テーマ:「六爻占術2002.08」
書き込み期間:2002/08/01〜2002/09/11
要旨:
六爻占術が使えるようになると、未来からのフィードバックという新たな要素が加わります。私はこれを未来則と呼びました。
それまでの私たちは、経験則から物事を判断し、決めてきました。しかし、経験則で未来を変更することは出来ません。
経験則で動いている限り、過去の延長から外れた選択は出来ないし、変えようとする思考や行動自体が既に折り込み済みだからです。
未来則の情報をもってして初めて、決まっていない領域に踏み込むことが可能になるのです。
「思いは実現する」とよく言われますが、本当にそうでしょうか。私はそうではないという気がしています。
例えば、今存在するこの宇宙は、何者かの思いによって始動したのでしょうか。
六爻占術が高い的中率で当たるという事実を見ると、思いが主体であるとは考えにくいのです。
「私」が主体であると考えている人ほど、運命は決まっているということが受け入れ難いと思います。
しかし、自由意志や創造と呼ばれているものも、全ては決められた予定の上にあるものだったのです。
それどころか、人類の歴史上で起こった戦争や災害も、台本が用意されているかの様に決まっているものでした。
この決められたシナリオというのは、方程式として決まっているものだと私は考えています。
奴(神)が善悪の価値観をもってシナリオを書いているのではなく、方程式に則って自動的に未来が決定されていくのです。
六爻占術がコンピュータに乗るほどデジタルで、未来を正確に当てるのもそのためでしょう。
その整然とした法則の中に、思うことや信じることで未来に関与する余地があるでしょうか・・
「今」というこの時は過去と未来の両方から影響を受けていて、既に変えようがないのです。
一般には「今の私」が主体であると思われていますが、実は時空全体が主体で、「私」とは時空の端末機のようなものなのです。
端末としての「私」の意識が全体としての時空にアクセスできれば、未来の情報を知ることも、原因の世界に働きかけて未来を変更することも可能となります。
情報にアクセスして解読する為のツールがコインであり、六爻占術であると言えます。
奴(神)はもともと未来則を用意していたというのが私の考えです。だから六爻占術が出現したのも必然だと考えられます。
未来からのフィードバックも、今まではあっても気が付かれなかったけれど、それを法則として使えるようになる可能性はあると思います。私はこの法則を運命方程式と呼びました。
六爻占術が世の中に浸透すればどうなるか・・人々が快の方向を選択していって、快の状態が増えると考えられます。
そうなれば、人々に反省をさせたり自制させたりする今までのやり方とは違った形で世の中は変わるでしょう。
六爻占術に善悪の価値判断はありません。人間の私利私欲は、否定すべきものではないと思います。
目次
○六爻占術と善悪
○私たちは何のために生きているのでしょうか
○未来からのフィードバック
○経験則から未来則へ
○経験則は未来則に対して、過去を手放せるか
○未来則は、未来の一点から現在に線が引かれる
○思いは実現するのでしょうか?
○神坂さんとのやりとり
○陰から陽に
○コインを振った時点で未来は決まる?
○未来則は経験則に蓄積される
○自由意志と創造
○遙か遠い昔から・・
○シナリオとルール
○フィードバック・システム
○再計算
○時間
○神坂さんとのやりとり2
○「私」とは時空の端末機1
○高次元は堅い
○原因の世界へ
○「自分という意識は結果である」・・という仮説
○「私」とは時空の端末機2
○たかが端末、されど端末
○端末の向こう側に広がる時空
○神坂さんとのやりとり3
○ユングがやっていたのはコイン占いか?
○時空の輪廻
○みなさんに問題です
○もう一つの時間次元
○タイムスパン
○神坂さんからのファックス1
○原因の世界
○風水
○運命方程式の仕組み1
○運命方程式の仕組み2
○超能力や神坂さんとの整合性
○願望実現と自由意志
○行動と決定と言い訳
○株価と恋愛
○神坂さんからのファックス2
○運命を知る者の生き方
六爻占術と善悪

 宿題のシリーズは裁判モノが続いています。
 トラさんから私に来るのは、「××日にある人は訴訟を占って××の卦を出しました。判断して下さい」という問題だけです。
 しかしここから、誰が訴えたか、訴えの原因、裁判中はどちらが有利か、最後はどちらが勝つか、さらに裁判官に対する賄賂の流れがあるのか無いのかまで出ます。とても面白いです。
 数日前は、「ある人は人を轢き殺しました。その裁判を占って××という卦が出ました」という問題でした。この卦は世爻(本人)に有利でした。
 私は解いているとき信じられませんでした。しかしその信じられないことがコインにはちゃんと出ているのです。
 トラさんからの宿題の中には、ギャンブルの問題もありました。通信教育を受ければ、そのうち遭遇します。
 その中に「お金を賭けたポーカーをやると、公安が来て捕まえられる」という判断が出ました。
 その人は六爻占術を信用しないで、行って掴まりました。しかし大抵の人は、儲かって帰ります。
 中国では賭事は違法です。しかしコインは正直です。儲かるかどうかを正確に出します。公安に掴まるときも、そのことを出します。
 だから信用している人がやれば、儲かり、さらに掴まらない日だけに行くことが可能です。
 凶悪犯でも同様だと思います。コインは善悪を越えています。
 もし六爻占術が犯罪に使えなかったら、私はやっていないかも知れません。
 もしも六爻占術が正義の味方なら、私は裏六爻占術に行きます。
 殺人は有無を言わさず「悪」だと言う人は多いです。
 しかし、生まれ変わりの村が全世界に広がったら、殺人は罪になるのでしょうか?
 コインに善悪の基準があれば、それは誰が決めたのでしょうか?
 六爻占術が悪人の味方もするとまずいという考え方の前提に、自分は善人だという意識がないでしょうか?
 意識が世界を変える・・この前提に、自分は善人だという意識は、ないでしょうか・・
 これは善人の要素だというのが、一つでもあれば、言って下さい。
 あなたが善人であるというのは、被害者だからではないでしょうか・・。
 悪人は加害者だという認識が無いでしょうか・・

私たちは何のために生きているのでしょうか

 最近、精神世界の本が読めなくなりました。昔はもっと読めたのに・・です。
 昔はなぜ読めたかと言えば、宇宙とか量子とかの世界に関する情報は今既にあるものでしかなく、あとは想像をかき立てて仮説を作るしかないと思っていたからです。
 精神世界の本にはその仮説が書かれていました。
 でも六爻占術を勉強し始めて以来、世界に関する情報が一変したのです。
 未来など決まっていないと思っていたのが、そうではなくなったのです。
 自分に全ての原因があり、自分が変わることでしか人生とか世界は変わらないと思っていたのが、そうではなくなりました。
 インドにはアガスティアの葉の予言的な考え方があり、未来は決まっているというものですが、それでも自分のカルマに関係します。カルマを解消しないと運命は変わりません。
 六爻占術のように、別の独立した要素が関係していて未来を決めているというものではありません。
 つまり、六爻占術を包含する形での精神世界の考え方が無いのです。
 「もう「不思議の友」は送らないでくれ」という読者からのファックスには、「今回の号は、ほとんど読んではいませんが・・」という前書きがありました。
 今まで精神世界を構築した人にとっては、六爻占術は邪魔な情報になったのです。
 それに伴ってこのHPもどんどん変化しています。
 ルンの世界から運命の世界へ・・精神の解放の世界から金儲けの世界へ・・
 でも、私の中では一貫したものがあるのです。
 私の願いは大きすぎて実現などしていません。私の願いとは、「原因」を探ることです。
 原因とは、言い換えれば「なぜ」ということです。
 しかし、「なぜ」を探るには「どうなっているか」を知る必要があります。
 それを追求する過程の中で生まれる一億円の利益など、ゴミみたいなものです(ゴミと思っていない人には失礼)。
 さて、本題の件です。
 未来を知ることが出来て、その未来を変えることも出来て・・
 そこでは、どういう精神世界が構築されるのでしょうか・・?
 私たちは何のために生きているのでしょうか・・
 非常に月並みな命題ですが、六爻占術は今までの精神世界を180度ひっくり返す可能性を持っています。

未来からのフィードバック

 「選択をする」ということが、今までの精神世界では大問題でした。
 全てはあなたが選択できる・・原因はあなたにある・・
 特に精神世界ではビジョンを持ちなさいと言います。
 中には、生まれる前に決めてきたビジョンを思い出しなさいというのもあります。
 そしてビジョンを実現する方向に選択をしなさいと言います。
 それは過去に決めたこと、あるいは今決めたことを実現することです。
 人生はそれらの「決めたこと」を実現するためにあるのです。
 生まれる前に決めたことを英語ではバースビジョンと言います。
 決めたこと・・それは過去に決めたことです。
 決める、あるいは決心する・・それは今決めることです。
 しかし六爻占術は、新しいファクターを加えてきます。未来からのフィードバックです。
 ある人と付き合うことが将来「騙される結果になる」のなら、付き合うことを断念するでしょう。それが過去のカルマを解消することになると思ったとしてもです。
 六爻占術の前に、カルマの解消は、出る幕があるのでしょうか・・
 バースビジョンであっても、それをすることが大凶ならば、しないでしょう・・
 ここで今までの精神世界が崩れ去るとは、思いませんか?少なくとも、私はそうです。
 「現在」は、未来からのフィードバックで幾らでも修正可能なのです。
 苦労を進んで経験して、何になるでしょうか・・
 そこで積んだ経験など、使い物にならないかも知れないのにです。
 未来は決まっているのでしょうか・・
 六爻占術で出た結果により変える未来は、決まっていない未来への一歩だというのが私の仮説です。

経験則から未来則へ

 私たちの人生はどうして「決まっている」のでしょうか。
 それはおそらく「経験則」で決めているからではないでしょうか。
 私たちは必ずといっていいほど、何かを決めるときは過去のとらわれで決めていると思います。
 それは『「不思議の友」8』で書いたように、「快」を求めているからです。
 人は「快」以外を選択することはできません。
 不快を求めることが出来ないがために、「経験則」はある一定の選択をさせます。
 経験則は以前、行動規範書とも言いました。
 そうやって私たちは一定の選択から抜け出ることができません。
 経験則は、過去の情報です。私たちは過去の延長で今を生きているわけです。
 経験則は潜在意識に刻み込まれているので、「今」を生きているとは言え、過去を生きているのです。
 さて、ここに六爻占術が持ち込まれたらどうでしょうか・・
 例えばチャートではこの銘柄が「来る」と思っても、六爻占術では「来ない」と出ます。
 この仕事をした方が良いと思っても、六爻占術では「NO」と出ます。
 それらは未来からのフィードバックです。それを私は「未来則」と名付けました。
 未来則は理由がありません。未来則は不連続です。
 さて、神・・いえ、「奴」は六爻占術を用意しておいたのでしょうか・・
 私はYESだと思います。これは時空のバグではありません。
 ある日、経験則を飛び越える法則として、用意しておいたのだと思います。
 私は一つの大きな仮説を持っています。時空は自由に向かっているという仮説です。
 過去、封建体制が崩れ、民主主義が始まり、人類は自由の方向に向かっています。
 しかし自由は恐いのです。獲得した自由から逃れようとして、再び体制を欲します。
 そういう連続なのですが、徐々に自由に向かいます。
 そして今、六爻占術が世に出てきたのも、その大きな流れの一つだと思います。
 何のためでしょうか・・経験則を飛び越えるためではないでしょうか。
 過去に囚われない選択を始めることができれば、人生を一気に変えることも、飛躍させることが出来ます。
 今までの精神世界は全て経験則に基づいていたと思います。
 「今に生きろ」というのは、経験則では最前線でした。経験そのものを手放せということですから・・
 しかし残念ながら潜在意識を手放すことはできません。本当に今に生きるのは、たぶん出来ないのです。
 しかし未来則が出てくると話は違います。
 経験したことのない未来があたかも経験則のように使えるのです。
 未来を選択するのに、未来の情報そのものを使えるのです。
 未来則・・これは人類を大きく変えていく言葉になるかも知れません。

経験則は未来則に対して、過去を手放せるか

  
 経験則が未来則と合致した場合は何でもありません。
 「ほーら、私の思ったとおりでしょ・・この銘柄は来ると思ったのよ・・私の直感は未来に通じているのかしら・・」などと思ったりします。
 しかし対立したらどうでしょうか・・・
 自分の経験則を疑うか、コインを疑うか、未来則を疑うか・・
 そこで出てくるのが「自己」です。実際に決めるのは今の自分だからです
 積み上げてきた経験則が、ここでブレーキになる可能性もあります。
 「失敗したって思った通りにやれば悔いはないはず・・」
 しかし「思った通り」は、未来則では「失敗する」と出ています。
 もちろん逆もあります。しない方が良いことが、未来則では「大成功」と出たりします。
 経験則と未来則は、「今のあなた」を中心にしてつばぜり合いを始めます。
 今まで、「わたし」が対面するのは経験則のみでした。
 瞬間に生きるようとする場合に、「敵」は過去だけでした。
 しかし今度から私たちの前に立ちはだかる要素の一つが未来なのです。
 さて、よく考えてみましょう。
 過去を手放すとか言ってみても、結局のところは過去を認める作業だったのではないでしょうか・・
 今の自分の状況が過去世に関係していると知ったとき、初めて過去と今が一致して、過去も今も認められます。
 確かにこれは効果があるように見えます。結果としては今の私を肯定できるからです。
 しかしです。ここに未来則が出てきて、しかも対立したらどうでしょうか・・
 「私」は何に拠り所を持っていけばよいのでしょうか・・。
 実は、未来則には「拠り所」は無いと思います。
 これこれしかじかの理由があるから、これを選択するという支点を失っているからです。
 そこにいくと経験則は理由が豊富です。探せばいくらでも出てきます。
 しかし未来則には突然「うさぎ八匹」が出てきたりします。突然わけの分からない銘柄が出てきたりします。
 過去の経験に対立してきます。それらは自分の生き方の延長にあるのではありません。
 もう一度書きます。それらは、自分の生き方の延長にあるのではありません。
 だから未来則は自我に対する挑戦でもあると思います。

未来則は、未来の一点から現在に線が引かれる

 通常、私たちは現在から未来に向かって徐々に進んでいます。
 努力という過程があって、その先に達成すべきビジョンを置きます。
 努力をしている過程でビジョンは変更されたりします。
 「これは無理そうだから、こうしよう・・」とかいった具合です。
 しかしです、この変更すら「決まっている」ということが信じられますか?
 残念ながら、決まっているのです。
 それは快しか選択できない経験則に基づいて行動しているからです。予定された変更なのです。
 さて、未来則の場合はどうでしょうか・・
 未来則は、いきなりビジョン達成のポイントが出てきます。
 ニッセンで言えば「半年で2000円超え」というようなことです。
 そのポイントが先に出来て、現在からの線が引かれるだけです。
 人生の時間の流れから言えば、逆なのです。未来から逆算して今を求めるような感じです。
 なぜこういうことが起こるかと言えば、コインを振るときに達成点をイメージしているからです。
 さて、コインを振る人の中には「条件を変えて・・」という手法を取る人がいます。
 条件とは、ビジョンに至る経路のことです。経路は手段で、ビジョンが目的です。
 ここでも従来の精神世界との違いが出てきそうです。
 従来の精神世界は、結果よりも過程を重んじていると思います。
 結果はついてくるもの・・とか言います。ところが未来則では結果が重要なのです。
 株を自分なりに運用して「いろいろ勉強させてもらう」などという世界ではありません。
 たまたまサーチエンジンで経験則を検索していたら、「投機家は大きな損失を出した後に賢くなる。そのようなときに思ったこと、考えたことが、熟練への道標となる」などというフレーズにぶつかりました。
 でも未来則は、そんな「勉強」はぶっ飛ばして、いきなり結果に飛びます。
 しかし経験則と未来則の違いを日々勉強することにはなりますが・・
 (ちなみにサーチエンジンには未来則という単語は存在しませんでした。)

思いは実現するのでしょうか?

