意識対無意識の試合
意識は無意識に対して0.5秒遅れるそうです。
オシムが「早くパスを出せ」というのは、おそらく0.5秒未満も含まれると思います。
ということは、知覚が意識領域に届く前にパスしろということです。
これが実現すると、選手は無意識層で試合を運ぶことになります。
それは光や音が、あとからついてくる感じです。
それは不確実性の中での仕事になると思います。
中村俊輔は、確実性を狙って、ナイスパスを出したそうです。
オシムはそれを怒りました。
ところで不確実だと相手に取られるという先入観がありそうです。
せっかくマイボールにしたのに不確実に蹴ってはもったいない・・
特に中村俊輔は、セットプレーに強い選手です。確実性の中ではピカイチの力を発揮します。
でもそれは・・・
サッカーに素人の私ですが、0.5秒未満のパスは、意外に取られにくいと思います。なぜなら相手の知覚領域も超えているからです。
もしも相手が確実性のサッカーを仕掛けてきたとすれば、それは意識対無意識の試合になるのだと思います。
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2007年04月12日 22:30 | 投稿者:森田 健(もりけん)
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子供(赤ちゃん)とか、無意識で生きている存在は次何するかわかりません。
意識が発達した大人の私からしたら
「こうしてほしい」とゆう思いのとおりに
いかないので、イラっときます。
私はおかあさんじゃないので、たまに見たお姉ちゃんの子でさえ、すごく疲れた・・ので、
もしかすると毎日一緒にいたら違うのかもしれないけれど、結局、無意識の方に合わせることになり、振り回されたんだと思います。
泣きわめいていたらたちうちできない。
オムツかごはんか遊ぶか・・
一緒に遊べば、面白がればいいのかもしれないけれど(滝汗)
無意識的な存在についてゆくのが、精一杯でそんな暇もなかったと思います。
無意識って・・考えてみると、外側や、何かに対する反応なだけで自分の意図が入っていない感じがしました。
投稿者:こはな | 2007年04月15日 13:06
意識対意識の試合になれば、視覚から入ってきた情報、観客などの周囲の情報も意識に上がってきます。
すると体格で差がある相手なら、すでに「体がデカイな」と意識レベルでかなりのマイナスを感じてしまうと思います。それは現在行われている大半のサッカーだと思います。
チーム全員が無意識のパスが出せればいいと思いますが、ボールの周りにいる選手の半分でもそのプレイが出来たらゲームじたいがガラリと変わってしまうとんでもない試合になるのではないかと想像しました。
無意識のパスを素早い反射神経(素早い反射神経というのは無意識状態だから反応できると聞いたことがあります)でなんとかつなげば、チームのプレイは今までとはまったく違うものになり、日本人の体格を利用した良いチームになると思いました。
投稿者:すーりん | 2007年04月14日 18:29
無意識は、個は前面には出ていません。意識が表面化するまでに見せている姿だと思います。捉えどころがない感じがします。
無意識にボールに反応する為の練習は、体が止まる間が無いと思います。走りっぱなしでとても体力が要りそうです。
意識対無意識の試合は、以前とりあげられた、小次郎対武蔵を思わせます。
小次郎の相手は武蔵だけではなかったと思います。小次郎を取り囲む周りの全てが小次郎の相手だったと思います。
無意識チームは個が無いので、切れ目が無い感じがします。とすると、個の確立したチーム対無意識チームは、意識チームの選手にとってはどんな時も1対10みたいに思いました。
投稿者:REI | 2007年04月14日 16:53
無意識によるサッカーをすれば、味方側も意識に到達しないわけですから自らが予測できないのに、相手にとってはなおさらだと思います。
意識の中の確実性で重要なものは、いままでの経験ではないかと思いました。経験をたくさん積んだからこのときはこのようにすると判断ができるのだと思います。
経験を積めばそれだけ確実性を得るための手法を身につくのでしょうが、それは過去の起きた経験から得た情報であるわけですから、敵側もその過去の情報を収集すれば、確実性なパスを理屈で防ぐことができないわけではないということになるのかと思います。
無意識というのは、今までの経験とか過去の情報などいっさい関係なく、どこで何が起きるか判らないという試合展開が生まれるのだと思います。
つまり、勝つための試合の運びを計算をしているわけではないということだと思います。
無意識プレーというのは、非常にたいへんなことだと思います。
