テーマ:「六爻占術2003.06」
書き込み期間:2003/06/02〜2003/06/29
要旨:
宇宙の時間には始まりと終わりがある、つまり時間は有限であるという気付きを得ました。そして、アンテナやバイオリンの弦などがそうである様に、時間軸にも波動の共鳴現象が発生することで運命が決められているという仮設が出ました。
決まっている長さの波長にアンテナのトラップの様に外側から周波数を変えることで運命変更が可能になるのです。
宇宙が有限であるという事から、もう一つの気付きを得ました。閉じ込められた時空間あるいは運命から外に出るには、最大限に拡大することなのです。有限である以上、最大限まで拡大すれば、始点と終点に達した時点で消滅するからです。
この考え方でいくと、私達がぶつかる壁や問題なども、拡大させることで初めて消滅するのです。
外側にあるアンテナの長さと形で周波数が決まります。にも関わらず、私達は自分自身が発信源であるかの様な誤解をしています。共振しない周波数を発信しても、周波数は変えられず、反射されて戻ってくるだけです。
我々は発信器ではなく、レーダーの様なものです。発信よりも、受信をする為のものです。しかし、我々がレーダーを持っているということは大変なことなのです。
どんな問いにもデジタルに答が返ってきて、確実に事故や災害などを回避することが出来るからです。
私が最も価値を置き、問題にしているのは、「自由」です。そして自由を追求すると同時に、不自由を強く意識するようになりました。
みなさんは、どこまで自分の不自由を認識しているでしょうか。ほとんどの人は、主体性を得たいがために不自由な現状を直視しないようにしています。
成長論が出るのも、自分が主人公だという考え方からきていると思います。しかし、実は歴史や環境の側が主人公で、私達はそれに操られているだけではないでしょうか。
二次元で這いつくばって前さえ見えない、しかも這うことさえも自分の意志ではなく強制的に進まされている・・これが私達の今の現状だとしたら、その現実を受け入れることが出来るでしょうか。
しかし、これを認識するところからしか、自由を奪還する道はありません。
私には「あるがままで完璧」と言いながら現状に甘んじていることは出来ませんでした。それで満足している限り、時空はその先の世界を見せてくれることはないのです。
だから私は悔しさを抱えながら、次の扉を開くために自由の追求を続けていきます。時空の前からは、絶対に引くつもりはありません。
目次
○時間は有限
○運命という風船から出るために
○時間の始まりと終わりとトラップ
○人は発信器たり得るのか
○レーダー
○奴にとっての価値、みなさんにとっての価値
○私にとっての価値
○『火の鳥』と『ばるぼら』
○『幼年期の終わり』
○長く生きれば滅びる
○幼年期からの脱皮
○たらい理論とオーラの色
○テキスト第四巻
○四次元の悔しさ
○二次元に這いつくばっている私達
○奴の変態プレイ
○「奴」は「神の概念」を越えている
○高さの次元
○時間の高さの次元に行ける世界
○奴との勝負の場所
時間は有限

