テーマ:映画「サイン」
書き込み期間:2002/10/19〜2002/10/27
要旨:
 映画『サイン』は、未来からの情報を扱ったテーマです。
パンフレットには、「この世の中に偶然は存在しない。すべては真実を伝えるための<サイン>である」とあります。
未来予知とその対処法の情報を得て、それによって家族が救われるストーリーです。
このHPで話題になっている未来則と通じるものがあって、非常に面白かったです。
ただ、私はこの映画のメッセージに対して疑問を感じる点があります。
「あらゆる出来事は自分にとってのサイン」ということですが、そこにはあまりにも自己中心的な意識がないでしょうか・・
六爻占術では未来情報が出ますが、「自分」が主人公で時空が主人公の「自分」の為に情報を出すように思っている人はいないでしょうか。
「サイン」は概念は客観的にあるのか、それとも主観的なものなのか、という問題があります。
六爻占術に関して言えば、あるのは客観的なサインだと思います。
目次
○未来則
○サインと六爻占術
未来則

 映画『サイン』を観ました。とても面白いです。このHPの扱っているテーマにもピッタリです。
 牧師を辞めた主人公(メルギブソン)が、再び牧師に戻るまでの話です。
 映画のテーマ:「この世に偶然はないのか?」「多くの出来事は自分にとってのサイン(意味を知らせるための)なのか?」
 映画『サイン』の中のセリフ:「人間はふたつのグループに分けられる。一つは神の啓示や奇蹟を信じ、すべての現象は偶然ではないと考える人たち。もうひとつは、すべては単なる偶然で、所詮この世は自分次第と考える人たち・・」
●パンフレットの文章
 この世に<偶然>は存在しない?
 あなたが"今ここにいる"という事実も何かの<サイン>かも知れない・・
 あなたは今から映画「サイン」をご覧になろうとしている。その理由は「見たかったから」「誘われたから」「近くを通りかかったから」などなど、人によって様々だろう。
 あなたはそれを単なる<偶然>と思っているかも知れない。だが果たしてそうだろうか・・?
 映画を見終わったとき、あなたはM.ナイト・シャマラン監督の驚愕のメッセージに気づくはずだ。
 「この世の中に偶然は存在しない。すべては真実を伝えるための<サイン>である」
 そう、あなたが今ここにいるのも<偶然>ではなく、何かを伝えるための<サイン>なのかも知れないのだ。とても重要な<真実>を伝えるための・・
 元牧師が経営する農場に巨大ミステリーサークルが出現。
 全ての真実は、映画を見終わった後に、中を開いて下さい・・
 ついに脅威が去り、奇跡的に生命をとりとめた××は○○に「誰が助けてくれたの?」と尋ねる。
 ○○の答えは「誰かがね(Someone)」
 この極めて短いやり取りの中にこの映画の重大なテーマが隠されている。
 Someoneとは、誰を意味しているのか?
 一度は信仰を捨てた○○が再び牧師に戻るラストシーンに、Someone=神と思われた人も多いだろう。
 だが、果たしてそうなのだろうか?
 脅威に対して武器になったのは・・・中略・・亡き母の最期の言葉ではなかったか・・
 パンフレットの中で、ミステリーサークルについて詳しく取り上げられています。
 この中にパンタ笛吹氏のことが出てきますが、彼は人工説(すべて人が作ったもの)の側です。
 でもパンフレットの解説を担当した人は、そうも言い切れないと言っています。
 私は今までの不思議調査で、自分の思い込みをほとんど覆されてきました。
 だから、人でも宇宙人でもない、今は想像を絶した何かだと思うようにもなっています。
 映画『サイン』は未来則を言っている映画です。
 母は死ぬ直前に、自分たちの家族の危機を予知したのです。
 そして、それに対処する方法を教えました。
 家族を救ったのは、神ではなく、未来からの情報でした。
 映画が終わっても、誰も立ち上がりませんでした・・。
 家族の中に娘がいますが、彼女は予知夢を見ます。
 そしてその予知通りのことが起こるのですが、彼女によっても家族が救われます。
 欠点とされていたものが、主人公の命を救う場面もありました。

サインと六爻占術

 私は映画『サイン』について次のような問題提起を考えました。
・妻が交通事故で死んで牧師を辞めて、妻の死がその後の家族が助かるサインで、再び牧師に・・あなたは利己主義か?
・神がいたとして、宇宙人の側にはいないのか?
・サインには、自分は特別だという意識はないか?
・善は善として、悪は悪としてしか、見ていないのではないか・・本当の信仰にはサインなど不要ではないか・・
 成長型とは、過去を原因としてそれを反省・改善して、自分を成長させ未来を良くしようとする人です。
 今ある苦労は未来への試練だと考えます。しかもそれらは「自分」で選んできたと言います。
 映画『サイン』も似ています。現在は未来のための「サイン」ばかりなのです。
 出来事は起こるべくして起こっているのだから、それを気付けと言わんばかりです。
 私にはこういう考えが、最も自己中心的に聞こえます。
 もしも彼らが六爻占術師になったら、悪い卦が出たとき、「これはあなたの生き方の現れなのです。気付きなさいということです」などと言われそうです。
 良い卦が出る日に振るというのが話題になりましたが、これも同様だと思います。
 時空の主人公は「あなた」でしょうか?
 もちろん「あなた」でしょうね・・だって時空は「あなた」のために「サイン」を出すのですから・・
 でも、この考え方でいくと、六爻占術師になれるでしょうか・・
 基本的な大きな疑問点は、この世は、サインに満ちているのでしょうか・・
 それとも、サインに見えるのでしょうか・・
 言い換えれば、サインは主観か客観か・・
 サインは誰にでも通用するものか、それともその人だけのものなのか・・
 進展したのは、今まで気づかなかったサインを発見したのです。
 六爻占術に関して言うならば、客観的なサインだらけではないでしょうか・・

書き込み期間:2002/10/19〜2002/10/27