フリーキックだけじゃつまらないペルー戦(それはアソビがあったからか?)
中国から帰ってきて、録画でペルー戦を見ました。
中村俊輔のフリーキックから2点が入りました。
しかしフリーキック以外の見せ場と言えば、後半5分くらいでした。
その時間帯はオシムサッカーが、まるで絵に描かれたようでした。
なぜああいうシーンを、俊輔がピッチにいる間に、なぜ見ることが出来なかったのでしょうか・・。
車のハンドルにはアソビがあります。
私が学生時代に載っていたトヨタ・スプリンターには、わざとアソビをゼロにしてもらっていました。
タイヤの動きがきっちりとした歯車を伝わり、100%私の手にきました。
ちょっとハンドルを切れば、タイヤもそれにつれて動きました。
まるで後半の五分間のようでした。
しかし今は、アソビのある車に乗っています。
なので、乗っている間は「ちょっとの自由」が可能です。
音楽CDを入れ替えるために少しくらい体を動かしても(同時に手も動いても)、タイヤには影響がありません。
サッカーに例えれば、ドリブルのような感じです。他とのつながりが、ある程度切れている状態です。
俊輔や高原が存在することで、そこでひとつの「ワンクッション」のような現象が起きたのではないかというのが、私の仮説です。つまりハンドルのアソビが発生したのです。
時空は運命を決定しています。
その仕組みは、アソビがあるシステムでしょうか、それとも無いシステムでしょうか・・。
[ 私は誰? ]
2007年04月02日 20:03 | 投稿者:森田 健(もりけん)
コメントしてください
[投稿]ボタンをクリックしたら画面が変わるまでお待ち下さい(ふしけんフォーラムと違い時間がかかります)コメント
時空はゆるみのない状態で動いているような気がします。
パスを出したらパッと戻ってくるような・・。
考える暇なくつながっていく感じがします。
俊輔や高原の存在はまだ代表の選手達や本人自身の
意識の中でも駒化出来てないのかも知れないと思いました。
何かしてくれるかも知れないとか、何かやってやろうとか・・。
チームとしての密着度に少しでも距離があると、それが
すぐ遊びと化し動きに表れるのかもと思います。
凝縮された時間の中では、その変化は顕著に
表れるのではないかと思いました。
投稿者:まる | 2007年04月06日 20:09
一般道を走っていると思いこむならば、よそ見を少々しても事故らないようあそびのハンドルを、
もしも、F1レーサーだとしたら死にたくないので コンマ何秒の世界ならばしっかりとあそびが無いほうを、
そして、選べないのならば、自分はどっちの世界に住んでいるのか知りたいと感じました。
子供が隣で泣いていたら卦の判断に影響がでたり、
雨がザーとその瞬間に降ったなら助かるならば、
もしも歯車ですべてと繋がって連動しているならば、
少しのぶれもゆるされない0コンマ何秒の世界に本当はいたのではないか、と感じてきました
ならば、ハンドルの微のきりがとんでもないことになるのではないか、と感じてきました
一般道であそびがあれば事故らないは妄想だったのではないか
と、今感じてきました。
投稿者:なんしぃ | 2007年04月06日 08:12
どちらが良いということはないですが、遊びがないように人生を生きていく人が皇帝になり、遊びがあるように人生を生きていく人が蜂飼いになるのかなと思いました。
こじつけかもしれませんが、オシムが日本の監督になった事の運命にあそびがないほうが、日本は強くなれるのではないかと思いました。
もし、海外組が1つのクッションになってあそびが出てしまえばオシムのあそびがないサッカーが出来なくなるので、誰がチームの一員になろうと皆は働き蜂のように常にあそびのないプレイができるようになれば強くなるのではなかと思いました。
新しい、ブログ、女の子がすごくかわいいです。
ページ全体もパステルカラーで、文字が大きくて(ここが大切)読みやすいです。
投稿者:すーりん | 2007年04月05日 19:01
ハンドルにアソビのない車を運転するとき、運転することだけに集中していかないと運転ができないし、事故でも起こしそうなくらい危険です。ただ運転をしているという感覚は圧倒的にアソビがないほうが味わえると思います。
こういったか可能性もあるとかいったことがない状態がアソビのないことだと思いました。そのアソビの無い状態から実際の現場ですり合わせるときのちょっとした選択肢のようなものがアソビのような気がしました。ただそれは、アソビの無いところのちょっとしたズレくらいのことだと思いました。
