テーマ:「六爻占術2003.04」
書き込み期間:2003/04/15〜2003/04/30
要旨:
私は、97%は決まっていて不自由だという仮説を持っています。運命がほぼ決まっていることを認識することが出発点だと言っています。しかし、この事を本当に受け入れている人はほとんどいないと思います。
実際には、不自由な状況を認識している人ほど自由に近くて、自分は自由だと思い込んでいる人ほど不自由な状態にあるのです。
運命の流れに乗っている私達のイメージを色々と考えていましたが、タイタニックも潜水艦も帆船も私の考えているイメージには合いませんでした。そこで最終的に行き着いたのが「たらい」です。
私はタイヤに乗って川下りをしたことがあるのですが、操作しすぎて破損したカヌーを追い抜きながら、為す術もない状態で激流に運ばれていく体験をしました。
たらいには舵もハンドルもオールも、自らをコントロールする物は何一つありません。しかし、他のどの乗り物よりも最強になり得るのです。
運命の流れに水門があるとすれば、たらいに乗った状態で水門を開閉できるリモコンを持って流れを変えるのが、私の考えているイメージです。
「環境が主人公である」という仮説からこのイメージが出ました。自分が主人公だと考えていれば、たらいのイメージには行き着きません。
自由への第一歩は、ハンドル(過去)を手離すことです。何故なら、過去の情報で運命の流れを変えることは出来ないからです。
逆に過去を手離すことが出来れば、場が確定しにくくなり、変化の余地が出てきます。
自分自身の方向性をコントロールするのではなく、流れそのものを変えることによって運命変更が可能になるのです。
目次
○回転と波動と出会い
○恋と波動
○不自由な97%
○積極的に受け身になる
○自由な人間とは
○「運命が決まっているのに変更可能」しかも「自由はほとんど無い」
○新しい概念図
○神のシステム
○たらい
○カヌーとタイヤ
○運命の流れ
○たらいの続き
○環境がキー
○加速度とたらいと運命の変更
○ハンドルを手離す
○なぜ方程式が存在するのか
回転と波動と出会い

 雑誌『アネモネ』の他の方の記事に次の記述がありました。
「逆に赤信号や間の悪いことが続いて、何だか動きにくいというときは?それもまた『違うよ』と教えてくれるシンクロだから大事なヒント」
 先ほどからずっとこれが引っかかっていました。
 私はこういうことが起こり始めると「いよいよ来たな・・」と思います。何がって、「壁が」・・です。
 孫さんだってこういうことの連続だと思います。でも孫さんは「こういうことが起こったのは、こういう意味なのよ」と言ったことがありません。
 自分が赤信号のときは、他の人が通行しています。他の人が行けて、初めて自分も行けるのだと思います。
 さて、これからが本題です。私たちの人生には平面交差があります。立体交差だけではないのです。
 立体交差だけなら、人と出会うことがありません。ひたすら自分の道を走るだけです。高速道路の立体交差のようにスイスイとハンドルを切れば良いだけです。
 しかし人生は平面交差があります。人と人とが出会うのは、まさに二人の時空が『平面交差』したからです。
 広大な時空の中で「出会う」ことは、とんでもない確率だと思います。ドラマはそこから始まります。
 赤信号は、「違うよ」というメッセージでしょうか?私にとっては「いよいよ来たな」です。なぜかと言えば、ドラマが始まるからです。

 私達に感じるのは、「波動」です。波動は回転が原因です。でも逆転してもそれを感知できなければ、逆転もアリだということを考えに入れておく必要があります。
 これは、小周天とか、気の回転を言っているのではありません。運命を作り出している波動の元を問題にしています。
 この件で何を悩んでいるのかと言うと・・、人が出会うのは、どうしてか・・ということです。
 きっと、「出会い」が「先」ではないのです。だとすれば、偶然の出会いは一つも無い・・
 回転するものを真横から見れば、上下に振動するだけです。どちらに回転していようとも、上下運動に差はできません。
 その上下運動が時間軸に引き延ばされて波動になるとすれば、右回転か左回転かは、問われません。
 以前、自転車の発電器をタイヤを逆転させて回したことがありました。ちゃんと電気は点きました。
 
