ライオンに追われたウサギ

 
本の抜粋です
 
***********************
 
「市原の監督の言葉は深いぞ」
 
 会見や囲みの取材でオシムが紡ぐ言葉は、発信される度に大きな話題となっていった。
 この現象にクラブ側も注目した。
 ジェフは日本代表選手を抱えるわけでもなく、お世辞にも話題が豊富なクラブとは言えなかった。
 そこで「オシム語録」を作って幾つかの発言を採録してクラブのホームページにアップし始めた。
 すると瞬く間にアクセス数が1万件を超えた。
 勇人がハッとしたのは、次の言葉をチームメイトから伝え聞いた時だ。
 
− あれ、これ、勇人のことじゃないか?
 
「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」
 
 怪我をしていた勇人は、ああ、俺のことを見ている、なるほど、うまいことを言うなあと感じ入った。
 
************************
 
 抜粋は以上です。
 
「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」・・これを言う、オシムもオシムです。
 
 だって準備が足らないと言われるのは、監督の側が多いように思います。
 
「こんなはずじゃなかった」と言って、周囲のせいにする監督は多いです。だからインド戦に向けて、ピッチの芝や、宿舎のシャワーの状態まで調べさせています。
 
 オシムは選手に言うときは、必ず自分にも言っているはずです。
 
 選手集めのために、雨の中を傘を差さずに見ていました。
 
 一昨日も雨でした。
 ガーナ戦に向けて集めた選手を、雨の中で指揮していました。
 
 オシム語録が深いのは、彼が外側にいないからだと思います。だから勇人もハッとすることが出来るのだと思います。
 



2006年10月04日 00:46 | 投稿者:森田 健(もりけん)

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コメント

>外側にいないこと
比べる対象をつくっていないことだと思いました。
差を関知していない。
これは問いを生むことではなく、常に種の外側に問いがある。。ということのような気もしました。
つまり・・とても深くて広くて鋭い問いがあるんだ。
(ユミット星のお話とごっちゃになっていますが)

これは、実際にすぐに三次元で実行することができる
けれど、
かなり難しい事かもしれないとも感じました。
(↑と、思っている時点で差をつくっているかもです(汗))

競争の社会は個を作り出すけれど、
それはひとつひとつが分離したままだし、たぶん、
分離したままで、個の情報を個だけが保有していたら、
どこにも動いていかないんだと思いました。
サッカーも(スポーツだから)モロに競争の考えが
適用されてしまいそうな分野ですが、とにかく、、
すごいと思いました。
(今、比べた事を書き込みそうになってやめたので、
文章が変ですが・・(汗)(汗))

投稿者:マリ | 2006年10月10日 16:09

外側にいない人
オシムはインドでカレーを食べると思いました。選手と一体感(だけど、選手と一緒の席では食べない気がしました)。影で食べてそう。今、ガーナとの試合を見直しているのですが、最初の裏の通路から出てくる時に、選手がみんなでハイタッチしててびっくりしました。同等なんだと思いました。今までだったら、先輩後輩とか厳しくて、名前もさんづけだとか、バスの席順も暗黙のうちに決まっていて、偉い選手とそうでもない無名な選手とが別れていたように感じました。選手は偉い選手に怯えていたようにも感じました。偉い選手みたいに成績を残すことにプレッシャーがあったような。その時の偉い選手は、代表なのに代表の外側にいたのではないかと今感じました。オシムのチームは誰一人外側にいる人はいないのだなぁと感じました。すごいことです。

投稿者:なんしぃ | 2006年10月07日 15:05

>ライオンに追われたウサギ
>「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」
 
こういう例えを出してキッパリ言い切られてしまうと、「わかった風なことを言う」とか「試合で戦っている選手本人じゃないからそんな事が言えるんだ」という反発する気持ちになってしまうことが多いです。日常生活でも似たようなことを誰かに言われてカチンとくることあります。
 
でもそれを言った人が口だけの人じゃないことが分かっていたら、反発する気持ちにはならずに素直に聞きます。
 
オシムが口だけの人だったら、「オシム語録」を読むだけの私たちより、すぐ近くにいる選手達のほうがもっとずっと強く反感を持つと思います。
でも勇人選手がハッとするということは、オシムが口だけの人じゃないということを身をもって知っているということだと思いました。
 
私は自分では実践も経験もないのに、知ったかぶりしてアドバイス的なことを他の人に言ってしまうことがよくあると思いました。もし自分で実践や経験のないことは口にしないと決めたら、言えることってごくわずかになると思いました。
 
