10人にひとりが世界を変える・・
中央高速道路には、いつも渋滞するところがあります。
その原因がずっと分かりませんでした。
インターチェンジからの車の進入があるわけではなく、一本道でずっと続いているにもかかわらずです。
調べた結果、その先にちょっと長いトンネルがありました。そして10人にひとりが、そのトンネルの前で、少しだけスピードを落とすのが原因だったのです。
10人にひとりがスピードを落とすだけで、20キロにも及ぶ大渋滞が起こっていたのです。
これに対しての対策は、「ここでスピードを落とさないで下さい」という表示を出したのです(笑)。
異例の表示だと思います。
ただしこれは、私が二十代後半のことなので、今もこの表示があるかは、分かりません。
サッカーはキーパーを除けば10人でプレイしています。
前述の中央高速の理屈が当てはまるとすれば、10人のうち、たったひとりがボールの動きを減速させるだけで、「渋滞」は起こるのです。
昨日の書き込みをもう一度載せれば、
「前半のシュートは、わずかに3本。中盤でミスが多く、ボールは回らない。人は動かない。後半残り5分間のシュート数は4本(前後半で10本)。欧州組が合流したから勝った、という見方をオシム監督はあっさりと否定した。終了間際5分のサッカー、つまり俊輔、高原を下げ若手を入れた後こそが「日本のサッカーが目指すのもの。理想だ」
くどいようですが、90分間の10本のシュートのうち4本が、中村俊輔らが消えたあと5分間に打たれているのです。
中村俊輔は「溜め」を作ったのだと言った人もいました。
中央高速の理論が正しければ、それが原因かも知れません。
「ここでスピードを落とさないで下さい」・・という表示はオシムに言わせれば「中村の改善すべき点はプレースピードを上げること。特別なことをしようという重圧もあったのかもしれない。1本1本すべてナイスパスを出そうとしていた。そんな選手は世界にもいない。天才ぶりは何回かに1回でいい。いつも天才ぶりを発揮しようとすれば無残になる」ということです。
これは、私たちの生き方にも関係しそうです。
私たちは、「一回ぐらいいいや」と思うことが多いです。
そういう気持ちがどこかにあれば、「森田さん、明日の朝は6:30に能力者のところにいきましょう」という言葉は出ません。
私が連れの重い腰を上げさせるのではなく、連れが私に言っているのです。
占ってもらうのは私だけであり、記事を書いて成果を得るのも私だけなのにです。
タクシーに乗らない件も同様です。29回の中国紀行で一回でもタクシーに乗れば「渋滞」があると思います。
10回に一回が世界を変える・・
10人にひとりが世界を変える・・。
オシムが中村俊輔の出る試合をチェックしないわけがありません。中村俊輔は常にキーマンだからです。他の選手と同様に・・。
[ 私は誰? ]
2007年04月04日 20:11 | 投稿者:森田 健(もりけん)
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そういえば教習所で初めて実際の道路で運転した時に
制限速度をキッチリ守って運転していたら、前や周りの車に
合わせなさいと言われたのを思い出しました。
渋滞するでしょといわれたと思います。
トンネルやカーブの前でスピードを落とすというのは
事前の危険回避だと思います。
でも全体で見るとその防御は流れを滞らせているというのは
ブレーキを踏む本人はまったく気づかないと思いました。
渋滞の解消にはブレーキを踏まないこと・・。
踏み続けてきた人にとってはかなり勇気のいることでは
ないかと思います。
投稿者:まる | 2007年04月13日 21:51
トンネルの前でスピードを落としていた人は、まさか自分がほんの少しスピードを落とすことが車の流れに影響を与えているなんて、想像もしていなかったと思います。自分は自分の車を正しく操縦している、何の問題もなし…それだけだったと思います。
でも「ここでスピードを落とさないで下さい」と書かれた看板を見れば、なぜなのかが分かって次からはもうスピードを落とさないだろうし、渋滞も改善されるのだと思います。だから「気が付く」ということは大きな事だと思いました。
でもそれは車の流れ全体を意識していなかったら出来ないと思いました。
オシム監督はそれが出来る人なんだと思います。
同じ道路を走っているというだけの車同士が、サッカーのチームと同じように考えられるなんて驚きました。個々の車はチームでもなんでもないけど、同じ道を一緒に走るということではチームなんだと思いました。
