金儲けのためにサッカー選手になったオシム
本の抜萃です
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オシムは13歳でサッカーチームに入った。最初の数週間、シューズを買うお金が無く、裸足でプレーしていた。練習試合でゴールを決めたとき、ユースの監督からスパイクをもらった。
サッカーと同様にオシムは学業も優秀な学生だった。特に数学に秀でていた。妻のアシマとの馴れ初めも、知人の紹介でオシムが彼女の数学の家庭教師をしたことがきっかけだった。
少女アシマは驚いたという。
無骨そうに見えた大男は難解な数式をものすごく分かりやすく、簡単に教えてくれるのだ。
「当時から人にモノを教える才に長けていた」とアシマは回顧する。
母親はオシムを医師か大学教授にしたかった。実際、サラエボ大学から大学院に進んで、数学の教授にならないかという誘いもあった。
それでもサッカー選手への道を選んだのは、家庭の事情だった。
オシムは次のように言っている。
「家族全員が父の年金だけで暮らしていくのはできなかったので、それなら僕が何とか稼いでくると言って、サラエボのチームに入団したのだよ。そのチームが払う奨学金は父の年金の三倍だったからだ。最初は大学に行きながらプレーをしていた。そう、専攻は数学。ロジカルに考える習慣がついた。誰を誰のマークにいかせるか考えて、足したり引いたりする。それでも最後は11人。まあ、数学の教授にならないでサッカーの選手になったのは私が人生で最初に冒したリスクだ。両親は大反対した。プロがどうなるとも分からないし、怪我をしたらそこでおしまいだから」
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数学の教授になるかサッカー選手になるかを迷う人は、おそらくオシムくらいだと思います。
世界が全然違います。
しかし監督になった今は、それが両方生きていると思います。
まさに監督になるために生まれてきたようなものだと思いました。
オシムは監督は似合うが、選手は似合わない(笑)。
そんな感じがします。
そして選手になる動機が「サッカーが好きだから」ではないのが、イケています。
好きなことをしなさいと言う人は、本当に多い・・。
しかし彼は経済(金儲け)のためにサッカー選手になった。。
動機としては最悪です(笑)。
もしも好きで始めていたら、監督にはなれなかったと思います。
[ オシムの過去 ]
2007年06月17日 14:59 | 投稿者:森田 健(もりけん)
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かつて大昔の数学は今よりももっと実用的だったと聞いたことがあります。
たとえば古代の数学における長さは、モノの長さとしてしか考えられていなかったそうですが、ある時期に、ブツから切り離された「二点間の距離」という抽象概念としての「長さ」が一人歩きをはじめたそうです。
こうして定義づけられた長さは、「公理」ということになるのだと思います。
公理というのは、大前提ということだと思います。
しかし、物理が量子の世界まで踏み込んでいけば、二点間の距離という場合の二点がそもそも怪しくなってくるということも起こるのではないでしょうか。そうすると「長さ」とは何か?