ちょっとしたアソビ(補正)はあるけれど、アソビのないことが大前提にあるように思いました。
投稿者:YK | 2007年04月03日 22:51
原始時代、アソビ(余暇)の時間はありませんでした。
狩りに行くか食うか寝るかしかすることがないし、寿命もずっと短い、だからみんなが同じことをきっちりやって死んでいきました。
文明が進むにつれ、人間の仕事を機械が取って代わるようになると、ごはんは炊飯器にスイッチポン、おかずも「チン」して、洗濯も板でゴシゴシすることもなく、そして寿命は延びました。
考える時間、アソビ(余暇)の時間がたっぴりできるようになると、人は自分だけの個性を確立しようと、他の人とは違った人生を送るにはどうしたらよいかを考えそしてそのための行動を取るようになります。
俊輔にアソビの時間を与えたことによって、彼の想像性、創造性を発揮すべくフリーキックの場を作り出したのだなと思いました。
しかし人間にアソビ(余暇)の時間を持たせて「個」を確立するために邁進するように仕向けたのは一体誰のせいなのでしょうか。
人はどこかからやって来て、この余暇時間を持て余すことでこれからどこへ向かっていくのか、実は一方的に与えられた余暇時間をこれからどう扱っていくのか、アソビ(余暇)が自由であるとは実は幻想で、徹底的に排除することで何が見えるのか、その前に排除するためには何をしたらよいのか、アソビを捨てる「快」に気づくことなのかなと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年04月03日 21:54
確かに俊輔や高原がいたら他の選手は安心すると想います。その時点で不安定から安定の状態になります。その時点で個がむき出しになり、オシムの目指すメイド駒から個人プレーに走ってしまいます。時空の仕組みにアソビがあれば自由意志があることになります。自動ロボットならアソビはないように想いますが。。。だからゴールを決めたときは一寸のアソビがないから決められたのかもしれません。
投稿者:じんのり | 2007年04月03日 20:20
運命の中に自分に自由があるのであれば、運命が決まっている事実と矛盾してしまうのではないかと思います。
運命は決まっていることが事実であれば基本的に自由は発生しないかと思います。
しかし、同じ時間に生まれた人はその瞬間に同じ運をたどることになります。
でも、仮に官鬼運が強かった場合でもかたや総理大臣になり、かたや小会社の取締役になる人がいると思います。
同じ出生時間でも結局のところは人それぞれであると言えるのかと思います。
そう考えれば、俊輔、高原選手のような起用により生まれたアソビのようなものがこの時空にはあるのかと思いました。
そのアソビが人それぞれを作り出しているような感じがします。
だから時空のシステムと言うのはすごく不思議なのだと思います。
それはまるで個に自由があるような感覚をもたらしてしまうところがあるからだと思います。
投稿者:しん | 2007年04月03日 18:56
ハンドルに遊びがない状態って、経験がないのですが、ちょっとでもぶれたらタイヤの動きに影響するのかと思いました。
それって、すごい緊張しそうです。ぎりぎり状態で運転しなくちゃいけないと思いました。
そう考えると、ハンドルにアソビがあったら、なんだか余裕が生まれそうな気がしました。
実際、しっかり回さないとタイヤは動いてくれないけど、ちょっとぶれてもまっすぐに走ってくれます。
ぎりぎり感はなくなると思いました。
俊輔選手や高原選手が入ることで、アソビが発生したとすると、選手たちの間に、ちょっと余裕ができてしまったのかと思いました。
彼らがいるから大丈夫・・みたいな。
でもそれは、オシム監督が海外選手を合流させる時に、避けたいと思っていたことのひとつではなかったかと思います。
選手たちもそんなつもりはなかったかもしれない。
記事の中にも「国内組が堂々としていた」というのもあったので、意識的には、「彼らがいるから大丈夫」とは思ってなかったかもしれないけど・・でも、実際はそれがプレーに出てたのかもしれません。
時空はどうかと考えると・・
時空の決めた運命そのものにはアソビはなく、運命変更がアソビにあたるのかも・・と思いました。
運命変更は、ギリギリの状態で、もう後がない・・というときに効くように思います。
とすると、運命がアソビのない状態だからこそ、変更できるのかもと思いました。