 「思いは実現する」・・これは精神世界でよく言われるフレーズです。
 しかしよく考えて下さい。
 ワールドカップの試合で選手達は皆、自分のチームが勝つことを「思った」はずです。
 しかし勝つ確率は50%です。
 応援した人もそうでした。応援した「思い」はどこまで実現したのでしょうか?
 株を運用する人も、競馬をやる人も、負けを「思う人」など一人もいないでしょう。
 宝くじもそうです。
 しかし思いが実現する人は多くはないはずです。
 なのに、なぜ「思いは実現する」と言うのでしょうか・・。
 正確に書けば「思いは実現することもある」のはずです。
 でも精神世界が言いたいのはそれではありません。
 「思いを持たなければ実現しない」と言いたいのです。
 普通、人は欲望の中にいます。快しか選びません。
 だから「思いを持ちなさい。持たなければ実現しません」とわざわざ言うのは、その「思い」が内から湧き上がるものではないからです。
 外からの目標を設定しようとするとき、「思いは実現する」と言うのです。
 「このまま行けばエゴの世界になる。だからちゃんとした思いを持ちなさい。そうすることがエゴの世界から脱却する方法です」と言った感じです。
 経験則からすれば、「思いは実現する」はずはありません。ところが未来則は違います。
 未来則は言います。「思いは実現する」・・と。
 思い・・それはコインを振る意識です。実現するかどうか・・それは卦を見れば分かります。
 経験則が言うところの「思いは実現する」には努力の匂いがします。
 しかし未来則が言うところの「思いは実現する」には、努力の匂いはしません。
 そのルートに乗りさえすれば良いのです。
 今までの精神世界の人は、後者を良しとするでしょうか・・
 株価が2000円まで行くことを事前に知り、大金をつぎ込んで大儲けをする人に、いつかはしっぺ返しが来ると言うのが精一杯かも知れません。
 経験則と未来則は、精神世界の面からも、私たちに変革を迫っていると言えないでしょうか・・
 「思いは実現する」・・これは経験則ではなく、未来則の台詞なのです。
 私は占いが当たるなどとは「思ってもいません」でした。
 占いをやるようになったらオシマイだと思っていました。そのオシマイのことが起こりました。
 思っていなくても実現します。
 思わなくても実現する事、例えば事故です。
 経験則では、思っても回避できません。未来則では、思えば回避できます。
 「思いは実現する」が真実ならば、宇宙を「始動」させた「思い」はあるのでしょうか・・
 逆に、実現したものは、全て思われたものなのでしょうか・・
 宇宙を始動させた思いが無いとすれば、思いは実現するというフレーズがしっくりこないのです。
 人は快しか選べないとすれば、思いすら、選択の余地はありません。
 思いが主体的ならば、六爻占術は当たらない、思いが非主体的だから、六爻占術は当たる、とも言えそうです。
 もしも「思いは実現する」のなら、この世は主体的です。
 しかし一連の「未来則」の書き込みの中で、思いは折り込まれているのではないかとも思うのです。
 人間の未来の行動ですら記述できるとすれば、本当に主体的でしょうか・・
 主体的でないときの「思いは実現する」とは・・?
 思えば実現する・・とすれば、実現しているこの宇宙は、誰かが「思った」のでしょうか・・?
 神が不在だとすれば、「思わなくても実現する」に変える必要はないでしょうか・・
 私には、「思い」が「主体的」だとは、どうしても思えないフシがあるのです
 思いが主体的なら、六爻占術はこれほど当たらないのではないでしょうか・・
 裁判の宿題は本当に面白いです。よく当たります。
 ある意味、六爻占術の長所を突いている事項です。でも・・
 弁護士や検事はいったい何でしょうか・・彼らは主体的な思いで動いているのではないのでしょうか・・
 実は、「実現する」という単語も引っかかっているのです。
 「実現する」って、いったい何ですか?
 すごく言葉が悪くて申し訳ありませんが、「実現する」は、「思い上がり」という風なのが近いかと・・
 昔、精神世界のセミナーに出て、「何がしたいですか?」と何度も質問されて、とても困りました。
 言葉になって出てこないのです。何がしたいのか・・
 私が最も気にしているのは、「神の思い」です。
 宇宙が存在するのは、「思った」からでしょうか・・・
 「起源」は「思う」でしょうか・・・
 「思い」の起源は、人間なら「私」です。しかし、宇宙は・・
 「思いは実現する」・・人間にこれを適用して、宇宙に適用しないのは、おかしいと思います。
 宇宙が偶然なら、「偶然でも実現する」と書き換える必要があると思います。
 「思いは実現する」・・あっても3%くらいだと思います。
 例えば出会いは、「思い」ではありません。
 出会いが「思い」だと思うなら、その人は思い上がっています。
 さらに、出会いがほとんどのものを実現します。
 本人の努力など、3%・・それでも、「思いは実現する」と言いますか?
 私がこんなにもしつこく考えているのは、高校生の時、物理の方程式を見てつぶやいた「これは、いったい誰が造ったんだ・・」に関係しているからです。偶然か意思か・・
 何も実現していない「私」は、思い方が足らないのでしょうか?

神坂さんとのやりとり

 神坂さんのFOW(船井オープンワールド)での原稿が届いています。とてもシンプルでなかなか良いです。
 今回は奥さんも登場です。
 神坂さんは厳格なクリスチャンの家で育ちました。だから、この宇宙を神が造ったかどうかという命題は大きな比重を占めていました。
 ある日奥さんが言います。「神がいなくてもできるでしょ・・」
 この一言に、神坂さんは感動しました。
 それを言うために、いえ、奥さんに感謝の意味を込めて、FOWに奥さんを連れていく(壇上に出す)のです。
 80歳を越えた科学者とその奥さんの登場は、私の時間での一つの盛り上がりになるでしょう。
 でも、気になるところがあります。
 神坂さんは「思えば実現する」で締めくくる予定です。しかし・・
 宇宙がこうなったのは、ある「思い」があったのかも知れないということと、矛盾しないでしょうか・・
 なぜ人間だけが「思えば実現する」などと言えるのでしょうか?
 思わなければ実現しないとすれば・・この宇宙に、神は・・?
 私の意見を神坂さんにファックスで送りました。
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(前略)
 フナイオープンワールドの原稿を受け取ってから、ずっと考えていることがあります。
 それは神坂さんの原稿の中に出てくる二つの言葉です。
 「宇宙は自然に出来たんですよ。何の意志も目的もないんですよ」と「思いは実現する」の二つです。
 なぜ考え続けているかというと、この二つの言葉は、どこかで矛盾しているような気がするのです。
 「思いは必ず実現する」は「実現したものは思いがあったからだ」と言い換えられないでしょうか・・
 とすると、宇宙が出来たのにも「思い」があったことにはならないでしょうか?
 しかし最初の言葉には「何の意志も目的もない」と書いてあります。
 だとすれば人間とて、同じではないでしょうか・・・
 人間のみが意志と目的を持っていて、その他の万物は持っていないのでしょうか・・
 私には宇宙も人間も同じ法則が流れているような気がします。
 「思いは実現する」とすれば、起源は「思い」です。
 宇宙が存在するとすれば、その起源も同様に「思い」となるはずです。
 人間にとって、起源は「思い」でしょうか?
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 神坂さんから次の様な返事が来ました。
「私も先日来、その矛盾に悩まされ、考え続けています。森田さんの考えて居られる事は、直ちに私の頭に通じるのです。昨夜から、私もこの件でファックスを差し上げようと思っておりました。」
 その後、最近の私のHPへの書き込みを神坂さんに送ったところ、以下の返事が来ました。



 さすが神坂さんです。一緒に講演をするのに、悔いはありません。
 神坂さんが言っている「思い」は自動詞のような気がします。
 以前私が「他動詞の愛は愛ではなくて、エゴなのではないか」という書き込みをしたことがありました。愛に対象があれば、それは愛ではないと・・・
 「僕は君を愛している」ではなくて、「僕は君がいると(君を思うと)愛が湧き上がる」というのが愛ではないかと・・
 神坂さんの「思い」も似たような感じを受けました。ちょうど太陽に当たるのが上の例で言うところの「君」なのです。
 自然に沸き上がるのが「思い」・・無為自然的でもあります。あるがままの思い・・
 主体的ではなく、どちらかというと受け身的な「思い」・・・
 こういう風に湧き上がった「思い」は実現すると思います。
 事前にこの様なやりとりが出来て良かったと思います。

陰から陽に

 六爻占術では過去を陽、未来を陰とします。
 ですからコインを投げた目が表二枚・・すなわち陽の時は、過去の情報して判断したりします。
 陰の時は未来の情報です。
 ですから今という瞬間は陰から陽に切り替わっている狭間なのです。
 トラさんからの宿題は裁判シリーズが続いていますが、始めからどちらが勝訴するか分かっています。
 陰の世界で全てのものは、エネルギーのような状態で出来上がっているのです。
 コインはそこにアクセスして、陰のエネルギーをコインの裏表で表します。
 エネルギーの状態がどうなっているかを知るのが六爻占術です。
 陰の世界では、まるで「結果」としてそこに存在しています。
 時間が流れて「今」にたどり着くと、それは陽に転換して、現実化します。
 つまり陰から陽の流れがあるだけで、事象そのものは変わりません。
 六爻占術で陰の世界を垣間見た人がいたとします。そこでニッセンは上がる・・などの情報を得ます。
 その株を買うことは、私の仮説では、自分の未来を変えることなのです。だってコインを振るまで知らなかったのですから・・
 そういった運命の変更は、「今」という瞬間を使って行っているから問題が無いのだと思います。
 時空は陰から陽への流れです。では私たちはどうでしょうか・・私たちの魂のことです。
 魂は死後(陰)の世界からこの世(陽)の世界にやってきました。でもいつかは死にます。
 ということは、陰と陽を循環しています。魂は陰から陽、陽から陰への螺旋を描いています。
 そして生の世界に降り立つと、陰から陽の転換点(今という時)にいつもいるわけです。
 私は幽体離脱をしてあの世を探査しました。それは陰の世界でした。
 陰の世界からは未来の世界に行けました。未来は陰ですから、行けるのは当然かも知れません。
 孫さんは陰の世界から死んだ魂を陽の世界に蘇らせることができます。
 彼女は未来予知も時々やりますが、それも陰の世界へのアクセスです。
 陰の世界へのアクセスが可能になれば、時間は未来から過去に進んでいるように見えるはずです。予定されていたことが現実化するだけですから・・

コインを振った時点で未来は決まる?