時間的な長さと空間的な長さを同じように捕らえているけど、それは錯覚にすぎないのではないか・・などなど、どんどん怪しくなってくると思います。
抽象観念は、一見して美しく、ピュアで静的な真理のように見えますが、
実際は、過去がべとべとまとわりついているというか、
まるで生まれ変わりの村で「私」の定義が怪しくなってきたように、
長さや距離という定義も、とてもあやしいのではないかと思います。
オシムが数学をやめてサッカーにいったのは、お金のためだったそうです。
サッカーにはボールが必要で、ボールは数学の二点間をころがるようにはきれいには転がってくれません。
オシムが数学者であったならば、旧体制から生き残れなかったかもしれません。
ブツとしてのボールから、たえずフィードバックすることでオシムは生き残ってきたのではないでしょうか。
「ボール」と「点」とどっちが先に在るかといえば、やはりボールではないかと思います。
でも、意識はたえず点へと進んでいこうとするようです。
それでもやっぱりボールは超えられないというところがあるのではないかと思います。
投稿者:LB | 2007年07月27日 15:36
動機が大事とかよく言われたり、最初のコンセプトがものを言うなどと言われたりします。
だとすれば、サッカーが好きだという場合、大体がプレーをするのが好きであり、プレーをする選手になりがたると思います。
最初から監督やコーチを望む人はほとんどいないと思います。
プレーをすることが好きであれば、それに固執していくでしょう。
ということはピッチの上での選手という視点でしかモノが見えず、いきなりわけも分からない状態に陥った時に切り替えができなくなると思います。
選手もそうですが、監督は場面場面での采配が問われると思います。プレーが好きな状態で監督の位置に来ても、見ようとするフィルターが選手のままなら監督は務まらない気がします。
金儲けのために選手になったら、引き際も切り替えも速いでしょう。
好きであればしがみつくと思います。
一つの視点にしがみついてそれで人生が終わる気がしました。
投稿者:でるた | 2007年07月03日 19:34
大学教授というと安定職という感じして、そこいくとサッカー選手は怪我したりもするし、体力的にも教授よりはるかに若いうちに引退もすると思うので、先行き不安定な感じします。選手になってしまったら、やっぱりやめて教授ってわけにはもういかないと思うし、大きな決断という気がします。かたや建物の中で、かたや外でプレーという環境的にもすごくちがうなあと思います。でも、監督になったら、教授的なところと、数学もサッカーとうまく結びついて、両方がちょうど合体したみたいで、これ以外ないって感じになったんだなあと思いました。選手になるときは、きっと未来に自分がどうなるか、監督になるなんてことまで考えてもいなかったのではと思いますが、運命はうまいことできてると思いました。
投稿者:Anonymous | 2007年07月03日 09:54
サッカー選手は才能があれば、高い年収をもらえるのだろうと思いますが、それでも、オシムも言っているように、ケガをしたら終わりです。私は昔は、スポーツ選手とだけは結婚したくないと思っていました(今は、そんなことを考えること自体無駄だということをわかっていますが)。だって、本当にケガをしたら終わりだと思うし、大抵のスポーツ選手は子供の頃からスポーツ一筋で世間のことを知らないから、もしケガをして選手をやめることになったらつぶしがきかないと思っていたからです(最近はそうでもないようですが)。
ですから、サッカー選手と数学教授なら、数学教授のほうがいいんじゃないかと思ってしまうのですが、でも、教授になるまでにお金がかかるのだろうと思うし、サッカー選手のほうが若いうちから大金を稼ぐことができて、家計の苦しい家に育ったオシムにとってはよかったのだろうと思いました。
それはある意味、環境によって決められてしまっていたとも思います。でも、監督になることで、数学のロジカルさとサッカーの両方が生きています。
トラさんなんかもそうですが、「自分の好きなこと」を通すよりも、運命に対してメイドであるほうが、あとあと、いろいろなことが生きてくるのかもしれないと思いました。
投稿者:くるみ | 2007年06月29日 17:16
