生の頃から悩み始め、30年後にたどり着いた今回の仮説・・
 みなさんは、何を悩んでいるのでしょうか・・。とても聞きたいです。
 男として生まれたことは「前提」でしょうか?女として生まれたことも「前提」でしょうか?
 それは染色体がそうなったから?男と女がいないと、子供が出来ないから?
 魂はあなたという「ちっぽけ」なもの?
 以上の質問に対して、私もずっと「そうだ」と思ってきました。まさか、魂に性差が無いなどと考えたこともありませんでした。
「女の事は女にならないと分からない」と思ってきました。女の人からもそう言われて来ました。
 しかし・・その大前提が、6月6日に崩れました。
 そして「無限を知るための有限」という概念も登場しました。
 これを見ているあなたにとって、問題は何でしょう?
 あなたは誰ですか?
 私は答えたい・・「私は神です」・・と。
 傲慢ですか?だって宇宙的な大きさを持ち、オールマイティな魂の持ち主なら・・。
 私は答えたい・・「もりけんの中に住む女性性です。もりけんが神なら、私は女神です。」
 宇宙は無駄なことをしているのでしょうか。
 確かに、そうとしか考えられない部分があります。
 存在するということ自体、とても面倒なことですから・・。
 無駄と考えないと、そこに意味を見出し、そして意味に価値をつけていく・・
 ただ、「無」を知るための「有」というのは、全く変でしょうか?
 同様に考えると、性差が無いことを知るための性差ともいえます。
 死後の穏やかさに、無限があるとは思えません。そこには「有」が無いからです。
 性に関しては、女装しているとき、両性の間を行ったり来たりするような感覚を何度も味わいました。自分に関しては、境目が無くなるというような瞬間があります。
 本当に、スカートが女性の禁断の地であって助かりました。

「もっと生きたい」

 生きたか論で言えば、私が不思議研究所を始めたのは、「もっと生きたい」と思ったからだと思います。
 私にとっての生きるとは、知りたい、追求したい・・・ということです。正しい生き方なんて、はっきり言ってどうでもいいんです。
 だから私は二丁目にはまったのです(笑)。
 彼らは正しい生き方よりも、もっと生きたい・・路線なんです。それに忠実なんです。
 でも一般的な精神世界の人達は、もっと生きたいよりも、正しい生き方を探しているように見えます。
 世界中が、もっと生きたい路線に入ったら、価値観がひっくり返るような気がします。
 もっと生きたいって、自由でないと出来ないですもの・・・。

切り口

 色々な所に行き色々な体験をする中で、今回の女装の件は五本の指に入るくらいの出来事でした。禁断の地だと思われた女装も、今はネクタイを変える位の気軽さです。
 しかし実を言うと、ネクタイでは内部は変わりませんが、女性服は内部を変えてしまいます。
 いえ、変えるという表現は正しくありません。切り口が変わるのです。
 切り口とは何でしょうか・・三次元の球体を切り取ると、二次元の切り口が出てきます。それです。
 つまり、私達は「切り口」しか体験できていないのではないかと思います。
 その奥に広がる広大な自分自身を経験することは、非常に難しいのです。
 切り口をたくさん持つことにより、そこから接線のようなものを引くことが出来ます。それを引く能力が「気付きの能力」かも知れません。
 とは言え、切ってみないことには始まりません。

書き込み期間:2001/05/06〜2001/06/19