 表記のことがよく言われます。コインを振った時点で未来が決定されたと・・
 しかし私はそう思いません。
 コインを振った時点で、「変化」が初めて現れると思います。正確に言えば、卦を読んだ時点です。
 そのとき、未来の情報が頭の中に入ります。今まで経験則でしかなかった領域に、未来則が入ります。
 情報を知るということは、既に変化の中に入ったのです。
 私はバイクの事故の卦が出ていながら、大した事故ではないという情報だったので、そのまま乗り続けました。そしてある日、事故をしました。
 しかし知っているといないのでは、雲泥の差があります。
 事故はその一回だけです。バイクも身体も無傷です。
 そのままバイクには乗り続けています。もう、事故はないのですから・・
 ニッセンでも、2000円超えを知った時点で、株価の上下にそれほどヤキモキしなくなりました。
 私は安心して仕事ができるようになりました。
 これって、情報が未来を変えているのです。
 コインを振るというのは、未来を決定しているのではなく、変化させようとしているのだと思います。
 映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』では実際に過去や未来に行ったりします。
 そして過去とか未来から直接運命を変えたりします。だから多くの矛盾が出てきます。
 六爻占術では、選択肢の中に、未来からの要素を入れることができます。
 それは、まさに「今」行うから、何の矛盾も発生しません。

未来則は経験則に蓄積される

 経験則に入っている経験は、ある時期のものは一つしかありません。
 だから経験豊かと言っても、意外に少ないはずです。
 株を運用したり、商売をしたりしても、経験則がそのまま使えるものは少ないし、それを使えば失敗するケースが多いです。
 なぜなら、以前とは環境が違うからです。だから最近は「直感に従え」などと言います。
 それに対して未来則はどうでしょうか・・
 株を買うときも、いくつもの未来を経験することができます。
 実際に買ってはいないので、リスクはゼロです。
 この点からすれば、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』よりも有利です。彼らは実際に歴史を変更して、その後始末に大変でした。
 最も有利な株を選び、未来に到達する株価まで知り・・
 有利な株を選ぶ段階では、未来則は経験則とも一緒になります。
 「この感じの卦なら、過去このくらいまで上がったから、このくらいいくでしょう」といった風にです。
 このデータベースは、まさにトラさんが蓄積している六爻占術解読法そのものです。
 予測し、結果と比較し・・経験則として蓄積していく・・まさに未来則と経験則の合体です。
 そういう意味では、未来則の登場で経験則の要素が増えたのです。
 六爻占術を手にするとき、我々は倍以上の経験を積みながら生きているのと同じなのです。
 それは過去の経験だけでなく、未来の経験も蓄積しているのです。

自由意志と創造

 経験則側から言えば、私たちの未来は決まっています。
 しかし未来が決まっているということに、みなさんは随分と抵抗を示しました。
 でも、六爻占術から言えば、未来が決まってなければ誰も占いません。
 さらに、出た卦から運命が変更可能でなければ、誰も占いません。
 とりあえず前者を問題にします。裁判ですら、始めから結果は分かっています。
 ここで困るのが自由意志と創造という問題です。
 私たちは自分で考えて、創造的に生きていると思っています。
 芸術家などはなおさらでしょう・・
 今創っている作品が元々予定されていたものだとは思えないでしょう・・。
 しかし六爻占術で言えば、自由意志も創造も、あらかじめ決められたルートの上に乗っているだけなのです。
 瞬間、瞬間を創造しているなどというのは、幻想なのです。
 さて、ここで従来の精神世界を考えてみましょう。
 精神世界ではバースビジョンというのがあって、人は生まれる前に「決めてきた」と言います。
 誰と会うか、何をするか(彼らは課題とも言いますが)・・
 これと「運命は決まっている」というのと、どこが違うでしょうか・・
 精神世界では決めたのは「私」だと反論するかも知れません。
 しかし六爻占術側では、決めたのは「時空全体」と言います。そこには「私」も含まれています。
 精神世界では「私と他者は切り離せない」などと言いますから、六爻占術が言うことと全く矛盾はないのでは無いでしょうか・・。
 ただ一点、大きく違う点があります。
 精神世界では自分を変えると運命も変わると言います。
 しかし六爻占術側では逆です。運命が変わって初めて自分が変わるのです。
 起源は自分ではなく、時空なのです。
 これは神坂さんとの議論でもそうでした。
 思いは実現するか・・の「思い」の問題と同じです。
 「私」というのは、主体ではないのです。
 しかしこの概念は、例えば芸術を突き詰めた人なら分かるのではないでしょうか・・
 突き詰めて科学を研究している人なら、分かるのではないでしょうか・・
 「私」というものが存在する限り、行き着けないところを・・・
 自由意志なとど言うのは、願望のセリフだと・・
 創造などと言うのは、カッコつけているだけだと・・
 言い過ぎでしょうか・・
 裁判ですら、結果は決まっています。芸術家ですら、創る作品はあらかじめ決まっています。
 ここに何の創造性があるでしょうか・・
 創造ということをもう一度定義し直した方が良さそうですね・・
 「私」が主体でなければ創造は無い・・という人にとって、「未来は決まっている」というのは受け入れ難いと思います。
 しかし時空が主体であっても創造と言うことができるのなら、受け入れられると思います。
 さて、ここではもう一歩話を進めましょう。
 コインを振って卦を読んだ時点で「私」が介入できるのが六爻占術です。
 株の運用を六爻占術無しにやる人の、売り買いする株は、その人の運命として元々決まっています。儲かるか損するかは、あらかじめ決められています。
 その人は選択の余地が無いのです。大損することは元々その人の運命なのでした。
 実はこの前提が無いと、誰も占いません。未来は常に変化するのなら、占っても意味はないでしょう?
 今度は六爻占術の場合を考えてみましょう。
 コインを振って自分の思った銘柄が凶だと出れば、買いません。そして吉と出た銘柄を買います。
 これは運命を変えていることになるのです。
 それすら「折り込まれている」と反論する人もいるかも知れません。
 しかしそれすら折り込まれていたら、運命は絶対に変更不可能となり、ここでも誰も占わなくなります。
 運命が決まっていても、それが変更可能だから、人は占うのです。
 実はこの時点で初めて「私」が介入できるのです。元々も予定されていた運命に、「私」が介入して変えることができるのです。
 自由意志と創造が発揮できるのは、未来則に対してなのです。
 経験則を使ってやる限り、すべては折り込まれているからです。
 以前、宇宙は自由の方向に向かっていると書きましたが、確かにそうだと思います。
 今六爻占術が出てきたのもその兆候です。時空に対して「私」が介入できる一つの手段なのです。
 私は以前、つぶやいたことがありました。「神よ、もうお前の好きなようにはさせないぞ」・・と。
 運命のキーを握っていた神から、キーをもらうのが未来則なのです。未来則を出すのが六爻占術です。

遙か遠い昔から・・

 未来則以前・・未来則ができるまでは経験則のみでした。
 経験則の世界では、全てが決まっていました。
 詳細が決まっていたかは別として、大筋は決まっていました。
 揉め事の勝敗は決まっていました・・もちろん戦争の勝敗も決まっていました・・
 男女のもつれの行く末も決まっていました・・
 私たちは決められた台本にそって演技をしているだけでした・・
 宇宙が誕生して150億年もの間、台本は用意されていました。
 それだけではありません。これから宇宙が無くなるまで何億年かかるか分かりませんが、その台本まで用意されていました。
 私たちは自由意志を持っていると思いましたが、それは見せかけでした。選択の余地は無かったのです。
 数々の戦争がありました。その犠牲者達も全て台本通りでした。
 大災害がありました。それも全て台本通りでした。
 成長という概念も、カルマという概念も、全て台本の台詞でした。
 六爻占術では前世も、来世も占うことができます。来世ももちろん決まっています。
 私たちは神に近い生き物だと考えてきました。神は自分自身に似せて人間を創ったと言われてきました。
 アダムとイブはエデンの園でリンゴを食べて以来、失楽園して、自由を得たと思っていました。孤独は自由の代償だと思っていました。
 しかし・・台本から外れることはできなかったのです。これでは動物と同じです。
 人間は自然を壊すとか言って、「反省」しました。殺し合うのは人間だけだと言って、戦争を「反省」しました。
 しかし全て台本通りでした。反省する場面すら用意されていました。信じられますか?
 それで「快」なんて感じてしまって・・私たちは真性Mなんです(笑)。
 いえ、「(笑)」どころの話ではありません。
 仕組まれていたとは知らないでマジに対応させて、ウケを狙う番組があります。
 視聴者はそれを見て、喜んでいます。
 そういうのを見て、なんて品が悪い番組だろうと思いました。
 しかし奴(神)のしたことは、これ以下です。
 恋の相手に「私を騙したのなら、騙し続けて欲しかった」と言う場面があります。
 いえいえ違います。あなたは二重に騙されていました。
 でも、彼はまだ良いです。騙したと言いましたから・・
 このまま私たちは真性Mとして生きてよいのでしょうか・・
 もしもそうだとすれば、真性Mの生きる道を教えて下さい・・

シナリオとルール

 「奴(神)」は、なぜシナリオを書いたのでしょうか・・
 いえ、いちいちシナリオを書いたわけではないというのが私の仮説です。
 まずは生命体ではなく、単なる物体を考えてみましょう。
 ビックバンから始まった宇宙は拡大を続けていますが、ある星の位置は何年経つとどこにあるかは、おそらく算出可能だと思います。
 物理の法則は意志を持たない物質には適応できるからです。
 時間と共に移動する物質の位置関係を、「奴(神)」がシナリオを書いたと言うでしょうか?
 言わないですよね・・単に物理の方程式が存在するだけです。
 初期値とエネルギーが分かれば、大抵のものは計算可能です。
 さて、人間の演じているシナリオについての話に移ります。
 ここで言っているシナリオも、私は物理の方程式と似たようなものだと思っています。
 六爻占術を勉強された方(『「不思議の友」8』でも可)は、ある整然とした方程式のようなものを感じていると思います。
 その規則が整然としているからこそ、六爻占術はコンピュータに乗るのです。まるで物理の法則のごとく・・
 そうです・・人間が演じているシナリオも、「奴(神)」がいちいち書いたのではなくて、方程式のような感じで、自動的にレールが作られているのだと思います。
 戦争で死のうが事故で死のうが、「奴(神)」には善悪の判断がないから、知ったことではないのです。
 「奴(神)」の方程式は、陰の世界にエネルギーとして形作られます。
 それはおそらく未来永劫に向かってです。ある意味「仮に作られた未来の歴史の場」です。
 仮に作られたとは言え、通常我々は変更方法を知りませんから、その「仮」が今という瞬間を通過したときに現実化します。
 昔、理科系の人は血も涙もないようなことを言われました。
 方程式なんて解いていないで、血の通った文学でも読みなさい・・という感じで・・
 しかし文化系の領域ですら、血も涙もない方程式でコントロールされているのです。
 始めに、エネルギーとルールがあったのです。ビックバン後は、ルールで動いているのです。
 ルールを私はシナリオと呼んだに過ぎません。
 「シナリオはシナリオがあると思っている人にはあるのだと思う」とは、精神世界ではよく言われているフレーズです。シナリオはあなたが作り出している・・と。
 しかし株が当たるのはどうしてでしょうか・・裁判の結果が決まっているのはどうしてでしょうか・・
 株は、上がるというシナリオを信じても、上がりはしないでしょう。大抵、それで失敗します(笑)。
 思い方とか信じ方が足らないのでしょうか?
 裁判は検事と弁護士の戦いです。弁護士が勝つというシナリオを思えば、勝つでしょうか?
 私が六爻占術に最初に魅力を感じたのは二点です。
 株が占えることと、密閉された容器の中に入っているものを当てることです。
 この二点は、他の占いではなかなかできません。
 密閉された容器の中の占いなど、シナリオがある無いを越えているとは思いませんか?

フィードバック・システム


 フィードバックという単語があります。結果から原因に返すことを言います。
 精神世界のセミナーなどに行くと、よくあります。
 「この人の言ったことにフィードバックをしてあげて下さい」と言った感じです。
 言われた人は、それを元にもう一度考えます。
 つまり、結果が原因に帰り、検討や修正を加えて、もう一度結果を出すシステムです。
 エアコンの温度調整もこれを使っています。温度センサーをどこかに置いて、そこからの結果をエアコンそのものに返します。
 エアコンは「そうか、もう少し出力を上げた方が良いのだな・・」と知るわけです。
 これを時間軸上で行っているのが未来則によるフィードバックです。
 この銘柄は上がらないよ・・この銘柄は×月には下がるよ・・
 こういう信号は、まるで温度センサーと同じです。その信号を元に、こちらの出方を決めます。
 経験則にはフィードバックシステムがありません。あくまで過去のデータだけでこちらの出力を決めています。
 だから上がらない株に、大金をぶち込んだりします。
 コインはそのセンサーなのです。そのセンサーは、シナリオに修正を加えるためにあるのです。
 「奴(神)」は、元々フィードバックのシステムを用意しておいたのです。
 だからルールが進化したのではありません・・
 昔からあったのですが、気が付いていないだけです。
 例えばモノが落ちるのは当たり前だと思っていましたが、ある日ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、モノとモノが引き合っている法則を発見しました。
 当たり前のようにあったことが、ある日、法則になります。
 未来からのフィードバックも同様かも知れません。第六感と言われて、当たり前にあったのかも知れません。
 大昔、今日は獲物が捕れるかを、村の長老は予知したと思います。
 魚を捕る漁師もそうでしょう・・どこに魚がいるか、コインを振るよりも正確に予知したと思います。
 なのに、大金をかけて投資する銘柄がどうして下がるのでしょうか?
 それはフォースを使わずに、チャートなんか使うからではないでしょうか・・(笑)
 孫さんは横断歩道を渡るのが恐いと言います。前から歩いてくる人の未来(それも不幸な未来)が突然見えるそうです。それを言うべきか・・
 言って、事故を回避した経験もあるからです。告げたのに、信用しないで事故にあった人もいるそうです。
 こういう能力は右脳の世界であり、天性の才能を持った人か、特別の修練をしないとできないと思っていました。
 ところが六爻占術では、同様の予知ができます。ある意味、超能力を越えています。いつでもどこでもできるからです。
 未来からのフィードバックは元々あったというのが私の意見です。

再計算

 未来からのフィードバックで動くとどうなるでしょうか・・
 例えば私の娘の短期留学です。一週間後には現地にいる予定でした。
 時空の陰の世界にも、それがエネルギーとして形作られていました。
 それをコインで出してみると、凶と出ました。娘は泣く泣く断念しました。
 その間、一時間ありました。
 そして断念した後の状態を振ってみると、それは吉に変わり、アルバイトをする卦に変わっていました。そしてその通りに、アルバイトに通っています。
 おそらく断念した瞬間(正確に言えば娘が泣き出す瞬間かも知れません)に、時空は方程式に則って再計算をしたのです。
 私の車には8年前に付けたカーナビがあります。
 目的地を設定すると、「次は右、その次は左です」と指示してきます。
 時々別のルート(自分で知っていた近道)を通ると、「再計算します」と出て、その計算は30秒もかかります(最近のはもっと早いと思いますが)。
 何か、これに似ていないでしょうか・・
 しかし、未来からの情報が無い限り、再計算することはありませんでした。
 経験則だけだと、その人は何を考えて、どう判断するかは、時空側には分かるのです。
 だって「その人」を創ったのは、時空なのですから・・「その人」の考え方はバレバレです。
 ところがその人にも道はあります。それはコインを振ってみることです(笑)。
 再計算は、未来からのフィードバックがあったとき、初めて行われます。私の仮説ですが・・
 未来からの情報無しに再計算がどんどん行われるようだと、六爻占術は当たりませんし、誰も占いません。
 再計算はどこまで計算するのでしょうか・・
 宇宙の果てまでです。宇宙が終わる時までです。
 娘は六爻占術によりアルバイトに切り替えました。
 そこで発生する人間関係は何も計算に入っていませんでした。
 しかし未来永劫まで再計算する必要があります。
 なぜなら、そこで得た人間関係は未来永劫まで関わるからです。
 従って、六爻占術が普及すると、時空は再計算に追われるはずです。
 私たちの前には、たくさんの選択肢が道分かれしているはずです。しかし・・
 未来に通じるチューブは、一本なのです。方程式により計算されたチューブ・・
 未来則で変わるということは、チューブの道が変わるのです。