 さて、出会いは運命を決定するイベントとしては大きな要素です。これが解明されれば、すごいことです。
 ユングはコイン占いから、シンクロニシティという概念を作りました。出会いもシンクロだと思います。波動が重ならないと出会わないと思います。
 でももう一つの条件がありそうです。同じ方向に回転する波動では、陰陽のバランスが取れません。
 ですので出会う二人は、お互いに逆転しているのではないでしょうか・・逆転していれば、プラス・マイナス・ゼロになります。
 逆転していても三次元側に現れる波動は、同じように見えます。それは最初に書いた原理からです。
 逆転してしても、上下の振動は同じだからです。その波長が合えばまったく同じように重なり、シンクロニシティになります。出会いは、波動が先だと思います。
 波動の回転と方向と重なり具合が未来方程式のなせる技であり、それを引き出すのがコインです。

恋と波動

 別に恋でなくてもかまいません。
 船井さんは多くの人とうまくいきます。これはどういうことでしょうか・・ 
 相手に波長を合わせるのと、回転を逆にするのさえ出来れば、人とうまく出会います。
 船井さんのように人気のある人はこれがうまいのだと思います。しかも自動的にやるのです。
 相手の波長にチューニングをかけ、同調させます。このテクニックは強い自我を持たなければ可能だと思います。器が大きければ相手に同調させるのが上手です。
 次は逆転の回転にすることです。
 同じ方向だとホモになるようなものです(笑)。ホモの方、ごめんなさい。ホモはホモである意味、お互いに逆転していなと出会いません。でもこの話は比喩です。
 波長が同じで回転が逆になると陰陽がゼロになり、それはお互いがとても惹かれ合う関係になるのです。
 モテる人は、これを自動的にやるのです。
 今回問題にした「回転」がどこで起こっているかと言えば、第五以上の時間だと思います。
 銀河運動装置は空間上の回転ですから右回転とか左回転とかが問題になりましたが、時間軸上の回転なら、関係ないかもしれませんから・・
 縁と一言で片付けるこの「出会い」という不思議な現象にメスを入れるのは、ドキドキします(笑)。
 もしも回転がお互いに逆なら、私たちは宇宙をゼロにするために出会っている・・
 しかし、たとえ回転が逆でも、三次元に出てきた波動はお互いに増幅作用を起こします。
 三次元では生成発展させながら、高次の時空上ではゼロにしている・・

不自由な97%

 世の中には科学者と言われる人がいます。彼らのする事は、一つです。
 無軌道(偶然とも言う)は無い・・ということを研究することです。
 法則を見つけたところで科学者の仕事は終わります。法則を見つけた業績でノーベル賞も与えられます。
 しかし、「運命」に代表されるような未来の法則には、「無い」とするのがなぜ「科学的」なのでしょうか・・
 同様なことは精神世界でもそうでした。決まっていることを良しとせずに、あなたが創り出していると言います。
 さて、97%は決まっているというのが私の仮説です。
「声大賞」を読む限り、私の仮説を受け入れている人は、たぶん僅かです。自分を変えるとか、周りを変えるとか言っている人が大半です。
 科学者も精神世界の人も、幸せです。自由だと思い込んでいるのですから・・
 私たちの周りには重力方程式の様に未来方程式があります。物が落ちる様に、私たちの人生も決まっています。
 私は六爻占術を始めるまでは自由の割合はもっと多いと思っていました。運命が決まっているなどと思いたくありませんでした。
 でもそれを認めた今、私はエクスタシーのど真ん中にいます。
 思考や感情も奴の手に握られていますが、それでも突入する口はあるはずです。入ればエクスタシーを感じます。もうイクしかないです。
 おそらく世界に生息する人類の中で、最も最先端を走っているのが、ここだと思います。
 少々書きすぎの表現かも知れませんが、他にもっと最先端なことがあったら教えて下さい。
 私は、自由は3%ほどしかないと言いました。
 残りの97%は、どこにあるのでしょうか・・
 神とか奴とかが所有しているのでしょうか・・
 違うと思います。
 自分以外の環境と歯車を合わせるために、どうしても必要なのです。
 さて、問題はこれからです。
 歯車を動かしているのは、方程式です。私はそれに「未来方程式」と名づけました。
 ロケットを飛ばすときは、物理の方程式の影響下にあります。
 昔は方程式を知らなかったのでロケットを飛ばすことが出来ませんでした。
 でも今は違います。方程式の仕組みを知っているので、100%の自由を持って、ロケットを飛ばすことができます。
 方程式を知るというのは、その上に立つことを意味します。人間は地球上ではとても小さな存在ですが、航空機を発明して、短時間に地球を一周します。
 同じ事は未来方程式でも同様です。この仕組みを知ってしまった人間は、どうなるでしょうか・・
 すごいことになるのです。 
 伝わりそうで伝わらないのが、この「97%は決まっている」ということです。
 運命はほとんど決まっている・・ということをまずしっかり受け入れる必要があるのだということでした。
 私は、多くの人は、これを受け入れていないと思います。
『社長室ビデオ』では「自由からの逃走」という本が私に与えた影響を語りましたが、これも同様です。
 人は、自分は自由だと勘違いしています。これでは、自由になれるわけがありません。

