巌流島・・総集編(終わり)

 
 書きたいことはすでに書いていますから、いまさら書くことはありません。
 
 ところで、今回の連載で私が意外だったのは、ブログの後半です。
 
 前半は戦いの場面に集中されていました。
 勝敗を決めたのは、何か技術的な違いがあるのだと思っていました。
 剣についての技、戦いをするときの精神などがキーだと思っていました。
「場」は巌流島に絞られていました。
 
 でも後半に登場した逸話は、そうではないことを言っていました。
 私の書き込みが散発的になったあたりから、私には「キマ」した。
 
 捨てる物、もらう物・・
 絵を描くときのスタンス・・
 
 こういうものが、勝敗を決めたと思いました。
 
 これは武術ではありません。
 日常の生き方です。


2006年7月 1日 22:47 | 投稿者:森田 健(もりけん)

中国に来ました

 
 中国に来て、最初中国語を喋るのが、恥ずかしくて仕方がなかったです(爆)。
 しかも英語が出ようとするのを、止めるのが大変です。
 外国に行けば、英語が通じない場所でも英語を話すという暗黙の了解のようなものがあるからです(笑)。別に日本語でもいいのに・・(笑)。
 
 でも中国ではトラさんがいないと、英語もほとんど通じません。
 なので、中国語は結構上達します。
 
 10年前から中国には頻繁に来ていたのに、なんか今頃という感じで、自分でもおかしいです(笑)
 


2006年7月 3日 10:08 | 投稿者:森田 健(もりけん)

紹介者は「誰」?

 
中国では紹介者がキーです。トラさんはその間を泳いでいるだけです(笑)。
 
でも紹介者は仕事でもなし、遊びでも無し・・・
 
彼らは「誰」なのだろう・・
 
トラさんにとっても、初対面の人ばかり・・
  
なんだか、とても不思議です 

(笑)


2006年7月 4日 10:09 | 投稿者:森田 健(もりけん)

客観性を失う中国紀行

 
 私が中国に来て、ひとつの変化が生まれます。
 それは客観性を失うということです。
 
 こちらに来た直後、次の内容が書いてあるメルマガが来ました。
 
「良心も成長すると考えています。また、成長しなければならないものだとも思います。人間は、良心に従って生きているわけですから、 良心の成長は、そのまま人間性の成長ともいえます」
 
 こういう文書が理解不能になるのです。
 
 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 
 私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。
 私は「私」という視点がとても薄くなるからです。


2006年7月 6日 23:17 | 投稿者:森田 健(もりけん)

結果にこだわらなくなりました

 昔、中国紀行と言えば、私自身が結果にこだわっていました。
 紹介者がたいした人を紹介しないと、心のどこかで
 
「こんな人、紹介するなよ」
 
 と思っていました(笑)。
 しかし今回は、まったくそれがありません。
 自分でもひとつの変化だと思っています。
 
 人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?
 そんなことはないはずです。
 
 今回の中国紀行は、「間」がとても楽しいです。
 しかしそれを報告するのは、大変です(笑)。
 
 だから「砂漠の人魚の像」を出したりしています(笑)


2006年7月 8日 09:57 | 投稿者:森田 健(もりけん)

百姓

 トラさんから聞いた話ですが、「一般の人」は 中国語で「百姓」と言うらしいです。
 なので農民は、百姓の一部なのだそうです。
 
 トラさんは
「私も百姓です」
 と言いました。
 
 さて「私は結果」を理解している人でないと、運命変更は出来ないと思います。
 しかし世の権力者は、「私は原因」です。
 
 昨日は「私は結果」だと言い切りながら、沢山の相談者の運命を変更している人に会いました。
 彼女は百姓です。
 トラさんも運命を変える人です。トラさんも百姓です。
 
 この世は、百姓が運命を変えているのです。


2006年7月 9日 09:28 | 投稿者:森田 健(もりけん)

百姓でなければ「進む」ことのできない

 百姓でなければ、「進む」ことが出来ません。
 これは今回の中国紀行で、より鮮明になったことです。
 
 トラさんは十分に成功しています。
 しかし百姓を捨てて名を取ると、そこで前進がストップされます。
 
 宮本武蔵は、最後まで百姓だったような気がします。
 かたや小次郎は武家に就職しました。
 この時点で勝敗は決定したのかも知れません。


2006年7月12日 08:59 | 投稿者:森田 健(もりけん)