時間

 時間は進むのではなく、トンネルのように有り、そこをスリットのような「今」が進んでいくのでしょうか・・
 スリットを通った瞬間に物質化する・・
 もしそうだとすれば、「願えば叶う」というのは、ある程度はあり得るかも知れません。
 そのくらいのエネルギーのさざ波は・・
 そして、陰の世界に未来のシナリオを書いておいて、「今」という瞬間に、陰陽を変更するような簡単な操作で現実化するのかも知れません。
 時間の進行というのは、ものすごく、大変なことかも・・知れません。
 ふと思ったのですが、陰の世界に未来がエネルギーの形で作られていないとすれば、「今」という瞬間に現実化するのは、不可能なのではないかと・・
 つまり瞬間に物質化するには超無限大(?)のエネルギーがいるのではないかと・・
 最後の仮説は、理由も無しに、そうなっていたから・・(笑)
 (しかし通常、科学もここで終わっているのですが・・)
 さて、そろそろ大問題に挑戦をしたいと思います。
 「奴(神)」は、なぜこういうシステムにしたか・・です。
 物理の世界ではどの物体が将来どこに、どういう状態であるかは、ほとんど分かります。
 それは占うよりも、科学計算をした方が早いです。
 つまり物理の世界では、未来永劫までルールに縛られています。ルールから自由になることはできません。
 地球に意志があるとすれば、一度くらいはアンドロメダに行きたいでしょうか・・
 しかし行くことはできません。
 人間は自由なのでしょうか・・自由ではないというのが私の仮説です。
 元々3%だと言っていましたが、それどころではありません。0.03%くらいでしょう・・。
 なぜそうする必要があったのでしょうか・・何かの理由があるはずです。
 まず一つは、すべてを法則の下に置きたかった・・という仮説です。
 エネルギーとか時間とか、元々すべては「奴(神)」のものなので、その変形であるこの宇宙は、あるルールで動かすというものです。
 しかしこの理由には説得力がありません。未来に対してフリーにしておいてもよさそうだからです。
 次は、陰の世界であれ、エネルギーの形で仮に作っておかないと、「今」という瞬間を通ったとき、陽の世界で物質化できない、という仮説です。
 それにしても、人間ですら自由でなかったというのが驚きです。

神坂さんとのやりとり2

 神坂さんに、最近の書き込み(シナリオとルール、フィードバックシステム)と以下の結論を送りました。
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<結論>
・未来は四次元以上の時空間にエネルギーと情報として既に存在している。
・未来はあらかじめ決まっているけれど、変更もできる。
・未来をあらかじめ決めたのは・・すなわちシナリオを書いたのは、神の意志ではなく、方程式(ルール)である。
・そのルールを知れば、運命の仕組みが分かる。
・未来はエネルギーと情報なので、それを研究することでも、運命の仕組みが分かる。
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 以下は、神坂さんからの返事です。
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 地震を予知して回避する事はできます。
 地震の原因を止めて、再出発することも可能です。
 私の機械は・・
 過去から別の未来に進むことは、今私のところにあるオモチャでもできます。
 人間は誰でも未来を知っています。
 しかし・・
 思いが実現するのは、幼児か虚脱した老人か抵抗力、行動力の無い人間のほうが素直に中心角の放射、時間調整波動を受け入れることができるようです。
 自我が強く、人生は自由意志で選択できると強く思っていると、アクセプターは完全に蓋をされて、波動は入り込めない公算が強いです。
 これは、たわごとです。
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「私」とは時空の端末機1

 経験則から言えば、なぜ全ては折り込み済みなのでしょうか・・
 私たちは四次元チューブの中にいます。その断面がこの三次元です。
 断面は四次元チューブの時間軸を移動して、未来に向かいます。
 さて、六爻占術では三つのことを占うことができました。過去と未来・・
 そして現在です。密閉された容器の中を当てるのなどは現在の占いに入ると思います。
 過去の占いでは、私のやったアトランティスなどが例です。
 過去と現在と未来が占えるとすれば、私たちは四次元時空のすべてに住んでいるのです。
 おかしな表現ですが・・
 そしてその断面が「今」なのです。だから、既に変えようがないのです。
 分かりますか?私たちの主体は、「今」ではないのです。時空全体なのです。
 私たちは「今、ここ」が主体だと思っています。
 だから「今、ここ」を変えれば、未来は変わると思っています。
 しかし・・今、ここで変わろうとする「思考」ですら、全体が断面に対して現れたものに過ぎないのです。
 ここで佐佐木康司さんの言った一節が理解できます
 「未来にも過去にも同時に、しかもただひとつ住んでいる我々」・・です。
 これは私が書いた『不思議エネルギーの世界3』217ページに出てきます。
 この章の一部を抜粋しましょう。
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 まず科学の基礎である物理的世界観についてです。
 デカルト座標といいますのでデカルトの発想になるかもしれませんが、何もない空間に粒子(質点)を浮かべて考えるニュートン力学の発想は、実は発想の一つにすぎません。ところが今のほとんどの人たちはまだニュートン力学的世界観のままでいるようです。
 意識の問題を考えるときも、その発想のままに考えています。
 アインシュタインの相対性原理によって時間というものも時空間という幾何学の一要素に組み入れられました。つまり時間も空間のように軸になりました。そのせいか時間軸を行き来すれば、タイムマシンが確かに可能であると、夢が一見物理学的に裏付けられたかのような発想も出てくるようになりました。
 しかしここにこそ事象を点で見る、ニュートン力学的発想の弊害があるのです。
(量子論が示すのではなく)量子現象が示すように、事象は点ではなく、始めから時空間に広がった存在です。
 従って我々は既に未来にも過去にも"同時に"、しかもただひとつ住んでいるのであって、未来のある時間の自分が、現在の自分、過去の自分と独立した形で、つまり量子論的な意味での観測が可能な形で存在するのではないのです。
 ──中略──
 神経回路は単独で存在するものばかりではなく、ネットワークを作っていることは当然考えられますから、時空全体が情報処理をしている状態であるわけです。
 ──中略──
 運命についてですが、ニュートン力学に見られるような初期条件を与えさえすれば、すべての未来は決定論的に定まるという意味の運命はもちろんありません。しかし、過去から規制を受けていますし、実は未来からも規制をいることになります。
------------------------------------------------------------------------
 もしも本を持っているのでしたら、ここを読んでみることをお勧めします。
 この佐佐木さんの文章は、最近私がとらえた六爻占術における時空の概念と、とてもよく似ています。
 「今」が主体ではなく、主体は時空全体に広がっているのです。
 そして過去からも未来からも影響を受けて、「今」は、のっぴきならない状態なのです。
 ここで私の「全ては折り込まれている」という表現に結びつきます。
 だって変えようとする未来からも影響を受けているとすれば、どうやって変えるのでしょうか?
 「未来を変えよう」という意識すら、ニュートン的発想なのです。
 私の表現にもう一度戻ります。
 過去と現在と未来が占えるとすれば、私たちは四次元時空のすべてに住んでいるのです。
 おかしな表現ですが・・
 そしてその断面が「今」なのです。だから、既に変えようがないのです。
 分かりますか?
 私たちの主体は、「今」ではないのです。時空全体なのです。
 時空を作ったのを仮に神とすれば、「私たちは神と共に、最初から最後まで一緒にいるのです」・・うーん、宗教的ですが(笑)
 佐佐木さんの別の部分を抜粋します。
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 広がった存在である粒子を観測し、A地点にいたことを発見することは可能です。しかし位置と補足的概念である運動量がどんな値であったか、位置の特定を正確にすればするほど、無限に分からなくなります。これが不確定原理ですが、同じ事情は時空上の自分にも存在するはずなのです。つまり仮に特定の時刻に自分自身に会ったとしても、その瞬間にそれが自分自身であったかどうか分からなくなるといった状況が生じるはずなのです。もしここに奇異を感じるとすれば、もともと不可分のものを無理に分けて独立した存在として考えているところから生じるのです。
 ──中略──
 ある好意の愛情がどれほどかと測定しようとすれば、その大きさが分かったとしても、その対象が愛情という種類の意識なのかそれとも他の意識だったのか、もはや分からなくなるというようなことです。
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 つまり時空側では「私」はぼやけて分散しています。私とあなたの堺もぼやけるのです。
 私の「いのちの世界」という図では、上に行くに従って自分もぼやけてきました。自分は時空全体に広がりました。
 そして上の世界では未来へも行くことができました。もちろんエネルギーの世界の中の出来事でしょうが・・
 あの図は、今議論している時空の一つの表現だったのです。
 過去から未来までを含めて、時空は唯一存在しているです。
 だから「今」という瞬間から、未実現の未来を見るのではなく、全体から「今」を考える必要があるのです。視点の交換をしなくてはいけません。
 ここまで読んで、「運命はある程度決まっている」というのに同意できますか?
 コインを振るとき「場」を持ってくるという言葉がありました。
 私たちは過去から未来までのすべての「場」の中に住んでいるので、「持ってくる」のではなく意識をそこに「移動する」という表現が近いと思います。
 幽体離脱をすれば、時空間のどこにだって移動可能と同じです。
 孫さんは時間をコントロールするような超能力を使いますが、それも時空全体に唯一住んでいるということに忠実だからこそ出来るのだと思います。
 チベットでは変化に身を任せなさい、生まれた瞬間からあなたはあなたが到達したい場所にすでにいるのです、あるがままになりなさい・・と言われました。
 これも時空全体に身を任せなさいと言っているようなものです。
 私とは時空全体に広がっていて、何にでもアクセスすることは可能なのです。
 だから三次元のこの肉体の私は、端末機のようなものなのです。
 この書き込みは、私たちが生きている体系そのものの変換も迫っているはずです。
 願望実現の実験は、運命に折り込まれているというのが私の仮説です。
 人間のほとんどは願望を持っていると思います。
 試合に勝ちたい。株が上がらないか・・
 でもその願望は、果たして通じるでしょうか・・
 折り込まれているので、六爻占術では全く別の手法で未来を変えるのではないでしょうか・・

高次元は堅い

 150億年の昔から、未来永劫まで、時間の流れのすべてにアクセスできるとすれば、高次元は堅くなければならないと思います。これは神坂さんの発案です。
 彼は生命の初動は衝撃波であり、それが伝わるためには堅くないといけないと言っています。
 もしも高次元が堅ければ、瞬時にどんな波動でも持ってこられます。
 さらに、どんなピンポイントの事柄にでもアクセスできます。
 柔らかかったらどうでしょうか・・
 まず、自分の意識が向こうの世界になかなか伝わりません。
 空気中で叫ぶのと、鉄の板を叩くのとでは、伝わるスピードは鉄のほうが断然速いです。
 また、ふわふわの手袋で何かを掴むのと、ピッチリした手袋で掴むのとは、後者の方が微細な領域に届きます。
 つまり堅いということは、「早く、正確に」ということと同じです。
 これを神坂さんは深海魚に例えました。
 深海魚にはすごい圧力がかかっていますが、彼らはスイスイ泳ぎます。圧力に慣れているから知らないのです。
 だから私たちの周りにはものすごい圧力のエネルギーがあるはずなのです。
 そのほんのちょっとした変化が地震や災害をも起こします。
 コインのような堅いものを投げて、なぜそこに時空の情報が乗るか・・
 それは神坂さんの理論である「高次元のエネルギー圧は高い」というのと、関係していると思います。
 常識を変えて考えないといけません。

原因の世界へ

 『「私」とは時空の端末機』の書き込みでは、次のことを書きました。
(1)自分自身とは時空間全体に広がっている
(2)今の私はその断面である
(3)今の私は過去と未来から影響を受けている
 以前私の描いた「いのちの世界」で、外側に行けば行くほど自分自身とか時間とかがぼやけてきます。青い色で示してあります。これは(1)を意味しています。



