オシムは経験を捨てた
本の抜粋です。
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プレイヤーとしてのオシムは「シュトラウス」との異名を取った。ウインナー(ウイーン風)ワルツを完成させたヨハン・シュトラウス=彼が作曲した三拍子のワルツを踊るかのように、華麗にボールをさばいたところから由来する。
ハンカチ一枚のスペースがあれば、三人に囲まれても自在にキープできるドリブルの名手として謳(うた)われたが、反面、ボールを持ちすぎるとの批判もあった。
2003年の秋に亡くなった名物アナウンサー、ミルコ・カミナーシェビッチは言った。
「オシムのキープは凄かった。ジェレズニチャル対ゼニッツッの中継で、俺はこう実況した。オシムが持った、そのままドリブル、ひとりかわした、ふたりめも抜いた、またドリブル・・。見たままに伝えると翌日相手のサポーターから投書があった。『お前の実況通りに本当にオシムが走りまくっていたなら、奴はとっくにピッチの外に出ているだろうよ』。でも本当にそれぐらい、キープしていたんだ。以降、俺はこう言った。オシムが持った。それではリスナーの皆様、しばらくは音楽をお楽しみ下さい」
意外に意図を読んでぶつけると、それを見抜いた老将は苦笑しながら言った。
「それはまあ、そういわれていたが・・。ただその時の状況を説明させてくれ(笑)。理由があったんだ。その試合は2-1で我々が勝っていた。残り時間が五分になって、うちの選手でもう走れる選手はいなかった、時間を稼ぐために走れない選手が皆、私にパスをして、『お前がキープしろ(笑)』。で、ドリブルし続けた。今ならコーナー付近でボールを持って体を張るけど、当時はそんなプレーが出来たんだ。しかし自分が監督になったら絶対ああいう選手は使わない(笑)。実際に今まで使っていない。やはり選手と監督というのは別物だ。いい選手が監督になったときは、自分がいい選手であったことを忘れるべきだ」
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人は自分の過去に固執します。
自分が成功したことは、それを持ってして、他人を教育しようとします。
自分の半生を語って、「こう、生きろ」とでも言わんばかりの人が多いです。
ドリブルの名手なら、それを選手の前でやってみせる監督は多いと思います。
しかしオシムはそれをすべて捨てたのです。
オシムの凄いところのひとつは、ここだと思います。
彼は経験だけに頼っていないのです。
経験だけに頼れば、自分を超えることは出来ません。
彼は頭(思考)にも、頼ったのだと思います。
思考は経験の無い分野を引き込むことができます。
そして今展開されている日本代表チームとしての彼は、1+1を2にせずに、3以上にする戦法を取っていると思います。
それは自分の経験に固執しないことからしか、始まらないと思います。
[ オシムの過去 ]
2007年06月30日 16:22 | 投稿者:森田 健(もりけん)
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自分の経験に固執しない・・と言っても、これが思うようにできれば苦労しません。最近も、経験することが、そんなに大事なことかという書き込みがHPでありましたが、わたしは、まだ何も分かっていないのだと思いました。
経験したことに対して固執してしまうのが、人間なのかもしれません・・・。固執してしまうのは、時間が過去から流れている・・という概念を持っているからだと思いました。
未来から流れていると言うように考えを切り替えることが出来れば、過去は過去として自分の経験にこだわらずに、流していくことが出来るのかもしれません・・。
しかし、↑で言われているのは、「生き方」に対しての指導についててあると思うので、「こだわらずに流す」ことが、良いといえるのかどうかは分からないことだと思いました・・。
投稿者:独楽 | 2007年09月21日 16:18
>思考は経験の無い分野を引き込むことができます
意見やレスを考えるとき、どうしてこんなに書けないのかと悩みますが
それは経験則や体験に頼りきっているからだなと思いました。
なにかについてその知識がなくても、深く深く考えることによって何かがつかめてくるのかと思いました。
過去はうしろに流していかないとなぁ・・・・と思いました。
未来は好奇心だ・・・と思いました(意味不明)
投稿者:935 | 2007年09月05日 23:00
過去に戻って 運命は、修復できるのか、知りたいです。
