テーマ:ユングに易を伝えた宣教師・ヴィルヘルム
書き込み期間:2004/02/12〜2004/02/20
要旨:
ユングにコイン占いを伝達した、ヴィルヘルムという宣教師がいました。彼は宣教師でありながら、その立場からは反する考えと行いをもって活動した人物です。
  その行いとは、「キリストは絶対なのか」という問いを提起したこと。奇跡と呼ばれる救いを施す者やそれを求める信者をエゴイズムであると批判したこと。そして、自身は人々に一切の洗礼を行わなかったことです。そしてその一方で、現実に起きている問題を解決すべく活動し、実際に成果をあげています。
  組織のやり方から外れた人間としては当然の如く、ヴィルヘルムは教会から反発され、孤立し、最終的には牧師を降ろされることになります。
  しかし、彼ほど真の意味で神の世界を生き抜き、本来の意味での伝道活動を行った人間は他にいないのではないでしょうか。
  そしてヴィルヘルムのこうした真実への探求心が、コイン占い発掘という偉業をも果たす結果にに繋がります。
目次
○「リヒアルト・ヴィルヘルム伝」(筑摩書房)
○癒されるためにキリスト教に入るのは、エゴ
○洗礼を受けようとする者は何を得たいのか
○ヴィルヘルムの孤立
○伝道者の思いこみからの解放
○ヴィルヘルムと日本兵
○ヴィルヘルム最終章
「リヒアルト・ヴィルヘルム伝」(筑摩書房)

  表記の本を読み始めました。
  ヴィルヘルムは宣教師として中国に渡り、コイン占いの素晴らしさに気づき、持ち帰ってユングに渡した人です。
  聖書でも禁じられていると言われている占いに、彼はどういう視点で接していくのでしょうか・・・
  私にとっては大変に面白いです。
 主人公であるヴィルヘルムはヨーロッパに育ち、そこはキリスト教しか無い国でした。
 ですので他の宗教と比較したこともありません。
 彼の仕事は、植民地化しようとした地域に、キリスト教を布教するのが目的です。
 彼は中国に着くまでに、インドとかタイを経由します。そこで他の宗教に出会います。
 そこで彼は大変な問いを持ちます。
 「キリスト教は相対的なのではないか・・」ということです。
 しかし他の宣教師はそういう問いは持ちません。キリスト教は絶対だという答のまま、布教しています。彼らは先生であり、中国人は生徒でした。
 なぜ相対的だという視点に立てたかと言うと、神がこの世を作ったのなら、すべての宗教に神がいるはずだと思ったからです。
 この言葉の裏には、「神は相対的」ということも、感じます。
 「キリスト教は相対的」・・・頭で考えるのは、簡単です。言葉で言うのも、簡単です。
 しかし、これを言ったヴィルヘルムは本当にそう思ったのです。すごいことだと思います。それは何度書いても書き足りないほどです。 ヴィルヘルム は神学校で「宇宙はどうなっているのか?」というような問いを発して、周りの人を困らせたそうです。
 彼は「易経」の中では神という言葉を使わずに、天という言葉に変えています。
 意志のある存在から、意志の無い存在に変わったのではないかと思います。
 そうでなければ「易経」を研究できないような気がするのです。神に意志があれば、それを探ろうとする易は、神への冒涜につながると思うからです。
 おそらくヨーロッパ人でコイン占いの踏み絵を踏めたのは、ヴィルヘルムが最初だったのです。

