オシム、サラエボに誕生する
「オシムの言葉(集英社インターナショナル)」からの抜粋です。
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オシムはボスニアの首都であるサラエボに1941年5月6日に生まれた。それはまさに激動の時代の最中だった。生を受けるちょうど一ヶ月前の4月6日、ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻したのだ。ベオグラードを爆撃し、11日で陥落させた。ボスニアは占領軍であるドイツとイタリアを傀儡(かいらい)国家「クロアチア独立国」に編入された。以降、この地ではドイツ占領軍とそれに抗うチトー率いるパルチザン軍との戦いが延々と展開されるのである。
長い抵抗運動の末、オシムが4歳のとき、サラエボは開放された。第二次大戦が集結し、独立したユーゴスラビアの建国とともにオシムは成長する。彼らが暮らすボスニアは、過半数を占める同一の民族が存在しない多民族国家で、ユーゴの中で民族名を冠しない唯一の共和国だった。
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抜粋は以上ですが、オシムの母はオシムに対して、異なる習慣や文化を持つ者を見下すなと説いたそうです。
これは今、オシムが日本の地で、日本人監督以上の「愛国心」を持って監督に当たっている理由のひとつだと思います。
彼が「帰属」するのは、今そのときに関係する国であり、組織なのだ・・と。
[ オシムの過去 ]
2007年05月08日 20:25 | 投稿者:森田 健(もりけん)
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コングロマリット。新ドルフィンホテルはリスクにたちむかえると
成長したすがたかもしれません
そこには同時にいるかほてるは混在していた
表の記事はお決まりのヒーローかもしれません
いちまいめくった本当の中身はドーナツで、わっかの中は空洞かもしれませんでした
背が低くても、きゃしゃでもそのままで
大きな体の前に入りこみ、走ることができるかもしれない
走って死ぬことはない
競技場の芝生にたくさんの墓標の写真
それを体験したからかもしれないと感じました
オシムの母はいるかほてるが見えていたのかもしれない
と感じました
投稿者:なんしぃ | 2007年06月08日 07:37
オシムのお母さんの言葉に心が打たれます。いまや世界の何処の国でもサッカーは浸透しています。オシムが世界の何処の国でもサッカーで生きていけるのは帰属意識がつよいからだと想います。オシム自身が個を脱ぎすてているからこそ、選手に全体的なメイドサッカーを伝えることが出来るのだと想います。厳しいか環境の中で育ち、愛国心が人一倍強く培われたかのようでもあります。そう感じました。
投稿者:じんのり | 2007年05月31日 16:05
私にとって母国というのは、どっしりとして揺れ動くことも変化することもない固定されたものです。それはたぶん戦争もなく平和で安定した生活が当たり前の中で育ってきたからなのだと思います。
でもオシムにとって母国は、私が日本に感じているような固定されたものなど無い、常に激しく動いているものだったんだって思いました。
他民族国家がどういうものか、私には全く分かりません。でも他民族でありながら一つの国として成り立って来れたのは、民族の違いや文化や習慣の違いは比較すれば違うというだけであって、民族に上下など無いという考えがあったからなのかなと思いました。
オシムのお母さんは、その事をオシムに伝えたんだ…って思いました。
投稿者:ぷく | 2007年05月15日 16:43
オシム監督のお母さんの教えは、監督が日本人にあったサッカーを作り上げようとしたり、日本の食べ物をおいしそうに食べたりするところにしっかり生きていると思いました。
とても規模の小さい話ですが、小学校に8年間勤めましたが、その間に3回の転勤がありました。
転勤するたび、新しく勤務する学校と前の学校を比べてしまい、どうしても、よくないと思う面が目に付いてしまっていました。
「前はこうだったのに・・」とよく思いました。
だからたいてい1年目はなんだかしんどかったです。
違うやり方、環境を受け入れることができなかったからだと思います。
オシム監督も、もし自分と違う習慣や文化を受け入れることをしない人だったら、日本の悪い面ばかりが目に付き、また習慣にもなじめず、生活するだけでもイヤになったかもしれないと思います。