オシムは外側の環境に併せる様に稼ぎのいいサッカー選手になることを選びます。家庭を大事にするオシムは母親の奨める大学教授になることを蹴ります。安定を求めていれば迷わないのかもしれません。しかし、オシムはいつもどんなときでも問いかけているからこそだと想います。ギリギリの環境の中での選択です。神風の様な感じを受けます。だからあの試合で試すことが出来るのだと想いました。
投稿者:じんのり | 2007年06月28日 21:31
数学の教授を捨ててサッカー選手をとったのは、すぐお金になるからというのもあったのかなと思います。
平和な国ではないので、先々の安定性など保証されていないのではないかと思いました。
そして、大学で数学を学びながら同時にプロとしてサッカーをやるという状況は、毎日同時進行することで数学とサッカーが結びついて、今の監督業に生きているのではないかと思いました。
数学をサッカーに置き換え、サッカーを人生に置き換え、
オシムはいろいろな断面に人生を見ることができるのだと思いました。
投稿者:よねこ | 2007年06月28日 00:09
この世で金持ちだった人は、あの世でも金持ちだと言う証言があったと記憶していますが、だとすれば、この世での自分の何かがあの世へ持ち越されているという事がいえるのかもしれない・・という気がしました。
この世で強く形成されてしまった何らかの意識は、それがたとえば、「お金がない」という意識だとすれば、あの世に行ってもそのとおりのあの世を経験するのかもしれません・・。
この世の意識は、0.5秒遅れますが、この世で作られた0.5秒後の意識があの世に行ったときに逆に作用しているのかもしれないという気がします・・。
あの世で着る服というのが、生前の意識を意味しているような気がしてきました・・。
今までは、好きなことをやれば、お金が後からついてくる・・ということだとばかり思っていました。(汗・・)
なので、動機が経済のため・・・・というのを読んで、正直一瞬「えっ・・汗」と思ってしまいました。
でも、やっぱり、オシム監督はサッカーが好きなのではないかと思います・・。
好きなサッカーのことなら、普通の人がやらないような嫌なことや辛いこともやったのではないかと思いました。
投稿者:独楽 | 2007年06月27日 20:55
「サッカーは銭や!」と
お金を稼げるほどの技術をもっていたオシムはやっぱり
才能があるんだなと思います。
お金めあての人はたくさんいただろうけど、この年齢になっても
監督業として現役というのは、
数学的思考によって雪かきみたいに監督をしているのかも
しれないと思いました。
自分が学生の頃の地元のサッカーが一番強い学校は
理数系の強いトップクラスの進学校でした。
サッカーというのは頭をすごく使うのかなと
その時思っていましたが、
オシム監督って、ほんとに頭がいいんだなと
エピソードを読んでびっくりです。
奥さんとのエピソードもイケています。
個人教授だったんだー♪
数学じゃないことも教えてしまう
オシム監督は、
家庭教師によって得られるアルバイト代よりも
大きいものをもらっちゃった(奥さんのことです)
んだとすると
リスクをおかしても欲しいものは
しっかりゲットしていくタイプなのかなと
思いました。
投稿者:こっこちゃん | 2007年06月25日 22:44
フシケンHPを読んでいなければ、なぜ好きな数学に行かなかったのだろう、サッカー選手になったのはお金が目的だったなんて・・と思ってしまっただろうなあと思います。
好きなことが仕事になれば・・仕事にはお金よりも夢と希望がほしい・・・そんなことを以前は思っていました。
オシム監督にとって、サッカーは、好きという、自分の中の「私」がバリバリに出てしまう対象ではなかったことが、これだけ広い視野を持ってチーム作りをすることにつながってるのではないかと思います。
さらに教えるのが上手とのこと。きっと数学教授になっても、うまく教えてくれる教授として評判になったかもしれません。
今から振り返れば、数学的な考え方も、教え方が上手なことも、サッカーの監督業をするのにぴったりだと思えます。
オシム監督は、昔からサッカー選手を夢見てサッカー界に入ったのではないですが、夢や希望なしに入ったからこそ、途中で挫折したり絶望することなく、ここまで続けられてここまで没頭できるのかもしれないと思いました。
>難解な数式をものすごく分かりやすく、簡単に教えてくれる
というところを読んで、難しい本の内容や難しい話題をやさしくわかりやすい文章で書いてくださるもりけんさんと同じだ…と思いました。
今これだけ必死でやっているサッカーが好きで始めたのではない・・というのも、もりけんさんに似てると思いました。
