オシムはユングのように思える

 
 通常のサッカーならば、いいパスをしたり、いいアシストをしたり、得点に関係したりする人を褒めます。
 そういうことが結果に繋がると思っているから・・。 

 しかしオシムのコメントを読むと、まったく違うことが分かります。くどいようですが、もう一度載せます。
 
「中村の改善すべき点はプレースピードを上げること。1本1本すべてナイスパスを出そうとしていた。そんな選手は世界にもいない。天才ぶりは何回かに1回でいい」
 
 そして、俊輔、高原を下げ若手を入れた後こそが「日本のサッカーが目指すのもの。理想だ」と言っています。
 
 ひとりがブレーキを踏めば、全員が踏むことをオシムは知っているのです。
 なぜこんな視点が生まれたのでしょうか・・。
 
 中国に行くと「全体の流れ」という感覚が強まります。
 オシムはそういう感覚を持っているのです。
 
 心理学者で言えばオシムはユングだと思います。
 



2007年04月10日 19:55 | 投稿者:森田 健(もりけん)

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コメント

中村俊輔は、たいへんだ、と思います。
試合がはじまってもまだごちゃごちゃ考えているということは、この人は、努力でここまでになったのに違いないです。
 
つまり、他の人よりたくさんのことを考えているんじゃないかと思います。
それを全部捨てていくのは大変だと思います。
 
若い人たちは、もっと簡単にオシムの戦法になじめるのかもしれません。
オシム流から見れば、中村は出来損ないかもしれません。
 
そう考えてみて、なんだか好きになりました。
これまで、ああいうタイプは好きじゃなかったので。
 
ユングについてレスを入れたいのですが、中村のことしか浮かんできません。ともかく、中村の考えが足りないのなら、もっと時間をとって考えるしかないでしょう。
オシムだって、ずいぶん長い間、一人で考えたに違いないと思います。
 
俊輔は、まだ、そこまでは考えていないはず。
しかし、そのチャンスは来たわけです。 
すくなくとも、結論がでてしまっている人よりましで
いまだにこうして、中村が、もがいているのは、たいしたものです。
 
わかったつもりになって落ち着いているよりは、
思慮深いパスで、赤っ恥をかいているほうがマシです(笑)。
 
もがくしかないと思います。
そういうわけで、全体が見えず、個人に肩入れするレスになってしまいました。
 
もがくしかないと思います。

投稿者:LB | 2007年04月14日 19:07

>いいパスをしたり、いいアシストをしたり、得点に関係したりする人を褒めます

 これって何か対等ではないなと感じました。
 目立った人がそんなにすごいのか?と思ってしまいます。
 
 オシム監督はそのようなことをする監督ではないのだなと思いました。
 サッカーは全体で勝つものという考えがあるからだと思います。
 特に目立った人だけをほめたり評価することは、対等の視点とは言えないのだと思います。
 オシム監督は誰がいいパスしようと、いいシュートを決めようということにこだわっておらず、いいパスになった、いいシュートになったことは結果であり、それを引き起こしたのは11人の選手の全体の動きがその結果を引き起こすという考えをもっておられるのだと思います。
 オシム監督ほど、すべてを対等に見ている監督はいないと言っても過言ではないのかと思いました。 
 

投稿者:しん | 2007年04月14日 14:16

いいパスもいいアシストも、オシムにとっては結果なのかも知れないと思いました。
結果だから、たまたま今回はこういう結果になっただけで、だから褒めるとか褒めないとか、そういう範ちゅうのものではないんだと思いました。
 
褒めるとしたら、「この部分」と指摘できるようなピンポイントではなくて、試合の中で常にどんな動きをしているかなんじゃないかと思いました。
 
そうだとしたら、スーパープレイが連発したとしても、オシムが褒める言葉が聞けるとは限らないのだと思います。そしてそれは不思議なことではないように思えてきます。

投稿者:ぷく | 2007年04月13日 23:37

前にHPで、人はほおっておけば前進する、積み上げる方向へ向うのではという話がありました。
ボールが目の前に来たとき、ナイスパスを出さなきゃ・・と思うのはそう珍しいことではないのかも、と思いました。
ましてや、大騒ぎされて今期初の日本代表での試合・・そうおもってしまうのも無理はなかったかもしれません。
その、ナイスパスを出さなきゃ・・と思う意識は、なくそうと思ってもなくせるものではないのかもと思いました。
それをなくす方法のひとつが、プレースピードを上げることなのかなと思いました。
プレースピードを上げることに意識を持っていくことで、気がつけば、ナイスパスのことなど忘れていた・・となるのではないかと思いました。


