TOPページ > もりけん語録集(娯楽編)



映画「ラストサムライ」


 変容・・すなわち環境で変わること・・すなわち変化に乗ること・・
 変容として生きることは、そうでない場合よりも、大変だと思います。
 信じるのは外には無いのですから・・・
(ラストサムライ)


 アン・パーフェクトな世界に入り、人は、生を続けます。
(パーフェクト)


 私には命より優先するものはないですし、そういうものを押しつける何かに反抗します。
 「命を賭ける」・・素晴らしい言葉です。
 しかし「演じる」ほうが、もっと素晴らしいです。いつでも「降りる」ことができるからです。
(演じる)


 生きることを優先したとき、人は何にでもなれると思います。
 逆は、死です。
 つまり、あるものを選び取ったとき、それは死を意味すると思います。選び取ったことは、逆に言えば、変化を放棄したからです。
 信仰は、死の、最たるものです。
(生)




映画「ロード・オブ・ザ・リング」


 世界を滅ぼすのは指輪ではなく、あの「価値」なのです。
 支配することへの価値がゼロになれば、指輪の価値もゼロです。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第一部)・・りんごの副題:指輪なんか道ばたに捨てなさいの巻(笑))


 点の最たるものは自分でしょう。自分に目がいっていると、全体が見えません。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第一部)・・りんごの副題:指輪なんか道ばたに捨てなさいの巻(笑))


 みなさんは、自分の欲望にどれだけ忠実でしょうか?
 それとも欲望に忠実なのはいけないことだと思っているのでしょうか?
(欲望)


 この映画の言おうとすることは、「悪を作った奴は外側に指輪を置いた」・・です。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第三部))


 「指輪」を本当に捨てるには、マーケットそのものを変化させないといけません。
(邪悪な心はマーケットになる)


 問題は、「個」か「全体」か・・です。
(邪悪な心はマーケットになる)


 全員が指輪をはめないと、歴史は進みません。邪悪な心を肯定しないといけないのです。
 肯定すれば、消え去ります。
(マーケットと指輪・・最終編)




映画「ザ・キッズ」「恋はデジャブ」


 自分が変わるというのは、今までのアイデンティティが過去のものになってしまうということだと思います。ちょうどそれが経験できました。
(『ザ・キッズ』のストーリー)

 実は、本人にすらよく分からないのではないでしょうか・・。
 勝ち負けは解釈の違いに過ぎない・・ような気がします。
(勝ち負け)

ループの中に入り込んだ主人公は、ある意味では人生を捨てることからスタートしました。余裕の笑いではなく、瞬間を生きる輝きがありました。
(『ザ・キッズ』と『恋はデジャブ』1)

 無と空・・この違いは非常に分かりにくいのですが、もしかすると似ているのかも知れません。
 変化に乗ったとき、結果として無になっているのかも知れません(無になるから変化に乗るのではなく・・)。
(『ザ・キッズ』と『恋はデジャブ』2)

 私は世界と対面しながら、自分とも対面しています。
 私が神を感じるのは、他の人間を含む「世界」に対面している時と、「自分自身」に対面している時です。
(アイデンティティ)

 人が負けるか勝つか・・この相手は自分しかいないと思います。自分・・それは神です。
(アイデンティティ)

 ハッキリとした夢を持つのは男性です。勝ちか負けかを決めたがるのは男性です。
 それに対して女性は曖昧です。何かを目指す度合いは、女性の方が少ないと思います。
(女性性)



映画「8マイル」

 「あらゆる瞬間がチャンス」・・しかし、「ひとつのチャンスを得れば、全てを逃す」と思います。
「全て」とは、自分自身です。
(あらゆる瞬間がチャンス)


 「未来」とか「守るべきモノ」が無くなったとき、本当のチャンスが訪れました。
それは外からのチャンスではありませんでした・・
(肝が据わってきた)


 運とツキ・・クソ食らえ・・俺は俺で生きる・・
そう言っているような気がしました。
好きなことをするのに、運やツキは関係ないかも知れません・・
(運とツキ)


