「10人いれば、10人全員がブレーキを踏むことになるのです」

 中央高速で10人にひとりがトンネルの前で減速したとします。減速するということはブレーキを踏むことです。
 とすると、後続車もブレーキを踏みます。踏まなければ前の車にぶつかってしまうから・・。
 つまり中央高速を走る車の全員がブレーキを踏むことになるのです。
 
 10人いれば、10人全員がブレーキを踏むことになるのです。
 
 オシムは言いました。
「中村俊輔は1本1本すべてナイスパスを出そうとしていた」・・と。
 
 これは一瞬の時間が遅れることを意味します。
 でも彼の遅れは、中央高速でのブレーキと同じです。
 全員に波及するのです。
 
 中央高速とサッカーは別だという反論があるかも知れません。
 そんなことはありません。
 高速道路は一本です。
 サッカーもボールはひとつです。
 
 オシムは本当に鋭いところを突いていると思います。 



2007年04月05日 19:13 | 投稿者:森田 健(もりけん)

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コメント

私は元プロのモトクロスライダーです。

レースの世界も同じだと思います。
レース中に意識的にバイクを操作しているとミスが多くなります。
一瞬操作が遅れるからです。
操作が遅れると後続のライダーに抜かれます。

サッカーも同じだと私も思います。
無意識と言っても色々あると思いますがサッカーもレース界もスピードの早いほうの無意識だと思います。

早い無意識でプレー出来た時は私の経験ですけれど、スローモーションで記憶に残っています。
なぜだか自分も分かりません。

オシム監督は、日本のサッカーをこれからどのように変えていくのかとても興味が湧いてきます。

投稿者:なみゆき | 2007年05月20日 06:32

誰か一人でもブレーキを踏んでしまうと、そのあとに続く車
全部がブレーキを踏むことになるというのは確かに・・と
思います。

一旦スピードが落ちるとそれを上げるというのは難しいと
思います。
前と後ろがピッタリと遅くなった速度を保持する状態に
なります・・。

ブレーキを掛けてしまうことが、全体に影響を及ぼしてしまうと
いうのは全く気づかないし、ブレーキを掛けることが悪いこと
ではないだけに、何だか怖いなと思いました。

投稿者:まる | 2007年04月13日 22:28

一人の行為が、何もしていない他の人全員に影響を及ぼす…というより、一人の行為は全員の行為になるんだなって思いました。常に全員なんだなって思いました。
一人というのはきっかけで、それは誰になるかはわからなくて、誰だったとしても結果は全員なんだと思いました。

投稿者:ぷく | 2007年04月13日 16:34

 個が個の運命を個の自らの実力で変更して、のし上げることは、上がったとしてもたかが知れていて、ほとんどできないものだと思います。

 また、個が一歩すくんでしまったときに起こりうるまわりの影響と言うは大きなものがあるのだと思いました。
 自分ではそうは思っていなくとも、確実にそのような現象は起きているのだと思います。
 言い換えれば、自分の人生を自分の力でなんとかすると意気込んでいる人間が及ぼすまわりの影響と言うのも大きなものなのかも知れないと感じました。
 その概念は失速に値しているのかとも思います。

 普通はいいパスを出すために自分との挑戦だとか言って、ひたむきにパスを出す俊輔選手の姿を絶賛してしまいそうですが、オシム監督の目はそんなところにむけてはいないのだなと思います。
 このオシム監督の目と言うのは努力だけじゃいけないんだよと言っておられるような気がします。
 それより、個を出すんじゃないよということが重要視されていて、全体を動かすために、全体の流れをつかむために駒となり走れと言っておられるのだと思いました。
 これは、メインでも議論されている数打つと同じことなのかと思います。