癒されるためにキリスト教に入るのは、エゴ

 ヴィルヘルムの妻の父も牧師でした。しかしその父の父、すなわち祖父は、超能力者に近かったのです。
  まるでイエスでした。手をかざせば、難病がどんどん治ったのです。その癒しを求めてヨーロッパ各地から毎週何百人という病人が集まりした。教会 は、病院と化しました。
  相変わらず病気はどんどん治ります。
  村中の家が、病人の泊まる場所として開放されたくらいです。
  そのため、大きな温泉宿を買い取り、そこで礼拝と治療をしました。
  祖父が死ぬと、その役は父(祖父の次男)にきました。でも本には次のように書かれています。
 問題となったのは、祖父によって悲惨から救われた人たちが、祖父の死を悲しみ、もはや魂の慰めと肉体の癒しが得られなくなることを嘆いたという 事実であった。子ブルームハルト(父)は、ここに信仰を持つ人間のエゴイズムを見た。そしてそのようなエゴイズムが、結局はキリストの敵であるこ とに気づいた。彼は人間が被害者であるばかりでなく、神の国の到来を妨げている加害者であることを知った。自分を被害者であることを理解するこ とにより無責任となり、さらには放漫になることを発見した。
  キリスト教が宗教となり、制度を持ち、教会となったときに、それは神の救いを自分の所有とするエゴイズムの施設となる。
 イエスが癒しを与え、病気を治したのは有名です。それをも批判するような彼の考えは、当然教会から批判されます。そして彼は一時、牧師から降 ろされます。
  でも私は彼の考えは、すごいと思います。
  宗教が始まるとき、教祖の多くは超能力を発揮します。それが「売り」になり、信者を集めます。
  信者は、癒しが欲しいです。それを、エゴだと言ったのです。
  「神の恵み」などという言葉を、口にするなとも言います。
  この考え方の裏には、神は沈黙して当たり前・・という概念があります。
  すごいです。
ヴィルヘルムは結婚するのですが(彼はプロテスタントなので結婚できます)、最初に中国に赴任するときはヴィルヘルムだけが単独で行きます。
そしてヴィルヘルムが手紙でやりとりするのが妻の父、ブルームハルトなのです。 
 ヴィルヘルムの手紙も面白いですが、ブルームハルトの返事も面白いです。
 中国でのコイン占い発掘は、この二人の偉業かも知れません。

洗礼を受けようとする者は何を得たいのか

  ヨーロッパ列強が中国侵略に積極的に乗り出したとき、義和団事件というものが起こります。
  中国人が暴動を起こし、ドイツ駐留軍にも攻撃が始まりました。しかもそれは植民地政策の一端を担う宣教師にまで向けられました。
  それに対抗して、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世は、反抗する中国人は皆殺しにせよという命令を出し、戦場は残虐な結果になりつつありました。
  ヴィルヘルムはそのとき、中国服に身を固め、一番の激戦地に向かい、ドイツ軍と中国反乱軍の仲介役となり、まず中国反乱軍を説得し、それを持 ってドイツ軍行き、無抵抗な中国人には一切攻撃しないことを約束させたのです。
  こうして中国側からも大変な信頼を勝ち取りますが、そのときドイツの教会側は、この期に乗じて信者を増やせというようなことを言ってきたのです。
  なぜならこの政治的成果を利用して、ヴィルヘルムは中国人たった一人すら、洗礼をしていなかったからです。
  これに対してヴィルヘルムは協会側に次のように反論します。
  「この地の現在の状況にかんがみて、洗礼を施して信者を作り教区を設定することは、もってのほかだと考えます。私たちは水による洗礼という儀 式には何の霊的な力もないことを良く知っています。」
  「私たちが洗礼を施し、信者と非信者の間に差別を設けたならば』という言葉も使っています。
  「これは外面的な形式などの問題ではない。いつかは霊的な洗礼のみが問題となる時が来るであろう」とも言っています。 そして本の著者は次の ように言っています。
  ヴィルヘルムが山東省の内陸で中国民衆とドイツ軍の間に立って、民衆の悲惨を力の及ぶ限り少なくしようと努力したことは、ドイツにも伝えられ て教会本部から賞賛され、新聞にも報道されたが、彼の目指すところは、もとよりそのような次元にとどまるものではなかった。義父ブルームハルト もヴィルヘルム宛の手紙の中で繰り返して「平和のための軍備」の欺瞞を説き、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の世界戦略を批判し、ヨーロッパ文化と キリスト教を東洋に伝えるという口実の虚偽以外の何物でもないことを指摘してした。そしてキリスト教会が地上の利益のために働いていることを非 難して、ヴィルヘルムが中国でなすべきことは、中国人をキリスト教化することではなく、キリストの精神を自分のものとして中国人と共に生きること だ、と言い続けてきたのである。
   こうして本の中には、「洗礼の下心」という言葉まで出ます。戦いの中に飛び込み、和平のために動いたのは、洗礼の頭数が欲しいからではなか ったのです。
  本来の伝道の姿というのは、ヴィルヘルムのようなやり方だと思います。
  私には、キリストよりもすごいのではないかと思えます。
洗礼が差別だというのは、まったくその通りです。神の名の下に生きる者がいたとすれば、その人を洗礼をしようがしまいが、関係ないはずです。
逆に言えば、洗礼を受けようとする者は、何を得たいのでしょうか・・・ヴィルヘルムの話を読んで、そんなことを考えました。
  神と共に生きれば、洗礼も教会も必要ないはずです。
  ヴィルヘルムは、彼に洗礼を頼みに来る人に、そういうことを言うのです。彼が実際に洗礼をする場面は、出てきません。
  しかも、おそらくヴィルヘルムは、難しい言葉でその宗教を語りません。
  自分の生き方を見せるしかないのです。
  彼を頼ってきても「うちの教会ではあなたの面倒は見ないからね」などとも言います。
  これは本当に洗礼が必要になったときは、中国人は中国人の牧師が洗礼をすべきだという考えがあるからです。
  本来の宗教の姿に、初めて接したような気がしました。
  ところでヴィルヘルムという人は、三次元の問題解決に翻弄する人なのです。神の救いを待つ人ではありません。
  それは「神は沈黙していて当たり前」とういう前提があるからだと思いました。