監督の故郷では、自分がたどってきたもの、やってきたことを、かたくなに守ろうとしていては、きっと生きていけなかったのではないかと思いました。
オシム監督は日本人以上に日本のことをよく見ていて、よく知っていて、日本を好きでいるように思います。
選手たちも、厳しさの中にもそれを感じるのではないかと思いました。
選手たちがついていくのはそれも理由のひとつではないかと思います。
投稿者:みっく | 2007年05月15日 13:43
オシムのお母さんがどれほど祖国を愛していたかが伝わってきます。祖国の現状を憂えていないはずはないでしょうに、息子に安全圏に脱出さえすれば良いというふうな方法論を説くことなく、根本について考えさせる深さに打たれます。
オシム監督の哲学は、ここから誕生したのではと思います。
目先のことにとらわれず、源から探る視点なのかも知れません。
母国に求める熱い思いを、惜しみなく日本に注がれているのだと思います。
投稿者:ゆくえ | 2007年05月13日 20:26
>オシムの母はオシムに対して、異なる習慣や文化を持つ者を見下すなと説いたそうです。
生きる知恵だと思いました。
そしてそれはまた、自由にも繋がっているような気がしました。
相手を見下すことは、自分で自分の首を絞めて、
がんじがらめにすることと同じだと思いました。
その一方で、自分が帰属するのは、今、いるこの場所なのだ。。
という認識は、
組織における個のつながりを、とても和やかなものにすると思いました。
オシムが日本酒を片手に、さしみをつまむ姿はとても粋で、
私は、
オシム監督を好きになりました。
個のつながりの和やかさは、自由度を増すと思いました。
そしてまた、好きという感情を、相手が抱くことによっても、自由度があがると思いました。
投稿者:あかり | 2007年05月12日 22:03
自分の(国の)習慣や文化といった物さしで、異なる習慣や文化を見るとき、どうしても自分の(自国の)物さしが基準になってしまってるのを思います。それが上から見てる(見下してる)ことなんだと感じました。
幼少期からの内戦を生き抜くのに、自分の(民族の)物さしにしがみついていたら・・・。実体験をもって語られる・・・「異なる習慣や文化をもつ者を見下すな」というオシムの母の言葉は、生き抜くための(命がかかった)言葉のように・・・感じられました。
見下さない(上から見ない)ためには・・・じゃあどうすればいいのか・・・それがオシムの幼少期からの戦争からずっとあったのではないかと。(サッカーもオシムもまだまだよく分かっていませんが・・・)それがオシムのサッカーにも表れているんじゃないか(根底にあるんじゃないか)と思いました。
自分とは違う日本人という民族の習慣や文化だけでなく、(小柄な)体格や、(ねばり強さみたいな)気質や・・・といったものから見て、どんなサッカーができるかを考えているように思いました。違う習慣や文化・・・にたたない限り、日本人監督以上の「愛国心」はないと思いました・・・。
だからオシムは、「今そのときに関係する国であり、組織」に帰属できるんだと・・・思いました。
投稿者:まりん | 2007年05月12日 12:37
他民族国家というのは、極端に価値観の違う人が隣通しに住むようなものなのだと思います。
町のいたるところで民族同士が混ざり合い、生活をしているのだと思います。
そこでは民族の数ほどの正義感がぶつかり合うこともあると思います。
そういうとき、何が正義で何が悪なのか、どこにも正解が無いのを感じるのではないかと思います。
正解を持ってしまえば、それと違うものを不正解と決め付けてしまいます。
基準点を持たずに生きていくことを、母はオシムに教えたかったのではないかと思います。
今、属している国、組織、環境は、そうなるべくしてなったもので、いいとか悪いとかの判断をするようなものではないと思います。
その中で生きることを考えるのが、生きていくことなのかと思いました。
投稿者:よねこ | 2007年05月12日 00:28
オシムは真の意味でナショナリストであると思いました。オシムの出身のユーゴはごく最近まで民族浄化という極端なレイシズムの嵐が舞っていた国家です。オシム出自のクロアチア人をはじめ、セルビア人、マケドニア人、モスレム人、スロベニア人と、南スラブ人として人種は同じで、使用言語も方言程度でしか変わらない民族同士の間でさえ内戦勃発以来、殺し合いが絶えませんでした。ユーゴはチトー元帥の統治下、ソ連のスターリニズムから距離を置いた独自の社会主義国として冷戦時代を生き抜いてきた国ですが、これがユーゴの誇りであり、しかもチトー時代には民族主義が政府から取り締まりの対象とされていたのです!ナショナリズムとレイシズム(民族主義)は同じような概念であると混同されがちですが、チトーやオシムの母上(スターリンを揶揄したかどで官憲に拘置された武勇伝をお持ちです)は自国の習慣や文化への敬愛、そして他民族の習慣や文化への尊重を踏まえたナショナリストであったと思います。オシムがユーゴの監督として大活躍したことも、ナショナリストであった母上からの薫陶を受け、自らも特定の民族主義に組することのないユーゴナショナリストでありえたからであると思います。