投稿者:しん | 2007年04月08日 22:39

>オシムは言いました。
「中村俊輔は1本1本すべてナイスパスを出そうとしていた」・・と
サッカーでは司令塔などと言います。引退した中田ヒデや俊輔なども言われます。
しかし、ドイツW杯で俊輔や中田が封じ込まれオーストラリアに負けました。俊輔もナイスパスを出そうとスルーパスを出そうとすればするほど今までは司令塔としてチームに貢献していたかのようですが、実はチームの10人全員がブレーキを踏んでいた事になります。良かれと思いきや皆のリズムを狂わせていた事になります。自分の売り得意なプレーに固定すればするほど実は足をひっぱっていたことになります。オシムには司令塔などという言葉=役割分担がないと想います。だから今までのイメージで固定化された視点でサッカーをみたらオシムのサッカーは理解できないし面白くないのかもしれません。

投稿者:じんのり | 2007年04月07日 18:22

たった一人のブレーキが全員にブレーキを踏ませる・・というのは、まさか・・と思うけど、実際はそうなってしまうのだと思いました。
だれも渋滞させようなどと思ってないのに、渋滞になってしまう。
俊輔選手の一瞬の判断の遅れが、全員に波及したことを、オシム監督はしっかり見てたのだと思いました。
周りのギャラリーは、ボールスピードが落ちたことよりも、彼自身のプレーに目が行ってたのだと思いました。
誰もがブレーキを踏まないサッカーになったとき、すごいスピードで動くボールは、相手がどんなチームであっても、付け入る隙を与えないのでは・・と思います。
たった一人の天才プレーヤーがいるチームよりも、やはりボールスピードが速いチームの方が、どんな状況でも負けないのではと思いました。


☆コメントをかくらんが上に来てとてもかきやすいです!
HPと同じく、確認があるのもうれしいです。

投稿者:みっく | 2007年04月07日 06:43

高速道路の渋滞の例はとてもわかりやすいです。
たったひとりのブレーキが遅延を生み、チリ積もで最後は速度ゼロになってしまう。
ネットワークをすごく感じます。
でも、最初にブレーキを踏んだ人=原因を特定するのはかなり困難だと思います。
遅延の初動は何もトンネルの近くばかりとは限らないからです。
しかし渋滞という結果の現象ははっきり現れます。原因が(ひとつに)特定できないのに結果が手に取るようにわかるという例がこんなに身近にあるのが驚きです。


オシムのサッカーは回路だと思いました。電気は常に電圧にみあったもっとも抵抗が少ないコースを通って最速でまわります。オシムの選手がみなファーストタッチのスピード連鎖性を実現したらボールが自然にもっとも最速でゴールに突き刺さるコースを自ら選んで進むように見えるかもしれません。

サッカーではボール回しに緩急があって当然だと思っていましたが、それがボールがいつも最高速度で流れているようになったら本当にすごいなと思いました。意識すら遅い世界。
まるでフラッシュのようなサッカー。
妄想がやみません。

投稿者:テクノン | 2007年04月07日 00:04

高速道路でも反対車線の事故を無意識で見ようとして
よそ見運転でブレーキを踏んで渋滞になるケースが多々あります。
その期間が過ぎれば元の流れになりますが一見関係ないのにと思える場所で一人が興味を示せばつられて覗き込んで連鎖反応を引き起こすことになっています。
工場でのチャック項目が新たに加わると途端に生産効率が落ちて問題になることがありますがでもチェック項目に問題があるとは思っていないのは品質が上がっていると思っている点にありそうです。
100%の効率は有り得ないのに100%を目指して無駄をしていると思います。
そうなると余計にすべてを完璧にと思うかもしれません。