オシムの言葉が過去の経験だけから出ている言葉なら、選手はやはり反感を持つのではないかと思います。でもオシムが目の前で実践していたら、選手は反発するどころか、逆にやる気を刺激されると思いました。

投稿者:ぷく | 2006年10月05日 15:30

>ライオンに追われたウサギ
私はこれまでの日本代表の試合を多く見たわけではないし、他のサッカーの試合もそれほど見てないです。
でもそんな私でも、見ていて、有名選手はいないけど、途中のボールの動きが面白く、ゴール際でのきわどいプレーも多く、シュートも何本かあり、とても変化にとんだ面白い試合だったと思います。
サッカーの試合を最後まで飽きずにみたのは初めてでした。
それぐらい、今までのサッカーとは違うサッカーだったのではないかと思いました。
何よりも、経験が少ないといわれる選手たちなのに、強豪ガーナに対して、全然引いてませんでした。
動きも全然見劣りしませんでした。
表情も落ち着いていて、そして勢いがあって、とてもいい顔をしていました。
そんな試合だったのに、負けたことだけを見て、批評する人がいるのは、かえってびっくりしてしまいます。
試合の何を見てたのかと思います。
オシム監督は、インタビューで、ある部分はほめ、ある部分は課題としてあげ、きちんと冷静に事実を見ていると思いました。
えてして、結果だけにこだわる記者、悪い分ばかり取り上げようとする記者に、すごくうまく切り返していると思いました。
それは、オシム監督が、自分は監督で特別なところにいると思ってるのではなく、選手の中にしっかり入り込んでいるからこそ、へたにほめたり、けなしたりするのではなく、今の状態を冷静に見て、それを話ているのではないかと思いました。

オシム監督の練習は厳しいということですが、みながそれについていくのは、事実をそのまま見てくれること、選手たちを皆対等に見てくれること、そして自分も対等な立場に立っていること・・そういうのを感じるからではないかと思いました。
選手に向けられる外側からの評価も、もしそれがよくない内容であっても、一緒に浴びるのだと思いました。

前半も後半も、終わったあとに、何人かの選手が、ああしたら、こうしたら、という感じで、話をしながらピッチを後にする姿が見られました。
今までもそうだったのかどうかはしりませんが、みな、自分で考えながらやってるんだと思いました。
考えながらも、本番では考えずに走りって守ってつっこんで、思い切りプレーしてたのだと思いました。

投稿者:みっく | 2006年10月05日 11:45

>ライオンに追われたウサギ
ガーナ戦を見た後のレスとなりますが、ガーナ戦を見て感じたことは、

>オシムは選手に言うときは、必ず自分にも言っているはずです

まさにこれではないかと思いました。

今日の試合で感じたことは、すべてが駒となってそれが一つになって戦っているという感じでした。

ジーコ監督のスター選手の集いの試合のときより何倍も動きが世界レベルのような気がしました。

もたもたがありませんでした。
選手が感情を出していました。
体力が衰えていませんでした。
いままでにない変化を生んでいると感じました。

こんな状態を見させてもらったのも、オシム監督と選手の間の上下差が感じられなかったからかも知れません。

間接的なつながりを無意識レベルで感じあっているのではないかと思いました。

まさしく、五行的サッカーです・・

投稿者:しん | 2006年10月04日 23:40


「ライオンの追われたウサギ」とは含蓄があるフレーズです。確かに、ライオンに追われているウサギは夢中になって逃げるので、肉離れなんて起こしている暇はありません。

商売人が繁忙期の12月に風邪を引かないのと同じだと思いました。

サッカーに気持ちが向いていたいってことを言いたかったのでしょうか。

オシム監督のコメントは奥が深すぎて謎に思うのですが、当事者の立場に立って発しているのだと思いました。

それにしても、本日は試合は惜しかったです。
もしやと思ったのですが。。。
でも、次回が楽しみです。

投稿者:ばなな | 2006年10月04日 23:27

>ライオンに追われたウサギ
試合中のオシムは選手と一緒に走っているような目をしていて見ていて何か良いなと思いました。
選手だけで試合をしていないと思いました。
走れないと誰よりも選手がつらい。
どんな時でも走れること動けることは生きることになるのだと思います。
こんなに厳しくて優しい言葉は他人事では言えないくらいだと思います。

投稿者:小町 | 2006年10月04日 23:07

自分を外側に置かない
長いこと外側に置いていた私には、ここへ来た当初もよく言われていましたが、今でも基本的に変わっていません。
守るべきものなどなにも無いはずですが、守るというよりも捨てきれないでいることに起因するのだと思います。
もりけんさんは人に親切にしないと言いながら、外側に置いた書き込みには非常に敏感です。
何を「よりどころ」にしているのかが違うからだと思いました。