本当に少ない「私は結果」という考え方

 人のことは言えません。
 私がそうだったからです。
 
 これを前置きして、続けます。
 
 中国で易学シンポジウムに出ました。
 そこで出会う人のほとんどが「私は結果」ではありませんでした。
 
 運命がすべて決まっているかという問いに対して、70%だの80%だのという答えが返ってきました。
 
 トラさんの弟子ですら、100%ではありませんでした。
 つまり、次のように言ったのです。
 
「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。コトが起こったとき、どう感じるかは決まっていません」
 
 これは周りにいる人の多くの賛同を得ました。
 でもトラさんは、それをも否定しました。
 弟子は言いました。
 
「やはり王老子の意見が正しいです。最終的には王老子に従います」・・と。
 
 別に弟子を批判するためにこれを書いているわけではありません。
 
 易学シンポジウムには、取りあえず、運命を研究している第一線の人たちが出ているはずです。
 それでも「私は結果」を受け入れるのは大変なのです。
 
 私は30分の講演会で「私は結果論」を展開しませんでした。それは正解だったと思います。
 その理由は想像に任せます。


2006年7月14日 09:59 | 投稿者:森田 健(もりけん)

本物のアガスティアの葉に出会って・・

 
 今回の中国紀行でも沢山の占いに出会ってきました。
 とても精度の高いものばかりです。
 
 でもそこには「血が通った」という表現は似合いませんでした。
 まるで理科系の人が、方程式を語るように運命を表現してきました。
 
「ダメは、ダメ・・」
 
 という感じに・・。
 
 しかし昨日遭遇した占いは違いました。
 何か、血が通っていました。
 例えば私の娘が誕生した時のことは、次のように書かれていました。
 
「その子供は菊の花の頃、つまり秋に生まれます。風の中にふかれ、竹のように青い運命の中の女の子です。一生涯、一人しか子供はいないので、その子の人生を死ぬまで手伝っていきます。子供は寅年生まれです(当たり)」
 
 誰が親であれ、これを読めば納得するはずです。
 すでに出来の悪い子供に成長していても(爆)、これを読めば「うんうん」と頷くのではないかと思います。
 
 私の死ぬ場面も同様です。
 
「この年に亡くなります。一生涯、福があって楽しい人生でした。日暮れに鐘の音が聞こえて、夢のように一生を終わります。風に吹かれ、菊の花が黄色くなった頃、つまり○月○日、お父さんに逢いに行きます」
 
 確かにこれからも色々なことが起こります。投獄の危険すらある様子です(笑)。
 でももしもあなたが私だとして、これを読んだとき、なにかホッとするものを感じないでしょうか?
 
 そしてこれを読んだとき、運命は決まっていても一生懸命に生きるしかない・・と思わないでしょうか?
 
 この古文書を書いた人は、理科系であり、文化系であったと思います(笑)。
 そして運命を、とても肯定している人だと思いました。
 
「風」という言葉が出てきます。
 それは私の書いた「運命を変える未来からの情報」の最後もそうでした。
 
『「私たちはどこから来てどこに向かっているのか?」という問いの答は、風のままに、流れのままに、つまり「自由」だと思いませんか?』
 
 アガスティアの葉は、最後はカルマで終わるときが多かったです。
 そして葉の最後に書かれたカルマ解消法を実行する日本人も多かったです。
 
 でもこの古文書には、それはありません。
 
 きょうも風のように次の場所に向かいます。
 きょうの案内人は、ふとっちょの弟子です(笑)
 


2006年7月16日 10:05 | 投稿者:森田 健(もりけん)

偽物と本物

 
 今私がいるのは、中国では「偽物の原産地」と呼ばれてる場所です。
 どんな製品にしろ、偽物を作って売りさばくのがこの街です(笑)。
 
 しかしほとんどの人は、偽物に気付かないで買うそうです(笑)。
 
 水着とか、海に入って初めて「紙」であることに気付くのだそうです(笑)。
 しかしトラさんは言いました。
 
「それは本物を作るよりも技術がいることです」・・と(爆)
 
 そうなのです。
 この街はその技術力が買われて、現在、「本物」の世界でも頭角を現してきたのです。
 業界人たちは言っているそうです。
 
「彼らを『本物』の世界に引き出したのは、間違いだった」・・と(笑)
 
 本物以上に本物を作る彼らには、本物を作るほうが簡単だったのです(爆)。
 
 ところで本物か偽物かを見破る方法があるそうです。
 偽物は「これは本物ですよ」という一言が、ふと出てしまうのだそうです(笑)。
 
「これは偽物かも知れませんよ」と言われたとき、見破るのが一番難しいのです。
 
 さて、人生の「本物」「偽物」って一体何でしょうか?
 
