テーマ:「六爻占術2003.01」
書き込み期間:2003/01/01〜2003/01/30
要旨:
神田さんの本を何冊か読んでいますが、面白い話が多いです。
特に面白かった話の一つは、茹で上がったカエルの話です。鍋の中にカエルを入れて徐々に温度を上げていっても、カエルは茹で上がるまで外に飛び出そうとしないというのです。
これと同じように、今が幸せだと感じている人が平穏なままに生き続けている限り、現状を変えようとせず何の行動も起こさないまま死んでいくといいます。
これを打破するのが理屈を越えた怒りの感情です。私が時空の真実を追究するのも、「こんちくしょう」という感情が原動力になっているところがあります。
自分の幸せのために生きている人が多いですが、私は幸福を第一義とした生き方が出来ません。六爻占術をやっているのも時空の真実を知りたいという欲求のためです。
だから、利益や幸福をもたらす手段としてのみに六爻占術を勉強している人は、私とは共有しにくいと思います。
神田さんの本の話でもう一つ惹かれた部分は、「努力に逃げるな」というところです。
ある方向性を決めて努力することと変化を起こすことは相反するといいます。そして自分自身への問いが変化を起こすと言っています。
しかし、自分自身に問うことをせず「世の中を変えよう」という努力に走っている人は多いです。
アインシュタインも問いの重要性を述べていたそうです。ある問題を解くために60分の時間が与えられたとしたら、そのうちの50分を問いのために費やすと。
努力し続けている限り、問い続けることからは離れます。問い続けることは、無努力の状態なのです。
私の年運についてですが、悪い部分に関しては「降りる」ことにしました。今までにトラさんや私の娘も六爻占術をやって降りるという選択をしたことがあります。
私は現時点で運命変更の方法を教わっていません。もし知っていたとしても、正確な判断をするにはかなりの慎重さを要します。
だとすれば、もっとも確実なのが「降りる」という選択です。たとえ神が私に何かを学ばせたり成長させるためにその運命を用意したなどと言われたとしても、私はそれに乗るつもりはありません。
神坂さんも六爻占術をやっていますが、既に手計算で卦をだせるようになっていました。
神坂さんは、コインに乗るエネルギーは外部からのものだと言っています。そして、「これから、えらいことになるよ・・」と言いました。
神坂さんは、個人的な利益や社会的な使命などをほとんど感じさせません。代わりに、深い洞察力と純粋な好奇心を感じさせます。
驚いたことに、コインを振る際に裏表の組み合わせだけでなく、どのコインがどちらに倒れたかという順列までも緻密に記録していたのです。
普通に占って吉凶を判断する分には関係のないことです。そのためにここまでの実験と記録を続ける人が他にいるでしょうか。
神坂さんは、私と本当に問いを共有することの出来る数少ない人の一人です。
卦とは何かということについて考えていました。卦とは方程式の解だというのが私の仮説です。私は解そのものよりも元の方程式を知りたいです。
「なぜ年運は止まっているように見えるのか」という問いを考えているときに気付いたのですが、六爻占術において変動するのは月日だけで、それ以外はみな定数なのです。だから自由度が極めて少ないのです。そして私達の意志も変数ではなく定数扱いなのです。
しかしそれを知ることは、定数ごと変化を起こせる可能性を生み出します。だから、六爻占術を知るということは大変なことなのです。
目次
○けっこう、昔から変わらない部分を持っている私
○茹で上がるカエルの話
○神田さんの本と六爻占術
○マンダラ
○努力に逃げるな
○神坂さんに出したファックス1
○私の年運における航路
○なぜ年運は止まっているように見えるのか
○えらいことになる
○神坂さんのコイン
○卦とは何か
○解の続き
○卦は入れ物
○「なんか、おかしい」
○神坂さんに出したファックス2
○神坂さんから来たファックス
○保険
○テキスト第三巻
○六親転換法
○来意占い
○私は結果
けっこう、昔から変わらない部分を持っている私

 私は神とか時空とかにとても興味があります。
 無意識の世界では、今の様な状態にハンドルを切ってきたような気がします。
 私は幸せを追っているのでしょうか?この質問には、YESと答えにくい部分があります。
 もちろんYESではありますが、目的そのものではないと思います。
 幸福は、どうも、私にとっては手段なのかも知れません。
 大学三年の時、アルバイトで貯めたお金でサハラ砂漠を横断しました。そのときの風景の中で、思いました。
「こういうこと(神を追求すること)は、社会に出るともう出来ないのか」・・と。
 私は幸福を目的とした行動が取れません。要は、目的が単一ではないのです。
 だからチベットに行き、六爻占術に入りました。
 それは『「不思議の友」6』、『「不思議の友」7』、『「不思議の友」8』と連続しています。
 一つを抜いても、私ではありません。
 学生時代はナイフの様に尖っていました。それは今でもある面、引き継いでいます。
 今年も同様です。みなさんとはライバル(兄弟)です。
 でも私がライバル意識を持っても、それを満たしてくる人はけっこう少ないです。
 自分の幸せのために生きている人が多いから・・
「世界を変えよう」とかだって、自分の幸せのためでしょう・・
 自分が幸せになるためというのは良いのですが・・それが私を邪魔してくるのは嫌です。
 私は「知りたい欲求」を追求することに関しては、結構わがままなのです
 普通の会社で、一銭の売り上げも立たないかも知れないフィリピン調査のために、フィリピンの新聞に新聞広告を出すことは不可能だと思います。
 私はそういう批判の「邪魔」を全部排除したのです。
「森田は利益のために動いている」という批判もありますが、フィリピンや生まれ変わりの村は売り上げゼロです。でもそこに対する投資は、すごいものがあります。
 私は利益のためというフレーズを自分でも言いますが、実際は後から付いてくる部分が多いです。
 もともと六爻占術など、見向きもしなかったのですから・・
 ニッセンも、私にとっては「利益のため」ではないのです。
 六爻占術を利益のため、幸福のために始めた人はいますか?私とは、かなり共有できません。
 幸福になりたいですか?『不幸論』は読みましたか?