ヴィルヘルムの孤立

 本の抜粋です。
  ヴィルヘルムが「福音の伝道」とは中国人と共に正しく生きることであると考え、ヨーロッパ人の考え方や信仰を中国人に押しつけることが真の福 音の精神に反し、イエスの教えに背くものであると確信していたことは既に繰り返し述べたが、このような彼の姿勢が仲間の宣教師たちにとって不 快であったことは言うまでもない。すでに外形的な洗礼が無意味なだけでなく有害であることを指摘し、中国人をキリスト教化し、彼らを教会の一員 にしようという意図を持つ一切の行為を否定したことは、フォスカンプ牧師を代表とするベルリン伝道協会会員を始めとして、各派の伝道師たちの激 しい反発を買ったばかりでなく、ヴィルヘルムの属する中国支部でも大問題であった。
  これを読むと、神に生きることとは、いったい何だろうと思います。
  考え方の変わった人は、組織では反発をくらいます。ヴィルヘルムは学校を作ったり病院を作ったり、暴動を鎮圧したりと、三次元の世界での成果 をどんどんあげます。
  だからヴィルヘルムが何を言っても、面と向かって反論するのが難しいです。
  でもそれが逆に嫉妬を生み、反発を買います。
  伝道師ですら、嫉妬し、反発するのです。
  それはそうです。洗礼を有害だと言うのですから・・・
  他の牧師は、その有害なことを行っているのですから・・。
 
  ヴィルヘルムという人は、超越しているような気がします。彼は彼の神の世界を、しっかりと生きています。
  こういう宣教師がいたというのが、私を勇気づけさせてくれました。
  こういう宣教師が占いに関わったということが、易に対する見方を広げさせてくれました。

伝道者の思いこみからの解放

  
 本の抜粋です。義父であるブルームハルトの考え方について書かれています。
 資本主義国家の帝国主義的侵略と手をつないでキリスト教の勢力を伸張しようとする伝道方針は、ブルームハルト(義父)の目から見てもヨーロッ パの世俗化した教会のパリサイズムの現れであり、キリストの本来の精神に著しく反するものであった。
 ブルームハルトはキリストの精神を弱者・罪人と共に生きる「愛」の精神と捉えており、その精神の生きるところでは、キリスト教徒とか仏教徒とかい う外形的な相違は問題とならず、すべてが平等に「神の国の子供たち」であった。彼にとっては、キリスト教徒であることを特権と心得ている偽善者 よりは清らかな心をもって生きている異教徒の方がはるかにキリストに近い存在であり、そこに「神の国」実現に向けての種をまくことこそ、伝道の 本来のあり方でなければならなかった。そしてそれは、自らの生を通してキリストの愛を実現すること以外の何物でもなく、言い換えれば、彼らと共 に生きることのほかにあり得なかった。
 ごく当たり前のことが書かれているのですが、こと宗教に限っては、なぜこれを言うのに、勇気がいるのでしょうか・・・
 布教という行為も、ものすごくエゴではないかと思えるようになりました。
 義父がこのような考えだったことも、ヴィルヘルムを勇気づけたのでした。 再び本文です。今度はヴィルヘルムについてです。
 現在の中国は、中国人の力によってしか救うことができず、物質面のみならず精神面においても、外からの援助による救済などはあり得ないのだと いう認識が、キリストの精神しか全人類を救済するものはないという伝道者の思いこみから、ヴィルヘルムを開放し始めたと見てよいであろう。福音 の伝道の役割が「中国古来の文化に新しい生命を盛る」ことにあるとするのは、いわば中国におけるキリスト教の伝道のあり方を、一方的な宗教か ら相互的な理解と寄与の営みに、質的に転換することである。
 ヴィルヘルムはこの認識によってこれまでのキリスト者としての自縄自縛から自由になり、自分自身の道を歩みだしたと言えよう。
 遠藤周作の「沈黙」の舞台にヴィルヘルムとかブルームハルトが登場したら、いったいどういう行動を取ったか、実に興味があるところです。