また、そういうことを叩き込まれた国内選手たちが作り上げる全体の動き、全体の場に、ナイスパスを出そうとする個人的な意識は、入り込めなかったのではと思います。
そして、そういう人がひとりいるだけで、全体の流れも遅くなってしまうのだと思いました。


でも、こういう風に考える人はきっとこれまでいなかったのだろうと思います。
俊輔選手がナイスパスを出そうとした・・と聞いて、それの何がよくないの?といわれそうです。当然ジャン・・と。
俊輔選手個人だけを見れば何の問題もないこの行為が、全体に影響してたと見て取ったオシム監督。
これを理解するには、やはり最後は個人のワザが大事・・というような概念を捨てないといけないと思いました。

投稿者:みっく | 2007年04月13日 03:32

>ひとりがブレーキを踏めば、全員が踏むことをオシムは知っているのです
もしも時間が未来から流れていて
過去から未来へとはいっていないのだとしたら、
空間ばかりではなく
時間の流れにのっていかないとだめな気がしてきました
たとえそれが速い流れでも危険だと感じる流れでも、
時間次元の流れそのものに乗ったほうがいいのではないか、
と感じてきました
しかし、次元の間にストンと落ちるところがあるならば、
なおのこと
私は私のままで乗ったほうがよいのではないか、
と感じてきました。
ラスト5分で飛び出したのは子供のような
純粋無垢な感じがしてきました

投稿者:なんしぃ | 2007年04月12日 08:53

オシムは、全体の流れを見ている・・と思いました。
それは、5次元的な視点ともいえると思いました。


普通私たちの視点は3次元的だと思います。
肉体は3次元で構成され、
不可逆的な時間の中を、生きているからです。


時間を一本の線にたとえると、その腺のうえを歩いているようなものです。


しかし、ユングは、集合無意識という概念を出しました。
そこは、時間と空間が一体となった世界のような感じがします。
「あなた」と「私」が分離していないとも思います。


「今」の「私」や「あなた」というピンポイントの視点が3次元的であるとすれば、どこにもフォーカスせず、全体が見えているのが、
5次元的だと思いました。


  

投稿者:あかり | 2007年04月12日 07:33

サッカーのコートって、とても広いと思います。
なのに、ボールはとても小さくて・・・ボールを持った
時は1対多になってしまう状態になったら
頭の後ろに目があるわけでもないし、
コインの試合の勝敗をみるときは、個人が
でてこないというのをオシムは先天的に
知っているのかもしれないと思いました。
試合の勝敗はすでに試合の前から決まって
いるわけだから、
イケイケの流れという全体の強さのほうが
なんか強そうです。
でも、なんか多ければ強いみたいな昔の
「三本の矢」の例え話しのように
なってしまいそうですが、底上げ感覚なのかな
と思いました。
流れているということは、常に発動状態
みたいな感じがします。
それに、若さの走りこみって、みていても気持ちが
いいなと思います。
パスにシンクロがおこるときって、
頭で考えているのはおいつかない速さに
なるのかなと思いました。

投稿者:こっこちゃん | 2007年04月11日 22:51

私が出したナイスパス、私の人生、私の将来の夢、私が出した仕事の成果、私の家族、私の土地、私のお金、私の・・・
一体これは「私だけのものだ」と言い切れるものは本当に存在するのでしょうか。
 
私が息を吸って吐いたその空気ができるまでにどれほどの時間と手間がかかっているのか、私が足を地面に付けているその地球だって私が作ったものではありません。
 
これは私だけのものだと独り占めできるものなど本当は何一つ無いはずなのに、どうしてそんなに「私」がやったかどうかに執着するのだろうか、私の肉体が、私の魂が、私が所属している地球や地球以外の宇宙全部がどうやって作られたのかまったくわからない、知らないのに独り占めできるものなど何一つ無いのだと思いました。