投稿者:Anonymous | 2007年08月20日 17:53
過去に戻って 運命は、修復できるのか、知りたいです。
投稿者:Anonymous | 2007年08月20日 17:52
過去に戻って 運命は、修復できるのか、知りたいです。
投稿者:Anonymous | 2007年08月20日 17:52
今日の試合を見ました
きちんと止めてワンタッチでボールをまわしていたと感じました
暑くて、ぼこぼこだったら
ドリブルをしていたら疲れてしまう感じがしました
中村俊輔と中村憲剛ととても似ていると感じました
でも、俊輔はとても経験があると感じました
一回のミスで羽生と交代しました
厳しいと感じました
経験があっても一回失敗したら下げるのだと感じました
でも、もう一つの側面から感じたら
イエローをもらっているので
もう一枚で赤になるから
仕事が済んだから守った感じもしました
駒は大切にしている感じがしました
90分で儲けないといけないから
経験が顔を出したら
未来側を使う感じがしました
羽生が出てきてからは
時間が縦時間になった感じがしました
投稿者:なんしぃ | 2007年07月16日 22:00
相手を視察し戦法を考えることは、過去を調査し、過去に基づいた戦法を考え出すことになります。
「勝ちつづけるためには過去にとった(勝った)方法を捨てることです」
という言葉を聞いたことがありますが、正にその通りであると感じる話です。如何に積み上げることなく捨てることか゜できるか、を自らに問うことができるかと問われているかのようです。
けれどもオシムさんが率いるチームは、勝つことよりも負けないことを伝授されていると感じています。それは勝つこと以上に強い方法であると感じます。
投稿者:幸 | 2007年07月14日 16:37
経験則にとらわれることなく、「戦わずして勝つ」試合を計算し、未来を見つめながら指導の出来る監督であると思います。経験だけをもとに指導を行う監督であれば、その経験をもとにした先が見えない力攻めを選手に行わせると思いますが、経験だけに頼らず、頭にも頼り数学的なサッカーを指導するオシムは陰陽のバランスのとれた思考が可能な監督であると思いました。
投稿者:おかだ | 2007年07月10日 22:35
経験に頼らないって難しいと思います。
良い経験(思い出)とか。。いつまでも良い部分は
残そうとしたり(良いも自分での判断しかない。。と
思いますが)でもそれは邪魔なのかもしれない・・
と思いました。
オシム監督の頭はとても柔らかく、そして、常に
決まった見方で物事を見ていないと思いました。
まるで目がさめたら、新しいものが毎日広がって見える
みたいなところがあるのではないかと思いました。
自分の言ったことをくつがえしたりするのも・・
難しいことです。
何か違うかも・・と思った時、引き返したり、立ち止まったり
積み上げてきたものを崩さないように慎重にやっていくの
ではなく、こわしてこわして何にも立たないみたいだと
思いました。
ボールをキープする選手・・とゆうところで中村選手のことが
浮かびました。オシム監督がボールをキープした時はたまたま
キープさせられた(汗)のかもしれませんが・・けれど、
今の中村選手のようにとても上手な選手だったのだな
と思います。
監督と選手はまったく違うんだと思いました。
投稿者:こはな | 2007年07月08日 22:55
現役時代に得意だったドリブルをやって見せても、それを見ている選手達が監督以上を超えることはないのだなと思いました。
長所を伸ばすことは、枠や限界を設けてしまうことなのだと思いました。
「今」に集中するのが現役の選手だとしたら、選手時代の意識を引きずった監督も「今」しか見ていないことになります。
それでは自分が現地入りするよりも前にコーチにベトナムの試合会場の視察を派遣したりする発想は出てこないと思いました。
監督は今を含めた過去(対戦相手のデータ)と未来に予測される不安定要素を排除することは選手と違った視点持っているからだと思います。
勝つためにはどうしたらよいかという問いは監督になる人ならほとんど誰でも持っているとは思いますが、元々好きで始めたわけではないから過去(経験)を捨てることができたのかなと思いました。
投稿者:イーキン | 2007年07月07日 22:57