それは、どのような試合展開になるか判らないところがあるからだと思います。
しかし、オシム監督はそれをやろうとしています。
無意識プレーを可能にするのは、オシム監督がいつも言っている、とにかく走れがキーなのだろうと思いました。
投稿者:しん | 2007年04月14日 14:33
意識対無意識の試合で、無意識側が極端に有利になるということはないのかなって思いました。意識側にボールが渡れば、パワーとテクニックでパスが繋がりゴールを決める場面もあると思うからです。
でも無意識側にボールがある間は、意識側は相手のパスの先読みが出来なくて翻弄されるかもしれないし、ボールが意識側にある時でも突然無意識側がボールを奪い返す場面もあるのかも知れなくて、観戦している側にとっても何かが今までと違う…と感じてしまうような試合になりそうだと思いました。
投稿者:ぷく | 2007年04月14日 12:26
知覚領域を越える・・となると、これまでがんばって積み上げた個人の技、サッカーという方向性における努力・・などは関係なくなりそうです。
意識のなかだけのプレーだと、選手たちも見ているほうも、ある程度予測ができそうに思います。
ああしたらこうなる。。こうしたらああなる。。と。
でも、無意識領域でのプレーになると、見ているほうはもちろん、やっている選手たちも先が読めないのではないかと思いました。
そこでボールがすごい動きをする・・ということはありそうだと思いました。
意識の中だけでやっていても、ボールはこちらの思い通りにしか動かないと思いました。
スピードを上げるだけではあかん・・などと夫などは言ってましたが、それは、意識の中だけのことなのではと思いました。
スピードを上げて、プレーが無意識の領域にはいった時、選手たち個人の力とは関係なくボールが動きだすのではないか・・と思いました。
投稿者:みっく | 2007年04月14日 06:34
確実性の中だけでのプレーは意識領域という限定された領域という片側の定められたことをなぞらえただけで創造性はとぼしくなってしまうのではないかと思いました。
無意識の中のことの領域にある側面からもプレーをすることによってそれまでの常識のようなものを超えて相手に読まれにくいプレーができるのかなと思いました。意識と無意識の両面を統合する視点をえることができて、創造性が増したプレーができるのかもしれないと思いました。
投稿者:YK | 2007年04月14日 03:39
確実性のある試合は、どんなに素晴らしいプレーを仕掛けてきても相手側に読み取られる試合運びになるでしょう。
しかし、無意識層での試合はこちら側ペースで運ぶことができ、意表を突く展開で進めることで勝利への一歩につながるとオシムは考えているのだと思います。
だから、0.5秒未満のプレーにこだわり、考えながら走り、早くパスを出せ・・と
投稿者:ユリ | 2007年04月13日 23:53
どんなに意識で綿密な作戦を立てたとしても、相手側も意識でその作戦を解読してしまうと思います。
しかしそれでは無意識で行動しろと言われてもどのように動いたらいいのかを意識で考えようとしてもなかなかできないでしょう。
それならば意識的な行動が無意識領域を侵していく方法を、オシム氏が意識や無意識というこのHPで語られていることと同じ言葉で考えているかどうかは知りませんが、「人のいない所へボールを打て」や「蹴った後のボールを見るな」などとても具体的な指示を出しているのだなと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年04月13日 22:14
意識して選手のプレーを見ようとしたらそこには選手がいないような感じに想いました。0.5未満のプレーとは選手は動いているのですが、私たちが意識出来ないので何がなにやらわからない感覚です。誰が決めた俊輔が高原が決めたなどわかるわけがありません。ボールがゴールに入っていったようなスピード感溢れ、ボールを追いかけていくのも私には大変な様な感じです。何かそんな気がします。
投稿者:じんのり | 2007年04月13日 20:21
無意識領域にいるうちにパスを出すと想像したら、選手が誰が誰やら分からなくなって皆がボールを繋ぐ一つの流れになって流れている図が浮かびました。その流れが常に止まることなく縦横無尽にコートの中を駆け巡っている、それも予想もつかない方向へとすごいスピードで流れながら。
なんだか、昔読んだちびくろさんぼという話のそれぞれの尻尾に噛み付きながら輪になってぐるぐる回るトラたちが、そのうち溶けてバターになってしまった図を不意に思い出しました。みんなが溶けて一つの流れになってしまう。