このことを拡大して考えれば、同じ地域で生活しているとか、同じ国に住んでいるとか、同じ地球に住んでいるとか、そういうこともチームとして考えられるんだと思います。
>私たちは、「一回ぐらいいいや」と思うことが多いです。
今まで何回そう思って動かなかっただろう…って思います。
そう思った時は全体を意識してはいないから、私だけの事と思ってます。
でも全体として見たら、その一回は流れを狂わす一回になります。
チームから独立している存在なんて、誰もいないと思いました。
投稿者:ぷく | 2007年04月13日 14:28
斬るというのは、パスではなくてシュートだと思います。
トラさんの言葉は、いつもシュートしていると思います。
そして、確実にゴールネットを揺らしています。
私が斬る場合、波状攻撃をしかけるのですが、なかなか枠に入ってくれません。決定力という点でトラさんとは、大きな違いがあります。それがなぜだか、だいたいはわかります。サッカーと違って、自分がプレーしているからわかります。
私には、まだまだためらいがあるということだと思います。
だから、ほんのわずかにズレるのでしょう。
高速の流れを、意識の流れにたとえれば、ほんのわずかにブレーキを踏む一瞬間が、全体をズラしてしまっているということになります。
ためらいなく、シュートを撃てるということは、
ニューオータニの会場で、瞬時に立てるようなことです。
あれは、シュートだと思います。
また、瞬時に斬るということでもあると思います。
レスも、横にパスをまわしているようなのが、やたら多いです。
パスをパスだと思ってパスしているうちはダメだと思います。
自分のこの一撃で試合を決めるというようなレスを入れられれば、
それは、シュートの連続のようなパスになると思います。
投稿者:LB | 2007年04月06日 01:59
オシム監督の目指すサッカーは
我を忘れる、とゆうことなんじゃないかと
思います。
無我夢中になってなりふり構わず、
ある事に向かっていく感じなのでは
ないかと思います。
それは、止まらないプレーだと思います。
中村選手のプレーは、フリーキックした所から、
シュートにつながるところまでを切り取って、
セルティックに持ち帰ることができるんじゃ
ないかと思いました。
でも監督が要求しているのは、
誰もいないとこに出すパスであり、
もう2度と自分には返ってこないかもしれない
そんなパスであり、キックなんじゃないかと思います。
投稿者:こはな | 2007年04月06日 01:38
問いは走りつづけることなのだと思います。
こないだのフシケンメインのもりけんさんのレスにありましたが、自分の土地を持っている人は余裕綽々なのに対し、借地の人の気持ちは気がゆるむときはないという話がありました。
数年たった後、借地の方だけが生き残り成果を上げておられた話がありましたが、つまり気がゆるむときはないのだと思います。
俊輔選手の天才的プレーというのも常に全力プレーなのでしょうが、しかしいつでも天才的プレーをしようしようするものは、気がゆるむことと同じような作用が働いているのではないかと思います。
10人にひとりが世界を変えると書かれているように、そのうちのひとりというのは個性的ではだめなのだと思います。
10人が誰でもいいように、そのうちのひとりも誰でもいいのだと思います。
渋滞の要因も誰でもいいけど、そのうちの一人が緩むから起こってしまったことになります。
だから、緩むこともスピードを上げることも誰かじゃないといけないことはありえないということなのだと思います。
全体があり、そこに個があり、その個が間接的要因で全体を動かしているとも言えるのかと思いました。
ただ、その個というのはスターはいらないのだと思いました。
投稿者:しん | 2007年04月05日 22:06
書き込みを読んだ後、非常に混沌とした内容で真っ暗なトンネルを無灯火で走るようなドキドキした刺激を感じています。
どこにも落としどころがないからだと思います。
自分で書いていておかしいのですが、落としどころとは着地点であり、それこそ「溜め」に繋がる気がします。
オシムサッカーは多分落としどころを敢えて設定していないと思います。
落としどころがあるということは、その地点までの道順がある程度できているとことだと思います。
しかし、それを事前に設定してしまうとそれに引き摺られてしまい、臨機応変さが失われる気がします。
攻撃バターンと言えば聞こえはいいですが、こちらの動きを固定化するため相手に付け込まれやすくなります。