投稿者:イーキン | 2007年04月11日 22:14

家で沢山鯉を飼ってます。池は大きいのですが、鯉たちは池のスペースを知り尽くしているため、また波風がなく穏やかなためゆっくり泳いでます。鯉を見ている限り全体の流れは感じません、ゆっくり泳いでいますが。しかし、テレビで入る○○○大自然たちの大きな海で泳いでいる魚の群れを見ると全体の流れを感じます。海のスペースは果てしなく波風が荒波でいつ、相手の大きな魚に食べられるかわからず、不安定です。。。しかし、全体の流れを感じるのです。オシムのコメントを読んでそう感じました。俊輔の天才的なプレーを見ても限られたスペースで走り、限られた時間でナイスパスを出して考えて動いているように感じました。オシムはスピードを上げる事で俊輔を不安定にさせているように感じます。

投稿者:じんのり | 2007年04月11日 20:01

オシムの発言を読むと、まるで天才ぶりが迷惑で邪魔だという風に思えます。

もし後半ラスト5分前までオシム流がいい具合に機能したが相手と拮抗してなかなか点が入らない展開だったとします。
しかし残り5分で俊輔のフリーキックが入りかろうじて勝利しました。
試合後のインタビューでオシムはラスト5分前までについて色々語りそうな気がします。
最後の得点はおまけだとか一言で終わりそうです。
 
集団で行う場合、いくら個が突出していても連繋がうまくいっていなければ、得点には結び付きません。
如何に得点に結び付くかについて、全体の視点から個の連繋を落とし込む必要があるように考えます。
オシムはその視点に徹底的にこだわっているように見えます。
 
ユングは集合無意識という概念を持ってから、全体という視点に移行した気がします。
個が独立しているが全く切り離された存在ではない。むしろどこかで共有している部分が多いし、そこがあっての個だというまず全体ありきだと言っていた気がします。
 
オシムについて詳しくないですが、彼はもしかしたらどこかで個を持ち上げる試合展開の限界に気付いたのかもしれません。
そして彼はピッチから離れても現場にはいつもいます。
現場にいる時には見えなかった視点をふとした瞬間に得たような気がしました。


投稿者:でるた | 2007年04月11日 14:01

メインサイトのコーナーでも話題になっていましたが、試合のニュースは個人プレーに注目した視線ばかりです。
海外組は個人プレーが評価されて注目されましたがオシムを追って理解しているレポーターは全体のスピードダウンを指摘していました。
オシムは確かに全体の絡みに視点があって、個人の働きは全体との関わりの結果だと考えてると思います。
いやその視点は試合フィールドだけじゃなく、観客も地の利も時間もなんもかにもの連動性を見ているように思います。
個人で結果がでればよしとしないところが異色に見えます。

投稿者:テクノン | 2007年04月11日 12:49

○○だけは違う、というのを、何かと思いがちだな、
と、感じました。
この場合、サッカー、とか…
好きだと余計にそう思いそうです。

サッカーと「全体の流れ」…出来高と「全体の流れ」…
うまく対比できていないかもですが、なかなか
一緒に考えれないと思いました。
宗教(団体、ではないです)と株式会社…とか。。
(これもうまく対比できていないかも(汗))


オシム監督が「異端」と思われてしまうのは、逆に
いまのサッカーの「業界」では「全体の流れ」という
視点を持つひとはいないという事だと思いました。
それを例えば会社経営に持ち込むと、宗教団体か?
と揶揄されてしまうような事です。

その視点に対して「すごい!」と言うことは簡単ですが、
○○だけは違う、という固定観念に入ってしまうと、
なかなか抜け出ない…
物事、(全体に対して「個」かな)の差に価値を見いだして
しまうと、なかなか抜け出せなくなる…と思いました。

そして、サッカーから、こういう事を考えるのは、
生まれて初めてです…!!