 テンプルビューティフル講演会での私の最大の気付きの一つは、宇宙には時間の始まりと終わりがある、つまり時間は有限であるというとことです。
 それがどうした?・・と言われそうですが、それがスゴイのです(笑)。
 始まりと終わりがキッチリと決まっていると言うことは、そこに波動の共鳴現象が発生するということです。
 バイオリンの弦は両端がキッチリと固定されているから、綺麗な音が乗るのです。
 しかし一端がスポンジのようなものにつながれていたら、その支点に音は吸収されて、綺麗な音はできません。
 アンテナも同様です。その長さの波長に共鳴する周波数だけが乗るのです。
 これが運命を作り出しているというのが、私の仮説です。
 過去からの波形と未来からの波形を合成すると、その波形はその場で上下を繰り返すだけだというグラフを見せることが出来ました。
 過去からの波形には手を加えることが出来ません。しかし未来からの波形には手を加えることが出来ます。
 トラップをかけるのです。それが風水による運命の変更です。
 バイオリンで言えば、弦に重りを付けます。すると共鳴周波数が変わります。
 アンテナで言えば、とこかに導線を結べば良いです。
 こうして、外側から共鳴周波数を変えるのです。
 時間の終わりがあるという仮説に到達するのが大変でした。普通、未来は永遠に続くように感じるからです。
 しかしたぶん、私の仮説は合っています。なぜなら、空間がそうだからです。無限の空間は、ありません。しかもキッチリと切り取り可能です。
 ここから時間も同様だと考えました。
 テレポーテーションの事を喋らなければ、今回の気付きはありませんでした。
 波動は一瞬で届くとか、テレパシーに時間は無いとか言いますが、速度が無限だと共鳴が起きないと思いました。
 音は遅く進行するので、色々な音色を乗せることが出来ると思います。無限大だと、無味乾燥です。
 時間が有限の「弦」であり、伝わる速度も有限なので、「波」として時間の弦に乗るのだと思います。
 有限の時間弦に乗る有限の波動の周波数が12/単位・・なのだと思います。
 伝わる速度が有限と言っても。それでもとてつもなく早いはずです。恐竜の場などを、あっという間に取ってくるのですから・・
 しかし、とてつもなく早くても、無限とは限りません。我々にとっては、光だってとてつもなく早いです。

運命という風船から出るために



 もしも私が黄色いボールの中に入っていたとして、そこから出るにはどうすれば良いでしょうか・・・という設問を、講演会で出しました。
 それは、ボールをどんどんどんどん大きくすれば良いのです。
 理由を言います。まず、次元を落として考えます。二次元の上に円を書いたとします。
 二次元は有限という条件が付きます(宇宙が有限の三次元空間だから、二次元も有限とするのです)。
 有限ということはどこまでも続く平面ではありません。ちょうど地球の表面の様なものが、有限な二次元と言えます。
 その円の中に私がいたとします。円をどんどん大きくすれば、最大で地球の直径になります。もっと大きくすれば、地球の向こう側に行って、点となり、消滅します。
 私はそのままなのに、円が消滅しました。次元を上げたのが、風船の例です。
 私達の「壁」と思われた障壁は、どんどん拡大すれば消滅します。
 講演会では、これを道教の天人合一の瞑想と一緒に説明しました。道教は、非常に良くできていると思います。
 だから有限な宇宙というのは、最大限まで拡大すればその上に立てるようにも思います。
 同じ事を時間軸でも考えました。時間が有限だとすれば同じ事です。
 何かに閉じ込められているとすれば、その境界をどんどん拡大すれば良いのです。始点と終点に達した後、消滅します。
 但しこの概念には、歴史を刻む時間系が高次の時間系の表面に当たるという前提が付きます(地球の表面の様に)。だからイメージしづらいと思います。
 しかし、私が今一番考えているのが、このイメージなのです。
 私たちは閉じこめられた時空間から抜け出ることは出来るのでしょうか・・
 写真の中で私が持っている風船がこの時空に当たるとすれば、持っている私は「奴」ということになります。
 この世界では、相反が多発します。問題は拡大して初めて消滅します。
 みんな風船をしぼませたままだから次に行けないのです。「快」であることを認めれば、次に行けます。

時間の始まりと終わりとトラップ

 私がアマチュア無線を始めた頃は、みんな自作でした。
 始めにやった周波数は7メガヘルツで、波長は40メートルでした。
 光速で40メートル飛ぶ間にサインカーブをワンサイクル作るのです。
 アンテナというのはその半分の長さにします。キッチリと半分でなければなりません。
 少しでも長かったり短かったりすれば、別の周波数が共鳴するからです。
 私はとりあえず巻き尺で測って、20メートルよりも少し長めの導線を木の枝の間に張りました。それに自作の測定器を当てながら、少しずつチョン切るのです。
 こうしてその波長が乗るようにします。
 