ヴィルヘルムと日本兵

  いよいよ第一次世界大戦が始まりました。
  それはヴィルヘルムにとって初めての「日本体験」とも言えるのです。だって日本はドイツに宣戦布告して、ヴィルヘルムはドイツ人だからです。 いよ いよチンタオ(青島)が戦場になるときがきました。
 チンタオが拠点だったヴィルヘルムですが、家族を北京の行使館区の避難所に預け、彼ひとりで、負傷者出た場合のための収容所探しとか、看護 婦の確保に奔走します。
 そしていよいよ日本軍のチンタオ攻撃が始まります。
 ヴィルヘルムは日本軍の戦争の仕方に疑問を持ったりします。兵士に状況判断をさせる暇なく突撃をさせたり、最後に負けがわかると自害したりするのを特異な目で見ます。
 ヴィルヘルムは日本兵が落とした日記を手にし、日本語が分かる人を捜して全部翻訳するのです。そこが本に紹介されています。
 日記には家族の別離とか、友達とのこととか、戦友たちとのことが書いてあります。しかしヴィルヘルムが疑問に思ったことがありました。それはこんなふうに書いています。
 『注目に値するのは、この日記の中には、なぜ戦争に行こうと思ったのか、何のために戦うのかについて、何の考えも記していないことである。彼は志願した・・それだけで十分なのだ。あとはその場その場の状況にのみすべての関心が注がれる。ここから軍歌調の民謡が作れそうな感じである』・・と。
 ヴィルヘルムはしっかりと日本人を分析しています。ちょっと読むと、日本人である私は恥ずかしくなります(笑)。ヴィルヘルムが信念を持って生きているのに、この日記を落とした日本人には信念が無いと・・
 しかし・・・
 その後、これが武士道としてアメリカに伝わり、武士道ファンを作ってしまうことに、ヴィルヘルムはまだ気が付いていません(笑)。
 状況の中に入ったら、その戦いだけに生きるのが、武士なのです。
(ただ、ヴィルヘルムが日本人を理解できないようなことを書いているのですが、それはおかしいと思いました。なぜならヴィルヘルムは、道教の無為自然を、理解したつもりになっているからです。日本兵は、無為自然だったと思います。ヴィルヘルムは、中国で実際の無為自然を体験しなかったのではないかと思います。)

  いよいよ日本軍の猛攻撃が始まりました。ドイツ軍は絶望的な防衛戦を戦い、一週間持ちこたえて、降伏しました。
日本軍の死者は17000人、ドイツ側の死者は150人・・
(日本軍は100倍も死んだのです。それで勝ったのか・・??)
 その後、日本軍の占領統治が始まりますが、ヴィルヘルムは難民の救助に奔走し、再び学校を始めるまでになります。それが功を表し、ドイツのすべての建物が接収されたにも関わらず、ヴィルヘルムの教会は残ったのです。
 その後のことは、本にこう書かれています。
ヴィルヘルムを囲んで催す色々な会やお祭りに、そのうち日本人の将校やその家族も参加するようになりました。ヴィルヘルムの身体から何か暖かい「気の流れ」とでもいうものが周りに発散していき、それが自然に征服者である日本人までも包み込んだかのようである。この頃の彼の気持ちは、次の文章に良く表れている。
『私たちが心の中で常に平和の来ることを願い、その時のための心の準備として、他者に対するすべての盲目的な憎しみを消し去ることが大切だと思う。これが平和の実現に私たちの側から協力することのできる唯一の道なのだ。この視点はまた、他者を批判しようとしている時にも、囚われを解いてくれる。敵意や悪意の表出を、すべて変わる余地のない事実として釘付けにしてしまうと、腹立たしい気分からいつまでも抜けだすことができない。だが、相手もまたもう一度考えを変えなければならないだろうという観点から万事を眺めれば、相手の間違った考えと一緒にその人間まで地獄に放り込む必要はなくなるのだ』
日本軍の人々はヴィルヘルムに対して次第に好意と尊敬を抱くようになっていった。その証拠に、彼らは日本本国の政府の方針を無視して、独自の判断でヴィルヘルムの家族にチンタオ滞在を許可したのである。
  ドイツ人はすべて国外退去でした。しかしこの内示をうけてヴィルヘルムは非難していた家族を呼び寄せるのです。 
  最後のくだりを読んで、「おお、日本人もやるじゃん」と思ったのでした(笑)。 この章の終わりに著者は書いています。
『ヴィルヘルムのおかげで「最後の一瞬において善となりえ」た人も、決して少なくなかったに違いない』・・と。
 神に生きるというのは、こういうことだと思いました。
 ことさらに神を言葉として語り、洗礼などをしていたとすれば、日本軍はどう感じたでしょうか?
 ヴィルヘルムは相手を知るということに興味があったので、相手を洗礼するとそれは「知ること」の逆になるのでしょう。
 しかしそんな気のない宣教師ヴィルヘルムに接した日本兵は、おそらくドイツ人に対しても敵ではなく、同朋のようなものを感じたと思います。