投稿者:イーキン | 2006年10月04日 22:36

>ライオンに追われたウサギ
今日の試合、結果的には負けてしまいましたが、強豪ガーナに互角以上に戦っていて、ここまでオシムがやってきたことが少しずつ形になってきていると思いました。
解説者たちも、選手の運動量や守備の広さに驚いていました。
ホイッスルが鳴ったときのオシムの残念そうな顔、そして、「内容的には日本が上回っていた」というコメントを聞いて、オシムの暖かさが伝わってきました。
厳しい監督かもしれないけれど、つねに選手の側にいる人だと思います。

投稿者:くるみ | 2006年10月04日 22:27

ガーナ戦前日会見を読んで
つくづく思ったのですが、オシムは、当事者意識の欠けている記者の質問に対しては、かなり辛らつに答えています。
ただし、辛らつだけでは終わっていません。彼は選手たちの場の中に入っているだけではなくて、記者たちの場に対しても、外側ではないと思いました。
だから、いろいろひねくれた言い回しをしているにもかかわらず、読んでいて、だんだん彼を好きになってしまいます。記者たちだって同じでしょう。
あらゆる立場の人の場に対して外側ではない・・とは、どういうことでしょう。
まるで、神のごとくつねにあらゆる場に偏在しているということでしょうか。
違うと思いました。むしろ、彼は、定点を持っていないのではないでしょうか。
あらゆる場所に偏在する、すなわち個を超えているというのが、あらゆる場所を定点にしていることだとすれば、オシムの場合は、逆に、どこにも定点が無いという風に感じられます。
だから、選手の肩を持つときには、記者たちを斬っているし、記者たちの肩を持つときには、自分を斬ったりしています。
自分を含めて、だれでも斬れるということと、あらゆる場の内側に入っていけるということとは、違わないことなのだと感じられてきます。

投稿者:L.B. | 2006年10月04日 22:23

>オシムは選手に言うときは、必ず自分にも言っているはずです。

オシム監督のいっている台詞は、ぜんぶを自分自身に向かっていっていることなんだと思いました。

ライオンに追われたウサギは、オシム監督自身のことであるのだと・・

彼にとって、他人事はひとつもないのだと思いました。


 

投稿者:あかり | 2006年10月04日 21:38

>ライオンに追われたウサギ
オシム監督は、境界線というものを
あまり感じさせない人だなぁと思いました。
そして、境界線がない・・・選手との距離が近い
ということは、場を共有するということなのかもしれないと思いました。


これが、もし、通常の監督(上の立場の人)が
選手(下の立場の人)に言う・・・という感じだと
こんなセリフにはならないと思います。
ライオンとウサギに例えられる、その余裕と
センスのよさは、魅力的だと思いました♪

投稿者:らんらん | 2006年10月04日 18:19

場と気づきと
>選手集めのために、雨の中を傘を差さずに見ていました。
>オシム語録が深いのは、彼が外側にいないからだと思います。だから勇人もハッとすることが出来るのだと思います。

このシーンをなぜかトラさんが突然の雨で病気の治療法をひらめいたことを思い出しました。
雨つながりというわけではありません。

ただオシム監督もトラさんもそれぞれ選手と相談者とその場を共有していたと思います。

場を共有している時、何か気づいたり閃いたりすることが多いような気がしました。
その場にいる人間によって何かが繋がっているような気がするからです。

場を共有するのは同じ場所にただ居ればいいというものではないと思います。

オシム監督は人一倍選手に対して心を傾けています。
トラさんも相談者に対して心を傾けていると思います。

そういう場合、共有できる場があるような気がします。
なぜかしら「ああこれが今なんだ」と思うのかもしれません。

今外は雨模様ですが、なんとなく何かを感じてじわっとしてしまいました。

投稿者:でるた | 2006年10月04日 16:25

>ライオンに追われたウサギ
まず抜粋を読んだとき、
>怪我をしていた勇人は、ああ、俺のことを見ている、なるほど、うまいことを言うなあと感じ入った。
という勇人のリアクションを不思議だな、と思いました。
そのまま読めば、カチンと来てもおかしくないと思ったからです。
それを、うまいことを言うなあ。って・・。