それとか、隠密に闇を走る忍者軍団が黒い流れとなって屋根から屋根を飛び回る様子も浮かびました。
いずれも、誰がどうした、という世界では全然なくて、誰もが同じように素早くて誰と区別がつかないくらいに一体化した一つの流れになっている様子が浮かびます。
あぁ、これなら、体格が追いつかなくても、日本にも勝つチャンスはあるかもしれない、と思いました(全くの素人判断ですが)。
投稿者:ぱらむ | 2007年04月13日 20:08
武蔵と小次郎の試合を思い出しました。
私は当時その場にいなかったので、事実を知りません。
しかし、想像するに武蔵は自分が打とうと思う前に打つような練習しかしなかったように思うのです。
意識で打つのではなく無意識で打つ・・・
小次郎のツバメ返しのような反射神経的なものとは違う感じだと思うのですが。
逆に剣の練習すら本当にしなかったのかもしれません。
無意識に預けてパスを出していく方法がうまくいけば、試合が始まった瞬間に勝敗が決しているということが可能かもしれません。
相手の不意を突くパスのリレーになるからです。
セットプレーは相手の意識をスタンバイさせるのだと思います。
だとすれば、こちらが意識すれば相手の意識を刺激し不利な状況を設定することになります。
この無意識層で運ぶ試合があるとすれば、目の前で見えるものは既に残像であるような気がしてきました。
ある意味時間を超えてしまうのでしょう・・・なんかすごいです。
投稿者:でるた | 2007年04月13日 19:03
少し前、運命が決まっているんだったら、別に直感で動いても
いいじゃん!とふと思った事がありました。
それは、試合の結果が決まってるんだったら、直感で動いても
いいじゃん!というのと同じ気がしますが、
そう思ったとき、速攻で(直感で動いてもいいじゃん!と思ったの
とほぼ同時に「めちゃくちゃにならないかな?」という
不安みたいなのが生まれました。
確実性を狙うというのは、より将来に(試合の勝利に)向けて
安定を計る、というのだと思いましたが…
0.5秒未満のプレーが出来たら、決まっているものを
変えられる領域に入るのかも(!)と思いました。
投稿者:マリ | 2007年04月13日 16:09
取られないようにするための確実性のナイスパスは
そのパス自体は上手くつながったとしても、その後のゴールを
守る相手の体制は万全に作られてしまうのではないかと
思いました。
相手に手の内を見せているような状態だから・・。
不確実性のパスは味方でさえも分からない・・。
プレースピードさえ上げておけば、味方の選手達自身もどんな
試合運びになるのか分からなくとも食らいついていくことは
可能になるんだと思いました。
意識対無意識の試合・・同じ場にいるのにいないような
そんな感じを思います。
投稿者:まる | 2007年04月13日 14:28
日本チームのパスは味方に繋がらなくてパスがスムーズじゃないのは考えてないからだと思っていたのですが
オシム監督はまるっきり反対の事を言っていたのだなと気が付きました(汗)
パスが繋がらないのは受ける選手が考えて走っていないからだと、これまたそう思ってました・・・・・
スムーズな流れのスピードのブレーキを踏んでたのは俊介だったのか。。と今なんとなくわかりました(滝汗)
無意識で対処できるほどスピードの速さをあげないといけないということなんんだろうかと思いました。
だから「走りこむ」ことが大切なんだなと感じました。
投稿者:935 | 2007年04月13日 13:40
>不確実性の中での仕事
>意識対無意識の試合
・・・というのは、相手チームにとって、
予測不可能な映画を観ている感じだと思いました。
自分の予想では、次はこうなるんだろうなあ・・・
と、映画を観ていたら、展開が速くて、
「えっーーー!!!」
驚愕な結末が待っていた・・・
かなり、刺激的です。
でも、もりけんさんの仮説も、私達にとっては、
次にどう変わるか、予測不可能です。
度肝を抜かれっぱなしです。
無意識的な試合というのは、展開が速いので、
体験しないとわからない、やってみなければわからない
感じがしました。
投稿者:もりりん | 2007年04月13日 13:32
無意識で不確実でもボールを出したら、意外にゴールが決まる、意外にボールがつながるというのは、意識にとっては「意外」にあたるので、やりだしたらずっと”意外”の連続みたいで、おもしろい気がします。なにかわからないうちに動いていて、ゴールが決まったときだけ、ハッとするみたいな‥。自分でプレーしているという気持ちにならないのではないかと思いました。
投稿者:リョウコ | 2007年04月13日 12:09
↓名前入れるの忘れました。
投稿者:リョウコ | 2007年04月13日 11:31
>0.5秒未満のパス