積極的に受け身になる

 表記の言葉は矛盾しているように聞こえるはずですが、私のスタンスでもあります。
 講演の最初のスライドは、中国で出した新聞広告でした。それを見て、トラさんと出会いました。
 私は「この新聞広告は一つのマーケッティングである」と言いました。
 不思議な人との出会いは、商品の売り込みと同じなのです。
 この方法で調査を行っている不思議業界の人を、私は知りません。
 これで知り合った人に、フィリピンで私のお尻に手を入れたヒーラーがいました。
 トラさんがいました。神坂さんがいました。
 これから歴史を変えるかも知れない人はすべて新聞広告です。
 出会う人とは、出会うのでしょうか?私のスタンスは違います。積極的な受け身です。
 さらにこの様なことを通じた出会いにエゴが少ないのです。受け身でないと、エゴが生じます。エゴは、意志や願望で生じるからです。
 最初フィリピンに行こうとも思いませんでした。夕刊フジの三行広告を見たある人が、私を誘いました。私はそれがきっかけで、フィリピンに新聞広告を出しました。
 モンロー研究所など、知りもしませんでした。ある人が、ロバート・モンローの本を紹介しました。それがきっかけでした。
 私は「犬も歩けば棒に当たる」という人生を歩んでいます。ただし、未来の棒は見えないので、棒が多くなるような布石は打ちます。それが新聞広告です。
 新聞広告はとても安いです。出会いのコストとしては・・

 孫さんは5年以上前に会いました。トラさんは7年以上前に会いました。神坂さんは6年以上前に会いました。それぞれ、私の「メイン」であります。
 こんなに固執する人(私のこと)も珍しいかも知れません。
 当時はサイババとかが注目されていました。彼の事を書いた本がバンバン売れていました。そして月日が経ち、サイババの事が書かれるのは、どちらかと言えば否定される方が多くなりました。
 この世界にも「はやりすたり」があります。
「これからは××だよ」などとも言ったりします。新しい事を追いかけないと、評価されません。
 しかし私が付き合っているのは、ずっと昔からの人です。でもその人自身が変化して、私達は常に最前線にいます。
 私が新しい人をどんどん追えば、そこに気が付かないかも知れません。
 実を言えば、長く付き合うのは、それなりに大変なことだと思います。相手の欠点も見えてきます。でも、基本的な部分をしっかりとさせていれば、続きます。

自由な人間とは

 これは『不思議の友』にも出ています。
 しかし、普段の生活(経験則)では、下の図を肯定する人は少ないように思います。
 人は、「自分」が「顕在意識」で「決定」して生きていると、誤解しています。
 やはり下の図が正しいとすれば、「運命は決まっている」としか言いようがありません。この図を見て平気でいられる方が不思議です。



 平気でいられるのは、どうせ自分のことは自分で決めるんだから・・・と思っているのだと思います。
 自分ががんじがらめである・・ということを認識している人間が最も自由なのです。
 最も不自由な人間とは、自分は自由だと感じている人間です。
 ましてや「俺は自分の生き方を全うしてるいる」とか、「やりたい事はみんなやっている」とか言っている人間が最高のバカです。
 私はずっとずっと自由について考え続けてきました。自由になりたい・・
 でも、歳が進むにつれて、どんどん狭まっていくのです。最後は0.1%か・・?
 それでも私は自由を追求します。私は本にサインするときは「自由へ」と書きます。既に買った墓石にまで「自由へ」と彫りました。
 私にとって、自由とは大問題です。同様に、不自由も大問題です。ごまかして生きたくはありません。
 根本的な疑問は、人は何のために生まれてくるのか・・宇宙は何のために存在しているのか・・
 昨今の新しい情報を加味すると、またまた分からなくなります。
 昔は良かった・・事が単純で・・成長すれば良かったのですから・・ ♪