投稿者:マリ | 2007年04月11日 11:11

オシムは意識(考える)と無意識(走る)を統合させたところに全体としての創造性が生まれると考えているのかもしれないと思いました。 
考えているだけでは、停滞を生んでしまい、走っているだけではロスが多すぎる、この平行のような相反する関係にある両面を統合していくことによって、それまで考えるだけだったり走るだけだったり片方で思考が停滞していた選手達に新しい視点を持たせることによってプレーに創造性を持たせようとしているのではないかと思いました。どちらか一方ではなく両面性が、オシムにとって必須なのだと思いました。

投稿者:YK | 2007年04月11日 10:05

もしもオシムがユングだとしたら、コインを夢中で振っているのだとしたら、選手はコインのようなものがいいと感じました
裏と表しかなくて、どっちに転んだらかっこいいか、どっちに転んだら得点になるかなどは考える暇もなく、ころんと転んでくれるほうがいい感じがしました、
しかし、コインという流通もしてくれるのではならないとも感じました
同じコインでないとだめな感じもしました
そして、ユングにコインを持ち帰ったのがヴィルヘルムさんならば、
チンタオで中国服をきてドイツ兵の説得をできるような、
教会に行くなという宣教師であり、
孤独でも活動し続けるような、
オシムの無線の活動のような、自分とよく似た選手を集めたほうが、よりシンクロという現象をとりやすいのではという気持ちに
なってきました。
選手の中に、オシム、ユング、ヴィルヘルムさんを見たときに
そのコインをコインとして振ってみたくなる気がしました


投稿者:なんしぃ | 2007年04月11日 07:22

>そして、俊輔、高原を下げ若手を入れた後こそが「日本のサッカーが目指すのもの。理想だ」と言っています。
 
誰が誰だかも分からず、ただもう津波のように…だったと思いました。カメラも接近しにくかったように思います。全貌が波のようだったと思います。誰かのナイスパスをまってなんかなかったと思います。それよりはやい。早いとこで、いつもパスだったと思います。あれが、個人を超えた全体の流れ…なのかと思いました。今こうしたら結果に繋がるという感じではなく…結果は走りながらそこに瞬間的に現れてくるという感じだったのではないかと思います。おそい意識にどんと乗っかってる自分を感じました。
個人が結果を出してんじゃない…全体が先に動いてんだと思いました。全体って個の集まりで動作が重いのかと思ってたけど…違うんだと思いました。全体の方が早い…逆だったのだと思います。私が『いいパスをしたり、いいアシストをしたり、得点に関係したりする人』にばっかり目がいくのは感覚が逆なんだと思いました。

投稿者:和佳 | 2007年04月10日 23:13

「全体の流れ」と考えると
最後の3選手が入った時、
普段の流れに戻ったような・・
そんな気がしました。
中村選手や高原選手が入ることは
知らずの内にいつもとは違う、
何か意識してしまう・・
ギクシャクした感じがあったのではないかと
思います。
BHの水野選手の記事を読んでいたら
毎日休む暇なく、しかもどんどん大舞台の
試合もあって・・
もう「次・・」「次・・」とひっきりなしで
どんどんプレーして、とにかく毎日がサッカー
練習も試合なんだと思いました。
ずっとつながっている感じがします。
だから、普段とおりの動きをしているように
見えました。
周りも、つられるかのように
動きが変化したと思います。

投稿者:こはな | 2007年04月10日 23:05

ユングはもりけんさんの著書「運命を変える未来からの情報」にコイン占いに興味を示し、修得した人としてでてきます。
 
心理学者というのが有名なところだと思いますが、もりけんさんの著書から抜粋すると、シンクロニシティとか集合無意識とかいう概念を、最初に考えだした人です。とあります。
 
オシムの目指すワンタッチプレーのサッカーというのは、シンクロニシティとか集合無意識でやるサッカーなのではないかと思います。意図してパスを出すのではなく、勝手に合ってしまう、パスが繋がってしまうの世界なのだと思います。
 
そのためには、こうしようとかいう意識が邪魔なのだと思います。考える間もないくらいスピードを上げたら、そんな世界が実現するのではないかと思います。

投稿者:敬子 | 2007年04月10日 21:43

「全体の流れ」、「場」の臨場感みたいなものは感じます。
・・・が、つい遅れて乗りそびれてしまう事があります。「あ~あ、考えているうちに行っちゃたぁ。」です。

波がかなり大きくならないと気付かない時もあります。「えっ、何が起こっているの?」です。

四方八方から押し寄せるシンクロニシティの波を止めてしまわないで、すばやくパスするには、自問自答が長すぎてもいけないようです。

例えば、みんなのレス全部で「全体の流れ」のレスという視点なのかと思いました。

投稿者:yuyu | 2007年04月10日 21:27