味方の姿がチラっとでも見えたらすぐパス‥のような感じになるのかなと思いましたが、以前の書き込みで、味方の姿が見えなくてもそこにパスを出すと、味方が走りこんでくるということだったので、誰かの気配を感じなくてもパスを出すのかと思いました。感じた気配が敵だったら、敵にパスを出してしまうかもしれないので、誰かにパスを、ということは考えないで出すようになるのかなと思いました。誰かにパス、でなかったら、どういう基準でパスを出すのかと思い、無意識はふだんの習性みたいだから、ふだんの練習の動きがそのままつながってくるみたいで、そこが練習のたまものなんだろうなと思いました。オシムの元でずっと練習していると、練習の中にそういう動きがたくさん盛り込まれているのかもと思いました。オシムのメニューで練習していないと、体がそういう反射的なプレーはできにくいのかもと思いました。
投稿者:Anonymous | 2007年04月13日 11:30
「マイボール」って、「マイレス」のことでしょうか?(爆)
ブログも含めて、HPの書き込みは、一見個人プレーのようです。
サッカー選手はキャラが濃いというか、「個」が強いイメージがあります。
また、集団の中にいるのが落ち着くという人が、書き込みを続けるようには思えません。
ところが、サッカーはチームプレーだし、このHPは「私は結果」です。
だから、本当はマイボールなんていうものはありません。でも、じっと持っていると「個」がでます。
サッカーでは計算された確実性、書き込みでは完成した作品です。
しかし、フリーキックのような、計算が効く場面や、とりあえず完成させられるお題がそうそう来る訳ではありません。
ワンタッチパスだと、「個」が強い面々でも、結果的に集団プレーができ、プレーヤーも消耗しないのではないかと思いました。
投稿者:yuyu | 2007年04月13日 10:23
ロッコウでコインを振るときみたいだなと
どんな答えが出てくるか分からないけど、とりあえずしっかり振っている自分・・・みたいな
勝負の世界も浮遊しはじめてるようで、コーチとか師匠とかと個の世界が確立していないと、というか上下感に呪縛されていると無意識が自由に働かないのかもと想像です
そう考えるとオシム恐るべし!です
投稿者:ミル | 2007年04月13日 07:20
オシムの「早くパスを出せ。」という指示が試合中になかなか徹底されないとしたら、
それは
>ところで不確実だと相手に取られるという先入観がありそうです。
この辺にあると思います。
だから、ナイスパスを出して、このボールを生かして大事に。。大事に。。
でも、多分、これは今までずっとしてきたことで、これで世界には立ち向かえなかったのだと思います。
しかし、そういう事を捨てて(やってる人達にすればとても難しい事だろうとは思いますが)全体で数でこなそうという意識に変わってきた時、個人技に挑戦ではなく、全体技に挑戦の世界になると思います。
意識対無意識の試合とは、個人技の挑戦対全体技の挑戦という事ではないかと思います。
投稿者:敬子 | 2007年04月13日 06:15
>サッカーに素人の私ですが、0.5秒未満のパスは、意外に取られにくいと思います。なぜなら相手の知覚領域も超えているからです。
相手の知覚領域を超える…誰も知覚届かないところをボールが走るんだと思います。それでもゴールは決まるのだと思いました。私にとっては不確実でも、運命に取っては確実なのかもしれないと思います。なんか…オシムにとって勝敗は既に出ているのだろうかとも思います。自分から…どうにかしようとしてないような…超えたとこで勝負するなんて考えた事がないです。しかしそれが勝負の場の揺らぎをへらして、一点でも多く向こう…時空からもぎ取るのではないかと思いました。オシムの相手は時空だったのかと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年04月13日 00:55
>意識対無意識の試合になるのだと思います
すごい試合だと思いました
意識と無意識が戦ったら意識が負けてしまう感じがしました
念力でえいやと念じてもボールが右に行くから右に念じたが
同時だったら、相手の頭にも右と浮かぶかもしれないと
感じてきました
意識が強ければボールを操れそうだと感じていましたが、
私の頭の中は0.5秒も遅れているならば、
無意識に引き分ける以上したいならば、
無意識になるようにしなければだめな感じがしてきました、
と書いているのも意識に登ってきているならば、
遅しと感じました
無意識はとても手ごわいと感じました
なんとしてもボールに主役になってもらわないと勝てないや
と感じてきました。
投稿者:なんしぃ | 2007年04月13日 00:31

