「幸せ」は、占いでは出ない

 
 今回の中国紀行でも、精度の高い占いに沢山出会いました。
 
 しかしその占いに、書いていないことがありました。
 例えば
 
「あなたは27歳のときに不幸になります」
 
「あなたは56歳で幸福になります」
 
 という表現です。
 これらに遭遇したことがありません。
 お金の損や病気は言われても、幸福とか不幸は言われません。
 
 今はとても運がよい時期だそうです。
 でも幸福かと問われれば、昔からずっと幸福でした(笑)。
 
 死というのは不幸なことだと言われています。
 しかし精度の高い占いでは、次のように言われました。
 
「この年に亡くなります。一生涯、福があって楽しい人生でした。日暮れに鐘の音が聞こえて、夢のように一生を終わります。風に吹かれ、菊の花が黄色くなった頃、つまり○月○日、お父さんに逢いに行きます」
 
 これって、ちっとも不幸ではないような気がします(笑)。


2006年08月03日 10:02 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (46)

セミの選択と幸せ

  
 昨日、バイクに乗って帰る途中、信号待ちが木の下になりました。
 すると突然「ボタッ」とセミが降ってきました(笑)。
 腕に留まっています。
 日焼け防止のため、バイクの時は長袖を羽織るので、それに留まっています。
 見れば、まだ子供のセミです。
 
 信号が青に変わりました。
 私はバイクを発進しました。
 
 スピードが上がり、セミに風圧がかかります(笑)。
 セミは吹き飛ばされるかと思えば、ありったけの力を振り絞って私にしがみついているのです(笑)。
 一番前の手を、前方に出しているのを見ても、それは分かります。
 
 道は二車線です。
 もしもセミが落ちれば、たぶん車に轢かれると思います。
 それが分かっているかのように、私にしがみついています。
 
「もうすぐ家だよ、落ちるなよ・・」
 
 セミは頷いたようでした(笑)。
 
 私の部屋で一晩休み、朝、林に向かって飛び立ちました。
 でもその直前、もう一度私の腕に留まったのです。
 
 セミも、何らかの選択をして生きているのでしょうか・・ 
 
 セミにも、幸せは、あるのでしょうか・・


2006年08月08日 11:06 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (37)

概念の入れ替え

 
「身の回りに起こることは、すべて幸せだ」・・・という人がいます。
「不幸とは、他人と比較するから湧き上がる感情であり、他人と比較しなければ幸福になれる」・・と。
「なので不幸の原因は、心の持ち方にある」・・と。
 
 確かに一理あります。
 しかしこれで幸福になれた人がいるでしょうか?
 
 少なくても私はなれません。
 その原因は、感情を入れ替えることはできないからです。
 
 でも概念を入れ替えたら、どうでしょうか・・。
 
 例えば私のHPでは「人はすべて代替可能」という概念を議論しています。この概念が理解できてしまうと、自動的に幸せになれるのではないかと思います。
 
 なので、キーは、概念の入れ替えだと思います。
 


2006年08月11日 10:29 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (41)

概念とは下位の問いに関わることがら

 
 前回は、概念の入れ替えで幸せになれると書きました。
 
 では概念とは何でしょう?
 
 それは「私は誰?」から始まるところの、下位の問いに関わることがらだと思います。
 
 しかし生き方のノウハウに関することは、上位の問いだと思います。
 だからいくらノウハウを勉強しても、概念の入れ替えにはならず、幸せへの変化が無かったのではないでしょうか・・・
 
 生き方のノウハウを教える人は、生徒(笑)に、自分を変えなさいと言ってきます。
 自分で自分を変えることなど、無理なのです。
 だからやはり、幸せにはなれなかったのです。
 


2006年08月15日 09:26 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (27)

本は本来、概念を問うもの

 
 大概の本は、概念ありき・・です。
 それが出来上がった過程だとか根拠は、あまり書かれません。
 概念の上に積み重なる方法論が書かれます。
 だから読んでも、ほとんど実にならないのだと思います。
 
 概念というのは、根底をなすものだと思います。
 本当はそれをもっと書くべきだと思います。
 


2006年08月18日 09:29 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (22)

イエスキリストは、神の子か、フツーの人間か?