 さて、運命は「波動」であると思います。そうだとすれば、時間の長さに共鳴して、まるでアンテナの様にその長さに乗っているとも言えます。
 私はアンテナの長さを切ることによって希望の波動をおびき寄せました。しかし時間の始めと終わりは切ることが出来るでしょうか・・
 ビックバンのことをテーマにした科学番組などを見ると、ビックバンが始まって百分の一秒ほどの短い時間の出来事を議論したりします。
 つまりそこまで厳密に、キッチリと始まったという感じが伝わってきます。
 同じように、時間の終わりもそうなのではないでしょうか・・
 時間の終わりは、ただ何となく終わるでしょうか・・そんなことはないと思います。
 たぶん百分の一秒単位までキッチリと決まっているのだと思います。
 この件について、ビックバン系の番組で何も言わないのが不思議です(笑)。始まりを議論するなら、終わりも議論すべきです。
 それをすることにより、人生観はかなり変わると思います。我々は封じ込められている・・と。
 昔、木の間に張ったアンテナの長さを切れないとしたら、どうしたでしょうか・・
 別の方法で変化させるしかありません。中間にコイルとかコンデンサーとかを入れる方法です。


 
 この写真は現在のアンテナですが、アンテナの棒の中間に太くなっている部分が見えると思います。それがコイルです。コイルで共振周波数を変えているのです。
 正確には、このアンテナは二つの周波数が乗るようになっています。六爻占術で言えば、金運と健康運が吉になるように・・です(笑)。
 本来、長さが決まっているので一つの周波数しか乗らないのに、トラップを入れて変更しているのです。
 さて、私達は大きな誤解をしています。私たち自身が「発信源」であると・・その発信周波数を変化することによって運命を変えるのだと・・
 しかしアンテナの世界では、いくら送信機が勝手な周波数を出そうと思っても、アンテナから発射してくれません。発射できる周波数はアンテナの長さと形で決まるからです。
 共振しない周波数を発射しようとすると、アンテナはどうすると思いますか?
 全部、送信機に送り返します。だから送信機が加熱します。うまくいかないと言って、本人がカーッとしている状態です(笑)。
「熱くなる」とは、このことです(笑)。時空に対して熱くなっても、電波は出してくれません。
 アンテナに入れるトラップ・・それはまさに、外側からの変更です。
 弦楽器の弦を指で押さえて微妙な音を出す行為も、外側からの変更です。

人は発信器たり得るのか

 世の中には波動の発信者と称する人が多いです。
「すべては波動だ」と言い、「意識を変えれば世界が変わる」とか言う人です。
 その人の概念には送信機しかありません。私が書いたようなアンテナの概念がありません。アンテナが無い送信機など無いのに・・です。
 自称「波動発信者」は、自分が世界を変える中心だと思っています。彼らの発する波動は、時空で全て反射されて、戻ってきます。
 世界は良くなるどころか・・
「意識が変われば世界が変わる」とか「あなたが源(みなもと)です。あなたが変われば周囲が変わる」とか「思いがすべてを変える」と言います。
 しかし本当にそうなのでしょうか・・もしもそうなら、人は発信器たり得るのです。
 