でも、同じ命式でも違う運命をたどることもあるとすると、システムの中にもアソビがあるのかも・・などと考えました。
この場合のアソビは、本人は感じないかもしれない・・と思いました。
メイドちゃん風の女の子、かわいいです・・(*^_^*)
手にはほうき、足にはブーツ・・おしゃれです♪
投稿者:みっく | 2007年04月03日 16:18
試合は見ることができなったのですが単純に「俊介ゴールできてよかった~~」でした。
でも実際はそう簡単でもなかったような試合なのだと想像しました。
俊介や高原がいることで遊びが発生し、それでオシムの言うサッカーができないとすれば、それはどういうこと???と思いました。
綺麗に流れる水流のなかに突然飛び出してる大きな岩のようなものなのでしょうか。。。。
しかし、水はその岩の回りをなでるように流れます。。。
運命は遊びがないのだろうか。遊びがあるから運命変更ができるのではないか。。。。
でもその遊びも人生全体を変えるような変更はできないと思いました。
容量の度合いが大きいか小さいかだけかもしれないと思いました。
しかしそのハンドルの遊びもないとまったく自由はないのだな・・・とがが~~~んときます。
ピンクの羽のあるうさぎさん。かわいい。
へんな顔してチュー・・・・かわいい。されたい(爆)
投稿者:935 | 2007年04月03日 10:43
巻のゴールシーンを見たとき、彼は中村俊輔のキックからボールコースを正確に読み取っていたとしか思えない軽いヘディングで決めたところが見事だと思いました。
海外帰国メンバーのプレイにだって自在に合わせられる柔軟性を感じました。
高原が両足を交互に使ってボールキープから方向を変えてシュートするという技にはびっくりしました。
選手交代した最後の5分はうわぁと思うくらい動きが速くてボールが次々パスされていくのにわくわくしました。
サッカーを知らないものが録画したのを後からちょこちょこ見ただけなのですが、以前の代表チームの試合とは全く違うと感じました。
海外組のスター選手と国内若手無名選手が混じる際には、足りない時間ながらも融合することが前提だと思います。
それはどちらも相手のプレイに対して瞬時に合わせるというメイド意識が良い結果をもたらすように巻のプレイから感じました。
国内組には機動力と柔軟性が、そして海外組には抑えても漏れ出るほどのテクニックがあるとしたら、双方でそれらを盗み合うのも融合する一手だと思います。
オシム監督の目指す考えて走るサッカーは速さと走ることが基本かなと思いますが、メンバーが固定されることなく常に入れ替わるチームで戦うことはチームプレイのパターンも流動的に無限に必要とされそうです。
毎回どんな試合が展開されるか予測のつかない楽しみがありそうです。
時空から与えられる運命はガチガチに決定されているかと思っていたのですが、どうもそうではなさそうです。
命式の重みと、そこから新しい展開への可能性の両方が感じられます。
六爻占術改善法を発見されたトラさんと、原因のお顔と占われたもりけんさん、そして家と住む人の風水を深く読み取る面相師さんも・・・
もりけんさんのところにその鍵があると思います。
投稿者:ゆくえ | 2007年04月03日 10:28
待ちかねた「軟派」なブログが再開されてうれしいです。
表示文字も大きくできるようにしてくださって、
読みやすいです。
季節はそろそろ春たけなわです。
投稿者:十四郎 | 2007年04月03日 10:15
運命の流れがかっちりと決まっていても、多少の遊び(自由)があるように思えます。
ただし、普通は運命の流れ通りで、ダイレクトに運命の影響を受けて人生は流れいてるように思いますが。
というのも、もりけんさんが命式どおりであれば、お金持ちの要素である「太っている」の条件も満たしているはずなのに、実際は満たしていません、それでいてお金持ちです。面相師さんはそれをエネルギーで説明してくれました。もしも、決定された運命がダイレクトに自身に反映するならば、こういった定形外のような事態は起こらない気がします。多少の定型からのずれがあっても、それは遊びの範疇だからこそ、運命そのものの流れには変化が起きないのではないか、と感じました。
で、その遊びを作っているのは、もしかしたら、面相師さんの言うところの、命式には載らない一人で勝手にやっていること、なのではないか、と思いました。この遊びの部分を使えば、運命の流れを変更する、というか流れから逸脱することも可能のように思いました。そういう意味では、もりけんさんの、「原因の顔」というのも同じように思えます。