茹で上がるカエルの話

 以下は『60分間・企業ダントツ化プロジェクト(顧客感情をベースにした戦略構築法)神田昌典著ダイヤモンド社』という本からの抜粋です。
 茹で上がるカエルの話は聞いたことがあるだろう。鍋の中にカエルを入れておく。そして徐々にゆっくりと火をかけていくのである。すると、ある一定の温度で飛び出すかと思えば、そうではない。なんと茹であがってしまうのである。
 要するに、ぬるま湯の中にすると、幸せだから何の行動もしないまま死んでしまうのである。人間も同様である。
 それでは、この幸せなカエルに、茹で上がる前にポジティブな行動をとらせるには、何をすればいいんだろう・・
 それを心理学の世界では反面下活動と言っている。
 要するに「いったいいつまでその状態でいたいのですか?」と訪ねることから始まる。
 どうして茹で上がってしまうかと言えば、自分で危機感を作り出すことが難しいからです。
 自分から現状を変えようと思う人は少ないです。「理屈」は現状でOKだと言い訳を始めます。
 そこで登場するのが感情なのです。感情は理屈を越える・・・
 怒りも感情のうち・・怒りがあったために、人間は生き延びたのかも知れません・・
 心を平和に保っていれば、いつか・・茹で上がる(笑)
「こんちくしょう」「ばかやろう」
 こういう感情が、ぬるま湯から飛び出すエネルギーを作るのかも知れません。
 もともと私が時空の仕組みを知りたいと思ったのは、その感情でした。
 私の年運も、決して良くありません。来月(寅月)は、原神が退神します。
 自由度3%でそれをカエル、いえ、変えることが可能でしょうか?
 神よ、お前の好きにはさせないぞ・・
 私の年運の判断です。
 妻財が世爻にあるのは財運的に吉です。原神と忌神が発動して連続相生して、それも吉です。
 しかし原神が寅で退神しています。原神が退陣すると、忌神のみが発動した結果になり、大変に良くありません。
 つまり私の卦は、一発触発で良くなるか悪くなるかのどちらかなのです。
 さらに、家族全員がほぼ同じ卦を出しています。
 六爻占術を知った2年目にて、時空から挑戦を受けた感じすらあります。
 未年になるのは立春からですが、確かトラさんも1月1日に年運を振っていたと思います。
 特に日本人にとっては西暦が「年の変わり」だという意識が強くて、年運の場を取るには元旦が一番良いのだと思います。でも、トラさんに確認してみます。
 もう一つ・・六爻占術にとって、「年」は生剋には関係しませんよね・・
 未年だからと言って、世爻に金が臨んでも、年から生じられることはないはずです。
 だから年に対しては、自分の意識がどうあるかで、ほとんど決まるのではないでしょうか。

 茹でられるカエルの話ですが、神田さんは一般消費者をカエルに喩えているのです。
 よく考えてみれば・・私たちの周りにあるもののほとんどは、買わなくても生きていけるものばかりです。
 五木寛之は言っていました。「戦争のようなことが起き、生きていくのが精一杯の時代になったとき、真っ先に切られるのは我々のような作家だ」・・と。
 何でもかんでも買ったのは、その時に鍋から飛び出してしまったのです。
 つまりカエルの話は、逆説的なのです。私もそう思います。
 さらに私は、自分から積極的に鍋から飛び出すことはないと思いました。
 さて、続きです。
 神田さんによれば、鍋から飛び出させないと、売れないのです。今を幸せだと感じる人が多いからです。
 神田さんの手法はすごいと思いました。誰かがこのHPで神田さんを批判していましたが、それも当たりです。だって自分自ら次のように書いています。
ここで述べていることはきわめて強力なノウハウであるからこそ、あなた自身の道徳観、倫理観が必要になる。カルト団体ではないが、無価値な壺を数百万円で売ることも出来るのである。スターウオーズのダースベーダーもまたはじめは正義の騎士だったのである。あなたは何のためにビジネスをしているのか?儲けのためか?奉仕なのか?自分のエゴのためか?それとも人々の役に立ちたいのか?顧客の笑顔が見たいためか?それとも世の中を見返してやるためか?

神田さんの本と六爻占術

以下は神田さんの本の引用です。
 多くの人は事業の成功を足し算と考えている。努力したらその結果が現れるはずだ、良くなるはずだという発想である。ところが売れる仕組みは足し算ではなく、掛け算で決まる。
 売れる仕組み≠1+2+3・・+6
 売れる仕組み=1×2×3・・×6
 売れる仕組みは、掛け算。足し算ではない。この誤解のために、いつになっても売れる仕組みが築けない会社が多い。
 例えば毛皮のコートを販売することを検討しよう。
 商品性は素晴らしい。顧客ターゲットは明確に設定し、競争優位もある。効率的な流通も確保し、広告表現も絶妙に作り上げたとする。しかし販売するタイミングが夏であればまったく売れないのである。要するに他の要素がすべて完璧で、100点満点だったとしても、ひとつの要素を見落として考慮しないと、方程式の答えは、100×0=零点になってしまう。逆にすべての要素をもれなく検討すれば、ひとつひとつの努力が掛け合わされて、相乗効果を発揮するので、方程式の答えは非常に高い数値となる。
 次も神田さんの本の注釈に書いてあった情報です。
80対20の法則
 投入、原因、努力のわずかな部分(2割)が、産出、結果、報酬の大きな部分(8割)をもたらすという法則。ビジネスに当てはめた例を挙げれば、「2割の重要な顧客が8割の収益を産む」「2割の重要な仕事が8割の結果をもたらす」ということ。詳しくは「人生を変える80体20の法則(リチャードコッチ著)TBSブリタニカ」
 さて、なぜこの二つの引用を引用したのでしょうか・・それはこの二つが六爻占術にも言えると思ったからです。
 商売は掛け算だというのは、六爻占術で言えば空亡がそれです。いくら月日から生じられていても、空亡だと意味を成しません。
 また、用神が月日から生じられていても、忌神が進神で独発していたとすれば、病気の判断なら、死を意味する可能性も出てきます。
 つまりある一つの事項が他の事項をキャンセルさせます。
 同じ様なことは、80対20の法則もそうです。全部の吉凶の要素を積み上げていっても、判断できません。
 20%の情報が全ての吉凶を支配します残りの80%は捨てなくてはなりません。
 何を拾って何を捨てるか・・それが六爻占術の判断です。
 これがあったがために、私は六爻占術の勉強の初期において何度「やめようか・・」と思ったことでしょう。
 だってある事例に出てきた判断ポイントは、次の事例では「捨てる」ことが必要なのかも知れないのですから・・
 だから六爻占術の判断は、コンピュータでは出来ないのです。
 しかしコンピュータで出来ない限り、未来方程式には近付けません。