サッカーに限らず世界には見えない連繋とか連動の存在を感じます。
個は独立しているように見えて、実は密接に関わり合っているのかもしれません。
もりけんさんの取材に対しての同行者の方が無償に近い状態で協力するのは、何かを追っている状態が流れとして無意識の快感に繋がっているようにも思えます。
オシムのサッカーは結果的には連動した流れ自体を快感としていくものかもしれません。
だとしたら、ブラックホールにあった意識の0.5秒は溜めを作ることでは個のみの快感はあるが、全体の快感に寄与していないように思います。
だとしたら世界は変えない方が流れるような快感を感じていられるのかもしれません。
投稿者:でるた | 2007年04月05日 18:52
以前に息子に頼まれて、サッカー専門店にフットサル用の靴を買いに行ったことがあります。
お店は、ちょうどキャンペーンをやっていて、ゴールに向かってボールを蹴ったスピードで賞品がでるというのでした。
「あの、やりますか?」と聞かれて「えっ、ええ」と、思いっきりボールを蹴ると、ボールはヨロヨロ、靴だけがゴールのネットに飛んで行きました。
「・・・どうしてなの?」(・・)と店員さんの方を振り向くと、「だっ、だからだってば」(--;)とは言えない店員さんが靴を取って来てくれました。
このようにやりつけない事は、イメージ通りにはできません。
高速道路で、トンネルの前で減速するのが10人に1人というのが意外に少ない感じがしました。僅かな記憶ですが「トンネルではスピードを落とせ」と教習所でも習ったような。
暗くて狭い場所です。トンネルの中は全体に車の流れがゆっくりになる気がします。
でも、走りなれたトンネルだったら、残りの9人のように減速せずに突っ込めると思います。
これも日頃の鍛錬なのかなと思います。ちなみに昨日は、メインに書いていてタイムアウトでした。
きっかけになる即パスも心掛けます。
投稿者:yuyu | 2007年04月05日 17:52
もりけんさんのHPに書き込みできない内容の時は素直に諦めます。しかし、他の部屋でもりけんさんや皆さんがパスをつないでいるので他のコーナに一日一回でもレスやロムするようにしています。しかし、一回ぐらいいいやとおもいレスやロムをしないとき、次の日には頭の中が渋滞しています。もりけんさんや皆さんのパスが速くて、多くて、何が何なのかわからなくなるときがあります。自分がサッカーをしているような状態ではありません。オシムは俊輔の天才的なスルーパスやFKを観たいのではなくて流れるような高速道路の様にプレースピードを上げてほしいのだと想います。しかし、俊輔は海外で走りつずけています。もちろんオシムは観ていますが俊輔の動きをみているのだと。マスコミは俊輔の鮮やかなプレーをみていて渋滞していたのだと、私もそうでした。
投稿者:じんのり | 2007年04月05日 15:58
10人にひとりがほんの少しスピードを落とすだけで渋滞になる・・10人に1人という数に驚きました。それもとまるわけじゃない・・減速するだけなのに・・。(わたしは絶対渋滞の原因になってると思います(汗))
これって、個人にとっても、また全体の中でも、ほんの少しの減速です。
なのにそれが大渋滞になるとは・・
オシム監督が俊輔選手にスピードといってた理由がこれか・・と思いました。
周りは、俊輔選手にボールが行くこと、ボールを持ってることを喜んでみていたかもしれません。
でも実際はそれが大渋滞の原因のひとつになっていたのかもしれない・・。
「一回ぐらいいいや」・・はよく思ってしまいます。
それが結局大渋滞につながったこともいっぱいあります。
今しかない・・その姿勢でいたら、「一回ぐらいいいや」はないのだろうと思います。
流れるようなもりけんさんのメトロノームな生活は、大渋滞などとは無縁な感じがします。
「一回ぐらいいいや」は、視点が自分だけに向いているのでは・・と思いました。
もりけんさんは、自分を横において、淡々と日々すべきことをこなしてる感じがします。
速いスピードだと、たくさんの数を打つことも可能だと思いました。
よけいなものはそぎ落とされていきそうです。
もしかしたら、たったひとりの減速が、世界を変えてしまったこともあったのではと思えました。
一人一人の力で世界をよくしようということはよく言われますが、そうではなくて、一人一人が減速せずに、妥協せず、今の瞬間を必死で生きていれば、世界は勝手に良くなるのかもと思いました。
というか、みなが減速しないでいると、渋滞がないので、「よくなる」のではなく、「よい世界だと感じる」のかもしれないと思いました。