 さて、発信器が持つイメージは、マスコミの持つイメージに近いです。
 東京タワーからは各局のテレビ電波が出ています。それは日本全国をキーステーションに入れて、日本中の家庭に届けられます。そして日本中に影響を与えます。
 その影響か、波動の世界では他に影響を与えることが出来ると思いこんでいます。
 ここでいう「他に影響」とは、時空の運命のシステムに関して・・です。
 私が問題にするのは、三次元の「他」ではなく、それを越えた次元の「他」のことだからです。いえ、少なくとも今まで両者は同じだと思ってきました。
 ところが講演会を挟んだ前後に起こった情報の変化によれば、私たちは発信器にはなれないのです。
 発信器になれないとすれば、何なのでしょうか・・私の仮説によれば「レーダー」なのです。
 レーダーは確かに発信機能を有しています。しかしその発信機能はあくまでも受信をするためです。
 他に影響を与えるような主体的な形での発信ではなく、受け身的な受信を目的とする発信なのです。
 レーダーは一瞬だけ電波を発射して、その反射を待ちます。
 もしもこれが軍事用ならば、レーダーは敵のミサイルをキャッチすることだけです。
 レーダーから発射される電波は、敵のミサイルの運命をコントロールする機能はありません。ただ発見するのみです。
 敵のミサイルの運命を変えるためには、別の方策が採られます。迎撃ミサイルを発射するとか・・です。レーダーに攻撃機能は無いのです。
 私たちが発射する波動(言い換えれば私たちの意識)はこれと同じだと思いました。攻撃機能は無いのです。
 
 私の仮説によれば、時間軸上にはアンテナが張られていそうです。
 そのアンテナに我々自身の意識の波動が乗れば、直接に運命を変えることが出来そうです。
 しかしアンテナはある特定の周波数しか同調しません。
 我々の意識で勝手に作り出した波動を乗せようとすれば、ほとんど跳ね返されます。
 レーダーは元々ある物体や地形を知るためにあります。
 時空も同様で、時空のアンテナには元々ある周波数が乗っています。これは時空がエネルギーで満たされていれば当然のことです。
 主役だと思っていた意識はアンテナに乗るどころか、「言い訳」をしているだけだと言われ、脇役以下に落ちました。
 主人公はやはり時空側です。敵に不足はありません(笑)。
 しかし、人は発信器たり得ない・・なのに主体性、主体性・・とうるさく言われました。
 人は発信器たり得ない・・というフレーズが理解しにくいのは、三次元の世界では逆だからです。
 ぶっちゃけて言えば、人はカッカッと発信します(笑)。でもそれが時空のアンテナに乗らずに、送り返されてくるのです。
 だから三次元の世界ではすごいです。カッカ、カッカと人に影響を与える・・
 やられた人はやり返す・・しかし、時空には無影響・・
 しかし、もしも仮に人間が発信者たることが出来たら、時空はとうの昔に崩壊していたかも知れません。「意識は世界を変える」・・という人達が原因で・・
 そうだとすれば、いつの世にか、人が発信者たり得る時代が来るのかも知れません。
 しかし、これを聞いて希望を見出す人がいる限りは、実現しないと思います。
「発信できる」・・・舵とスクリューが付いている船→次第に梶を切る(延長)
「発信できない」・・たらい→コース変更があるとしても突然変異
 もちろん、私だって自由は欲しいです。私がどれだけ自由を問題にしているかは、このHPを見ていれば解ると思います。
 だから、発信者としての人間とは何かを模索しています。でも、安易な妥協はしたくありません。