選手時代のオシムはドリブルの名手であったということですが、監督となったオシムはそうしたキープの長い選手を嫌っていて、まったく真逆です。そのような嗜好の変化がなければ、現在のような監督としてのオシムのキャリアはなかったのではないかと思いますが、意識が無意識の結果であるならば、そうした変化も無意識によるものなのではないかと思います。それはアナログ的というよりはデジタル的な切り替わりという感じがします。でも、意識は普通はそこまでスパッとは切り替われないと思います。オシムも監督となった当初はいろいろ試行錯誤があったのだろうと思いますが、それでも、監督としては割と初期の頃から結果を出していたようなので、ある程度スパッと切り替われたのではないかとも思います。普通はズルズル引きずってしまうところを、あっさり捨てられたのは、数学教授になれるほどのロジカルな思考力があったからなのかなと思いました。
ところで、運命の決定が初期プログラム説の場合は、運命は、宇宙の始まりであるゼロ点からアナログ的につながっているような感じがします。しかし、六爻占術などの占いをやっていると、運命はもっとデジタルなのではないかと思わされます。もしショーウインドウチェック説のように運命が瞬間瞬間に決まっているのなら、そうしたデジタルさも説明しやすいかもしれないと思いました。
投稿者:くるみ | 2007年07月07日 12:30
経験と言うのは、ぬるま湯のようなものかもしれないと思いました。
指導者と言われる人は、自分の経験を指導するしかできないのだと思います・・・。
しかし、頭も使って経験を超える・・というのは、自分が使っていない範囲の無意識を引き込むような感じなのかもしれないという気がしました。
本の抜粋を読むと、オシム監督が、すごい選手だったのだという事が伝わってきます。
投稿者:独楽 | 2007年07月07日 10:53
他の選手が走れないときに、オシム監督だけがまだ走る体力があったのだなと驚きました。
試合の最後の最後まで諦めずに戦うには、最後までスタミナがなければ本当に意味で最後まで戦うことが出来ないのだとも思いました。
普通は自分の経験から、教えることが多いと思います。
知らなければ教えることは出来ないと思うからです。
でもオシム監督は選手当時の経験そのままではなくそれをデータにしてるように思いました。
投稿者:935 | 2007年07月05日 20:22
シュトラウスのワルツにたとえられるようなドリブルとは、
きっと、やわらかい身のこなしでスルリスルリと相手をかわしていったのだろうと想像しました。
そのときのチーム状態を把握して、自分がキープするしかないという状況の中でそれをしていたのだと思います。
身体能力もすごかったのだと思いますが、選手としての判断力も優れていたのだと思います。
しかし、監督となれば長いスパンでのチーム作りをしなければなりません。
その選手がいることで長期のチーム作りが出来ないのであれば使わないのだと思いました。
今までの代表監督は、現在の選手達の戦力を組み合わせて勝とうとしていたと思います。
オシムは違うと思いました。
時間をかけて、あるべきチーム像に個々をあてはめていっているように思いました。
投稿者:よねこ | 2007年07月04日 23:17
オシムが何故あれだけピッチ以外で時間を惜しむ様にあちらこちらへと行動し世界中のチーム=選手の情報を知りつしている、あるいは今の状態を知ることが出来るのかは、過去の経験に固執されていないからこそだと想います。成功を捨てているからこそオシムの考えは固執されておらず、視点が固定化されていない様に感じます。確かにサツカーのスタイルはそれぞれ監督にあると想います。しかし、オシムは日本人にあった考えて走る全体サッカーをすると言います。それを選手に求めるだけでなくオシム自身もピッチの外で考えて思考し走りつずけているのだと想います。選手時代の経験に捕らわれていないように。
投稿者:じんのり | 2007年07月04日 11:18
ドリブルの描写から、オシム監督って選手としても
すごかったんだなと思いました。
でも、現在のオシムジャパンがボールをキープしすぎないという
のを、自分が選手だったことからの経験からでは判断しないんだというのが監督としてのサッカーと、選手の時のサッカーとの視点が移動しているんだなと思いました。
オシムのサッカーが変化していくのは、もりけんちゃまのいうところの駒という発想と関係があるように思いました。
個から全体への変化であるということなのかもしれません。
経験を捨てることによって、
経験以上のものをひきこむというのは
監督はチームの頭脳なんだということを
あらためて思いました。
投稿者:こっこちゃん | 2007年07月03日 23:06
オシムの選手時代の戦法と現代の戦法が違うということを認識しているのだと思いました。それだけでなく、常に何が効果的なサッカーであるかということを考えていたと思いました。選手時代は個として得手も不得手もあるでしょう。チームとなるといろいろな選手が複合して出来上がったものであると思います。