きのう読んだオシムの記事で、ケガで今回召集されなかった選手をオシムがグラウンドに呼んで、代表のユニホームを着て、みんなといっしょに練習していた。というのがありました。そしてその選手に、「ファミリーなんだから、ご飯をいっしょに食べていったらどうだ?」と言ったそうです。

ガツーンときました。

ファミリーなんだから、が、オシムの中にはキーとしてある気がしました。
ファミリーとして、自分のこととしてチーム全体をみている。
オシムの行動を見ていると、そういうものの捕らえ方をしていることで、自然とやることが生まれてきているように感じました。

オシムの言葉を、勇人は、信頼する父の言葉として聞いているんだ。と思ったとき、うまいこと言うなあ。が腑に落ちた気がします。

投稿者:くまぽん | 2006年10月04日 16:11

>ライオンに追われたウサギ
なんでこんなに揺さぶられるのだろう・・

> オシム語録が深いのは、彼が外側にいないからだと思います。

オシムは自分のことを棚に上げていません。
あぐらをかいて座っていません。
発する言葉のすべてを「わがこと」としている出発点があります。
オシムの生命力が純化して、浮遊しているということなのかも知れません。

着地して外側から発したら、力をもって押さえつけようとすることと同じになると思います。
「万事休す」です。
「偽者」です。

オシム語録は人間の奥底からマグマが噴出したようです。
このHPも「こんなかんじです」

投稿者:こち | 2006年10月04日 13:20

>ライオンに追われたウサギ
本当にジ〜ンとして涙がにじみました。
着任早々、あいさつはいらないと選手たちの机をノック(だと思います、敬子さんが言われたように)して回ったときの感じだと思いました。
誰かと二人きりでなごんでいるときなどに、「○○さん♪」と呼び、相手が「なぁに?」と注意を向けたら「呼んだだけ」というような、
「ねぇねぇ」と声をかけ相手を振り向かせてから「何でもない」と返す・・いや、究極は一瞬チラと目を合わせるだけで一緒にいられるような、そういう言葉を受け渡さずともその場の空気を暖かくするようなシーンも浮かびます。
オシム監督は、
言葉を超えたメッセージ
ストレートにピンポイントを突くことはない
そんな言語を繰り出す方なのだと思いました。
選手たちの魂とも言える内面のましん、ど真ん中をとらえては、メッセージはボールがふわりと放物線を描くように寄越してやる、そんな監督だと思います。
練習中の叱責は、選手の体や意識へ直接の働きかけで、語録は取材陣に答えるようでいて実は選手へふんわりパスを発しているのだと思います。
受けとめた選手たちは、自然無意識へと深く浸透させ広がらせ続けていくのだと思いました。
明るく暖かい日差しのような言葉がけの新しい可能性を教えてもらえて、何だか爽やか、とてもいい気持ちになってきました。
もりけんさんの本を読んで感じるどこまでも果てしない優しさの理由がほんの少し見えたカモとも思います。
これほどの人の深さというものを目の当たりにできること、そしてそれをつかみきれないことさえ喜びだと思えるような感動で、また涙が出ました・・

投稿者:ゆくえ | 2006年10月04日 09:54

>ライオンに追われたウサギ
 オシムは選手と一緒に走っているのだと思います。息を切らせて、ボールと選手を見ながら、一緒にピッチで走っているのだと思います。選手はみんな、それを知っているのだと思います。
 
 当事者って、どういう人か考えました。共に場を共有して、ともに走ってくれる人だと思います。当事者は、だから本人しか知りえないそして言葉にできないような感情を汲み取ることが出来ます。本人しか知りえない背後の事情を察することが出来ます。

 例えば、夫婦で、子育ての当事者になっているかどうか、お互いに喋ってみれば、あるいは行動を見れば、すぐ分かります。あるいは、仕事に対して、共に人生を走っていてくれてるか、それとも単なる収入源としてしか、相手を見ていないか、その人の態度や言葉ですぐ分かります。あるいは、親子で、かけてやる言葉や指し示す未来への態度で、どれだけ当事者の気持ちに沿って共に走っているか、すぐ分かると思います。あらゆる場面で、人が当事者として共に走ってくれているかどうか、人は感じながら生きていると思います。「この人は自分と一緒に走ってくれているのだろうか」と。

 だから、ひとごと・役割分担・自己責任などを相手の言葉や態度から汲み取れると、すうーっと相手に対しての信頼や興味や愛情や尊敬や、そういった気持ちが引いていくのが分かります。「ああ、この人にとっては、所詮ひとごとで、自分の始末は自分でつけろ!と突き放されているのだな。この人は、私を外側から眺めているだけだな。」と感じるのだと思います。