俊輔や高原のようなワンクッションの存在は流れの中に入って、ダイレクトに全てが流れいている動きを鈍らせる働きがあるのかもしれません(サッカーの場合それがいい悪いは別問題です)。
でも時空の決定した運命の流れから言えば、遊びがあることで命式通りでなくても運命自体が変わることはなく、同時にそれは遊びがあることで命式外の状態が運命を変更できる可能性を含んでいることでもある、と思いました。書いてて、頭がグルグルしてきました。論旨がちゃんと通っているか定かではありません。
(皇帝と蜂飼いのお話のように、同じ命式で違う運命を辿るのは、もしかしたらこの遊びの部分の違いが現れたものなのではないかと思いました。)
+++++++++++++
ところで、お部屋、すっごくカワイイです。淡~いパステルトーンで、キャラの女の子も不思議カワイイですし、飛んでるウサチャンもこの子が大好きのようですね♪
投稿者:ぱらむ | 2007年04月03日 09:18
時空が決めた運命にアソビって、ないのかなと思っていましたが、
命式がすべてではないとすると、
アソビがあるのかもしれないと思いはじめました。
運命変更グッツ自体がハンドルのアソビを
利用したものでないのだろうかと思ったからです。
サッカーのこの試合は見れなかったので、
最後の五分というのがどんなかわからないので、みなさんの書き込みを読んで想像しています。
新しいブログになって、
絵のキャラもかわいいです。
あのピンクのうさちゃんって、フシケン
の新しいキャラなんでしょうかぁぁ!
投稿者:こっこちゃん | 2007年04月03日 02:19
ひとりごとでも思ったのですが、何かかっちりと遊びがない様に張り巡らされている気がします。
というのも、遊びがあるように見せているというか、迂回しているように見えてそれが他への伏線に繋がっているようにも思えるからです。
遊びを感じるのは見ている視点によるものだと考えています。
投稿者:でるた | 2007年04月03日 00:15
>ペルーの選手が長い移動や選手交代も行わなかったため、全員疲れきっていた上に点差も2点ひらいており気力も萎えていた
だとすると、オシムのサッカーは永遠に実現しない。
実現したとしても、相手が疲れているときにやっても、たいした意味はない。ドリブルで突っ込んでもOK(笑)
投稿者:もりけん | 2007年04月02日 23:53
>なぜああいうシーンを、俊輔がピッチにいる間に、なぜ見ることが出来なかったのでしょうか・・。
もし私が選手になって…同じピッチに立ってたらどうだろうと思いました。自分の知らない海外の強豪で活躍してる選手は気になります。彼を通して世界を見ようとしたり、海外で渡り合ってる彼にまかせれば安心だと心のどこかで思うかもしれません。海外組にボールを保持してもらうような…なんか、見えない海外相手に引いた心理状態でプレーするかもしれないと思いました。
後半5分の選手達にはそれがなかったんじゃないかと思いました。得点をした海外組はピッチに戻りました。若さ、不安、熱さ、後の無い時間、自分達はどうなんだ…そういうものがゴチャマセになって無我夢中でゴールに突っ込んでたんじゃないかと思いました。誰かでボールを遊ばせるなんて余裕は無かったんじゃないかと思いました。。
時空がどちらかと言うと…遊びのない後半のシステムかなと思いました。誰かに頼ったシステムではないと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年04月02日 23:16
アソビがないシステムは、
隙間がないくらい・・
お互い見えないものでガッチリつながっている感じがします。
自分のハンドルの動きでタイヤも
タイヤの動きでハンドルも・・
どちらも影響を及ぼしあって
車とゆう大きな乗り物を動かしているの
ではないかと思います。
時空はそうゆうシステムかもしれないと思います。
投稿者:こはな | 2007年04月02日 23:05
「あそび」とは「ため」だと思います。俊輔と川勝良一氏とのスカパーの対談を見たのですが、「ため」とはボールをキープして味方の押し上げを待ち、攻撃の選択肢をひろげる動きだそうです。もちろん、ためをつくっている間に敵も戻ってきますが、逆に、ためをつくらず、むやみやたらにボールを前線に出しても、効果的な攻撃を展開するのは困難な場合もあるようです。