チームは複合体であるという認識をもとに、各パーツを組み合わせることによっていろいろな相乗効果がだせるのだと考えたのではないかと思いました。
監督という立場に立ってチームを見たときに、選手のときよりさらに思考することによって全体を見渡せるようになったのではないかと思いました。経験則によらないということは不得手な部分も取り込んでいくどん欲さを感じます。
投稿者:yk | 2007年07月03日 21:52
経験を捨てることは勇気が要ります。
今までの足元をぐらつかせて、不安定な位置に自分を立たせるからです。
成功者と言われる方が述べるのは、自分の経験則です。
確かに他者にとっては経験ではないので、効果的かもしれませんが、傍から見ていると「あんたそれでいいのか?」と思ってしまいます(自分勝手なんですが)。
私は同じ手法や論法、手口に立ち返ってしまう時、イライラしたりします。
ブレイクスルーできないことを実感するからです。
もしかしたら、オシムもそういう気持ちをかつて抱いたのかもしれないと思いました。
彼が今やっていることは自分にとっても挑戦なんだと思います。
経験を捨てる時、孤独な挑戦の道しか残っていないように思うからです。
例えば、今までの仮説と全く違う仮説が出てきた時、それを表出するのも孤独だと思います。
今日本代表がやってることも経験にないことだと思います。
だとすれば、監督も選手も孤独な挑戦をしている点で両者の結びつきが強くなっているように思いました。
それが見えた時、もし私が選手なら監督のために必死になると思いました。
投稿者:でるた | 2007年07月03日 19:45
オシムはすごい選手だったんだなあと思いました。選手と監督とは、視点が違うんだなと思いました。立場が変わったら、視点も昔と変えられないと、うまくいかないと思いました。昔の自分をして、ああいう選手は絶対使わないって言うところがおもしろいと思いました。
投稿者:リョウコ | 2007年07月03日 10:11
読んでいて
2001年宇宙の旅の 美しく青きドナウの音楽が頭の中で流れた感じがしました
選手がばったばったと苦しくなって
オシム選手にボールを託したのかと感じました
その時のオシム選手は天使のようで
頼んだぞ、と苦しいことを一手に引き受けたのかもしれない
と感じました
しかし、天使は悪魔かもしれないし
天使だけの選手は監督からしたら
使えないのかもしれないと感じました
それよりも、一滴ならば、その一滴を流れにして
流れを変えて、運べることができる選手を
求めているかもしれないと感じました
一滴をつなげ、流れにできる
全体の流れを読むことができるのが
今のところW中村なのかもしれないと感じました
投稿者:なんしぃ | 2007年07月02日 22:33
キープできるドリブルの名手・・・というところで、スペシャリストやファンタジスタのオシム選手を想像しました・・・。でもオシム監督のコメントを読むと、一点差の試合終了5分前で、走れる選手がいない状況の中、必死にボールをキープしてたんだと思いました。その時の状況に(ポリバレントに)合わせたプレイだったのだと思いました。
それだけの才能、技術と最後まで走れる体力を備えたすごい選手だったのだと思います。
でも、監督となったとき、その過去の栄光に固執してない。それは、もりけんさんの「神を生きる」のに、「私をなくす」ことに通じているような感じを思います。監督を生きる・・・のに、私(の栄光、経験など)をなくす(忘れる)ことなのかもと。もしも私に固執していれば、そこ(私)を超えることはできないんだと思います。
私をなくす・・・ということは、(私には)本当に難しいのを思います。でも私をなくしたとき、無意識の世界につながり、全体につながり、個という一滴ではなし得ない、全体という大河の流れを変えられるのかもしれない・・・のを思います。
オシム監督のこのエピソードから、あれだけ捨て身になれるのは、私を忘れて(なくして)監督を生きてるからかもしれない・・と思いました。
投稿者:まりん | 2007年07月02日 11:33
>オシムは経験を捨てた
>経験だけに頼れば、自分を超えることはできません。
人は自分の過去の栄光や経験に、固執してしまいますが、
それを捨てることは、なかなか難しいと思いました。
さらに、自分を超えることも、こだわりがあると、
困難だと思います。
フシトモで、もりけんさんが、
「勝つ者はいつか負けます。勝ち続ける秘訣は
ありますか?