マンダラ

 今、『マンダラ(ホセ・ミリアム・アーグエイエス著)青土社』を読んでいます。
 
天と地は方向を決定し、
山と沢の力は結びつく
雷と風はお互いに引き起こし合う
水と火はお互いに闘わない
このようにして八卦は混じり合う
 
創造主は震において出現し
巽において万物を完成し
離において被創造物をお互いに知覚させ
坤においてお互いに奉仕させ
兌において喜びを与え
乾において戦い
坎において労し
艮において被創造物を完成させる

努力に逃げるな

 神田さんの本には次のように書いてあります。
 多くの経営者はこんな発想に陥っている
「営業マンは毎月高い給料を払っている。担当地区の集客〜契約〜納品〜集金〜アフター、すべてやらせるのは当然だ」
 そして自分は人を管理する仕事に回る。そりゃそのほうが仕事が楽だもんね・・。頭を使わなくても、体を使わなくても、社長でいられる。
 こういう社長が経営している会社は大抵業績が良くない。どうしてかわかる?
 社長のやるべき仕事をしていないから。こんな社長に限って精神論を語る。社員が出社する前に玄関を掃除し、トイレ掃除に精を出す。
 さて、ハワイからお正月までにかけて神田さんの本を随分と読みました。
 独立して経営者になるには、何をすれば良いか・・
 私には、上記の文章に加えて、「努力に逃げるな」ということを挙げたいと思います。
 社長にとって努力は「逃げ道」なのです。
 実は、上記が当てはまるのは、社長だけではないと思います。
 すべての人の生き方に当てはまるような気がします。
 努力というのは、ある方向性が出てしまった状態だと思います。
 『マンダラ』の中にもありますが、後天の真理は常に変化を・・
 変化を努力と言えるでしょうか?
 変化を起こすのは何かと言えば、自分自身への「質問」だそうです(神田さんによれば)。
 私が神田さんの本に惹かれたのは、この部分にあります。だから、最後に書きたくなったのです。
 努力に逃げるな・・と。そして変化に乗れ・・と。
 変化は自分への質問・・これでいいのか・・という・・
 厳しいでしょうか?こういう生き方は・・・
 よく「世の中を変える」ということを言う人がいます。その人も、努力の範疇だと思います。
 だって、自分自身に対する質問は、少ないからです。
 何故と問い続けることが、変化に乗ることそのものなのかも知れないという示唆を与えてくれたのは、神田さんでした。
 神田さんの本の中に、アインシュタインの例が載っていました。
 探したのですが、赤線を引かなかったので、探せません。覚えている範囲で書きますと・・
 アインシュタインが賊に捕まって「60分以内にこれを解かないと、殺すぞ」と言われたとき、彼に「その60分をどう使いますか?」と訊けば、「50分を適切な問いを探すことに使います」と答えたらしいです。
 彼の人生は、問いの人生だったのだと思います。
 そして適切な問いが得られたとき、答えが出るのだそうです。
 もしも努力の中にいると、問い続けるということを忘れると思います。
 つまり、自分に対する問いというのは、無努力の状態なのです。
 アメリカが戦争をしても世界は変わらないと思います。でも、情報は世界を変えると思います。
 何故でしょうか?それは、情報は問いかけるからだと思いました。

神坂さんに出したファックス1

 明けましておめでとうございます。面白い本を読みました。
『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』という本です。イギリスの科学者が書いた本です。
 その中の抜粋です。少し難解な文章ですが。
 閉じた宇宙ですべての質量を合計すると、全エネルギーに対して大きな正の寄与をなす。ところがその質量はお互いに重力を及ぼしあっている。その力はポテンシャルエネルギーと呼ばれる負のエネルギーに相当する。手にボールを持っているとき、ボールにはそれが地面に向かって落とされたとき正の運動エネルギーになるような、ポテンシャルエネルギーがある。重力法則によって、この宇宙にある質量間の重力による負のエネルギーは常に絶対値の点ではmc2乗のエネルギーの総和に等しく、向きは逆になる。
 これは特質すべき事態である。無から何かを得るのを妨げている三つの保存量は、すべて合わせるとゼロになる可能性があるらしい。このことが何を意味するのか、明確にはなりきっていない。ただ興味深いことに、保存則は無から宇宙を創造するための(あるいはそれを言うなら、無に戻って消えるための)障害ではなさそうだ。
 これは私にとっては大きな発見でした。
 ビッグバンで宇宙が出来る前は、エネルギーだけは必要だったというのが一般的な見解でした。始めには、エネルギーありき・・・
 しかしこの文章によれば、エネルギーすら無くても可能だということです。
 エネルギーは物質と共に誕生することもできるみたいです。
 しかし物質はエネルギーなので、宇宙誕生と同時に、正負のエネルギーが同時にできたということかも知れません。♪