 映画「ダビンチコード」を見てきました。
 
 以下はすでにHPにアップした内容です。
 
***************************
 
 レオナルド・ダビンチの描いた「最後の晩餐」には、ひとりの女性が描かれており、それはキリストの妻だった。彼女は身ごもっていた・・。もちろんイエスの子供を・・。
 
 そしてその子孫は、次々に謎の死に逢っていく・・。なんとそれは教会が殺しているのだった。だってキリストに子供がいたなどということになれば、大変なことになるので・・。
 
 でも本当の子供かどうかは、DNA判定をしないといけません。とすれば、マリアのDNAが必要になります。
 
 そのマリアの遺体が隠されている地図を、アイザック・ニュートンが暗号をかけた入れ物に隠した・・。
 
 これが映画の根底をなす流れです。
 
 トムハンクス主演の主人公(歴史学者)は、謎に迫りますが、ニュートンの暗号が分かりません。
 ニュートンの墓を訪れた彼は、そこで分かります。
 ニュートンの墓には太陽系のすべての惑星が描かれています。
 それを見て彼はつぶやきます。
 
「ここにはひとつ、天体が描かれていない・・。地球にぶつかったもうひとつの天体・・。それはapple」
 
 私はここで感動しました。
 ニュートンはリンゴを天体として見たから、引力を発見できたのです。
 つまりニュートンにとっては、太陽系の惑星もリンゴも、対等だったのです。
 
 そしてコードは「apple」・・。
 それを入れると、地図が出ました・・。
 あまり書くと、見る楽しみが無くなるので、このへんにします(もう書きすぎたって?(爆))。
 
 途中出てくる神父と警察(警部)との会話がいいです。
警部「私を操ってましたね・・」
神父「私だって神から操られているんだよ、文句言うな・・」
 (笑)
 
************************
 
 まず断っておきますが、私は英語は大して分からないのに、字幕を読みながら見るタイプではありません。
 なので映画自体のストーリーをよく把握していないことが多いです(笑)。
 
 この間見た「ミッションインポッシブル3」なんて、主人公たちがなぜそのブツ(水筒のような形をしていた(笑))を狙うのかが、最後まで分かりませんでした(爆)。
 お互いに命をかけて奪い合うブツの意味すら、分からないのです(爆)
 
 なので私が上に書いたストーリーも違うかも知れません。
 でも、ひとりの人生だって見方によって全然違います。
 なので勝手な解釈もありだと思っています。
 
 さて、映画のメインのテーマは、「キリストに子供がいた。その子孫が現代でも生存している」ということでした。
 それが科学的に証明されれば、エライことだというわけです。
 
 イエスキリストが、普通の人間に成り下がるというわけです。
 


2006年08月19日 09:50 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (20)

「ニュートンコード」という題名にしてほしい

 
 私に言わせれば、「ダビンチコード」ではなく、「ニュートンコード」だと思います。
 
 ダビンチの最後の晩餐の絵の中に描かれた弟子のひとりがマリアだと言われても「それがどうした?」です。
 女性に見えると言われればそうだと言えるし、やはり男だと言われれば、そうだとも言えます。
 あまりにアナログ的です。
 
 しかしニュートンは違います。
 マリアの遺体のありかを、暗号に託して隠しました。
 その暗号はデジタルです。
 
 しかも主人公に「描かれていないたったひとつの天体」とも言わせています。
 でもその箱を開けたら、ニュートンなんて忘れ去られます(笑)。
 
 しかし・・
 
>「描かれていないたったひとつの天体」
 
 この一言で映画は終わっても良さそうです。
 だって、この一言で、「概念」の入れ替えが起こるからです。
 
 でもそれで終わらせないのは・・・
 
 そうです。
 イエスキリストがどうの、神がどうの、カルトがどうの、魔女狩りがどうの、それで教会がどう変わるか・・とかいう話題に引きづりたいからです。
 つまりアナログの世界です。
 