投稿者:みっく | 2007年06月22日 16:49
好きなことは、好きなようにして工夫していこうとか、それを自己満足で終わらせてしまうようなことが多いような気がします。
好きという満足レベルでは、多くの人を納得させるようなことができないと思います。
お金を設けるという作業には人にサービスをするという人を納得させることも含まれると思います。人に伝えるということには、自分でするよりワンクッション入る面倒な作業です。好きなだけでは、つづかないように思いました。監督ならその作業の連続です。正当な対価がなければやってられないと思いました。
特に好きではないのですが、とても古いバンドですが、レッド・ツェツペリンというバンドがありました。彼らは、セールス的に記録的に大成功を納めたバンドなのですが、始めたときにリーダーのジミー・ペイジは、みんなこんなアイデアでバンドして大儲けしないかとメンバーを集めたそうです。(笑)私はこの話がとても好きでした。そういえば、へミシングという言葉を知ったのも彼のアレンジの仕方からでした。
投稿者:yk | 2007年06月22日 10:09
↓失礼しました、下記投稿、名前が抜けていました(汗)
投稿者:おかだ | 2007年06月21日 22:18
昨日、「試合の前に勝敗は決定されている」の箇所へと間違って投稿してしまった書き込みをこちらへ再度投稿させて頂きます。
数学の教授にならないでサッカーの選手の道を選択したオシムのエピソードにより、現在の「カミカゼシステム」の源流を垣間見ることが出来るような感じがします。オシム自身が「人生で最初に冒したリスク」と言われているように、学生時代からオシムはリスクをはっていて、両親が言われるように怪我をしてはどうなるか分からない世界に敢えてカミカゼをしました。
オシムの凄いところは数学者になれる程のロジカルな思考が出来る人でありながら、敢えてどうなるか分からない世界へとカミカゼをするところです(汗)。ロジカルに人生を考えるなら、教授になる道を考えてもいいと思います。また、ロジカルに考えるなら、教授以外の道なら、好きな道として、自分が好きな世界としてサッカーの世界に飛び込むことになると思います。
それでも、金儲けのために、経済的な理由でサッカー選手になることを決めたそこにはまたオシム一流のロジカルさがあったのだと思います。「サッカーが好きだから」という理由でサッカー選手になることは、オシム的にはロジカルなことではなかったのだと思うからです。「好きだから」という理由でサッカーの道を選んだのであれば、今のオシムは無かったと思います。
投稿者:Anonymous | 2007年06月21日 22:17
オシムさんがやりたかったのは数学者や数学教授だった。でも本当に家計が苦しかった。で、収入の面からサッカー選手が一番だったのだと思いました。長けていたとはいえ、収入優先とはなんだかサッカーは距離おいてみる俯瞰観察視点に立ってるなと思いました。普通サッカー選手ならプロになる理由はサッカーに埋没没頭するためだと思います。サッカーの内側の視点です。引退して監督になっても選手と同様なフィールド内視点であることは多いんじゃないかと思います。オシムさんは数学的センスとその離れた視点はまさに監督が天職のようにおもいました。サッカーは参加ではなく観察するものだからあの膨大な視察量を生じてると思いました。
投稿者:テクノン | 2007年06月21日 18:48
サラエボのチームに入った直接の動機は、高い奨学金だったかもしれないですが、
安定した収入ということでいえば、大学教授だと思います。
オシムは,サッカーが好きだったのだと思います。
それで続ける方法、周囲が納得しやすい方法として、
高い奨学金の出るチームを選んだのではと思います。
好きだからこそ、リスクを冒して,サッカーの道に進んだのだと思います。
投稿者:敬子 | 2007年06月20日 06:29
1つ前のブログで、オシム監督が、
「サッカー以外にやることがなかったからだ。
ボールは靴下の丸めたものだった。
おかげで、すごい技術と感覚が身についたよ。
まあ、サッカーをやるのは、時間つぶしでもあったんだ。」
という話をきくと、好きとか嫌いとかは感じられません。
そのおかげで、ボールを扱う技術は、
相当優れていたのではないかと思いました。
さらに、数学が秀でていた学生で、
ロジカルに考える習慣がついた、のも、
すごいと思いました。