そして、今、日本にいるオシムは日本の国柄に合った独自のサッカーを発展させようと、日本のナショナリストとなっています。この大きな仕事は(日本の)民族主義者には出来ない仕事です。「私が、俺が」が極端に集団化したものが民族主義だと思いますが、オシムの仕事はこれを廃し、民族一人一人が駒となることを教化するものだと思います。そしてそれが、民族から国民になることではないかと思いました。
投稿者:おかだ | 2007年05月11日 22:28
日本でいると想像もつかないことが、他の国では珍しくなかったりします。
オシムが体験してきたことをこれっぽっちも私は知りません。
ただ想像するに、自国が二転三転する時ものすごく価値観が揺さぶられたのだと思います。
不当だと感じる扱いを受けたかもしれません。
今までの価値観が崩壊することはとても不安だし、立脚点を失うと思います。
自分ならば立ちすくむだけでオロオロするだけに思えました。
そして過去にすがれない、今しかないという気持ちに嫌でもシフトしないと生きていけない気がしました。
オシムのお母さんはそう実感したからこそ、その時々の周りの環境や価値観を受け入れるように必死だった。
だからオシムに対して、今いる場所や環境を受け入れるように言った気がします。
依るべき過去も夢見る未来も無く、ただ今しかないというのは、非常に不安定かもしれません。
でも反対にだからこそ現在いる場所について自分の場所としての覚悟ができるような気がしました。
投稿者:でるた | 2007年05月11日 15:17
文化や習慣を同じくすることや違うことよりも、自分の「今ここ」に居るところへ帰属するのがオシムのような気がしました。
人は民族的な背景を抜きにしても、違うことに適応したり受け入れたりするのは難しいと思います。常に自分という視点軸があるからです。
自分の持っているものではなくて、そこに在るものに適応していくこと、自分の立っている場が彼は帰属すべき共同体なのだと思いました。
人は好むと好まざるも、いづれかの集団に帰属すると思います。共同体は、時代や体制とともに変化したりします。今現在のオシムは、自分の意識が集中する日本という運命共同体に帰属していると思いました。彼の熱さからそう感じました。
投稿者:Yk | 2007年05月11日 05:16
テレビで日本代表の試合後のオシム監督へのインタビューを初めて見た時に感じたことなのですが、インタビューをするテレビ局の男性がなにか緊張しているような印象を受けました。
今までの歴代の監督や他のスポーツではあまり感じたことのないものでした。
今までのブログを読んでいたからかもしれませんが、その緊張感というのは、うっかりアホで間抜けな質問をしてはいけない、頭でよく考えてから聞かなくてはというようなものでした。
サッカーのマスコミ関係者はオシム氏がこれまでくだらない質問に対してバッサリ斬っている問答をみんなよく知っているから、そしてもちろん斬られた当事者だからかなと思いました。
この緊張感は対等だからこそあり得るのだと思いました。
オシム氏と同格でサッカーについて語れる人は世界でも希少ではないかと思います。
しかしオシム氏が自分の方がはるかに上であり、相手は知らないんだからしょうがない、というようなスタンスだったらあの緊張感は生まれないと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年05月10日 22:54
ヨーロッパは国境が地続きな分、民族意識が強いように思いますが、しかし、両親の民族が異なるケースも多々あると思いますし、民族や国に自分の帰属を求めると泥沼になりやすいと思います。
しかし、そのように簡単に言ってしまえるのは、日本が海に囲まれた、一度も侵略を受けたことのない単一民族国家であるからであって、多民族国家や地域に住まう人たちの気持ちには計り知れないものがあるのだろうと思います。
国や民族の争いによって自国を引き裂かれた経験を持つオシムにとって、人の出自や文化、習慣よりも、今関係する国や人、チームが大事であり、だからここまで精力的に日本のサッカー界に情熱を注いでくれるのではないかと思いました。
