新緑と電波時計

 これを書いているのは、「りんごの部屋」です。果物のりんごがあるわけではなく、私の別名が「りんご」と言うからです。
 
 この部屋は新宿御苑に面しています。
 御苑は今、新緑の季節です。
 この季節は生命的なものを感じさせてくれそうです。
 
 室内に目を向ければ、壁に白い時計がかかっています。CASIO製の電波時計です。
 
 私が小さい頃は、ねじ巻き式の時計でした。きっかり21日間で止まりました。止まった時計は死んだと同じでした。それを見て父が「ギリギリ」と音を立てながら巻きました。すると時計は生き返りました。 
 振り子時計なので、正確ではありません。でもそこに感じたものは、やはり生命的なものでした。
 
「大きな古時計」という歌があります。おじいさんが亡くなった日に止まりました。
 実に生命的な歌詞です。
 
 それに対して電波時計はどうでしょうか・・・
 1秒も違わずに動いています。
 人がひとり死んだくらいでは止まらないでしょう・・。
 電波という「外側」から動かされているからです。
だから生命的なものを感じませんでした。
 
「でした」という過去形で書いたのは、私の捉え方が違ってきたからです。
 
 御苑の新緑は、自分で出たのでしょうか?
 太陽の高さと、昼の長さと、温度の変化によって出たのではないでしょうか・・。
 電波という「外側」と何か違うでしょうか? 
 
 電波時計も新緑も、あまり違わないのではないでしょうか・・。
 



2006年4月 7日 11:40 | 投稿者:森田 健(もりけん)

コメント

電波時計
電波時計は狂いがありませんがもともとわりきれない時間が〜150億のながい時空間で変化連動の引金になってたりもするかな〜そう考えると、御宛の緑のようにチョ〜神秘感もかんじちゃうよ〜。

投稿者:てんてん | 2006年4月11日 02:13

>新緑と電波時計
今の季節、道を歩いていると、
木々の小さな若芽にふと目が止まり、
胸をうたれます。
 
自然は、宇宙の運行に沿って移り変わりますが、
外側によって動かされているという点では
電波時計も変わりません。
 
つくづく、生命とは何だろうと思います。
そして、この世の仕組みはどのようになっているのだろうか
と思います。

投稿者:くるみ | 2006年4月 8日 21:35

>新緑と電波時計
新緑の中を歩く感動と言ったら、もう、生命エネルギーあふれる喜び満ちあふれ・・ですが、木々も空洞、電波時計も、そして私も・・・
年を取るほど童心に帰るとはよく言ったものです(ホッ)、やっぱ真理ダ!

投稿者:ゆくえ | 2006年4月 8日 09:49

>新緑と電波時計
圧倒される大自然には、感動します。
でも、私は意識的に人の手の加わったものの方に惹かれます。だから、街中の公園も好きです。

ところが、こういう感性とは別に、「自由意志がない」という事は、「人工物など無い」という事です。

全部、自然だった。(汗)だけど、私の中の「自由意志」への憧れも自然なのでしょう。(笑)

投稿者:yuyu | 2006年4月 8日 08:26

>新緑と電波時計
古時計は、人間の手によって生かされているけど
人間だって、外側の条件がないと生きていけませんから
電波時計もそういう意味では植物や人間と一緒だと思いました。
ペースメーカーで心臓を動かしている人もいます。
生命…って一体なんだろう?と思いました。

投稿者:さえ | 2006年4月 8日 00:59

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投稿者:gesear | 2006年4月 7日 22:11

>新緑と電波時計
新緑と聞くだけで生きてるって感じがします。確かに生命があって、芽が出て成長して生きています。
電波時計は、生命はない。時計。無機質な機械。生きるも死ぬもなく、ただのモノ。
でもどちらも外側の作用で動いているから、どちらも同じで「生きている」といえると思いました。
生きている、生命・・・という言葉は、人間が決めた価値観で特権みたい気がしました。

投稿者:ありさん | 2006年4月 7日 21:21

生命的
生きてる、って実感するのは空気を吸って成長しているものだと思いがちです。
外側の働きかけによって動く、またはそこに存在するものすべてが生命的という考え方。素敵です。

投稿者:モカ | 2006年4月 7日 20:00

祝辞
ブログ開設 おめでとうございます。

投稿者:キャロル | 2006年4月 7日 17:28

電波と新緑
電波時計は電波をキャッチして動いている
新緑は太陽の光を浴び、水を吸い上げスクスクとのびている
外側・・・つまり、「私」とゆう存在を動かしたり、成長させたりする根本の原因は何なの・・・?
と、あらためて強く思いました。
太陽や水や(五行)も外側から作られたとすると、それを作った原因てなんだろう・・・?
またまた強く思います。
「私は結果」で、運命が誕生の瞬間から決まっているとしたら、私は「情報」をどこかに持って(?)いるんだろうか・・・と思います。
はじめからボタンを持っていて、ある時出会うモノに、スイッチを押されるのかな・・・?と思いました(汗)
このブログは気楽に書き込もうと思ったのに・・・
逆をいってしまいました☆