スポーツを始めるきっかけは、いろいろあると思いますが、
サッカー以外にやることがなくて、
時間つぶしで始めた・・・
というのは、日本では考えられません・・・
日本では、子どものころサッカーを始めて、
好きで続けて、だんだん上手になって、
他の人よりも抜き出て上手になった人が、
サッカー選手になれる・・・ような感じですが、
オシム監督の生い立ちでは、
時間つぶしで始めたサッカーが、
将来、金儲けの役に立った、
上手な教え方やロジカルな考え方で、監督になれた。
というような感じがしました。
「GOAL」の映画で、父親に大反対された選手のように、
両親は、安定した仕事(数学の教授)に就いてほしかった
のだと思いました。
投稿者:もりりん | 2007年06月19日 16:32
数学的論理的・・・という思考と、精神的心理的・・・という思考は相容れないような思いこみが私にはあります。
方程式に代入して解を得ていくデジタルな作業に、プラスαが入ると・・・解は出なくなるんじゃないかと・・・。
でも、オシム監督は数学的論理的であるだけでなく、精神的心理的なプラスαまで組み込める頭脳をもっているような・・・ことを思いました。
今日のブラックホールで取り上げられたオシム監督のインタビューで、99.99%とか1000の理由とか明快な数字で例えたり、スペシャリストとポリバレントのバランスとか、日本の事情だけでなく対戦相手がどうか、どんな気候や場所か・・・といったあらゆる要素まで計算し尽くしてることなど・・・すべての答えがとても明快な論理で計算されて、わかりやすい例えを交えて展開されています。いかにも数学的な頭脳を感じます。
それでも、その中で精神的なメンタル面について言及している(メンタルの準備をいかにするとか、プレーのクオリティ以外の人間的な要素も関係してくるとか・・・)のを思いました。そこまでも視野に入れてるのを感じます。それは、まるで数学的論理的な思考に、精神的心理的なプラスαまで組みこんだような思考法・・・を思いました。
以前もオシム監督が「自分こそ選ばれるだろうと思っている選手に対して、出発直前に“あなたは行きませんよ”と進言するのは、人道的にはマイナス。もっと早い時点で23人にした方がストレスは少なくて済むが…。その方が集中はしやすい」とコメントしていて、7人の予備登録選手のモチベーションを計算に入れているのを思いました。
今まではスッと読み流してきた記事でしたが、ブログの中で、数学的な頭脳・・・というのを思ったとき、オシム監督の頭脳はそこに(数学的という思考に)とどまらないような・・・感じがしました。精神的なメンタル面までも組み込むような・・・超数学的論理的思考法ともいえるような・・・ことを思いました。
投稿者:まりん | 2007年06月19日 13:03
運命が外側から制御されている例の一つのように思いました。自分の意思や趣向で行動できる割合は人生の中でほんの数パーセントだと思います。ほとんどは「~しなければならない」状態に縛られていると思います。
オシム監督の環境はとても厳しいもので選択の余地がなかったというか、家族のためという気持ちが強くならざるおえなかったと思います。自分のためというより家族のためという状況のほうが人はより制御を受けやすいような気がします。
数学とサッカー・・・大きく違った分野のように思えます。
家族という視点がなかったらオシム監督はどちらに進んだのかなと・・思いました。どちらにも完全に入墓することのない視点を持ってたのかなと思いました。
投稿者:なみ | 2007年06月19日 06:59
オシム監督の奥様が言われるように、数学にはたいへん長けていたのだと思います。
いわゆるオシム監督の才能でもあったのかと思います。
その才能を家庭の事情があったとしても、生かす道を選ばれなかったのは、オシム監督の個性の積み上げを自ら壊したような感じがします。
また、教授よりサッカーをしたことは大きなリスクだったと自ら言われているように、教授になるほうが安定していることを知っておられ、それでも外側の現実に体を向かれたように感じます。
個性より外側の現場に対して身を乗り出したように思います。
家庭の事情を自分でなんとかしようとする行動も、そのために経済的に有利なサッカーで稼ごうとされたこと、また奥様が言われるように教えもうまかったことや数学に長けていたことなど、さまざまな要素からオシム監督はほんとに指揮官にふさわしい人なのだと思いました。
