テーマ:映画「e's(エス)」
書き込み期間:2003/03/09〜2003/03/09
要旨:
 映画『エス』は、ドイツで実際に行われた心理学実験を題材にしたものです。監獄に入って擬似的に看守と囚人になり、一定のルールのもとで二週間を過ごすという実験です。結果、暴力がエスカレートして、実験は7日間で中断となります。
戦場という環境に身を置かれると人が人を殺すようになるといいますが、実験という設定の上でも同様の事が起こったのでした。
実験では、途中で降りた人が2人出ました。
暴力や争いがエスカレートするのは降りられないが為なのですが、それが分かっていてもほとんどの人は降りるということが出来ません。
降りられなくさせるのは、「自分」を守ろうとするプライドです。
降りることには屈辱感を伴います。降りることを選択するのはすごいことです。
人は何に降りて何に降りないかで決まるところがあると思います。
目次
○ある心理学の実験映画
○降りるということ
ある心理学の実験映画

 『e's(エス)』という映画を観ました。ドイツの映画です。
 実際にあった話だということです。
 1971年にスタンフォード大学で心理学の実験が行われました。
 被験者は新聞で募集されました。監獄が作られて、その看守と囚人になる実験です。
 24人が被験者として採用されて実験が始まりました。
 実験は二週間のはずでした。しかし7日間で中断となりました。
 テロップには、「それ以来この実験は二度としてはならないことになりました」と流れました。
 その通り、途中からすごい展開になります。シュワルツネッカーとかが出てくる映画の様になるのです。
 事の始まりは囚人の一人が看守に向かって「あんた臭いよ」と言った一言です。
 これに対して逆襲があり、そのまた逆襲が始まり・・
 暴力はいけないというルールがあるので、それ以外でエスカレートしていきます。
 最初にプッツンするのは・・・航空会社に勤務しているという、それも無遅刻無欠勤の男性です。囚人から発せられた言葉にプライドを傷つけられたのです。
 無遅刻無欠勤の男がこの心理学の実験に耐えられなかったのです。彼がリーダー格で囚人虐めを始めます。
 でも見ていて私は気が付きました。
 看守をSとして囚人をMとすれば、SもMも同等なのです。同等の恐怖心と快感があるのです。
 我々は真性Mと言いますが、女王様の側も我々と同じ様な感じを持っているのかも知れません。
 SとMは紙一重・・快感を感じるときはどちらも同じ・・
 圧巻は、観察する側の心理学者(女性)が看守に押さえつけられて襲われるシーンです。
 彼女のパンティが下ろされたとき、「陰毛が無いぞ・・剃ったのか・・」などというセリフまで出てきます。
 そのときこの映画の主人公(囚人)が閉じこめられていた独房(金庫)からやっと抜け出します。
 助けられた彼女は看守を蹴るわ、蹴るわ・・
 そこに無遅刻無欠勤が戻ってきて、ラストシーンへと向かいます。
 ほぼ狂気と化したスタンフォード大学心理学実験室・・
 これを見るには少し勇気が必要です。
 この映画を是非観て欲しい人は、社会変革を唱える人です。
 戦場に行くと人は変わるという映画が多いです。だから戦争はいけないと結論づけます。
 でもこんな身近に、しかも数日前までは会ったこともなかった人たちの間で、しかも「実験」なのに、戦場と同じようになるのです。
 ドイツの映画だから「お前はナチか」というセンテンスも飛び出します。
 最後は死者とか血だらけの人を運び出すテレビニュース(たぶん本物)で終わります。

降りるということ

 この実験では降りた男がいました。
 最初に降りた人は、禁じられていた暴力(相手を殴る)をやった人でした。
 「ああしなければ秩序が保てなかった」と言って去っていきました。
 うろ覚えですが、無遅刻無欠勤を殴ったような気がします。
 でもそうしないとあの場は、もっとひどいことになったでしょう。
 彼にとって、決められたルールは、自主のルールの下にあったのです
 もう一人は、看守役の人です。「この実験には耐えられない」と言って・・
 後から思えば、彼らはすごいです。降りれば争いは起こりません。
 でもある時期を越えると、止めに入っただけでも無傷ではいられません。
 たかが実験、そして被験者全員が同じ報酬にも関わらず・・です。
 つまり、「利益」が引き金になっていません。
 看守も囚人も降りない人は、「自分」を守る為なのです。「自分」というプライドです。
 映画の中に出てくる全ての人が、自分の中にも住んでいると思いました。
 テロがあれば「降りられない」アメリカ・・
 でも私たちの中にも潜んでいます。「バカにされたら仕返しをしたい」という欲求が・・
 「もしもあなたなら?」という問題を突きつけられます。
 「降りる」とは、ひょっとすると「自分」から「降りる」ことかも知れません。
 精神世界で言う「手放す」と似ているかも知れません(でもやはり、精神世界では「状況に向かいなさい」と言いそう・・)
 しかし、「降りる」には屈辱が付いてきます。
 人は、何に降りて何に降りないかで「決まる」のです。
 みなさんは何から降りているでしょうか?
 そして何から降りていないでしょうか?

書き込み期間:2003/03/09〜2003/03/09