「運命が決まっているのに変更可能」しかも「自由はほとんど無い」

 表記の図はタイタニックとか潜水艦で表現していましたが、「運命が決まっているのに変更可能」で、しかも「自由はほとんど無い」の両方を加味したものにはしっくりきていませんでした。
 なぜならタイタニックはレーダーですべて解決して、潜水艦は潜望鏡ですべて解決していました。そんなに甘いものではないはずです。
 二つの図の大きな誤りは、自分のスクリューで動くというものです。自分のスクリューでは動いていません。
 一歩前進しました。何故これに行き着いたか、それは神坂さんのエネルギー理論からです。
 どうしても、スクリューが付いている乗り物だと、「自由はほとんど無い」というイメージになりません。
 「目の玉」の目とは、未来を見る目ですよね・・だとすれば、残念ながら、目の玉も動けません。
「私たちはどこからきて、どこに向かっているか・・」 この命題を考えるためには、「今」の状況を知る必要があります。しかし「今」は、とんでもない状況です。
 六爻占術は、とんでもない「飛び道具」です。「種子島」どころではありません。
「未来を変えることで今を変える」 どうもこれは、真理に近いようです。
 なぜなら、「今」は変えようがないのです。経験則では・・

新しい概念図

 まだ図になっていないから、概念だけ話します。
 ハンドルを手離すとか言いましたが、ハンドルすら付いていません。船で言えばスクリューはありません。車で言えばエンジンがありません。自転車で言えば、ペダルがありません(笑)。
 ハンドルが無くて、ペダルが無くて・・(笑)
「奴よ、ふざけてんのか〜、この〜!!」と思いました。しかし奴はマジです。こちらはマジ切れです(笑)
 さて、もしも潜在意識ですべてが決定されているとすれば、ハンドルのないペダルのない自転車と同じだと思いませんか?しかもタイヤは、ワダチを走っています。 
 あ〜、見ていられません・・
 でも、前に付いている買い物カゴの中には何と・・・六爻のマークが付いているリモコンが入っているではないですか・・
 リモコンを動かせば・・・おおおおぉぉぉ・・ワダチが変わる・・・
 未来が変われば今が変わる・・運命が変われば自分が変わる・・
 でも、これでやっと腑に落ちてきました。時間は未来から来る・・まさにそうです。
 ゲームセンターのカーレースです。車は動かずに、周囲が動きます。ハンドル(リモコン)は周囲に連動しています。
 運命を変えるのも、これだと思います。周囲を変えて、自分の行くコースに病気が来ないようにするのです。やはり、場(環境)が主人公なのです。
 コインを振るのは、主人公である世爻ではなく、主人公である「場」のストーリーを読むためです。ですので「世爻」は「被害者爻」が良いかも知れません(笑)。
 考えてみれば、我々が主人公であるわけがありません・・

神のシステム

 「帆船」のイメージも違うと思います。私達の船には、推進道具(帆)は付いていないと思います。
 私たちが止まっていたとします。上から工事のコンクリートの塊が落ちてきたとします。
 私達に当たります。私たちは怪我をします。止まっていてもです。
 私たちは運命の流れの中では、止まるということが出来ないのです。
 何をしていようとも、ある方向に流されています。努力してもしなくても行き着くところは同じです。あらかじめプログラムされた場所に向かいます。
 いえ、この表現は違います。主人公は私達ではないからです。私達がある場所に行き着くのではなくて、ある場所が私と交差するのです。
 みなさんは、自分のことが気になりますか?私の書き込みは、関係ない世界ですか?
 自分のことは、既に決まっているのですよ・・
 おおもとを何とかしないと、何も解決しません。私のおおもととは、時空のことです。
 そんな事より、自分のことが大事ですか?
 主人公は環境です。私達は環境を構成する一要素に過ぎません。
 ということを言えば、みなさんは「3%の自由」の方に目が行きます。それよりも先に解明しなければならないのは、全体です。
 自分の生き方は、ひとまず脇に置きませんか?
 このシステムを「実験」できないものかと、ずっと考えていました。でも、まだ案が浮かびません。第五の時間を取り入れれば、時間変数が二つ現れます。
 私のイメージが正しければ、神はとんでもないシステムを作りました。