自分の才能を生かさず、自らが外側(現場)に身を乗り出すオシム監督であるから、すごい指揮官でおられ、サッカーのことや選手のことを身を乗り出して大事にされる監督なのかと思いました。
投稿者:しん | 2007年06月18日 23:48
選手時代に何度も優勝を導いてMVPとかで華々しい活躍をした人と、全国をあちこちちび周り、試合をコツコツと視察している人とは結びつきません。
華やか現役選手の実績を持つ人は、世間の人々の記憶に○○選手だったと残っていれば、その後の人生はその遺産で食べているのであって、現役を退いた残りの人生はおまけなのだと思います。
だから外側にタイトなスケジュールを課してそれに自分を合わせるなどということはしないのだと思いました。
「好き」でやっていることなら、努力と根性と熱意でなんとか乗りきれるさと決め付けるのだと思いました。
オシム氏はなんとかなるさを徹底的に排除しているのは、数学教授の道をすっぱり断ったことと同じではないかと思いました。
数学教授の道をサッカー選手に失敗した時の保険にしなかったことで、さらに不確定要素を捨てていったのかなと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年06月18日 22:48
オシム監督が教授ではなくサッカー選手を選ばれたのは、自分より家族を、安定よりリスクを取られたのだと思います。
好きというのは、職業選択の条件ではなかったのだと思います。
気持ちなど個から生じるものは個にとって、一番わかりやすく抑えがたいものかと思います。
オシム監督はそれを採択するのではなく、個ではない外側に決定理由を求めたように思います。
オシム監督のサッカー哲学は、数学的論理性によるもののようです。
数学をサッカーに導入され、サッカーより実は数学がお好きなのでは・・・とはとても思えない、オシム監督はこの世の誰よりもサッカー漬けの方だと思います。
きっとオシム監督は、当時からサッカーを意識より無意識で好きだったのではと思います。
表面ではそれほど認識されることはなくても、無意識層の深いところでサッカーをずっと愛してこられたのだと思います。
投稿者:ゆくえ | 2007年06月18日 20:58
監督のタフさ(あちこち試合を観戦しにいったり)は選手よりも
すごい運動量のような気もします。
監督の戦方は、ただ座って指示を出すだけでは
なく、事前に色んなデータを集めて、どんどん数式の中に
放りこんでいって、解答(結果)を導き出しているみたいです。
まるで数学者みたです。
どんな状況でも、どんな組み合わせでも・・
頭と体をフルに使ってギリギリまで計算して
結果を導き出しているのかもしれません。
ほんとに両方生かされている。。と思います。
何かほんとにすごい監督が日本のチームの監督に
なったんじゃないか。。と思います。
好きで監督になったひと大きく違うのではないか・・と
思うのは、監督の「定義」のようなものがないんじゃないか
とゆうことです。
監督はこうあるべき・・とか、そういったものを超えて
指揮を取っているのではないかと思います。
その原点が「お金儲け」かもしれません。。
監督は「現実的に」いちばん何が必要か・・を
頭と体をフルに使って考えているのだと思います。
ほんとにすごく優しいひとなんだって思います。
投稿者:こはな | 2007年06月17日 23:10
オシムが数学教授として教壇に立つ姿は想像出来ます。意外な感じはしなくて、とても様になりそうです。
でも少女に数学を教えるオシムというのは、想像をするとチョット意外な感じがします。でもとても穏やかに優しく教えてくれたんだろうな…って思いました。
難しくて全然わからなくてお手上げのものを、それについて詳しいと言われている人に質問した時に、馬鹿にするわけでも見下すわけでもなく、真剣にとても分かりやすく教えてもらえたことがあります。その時は嬉しかったし、この人は詳しいだけじゃなく、いっぱい考えてきたんだ、だからこんなに分かりやすく説明することが出来るんだって思いました。
オシムも、そうなのかなって思います。
サッカーが大好きで、しかも大の得意の人がプロを目指すのだと思います。そういう人が殆どなのだと思います。
それがサッカーではなくても、大学にまで通えて教授への道まで示されていたら、そちらを選ぶんじゃないかと思います。もしくは、ただ大好きだというだけでその道に進む人もいると思います。
でもオシムはそのどちらも選んでいません。