ヴィルヘルム最終章

  ヴィルヘルムの所属していた統合福音派海外伝道協会はヴィルヘルムに対する費用負担をうち切ることになり、結局ヴィルヘルムは牧師をクビになりました。
  しかし彼は、牧師の肩書きなど無いほうが、本当の伝道活動ができると答えました。
  本には次のように書かれています。
  牧師という身分をこれほどまでにあからさまに無意味なものと明言したのは、この時が初めてである。キリスト教者としての精神に徹すればキリスト教という形式を超越するという認識が、ヴィルヘルムの意識と行動にようやく明瞭な姿を見せ始めたわけである。彼の到達した境地をもっと突きつめていうならば、キリスト教という形式を超越することが、真の意味でのキリストの精神の伝道なのだ、ということになろう。
  最後に中国を去るとき、ヴィルヘルムは次のように書いています。
  『新しい生き方の創造は、決して混合宗教を作ることではない。私たち自身の血とも肉ともなっていないものを宗教の名において他民族に強要することは止めなければならない。天然自然の理として私たちみんなが持っているものだけが、生命を持っているのである。無理なものや押し付けられたものには、何の力もない』
  これを受けて著者は次のように書いています。
  『ヴィルヘルムが「北京の宵」をあのような自信に満ちた言葉で締めくくることができたのは、「易経」ドイツ語版の完成という成果をふまえていたからであった』・・と。
  そして本はここから「易経」の説明に移ります。 さて、私はこの本の著者に対して腹の立っていることがあります。
というのも、著者はコインを振っていないと思うのです。
  著者はこの本を作るに当たって資料を入手するのにどんなに大変だったかということを本の中に書いています。ヴィルヘルムに対する著者の思いも、もちろん書いています。
  しかしあとがきまで含めて私が読んだ中にはコインを振ったところはありません。
  ヴィルヘルムが帰国しての報告会にユングが出て、そこで行われたヴィルヘルムの易の実演を見て、ユングは感動したと書いてあります。
  この本は、東大の比較文化という学科の授業に使った冊子をまとめたものです。
  おそらく東大の授業でもコインは振られなかったと思います。
  著者はひょっとするとコインを振ったかも知れません。しかしそれを書けなかったのは、たぶんプライドだと思います。知識人としてのです。ヴィルヘルムは「外」から中国に接することを嫌がりました。中国人と一線を画して布教するのを嫌がりました。まさに「内部」に飛び込んでいきました。その結果が、おそらく「易経」なのです。
キリストを、キリストだということだけで、崇めなかったのも、ヴィルヘルムの持つ性質だと思います。
  ユングやヴィルヘルムの研究者たちが自らコインを振ったのは、私は『「不思議の友」10』で紹介した秋山さと子さんしか知りません。
  別にそれが原因ではないと思いますが、秋山さんはユング研究所から追い出されます。
  ヴィルヘルムも牧師をクビになります。
  真っただ中に飛び込むというのが、いかに大変なことか、わかります。
  自分の価値観をしっかりと持ち、イエスや釈迦であろうが、ただそれだけでは崇めるのを止め、自らの体験に根ざしたことをよしとするヴィルヘルム・・・
  これが、「時空の最初から決まっていた」と一言でぶった切れない私です。
湯浅泰雄という人の書いた『ユングと東洋(上下)』の中にもコイン振る場面は出てこないばかりか、ユングが易に凝っていたことすら、出ていません。
もちろん私も最初は六爻占術をまったく信じていなかったのですから、人のことは言えません。
  しかし、内部に入り、共通体験をするというのは、本当に大変なことなのです。
  ユングがヴィルヘルムから多くを吸収したということだけで、やはりただ者ではありません。
  あの日本兵の子孫である私に六爻占術が渡り、彼のことを取り上げた『不思議の友』が出ることを、ヴィルヘルムは予想したでしょうか・・・
  しかしヴィルヘルムは、人のために生きたのではないと思います。自分のために生きたから、一人も洗礼をしなかったのだと思います。

書き込み期間:2004/02/12〜2004/02/20