投稿者:こはな | 2006年4月 7日 17:01

>生命的なものを感じませんでした。
電波時計って、電波が動いてるから、生命的やと思ってた。電波が勝手に時刻あわせしてくれるのは便利。
アナログな時計は、手がかかるから、それを持っている人の思いに連動しているような身近な感じがあるけど、電波時計は自分以外のもっと遠くから操作されている。新緑は自分で出たと思ってたけど、電波時計を例に出されると、自分からは遠い外側だからわかりにくいだけで、やっぱり外側に動かされているんやなと思った。

投稿者:龍(ロン) | 2006年4月 7日 16:27


新緑の明るいみどり色は生命の芽吹きを感じさせて好きです。
でも、それも新緑が自力で生きてる訳ではなく宇宙の方程式の中に組み込まれていて・・・やはり他力なのだなと。。。。


なぜ木々は存在するのだろう。。。
なぜ、わたしはいるのだろう。。。

投稿者:アイスバーグ | 2006年4月 7日 14:36

新緑
コメントをどうぞ

投稿者:アイスバーグ | 2006年4月 7日 14:29

外側がなかったら私も消滅
すべての外側がなくなったら、「わたし」はどこにいくのだろう。。
もしくは、今いる環境(場)がまったく違う場に
変わってしまったら?
例えば木星だったら?
どうなるだろうと思いました。
外側の影響なくして「わたし」は存在できない。
地球だけでなく、どこに行ってもそれは
きっと、まったく変わらない、と思いました。
今ある「わたし」は環境に適応して存在しているだけ。
緑とも、電波時計とも変わらないと思いました。

俗に言う、「わたしの考え」「あなたの意見」
「私らしさを大切に」「自分探し」って何?個性って何?と思いました…。

投稿者:マリ | 2006年4月 7日 14:13

4月
4月は緑も桜もキレイです。奇麗だとおもうとそこで終わっちゃうのかなと思いました。命って何処にあるのかなと思います。生命力は力強さを感じさせる…それが他力だったら…宇宙中生き生きなのかなぁと…。生命的だと思う事あります。それってなんなのか…散歩しながら考えてきます。

投稿者:和佳 | 2006年4月 7日 13:47

環境あっての発芽
発芽するもの、環境あってのこと。
気温が零度になったら、発芽どころではありません。
緑は、自らの力で発芽してないですよね。
発芽のための材料だって、すべて外から持ってきたものです。

投稿者:テクノン | 2006年4月 7日 13:05

>新緑と電波時計
人工的なものや機械的なものと、自然的なものとがあると、どうしても、自然的なものに生命を感じ、そちらに惹かれ、それがいいことのように思ってしまう傾向があると思います。
私も今まではそうでした。。

でも、新緑も電波時計も、そしてねじ巻き式の時計も、「外側」から動かされている・・という点では、みな同じ。。
確かに言われてみればそうです。。
としたら、どちらががいいとか悪いとかはないのかもしれません。。

投稿者:みっく | 2006年4月 7日 13:01

補足
 「私は空洞」・「外側が原因」を説明する‘例え’として、「新緑」と「電波時計」はとてもわかりやすいと思いました。

 下条さんの説も、もりけんさんが説明するととてもわかりやすく、初めて理解できました(汗)

投稿者:みか | 2006年4月 7日 12:37

>新緑と電波時計
「生かされている」という表現は精神世界ギョウカイぽいですが、ネットワークと「私は空洞」の概念で考えると、新緑も電波時計も「外側から生かされている」と言い換えられそうです。

この季節、私はなんだかムラムラしますが、それも多分「外側によってムラムラさせられている」のでしょう。
そう考えると、ムラムラすることに罪悪感が無くなります(笑)

投稿者:でるた | 2006年4月 7日 12:16

>新緑と電波時計
 新緑は自分の意志で葉を青々とし、息吹いているのではなく、もりけんさんの書込みのとうり、太陽や温度によって息吹かされている…と思いました。
 とすると、新緑も電波時計と同じです。

 新緑と電波時計の例えから、やはりすべてのモノ(人間も含む)は「空洞」で、「すべて外側が原因」だと感じました。

投稿者:みか | 2006年4月 7日 12:10