 中途半端に成功したかったら、運やツキを呼べばいい・・
 本当の「生」を感じたかったら、運やツキを無視した方がいい・・
(運とツキ)


 チベットの高僧は「変化に乗れ」と言いました。
しかし、彼は周囲のリズムに乗ろうとはせず、ひたすら自分のリズムの方を大事にします。
(自分のリズムと周囲のリズム)


 外からのチャンスでのし上がる人は、魅力無いと思います。
そうではない人にとって、チャンスは一度では無いような気がします。
逆に言えば、いつでもチャンスなのかも知れません。
(自分のリズムと周囲のリズム)



映画「容疑者」


 「神とて、超法的存在ではありません」
本当にそうでしょうか?ほとんどの人はそうは思っていません。
(超法的存在)


 六爻占術は、ルールです。未来方程式そのものです。
では、そのルールを作った存在(神)は、そのルールを越えているのでしょうか?
私は、越えてはいない・・と思えて仕方がありません。なぜなら、私たちが神自身だから・・
(善と悪)


 テロの犯人はひょっとすると、自分たちを「超法規」だとは思っていないでしょうか・・
思っているような気がします。「超法規」で、しかも「善」・・だと。
私たちの神に対する考え方とよく似ています。
(善と悪)


 弁護士が言うセリフ「裁判官とて超法者ではない」というのは、「誰しも法を犯す存在」ということを言っているのではないでしょうか・・
もしも弁護士が全く法を犯していなかったら、私はこの映画に感動したでしょうか・・
(誰も法を犯さない者はいない)




映画「サイン」


 出来事は起こるべくして起こっているのだから、それを気付けと言わんばかりです。
私にはこういう考えが、最も自己中心的に聞こえます。
(サインと六爻占術)


 時空の主人公は「あなた」でしょうか?
もちろん「あなた」でしょうね・・だって時空は「あなた」のために「サイン」を出すのですから・・
でも、この考え方でいくと、六爻占術師になれるでしょうか・・
(サインと六爻占術)




映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」

 私が感じたのは、人間は外から作られてしまう可能性がとても高いことです。
 外からの恐怖をあれだけ植え付けられれば、私も銃を買いに行きそうです。
 そして外の恐怖と闘う大統領は、肯定されます・・
(見えない恐怖)

 『ボーリング・フォー・コロンバイン』の監督は、犯罪の原因を「社会のせい」だとしています。
 『ボーリング・フォー・コロンバイン』のサイトにある掲示板には「社会のせいではなく個人のせいだろう」という反論が載っていました。
 しかし私は、社会のせいでも個人のせいでもなく、時空のせいだと思います。
(父の話)



映画「e's(エス)」


 看守をSとして囚人をMとすれば、SもMも同等なのです。同等の恐怖心と快感があるのです。
(ある心理学の実験映画)


 戦場に行くと人は変わるという映画が多いです。だから戦争はいけないと結論づけます。
でもこんな身近に、しかも数日前までは会ったこともなかった人たちの間で、しかも「実験」なのに、戦場と同じようになるのです。
(ある心理学の実験映画)


 看守も囚人も降りない人は、「自分」を守る為なのです。「自分」というプライドです。
映画の中に出てくる全ての人が、自分の中にも住んでいると思いました。
(降りるということ)


  人は、何に降りて何に降りないかで「決まる」のです。
みなさんは何から降りているでしょうか?
そして何から降りていないでしょうか?
(降りるということ)




「映画、いろいろ」


 船員が予知をして、無視をする船長。
それは予知が微弱だからです。経済の論理(ひとやま当てようぜ)には勝てません。
(『パーフェクト・ストーム』)


 ヨットの女性は微弱信号に賭けた・・遭難した漁船の船員は、微弱信号に賭けなかった・・
何か、こんな気がしました。 
(『パーフェクト・ストーム』)


 彼がこうつぶやくシーンがあります。「私には予知は出来ない」・・と。
21世紀初頭・・スターウオーズの時代の遙か昔・・
蘇生や予知(六爻占術)はすでに始まっていたのです・・
(『スターウオーズ・エピソード2』)