では、なぜペルー戦の後半残り5分(プラスロスタイム3分)の間に日本が絵にかいたようなオシム・サッカーをピッチに描くことができたのかといえばそれは、1)ペルーの選手が長い移動や選手交代も行わなかったため、全員疲れきっていた上に点差も2点ひらいており気力も萎えていた、それにひとりかけた10名の選手しかピッチにいなかった 2)ホームの親善試合ということでプレスもきつくなかった、3)俊輔は、自分で積極的にせめていったり、スルーパスやシュートなどよりも、相手にパスを出すことやボールを失わないことを第一に考えてサポートに徹し、バックパスや横パスを多用したのにたいして、後半残り5分で交代した選手たちにはそのような制限が、いろんな意味で、課されていなかった、などの原因が挙げられると思います。
イタリア流の「はやく前にボールをだせよ~」というサッカーには「ため」や「自由」や「あそび」はいらないと思います。しかし、相手DFの能力が高くプレスがキツイ状況では「ため」をつくったほうがいいような状況もあると思います。大切なのは、どちらがいいということではなくて、難しいことかもしれませんが、いわば、3拍子から4拍子へ、そして逆に4拍子から3拍子に、試合中に何度も切り替えることだと思います。「パスサッカー」と「はやくボールをだせよ~」というサッカーの二つを、ひとつのチームが持っていてもかまわないのではないかと思います。
そして、サッカーって面白いなと思うのは、セットプレーがなくなったらたぶん、サッカーはかなりつまらなくなるだろうということです。「流れのなかからの一点」とは無縁のCKやFKなど「流れの外からの一点」で試合の勝敗が決まってしまうことも多いということに、何か、ゲームの勝敗は、とても不確定な要素に依存している部分もあるということを感じます。本当は「流れの外からの一点」などに目を奪われていてはいけないのかもしれませんが...。
投稿者:ぴより | 2007年04月02日 22:38
>その仕組みは、アソビがあるシステムでしょうか、それとも無いシステムでしょうか・・。
どうもイメージしにくいのですが、オシムサッカーが、アソビないシステムだとすれば、アソビがない方が見ている方の自分としては面白いなと思います。しかし、プレーする方としては、アソビがない事の連続だとかなりハードかもと思います。
運命のしくみがどういうものかはわかりませんが。。
投稿者:敬子 | 2007年04月02日 21:50
ハンドルの遊びがないのが時空だと思います。どんなに過去のことでもどんなに遠くの事象でもコインを六回振る間に情報をゲットできるからです。遊びがあれば「遠さ」に比例した時間は遊びになれると思います。しかし一律数秒です。これは遊びがないに等しいです。
しかし生のうさぎではなく月に居る架空のうさぎでオーケーと聞くと遊びバリバリに思えますがこれは冗談が通用しないというハードな時空の様子を表したエピソードでもあります。
投稿者:テクノン | 2007年04月02日 21:36
訂正
ハンドルのアソビのないシステムの方が、アソビの「ない」システムよりもダイレクトに「生きてる」って感じがします。
ではなく、
ハンドルのアソビのないシステムの方が、アソビの「ある」システムよりもダイレクトに「生きてる」って感じがします。
投稿者:あかり | 2007年04月02日 21:28
>時空は運命を決定しています。
その仕組みは、アソビがあるシステムでしょうか、それとも無いシステムでしょうか・・。
ハンドルのアソビのないシステムの方が、アソビのないシステムよりもダイレクトに「生きてる」って感じがします。
オシムサッカーは、アソビを排除する方向に向かっていて・・
歴史の流れを見てみると、
以前は、役割というのがきっちり決まっていた時代から、役割はなんでもありの方向に向かっています・・
たとえば、一昔前は、男は仕事で女は家庭・・というようにきっちり役割が決まっていたのが、だんだん、そうではなくなりつつあります。
士農工商といわれていたように、身分もほぼ確定され、職業も、生まれたときからほぼ決められていたようなものです。
しかし、今は、そのきっちり感が薄らぎ、ファジーな様相を呈してきているような感じがします。
なので、時空も、アソビがあるところから少なくなる方向に向かっていると思いました。
***
リニューアルされたブログ・・
とても可愛いです。
羽の生えた、タコチューしているうさぎが、
超プリティー。。☆
ふと、もりけんさんの・・あの・・タコチューを思い出して
しまいました(笑)
投稿者:あかり | 2007年04月02日 21:21