私の年運における航路

 やっと進路が決まりました。決して良いとは言えません。
 でも、タイタニック号で言えば、レーダーが付いたようなものです。
 氷山の位置は確認しました。でも回避は難しいかも知れません。
 だから、ぶつかる前に、船から降ります(笑)。
 「降りる」という選択肢もあるのです。突き進むばかりが能ではありません。
 船から降りても、また、すぐに乗ります(笑)。
 でもそれによって、人生が変わるかも知れません。
 誤解のないように言っておきますが、「降りる」というのは、この不思議調査の関係とかこのHPの関係ではありません。私の経営している会社とかの関係が主です。
 「降りる」という行為は、多くが経験しています。
 うちの娘・・短期留学、トラさん・・同窓会に向けてのバス旅行、局長・・市長選挙
 しかし・・立ち向かうべきでしょうか・・ 立ち向かって、日本は負けました
 私が船を降りても、タイタニックがぶつかることは確認できます。
 今年の年運は、ある意味、とても面白いです。
 
 今、テキスト第四巻を手にしていないので、運命の変え方を知りません。
 タイタニック号に喩えてみましょう。
 コインはレーダーに当たります。年運を振れば、どこに氷山があるかが分かります。
 しかし運命の変え方を知らないので、舵のないタイタニックと同じです。
 当時のタイタニックには舵はあるけどレーダーがありませんでした。
 いったいどちらが得でしょうか?今の方が得です。
 六爻占術無しだとレーダーもないのと同じです。
 氷山が出てきたときは、舵を切っても遅ければ、舵は意味ありません。
 さて、舵のないタイタニックでレーダーに氷山が写ったら、どうしましょう。
 船は氷山に向かうしかありません。止めることは出来るでしょうか?
 タイムマシンの無い私たちには時間を止めることは出来ません。だから船は止まりません。
 では・・どうすれば・・
 そうです。下船です。「降りれ」ばいいのです。
 降りた瞬間、自分のタイタニックは消えます。そして氷山が過ぎたら、また乗ります。乗ろうとした瞬間にタイタニックはまた現れます。
 神が仕掛けた氷山・・それは私に何かを学習させるためでしょうか?
 でも、私は降ります。
 
 もしも私が運命の変え方を勉強していたらどうするでしょうか・・
 そうです、たぶん、このまま突き進みます。
 しかし・・です。年運の判断には6日を必要としました。
 どこに氷山があるかを判断するのは大変です。その判断を間違えて運命の変更などをすれば、大変なことになります。
 原神が発動して退神だと書きましたが、日と相合していました。すると応期が変わります。
 春に氷山が来ると思っていましたが、何度も見れば、タイタニックがぶつかるのは相合が冲される時でした。これで半年生き延びました。
 つまりなまじっかの判断で舵を切れば、切り終わって元の航路に戻ったとき、氷山にドカンです。
 トラさんは言いました。「正確に判断できるようにならないで、運命の変更の勉強はできません。」そうだと思います。
 「降りる」ということ・・これは運命の変更方法を知ってからも、たぶん私が一番使う手になるような気がします。
 神田さんも言いました。「最強の競合戦略とは、戦わないことである。」
 時空が売る喧嘩・・私は買いません。降ります。

なぜ年運は止まっているように見えるのか
 私の年運で、原神が退神しますが、日と相合していると書きました。
 しかし・・十二支は十二日で一周します。その間にも、冲される日は来ます。なぜ日で冲されないのでしょうか・・ 
 もちろん「年運だから」という理由があります。でも、「冲」というエアポケットはどんどん来ます。
 私には、「冲」というのは円筒に穴が開いたように想像できます。そこから、原神がポロリと落ちるのです(笑)。
 穴はいっぱい開いているはずです。なのに、どうして月の穴しか落ちないのでしょうか・・
 もう一つあります。変化が起こるのは、「応期」です。年運に「応期」は幾つもありません。
 つまり私たちは毎日が選択肢だらけなのに、時空のレールのポイントは数えるくらいしか無いのです。それを逃せば、アウトです。
 私には、年運は止まっているように見えるのです。
 この問題は年運に限ったことではないですが、ずっと考えています。
 同じ事をするのにも、時期を変えれば良いという話になります。
 これは神田さんも書いていました。とても不思議だと・・