 『エピソード2』では大事な人の死に遭遇します。
しかし「フォース」はピーナッツ一つ、生き返らすことは出来ません。
もちろんエビフライも戻りません(笑)。物をねじ曲げ、動かし、破壊するだけです。
(『スターウオーズ・エピソード2』)


 でも、神はこういう風な融通が利くと思いますか?
たぶんいくら祈っても、無駄です(笑)。
(『ブルース・オールマイティ』)


 私はそれを見て、思いました。「神って、大変なんだ」(笑)
戦争の一つや二つ、起こっても、しようがありません(笑)。
ブルース君と同様に、私にも神の役は、出来ないと思いました(笑)。
(『ブルース・オールマイティ』)



「米国観光旅行」

 一言で言えば「感情は自分のものではない」という学説を持っています。恋の感情すらも全く関係ないところから来ると言います。
(下條さんの研究室)


 つまり、目線を向けられた方を好きになるのです。
 ですので、話をするときは、相手の目を見る方が特です。
 写真を撮られるときは、カメラ目線が特です。
(下條さんの研究室)


 100ドルを与えた人よりも、1ドルを与えた方が満足したのです。
 なぜかと言えば、1ドルの人は自分で満足を見つけようとしたのです。
(下條さんの研究室)


 下條さんは自分でも言っていますが「主観」という問題に切り込んだ、初めての人かも知れません。
(「感情は自分のものではない」)


 下條さんの最新の研究は、「自由意志は自分のものか?」・・です。
 六爻占術の運命論の問い方を変えた感じです。
 東洋人だから、このアイディアが浮かんだのだと思います。
 これを実験で証明しようとする下條さんは、まさに心理学の神坂さんだと思います。
(「感情は自分のものではない」)


 予知が出来る人は、40ドルの「確実な投資」をすることができます。
 しかし普通の人にとっては「不確実な賭け」です。
 運命は後から変えることができません。
(ユニバーサル・スタジオ)


 心理学は二手(ふたて)に分かれています。一つは脳とか身体にまつわることだけを研究する分野、もう一つは心とか精神だけを研究する分野です。
 下條さんはその両者を合体させた分野に切り込もうとしています。
(アメリカ観光旅行最終書き込み)


 六爻占術というのは自然の中から生まれたものでした。
 それを科学の分野に引きずり出したいと思います。
 その行為は、神(奴)を引きずり出したいと思うことと同じです。
(アメリカ観光旅行最終書き込み)



「ハワイ紀行2001.08」

 あらゆる感情に対して、持ち上がる生命エネルギーの素は、同じなのではないかと言います。
 それが何に変化するかは、ほとんど環境が決めると言うのです。そこに個々の魂が介入する余地はほとんど無いと言うのです。
(吊り橋の実験)

 時間の流れを横軸に捉えた場合、それを横時間と呼びたいと思いますが、横時間に私の魂は存在し得ないと思えたのです。
 それまで感情だけは自分のものだと信じていました。しかし下條君に言わせるとそうではありません。悲しみや愛すらも、自分のものではないのです。
(吊り橋の実験)

 横の時間に対しては、がんじがらめの私達・・
 しかし・・縦の時間というものはないのでしょうか・・
 縦の時間・・それは生命の時間です。生命が躍動する時間です。
(吊り橋の実験)

 さて、私達は「自分がある」と思っています。そして「自分を大切にしよう」などと言います(笑)。でも自分が無いのに、大切にしようとは・・矛盾します。
(縦時間の服)

 私達は今の環境に順応する方向にしか行かないのです。
 変わった人を排除しようとする動きも、社会全体の「順応」の一環だと思います。
 では私達は環境のなすがままでしょうか・・
 私は3%の自由くらいはあるような気がします。
(縦時間の服)

 自分を変えるには、視点を変える必要があります。その視点を変えるのは、環境なのです。環境には自分の身体も服装も含まれます。
(縦時間の服)

 報酬が高くなると逆に不満が多くなるのです。常識に反した結果になったのです。
 これを幸せに置き換えれば、給与が高くなると幸せではなくなるのです。
(1ドルの報酬)