 さらにチケットにもパンフレット(プログラムとも言う)にもモナリザが印刷されてています。しかし映画では、モナリザの絵の後ろに、物理的に鍵を隠してあっただけです(汗)。それがモナリザの絵である必要など、何もない・・。
 パンフレットを開けば「ダビンチはその微笑みに、何を仕組んだのか?」と書いてあります。
 何も仕組んでいないのだよ・・(汗)
  
 この映画は「猿以下」に見せたいのか?
 


2006年08月20日 01:35 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (15)

「ダビンチコード」・・地上の視点

 
 さて、本来の「ダビンチコード」の話に戻りたいと思います。
 
 イエスキリストには子供がいた・・ということを主張する組織を「シオン修道会」と言います。そこには科学者や芸術家が名を連ねています。
 ニュートンやダビンチは、その筆頭者なのです。
 だからこのストーリーが出てきたわけなのです。
 
 ところで「シオン修道会」というのは、架空の組織です(笑)。
 つまりこの物語の主要な部分が架空です。
 しかし出てくる人たちは、架空ではありません。
 
 架空ではない人たちを、架空な組織でくくったのです。
 
 架空な組織は、ある「方向性」を持っています。教会組織にタテを突くという方向性です。
 しかしそんなのは、地上の出来事です。
 
 リンゴですら宇宙の視点から見ていたニュートンが、そんな地上の出来事に関与するのか・・というのが私の意見です。


2006年08月21日 09:17 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (15)

神の概念

 
 キリスト教はヨーロッパとアメリカに布教されていると思いますが、人口の割合から言っても、数パーセントではないでしょうか・・。
 
 しかもその中で、「イエスキリストに子供がいた」と言われて神への信仰が揺らぐ人がどれほどいるでしょうか?
 
 だってキリストは、単に、伝えた人でしょ?
 
 映画の中では「この事実が世間に出れば、大変なことになる」というフレーズが何度も流れます。
 一体、どう大変なのでしょうか?(汗)
 
 アセンションでも起こるのでしょうか?(笑)
 
 今私たちが研究していること(運命の法則)が世間に出たほうが、よほど大変だと思います。
 だってそれは神そのものをひっくり返してしまう概念なのですから・・。
 
 ニュートンのリンゴが宇宙レベルなら(失礼)、こちらは時空レベルです。
 
 それだとしても、別に「この事実が世間に出れば、大変なことになる」などと思いません。主体は我々ではなく、時空(神)の側だからです。
 
 あれ? やはり神の概念は、ひっくり返りません(爆)
 
 予定としては、明日から、「オシムジャパンから斬られる」(笑)に入ります。


2006年08月22日 08:55 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (21)

オシムから斬られる

 
 私はサッカーが好きではありません。第一、グランドが広すぎます。自分の技を披露するよりも、疲労が先に来ます(笑)。
 その点、テニスは好きです。走り回る場所が狭く、ボールもどんどん飛んできて、技を披露できるからです。
 しかし卓球まで狭くなると、「そりゃ、狭くしすぎだ」という感じがします。だからあの広い中国で、卓球が盛んなのが、イマイチ理解できません(笑)。たぶん人口が多いのが原因だと解釈しています(汗)。
 
 というわけ(どうゆうわけ?)で、私はサッカーには興味がありませんでした。
 ジーコジャパンのワールドカップは何試合か見ましたが、やはり好きにはなれません。
 
「あれが有名なナカムラシュンスケか、そしてこっちが小野選手か」・・程度です。
 
 ジーコが最後の記者会見で「日本人は小柄だから不利だ。そこから改善しなきゃならない」と言ったとき「いまさら、何だよ」と思いました。
 
 そうこうしているうちに、次の監督が決まりました。
 
 オシム・・変な名前だと思いました。
 
 ところがその監督は、「語録」で有名なことがわかりました(汗)。
 で、サイトに行ってみれば、いろいろ書いてあるじゃないですか・・。
 それは読まずに(笑)、本を買いました。
 