たらい

 私のイメージは、船に例えるなら、「たらい」です。
 まず「帆」だと思えない理由は、自分のどこかを変化させる(帆の方向を変える)ことによって進路変更をするのではないということです。
「たらい」なら、これ以上変えようがないから、イメージとしては最適です。しかも環境のなせるがままです。
 この認識が私を一歩進めたと思います。
 人は自分が「たらい」だと思いたくありません。なぜなら自分の生き方が大事だからです。自分の生き方から全体を解釈しようとします。
 そうである限り、時空への切り込みは出来ないと思います。
 昔、たらいに似たようなもので川下りをしました。タイヤの上に板を置いて、その上に乗って川を下ったのです。まさに、そのイメージがよく似合います。
 そんなところに帆船を浮かべても無意味だと思います。風よりも激流の流れが強いからです。
 カヌーが同時にスタートしました。彼はオールで操りながら下っていきました。でもあるところで私のタイヤが抜きました。
 オールで「操作」しすぎて、船そのものを破損してしまったのです。
 バラバラになった破片の脇で彼が叫びました。「タイヤは正解だなぁぁぁ。頑張れよ〜」
 時の流れは、激流の様です。私達を容赦なく運ぶからです。
 激流の中にいると、陸からは相当危険に見えたと思います。
 川下りを外から撮影した映画などは、すごいでしょう・・
 しかし乗っている本人からは、周りのすべての水が止まって見えるのです。そこには静寂があります。
 周囲が激流なら、それを認識できません。
 地球が太陽の周りを30Km/秒で飛んでいても(我々も同時に飛んでいても)、なかなか認識できないように・・
 タイヤは為す術がありませんでした・・・激流の中では・・
 カヌーは為そうとして、大破しました。
 川が二手に分かれている所がありました。
 どちらにも「水門」があり、その水門をリモコンで開閉できたら、どうでしょうか・・
 自分を取り巻く激流の流れを変えることが出来ます。
 自分がそこに「行く」わけではないと思います。激流が「行く」から、自分も「行く」のです。
 主人公は「場」です。だから主人公の流れが変われば、脇役(我々)も変われます。
 たかが「たらい」、でもリモコンを持てば、帆船やカヌーより最強です。
 しかし、すぐにリモコンに行きたくありません。もっと「運命そのもの」を考えたいです。
 たらいであるか、帆船であるか・・この二つの違いを認識した方が良いと思います。
 帆船は世界一周が「自由」に出来るイメージすらあります。実際、出来ます。
 たらいで、出来ますか?
 たらいを帆船であると思い込む・・人間は自分に嘘をついてまで、状況を美化したい・・

カヌーとタイヤ

 カヌーでは、限界を越えた時、為す術がありませんでした。
 もともと、為す術がないタイヤには限界がありませんでした。ひっくり返っても、すぐに復帰しました。
 川も中流になると突然の滝とかがないので、私は板の上に寝そべりました。タイヤが回転するので、空がグルグル(笑)。
 上流はスピードが出るので、息をするのが大変でした。チベットより大変でした(笑)。
 岩に当たった時、私だけ上に飛ばされました。でもタイヤも同時に下を行きます。
 二、三秒後、板の上に軟着陸・・・それでもスピードは落ちずに、滑るように水の上を走るタイヤ・・
 ほとんど飛んでいるという感じです。
 川が急カーブする所があります。そこではタイヤは自然に自転・公転をします。実にスムーズに抜けていきます。
 吊り橋の上から、時々応援してくれる声が・・・
 カヌーは何艘か抜きました。チマチマやっているから「どけー、バカ野郎」と、怒鳴るんです(笑)。
 だってこっちは止まれない・・しかも回転しながら突っ込んでいくのです(笑)。
 方向性を持たないタイヤは、こういう状況では最強です。
 しかし下流でカヌーに抜かれました。「どけ〜、バカ野郎」と言われながら・・(笑)
「どけねえんだよ、バカ野郎」と言い返しました(笑)。
 最後のゴール地点で陸に上がったとき時、カヌーの人が近寄ってきました。ヤバイ・・と思いました(笑)。
 彼は言いました。「タイヤ・・カッコイイね・・」そのカヌーもかなり破損していました。
 たらいは自分では方向性を持ち得ません。
 タイヤに至っては、ひっくり返しも「吉」です。それで何度も救われました(笑)。
 たらいあるいはタイヤは、無力という感じもします。しかしいざというとき最強だったのは、川下りで書いた通りです。
 私もみなさんも、おそらく運命という川を下っていると思います。そのときタイヤに乗るのと、カヌーに乗るのと、どちらが良いですか?
 なぜこのイメージを持ったかというと・・地球が公転しているのは何故か、という問いにアインシュタインは次のように答えました。
「重力場が空間を歪ませて、その時空のみぞに当たる部分を地球は通るのです」・・と。
 おお・・と私は頷きました。そこしか通れないのです。
 私のタイヤも、そこしか通れない所を滑るように通って行きました。
 だから「どけ〜バカ野郎」状態だったのです。何の術も、無いのです・・・