投稿者:くるみ | 2007年05月10日 13:42
日本は国境が陸地にあるわけでもなく、他国との境界線が海があることによって
はっきりしている国だと思います。
それは、スポーツの種類でいえばテニスやバレーボールの
ようにネットで相手と自分の境界がはっきりしていて
混ざるということがありません、
でも、サッカーやバスケットボールのように一つのコートの中に
自分チームと相手チームが境界線もなく混ざる状態というのは
ヨーロッパのように国境が常に変わってきて、
紛争や大戦で国事態が混乱した状態がコートで繰り広げられているようなところが似ているように
思います。
スポーツではなく実際に境界線が混乱し、それに関わってきた
ことを体験した人のサッカーの試合に対する感覚や帰属意識と感性というのは違うのかもしれないと思いました。
異なる習慣や文化について母親の言葉として言っていますが
サッカーにおいてもそう自分に言い聞かせているの
だとすると、
習慣性やクセみたいなものの集団性について
視点が女性的な柔軟性をもっているのかなと
思いました。
投稿者:こっこちゃん | 2007年05月10日 01:13
とてもすばらしいおかあさんに育てられたのだなと思いました。
ボスニア・ユーゴ・クロアチアはその後もずっと紛争は続いていたので戦争の怖さや愚かさは、私などの理解をはるかに超えたこもだと思いました。
日本代表を選ぶときや、試合スタイルとか練習とか、代表を勝ち抜かせるということより、今、監督をしているチームの監督になること、自国でないけれど自国でもある(日本という)国も監督をすることが今であり、自国のチームなのだと思いました。
投稿者:935 | 2007年05月10日 00:49
オシム監督が千葉に住んでいることや、
自分でさばいた魚を肴にして日本酒を飲むとゆうのを
思いだします。私よりも、日本に深くつかっているような
そんな気がします。でも、単に日本を贔屓にしているとか・・
そうゆうわけではなくて、「帰属」と書いてありましたが、
自ら入っていって、その国の文化や習慣を大切にするのでは
ないかと思いました。
監督は、別の国の監督になったら、全然違う戦略で
チーム作りを行ったかもしれないんだ・・と思いました。
選手を駒のように扱うのも、日本人に深く根付いている
性質のようなものを考慮したのではないか・・と思います。
もしそうであったとしたならば、それは監督がいま関わって
いる日本とゆう国に「帰属」することで、見えてきたこと
なのではないかと思います。
帰属するとゆうのは、まるでお母さんのお腹に帰ってゆく
みたいに・・深いところまでいって繋がる、とゆう感じが
します。
投稿者:こはな | 2007年05月09日 21:04
祖国ってなんなんだろうかと、思いました。オシムの生まれたところは祖国のくくりが激変してるところだったのだと思います。私は祖国に自分をかさね、すごく大きな部分を「私は日本人」だとおもって生きています。また異なる習慣に敏感だと思います。私は習慣なのか文化なのか、人ってなんなのか…と思います。オシムの生まれたところは昨日の敵は今日の友、昨日の友は、そして今日の…いったい誰なのか、そこで私は何なのか…ここはどこなのか、どこになるのか…想像だけでも深いため息が出るみたいな気持ちになります。(決してその底はいるものにしかわからないだろうに、おこがましくもそう思いました。)私の愛国心、日本を私のよりどころとするような愛国心、帰属の心とはちがうんじゃないか…と思います。そこでは寄り集まった者同士その場を、精一杯、今をやってくしかないんじゃないかと思います。ファンタジスタなんてどうでもいいんじゃないか、またその逆で非ファンタジスタみたいなのもそうなんじゃないか…今ここに集ってる人間だけ、流れの中に必死で手を繋いでる人間だけをみたらどうなのか、どうにも単一思考の私とはぜんぜん違うんじゃないかと感じます。いつも文だけよんで分かった気分になるけど、オシムのサッカーって深いどうしようもないところから湧き上がってきてるんじゃないかって思います。そこに見えるのは粒の揃った単一思考の駒じゃないんじゃないかと思います。そして熱くて必死で手をのばして、なんどきれても繋がろうとしてるんじゃないかと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年05月09日 14:09
見下したとたん、その人とはつながることができなくなるのだと思いました・・