投稿者:小町 | 2007年04月06日 21:15

首都高速はとても神経を使います。気が抜けません。
流れを乱すことなく同じながれで走らないとスピードを乱して事故になりかねません。

トンネルの前でブレーキを踏むのは高速の流れに乗れずに他の車の事故を招くことに似ているのたと思いました。

サッカーでもカットしただけで味方にパスがキチンと回らないのと同じかなと思いました。

他と一体になり流れの中に自然な形で入っていけないとだめだと思いました。

投稿者:935 | 2007年04月06日 18:28

ブレーキを踏まないでいいところで踏むということは、常に意識を周囲にはりめぐらせているからだと思います。
危機管理に対して慎重であるし、敏感なのだとも言えます。

流れに乗るとは、逆に敏感さを捨てることだと考えられます。
車線変更が少々荒くなろうが、パス位置がずれようがあまり気にしないのでしょう。

ミスをしないことを気にしていることが、逆に心を今に止めないようにしていると思います。
パスミスに対する心配がある時は気持ちが未来に向いています。
そんな時、今の時間から飛んできた自分へのパスをトンネルすることも有り得ます。
ミイラ盗りがミイラになるのでしょう。

心配や不安は伝染しやすいと思います。
だから一人が意識全開の世界でいると全体が意識全開になり、前に出られなくなるのだと思います。

10人という場があり、その中で誰もが対等であるがゆえに、波及しやすいのだと考えられます。
場が主でありながら、その場を共有している者ならば誰もが場を変化させる鍵になり得るのでしょう。

場と意識は絡み合って共生関係にあるように思えてきました。

投稿者:でるた | 2007年04月06日 16:27

>1本1本すべてナイスパス
これは、特別なことであり、常に天才であること、と同じだと思います。自分が特別で天才でいようとすること・・。ものすごい個の主張だと思います。
そんな天才技は何回かに一回でいい、とオシムは言います。
それよりも、全体のスピードを落とさないことの方が大事だ、と。


自分一人くらいならいいだろう、とか、一回だけならいいだろう、が実は、自分一人から十人(全体)に波及し、一回から全てに波及する。どこにも区切りがない、という状態が大事なのであって、どこかの一部分に焦点を合わせない状態だと思いました。それには全体が常にノーブレーキで動いている必要があると思いました。全体の中で個を浮き上がらせるのは、まさにブレーキを踏む行為なのではないか、と思いました。

投稿者:ぱらむ | 2007年04月06日 16:07

っと思ったら挟まってしまいました。


↓の投稿に名前を入れるのを忘れました(汗)
投稿者:Anonymous | 2007年04月06日 15:55

投稿者:マリ | 2007年04月06日 15:57


名前を入れるのを忘れました(汗)

投稿者:マリ | 2007年04月06日 15:56

中村俊輔は全体の流れに任せていないのだと思いました。
個を主張すると、そこにエネルギーの無駄が発生すると思いました。
なので、俊輔も苦しくなってしまうように感じました。全体の流れができていればできているほど、しんどいと思いました。
全体の流れに任せたほうが、もっと生き生きするし、楽しいのではないかと思います。それは自分のエッセンスに近い部分でプレイできるからなのではないかと思います。
0.5秒の差が自分のエッセンスか、自分のエゴかの違いになると思いました。

投稿者:てりん | 2007年04月06日 15:56

まず、、
サッカーはみんなでやっている
ひとりでやっているのではない
世界もみんなで生きている
ひとりで生きているのではない…

と思いました。微妙に気持ち悪い言い回しかもしれない
ですが(汗)

個を重用視しようとすると、とどのつまりは、自分の個を
重用視することになるのだと思いました。

なんか、どんな言葉でも陳腐な気がしますが、ものすごく
シンプルな一言で現せるような気もします。。

例えば命式を知ることは、個をより際立たせるためのものか。
違うと思いました。
命式を知る…さらに生まれ変わりの事象を知る…
例えば「あなたは○○の役を与えられています」それが
絶対的なものだとしたらどうか。
不満がある場合「この配役をつくった人は誰か」それが
絶対的なものだとしたら、どうか。。

…何かの階層が人に生まれて以来、延々と同じ事が
繰り返されていますが、役を決めた人という存在の範囲は
広がっているような気がしました。
それは、生命の範囲感で、たぶん、世界の生命全部。