投稿者:ぱらむ | 2006年10月04日 08:41

ライオンに追われたウサギ
今、これを読んで、涙が出ました。
監督は、自分にも言っているのだ、いつも。
決して、自分を棚に上げてはいない。
同じピッチの上で、雨に濡れながら、
試行錯誤を繰り返し、選手ひとりひとりまでにも
目がゆき届いている。傷つけることなく、胸に響くように
何処までも配慮が感じられる。頭が良いとゆうのは、優しさも
生むのではないかと思いました。
これを読んで、自分が何故、ここに存在するのか・・とゆうことを
考えなくてはいけないサッカーなんだ、そう思いました。
「私」を取り巻く世界(周り)の現状をよく見て、
もっと知る必要があることは学び、理解を深め
ひとつの役割をこなすだけではいけない・・
常に考えて、走り続けることだ、そう思いました。
FWだけでもGKだけでもダメ、サッカー全体を知って
動け・・と言っているような気がしました。
勇人選手にとって、監督の言葉は、自分の名前を直接
名指しされたわけではないけれど、間接的に自分のことを言って
いるのだ、と気がつきました。
自分に置き換えて考えたのだと思います。
オシム監督からしたら、勇人は選手のうちのひとりに
過ぎないのだけれど、勇人からすると、そして他の選手から
しても・・ここまで考えてくれる人はいないだろう・・そんな
監督なのだと思います。
監督のしていることは、深く見つめる、だと思います。
そして話す時に決して自分は「例外」にしていないと思います。
自分だけ、監督側にいません。いつも同じピッチの上です。

投稿者:こはな | 2006年10月04日 02:24

オシム語録が深いのは、彼が外側にいないからだと思います。
場を共有することかもとおもいました。。チベットの僧如が子供に名前をつけるとき。。女の子は。。1日遅れてつけてたようにおもいまっすうう。。男性性と女性性に。。24時間の時間差があるのは。。なぜかなと考えていました。。おなかに一つ宇宙があるから。。実は。。より宇宙的だと思っていた男性より。。宇宙的なのかしら〜。。あ。。自分がオールマイティになることで。。実質自分の次元は確かに。。アップするかもしれないけれども。。おなかにできた赤ちゃんによっては。。次元度は。。男性よりもしかしたら。。おおいのかも。。とか。。想像しちゃいましたあ〜。。「ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか? 要は準備が足らないのです」・・う〜ん。。よくはわかりませんが。。わたし的に。。太っててもいいよ〜って意味ならいいなあ〜〜^^

投稿者:バニー | 2006年10月04日 02:10


あ、しもた(汗)
↓絵文字間違えてオシムにハートブレイクになってる。およよ〜。

投稿者:和佳 | 2006年10月04日 02:07


> オシム語録が深いのは、彼が外側にいないからだと思います。だから勇人もハッとすることが出来るのだと思います。
 
そうかもしれない!と思いました。
オシムの言葉って、その中、場に入って読みたいって思います。(上手く書けない)なんか気のない言葉とか、こころない返事とかじゃないんだと思います。なにかに入り込んで、自分で掴んだ感触をクリアに喋ってるという気がします。私は勇人選手じゃないけど…読みながらそれを追体験したいのだと思いました。
なんでこんなにオシム?って思ってたけど…これか〜とうなづくとこあります。 

>オシムは選手に言うときは、必ず自分にも言っているはずです。
 
なんか気になるフレーズです。自分(意識)を通してしか発せない言葉。私(意識)は無意識とどういう繋がり方をしてるんだろうと思います。それを音声にして発するというのはどういう行為なのか…と思いました。必ず(と思うのですが)私を通してしか意識か音声かされない言葉、それは誰に何を伝えるものなのかと思います。
 
ところでこの秋バージョン、めちゃイケてます。
みてると意識が飛びます。ちょっと一人の世界に入り…浸ります。

投稿者:和佳 | 2006年10月04日 02:03

>ライオンに追われたウサギ
ライオンに追われたうさぎとは、必死に走っているうさぎだろうし、うさぎは走りなれていて、肉離れをすることはないって事だろうと思います。日頃、必死に走ってないから肉離れを起こしてるってことをそういうたとえ話で話したのだろうと思います。
普段から走ってないからだよとストレートに言うより,一瞬,何だと考えなければならないから、冷静に聞けるという事もあるのではないかと思いました。
なんて、うまいたとえ話なんだろうと思ってしまいます。
でも、もっと深いのかもと思ったりします。。

投稿者:敬子 | 2006年10月04日 01:12