前日のブログの全体主義みたいに。
渋滞の話と、オシムサッカーと、人の運命、生き方が、こんなに関係してる・・そのこと自体に、なんだか気持ちが高ぶります。
投稿者:みっく | 2007年04月05日 15:13
世界を変えるという言葉に、かなりドッキリしました。
それは、天才のように、何かを強いる感じがしたからかも
しれないです。
そんなはずはない…と思いながら、よ〜く読みました。
そもそも、この「そんなはずはない」というのも、
ある意味渋滞を作り出しているかもしれないです(汗)
自分の信条というものをがっちり作り出してしまうとき
(というか、個を重視する世界観では作り出さざるを
得ないです)で、ちょっと飛びましたが→個を重視する
世界観は、個を利用する世界観だと思いました。
キャラが立ってる人は、「使いやすい」です。
でも「使いやすい」って、そもそも誰が?…です。
「溜め」とは何なのか、つまり世界を変えている存在
とは何か?という事に気が行ってしまいましたが、
そもそも溜めに着目する事は、個(天才)に着目
しているのかもしれないとも思いました。
珍しいものを見たときに得る刺激を気持ちいいと
感じることは、そもそも他者に依存して自分は高見を
していると思うからです。
全体に溶けるような感覚は、ものすごく気持ちがいいです。
でも、一番刺激的なのは、高見をしないこと、、
つまり渋滞を作り出さない事、、かなと思いましたが、
う〜ん、まとまらないです(悶絶)
投稿者:マリ | 2007年04月05日 13:48
人は、一人ではなく周囲に影響を与え合っているのだと感じました。どのような立ち位置にいても何かの集団に帰属して、その中で人は他者の外側として良くも悪くも全体にさらには、それをも含む大きな全体へとつながっているように思いました。
まして10人の1人だとしたら、影響は大きく1人が走らなければ周りの数人が直接的に残りの数人が間接的にスローダウンしなければならないのだと思いました。
人は知らず知らずのうちでも、知っていても集団の一員であるということなのだと思いました。自分がギアを上げれば全体へと、下げても全体へと伝播していくのが関係性なのだと思いました
投稿者:YK | 2007年04月05日 12:48
あの試合の最後の5分は「数を打たなきゃ」のプレイだったのかと思います。
ゴールネットを揺らす確実性よりも、とにかくパスを止めずに攻めた結果、飛躍的なシュート回数となったのかと思います。
パスする相手を確認しないままボールを出すことは、下手したら命取りになることだってありそうですが、逆に確認する間を省くことは敵に全くスキを与えないのだと思います。
そのとき選手は相手ばかりか自分という意識も消し去っているのかも知れません。
目の前のボールをとにかく蹴る、ただそれだけに集中するのかと思います。
試合中ひたすら走り続けるプレイは過酷そのものだと思いますが、そうして誰もがボールのメイドとなって個を捨て去った果てにこそ、あの爽快感がやってくるのかも知れません。
それは選手が身のうちから生じさせるものでなく、個をなくした結果、時空と融合し、時空からもたらされるものなのかも知れません。
しかも共有する仲間もいる・・
試合終了直後に爽快感に包まれたものどうしにしか知ることのできない、さらなる爽快感があるのではと思えます。
俊輔選手は欧州を行き来してもてはやされたいのではなく、日本代表としてプレイしたいのではと思います。
サッカーが好きで思いっきりプレイしたいのだと思います。
監督が替わるたび方針や選抜がガラリと変わったり、中心選手ともなると気まぐれなマスコミ対応やコンディション調整一つにも重責を担うこととなるようなこれまでの代表選手の悲哀を知り尽くしている俊輔選手は、オシム監督率いる新しい代表チームはそうでないことをもはっきりと感じているのではと思います。
今回初めて合流したことで、彼はようやく念願のスタートラインに立てたのではと思います。
オシム監督の彼への苦言が世間では評判になっているとしても、彼自身の解釈はオシム監督と通じ合ったものなのではと思います。
むしろ、これまでたった一人であらゆることに対処してきた俊輔選手は、初めて信頼できる師が現れたこと、そしてその師から直接助言してもらえる喜びをひしと感じているのではと思います。
自分一人で戦っていかなくてもいいんだとこれまで経験したことのないような安堵のため息をついているかも知れません。
サッカー良くわかんないですけど、ブラックホールもこちらのブログも熱いです!参加したくなっちゃいます。数を打たなきゃ・・