それから、ブレーキを踏んで抵抗しているのは何か、
というのは、いろいろありますが、まず、たぶんというか
きっと、死や怪我への恐怖で、動物と同じです。(無意識)
次に、「人との調和という”考え”」という事でブレーキを
踏むかも、、(前の人が踏んだからという)
でも、前の人が踏まなければ?
この「”考え”」という事がもしかしたら曲者かもです。
ものすごく一瞬ですが、この一瞬にしか存在しないもの
があるかも、と思いました。
それに気づかなければ、永遠に同じ事を繰り返す
無意識に支配される意識…
命のまま無意識のままに生きていない事を知る、という事
のような気もしました。
ブレーキを踏まないからこそ、逆に個が際立つ。
際立つというのは、個に対して抵抗することではないです。
何か、個が消されてしまうのでは、ばらばらの意味がないですし。

因の存在に気づいたとき、生の範囲感は、変わるのでは
ないかと思いました。
「わたしひとりしか出来ないことをやる」のではなく、
「みんなでひとつしかできない事をやる」という事なのかも
しれないとも思いました。
そして、それはどこからも強制されるものではない…
うーん、なんか、収拾がつかなくなってきました。
まだまだ、まだ、ぴしっとまとまらないです。(苦)

生の範囲感覚は、無意識全体のものだけど、意識に上った
瞬間に個のもの(つまり狭いもの)へと変わる、というも
ふと思いました。

投稿者:Anonymous | 2007年04月06日 15:55

ねらいを定めてボールを蹴るのは、個の意識バリバリでボールを支配することだと思います。
そこからパスを次に受ける味方選手は、蹴った選手のねらいとボールの両方をとらえなければならないように思います。
そしてその次の選手もそうすることが当たり前だったのだと思います。
これまでは・・
選手皆が個を前面に押し出してボールを支配しあうサッカーだったのかと思います。
しろうとが考えても強い個と個がすれ違ったりぶつかったりぎくしゃくすることが避けられそうになくて、そこに相手チームがつっこんできてはボールは支配するどころかさらわれっぱなしとなっても不思議はないように思えます。
オシム流サッカーはもりけんさんの言われるとおりボールが主役なのだと思います。
ボールは何よりすばやくゴールへ運ばれたいのだと思います。
選手はボールのメイドとなって、自分の元にとどめる時間はできるだけ少ないまま次へパスすることに皆でつとめたら、ボールは喜んでゴールを目指すのかも知れません。
これからは選手がボールの願いをかなえてやることだけを考えるサッカーなのかと思います。

投稿者:ゆくえ | 2007年04月06日 10:17

 一台の車がブレーキを踏めば、後続は当然ブレーキを踏みます、でなければ玉突きのように追突していまいます。回避するために、次々にブレーキを踏むことは広がっていくでしょう。高速を普通は一台しか車が走ってない状況は、ないからです。互いが互いにそうやって影響しあっているのだと思いました。 
 プレーに慎重さを求めるあまりペースダウンする選手は、彼のパスを受ける選手のスピードも減速させます。彼がボールにさわったら、パスを受ける為に合わせるしかないからです。そして、その次に受けるであろう選手にも減速を強いることになるでしょう。 
 全員で動いていくことは、その中の一人でも全員の動きに影響を与え、全員がひとつの流れとして連動した動きをしているのだと思いました。  
 
 

投稿者:YK | 2007年04月06日 09:41

一本一本ナイスパスを出そうとするとき、「才能」というものが、いつの間にか絶対的なものとして、他の10人に潜在してしまうことなのかも知れないと思いました。
それは全体のブレーキを意味するのだと思います。

このことは、全体に溶けこんでいた個体が、元の個体に戻ってしまうことに似ていそうです。
全体に動かされる一部分としてプレイしているとき、個体は、そのとき埋没しているのだと思います。
「才能」が絶対的なものとして潜在したとき「個」が浮上して、チーム全体の依存の関係性は消えるのだと思いました。