「オシムの言葉(集英社インターナショナル)」・・(汗)
 
 今回は、「汗」が多いです。
 だってそうでしょ、「××の言葉」ですよ・・。しかもサッカーの監督のです。
 
 きょうはここまで・・


2006年08月23日 09:09 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (18)

双子

 
 いきなりオシム監督には飛びません。
 まずは周辺情報からです。
 
 オシムジャパンには現在、双子がいます。
 確か佐藤という名字だと思います(確かな名前を私は知りません)
 
 オシムジャパンに私が興味を持ったひとつが、この双子の存在です。
 同じチームに双子がいるなんて、とても珍しいです。
 
 双子だから、盲師派推命占術によれば、運命はほぼ等しいはずです。
 調子がよいときは、ふたりとも調子が良いはずです。
 スランプの時は、二人ともスランプです(笑)。
 
 この双子、四年後のワールドカップまでどういう軌跡を通るのでしょうか・・。
 


2006年08月24日 09:05 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (20)

勝った試合で怒ったオシム


 
 オシムジャパンの試合は二回行われました。
 トリニダード・トバゴ戦と、イエメン戦です。
 
 トリニダード・トバゴ戦を見たのは、終わる直前でした(笑)。それほど興味が無かったのです。
 しかし・・
 
 知っている選手は、ほとんどいませんでした。
 あれれ、面白そうだ・・そう思いました。
 
 だからイエメン戦は始めから見ました。
 知っている選手は、ゴールキーパーの川口しかいません。
 
 ときどき画面にオシムが映りました。
 なんか、とても不機嫌でした(笑)。
 ペットボトルを持ったままグランドに出て行きました。
 アナウンサーと解説者が言いました。
 
「オシム監督の背中が、何か怒っているようですね・・」
 
 そうです。オシムは怒っていたのです。
 試合中に怒る監督など、珍しいと思います。
 
 そして2−0で日本が勝ちました。
 
 なのにグランドに出て行くオシムは、ペットボトルを投げつけて行きました。
 怒っています(爆)。
 
 取りあえず勝てたんだから、いいじゃないか・・。
 
 ん? 何かある・・そう思いました。
 


2006年08月25日 09:17 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (19)

プレーするのは誰?

 
 オシムに「ん? 何かある」と思うようになると、彼に対するスポーツ評論家の記事も気になるものが出始めました。
 
 その筆頭が以下のフレーズでした。
 
「ただ、当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」
 
 私もそう思ってきました。しかし当たり前のことが当たり前でなくなるのが不思議研究です(笑)
 
 上記のフレーズ「当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」には、「選手の自由」が前提となっています。
 
 私は神について一番刺激があったのが学生時代でした。カトリックの大学だったからです。
 その場合、監督を神に置き換えてみれば(笑)、次のようになります。
 
「当たり前だが、プレーするのは人間であって神ではない」
 
 (笑)
 
 このフレーズは、人間は神とは独立した存在であり、自由なんだ・・と言っています。
 
 最近私は運命の研究を始めました。それで言い換えると次のようになります。
 
「当たり前だが、プレーするのは人間であって運命ではない」
 
 先ほども書いた通り、私の研究によれば、当たり前のことが当たり前でなくなってきました。
 オシムに興味を持ったのは、ここにあると言っても過言ではありません。
 


2006年08月26日 09:01 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (27)

根本的な水質改善


 もうひとつ気になる論評を発見したので、書きたいと思います。
 
「古い井戸を生かすのもいい。新しい井戸を掘るのもいい。だが、日本サッカー界が最終的にやらなければならないのは水脈の根本的な水質改善である。どれほど有能な井戸の発掘者を雇ったところで、出てくる水が飲用に適してなければどうしようもない。では、水質を改善するには何が必要なのか。日本サッカーにかかわる人すべての意識改革である」
 