投稿者:ゆくえ | 2007年04月05日 12:24
トンネルの前でスピードはよく落とす。それが渋滞の原因というのは意外。一回ぐらいいいや、というのもある。ごく最近の仕事でそれに近いことをしてしまった覚えがあり、それで返ってきた結果がまずいことになったのか、と心あたり。スピードは、たくさんあげたあとには落としたくなる。常時速いスピードを維持というのができにくい。スピード重視のとき、ナイスパスは捨てろ、ということだと思うが、そういえば最近した仕事は、あとの人のためにナイスパスを出せば、あとの人もラクに仕事できるから、そのようにしてくれ、というようなことを最初に言われたのだった。でもそれ、間違いだったってこと‥
ナイスパスを出そうとするとき、パスを出す人はきっと、その先どう動くかという想定をしているのではと思う。でもそれは次を受ける人にとっては邪魔になるのかも。次を受ける人はその瞬間に対応しているので、想定どおりになんか動けないのに、なんかパス出しした人の想定に縛られて、動きにくくなってしまうのではないかと思った。前の人からのコースの想定と、次の瞬間とのズレが渋滞につながっているのかも‥
投稿者:リョウコ | 2007年04月05日 10:58
渋滞という大きな現象が道路の構造に原因があって、それが個々の減速を生みそれが数キロの数珠繋ぎを発生し、それを解消するために道路の構造にメスを入れるのではなく貼り紙という情報だというのが、まるで運命変更の仕組みの仮説みたいだと思いました。
渋滞前と解消後では道路の上空俯瞰写真を撮影しても貼り紙の情報に気がつくことができないです。運命変更もこの世の[今]=時間軸の切り口の断面からしか認識できないのかもしれないと思いました。
プレースピードを上げる・誰もがキーマンで重要・十回に一回のために数を打つ…ということが個々をがんじがらめにすると思いました。すると、私が動けば誰かが即動かされると思います。その時差が限りなくゼロに向かっていく…これは連動性が固く速くなりそうです。まさに一枚岩になるような感じです。個々バラしてみると自由は減ります。でも一枚岩状態としてハマればそこには個々バラバラでは感じられなかったダイナミック感があると思います。パーツと全体に時差がなくなると我即全体という体感がありそうです。それが個だけの体験を超えた未体験自由に逆につながるような気がします。
投稿者:テクノン | 2007年04月05日 09:58
一回は、独立した一回ではない、一人は、独立した一人ではない、のだと思いました。たった一回もその後の回に影響を及ぼし、たった一人でもその後に続くみんなに影響を及ぼすのだと思いました。
物事も人間も、これのみ、ではなくて、繋がりあってる全体の内の一つなのだと思いました。
一つ一つが積みあがって全体が出来る、とか一日一日が繋がって一生になる、という考えの逆のように思いました。一つが存在している時点で、既に全体は共にあり、一つが違えば、全体が共に変わってしまうのだと思いました。
宇宙にあんな人もいてこんな人もいて、それで一つの宇宙だよ、ではなくて、沢山の人がいて繋がりあっていて、一人が今までと違うことをすれば、宇宙全部が変わってくるということかもしれないと思いました。でも、この解釈でいいのか、ワカリマセン。
投稿者:ぱらむ | 2007年04月05日 09:21
一回は、独立した一回ではない、一人は、独立した一人ではない、のだと思いました。たった一回もその後の回に影響を及ぼし、たった一人でもその後に続くみんなに影響を及ぼすのだと思いました。
物事も人間も、これのみ、ではなくて、繋がりあってる全体の内の一つなのだと思いました。
一つ一つが積みあがって全体が出来る、とか一日一日が繋がって一生になる、という考えの逆のように思いました。一つが存在している時点で、既に全体は共にあり、一つが違えば、全体が共に変わってしまうのだと思いました。
宇宙にあんな人もいてこんな人もいて、それで一つの宇宙だよ、ではなくて、沢山の人がいて繋がりあっていて、一人が今までと違うことをすれば、宇宙全部が変わってくるということかもしれないと思いました。でも、この解釈でいいのか、ワカリマセン。
投稿者:ぱらむ | 2007年04月05日 09:20
渋滞する原因が長いトンネルの前の10人にひとりの少しだけスピードを落とす事、それが20キロの大渋滞を起こしている、この情報は重要だと思います。渋滞改善のためには。。