「本物の人生を生きましょう」と言われたとき、どうすれば良いのでしょうか? 


2006年7月18日 09:11 | 投稿者:森田 健(もりけん)

「人生に意味は無い」

 
 当たる占い師に私は聞きます。
 
「運命は決まっていると思いますか?」 
 
「はい、すべて決まっています」
 
「では私たちの生きる意味は何ですか?」
 
「人生に意味はありません」
 
 こう答える占い師が多いです。
 この答えを日本で聞くことは、ほとんどありません。
 当たるからこそ、こういう結論になったのだと思います。
 
 それにしても、私はまだその境地に100%至ってはいません。


2006年7月21日 09:41 | 投稿者:森田 健(もりけん)

共通言語

 
 弟子のほとんどは、英語も日本語も喋れません。
 私は片言の中国語が喋れるようになりましたが、それでも共通言語とは言い難いです。
 
 でも昨日は社内で、私の親戚のアレルギーの卦を見せました。
 すると弟子は
「おお・・・!!!」
 という顔で私を見ました。
 
 その後、その卦をずーーーと、見続けました。
 
 そして「竜眼」というメモ書きに頭が混乱したのか(笑)、トラさんに聞き始めました。
 それが彼の、運命変更へのドアを開けました。
 
 一時間もかけてトラさんは説明しました。
 
 弟子はテープレコーダーの録音状態を気にしています。
 トンネルに入ると、切ったりもします(メモリの容量の関係だと思います)
 
 そして説明が終わり、卦を書いた紙が私のところに返ってきました。
 彼は親指を立てて「グッド」のサインをしました。
 
 それは弟子と私とトラさんの共通言語だと思いました。
 
 運命の問題を前にして、言語の差など、小さいと思います。
 卦は、全世界の共通言語なのです。
 


2006年7月22日 09:17 | 投稿者:森田 健(もりけん)

なぜ「生放送」をするのか?

 
 今回の中国紀行でも、「もりけん生放送」をやりました。
 
 私はなぜ「生放送」をするのでしょうか?
 それは、文字で書くのとはまったく違う世界だからだと思います。
 
「生放送」でしゃべったことを文字で書いても、たいした迫力はないでしょう(笑)。
 ハードウエアとソフトウエアを文字で書いても、たいしたことはありません(笑)。
 しかし私の口から直接喋るのは、別だと思います。
 
 今回は初めて女装で生放送をやりました。
 別に同じ事を文字で書けば良いでしょう・・と言う人がいるかも知れません。
 
 でも、なにかが違うのです。
 
 それは何でしょう?(笑)
 


2006年7月24日 10:09 | 投稿者:森田 健(もりけん)

マルチタスクにならない今・・

 
 ブログを作ったのは、不思議研究所のメインコーナーとは別の視点を持つためです。
 しかし中国紀行以来、メインコーナーとのテーマが似ています。
 
 つまりシングルタスクで生きている現状です(笑)。
 
 自分の中で視点を同時に二つ以上持つというのは、意外に大変なのですね・・。
 
 まあ、このまま流れに任せていきましょう


2006年7月27日 09:35 | 投稿者:森田 健(もりけん)

幸せとは何か?

 
 今、仮題「幸せになりたければ読まないで」という本を書いています。正確に言えば、書き上げた原稿を改稿しているところです。
 
 今までの「幸せ本」と違うところは、使う「データ」が違うということです。
 今までの「幸せ本」は、おそらく自分の主観が「データ」でした。
 私が書いているのは、私が、私の外側からゲットしたデータです。しかも今までには無いデータです。
 
 そのデータから導き出された仮説が「私は結果」です。
 
「私は原因」ならば、私の内部を変えることで幸せになれます。しかし私は、私の内部を変えることが出来ません。私の内部は、出生時間で決定されたからです。
 
 だとすれば、幸せになる方法なんて無いじゃないか・・という視点もアリです(笑)。
 
 さて、このテーマについて数回、書くかも知れません。
 


2006年7月31日 11:24 | 投稿者:森田 健(もりけん)