えらいことになる

 神坂さんは、六爻占術を手計算で出せるようになっていました。
 神坂さんは言いました。「同じ意識を持てば、何度振っても、同じ結果が出るんです。隣のオバサンにも振ってもらいましたが、やはり同じでした。六爻占術は本物です。これからすごいことが起こります。」
 神坂さんは言いました。「コインに乗るエネルギーは、振る人のものではない。外からくるものだ。」
 神坂さんの言った言葉、正確には「これから、えらいことになるよ・・」でした。
 六爻占術の関係で、この一言が聞けたのは初めてでした。私も同様に思っていますが・・
 神坂さんのエネルギーの研究が、空間から時間へと転換すると思います。
 占いの目的は、自己のエゴを満たすのか、別にあるのか・・・
 前者が目的だと、たぶん、この感じは共有できないかも知れません。
 世の中を変えることが目的の人も、深い部分では共有出来ないかも知れません。
 トラさんの所には、賭博で儲かるか・・という相談者も来ます。
 コインは、結果を出します。「今日は儲かります」・・とか。
「株をやりたくて買ったが、当たる確率は50%ほどだ。大新聞に広告を出す責任は、どう取る?」という苦情がありました。
 私は答えました。「通信教育でも、最初の頃の正解率はみんな50%ほどです。」
 賭博で儲かる=善、社会通念に反する=悪
 株が当たる=善、当たらない=悪
 紹介した責任=悪
 個人のエゴは、キリがありません・・
 キリが無いエゴにより、私もこれから沢山のバッシングを受けると思いますが、「えらいことになる」を共有する人が数人出るだけで、私は満足です。
「神がいると思えば、そういう世界に、身体すら合わせてしまう。画鋲を踏めば身体は反応するが、画鋲を踏む夢を見ても、同じように身体は反応する。」これも、神坂さんの言葉です。
 神坂さんは手計算で卦が出せるようになりましたが、その特徴として次のことが言えると思います。
・エゴ的な欲は、ほとんど無いと思います。
・しかも人のために、やっていません。
・洞察力を持っていると思います。
・不思議現象に対するバリアが少ないです。
・とことん食らいつく人です。
・年を感じさせません。好奇心は子供のままです。
 私は、何でも良いからヒントが欲しいです。六爻占術の解明が、「深海魚状態」だからです。
 しかも、私にとって話せる相手がなかなかいません。
 十年以上前の今晩、私は「不思議研究をしよう」という思いを持ちました。
 それは突拍子もなかったことで、隣に寝ていた妻を起こしました。
 考えが湧いて妻を起こしたのは、初めてのことでした。だから、よほど突拍子も無かったのです。
 しかし今の状態から考えれば、「当然のこと」のように思えるから、慣れというのは恐ろしいものです。
 私はこんなことが出来る確率は、1%ほどだと思っていました。
 このHPを見ている人の中で、ビジネスがとてもうまくいっている人でも、フィリピンの新聞に「ウオンティッド」の広告を出すのは、大変だと思います。
 大変・・というのは、精神的な意味です。
 少なくともフィリピンは、「売り上げ」を産みません。
 さて、そこまでして集めた不思議情報の中で、私は今、暗礁に乗り上げています。
 時空がここまでやっているとは、思いませんでした。神坂さんの「えらいことになる」の真の意味は、そこにあります。
 世の中が変わること・・ではないのです。
 でも、この暗礁に乗り上げる状態を待っていたのかも知れません。
 いえ、暗礁ではありません。深海魚です(笑)。深く、深く、潜ってしまいました。

神坂さんのコイン

 神坂さんのコインを見せてもらいました。彼は五円玉を使っていました。その裏にはどのコインかが分かるようにサインがしてありました。私たちのように裏表の「組み合わせ」だけではなく、何番のコインがどっちに転んだかという「順列」も記録してありました。
 神坂さんはエネルギーの測定を10年以上に渡って記録し続けています。
 その「持続性」と「綿密さ」が誤差を表出させて、未知のエネルギーの存在を証明しました(まだその過程ではありますが・・)。
 私たちがコインに求めるのは「組み合わせ」だけで「順列」は求めていません。
 しかし記録をし続けていけば、何が現れるか分かりません。
 このHPにも私を含めて科学者の端くれはいるとおもいますが、ここまで記録する人はいないと思います。
 なぜなら、私たちに興味があるのは、大抵、自分の吉凶だからです。
 それが目的な限り、「順列」を記録することは不可能です。
 だって自分の吉凶には、全く意味のないことだからです。
 ですので下の五円玉に書かれたマークは、普通の人には不可能なマークなのです。



 孫さんが物質化をするきっかけになったのは、チベットのオババから呪文を教わったことでした。
 先日、孫さんから呪文の意味が届きました。
「チベット蔵伝密教中の呪文の一種です」という文章から始まり、最後は「すべて成功することが必ず佛様の力を借りることなしには出来ません」とあります。
 この話は神坂さんの家でも出ました。孫さんは物質化の際、自分のエネルギーを使っているのか・・と。
「ほとけの力」かどうか知りませんが、外部のエネルギーではないかというのが私と神坂さんの意見でした。
 神坂さんは、六爻占術のコインの裏表を決めているのも、外部のエネルギーだと言っていました。

卦とは何か

「卦とは解である。」
 昔、連立方程式というのを習いました。
 y=ax+b
 y=cx+d
 こういうのを言いました。
 上の式を下の式に入れると
 ax+b=cx+d
 となり、解であるxは
 x=(d−b)/(a−c)
 となります。
 未来方程式は、おそらくとても複雑な連立方程式となっていると思います。
 コインを振り、卦を出す作業というのは、この解を出す作業だと思います。
 変数にはある値が代入されます。そして出た卦は、月日以下が定数となります。
 定数となるから、運命が止まっているように見えるのです。
「なぜ年運は止まっているように見えるのか・・」
 この問いを考え続けた答えが「解」でした。つまり卦は、「解」なのです。
 当たり前と言えばそうですが、私にとっては微弱な一歩です。
 しかし私は元の方程式に興味があります。解を知るよりも・・・です。
 しかし私たちが手にすることの出来るのは、解だけです。
 解を幾つも眺めて、これをはじき出した方程式を知りたいです。
 数学の方程式にはxとかyを使います。それは数学の「言語」と呼ばれています。
 で、六爻占術での言語は父母とか妻財とか青竜とか・・です。
 解の中には変数もあります。月日です。他は定数なので、月日だけを動かして判断します。
 だから私たちには自由度が少ないのです。
 月日以外に変数があれば、それは私たちの意志で自由にできそうです。でもありません。
 時空の中で私たちは「変数」とは認められていないのです。
 しかし奇妙なことに、その解を見ることができます。
 私たちが意識を持ったのは、自分たち自身を変数にするのではなく、解・・すなわち運命の流れを見据えるためなのです。
 でも私には一つの仮説があります。「情報は世界を変える」です。
 見据えることは、情報を得ることです。そこから変わるのです。
 どうやって変えるのでしょうか・・定数ごと、変えるのです。
 上の式で言えば、yやxの流れは変えられなくても、aやbを変えれば、世界は変わります。
 その方法を手にしたら「えらいことになる」のです。
 