誰しも、渋滞になど遭いたくないだろうと思いますが、まさか、それだけの事で、それほどの渋滞になっているとは思ってないと思います。そして、トンネル前の減速は無意識に身の安全のためにやっているのではないかと思います。その情報がなければ、その事について改善しようと思う人(減速をしない)はいないと思います。
さて、サッカーについても、スピードが落ちた原因をさぐり、情報を提供してるのがオシム監督だと思います。まさに「ここでスピードを落とさないで下さい」と言う標識を掲げている人です。
ただ、情報の重要性に言われたほうがわかっていない場合には、1回くらいいいや、さらにはそれが慢性化してしまい、全く守られないという事もあると思いました。
でも、トンネル前で減速しないことが事故に繋がりはしないかと思ったりはします。
何度か書いたり消したりしているうちになんかわからなくなってきましたが。。
サッカーの場合は、負けても死んだりしないのだから、リスクはあっても、減速しないでいって欲しいなと思います。
余談ですが。。昨年末、長年乗っていたマニュアル車からオートマ車に変わったのですが、最初の頃、少しのぼりの坂道でも発進するとき、バックしていきはしないかと不安でした。オートマのドライブにいれると勝手に進むというのが慣れなかったのです。そんな事も思い出したりします。
脇で教えていたいただいた人に、大丈夫ですと言われて、坂道の発進時にブレーキ踏まない事に慣れていったような気がします。
投稿者:敬子 | 2007年04月05日 04:52
>90分間の10本のシュートのうち4本が、中村俊輔らが消えたあと5分間に打たれているのです。
>中村の改善すべき点はプレースピードを上げること。
10人に1人のスピードがこんなにこんなに重要なんだとは思いませんでした。20キロの大渋滞…まったく思いもよりませんでした。シュート数のデータがそう読み解かれると…中村選手がプレースピードを上げろっていわれてるのがそこだったとは!…です。一人が渋滞すれば、みなそれに従うんだと思いました。そうなるとほんとに全員がキーマンです。だれもかれも影響力は等しいんだと思いました。うぉ〜なんだかスゴいと思いました。まったくそう見えてなかったので…衝撃です。全員で一丸だと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年04月04日 23:37
俊輔が溜めを作ったのは、自分の相手を複数ひきつけて見方の誰かをフリーにしようとしていたのかもしれません。
しかし、そのように相手をひきつける行為はボールを持たない選手がやったほうが、より効果的だと思います。
ボールを持たない9人が、入れ替わり立かわり相手をひきつける動きをすれば、チャンスは大幅に拡がると思います。
どんなにパスセンスのある選手でも、そのようなミラクルなパスで得点につながる機会は滅多に訪れないと思います。
一人でもボールをとめてしまうと、全体が固まってしまうのだと思いました。
投稿者:よねこ | 2007年04月04日 22:59
車はまったく運転しませんが、トンネルの前でスピードを落としたくなる気持ちはとってもよくわかります(笑)。
「一回くらいいいや」「ひとりくらいいいや」の件は突付かれると痛いです。
自分の成果に関係ないのに6:30に行こうと行動する紹介者のみなさんは、銀行員Gさんと同じ視点に立って生きているのだと思いました。
俊輔だけがキーマンだった場合、相手チームの立場から見ればこんな楽な相手はいません(笑)。
俊輔さえ叩き潰してしまえば、後のおまけの選手は赤子の手をひねるようなものだからです。
今まで日本代表がこんな簡単な理由で負けていたとは単純に言えないかもしれませんが、しかし遠い原因ではないと思います。
オシム氏は俊輔以外の9人が俊輔または誰がファンタジスタのクローン人間になることを望んでいるのではなく、相手がペルーチームの時は10人が同じ(例えば)「A」の選手になれること、相手が韓国なら10人が同じ「B」の選手になることなのかなと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年04月04日 22:28
溜めを作らずアソビをなくし、ひたすらにプレイをしたとき、高速道路が渋滞せず、スムーズになるように、チームプレイがスムーズになると思いました。
でも、そこにはアソビがないので、
感じる衝撃はダイレクトで、
痛みを感じるとすれば、すさまじいものがあると思います。
そしてまた、感じる快感も、すさまじいと思います。
投稿者:あかり | 2007年04月04日 22:14