(ノートは螺旋の図を書くための原案です)
 内側に行くと赤い部分がありこれが三次元の世界で、「自分」とか「今という時間」がよりクリアーになってきます。
 「いのちの世界」では原因の世界が上にあり、下は結果の世界だと説明しました。
 六爻占術は、ほぼそれに近いと思うようになりました。
 だから運命を変えるためには、原因の世界にアクセスしないといけないのです。
 六爻占術では未来を陰、過去を陽としています。未来は原因で、過去が結果になります。
 ということは、未来そのものを変えることによって、今を変えるのです。
 変な表現ですが、分かりますか?
 ところで『不思議の科学』の結論部には次のように書きました。
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 最後に私の気づきを書きたいと思います。
 調査を通して私が得た気づきの一つは、我々の魂の実体は上の世界にあったということです。
言い換えれば原因の世界が上にあり、肉体は結果の世界なのです。
 結果の世界には結果の世界に通用するルールがあります。その一つが従来の物理学の法則です。
 物質をもってしては上の世界に行くことができませんでした。
 このことに気づかせてくれたのはフィリピンと中国の現象でした。ボールをテレポーテーションさせる際、周囲に巻かれたゴムの結び目がほどけなかったからです。
 従来の物理学は結果の世界同士の関係を知るための学問なのです。従来の経済学もそれに当たるのではないかと思います。
 ある入力をすれば、あらかじめ計算された出力がでるといった世界です。
 一方方向の世界とも言えます。
 その世界は原因の世界が変化しない限りは非常に安定しています。ほとんど数式で表すことができます。
 その数式を使い私たち人間は繁栄してきました。
 相手が一を生産すれば、自分たちは二を生産しました。そうして競争に勝ってきました。
なぜ人間は生まれてきたのか、人間は死ぬとどうなるか、こういった疑問はできるだけ遠ざけてきました。なぜかといえば、おそらく結果の世界のみでは解答不可能だからです。
 私たちは結果の世界で幸せになろうとしてきました。
 結果の世界には客観性が存在します。つまり誰の目から見ても幸せという状態です。
 そういう幸せを求めて生きようとしてきました。
 モノサシは共通のものでなくてはならなかったのです。
 努力をしてモノサシに合わせようとしました。
しかしそれらはすべて結果の世界の中の出来事でした。
 影が影を変えようとしていたのです。
 もしも私が影だったとし、それを変えるなら、影が写っている床板を変形させる必要があります。その刻み方を教えてくれたのが従来の物理学でした。
 影は長いこと変わることはありませんでした。
 しかしちょっと違ってきました。
 実体を動かせば影は簡単に変わったのです。
 私の気づいた点はここにあります。
 実体を動かすにはどうすればよいのでしょうか。
 精神世界には、想いがすべてを変えるという法則があります。しかしこの考え方は私の気づいたことをうまく表現しているとは思えません。
 想いを発する実体が、あくまで肉体を持った(つまり結果であるところの)我々のような気がするからです。
 現代物理学を精神世界にそのまま置き換えたような気がするのです。入力するのも結果の世界で、出力するのも結果の世界のような気がするのです。
 本当は原因の世界にある実体としての私が、原因の世界にある実体としての相手に気持ちを送るのがもっとも良い方法でしょう。
 そうすれば結果の世界は自動的に変わります。
 これこそ、見せかけではなく本当に変わったのです。
 原因の世界にある実体としての私と、原因の世界にある実体としてのあなたとの関係になれば、相手を愛おしむ関係しか生まれないでしょう。原因の世界ではすべてがつながっているのですから。
 このことに気がつかせてくれた一つの現象は葉の再生縮小でした。葉の切断された状態は葉にとって決定的なものではなかったのです。想念で原因の世界を変えてしまえば、切り取られた葉は簡単に再生するのです。
 葉の大きさも決定的なものではなかったのです。想念で原因の世界を変えてしまえば、葉の大きさは簡単に変化するのです。
 もう一つ、このことに気づかせてくれたのは豆の蘇生現象でした。死とは結果の世界の出来事だったのです。原因の世界を変えれば死は生に変わるのです。
 では原因の世界に到達するにはどうすれば良いのでしょうか。
 それは心のフィルターをクリーンにすることです。
 これを教えてくれたのはモンロー研究所でした。
 クリーンにする方法は、何事にもとらわれなくなることです。「私は誰でもない」と思うことです。
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 さて、私は六爻占術の解明は、『不思議の科学』に書いたような、今までの私の調査とは、全く違うという先入観がありました。
 それは「未来」と「占い」という言葉から来る先入観でした。
 今までの物理的調査は横に置いて、占いを考えようとしていました。
 おそらく科学者の多くもそうだと思います。物理と占いは出会うはずがないと・・
 時間軸をチューブのようなものだと仮定して、そこを「今」というスリットが断面を作りながら通過していきます。それは直線的な時間の捉え方です。
 もしも時間がたたみ込まれているのなら、「いのちの世界」の図のようなものでも良いはずです。向こう側では時間の進行のようなものは無いからです。
 さて、『不思議の科学』を書いた時点では、もうひとつの大きな先入観がありました。向こう側の世界は物理の法則で記述できないだろうということです。
 精神世界ではよく言われています。心の世界は数式では割り切れないと・・
 それはわけの分からないカルマであったり、「想い」であったりしました。
 しかも究極は悟りの世界だと・・
 でも六爻占術は、向こう側の世界も数式で割り切れる世界だと教えてくれています。
 私たちは今、運命を解明する方程式の入り口に立っているのです。
 既に多くのところで兆候は現れています。
 神坂さんは、反動のエネルギーは一定ではないということを実験で証明しています。これでニュートンの法則は成り立たなくなります。
 惑星の螺旋運動が、何らかの生命エネルギーを作り出し、それを正転したり逆転したりすれば、生命の時間を戻したりもできることを発見して、その装置(銀河運動装置)も作りました。
 時間は単に一方方向に進むものではなくなりつつあります。
 そしてコイン三枚で誰でもが原因の世界(これは陰の世界とも、未来の世界とも言えます)にアクセスできるのが六爻占術です。

「自分という意識は結果である」・・という仮説

 私たちは今まで、結果の世界から結果の世界を変えようとしていました。
 「自分が変われば運命は変わる」・・・と。
 しかし自分を変えるとか、意識を変えるとかは、実は結果の世界なのです。
 六爻占術では「運命が変われば自分も変わる」と言います。
 精神世界とは逆なのです、表現が・・
 自分という意識は、何と、結果なのです(私の仮説です)。
 もちろんトランプの実験(願望実現の実験)のようなことはできます。
 しかしそれは結果が結果を変えているだけで、運命を変えているわけではないのです。
 運命を変えるには、どうしても原因の世界にアクセスしないといけません。
 原因の世界とは、陰の世界であり、未来の世界です。
 例えば株の銘柄がどうなるかを知るためにコインを振るのも、原因の世界へのアクセスなのです。
 それが数ヶ月後に実際の株価としての結果になるからです。
 その株を買うことは、原因の世界からのフィードバックです。
 元々その人の人生のシナリオにはありませんでした。
 ですからその銘柄を買った瞬間に、時空は再計算をします。
 そして貧乏から脱出するルートに切り替えます(笑)。
 予知夢、直感、天目映像なども、原因の世界にアクセスすると思います。
 それで行動すれば、やはり再計算が行われると思います。
 ここで言いたいのは、コインでアクセスするのは「未来」だけではないという点です。
 過去も未来もたたみ込まれた原因の世界なのです。だから過去も占えるのです。
 そして本当の「私」がいるのは、おそらくコインの向こう側なのです。
 ということはコインを通して、本当の自分に教えてもらっているのです。
 コインを三枚チャリ〜ンと投げる占いが、まさか精神世界全般を含む時空を解明するキーになるとは、思ってもいませんでした・・
 「私」とは原因であると、ずっと思っていました。
 でも、ことあるごとにヒントがありました。
 道教もそうです・・・(ワダチ)。
 チベット密教もそうです・・(あるがまま)。
 しかしずっと教え込まれていたことに、抵抗できませんでした。
 それは・・私たちは主体であり、物事を生み出すための原因である・・と。
 「私」が変われば、すべてが変わると・・
 世界を変えるためには、まず、主体である人間の意識変革だ・・と。
 でも私たちが結果であれば、何も変えることはできません。
 もちろん主体である部分も残っていると思います。
 ただ、それをことさら強調して、私たちは自由だと、言いますか?
 私にとっては、時空がどうなっているか・・のほうが興味があります。
 好き嫌いや願望は捨てて、「自分という意識は結果である」を受け入れてみたいと思います。

「私」とは時空の端末機2

 私たちは自分たち自身を、それぞれ分離されたコンピュータだと思っていました。
 自分のコンピュータの速度の遅さに嘆き、自分のコンピュータの記憶容量の無さに嘆き(笑)・・
 しかし私の仮説では、私たちは端末機だという話が出ました。
 私はモンロー研究所で体外離脱を体験しましたが、あのとき魂は肉体を離れていました。
 なのに私は私の思考をそのまま続けることができました。
 生まれ変わりの村では、肉体が変わっても前世の記憶を持ち続けます。
 どうしてこんなことが出来るかと言えば、私たちは端末機なのです。
 記憶は端末機に入るのではなく、時空のネットワーク全体に入るのです。
 「私」は単にインターネットの繋がれた端末のようなものです。
 時空のインターネットには150億年前の宇宙誕生から、何千億年後に訪れる宇宙の終演までが入っています。
 いえ、その次の宇宙誕生、その次の・・まで入っているかも知れません。
 なのに私たちは分離されたパソコンだと思ってきました。そして向こう側はの別世界だと・・
 ところがここに至るすべての調査をひっくるめると、「私」の本体というのは、なんとこの肉体(端末機)ではなかったのです。
 本当の自分とは高次元の時空全体に広がっているのです。
 時空のネットワークそのものが私自身なのです。
 だから本当の自分は何でも知っているのです。過去から未来まで・・
 しかし高次元は時間がたたみ込まれていて、こちらは断面です。
 その間のやりとりには、電話のようなシステムが必要でした。
 それが六爻占術ではないでしょうか・・
 ダイヤルに相当するのが意識です。意識するだけで目当てのデータに繋がります。
 それを電話線でこちらに引っ張ってくるのに相当するのがコインです。
 その目を解読するのが六爻占術です。
 孫さんのように天目を使えば映像として見ることも可能です。
 でも孫さんは調子の良いときしかできません。コインはいつでもできます。
 私たちは死ぬと、たぶんデータベースそのものの世界に帰ります。
 それはフォーカス35あたりにあるのでしょうか・・・
 とすると、コインは死んだ世界にアクセスしているのでしょうか・・
 そんな不吉な・・(笑)
 でも考えてみて下さい。あの世は死の世界ではありません。
 死を生に変えるのが向こうの仕事です。向こうは蘇生の世界なのです。
 こちらをと言えば、生から死に向かっています。
 どちらが生のエネルギーに満ちているでしょうか・・・
 向こうの世界は生のエネルギーの補給基地なのです。
 しかも時間までたたみ込まれて、あらゆる出来事が記憶されています。
 そこには未来の記憶も含まれます。私たちは端末を叩くだけでそこにアクセスできます。
 すごいと思いませんか?宇宙の英知を、全て使うことができるのです。
 テキスト第二巻には「不思議占い」という章があり、他の惑星探査やUFO探査をコインだけでやります。
 トラさんは考古学の見地から恐竜がなぜ絶滅したかを知ろうとしてコインを振りました。するとそこには絶滅した理由だけでなく、なんと・・再び未来に出現するということまで出ていました。
 これは何億年にも渡るタイムスパンの記憶です。しかも過去から未来までの記憶です。
 今までは自分の端末機が全てだと思い、そのメンテナンスに一生懸命でした。性能を上げることもしようとしてきました。
 端末機には小さなCPUも付いているので、それを使ってやることを「自主性」とか「創造」とか言ってきました。向こう側には巨大な知恵があるのにです。
 ひょっとすると天才というのは、端末機の性能が良いのではなく、向こう側につながりやすい端末なのかも知れません。

たかが端末、されど端末

 時空には過去から未来についての膨大な情報があるだけでなく、起こってもいないことを計算してしまう能力があります。
 私は、自分の家を建て替えるか、リフォームするかで悩みました。
 それで、二つの場合について、コインを別々に振りました。
 すると、立て替えると、せっかくの財運が逃げてしまうという結果が出ました。
 これは起こりうる未来の記憶として存在しているのではないのです。私が頭の中で勝手に思ったことです。
 時空は私が勝手にイメージした家についての未来を全て計算したのです。ご苦労様です(笑)。
 テキスト第二巻では、三人の女性について、どの人と付き合ったらうまくいくかを占った例があります。
 占った男性は、すでに意中の人がいて、その特定の人との未来を占ったわけではありません。どの女性と浮気したらうまく事が運ぶかを占ったのです。
 しかし時空は真面目に、それぞれの恋愛について計算をして結果を出しました。ご苦労様です。
 でも、占われた女性は、バーチャルであれ、その彼と過ごす日々を演じてあげたのですね・・
 実は、これはすごいことなのです。 初めて時空と我々の主従関係が逆転したのです。
 我々は時空が計算した結果に従うだけでした。思考ですら時空側のものでした。
(でも時空には本当の自分がいるのだから、別の人格に操作されたわけではありません)
 ところがここに来て、本当の自分(時空側の自分)が仮の自分(肉体を持った自分)に対してフィードバックをかけて、両者で選択を検討できるようになったのです。
 私は「神よ、お前の好きなようにはさせないぞ」と言ったことがありました。
 この場合の神とは、向こう側にいる本当の自分自身かも知れません。
 しかし端末機にだって人権はあります(笑)。
 一生懸命に汗水流して行動しているのは、端末機だからです。
 向こうは高見の見物でした・・気楽でした・・
 でもこれからは違います。どんどん計算させます(笑)。
 「私の端末、また金儲けをたくらんでいる・・この間ニッセンで儲けたばかりなのに・・」
 「娘の旅行、よく気が付いたな・・ヤバイんだよそれが・・ちゃんと計算して上げよう」
 「きょう雷が鳴るかだって?・・しょうがない、フェルルのためだ・・」
 コインを振るたびに向こうは大変です。時空の最初から最後まで計算するのですから・・
 しかも三人の女性を占わした浮気男に対して、「おい、いいかげんにせいや・・もう計算しないぞ・・」なんて、言いません(笑)。
 「上から見てりゃ女を取っ替え引っ替え・・いいことばかりしやがって、本体の俺にも少しは味わわせろ」などとも、言いません(笑)。
 どっちが得でしょうか・・ こっち側だと思いませんか?
 現場の方が楽しいに決まっています。
 さて、『スターウオーズ』では、主人公たちが敵の宇宙船に乗り込み、窮地に陥ったとき、R2D2というロボットがコネクタを差し込んで敵のコンピュータにアクセスして、危機を回避するという場面が多々あります(それが無いと彼らはとっくに滅んでいます)。
 それに似ていると思います。
 R2D2は小型のロボットですが、オンラインで繋げば無敵になります。
 私たちは小さな端末機ですが、時空のマザーコンピュータにつながれば、すごい力を発揮できるのです。
 たかが端末、されど端末です。

端末の向こう側に広がる時空

 前回の書き込みで、次の表現がありました。
 「でも、占われた女性は、バーチャルであれ、その彼と過ごす日々を演じてあげたのですね・・」
 この一行のすごさに気が付きましたか?
 占われた女性の一人は既婚者でした。卦にはその夫のことが出ています。
 夫が単身赴任で・・どうのこうの・・
 彼女とうまいことしようとした相談者の知らないことまで出ていました。
 もう一人の女性は既に沢山の相手(男性)がいて、手広く浮気中の女性でした。
 その相手(男性)のことまで詳しく出てきます。容姿、性格まで・・
 さらに、ターゲットの女性の付き合っている男性と、相談者の関係も出てきます。
 もちろんそのターゲットとの浮気はまだ始まっていませんから、バーチャルな未来の関係です。
 つまり、バーチャルな計算をさせられる過程においても、世の中のすべての人間関係が計算されているのです。
 でなければ、相手の、そのまた相手まで出てきません。
 その浮気が起こった場合の本人に関係するすべての人間関係と起こる事件が出るのです。
 端末は、閉じられた小さな世界にアクセスしているのではありません。
 全宇宙を相手にしているのです。
 全宇宙空間と、過去から未来の全ての時間・・です。
 それも、たかが浮気の計算に・・です。それが、端末から計算可能なのです。
 端末の向こう側には、全宇宙空間と、悠久の歴史が広がっています。
 おそらく、全てが繋がっていないと、こういうことはできないと思います。

神坂さんとのやりとり3

 神坂さんに、私の端末機の書き込みと以下の文章を送りました。
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 神坂さんは「自然に沸き上がる」という表現を使いました。
 この「自然に」というのが、向こう側に繋がることだと思います。
 強い意識で無理矢理作り出すのは自然とは言いません。
 やはり自然と繋がっていないと、向こうの情報も流れてこないと思います。
 神坂さんは昨日のファックスで、全てはエネルギーだと言っていますが、私もそうだと思います。
 エネルギーが波動を成して、それが情報になるのだと思います。
 エネルギーをあやつる規則が方程式なのでしょう。
 私は神がいたとしても、人格を持っているとは思えません。
 私たちの魂の本体は向こう側にあり、いつも私という端末に信号を送っていますが、その本体の魂の総合が神かも知れません。
 さて、トラさんと神坂さんに共通するものがあります。それは実験を重んじているということです。
 トラさんは言いました。
「ルールが先にあるのではなく、検証(実験)を通じてルールを探しているのです」・・と。
 だからトラさんは古文書をそのまま信じたりはしません。自分で検証しています。
 古文書の誤りもずいぶん発見しています。
 人は、分かったような気になるのが一番恐いです。
 トラさんと神坂さんは、方法は違うのですが、追求しているものは同じだと思います。
 実験を積み重ねることは、本当に大変なことだと思います。
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 以下は神坂さんからの返事です。



(昨日の絵とは、「いのちの世界」の図です)

ユングがやっていたのはコイン占いか?