大家「一度勝った方法を次に使わないことです。」
との応答で、オシム監督も、ロジカルな思考で、
いろんな作戦を考えられているのだろうか・・・
と、ふと、思いました。
>やはり、選手と監督というものは別物だ。
サッカーの監督というのは、
過去の栄光を背負っている人が就任することが多いように
思われますが、
オシム監督のサッカーは、今まで日本でプレーしてきた
選手にとっては、意表をつくものなのだろうと感じました。
自分を超えるサッカーというのは、
経験を捨てて、自分に挑戦し続けて、
そして、限界を超えることに近いほど、
凄いことなのだと思いました。
投稿者:もりりん | 2007年07月02日 11:22
自分がそれでうまくいったからとか、自分がそれをして楽しかったから、相手も同じだということはないのに、つい、同じようにすることを勧めてしまうなと思います。
以前の私はそれがすごく強かったです。
自分では良かれと思ってやるのでさらにタチが悪い・・
今から思えばなんておせっかい、なんて大きなお世話・・だと思います。
私などの経験はちっぽけなものですが、その経験がすごければすごいほど、人はそれに頼ってしまうのではないかと思います。
人も周りも変化してるのだから、同じようにして同じようにできるわけないし、たとえ同じようにしてもそれがいいかどうかはわからないのに。
また、経験を生かして何かをしたいと思う人も多いと思います。
でもその場合、その経験により「こうあるべき」とか「こうするのがいい」という思い込みが強いため、制限される部分も多いかもしれないと思いました。
そのやり方では自分の経験を超えることは難しいと思いました。
サッカーに限らず、スポーツの世界では、選手時代にかなり活躍した人ほど、監督になったらも一つ・・とか、逆に、選手時代は大したことないのに監督になってからすごい・・というケースは多いと思います。
やはり人が経験を捨てるというのは難しいのだと思います。
オシム監督は選手時代もそんなエピソードのあるドリブルをするほどだったのに、監督の今、それを生かそうとか全く思わず、かえって逆のことをして、そしてちゃんと結果を出しているところがやっぱり凄いと思いました。
おそらく、オシム監督は、選手時代も、その自分の技がどんなにすごいといわれても、舞い上がることはなかったんだろうなと思います。
それがどうした・・という風に思ってたのかもしれないと思います。
投稿者:みっく | 2007年07月02日 10:11
オシムが選手の時と監督の時と違うのは、もともと数学が得意だったことも
関係しているのかもしれないと思います。
また、選手の時より、月日もたっているので、
勝つ方法を進化させているかもしれないと思います。
過去にやってきたことを繰り返すだけでは
勝てないのではないかと思います。
様々な角度から、考えて作戦をとられているのではないかと思います。
投稿者:敬子 | 2007年07月01日 01:38
>思考は経験の無い分野を引き込むことができます。
>それは自分の経験に固執しないことからしか、始まらないと思います。
「シュトラウス」は「ハンカチ一枚のスペースがあれば、三人に囲まれても自在にキープできるドリブルの名手」ってもの凄い華麗な名選手だったのだと思いました。神業的だとおもいました。その境地にありながら、経験をすてるってもの凄いなと思いました。人は経験からしか話せないのかと思ってました。『やはり選手と監督というのは別物だ。』と言い切るオシム監督ってものすごい気がします。そして…経験で話しをしないんだと…思いました。コーヒータイムの熱弁は経験ではなかったと思いました。
『Sports Graphic Number』 6/7号 にオシム監督をジェフに呼んだGMのインタビューが乗ってたのですが、彼が驚いたオシム発言として『これからのサッカーというのはサッカーを経験してた人じゃなくて、まったくサッカーとは関わりなかった人のアイディアがサッカーを変えるかもしれない』というのが挙ってて、それがブログと重なりました。経験はなんでもない…といわれてるみたいだなと思いました。でも…「シュトラウス」がそういうともの凄いです。切れ味もの凄いです。監督は自分のためのサッカーはしてない、栄光もとっくに捨てて、日本代表チームの監督として、サッカーそのものに挑んで、そのぶち破る思考を捧げてると思いました。でも過去の経験に頼らない思考のブチ破りって壮絶だなと思いました。
投稿者:和佳 | 2007年06月30日 17:17