 世の中には占いのことを分析して、これが時空の成り立ちだと論説している本が多いです。 
 しかしそれは解を論じただけで、方程式を論じていないというのが、今回の私の仮説です。
 二次方程式というのがありましたよね・・xの二乗が付くやつです。
 あの解は、xが一乗・・つまり一次元になって現れました。
 つまり解というのは普通、次元を落とす作業です。
 向こうは球であっても、解は円です。解は、投影されてしまうわけです。
 卦も同様だと思います。
 向こうは多次元でも、卦は月日という時間を変数にした一次関数です。
 つまり一次元に落とされてしまうのです。
 ああ・・元が見たい・・

解の続き

 コインを振って、未来方程式から卦という解に落とすとき、次元も落とすということを書きました。
 もしも、落としかたが微分だったらどうでしょうか・・
 微分の可能性は十分にあります。微分は次元を落とす作業だからです。
 y=xの二乗
 という式があったとします。
 それを微分すると
 y=2x
 となります。
 それをさらに微分すれば
 y=2 
 となります。
 これは定数です。
 卦は定数ばかりです。その理由は、ここにあるかも知れませんよ・・
 高次元ではとんでもなく動いている変数なのに、三次元に落とすことによって定数になってしまう・・
 この定数を変えるには、どうすれば良いでしょうか・・
 y=xの三乗
 にすればいいのです。
 つまり次元上昇なのです。げっ・・精神世界だ(笑)。
 でもね、次元下降したっていいんじゃないでしょうか?こうすると、定数ごと変わるかも知れませんよ・・
 自転公転は、螺旋進行で、加速度運動です。ですから一回微分では、まだ時間の関数が残っています。それが月日の生剋なのかも知れません。
 微分すれば次元は落ちます。投影しても落ちます。三次元の物体を投影すれば二次元に落ちます。
 六爻占術はどちらでしょうか・・私は、どちらもピンときていないのですが・・

卦は入れ物

 今考えたのは、卦は解の表現形態の一つだと思う・・・ということです。
 表現形態の一つではないかと書いたのは、以前トラさんがコインを三回投げる方法で占う人がいるという話をしたからです。
 その人が生きているうちに会いたいと言っていました。
 たぶん、三爻占術でも、当たるのだと思います。
 とすれば、卦は「入れ物」でしよう。
 六爻占術を最初に話題にしたとき、三個のコインを六回投げる場合分けの数を問題にする人がいました。
 でも、参加型例題でやっている用神の問題とかを加味すれば、場合分けの数の議論はあまり意味を持たなくなるようです。
 場合分けの数を気にしたのは、卦が「入れ物」とは思わなかった人でしょう
 入れ物とは、お財布とかタンスです。お財布には小銭とお札は別々に入ります。タンスにはパンツとハンカチは別々に入ります。
 パンツもビキニパンツとトランクスは別々に入ります。ビキニパンツにも、色々あります(私の場合、女装用と男性用は違います)。
 時空は、入れ物を差し出すと、向こうから入れてくれるのです。整理すべき場所を間違えずに・・です。
 しかし六爻占術の場合、整理すべき場所は時空が決めるようです。それで用神は何かという議論があるのです。
 以前は、「意識が決めている」という意見が多かったです。コインの裏表も・・です。
 でも、そうではなさそうです。意識が決めることが出来れば、占いは当たらなくなると思いました。

「なんか、おかしい」

 私が日の出日の入りを調べたのは小学校五年か六年の時でした。
 そのときの担任は剣道の先生でした。私のことを「騒いでいる人を取り締まらない学級委員だ。責任をどう考えているのか」と言い、立たせた先生でした。
 私は小学校の頃、夏休みとか冬休みとか、言われもしないのに自由研究を提出していました。日の出日の入り研究も同様でした。
 でも全く反応は無かったです。今から考えれば、言われないことをやるというのは、良くなかったのだと思います。
 話は飛びますが、私が大学一年の時に数学を教えていた講師は、東大紛争の時、安田講堂に登っていた人でした。その先生とはよく飲みに行きました。神がいるかいないか・・という話題で盛り上がりました。
 その先生は別の大学の物理の教授になりました。私が独立した頃、真面目にコンピュータのビジネスをやっていたこともあり、その教授のゼミに呼ばれて講演をしたこともありました。
 でも不思議研を始めても、私は時々電話をしました。
「重力波の伝わるスピードは光速でしょうか? 宇宙の起源を考えるのに必要なのです」という感じの電話です。
 でも先生は言いました。「森田君、そんなことを考えていると身を滅ぼすよ・・。もっと科学的に生きなさい」
 その先生とも次第に疎遠になりました。
 話は戻ります。
 私の家は農家でした。だから朝が早いのです。私も毎朝手伝っていました。祖母と一緒に朝日を拝むのが習慣でした。
 そのとき、「なんか、おかしいな」と思えたのです。当時はストーブも無いので早く朝日が昇って欲しいのに、冬至をすぎても、変化がおかしいのです。
 翌年の冬、新聞のデータを書き写しました。これはけっこうビックリしました。
 そして年月が過ぎて、私は会社員になりました。
 朝、JR五日市線の武蔵引田駅から06:25の電車に乗ります。そして拝島駅に06:35に着き、06:50の始発に乗って東京駅の富士通まで行きます。
 寒い中、始発の電車に乗るために並んでいると、朝日が昇ります。
 それが冬至の時期だと、いつも小学生の私に返っていました。
「冬至を過ぎても何故か朝日は遅れるんだよね」・・と。
「なんか、おかしい」・・六爻占術を開発した人にはこれがあったはずだと思います。
 