 こういう記述です。
 つまりいくら監督を変えても、その下でプレーする人たちが同じなら、変わりようがないでしょう・・という意見なのです。
 これは昨日書いた「ただ、当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」に通じる考え方なのです。
 
 しかも今回は、「日本サッカーにかかわる人すべての意識改革である」とまで言っています。中身が悪いから、いくら外を変えても同じなんだよ・・と言っているのです。
 
 しかし私たちはこの考え方をバカに出来ません。
 長いこと、そういう世界にいたからです。
 
「自分を変えて世界を変えよう」などという講演会の講師までしました(私のこと)。
 
「原因」は選手なのであって、それを根本的に変えなければダメなんだよ・・そういう世界に長いこと、いました。
 
 しかしオシムはこの考え方を持ってはいないのです。それが彼に惹き付けられた理由でもあります。


2006年08月27日 08:29 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (18)

 
 オシムのふたつの試合を見ました。
 
 いきなり本題に入ります。
 試合から私が感じたものは「駒」でした。
 
 選手を駒のように使う・・それがオシムでした。
 
 駒という言葉から連想されるのは「代替可能」です。言い換えれば交換可能な部品です。
 
 もしもオシムが本当にこの戦略を貫くというのなら、数々の問題が生じるはずです。
 
 まず、部品として扱われる選手は、それをどう思うか・・です。特に選手は日本人です。日本人は部品として扱われるのを嫌うのではないか・・と思います。
 
 次は、私個人の問題です。
 私たち人間は、すべて部品です。運命の中で、なすすべもありません。生き甲斐をどう見つけるのか、それが問題です。
 
 このふたつの問題を、同時に持っているのが、オシムジャパンだと思います。


2006年08月28日 09:24 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (29)

「ああ、そんなものはいい。いらない」

 
まずは「オシムの言葉(集英社インターナショナル)」の本に出ていた文章をそのまま載せます。
 
*****************
 
 食器の触れ合う音に、時折、談笑が重なる。ジェフ千葉の食堂が突然開いた。
 
「新監督が到着されたので紹介する」
 
 このとき選手たちはオシムという人物を誰も知らなかった。
 
 新しい監督と選手との初顔合わせ。通例通り、監督から選手に向けての挨拶を、という流れになった。
 
 この監督は所信表明に何を話すのだろう・・。
 共に戦おう、あるいは君たちは覚悟してほしい、か。
 いずれにしても自分を理解させるために、あるいは舐められない威嚇りために、新しい指揮官の第一声は少し長い演説になるのが常である。
 
 ところがオシムは今まで接してきたどの監督とも異なる行動を取った。
 スピーチを求められると、身構える選手を前にひょいと右手を軽く振ったのだった。
 
「ああ、そんなものはいい。いらない」
 
 スタッフを尻目に、選手のテーブルに近づくと、裏返した拳でひとりひとりの食卓をコンコンと、2回ずつノックして回り始めた。一周すると自席について食事を始めた。
 
*********************
 
「オシムの言葉」という本が出るくらい、彼の語録は有名になりました。しかし日本での第一声は「ああ、そんなものはいい。いらない」でした(笑)。
 
 つまりノーコメントが、最初の語録なのです。
 というこことはですよ、オシムは、本当に必要な時しか喋っていないということなのです。
 いや、それも違う、自分が本当に喋りたい時しか喋っていないということだと思います。彼には儀礼的なものなど、あり得ないのかも知れません。
 
「スピーチをどうぞ」と言われれば、ほとんどの人は適当に喋って丸めると思います(笑)。しかしオシムはそれをしなかったのです。
 
 その代わりに、選手のテーブルを回り、コンコンと叩きます(笑)。
 
 これにより監督と選手の「間隔」はかなり無くなったのではないかと思います。そして「プレイするのはお前達だけじゃないんだよ」ということも伝えているような気がします。「俺とお前らは同じ運命なんだからな」とも・・。
 