 二年ほど前にハワイに行ったときの書き込みは、ユング特集でした。
 あるときユングの友達(牧師さん)が中国にキリスト教の布教に行きます。
 しかし彼は一人も洗礼できなかったどころか、道教と易にひたって帰ります。
 彼は中国から持ち帰った易の本をユングにあげます。そして・・
 ユングはどっぷりと占いにはまります。フロイトと別れるのもその頃・・
 そして、ユングは集合無意識という概念を発表します。
 ハワイで読んだ本には、占いがいかに当たったかが書かれ、それに入れ込むあまり、科学者はどんどんユングから離れました。
 さて、私はユングがやっていたのは四柱推命だとばかり思っていました。
 でも下の写真は、四次元の本の抜粋です。
 これによれば、ユングがはまったのはコイン占いでしょうか?


時空の輪廻

 宇宙空間は有限です。ビックバンで誕生した三次元空間(宇宙)は、拡大を続けていますが、それは風船が膨らむ様子に似ています。
 限りがあります。果てがあるのです。
 さて、時間はどうでしょうか・・私は時間も有限なのではないかという気がしています。
 たぶん時間もビックバンと共にできたのではないでしょうか・・
 そしていつか宇宙の終わりがくるときが来ます。
 一説によれば拡大を続ける宇宙はある時点で再び収縮を始めるというものです。
 しかし別の理由を考えました。それは六爻占術の視点です。
 浮気男の女性選びで、再計算の話が出ました。
 たかが浮気相手の選択なのに、時空の最後まで計算するはずです。
 ということは、これから先、時間が無限であってはならないと思うからです。
 無限だと、いつまでたっても浮気相手が計算できません。
 つまり再計算可能だということは、これから先、いつかは時の終わりが来ます。
 さて、これからが私の大仮説です。その後、時空はどうするのでしょうか・・・。
 時空は死んだ後、再び輪廻転生するのではないでしょうか・・
 つまり我々が輪廻するように、神(時空)も輪廻するのです。
 本当の私は、向こう側の世界では時空そのものでした。
 小さな私が肉体を次々に輪廻するように、大きな自分(時空)も輪廻するのです。
 これは惑星の自転、公転をも思わせます。フラクタルという言葉も、思わせます。
 我々が輪廻するのなら、神(時空)も輪廻しないとは、誰が言い切れるでしょうか・・
 ひょっとすると、時空も生き物なのかも知れません。
 膨張を続ける宇宙がそのまま拡大したままなら、時間は有限にはならないと思います。
 星と星との間隔は開いていき、宇宙は希薄になっていきます。時間も収束しません。
 しかし、以前見たNHKスペシャルでは「宇宙は元に戻るか」というテーマでした。
 その中に出てくる一人の科学者が、「宇宙の拡散スピードは次第に減少しつつあります。でも宇宙の星の密度だけではこのようなことは起こり得ません。宇宙には目に見えない物質のようなものがあり、それが密度を作り出して、宇宙が拡散しないようにしているようです。それをブラックマターと言います」というようなことを言っていました。
 ブラックマター(暗黒物質と言うらしいです)の話は、別の本でも読みました。
 この仮説が正しいとすれば、宇宙は拡大をやめて、いつか収束に向かいます。
 そして最初のビックバンの名残であるブラックホールにすべて吸収されて、宇宙は無くなります。
 ここで言っている宇宙とは、私たちが住む三次元のことです。
 宇宙の生滅と共に時間も無くなれば、時間は有限ということになります。
 さて話は脱線しますが、ホーキングが次のようなことを言っていたと思います。
「宇宙が収束を始めたら、時間も逆転をする可能性があります。当然エントロピーの法則も逆転します」・・・と
 ホーキングの本を読むと、彼は超ひも理論の「宇宙は10次元説」を(「も」と言うべきか・・)取っています。
 彼はこの現存する宇宙は4次元としています。縦横高さと時間で四つです。
 10−4=6なのですが、残りの六次元は小さくなっているのです。
 現存する四次元時空はいつか収束してほとんど無くなります。
 そのとき拡大を始めるのが、いま小さくなっている六次元かも知れないと言っています。
 そしてその時まで人類が生きていれば、四次元から六次元にワープする方法をあみ出して、六次元で生きるようになるかも知れないと言っています。
 もしも仮説通りなら、まさに次元上昇ですね・・・
 宇宙の輪廻は、意外に精神世界で言うところの次元上昇を伴うかも知れません。

みなさんに問題です

 宇宙は有限だと言いました。では問題です。
 無人探査機が宇宙探査に出かけました。それは惰性で一方方向に向かって飛んでいます。 このロケットは一体どうなるでしょうか?もちろん宇宙の膨張スピードよりも速いロケットです。
A.宇宙の端まで行き、行き止まりになって、止まる
B.ロケットは端にぶつかってバウンドして戻ってくる
C.ロケットはずっと真っ直ぐに惰性で飛んでいたくせに、ある日、元いた場所に帰っている
D.宇宙の端から、落っこちる
E.なぜか、消える
 『四次元の冒険(ルディ・ラッカー著)工作舎』という本を読んでいます。
 ただし1989年の本です。
 これが書かれてから、科学は進歩しているかも知れません。
 問題の回答は、この本に載っています(「解答」と書かないのは、たぶんこれから書くのも、仮説だからです)。下に本文の写真を載せます。



 この本からすれば回答はCですね。、要点を書くと
・アインシュタインの一般性相対性理論より、物質が空間を歪曲させる。宇宙内部の物質より、集積された曲率で、空間は湾曲してもとに返るというのは十分にありそう。
・それはちょうど地球の表面に似ている。境目は無いが、有限である。
・だとするとどこでも宇宙の中心だし、どこでも宇宙の端なのだ。
・だからこれを読んでいるあなた自身が宇宙の端そのものにいることになる。宇宙の果てにいる気分はどう?(笑)
 さて本の写真に無い部分を書きますと・・
 二つの宇宙船が真反対の方向に出発したとすると、あるところでそれは出会います。
 その点が一番遠い場所です。
 これは地球を考えれば分かります。真反対に出発した飛行機は反対側で出会うはずです。 そして二人はまた別れて、その後、出発点で再び出会います。
 宇宙は山手線のようなものですね・・
 そうそう・・こんなこともありそうです。
 とってもよく見える天体望遠鏡で見ると、なんと、自分が覗いている後ろ姿が見えます。
 ただしこの本は12年前の本です。
 科学はもっと進歩して、別の回答を出している可能性もあります。

もう一つの時間次元

 『四次元の冒険』(ルディ・ラッカー著)という本を、5年ぶりに読みました。
 以前は、全く見落としていた箇所がありました。なかなか示唆に富んでいます。
 さて、下のように占いの話がこの本には出てきますが、著者は全く信じていません。
 偶然の一致だと言っています。たぶん、一度もやったことがないのだと思います。
 この本は、とても面白いです。昨日、会社の書庫から出してきました。
 例のロケットの行く末の答えを書くために会社から持ってきたのです。
 さて、この本の中に次のような会話が出てきます。
 フラットランドという二次元に住んでいる平面の「僕」と、三次元に住んでいる球体の「スフィア嬢」の会話です
 スフィア嬢が時間をも取り入れたフラットランド時空の模型を「僕」に見せるところの会話です。
僕:「抗議させて下さい。人生は変化と運動とからなっています。このフラットランド時空の模型のどこに運動が存在するのでしょうか」
スフィア嬢:「運動を次のように想像できるでしょう。時空立方体を貫通して平面が上に上がっていくものと思いなさい。この平面を、運動する"今"だと考えるのです。あなたの注意をそれに固定するのです。そうすればあなたの姿が哀れなジグを踊っているはずです」
僕:「僕の理性が時空の断面の一つを照らし出し、その心を上のほうに運動させたものが時間の推移だと言うのですか?」
スフィア嬢:「そのようなことは言っていません。時空には運動などは存在しないのです。あなたの心は、そのままで、生涯にわたって広がっているのです。もっと正確に言えば、心は偏在しており、あなたには心はまったくないということなのです」

●フラットランド人の人生が書かれた時空模型



●スフィア嬢が時間をも取り入れた時空の模型を「僕」に見せているところ



 この本の著者は、運命は決まっているというスタンスを取っています。
 だから六爻占術の概念と、マッチします。でも自由意志も無視してはいません。
 著者は次のように言っています。
 その前に、著者は超マニア本である『カルロスカスタネダの呪術の体験』の一説を引用しています。
 あの本は私も読みましたが、かなりマニアックです(笑)。
ドン・ファン:「僕は重要だからというのではなく、性に合っているから人生を楽しんだり、笑ったりするほうを選ぶのさ・・ほかにもっと重要なものなどあるわけはないから・・」
 さて、「四次元の冒険」の著者はこれを受けて次へのように言います。
------------------------------------------------------------------------
 この考え方は、自分の人生が一つの全一者であり、全体に渡るパターンが価値があるものにほかららないとするものである。パターンの中での予期せざる妙案が、自分で自由意志の決定をしていると思っている場所に相当するものである。
 ある人々はこの見解に大いに意義を唱えている。彼らは自分たちの自由意志が重要だという信念が強いために、未来などが存在するわけがないと感じている。彼らは過去が存在することは認めるかも知れないが、ブロック宇宙が時間の経過するにつれて上方に発展していくような存在だと感ずるのである。
 図146にブロック宇宙と並べてこの見解と、現在の瞬間に対してだけ実在を与える見解を図示しておく。

●図146



 ブロック宇宙が他の見解をしのぐ大きな利点は、ブロック宇宙には客観的に存在する"現在"がないという点である。ブロック宇宙には運動するものは何もないし、他の二つのモデルが依存しているような水平な空間シートに何か絶対的・客観的意味を見いだそうとする必要はない。
 はっきりしてきたように、実際に"この瞬間に選ばれた空間のすべて"について客観的で普遍的に受容できる形で定義を見いだすことは不可能である。
 このことはあとで分かるように、アインシュタインの特殊相対性理論から導かれる。だからブロック宇宙の考えは、魅力的な形而上学よりももっと魅力的なのである。それは確立した科学的事実だからである。
------------------------------------------------------------------------
 このように著者は、未来は決まっているというスタンスです。
 そして面白いのが「時空には運動などは存在しない」と言っている点です。
 すべてがたたみ込まれているとすれば、高次元の時空の中では、時間経過はありません。
 運動が起きるためには、時間経過が無いといけません。それは静止画と動画の違いです。
 それでも、「自分の人生が一つの全一者であり、全体に渡るパターンが価値があるものにほかららないとするものである。」なんて言ってしまうのは、さすがです。
 この人は決まっている人生そのものを楽しもうというのです。
 さて、ここからが先が私のインスピレーションです。
 もしも再計算が行われたら、どうでしょうか?例えば何度も登場する浮気男の例です。
 彼は人妻を含む三人の女性のうち、どれならうまくいくかと占いました。
 占う前はAさんに決めていたとしましょう。しかし、占いの結果を見てBさんに変えました。
 それすら時空は折り込んでいるという人は、六爻占術を体験してから意見をどうぞ。私はあくまで六爻占術の体験に基づいてこの書き込みをしていますから・・
 さて、Bさんに変えたとき、時空は再計算をします。そして上の著者が言うところのブロック宇宙に変化を起こします。
 ということは・・変化は運動です。運動があるというのは、時間があるのです。
 つまり、時間は全てたたみ込まれていなかったのです。再計算して変化を起こすための時間軸が必要なのです。
 だから、私の今までの仮説を成り立たせるためには、三次元の空間と、歴史を刻む時間と、歴史を変える時間の、合計五次元が必要なのです。
 二番目の時間要素が活躍するのは、未来からのフィードバックがあったときです。
 ホーキングはこの宇宙を四次元(空間三次元と時間一次元)として、超ひも理論から出る10次元の解から、残りを六次元としましたが、元々この宇宙は五次元だとすれば、宇宙の輪廻で五次元を交代交代使うことが可能です。
 さて、みなさん・・
 みなさんは、彼が言っている「ある人々はこの見解に大いに意義を唱えている。彼らは自分たちの自由意志が重要だと・・」の「ある人々」には、なっていないでしょうか?
 正直なところ、実は私も「ある人々」の中にいました。だって、この本が好きではなかったからです。
 だから何年か前に一度読んで、会社の書庫にしまってありました。
 この本には「運命は決まっている」と書いてあったからです。それを認めなければならないからです。
 でも、今読むと、この著者は凄いと思います。ちゃんとその事実と向き合ったからです。
 それと向き合うために、科学者(数学者で大学教授)のくせにカスタネダまで読んでいます。
 私は未来は変えることができるという事実を知って、やっとこの本に戻れたのです。