 私が物理の教授の話を書いたのは、「なんか、おかしい」の後に続く仮説は、科学的である必要はないと思うからです。
 この現代で「太陽が地球の周りを回っている」と言えば「なんて非科学的な・・」と思うに違いありません。
 しかしガリレオ以前はそうでした。
 地動説が唱えられる前にも時計はあったような気もします。無くても体感する方法はあったはずです。
 日の出と日の入りの時刻の差に「なんか、おかしい」と思えば、それが地動説を産みそうです。
 しかしそこまで行った人はいませんでした。
 そして外部の情報(木星の動き等)から、地動説は生まれました。
 それ以前、地球が動いているなどとは考えられなかったので、日の出日の入りの時差は誤差として捨てられていました。
 一方、現代は波動論がはやっています。何かというと波動・波動と言い、それで片を付けようとします。
 私は、それも天動説の一つだと思えるのです。
 微分や投影の話を書きましたが、それは「ほんの一部」です。微分が一人歩きを始めれば、天動説のドツボにはまるとさえ思っています。 
 科学的な仮説、波動的仮説は、ほどほどにしないといけません。
 そこで頼りになるのが「なんか、おかしい」という感覚だと思います。
「なんか、おかしい」と感じるためには、フリーになって浮遊している感じが必要だと思います。
 農作業に頭がいっぱいだとこれは生まれないと思いました。
 富士通でその日にやる仕事に頭がいっぱいだと、小学生には帰れないと思いました。
 六爻占術検証コーナーで用神を間違える人は、ラッキーだと思います。
 実を言えば、私も間違えたのです。だからトラさんにしつこく迫り、何通もメールのやり取りをしました。
 それらのメールは最後に解答を出すときに公開します。人は間違えた時、自分の常識がくつがえされます。
 さて、私は六爻占術を初めて開発した人の「なんか、おかしい」に近づきたいです。
 そこに解明のキーがあると思うからです。
 日の出日の入りという日常的なことでも地動説と地軸の傾きを導き出せるように・・

神坂さんに出したファックス2

(前略)
 添付した紙は、冬至の時期を挟んで日の出日の入りの時間を新聞から書き写したものです。私の友達たちがその作業をやってくれました。
 私はこれと同じ事を小学校のときにやって、ビックリしました。
 それは冬至の時期を過ぎても日の出が遅くなったからです。冬至を過ぎれば当然日の出は早くなると思っていたのです。
 これは地球の自転と地軸の傾きのためだというのは、今の「常識」から分かります。
 しかし天動説が常識の時代にも、このくらいの測定は出来たはずです。
 でもガリレオが木星を望遠鏡で見るまでは地球が回っていることがわかりませんでした。
 同じ事は六爻占術でも言えると思います。
 人間が世界の中心だと考えているのが今の常識とすれば、それはおそらく天動説でしょう。
 向こう様の世界から見れば、過去も未来も「仮予約済み」だと思います。つまり地球が決まった軌道を動いているように・・です。
 これは向こう様の世界に行かないとハッキリとは見えませんが、日の出日の入りのデータのように、地上で計ってもちゃんとした推理をすれば地動説が導けます。
 では六爻占術における「日の出日の入り」の測定は何をすれば良いのか・・私には今のところ分かりませんが・・
  以下は神坂さんからの返事です。


神坂さんから来たファックス

 1月25日〜27日に、過去10年来のエネルギー圧の大変動があったそうです。良い方にも悪い方にも振れるそうです。
 神坂さんはこれを「励起」と呼んでいます。
「作用反作用の法則は間違っている」という仮説に基づいた装置で計っているものです。普通は誤差として捨てているものです。
 エネルギー圧そのものは去年から上昇を始めているそうです。それが六爻占術を出現させた一つの原因ではないかと、神坂さんは言っています。
 もともと私たちの周りは深海魚のようにエネルギー圧は高いのです。
「ここは気エネルギーが高い場所ね」と言う時は、微弱な変化を察知しているだけです。
 孫さんは「どこでもエネルギースポットです」と言いましたが、その方が的を得ています。
 ところでエネルギー圧が高いと言うことは、地球そのものがエネルギースポットになったのに似ています。
 悪い奴はそのエネルギーでより悪くなるし・・・
 インスピレーションを得る人は、そのエネルギーで励起されて、得やすくなります。



「過去10年来のエネルギー圧の大変動」を私に送ったら、ファックスが壊れてしまったそうです。
 私が返事を送ろうとしたら「あれでファックスが壊れてしまいましたわ・・わっはっはっ・・これから新しいのを買いに行ってきます」だって・・

保険

 インフルエンザの予防接種を受けに行きました。それは保険だと思っています。
 それで、保険について一言・・
 昔、経済学を勉強したときがありました。
 サムエルソンの「経済学下巻」には次のように書いてありました。
「保険を掛ける人は、賭をしない人。保険を掛けない人は賭をする人」
 さて、私は前者です。
 例えば自動車保険を考えましょう。
 自動車保険に入らない人は、毎日が賭けです。しかも毎日勝ち続けないといけません。一度でも事故を起こせばそこで負けます。
 保険に入っている人はどうでしょうか・・賭けは同じですが、毎日負けることが勝ちなのです。
 つまり事故を起こさないことは、自分の身体からすれば勝ちですが、保険から見れば負けなのです。
 一年間の更新まで無事故だと、掛けた保険金は無駄になります。だから保険から見れば負けです。しかし身体は勝ちです。
 逆に事故を起こしたとしましょう。身体は負けですが、保険は勝ちです。なぜなら多額のお金が支払われるので「入っていてよかった」となるからです。
 つまり保険に入ることは、賭けをしないことと同じなのです。
 世の中には「賭け」を格好良く言う人が多いです。「人生は賭けだ」・・とか。
 そして私の生き方に対しても、人は言います。波乱があって楽しそうね・・と。
 しかし私は賭けをしない人間なのです。あらゆる保険に入っています。インフルエンザの予防接種もそのためです。
 賭けの無い人生なんて、つまらないと思うでしょうか・・・
 でも私が辞表を出したときですが、あのとき辞表を出さない人生の方が賭けの人生だったのです。
 なぜなら出して後悔することはあり得ないと思ったからです。出さないで後悔はあり得ました。
 富士通に勤務している四年間で500万円貯めました。りんごの会の始まる昼間、二時間も昼寝しました。
 たぶん私は、人生そのものを楽しむタイプではないのです。