運命の流れ

 運命というのは、瞬間で決まると思います。コインを振っても同様です。
 これには異論がある人は、多いと思いますが・・
 チベットを旅した時、運転手が瞬間で判断しました。
 偶然に隣を走っていた別のランクルは、そのまま真っ直ぐいきました。
 でも、彼らは引き返して、再度私たちのルートに入りました。
 運命の変更は、こういうイメージがあります。私達の運転手は未来を見ていたのです。
 ランクルにはハンドルがあります。たらいには、ありません。
 たらいには帆もなければ、オールもなければ、舵もありません。
 たらいが何で駆動するかというと、歴史を進める第四の次元「時間」です。
 これが超高速です。今日一日だって、あなたの周りをビュンビュンと通り過ぎたでしょう?(景色のことを言っています。川下りと同じです。私には・・)
 今日コインを振らなければ、明日の吉凶は、未来のものとしては二度と占えません。
 タイヤは川と同一に流れていきました。川は「場」だったのです。タイヤは単に、その場に乗っていただけです
 アインシュタインは、場に沿って地球は公転すると言いました。川下りと同様です。
 だから、タイタニックや潜水艦や帆船では、イメージが違うのです。
 外側がキーです。帆船に固執するなら、風を変えるのです。
 でも、それはピンと来ません。帆船は普通、帆を変えて向きを変えるからです(向きを変えるのは舵かも知れません)。
 ほとんどの人は、自分でコントロールして生きていると思っているはずです。
 たらいなら、「流れを変える」と言えば、ピンと来ます。
 運命は、流れそのものなのです(当たり前?)。
 流れを変えることなど、出来るのでしょうか・・
 でも、風水などは、これではないでしょうか・・(運命を変える話はまだ早いですが)
 もしも流れを変えた時、たらいではなくカヌーに乗っていたらどうでしょうか・・
 流れに乗らずに自分で漕ごうとします。そして大破します・・
 たらいとかタイヤなら、放っておけばいいんです。グルグル回りますけど(笑)。

たらいの続き

 神坂さんの論文を読み直していました。すると以下の文章に出くわしました。
 ガリレオがピサの斜塔から木の玉と鉄の玉を同時に地面に落とした。
 引力が質量に比例していれば当然鉄の玉が先に着くはず。
 万有引力の法則は嘘なのか?
 嘘ではなく、それは地球の引力とは上から下へのエネルギーの流れであり、鉄の玉も木の玉もその中に浮遊しているのだということである。
 流れに乗っていれば同時に着いて当然である。
 これは、たらいの考え方です。
 私達はどうしても自分を主体的な木の玉、鉄の玉と捉えがちです。
 主体的とは、それ自身が運動していると考えていることです。
 しかし神坂さんは、浮遊していると言っています。たらいの様に・・です。
 神坂さんにとっても、主人公は環境です。私達は環境に浮かんでいるのです。そして環境が動けば、私たちも動きます。
 環境のことを「場」と言います。
 また言いますが、この考え方に心から賛同する方は、大変に少ないと思っています。
 重力の場は、上から下への運動です。運命の場は、過去から未来への運動です。
 私達は木の玉や鉄の玉のように、その「場」の中を浮遊しています。まさに、たらい・・です。
 さて私達が、たらいに乗った鉄の玉だったとしましょう。
 たらいごと落ちていきます。ヒュー・・と。
 その時、進路を変えたいと思えば、どうするでしょうか・・
 何しろたらいですから、何もありません。帆の一つでも付いていれば、方向が変えられるかも知れません。でも、ありません。
 つまり「自身」では何も出来ないのが、たらいです。
 