タイムスパン

 ジュニア版NHKスペシャル『宇宙に果てはあるのか・・膨張する宇宙はこれからどうなる』によれば、宇宙は膨張を続けて、いつか冷え切ってしまうだろうということでした。
 真空のエネルギーの話を、こんなに詳しく聞いたのは初めてです。
 昔見た大人向けNHKスペシャルでは、確か、逆でした。
 ブラックマターが、膨張を止めてしまうということでした。
 さて、冷え切ったとき、時間はどうなるのでしょうか・・とても気になります。
 空間が無限に続くとすれば、時間も続く可能性があります。
 そうなら、六爻占術の再計算は、無限にやるのでしょうか・・
 再計算をやるとき、前の書き込みでは「時空の終わりまでやる」ということを書きました。
 しかしこの番組を見て、急遽変更です(笑)。変わり身の早いりんごです。
 はっきり言って、浮気男の計算を、さっき見たように、宇宙が冷え切って、女もいなくなる(寂し〜い)時期まで計算するのは、あまりにも酷です。
 つまりコインを振るときには、無意識にタイムスパンを入力していると思います。
 でなきゃ、時空はやってられません。いくらボランティアとは言え・・
 もしも、どんな占いにもタイムスパンがあれば、宇宙が収縮しようが、膨張しようが関係ありません。

神坂さんからのファックス1


原因の世界

 ラジコンの飛行機とか船を作るとき、サーボモータというのを使います(ターボからの連想です(笑))。
 サーボモータは、手にしたリモコンの通りに本体(模型の本体)の舵が動きます。
 それは普通のモーターのようにウイーーーンとは回りません。
 ウイーーーンと回るのは、飛行機ならプロペラで船ならスクリューです。
 サーボモータは、飛行機なら尾翼に、船なら舵に連結しています。
 そしてリモコンの通りに左右に動きます。
 これって、六爻占術の言うところの時間の概念を入れた「人生」ではないでしょうか?
 つまりプロペラやスクリューが歴史を刻む時間です。一定速度で進みます。
 今までは私たちを例えた飛行機には操縦桿もなく、船には舵がありませんでした。
 意識がそうだとされていましたが、意識は後追いをするだけです。
 つまりハンドルが付いていても、舵には連結されていない・・・
 自己満足のためにだけぐるぐる回していました。
 さて六爻占術の出現で、私たちはリモコンを手にしました。
 こちらから高次元にリモコンで指示するのです。
 いえ、株の世界では指示など要りません。
 リモコンにはレーダーがついていて、未来の航路を映し出します。
 だからそれによって行動パターンを変えるだけです。
 でもそうでないのもあります。それはウサギ八匹だったり、鈴9個だったりします。
 これがリモコンです。
 さてその操作は、サーボモータ的です。
 徐々に、一定速度で動くのではなく、一気に動きます。ウインウイン・・と。
 そして我々の進路を大きく変更します。変更したら、そこで変化を停止させます。
 この「動いたり、動かなかったり」という動きはどうやって実現しているのでしょうか・・
 リモコンが動かすのは、原因の世界にある自分自身の本体です。
 リモコンはこちら側、すなわち結果の世界にあるので、結果の世界は結果の世界を直接動かすことができません。
 リモコンが動かすのは、あくまで原因の世界です。
 原因の世界が動くと、こちらの結果の世界は自動的に動きます。
 今まで原因の世界は、「奴(神)」のコントロール下でした。私たちにリモコンはありませんでした。
 リモコンで操作するためには、未来が見られるレーダーが必要だからです。
 原因の世界は、物質はなくて、全てエネルギーの世界です。青リンゴと赤リンゴが同居しています。
 ですからモーター的発想は、三次元的でした・・向こうでは、モーターは不要なのです。
 孫さんは赤リンゴを青リンゴに変えます。
 これも原因の世界へのアクセスによって可能になっているのでしょう・・
 孫さんの技は、大抵、瞬間的です。

風水

 トラさんからの宿題が風水シリーズになり、大変に難しくなりました。
 風水って、色々なものに影響を与えます。
 コインを振らずに生きていると、『四次元の冒険』で言うところのブロック宇宙に入ったまま、変わることはありません。
 夫婦の不和とか、役職運とか、財運とか、住んでいる家の影響を受けます。
 ところで今回問題に出た家の風水から、「配偶者が、別に好きな人ができる」という判断が出ました。それも実際とは合っているということです。
 とすると・・浮気はいったい、誰のせいでしょうか?
 トラさんに言わせると、六爻占術は、風水からの霊障には滅法強いと言われています。
 昨夜私に来た宿題は、霊障についてでした。ちゃんとその情報が出ています。
 六爻占術がめっぽう強いと言うのは、霊は直接の原因の世界にいるからだと思います。
 通常の「運命の変え方」は結果の世界から原因の世界を変え、それがさらに結果の世界を変えるため、間接的とも言えます。
 しかし霊は、原因の世界なので、六爻占術のリモコンで直接変えることができると思いました。
 霊障害についての宿題では、ベッドの爻位に官鬼(幽霊)が配置され、?蛇が臨んで、悪夢を見る情報が出ています。
 除霊は、官鬼(幽霊)を剋する子孫を強くすればよい・・
 子孫は家の爻位にあるが、今は月破で弱い・・
 月破の部分(壊れた部分)を修理することにより、それは発動して官鬼を剋する・・
 修理する時期は月破の冲を解く相合の月・・・
 私の推理が正しければ、この家はこれで霊障害から救われる・・
 うーーん、楽しい・・
 ドラマの陰陽師は直接にエネルギーを使いますが、六爻占術は名探偵コナンが事件を解く感じがして、私はこちらの方が楽しいです。
 時空は、「いけにえ」を要求しているのではないかと思います。
 高次元の時空上には、具体的な事項は書いていないのかも知れません。
 例えば「お父さんは×月に死ぬ」とか・・
 ある種のエネルギーの流れがそうなっているだけ・・
 この場合、ウサギはいけにえです。
 カルマは本人の行動の結果だとされていましたが、時空側にとっては何だっていいのです。そのエネルギーを具象化してくれれば・・
 献血も、時空へのいけにえです。
 風水が原因で浮気が起こるのも、同様だと思います。
 その家の風水の悪さを、何かで表現しただけでしょう。
 それは病気であったり、霊障害であったり、浮気であったり・・
 浮気は、両者(夫婦・恋人)のカルマだと言われたりしますが、そうではなくていけにえなのです。
 原因の世界では、単に風水の悪さだけかも知れません。
 なのに、数多くのことに意味を見つけようとする私たち・・
 もしもこうだとすれば、もう、今までのようにやっていられません。

運命方程式の仕組み1

 物理の世界では、全てが方程式で動いています。
 過去と現在が分かれば、その物体についての未来は出てきます。
 しかし私たち人間を支配する方程式はあるのでしょうか?
 まるで物理の方程式のように・・
 色々な仮説はあるにせよ、人間は自由だとされていました。
 だからこそ「人間は地球を壊した」などと言って、主語になれるのです。
 人間を支配するものがあるとすれば、それは神でした。
 しかし神の概念を置かなければ、人間が自然界で一番上です。

 人間(自由)
 ↓支配
 物理の世界(物理方程式)

 という図式です。
 なぜなら、物理の方程式を使ってロケットを飛ばしたり、産業を発展させたりできたかです。
 人間は物理方程式が自由に使える立場にいました。もちろん今でもそうです。
 しかし人間の上に、方程式があったらどうでしょうか・・・
 物理の世界を人間が操っているように、人間が何かに操られていたら・・
 それを私は「運命方程式」と名付けます。

 運命方程式
 ↓支配
 人間
 ↓支配
 物理の世界(物理方程式)

 この前、「再計算は必要ない」と書きました。
 理由は、私たちの未来は、方程式として存在しているからです。
 今まで私は、未来はある決まった形に展開されているとばかり思っていました。
 それはタイムマシンの概念から来る誤解です。
 未来は「在る」のでは無いのです。三次元に実現する方程式としてのみ「在る」のです。
 これなら再計算など不要です。
 「計算」は三次元の世界を形作る瞬間、瞬間にのみ行えば良いのです。
 私たちがコインを振り、六爻占術から判断を引き出すのは、運命の方程式にアクセスしているのです。
 何が運命の方程式かって?・・それは六爻占術のルールが・・それです。
 パソコンソフトに乗るくらい整然としたルールです。
 バーチャルな未来が占えるのは、方程式の変数を入れ替えて、計算するだけです。
 だから、運動方程式のごとく、運命の方程式があるのです。
 従って地球環境を破壊してきたのは、「人間」ではありません。その上位の方程式です。
 こいつに文句を言うべきです。
 しかし上位の方程式は、下位(人間)から変数の入れ替えをする方法を与えました。それがコインです。
 よく考えてみると、これは物理の方程式と人間の関係にも似ています。
 原始時代は物理法則側が有利でした。人間は自然からコントロールされる一方でした。
 自然は神のように気まぐれだと思っていました。自然に対して、いけにえを捧げた時代もありました。
 しかし・・次第に法則があることに気づきました。そしてそれを使えば、コントロールする側に回れました(もちろんここまでは運命方程式の支配下ですが・・)。
 あるとき我々は未来を予知することが可能だと思い、やってみると90%も当たりました。
 「なんだ、我々をコントロールしている存在はまだあったのだ・・」と気づきました。
 その法則は、方程式の形ではまだ証明されていませんが、生活上の中では使われ始めました。
 物理の方程式を知らなくても飛び道具を発明した昔の人のように・・
 科学の発達で、人間が物理の方程式の上に位置するようになったと同じに、六爻占術のルールを知ることは、人間が運命の方程式の上に行けるのです。
 方程式という考え方からすれば、何も高次元を考える必要もないかも知れません。
 そしてこの仮説が正しいとすれば、宇宙の吉凶を決められるのは人間かも知れません。
 今までは環境を壊したのは上位の方程式でしたが、これからは微弱な人間の意志です。
 「微弱な人間の意志」と書いたのは、人間にもわずかながら自由な意志があったのです。
 何故かというと、コインの判断で未来を変えることができるからです。

 昔見た『タイムトラベラー』は、担任の先生がバスの事故に遭うことを知っても、それを告げようとすると言葉が出なくなりました。時空のエネルギーが阻止したのです。
 完璧に運命が決まっているのなら、そうなってもおかしくありません。
 また、運命が変わることも、元々卦に出ているはずです。
 そうなら、「あなたはこういう変え方しかできない」と言われているようなものです。
 しかしそういう卦はありません。
 出るのは事故の卦だけです。変えるか変えないかは、私たちの「自由」です。
 つまりほんの微弱な自由意志が、未来を大きく変えることができるのです。
 でも、それには未来を知らなくてなりません。
 人間が上位に来るとなれば、心配なのが「それを使って悪を成すこと」だと言う人がいそうです。
 しかしよく考えてみましょう・・
 否定すべき過去の歴史は、ほとんど上位の方程式が作ったのです。
 それを否定し、改善することが、本当に善なのか・・
 話が突然「社会使命」になってしまいました(笑)。
 まずは、私の仮説に一理あるかどうか・・ですね・・

運命方程式の仕組み2

 例えば地球の軌道を計算するとき・・つまり一年後の位置を出すとき、多くの方程式を使うと思います。
 太陽や月の軌道まで関係してくるからです。
 しかしそれらをコンピュータに入れて計算すれば、私たちにも出せます。
 同様に、コインを振ってパソコンに入れれば、自分たちの一年後が出せます。
 運命が変わったときは、わざわざ再計算して、未来図のようなものを作り置きするのではなく、方程式の変数が変わるだけだと思います。
 運命の方程式も一つではないと思います。
 これから先、科学の発展は、運命方程式の一つ一つを見つけていく過程になるかも知れません。
 まず始めにエネルギーありき・・です。
 材料が無いと料理も作れませんから・・・
 絵の具がないと絵も描けませんから・・・
 だから元は、エネルギーだと思います。
 しかしエネルギーだけでは混沌していて、どうしてよいか分かりません。
 エネルギーにルールを与える必要がありました。
 その一つが物理の方程式です。
 物と物の引き合い方、反発の仕方などをルール化しました。
 それで地球は太陽の周りを回っています。
 太陽も地球も物質であり、それは元を返せばエネルギーですが、ルールが無ければ回ることはありません。お互いにどこかに飛んでいってしまいます。
 これらのルールを見つけるのが科学者の仕事です。
 物理の世界は偶然に動いているのではなく、ルールにそって必然的に動いているのを証明するのが科学者の仕事です。
 それに対して精神世界の人は反発しました。
 方程式だけで割り切れるものではない・・と。
 世の中は物質だけで動いているのではなく、精神的な世界も存在するのだと・・。
 私もまさか、運命が決まっているとは思いませんでした。
 人間は超法的存在であり、常にルールを利用できる側だと思っていました。
 ところが六爻占術で事態が一変しました。
 私が考えたのが下の図です。