テキスト第三巻

 テキスト第三巻の原稿が第十章まで届きました。『六爻占術の奥義』というタイトルです。
 基本的には今までの部分の、深いところが書かれています。
 読んでいて面白かったのは、三合局でした。
 ある男性がデートをしたいと振り、世爻と用神が半局を作りました。
 三合局を作ろうとすれば、残りの一つの十二支と五行は決まりますが、デートの場所はそこが良いのです。偶然にも相談者はそこにしようと思っていました。
 その場所の方向と距離も判断できるのです。
 今回のテキスト第三巻に次のように書いてあります。

日本の断易は中国古代の書籍から伝わったものです。占いとして皮相的で六合を吉凶や応期の角度から論じただけで、占いの肝心は口伝の形で中国の民間に伝えられてきました。私が今日本に伝えている六爻占術は基本的内容から見れば日本の断易と似ていますが、二冊目からは断易とだんだん異なってきました。特に今回三冊目からの高級の段に行くと、断易と違いはもっと著しくなります。

六親転換法

 トラさんのテキストの一部を抜粋します。
「易はすべての物に太極があると言っていますが、アインシュタインの相対論によく似ています」
 ここで言う太極とは中心点のことです。また次のようにも言っています。
「宇宙情報普遍存在論(全息論)によれば、宇宙にあるすべてのものが宇宙全体の縮図と言えて、大宇宙との運動ルールに従う同時に独立した小宇宙として運動してこの小宇宙から物事や世界を認識できます。」
 難しくて何を言っているか分からないと思います。詳しくはテキスト第三巻を見て下さい。
 しかし私なりに解釈すれば、六親は相対的なのです。
 卦は宮が持つ五行でその六親は固定されますが、視点を変えることにより・・言い換えれば中心点を変えることにより、六親を転換するのです。
 この方法により、結婚相談所で彼女を見つけようとした人が相談に来た折り、そこは売春宿だったことを見破ります。後日、公安の手入れまで受けます。
 六親転換法というのは、方程式の変数の入れ替えに似ています。そしてこれは、時空の秘密を解く大きな鍵になると思います。
 六親転換法によれば、卦というのは、あくまで一つの切り口なのです。運命の・・・
 世爻にとっての女性運が一つの視点です。それは月日から生じられて吉でした。
 でも六親転換法で視点を結婚相談所に切り替えれば・・売春宿が浮き彫りになるのです。
 う〜ん・・最高に面白い・・やはり卦というのは、単なる箱のようなものですね・・
 女性運を占う場合、用神は妻財になります。
 そこに結婚紹介所が絡んでいれば、それは別の六親(テキスト第三巻参照)になりますが、結婚相談所側から見た「利益」は、やはり妻財となるはずです。
 しかし、もともとの卦にある妻財は世爻(振った本人)にとっての妻財です。
 ここで六親転換法が行われ、結婚相談所にとっての妻財は別の爻に出現します。
 つまり相談者に女性を紹介することによる彼らの利益が見えてくるのです。そしてその意図も・・
 トラさんがアインシュタインの相対性原理だと言ったのはここにあります。
 私は「どこでも宇宙の中心となれる」と書いたことがありますが、「易はすべての物に太極があると言っています」というトラさんの文章とそっくりです。
 一個の卦にそこまで出るとは驚きですし、それが第三巻で触れることができます。
 第4巻は「運命の変え方」ですが、トラさんは「矛盾が起こっては変えることができない」と言っています。
 第三巻までをよく理解した上で進んだ方が良さそうです。

来意占い

「相談者の意図を占うことや、相談者が何も言わずに判断してもらうことは六爻占術で来意占いといいます。これは占いの高次元の内容で相当な実力がなければ、外れるのが多いです。」(テキスト第三巻より)
 一般的に日本の街角の占いは、これが得意です。
 ある日私は新宿駅の20人にもおよぶ占い師のすべてに占ってもらったことがありました。
 その人たちは、私が座ると、まずは生年月日とか書いたり手相を見たりして、私が何も相談事項を言わないのに、勝手に言い出しました。
「あなたは金運が良くないでしょう?ほらそうでしょう。」
 私が普通のネクタイ姿だったからかも知れません。
 先方は勝手に言うのですが、残念ながら私の相談事を当てた人は一人もいませんでした。
(私の相談事は、小説の書き方教室を終えて、自分の書いたSF小説が応募して入選するかにあったのです。)
 当たりもしないのに、街角の占い師は来意占いをします。これって日本の占いの特徴なのではないでしょうか・・霊能者の所に行っても同様です。
 さて、六爻占術は何でも当たると言いながら、来意占いは不得意です。面白いですね〜。
「相談したいことをわざわざ隠したという意識は知らないうちに卦中にも現れるので、隠れた六親から情報を取り入れます。」(第三巻テキストより)
 トラさんは来意を当てるための手法を幾つも書いてありますが、伏神になる場合も多いというのが面白いと思いました。

私は結果

 表記のテーマなど、どうでも良い人は多いと思います。
 人にとっては願望実現の方がよほど大切なのかも知れません。
 悪い卦を良い卦にするのが六爻占術の目的になっている人も多いでしょう。
 しかし私はそうではありません。
「壁は、それを乗り越えられる用意が出来たとき、現れる。」
 これにピッタリなのが、トラさんと六爻占術です。
 六爻占術は過去何千年も、占い師の間を通り過ぎていきました。
 断片でしか、扱えなかったからです。その一部が日本に渡来して断易となりました。
 なぜ通り過ぎたのでしょうか・・・
 それは乗り越えられる用意が無かったからです。ハッキリ言えば、能力不足・・
 そしてトラさんの前で初めて壁となりました。なぜかと言えば、乗り越えられる用意(能力)が出来たからです。
 みなさんの前に壁が出来たとき、それは乗り越えられる能力出来たからです。
 まさにトラさんと六爻占術が良い例です。

書き込み期間:2003/01/01〜2003/01/30