 物が落ちるというのは、もっと巨視的に見れば、流れ星です。
 流れ星になる以前はどうだったでしょうか・・太陽系に接近する岩石です。
 もしも軌道上に木星があれば、そちらに引っ張られて軌道が変わります。
 昔、NHKの『タイムトンネル』を見ていた時、ドラマの中で巨大な隕石が地球にぶつかる場面がありました。
 しかしその時、真っ黒な星が現れて、隕石は軌道を変えました。その真っ黒な星は現実にあった話で、未だに不明だそうです。
 つまりそれが運命を変えたのです。
 我々が隕石ならば、そしてエネルギーを配置する能力があれば、他の時空にエネルギー体を出現させれば良いのです。物質もエネルギー体のひとつです。
 それをリモコンで操作するのが六爻占術における運命の変え方なのです。外側に置くしかないのです。
 しかし我々は自分をたらいに乗った鉄の玉だと思っていません。それ自身で何か行動が起こせる鉄の玉だと思っています。
 しかしそれは三次元の中だけの話です。三次元の自由度と四次元の自由度は、全く別物です。
 私にとって、船からたらいへの移行は、意味が大きいのです。

環境がキー

 神坂さんの論文を読み直すと、全体的にも「環境」がキーになっています。
 銀河運動装置もそうです。モーターで回していますが、本物(太陽と地球)は自動的に、ワダチに沿って回っていますから・・
 それを神坂さんは模型化しただけです
 六爻占術で株の銘柄を変えることも、環境を変えることだと思います。たらい側の主体的変更ではありません。
 市長に立候補しないことも、環境を変えることだと思います。たらい側の主体的変更ではありません。
 しかし、主体的変更だと思う人が大半だと思います。なぜなら、人は自分の主人になりたいからです。
 しかし・・主人は、「環境」です。
 たらいだと思った時、ここまで来たか・・と思いました。
 自由は四次元にはありません。自由は、三次元と五次元です。三次元の自由は擬似的ですが。
 リモコンは五次元へのトラップです。それで四次元を変えます。
 私達は、四次元の「結果」で勝負します。四次元は、歴史を刻む時間だからです。
 良い結婚をしたか・・出世したか・・金持ちになったか・・すべて歴史を刻む時間次元での評価です。
 バカみたいだとは、思いませんか? 五次元は「変化」の次元です。そっちで勝負しませんか?

加速度とたらいと運命の変更

「たらい理論」は、次のステップを生みそうです。たらい側から「仕掛けるためのキー」がありそうだからです。
 四次元航行は「等速度運動」と同じなのです。だから「決まっている」のです。
 神坂さんの機械で、キーになるのは「加速度」です。彼が作った天然エネルギーを測る装置は、モーターのスイッチを入れて加速する間の反動を測ります。
 それは地震の予知に繋がっていました。予知と言えば何か、未来予測を思わせました。
 彼の測るエネルギーは、向こう側につながっているのです。
 また蘇生をする銀河運動装置は回転であり、回転も加速度運動です(常に方向転換するので)。つまり高次元のエネルギーにアクセスするのは加速度なのです。
 しかし今までは、これと運命の変更がどうしても結びつきませんでした。結びつけば、突破口になるような気がしていました。
 今まではタイタニックと潜水艦が、私のイメージでした。それだと、場の理論に発展できなかったのです。
 あくまでも主人公は自分でした。しかしたらい理論で、自分は脇役になり、場が主人公になりました。
 これが私のインスピレーションのキーでした。
 宇宙空間を飛ぶロケットは、エンジンが無ければ惰性で飛び続けます。それは等速度運動です。
 私たちの人生は、経験則で生きれば、これなのです。等速度運動なのです。どこにも曲がりません。
 これは奇妙に聞こえるはずです。だって自分は、毎日クネクネと曲がった道を歩き、歩調を変え、電車にも乗ります。これが等速度だなんて、信じられないでしょう・・
 しかし四次元の時空から見れば、等速度なのです。運命という、あらかじめ決まったルートの上を、惰性のロケットのように飛んでいるだけです。
 場の流れは、過去の情報では方向を変えることが出来ません。
 