 お金を貰うにせよ誉められるにせよ、報酬といいうのは横時間を発生させると思います。
 絵を描くという行為に対して、未来に報酬を貰うためだという目的が発生してしまうのです。
(1ドルの報酬)

 私たちはよく「魂を磨く」とか「霊性を上げる」とか言います。
 この時、磨くことや上げることがコストなのです。
 せっかくの面白いことを、それらの価値観が壊していきます。
(1ドルの報酬)

 縦時間に突入するには、空性をゼロにするしかないと思います。
 空性をゼロにするには霊性をゼロにする必要があると思います。
 霊性とさよなら・・です。魂を捨てて身体に戻らなければなりません。
 しかしそれらを捨てた瞬間、その本当の姿が顔を出すと思います。
(1ドルの報酬)

 人は皆、違うのです。同じ色の眼鏡を掛けていたら、別の人間である必要はありません。
 しかし、それは「体験する」ためでしょうか?
 馬に生まれ変わって、それが体験とは・・どうしても思えません。
(お馬の親子はトコトコと歩く・・)

 魂には性差が無い・・それどころの話ではありません。魂には動物差も無かったのです。
 無色透明な風(ルン)は何にでもなれます。
(感情は風(ルン)のエネルギー)

 縦の振動を感じられるようになったら、もうそれは止まりません。
 馬になっても・・・人間になっても・・
 だからこそ私は、その時の気持ちを大事にしたいのです。それは神の気持ちだからです。
 この肉体でもっと感じ、もっと表現したい・・
(感情は風(ルン)のエネルギー)

 私は主体的にその感情を発生させたのでしょうか?
 決して主体的に発生させてはいませんでした。どこかに何か、違った感覚を持っていました。それらを本心だと主張した時、孤独感に襲われたこともありました。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 どれが本心の感情か・・などと言えるわけがありません。
 あなたに会えて良かったか悪かったか・・そんなことを判定できるわけはありません。
 今の私から今の身体を引けば、ゼロなのです。そこに「良かった」、「悪かった」の評価は残らないのです。その評価が横時間の概念でしょう・・。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 泣き笑い、感動して人生を生きるのは素晴らしいと思います。
 ただ、一つの状態を抜き出して評価分析しないことです。
 変化に乗るというのは、そういうことだと思います。乗れなくても後悔などしないことです。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 夢とは「良い」対象への欲望に他ならないのです。
 これを聞いて反論する人もいると思います。夢は欲望ではないと・・
 でも、欲望とは手に入れたいもの、成し遂げたいものではないでしょうか・・。
 それは固執であり、欲望だと思います。
(夢がなければ何でも叶う)

「悪い」対象に怒りを感じない方よりも、「良い」対象に欲望を感じない方が、大変そうに思えます。
「良い」対象:夢、希望、愛、友情、親切・・これらとお別れしなければならないからです。
(夢がなければ何でも叶う)

 自由を行使するとは、どういうことでしょうか?未来に対する二者選択を決めることだと思います。そこに自由を行使してどうするのでしょうか・・
(刹那(せつな)の認識)

 もちろん狭い意味では、感情は自分のものです。しかし・・
「正直な気持ち・・」などということは、二度と言えなくなりました(笑)。
 正直な気持ちと言うのは存在しないのです。
(感情は自分のものではない)

 感情が自分のものではないと知った時、とても楽になりました。
 逆説的なことですが、「ああ、これで自由に感情を表現できる」と思ったのです。
(感情は自分のものではない)

 シングルが「あれかこれか」なら、マルチは「あれもこれも」です。
 みなさんも自分自身のことを思い出すと、縦時間に生きている時・・すなわち横の時間の流れを忘れている時は、マルチに事が進んでいると思いませんか?
(ハワイ最後の長編書き込み)

 感情は自分のものでは無いという概念は、果たして人を無感情にするでしょうか?
 むしろ反対なのではないかと思います。
 自分の感情に浸っている間は、外に開かれていないのではないかとも思います。
(ハワイ最後の長編書き込み)