後半5分は、「才能」の枠がなくなり、「才能」とかでは律しきれない「直行の世界」が現れたのではないかと思いました。

投稿者:こち | 2007年04月06日 09:35

この世界も一本の時間軸を宇宙が動いているのだと思います。
60億の個の歯車ががちがちにすべてと絡んでいるのだと思います。
この宇宙でひとつの個がブレーキを踏めば全体に波及して宇宙の動きがとまってしまいそうです。そんなことできないのだなあと思いました。
自分が存在する時点で歯車になっていると思います。
歯車と認識して生きることはオシムのサッカーのような全体として動く爽快感があるのかもと思いました。

投稿者:ごっつ | 2007年04月06日 09:03

判断したり、評価したりしている間に
時間はどんどん過ぎてしまうんだと
思いました。
考えるといっても、
足を止めてはいけなくて
立ち止まって判断する暇などないんだ
と思いました。
考えながら走る、といっても、
実際は、余裕なんかなくて・・
今、何をすべきか・・なんて
考えてはいられなくなるのではないか
と思います。
いつも練習でしていることが、無意識的に
パっとでるのかもしれません。
走りながら理解し、走りながらパスを出し
もう止まらないことなんだと思います。

投稿者:こはな | 2007年04月06日 01:57

「個」の人生を“ナイスパス”にがんばろうとすると、人類全体の運命が渋滞するのかなと思いました。
そうなると原始時代よりもずっと文明は進化しているはずの現代は、マンモス狩りをしていた頃よりもずっと運命は渋滞で、かなり限界にきているのかしらと思いました。
 
周易が確立されたのは3100年前で確立される前からあったのだから発見されたのはもっとそれよりもずっと昔で、五行は今から2400年前で、64卦や陰陽五行を超えるものまたは同等のものが超能力や直感以外には無いのだとすると、「個」の人生をナイスパスを出すために確立することは運命の解明には役立っていないのだと言える可能性が極めて高いのかなと思いました。

投稿者:イーキン | 2007年04月05日 22:47

中村俊輔のパスの出し方は瞬発力任せに斬りかかってくる佐々木小次郎の動きをを策略によって制している武蔵のようだと思えます。「兵は詭道なり」、勢いに任せたパスを出すのは正攻法で、全員に波及するような俊輔によるパスの勢いの調整は策略、奇策であり、軍師オシムの発言はもりけんさんの言われるようにそこに着眼したものだと思います。

投稿者:おかだ | 2007年04月05日 22:46

>でも彼の遅れは、中央高速でのブレーキと同じです。
>全員に波及するのです。
サッカーのパス、ワンタッチって弾くみたいに瞬時だなとおもいました。そうやって絶えず動くボールが うごく布陣が 視界にぐっと入ってきてみんな必死で走ってんじゃないかと思いました。そこにボールが渡った人が微妙に減速かけちゃってんじゃないかと思いました。そこでみんなその動きに気をとられ寸止めを食らったみたいにちょっとだけ止まるんじゃないかと思いました。ひとりの0.5秒が、全員の集中をとぎれさせ、みんながその0.5秒で我に返ってしまい…また足が動きなおす事になるんじゃないかと思いました。

投稿者:和佳 | 2007年04月05日 20:04

「中村俊輔は1本1本すべてナイスパスを出そうとしていた」
こういう発想はサッカーに限らずよくある事だと思います。
満点を目指す発想というか、ミスがなく無難に終えたいというような。。
いえ、それはミスを許さない環境ということがあるのかもしれませんが。。
 
でも、それではつまらないなと思います。
高速道路は安全の方が大事だと思いますが、
サッカーはナイスパスだけでなくてもいいので、
無意識の世界で広げられる意識抜きの未来型のサッカーが見たいなと思います。

投稿者:敬子 | 2007年04月05日 19:56