 さて、運命が変わるというのはどういうことでしょうか・・
 株の銘柄を占い、良い卦が出たとき、その銘柄を買うことは、その銘柄を買うという場の流れに乗ったと解釈するのです。
 つまり場の流れが変わったのです。これは方向転換を意味します。方向転換は、加速度が必要です。
 地球は太陽の周りを回っていますが、常に方法転換をしているから、常に加速状態です。
 神坂さんの機械で、定常状態に入るとどうして天然エネルギーが影響を与えないか、判りました。
 定速度は、止まっているのと変わりがないのです。
 運命を変更するのは、定速度ではありません。速度が変化するのです。
 速度とは、時間の一次関数です。時間に比例して位置が変わるからです。
 しかし加速度は、その速度そのものが時間と共に変わるので、時間の要素が二つ出ます。
 時間の要素が二つ出ることは、私が『不思議の友』に書いた、第五の時間次元を思わせます。
 時間次元が二つ出ること・・これが六爻占術の運命変更と、神坂さんの一連の実験の共通点です。
 あ〜、やっと合体しました。
 株の例ではなくて、うさぎ八匹なら、もっとわかりやすいです。
 うさぎを東南の方向に置くことは、場の流れそのものを変えたのです。外部から・・
 場の流れが変われば、たらいに乗っている私達は、当然変わります。
 主体が我々ではないことに気付いたおかげで、我々は今、逆に自由に近付こうとしています。

ハンドルを手離す

 自由を手にするひとつの方法は、個から離れることです。
 導師が私に教えた最後の瞑想法「天人合一」それは窓を開け放して瞑想することでした。
 外部の音を内部の様に聞くことでした・・・
 これは場の流れを自分と合体することだと・・気付きました。
 奴の目には、変化をしない人は、写らない・・変化をするのは簡単です。過去を手離せばいい・・
 向こう側(奴の次元)には、難しい言葉を使えば、微分されて届くので、加速度をそのまま鵜呑みにしてはいけません。こちらの世界では、単に、「変化」です。
 過去にしがみ付くことは、ハンドルにしがみ付くことです。
 ハンドルを離すと過去が消え、場は確定しにくくなると思います(不確定生原理から)。
 だからハンドルを離すことは、自由への一歩です。悟りというのも同様です。
 その人にとっての「過去」が消えれば、時空は計算不能になるような気もします。
 ブッダは計算不能だったと思います。
 サーフィンのイメージも、近いと思います。既に行ってしまった波には乗れません。サーファーは常に「今」の波で勝負します。
 でもこのイメージは少し違います。サーファーは波そのものを変えることができません。
 たらい理論では、波そのものを変えるのです。こんなすごいゲームは、他にはありません。

なぜ方程式が存在するのか

 なぜ未来方程式を作ったのか・・つまり、「運命」というものを存在させたのか。
 これを考える前に、することがあります。三次元の世界で、なぜ物理方程式が存在するか・・です。
 方程式が無かったら、どうなるでしょうか・・・
 重力の法則が無かったら、りんごのスカートが上がって、男であることがばれてしまいます(笑)。
 そもそも重力の法則が無ければ、星はバラバラになります。それ以前に、宇宙が存在しません。
 熱力学の法則が無ければ、りんごの丸焼きが出来ません。その前に、熱力学の法則が無ければ、生体は存在しません。
 我々が存在するために、多くの物理法則が存在するのです。
 たぶん、法則が先にできたのです。ビックバンよりも先に・・
 ということは、法則が「流れ」であり、ビックバンで誕生した宇宙は、たらいに入っています。宇宙そのものが、たらいの中です(笑)。
 方程式のもう一つの意味は、効率化だと思います。
 イラクの現状に関して、テレビでリポートをやっていましたが、信号機が機能していなくて、道は大渋滞だそうです。略奪も多くて商売もうまくいかないと・・
 これらは交通ルールと商法ルールと刑法ルールが無くなったからです。方程式が無くなると、非効率になります。
 
 それでもって、未来方程式です。
 四次元、五次元でも、なぜルール化が必要なのでしょうか・・
「人がやりたいようにさせればいいじゃん」と思います。これを追求している私ですら、そう思います。
 でも、何かの理由があってのことです。深〜いわけがあるのです・・きっと・・
「言ってしまいなさい・・楽になるから・・」と奴にささやいたら、乗るでしょうか・・
 私の推測では、「一応仮予約しておかないと、時空の飛行機の座席や劇場が非効率になるから」・・という理由です。
 世の中から「事前予約」が消えて、「当日券」と「自由席」ばかりになったら、やっぱり非効率でしょう?だって計画が立たないもの・・
 不思議研主催の講演会が当日券だけなら、前日から並ぶ必要が出てきます(笑)。
 これが私が考えた理由です。
 私は興味が尽きません。物理法則は、奴の頭脳そのものだから・・

書き込み期間:2003/04/15〜2003/04/30