見下す・・と言う視点が出てきてしまうのは、相手のことを良く知らないからだと言う気がします。
相手より、優位に立ちたいことだけが、見下す理由にはならないような気がしました。
(それもあるのかもしれませんが・・・)
オシム監督のことは詳しくありませんが、彼を見ていると、自分のためにやっていることが、全体のためにやっていることにつながっているような感じがします・・・
そのとき「帰属」している組織や関係者というのは、周りの環境でもあると思いますが、オシムは周りが変わっても、自分が向き合う姿勢は変わらないのではないかと思いました。
投稿者:独楽 | 2007年05月09日 14:08
ps 選手が武器をもって戦う者だとしたら、銃後で戦う民間防衛を実践する市民がサッカーにおけるサポータにあたるのではないかと思いました。CLの試合などを見ていると、ミランの選手が試合前に、「自分たちもピッチの上でがんばるから、みんなも声を限りに応援してくれ。このあいだアウエーでオールドトラッフォードでの応援は本当に凄かった。こんどはサンシーロで自分たちが勝つためには、ああいう応援が必要なんだ」とメディアを通じてサポータに呼びかけていました。サポーターはやはり12人目の選手だと思いました...。
投稿者:Anonymous | 2007年05月09日 06:46
「異なる習慣や文化を持つ者を見下す」というのは、現実に差別という形であらわれることもあるし、心の中だけにとどまる場合もあると思います。
それは相手よりも自分が優越的であるということを確認したいのだと思います。そうだとすれば、その考えを外に出して、自分ひとりで自分の優越を確認したとき、逆に相手に否定されると、差別する側の自意識としてはかなりマズいと思います。よって、集団で、相手に対して示威的に、差別的行為を行う場合が多いと思います。それで確認がなされれば、人は一般的に落ち着くのだと思います。
ひとりで相手に対して差別的な意識を持ち続ける場合は、それがいつまでたっても表出されない場合、自分が本当に相手に優越しているのかどうかいつまでも確認できないでとどまると思います。「そうだよね、おれたち、あいつらよりエラいよねっ」という確認が外部からなされないのに、ずーっとその意識を持ち続けて、長年にわたって、かなり歪んだ形で色んな行動に出てきたりするのではないかと思います。
集団でも個人でも、結局、自分を守りたい、もっと正確にいえば、ひとりの個人の自我の脆弱な部分(そしてそれは人からみればたぶんどうでもいい部分)を絶対に守りたいという意識だけで、内にも外にも、生体で言えば細胞レベルでのエラーのように、果てしなく増殖を続けていくのが「差別」という意識だと思います。
この場合、このような狂ったサイクルやエラーの修正にあたるのが、レジスタンス(含む 無抵抗)という活動だと思います。差別が集団で行われる場合もあるのに対して抵抗活動は基本的には個人のレベルで行われるのだと思います。すなわち、防衛とは民間防衛であり、基本的には軍人以外のひとりひとりが、飲料水は大丈夫かとか、日ごろから病気に対する抵抗力を高めるだとか、有事の際の隣近所との連携はどうするのかとか、プロパガンダには意識レベルでどう抵抗するかだとか、混乱の中で最低限めざすべきことは何か、結局は大事なのだと思います。
ただ、私はここまで書いてきてレジスタンスというのも、差別という狂ったサイクルの「部分」として生じているものだということに意識が向きました。
結局、差別の前段階で、「異なる習慣や文化を持つ者を見下す」などのエラーを早期に修正していくということと、現実の世界では、エラーにエサを与えない、あるいは、そのようなエラーは現実世界とは切り離された実験室の中だけでという何十もの遮断をもうけるということなどが大事なのではないかと思いました (ただし、これにとどまるものではありません)。
投稿者:ぴより | 2007年05月09日 06:28
オシムの生まれた国の状況については、
オシムの話題を出した時に
主人が話していましたので、
(特にサッカーファンではないのですが)
無知な私でも、なんとなく聞いていました。
とはいっても状況がよくわかるわけではないので
オシムの母の言葉から思うのは、
習慣や文化が違うと人はその相手を見下しがちだと
いうことだと思います。
そこには、相手を理解しようとか受け入れようとか
いう心が失われがちで
そういうことをなくすことで、
ごく見近にいる、異なる習慣や文化を持つ人と
仲良くやっていこうとしたのではないかと思います。
それは生きる知恵であったのではと思います。
投稿者:敬子 | 2007年05月09日 01:39