 心は無色透明で、何にでもなれるのではないでしょうか・・。
 気はどちらかと言えば感情に近いもの・・。
 気くばりが相手に合わせているものなら、心くばりは風(ルン)がそのまま表出したものかも知れません。
(「気ばたらき」(機内の書き込み))

 心を癒すことや魂を癒すことは出来ないのです。
 心や魂は、もともと完璧に癒されている状態なのです。
 その領域に近付くのがゾクチェンの教えなのではないかとも思えました。
(「気ばたらき」(機内の書き込み))



「ハワイ紀行2002.12」

 著者は幸福よりも真実に重きを置きます。しかも両方取るということは、無理だと言います。私もこれには同感です。
(『不幸論』)

 これが言おうとすることは、自分の考えを変えれば幸福になれると言っているのです。 でも著者はこれに反対します。自分自身を変えて、幸福になるな・・と。
(『不幸論』)

 自分自身とは何かというと、幸福を形作るものの中にはないと書いています。
 自分の本当の部分は不幸の原因だから、それを覆い隠すために嘘の幸福を作ろうとしているのだと・・
(自分自身の不幸を生きる)

 彼らとは「善」が仲介に立って結ばれたのではないのです。だから本物なのです。本物は善悪を越えていないといけません。
 善が仲介で結ばれれば、カルマを残し、それはやがて裏切られます。これは私の仮説であり、私の人生の大きな方針です。
(自分自身の不幸を生きる)

「成功のダークサイドを知る」は、まさに成功の頂点で不幸に転落するケースが書いてあります。
 そうはならないように、精神性を充実させなさい・・と書いてあります。
 ところが『不幸論』の著者は、まさにダークサイドがスタート地点なのです。
(『非常識な成功法則』)

 世の中にはこれが多いです。一度付き合った相手をけなすこと・・
 個人ではなくて組織の時もあります。「××はひどいところだよ、行った俺が言うんだから間違いない・・」こういう人は、とても損をしていると思います。
(『心理学講義』)

 よく言います。「一軒しか取れなかったよ。」
 でもその一軒がなぜ契約してくれたかを知れば、全部が取れる可能性があるのです。
(『あなたの会社が90日で儲かる』)

 『不思議の友』は物を買ってもらうためのマーケッティングだけではありません。多くの不思議情報が来ます。その中で「善」の匂いのしないものに、私は反応します。
(『あなたの会社が90日で儲かる』)

 この本の著者は書いています。「単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけは・・まだ私たちが知らない別の要因(方程式)があるのではないか」・・と。
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 ビッグバンで宇宙が出来る前は、エネルギーだけは必要だったというのが一般的な見解でした。始めには、エネルギーありき・・・
 しかしエネルギーすら無くても可能だということです。
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 六爻占術を採用した民族は、生存の可能性を高めるでしょうか・・高めると思います。
 いつかは六爻占術を持った民族が、持たない民族を駆逐する・・・
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 『不幸論』の中に、「意味付け」が出てきました。今の不幸は、何かを勉強するための意味だと・・そして「あれがあったおかげで・・」とか言います。
 こういう人にとって不幸はステップでしかありません。でもこの本は言いました。「自分の不幸と一緒に生きなさい。」
(私にとっての『不幸論』)

「では殺人をしていいのか?」・・いいに決まっています。理由は、分かりますか?
 この理由が分からない人は、小説の読み方が足りないと思います。
(私にとっての『不幸論』)

 しかも、人は嘘しかつけません。
「私は正直に生きています」と言う人、もしも本当なら、マトモじゃありません。
 なぜ嘘しかつけないか・・それは、嘘が「快」だからです。
(私にとっての『不幸論』)

 世の中には「こういう研究は利益とは切り離すべきだ」と言う人が多いです。
 でも私は全く逆です。もしも利益を出さないと、お金以外の部分で精算しないといけません。それは道を誤ります。
(感情マーケッティング)


©2004-2007 森田 健 Ken Morita contact@moritaken.com All rights reserved.
当サイトに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します