「コンコン」(汗)が終わると自席につき、食事を始めます。まさに自然です(笑)。なんか武士道の世界をかいま見たようです(笑)。
 
 私は今回引用した部分で、かなりやられました(笑)。本を閉じて、そのまま24時間浮遊したくらいです(笑)。
 
 しかしオシムのことを知っている選手が誰もいなかったというのも、驚きです(笑)。誰もが初対面の中で、黙って「コンコン」する・・、私には出来るだろうか・・。
 


2006年08月29日 00:54 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (29)

「日本には力のある選手が多い」

 
 オシムは日本が大好きらしい。
 彼はひとりで魚をさばいて、日本酒で一杯やるのが好きらしい・・
 
 ジェフ千葉のグランドの近くにある魚屋で、魚を選別している写真まで見たことがあります。
 金髪の太った外人が、一匹の魚を買うために長い時間を使っている・・。
 
 きょうはアジにしようか、かつおにしようか・・。
 
「オシムの言葉」という本をまだ1/5も読んでいないので、彼がなぜ日本びいきになったか、分かりません。
 しかし日本人としての私は、悪い気はしない・・。
 
 その彼が「日本には力のある選手が多い」という発言をしているのを、何カ所かで見たことがあります。
 
 あるスポーツ評論家が「最終的にやらなければならないのは水脈の根本的な水質改善である」と言ってることは、すでに書きました。
 しかしオシムは
 
「水脈は素晴らしい。水質改善などとんでもない」
 
 と言っているのだと思います。
 
 ここでもうひとりの評論家の言ったセリフをもう一度載せます。
 
「ただ、当たり前だが、プレーするのは選手であって監督ではない」
 
 これをそのまま肯定すれば、どういう結論になるのでしょうか・・。
 水質は抜群で、その抜群の選手がプレイして勝てないのは・・
 
 そうです。あとは監督なのです。
 オシムは「あとは俺だ」と、暗に言っているのです。
 
 いや、もうひとつの視点があるかも知れません。
 試合が終わって、さばいた魚で日本酒を飲むのは、カレー南蛮を食べた面相師と同じなもかも知れません。
 ジェフ千葉の監督を引き受けた以上、チーズを肴にウイスキーで一杯は、出来ない・・と。
 
 考えすぎかもも知れません(笑)。
 


2006年08月30日 08:59 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (22)

泣いた「策略家」

 
 いきなり本の巻末部分に飛びます。
 
********************
 
 J開幕以降無冠だったジェフ。13年分の黄色の歓喜が爆発した。
 フィールドに姿を見せたオシムは、選手たちが行おうとしていた胴上げを拒否する。
 それでも。
 確かに彼は泣いていた。間違いなく泣いていた。潤んだ青い目は何よりも饒舌に彼の内面を語っていた。
 ジェフのサポーターの凱歌がいつまでも国立競技場に続いていた。
 
 会見場に現れた彼の第一声
「おめでとうの言葉は、私よりも選手やチームのスタッフに言ってあげて下さい」
 
********************
 
 低迷していたチームを新しい監督が優勝に導きます。
 この間、選手を総入れ替えしたわけではありません。
 低迷していたころの「水源」をそのまま引き継いでいます。
 
 なにがそうさせたのか、そして最終的には「駒」として扱われる選手たちはどう感じたのか、ブログでテーマにしたかった理由でもあります。
 
 今回の記事では、みっつのことが注目されます。
 
 ひとつは、胴上げを拒否したことです。
 常識的に考えれば、監督はそのまま胴上げをされても、何の違和感もありません。
 
 ふたつめは、オシムが泣いたことです。
 選手を「駒」として扱うオシムは、それでもクールでは無いのです。
 
 みっつ目は、おめでとうの言葉は選手たちに・・という言葉です。
 
 たぶん作られたパフォーマンスではないと思います。
 だから優勝できたのだと思います。
 彼は策略家ではありますが「策略家」ではないのです。


2006年08月31日 08:41 | 投稿者:森田 健(もりけん) | コメント (21)