大学に通って教授になるまでには、経済的な苦労は大きいと思います。でもしばらくの辛抱だと考えてその道を進むことだって出来たのに、オシムは家族に苦労をかけることを選ばなかったのだと思いました。
好きで始めたのではなくて、それしか出来る遊びがなかったから始めたサッカーと、たぶん良く出来ただけじゃなくて好きでもある数学は、全然繋がりはないように見えても繋がりがあったのだと思いました。サッカーの中に数学的な要素を見つけていたんじゃないかと思います。
だから、選手時代から監督のように選手の配置とか動かし方を考えることが出来たのかもしれないと思いました。
投稿者:ぷく | 2007年06月17日 22:44
>動機が「サッカーが好きだから」ではないのが
テレビでGOAL!を見ました
サッカー好きな青年の話かと思っていたのですが
違う感じがしました
少年の頃、逃げるときとてもドキドキしたときにサッカーボールを
見たから、サッカーボールに恋をしたのかもしれない
と感じてきました
映画の中で青年は裕福ではなく、お父さんのようには生きたくないとセリフがあったので、
今、オシムと何かつながっているかもしれない
と感じてきました。
映画の中の青年は言い訳をしないことで運が上がっていった、
周りが彼をほおっておけなくなった感じがしました。
オシムはとても大きなリスクをおかしたこと
が、そのリスクが大きすぎるので、あまりにも
メイドを志願する兵士のような選手に恵まれるようになっていった
気がしてきました。
投稿者:なんしぃ | 2007年06月17日 21:28
>まあ、数学の教授にならないでサッカーの選手になったのは私が人生で最初に冒したリスクだ。
博打だと思いました。奨学金はお父さんの年金の三倍だけどその後とかどうなるかわかんないよなとおもいました。危ない方に進んだとも思えます。好きかどうかも…選択肢にないよなと思いました。
先日、中村俊輔選手が朝のテレビ番組でトークしてるのを見ました。小学校時代だったかの試合の映像が流れて、このころはJリーグとかもなくて目標にするものの無くてただ好きでやってたんだ、というようなコメントがあったと思います。プレーはもう華麗だった気がします(録画してないので記憶がたよりですが)両者はちがうなと思いました。好きでサッカー一筋というのと、あれこれやって危険を選んだというのと、なにか同じサッカーでも成り立ちが違うよなって思います。
オシムはサッカーそのものを好きなわけではないのかもしれないです。しかしサッカーをずっと紐解いてるのだと言う気がします。それは好きじゃないから。あばたもえくぼとか、恋は盲目とかないんだと思いました。いつだってなんじゃこりゃ…という所にいて、サッカーに何かみえてるものをロジカルに考えてみたり、長距離移動したり、追っかけてるんじゃないかと思いました。サッカーに見え隠れしてるしくみをずっと追いかけてるのではないかと思います。そういうのが監督なのではないかと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年06月17日 21:19
オシムはいろんな角度から(経済的に)制御されて監督にまでなったのだと思います。
自分も競艇選手をやったらどうかと勧められたことがあります。(半分冗談)。骨皮筋衛門で体重的に有利だったからです。経済的には食べるには不自由なく過ごしておりましたので競艇の道へ進む事はありませんでした。
よく、ハングリー精神が足りないとか言いますが自発的に作り出すことはできないのだと思います。
それにしても捨てたほうの数学が後で一本につながってくるところが運命の無駄の無さを感じます。奇跡の神を連想しそうです。
ブログって、こんな書き方でいいのでしょうか。
投稿者:シェリー | 2007年06月17日 20:44
本当に・・・数学の教授とサッカーの選手では、外側も全然違うと思いました。
自分の為だけだったら教授を選んでたかもしれないけれど・・・サラエボというその時代の環境がそうさせたのかもと思いました。
でもそれも決まっていたことだとは思いますが。。。
数学はサッカーの中でも生かされてると思いました。スポーツもやはり数式や方程式みたいな気がします。
>オシムは監督は似合うが、選手は似合わない(笑)。
はい。そう思います(笑)
先日ゴール2を見ました。。。某チームの監督がオシムそっくりで
あれ~~映画出演したの??と思いました(爆)
2もすごく面白かったです。。。。
投稿者:935 | 2007年06月17日 16:10