 運命の方程式のようなものがあり、エネルギーは運命の方程式にも与えられていたのです。
 私たちはまるで物質のように、この方程式の影響下にあったのです。
 地球の運行は、過去と現在が分かれば、その未来が分かります(物理の法則で)。
 だから正確なカレンダーが作られます。
 しかし私たちの運命も、まるでカレンダーが作れられるように、決まったものだったのです。
 そうでなければ六爻占術は90%もの確率で当たるはずがありません。
 夢や希望や意識や意思はすべて織り込まれていました。
 夢や希望や意識や意思は、経験則だからです。過去の集大成として出てきたものだからです。
 さてそうなると私たちは操り人形なのでしょうか・・
 自由意志は見せかけだったのでしょうか・・
 直感や予知夢は突然にやってきます。
 瞑想するときに訪れる天目映像も、通常では現れません。
 それらは未来からの通信でした。
 しかし未来というものがエネルギーの形にせよ、「在る」わけではないと思います。
 方程式上の未来としてあるのです。
 地球の運行を考えてください。
 一年後の地球の位置は、方程式から計算すれば出てきます。
 時空上の未来に、わざわざエネルギーの形で存在させるのは、エネルギーの無駄遣いというものです。
 運命方程式には変数があり、すでに数値が代入されています。方程式上ではすでに未来は決まっています。
 六爻占術は、その数値にアクセスするのだと思います。
 どろどろとした恋愛の結果にアクセスするのではなく、どろどろとした結果を作り出す方程式の数値にアクセスしているのです。
 だから正確に当たるのです。特に応期(時期)とか・・
 こう考えると、恋愛も数値のゲームなのです(笑)。
 ここで精神世界の半分くらいが引いたのを感じます(笑)。
 でも、ここで引いては、我々は自由を奪還できません。
 真実を知るところからスタートしないといけません。
 六爻占術や直感は、未来からやってきます。
 そしてそれを使って未来を変更することが可能なのです。
 運命方程式の変数を変えてしまえばよいのです。
 うさぎ「八匹」・・鈴「九個」・・
 この数字は、まさに運命方程式の数値の変更かも知れません。
 トラさんは言いました。
 「これらの数値はとても大事です。うさぎは七匹であっても九匹であってもいけません。九匹のほうが威力があるかといえば、まったく違います。きっかり八匹でないといけません。」
 こうして私たちは支配されていたはずの方程式を、こちら側から使えるようになるのです。
 未来=過去を基準とした決まっている未来+未来を基準とした決まっていない未来
 という式が成り立つと思います。
 コインを使えば、過去を基準とした決まっている未来を出すことができます。
 それで満足すればそれを楽しめばいいのです。
 「私」という存在は時空に広がっている思うので、運命方程式ですら、「私」の範疇のはずです。
 決められた人生ではなく、自分で決めた人生だとも言えます。
 さらに経験則は過去の集大成なので、自分のカルマを生きているとも言えます。
 しかしこういうシステムが分かってしまった今、私は経験則に生きることはできません。
 もっと自由が欲しいです。もっとワクワク生きたいです。
 となると、過去を基準とした決まっている未来が面白くなければ、未来を基準とした決まっていない未来を生きたいです。
 さて、この図の面白い点があります。
 まず、今という瞬間は、過去と未来の両方から影響を受けているということです。
 過去からでしか影響を受けていないという先入観はここで吹き飛ばされます。
 過去世の診断で未来が変わる?・・・変わりません・・それはすべて経験則ですでに織り込み済みです。
 変えるためには、来世の情報が必要です。六爻占術では、来世も出すことができます。
 しかも来世すら変えることができるかも知れません・・
 もう一度いうと、「今」は、過去と未来の両方から影響を受けていた・・のです。
 次は、「三次元の今」が時空の中心なのではないかという点です。
 上部のエネルギーも、運命方程式も、「三次元の今」を作り出すためにあります。
 さらに過去も未来も、「三次元の今」を作り出すためにあります。
 人生は上の世界のためではなく、未来のためでもなく、まさに「今」のためにあるのだと思わせる図です。
 運命方程式は原因の世界です。「今」は結果の世界です。
 しかし結果の世界から原因の世界にアクセスできるようになりました。
 もはや結果が原因に変わりつつあるのです。
 上の図で、過去と未来は運命方程式上の出来事でした。
 未来も過去も三次元的な存在として「在る」のではなく、あくまでバーチャルな方程式の中にあるのです。
 だとすれば、どんな形でも存在可能です。葉の変形縮小もアリとなります。

超能力や神坂さんとの整合性

 「整合性」などと呼べるようなものではないかも知れませんが・・
 少し考えてみましょう・・。
 まずは先ほどの図に、修正個所がありました。
 先ほどの図では、過去からの影響が「一点」からでしたが、これは違います。
 全ての過去から影響を受けているので、青線は全部にかからなければなりません。



 この運命方程式の図から、孫さんの蘇生を考えてみましょう。
 孫さんはピーナッツから芽を出し、赤リンゴを青リンゴに戻し、ゆで卵を生卵に戻します。
 これを「運命を変える」と言わないで、なんて呼ぶでしょうか・・
 まさに超能力によって運命を変える典型です。
 これは以下のように、ピンポイントな過去から情報を持ってきて、運命方程式に代入しして、計算結果を「今」に降ろしているのではないでしょうか・・
 それまでリンゴは過去のすべてから影響を受けていたために赤リンゴへの変遷をしていましたが、途中がカットされたので、青リンゴに戻ったのです。



 下の図は、神坂さんの銀河運動装置を説明しようとしたものです。
 いままでは人間の意識を使って過去や未来にアクセスしていました。
 しかし神坂さんのは機械です。機械は銀河の運動そのものを実現してします。
 そこから作り出される螺旋運動は、生命エネルギーに直接アクセスして、運命方程式を蘇生の方向にセットするのではないでしょうか。
 その結果、金魚が生き返るのだと思います。
 世の中にある気功治療もこれに似た効果があるかも知れません。
 右回りでエネルギーを入れると、癌が治ったりします。右回りは銀河の運動そのものです。
 癌が治ったり、脳血栓が治ったりするのも、運命の方程式を戻しているのかも知れません。



 もちろん以上の説明に関しての詳細は不明です。
 ただ、六爻占術はなぜ当たるか・・という切り口から時空の仕組みを考えてみたのです。
 全く違っているとも言えないような気がします。

願望実現と自由意志

 思ったことは実現するでしょうか?
 もしも運命方程式が私たちとはまったく無関係に動いているならば、その答えはNOでした。
 でも運命方程式は人間の経験をすべて吸収して「今」を計算して、実現しています。
 「思ったこと」が自分の流れの中で、その延長にあるもので、さらに全体の流れの中で妥当なものならば、実現すると思います。
 神坂さんは、「自然に沸き上がったものは実現する」と言いました。まさにそれです。
 船井さんは、「こだわらない生き方」と言いました。それも合っていると思います。
 経験則の側からすれば、自分という我を強く出すと失敗してしまいます。
 これはみなさんも経験済みかも知れません。
 道教では次のように言いました。「山頂を目指すな」「ワダチに乗れ」
 チベット密教では次のように言いました。「あるがままで完璧」
 これらの宗教は、やはり真理を突いていました。
 経験則で成功するためには、自分を空にして、運命方程式の側に自分を合わせることが肝要でした。
 運命を作り出すのは、向こう側の方程式だからです。抵抗するだけ無駄です。
 しかし未来則で成功するのは・・逆になるような気もします。
 夢や希望がピンポイントに定まっていないといけません。
 コインはそこに行くことが可能かどうか・・と、そこに行くためのルートと時期を算出するからです。
 行き先がぼやけていては、計算のしようがありません。
 もしも未来が選択可能ならば、「私」というファクターが重要になります。
 選ぶのは「私」なのですから・・「私は無い」なんて、言っていられません。
 しかもコインを振るとき、場を持ってくるのは「私」です。
 イメージがボケていると、場もボケます。
 しかし、「奴(神)」は手の込んだことをします。
 騙し合いという感じがしないこともありません・・・
 しかも科学がここまで進んだ段階で、なぜコインを振らなければならないのでしょうか・・(笑)
 コインを振るところまではプログラミングされていたのだから、時空側の「意志」のはずです・・
 未来が決まっているなら私たちが自由意志を持っているのはなぜでしょうか・・?
 人間の意識は二つに分けられると思います。一つは深層意識、もう一つは表層意識です。
 自由意志とは、普通、表層意識の方ですよね・・
 私の仮説では、経験則=深層意識、未来則=表層意識
 もちろん、未来則を直感でキャッチするには深層意識が活躍しますが・・
 私は高校の時、方程式に神を感じました。
 それが尾を引いて、ずっと不思議なことを研究してきました。
 しかし・・その方程式が運命をも支配していたとは・・
 神は、とても計算好きなのです。でも、計算は神にやらせるという手もあります。

行動と決定と言い訳



 文章の部分が読みにくいので書きます。
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 経験則は最初、潜在意識に入り、行動に移り、行動のあとは言い訳に移る。
 未来則は潜在意識に入るが、一度顕在意識を通り、「決定」をしてから行動に移るので言い訳がない
 もちろん両者が入り交じるときもある。それは過去と未来からの情報が本人の中で入り交じっている時である。
 コインの判断の際、「雨が降ってきたから病気は直ります」と言うのも、未来からの情報でしょう。
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 未来則ではなぜ「決定」が入るかと言えば、そこに理由が見い出せないからだと思います。
 以前、サンリオの社長が書いた「社長の条件」という書き込みをしました。
 工場の施工式の当日でも、GOしてはいけないという直感が降りたら、そこで中止できる社長でなくてはならない・・と。
 ここれこそが「決定」なのだと思います。
 孤独な決定をする人には、自然と未来からの情報が降りると思います。
 経験則は潜在意識から直接行動に移ってしまうので、自由意志は、「事後処理」、つまり言い訳にしか使われません。
 なぜこんなことが言えるかというと、その大きな理由は、六爻占術が良く当たるからです。
 過去の経験を無視して自由に決定していたら、こんなに当たるはずがありません。
 過去を使う限り、ルートは決まっているのだと思います。
 言い訳にしか使われなかった自由意志ちゃん・・・
 「言い訳なんか聞きたくないわ」と罵(ののし)られてきた自由意志ちゃん・・
 しかしいよいよ活躍の場が来ました。
 あなたがいないと未来からの情報を処理することができないのです。
 なぜなら、未来からの情報は、過去のデータバンクには無いからです。
 比較不可能なのです。
 「賭け」られるのは、自由意志しかありません。

運命を知る者の生き方

 六爻占術で株価が当たるのは、当然だと思う人は多いかも知れません。
 だって、相手は「数字」だからです。上がるか、下がるか・・イチかゼロかですから・・
 そこに行くと、恋愛モノは違います。相手がいます。
 本人と相手との関係で決まります。おまけにドロドロしています(笑)。
 しかしよく考えてみて下さい。
 ある株の銘柄は、多くの人の投票で決まっているのです。
 恋愛のように、相手が一人ではありません(二人以上の人もいるでしょうが・・(笑))。
 終値が上がるか下がるかだけでなく、途中経過まで出ます。
 また、よーーく考えてみて下さい。
 1000人の人が参加して売り買いしたとすれば、その1000人の行動パターンは全て読まれていなければなりません。
 その1000人は、その日、その時間に、売り買いすることが決まっているのです。
 恋愛で浮気相手が二人いるとかいう人など、目ではありません。株には負けます。

神坂さんからのファックス2


運命を知る者の生き方

 未来の運命を知れる者は、多くの不可能が可能になりそうです。
 私だって、経験則からすれば、田中商事は買いませんでした。
 運命を知れる者は、どういう生き方をすべきなのでしょうか・・
 「すべき」という表現を使ったのは、外から見てのことです。
 自分のために使うか、世の中のために使うか・・生き方が問われそうです。
 昔、「持てる者と持たざる者の格差」という言葉がありました。
 持つ・・とは資本を・・という意味です。しかし六爻占術ではどうでしょうか・・
 「知る者と知らぬ者の格差」だと思います。
 株価の未来を知ることができれば、これほど良いことはありません。
 チャートも見方も世界経済も知らなくて、おまけにその銘柄の会社の内容すら知らなくても、儲けることができます。
 六爻占術がある程度世の中に浸透すると、どうなるでしょうか・・
 これを使って悪いことをする人も出るでしょう。
 犯罪を犯して、警察に捕まらない方法を探ることもできます。
 テキストには、お金を貸した人が返してもらえるかと占う問題があります。
 この逆も可能でしょう。借りた人がうまくトンズラする方法を探るのです。
 既にそういうことを心配して次のようなメールが何通か来ています。
 「テキストを誰でも売るのは間違いだと思います。人選をした方が良いのではないでしょうか・・」
 しかし・・コインは人を選びません。
 善悪の判断のないコインは、善人でも悪人でも同様に扱います。
 だからというわけではありませんが、私は人を選びません。
 いえ、本当の理由は、いっぱい売って儲けたいからです(笑)。
 さて、人は快しか選ばないと言いました。でも、その快は「予想」でしかありません。
 競馬に賭ける行為そのものも快でしょうが、やはり当たったときの快を得たいからでしょう。
 辛い勉強も、大変な仕事も、みんな将来の「快」のためだと思います。
 もちろん「今に生きる」などと言って、瞬間の快を追求している人もいると思いますが、一寸先の闇を心配しない人などいないはずです。
 そういう心理が、「下がるときに株を売って、上がるときに買う」というパターンになるのだと思います。
 さて、六爻占術は以上の事柄に、どう影響するのでしょうか・・
 六爻占術は危険を回避し、自分の良しとする方向に運命を変えます。
 その結果、どうなるかというと、快の状態が増えるのです。
 快という表現が嫌なら喜びとか幸せと言い換えても良いです。
 病気や事故を回避して、それが喜びではないという人がいるでしょうか・・
 ああ、いるかもしれません・・自己試練の為という人です。
 自己試練の人は、苦労が喜びだから、それでいいのです。
 人々の快や喜びが増えるとすれば、世の中は変わります。変えようとしなくても、変わります。
 今までの「世の中変革」は、人々自身にしわ寄せが来ました。
 「××するな・・(自制しろ)」「人に良くしろ・・(自分は損しろ)」「律しろ・・(解放するな)」
 その隠蔽されたエネルギーは、別の形で噴出しました。
 しかし快をどんどん達成していくようになると、隠蔽したものが無くなります。
 変えたくなくても、世の中は変わります(快を追求するだけなんて虚しい・・と言う人は、まだ私の言う「快システム」がよく分かっていないと思います)。
 自己犠牲も、自分の快の為です。
 「人は快しか選ばない」・・これを言い換えると「人は自分のために生きている」・・です。これはホッとさせます。
 だって、もしも「不快」のためにも生きられれば、それは自分以外の「快」のためかも知れないからです。完全な自己犠牲が世の中に存在することになるからです。
 でも、それはありません。
 私利私欲や欲の暴走を何だと思いますか?
 人にはその内部に、否定されるべきものはあるのでしょうか・・私は無いと思います。
 なぜなら、人は、人が作ったものではないからです。
 神坂さんの言葉を借りるなら、人は自然に出来ました。
 養老猛は言いました。
 「自然に会うなら、都会に行け。都会には自然が作った人間がいる」
 私利私欲を捨ててはいけません。私利私欲は、すべての創造の源です。私利私欲は、愛の源です。
 欲を暴走させないといけません。
 それらにブレーキをかけようとしたとき、初めてエゴが出ます。

書き込み期間:2002/08/01〜2002/09/11