レーダー

 一般的にレーダーと言われているのは一次レーダーのことです。これは電波を発射するのが一カ所しかないものを言います。
 しかし戦後、一次レーダーのほかに、二次レーダーというものが出現しました。デジタル情報の発達も原因です。
 一次レーダーはもちろんアナログです。
 私が大学の屋上からレーダーで観測した時、ブラウン管に写った大きな影が隣に見えるホテルニューオータニだとは思いませんでした。
 だってレーダーにそんな近い物が写るとは思ってもいなかったからです(笑)。
 電波は光速です。なのに200メートルくらいしか離れていない建物がどうして写るのか・・先入観は恐ろしいです。
 さて、アナログですから建物の形はよく判りません。ましてや航空機になればもっと判別不能です。
 航空機の世界では、軍用機か民間機かを見分ける必要があります。軍用機ならば敵か味方かを見分ける必要があります。
 そこに登場したのが二次レーダーです。二次レーダーはデジタルです。
 しかも発信源は二カ所です。一カ所は地上です。もう一カ所は航空機です。
 地上から「あなたは誰ですか?」という質問を出します。すると航空機が自動的に「私はJALの××便です」と答えます。
「私は誰でもありません」と答えれば撃ち落とされます(笑)。
 つまり質問と答なのです。それを一定のルールに則ってやるのです。
 この技術は最近開発されました。1996年11月の新聞には次のような記事が載っています。
 空中衝突としては航空史上最悪の惨事となった十二日(1996.11)のインドの民間航空機事故は、経済自由化で急速に過密化するデリー国際空港の管制域内で起き、インド政府に、航空体制の早期整備を迫っている。
 インド航空当局は、首都ニューデリー近郊のハリヤナ州チャルキダドリ村上空で発生したサウジアラビア航空機(乗員乗客三百十二人)とカザフスタン航空機(同三十七人)の空中衝突事故で、現場からフライトレコーダー(飛行記録装置)とボイスレコーダー(音声記録装置)を回収し、管制・操縦ミス、機器故障の両面で、事故原因の解明に入った。
 まだ原因は特定されていないが、少なくとも、現行の航空体制が「遠因」となったという点では、航空専門家の意見は一致する。
 商都ボンベイと並ぶインドの玄関口デリー国際空港では、一九九一年から始まった経済自由化政策の影響で乗降客が急増、今年の乗降客数(十月末現在)は、七三年に比べ、国際線が五倍の約千百万人、国内線も四倍の約千五百万人に達した。しかし、空港設備の改善は財政難などから早急には進まず、「管制ミスを招きやすい空港」(専門家)と、安全性への懸念を指摘する声が上がっていた。
 同空港のレーダーは、機影を映し出すだけの、「一次レーダー」と呼ばれる旧式のものだ。二次の高性能レーダーなら飛行中の航空機の高度、速度、便名まで画面表示する。
 インド航空当局は空港管制からの再三の要求で、二次レーダーを米社から購入、デリー、ボンベイ両国際空港への導入を決めていたが、付設設備の建設、レーダー試験などに手間取り、設置は来年初めとなる見込みだ。
 以上のように、まだ歴史がないのが二次レーダーです。でもこれは六爻占術に非常に似ていると思いました。
 まず「デジタル」という点です。六爻占術はどう見ても私にとってはデジタルなのです。
 もう一つは、問いを出せば向こうからはっきりと答えてくれる点です。
 もう一つは、「ルールに則ったやりとり」という点です。卦の読み方を知らないと、答が表示できません。
 戦闘機にも積んであるはずです。空中戦の状態では敵か味方かを瞬時に判断して、ミサイルを味方にぶつけてはなりません。
 さて、軍用では敵方も情報を返すのでしょうか?
 詳しいことは知りませんが、敵がわざわざ「敵だよ」という信号を返さないような気がします。「早く撃ってくれ」と言うようなものだからです。
 でも時空は違うと思います。我々が発するどんな質問にも答えてくれそうです。時空側にとって不利な情報も・・です。「早く撃って」と言わんばかりに(笑)。
 時空側に発信機能が無く、我々側にだけそれがあるような一次レーダーは、上の新聞記事にもあるように旧式だと思います。
 もしもこれが本当なら、我々は大変なものを手に入れていると思います。二次レーダーの地上側の部分です。
 インドが導入した最新鋭の二次レーダーでも、届く範囲はインド全土は無理でしょう。しかし我々の手にしたものは、時空全体だと思います。
 一次レーダーにしろ、二次レーダーにしろ、一つの共通点があります。五感では見えない世界を相手にしている点です。
 そして得るのは情報だけです。情報を得て何をするか・・航空機事故の回避です。
 二次レーダーでこちらから発信できるのは、あくまで「調査用」の電波です。
 それにしても、時空は二次レーダーの機能をどうして持っているのでしょうか・・
 電子業界の中での二次レーダーはすごい精度です。その精度を時空が提供したら、もう災害に遭うことはないでしょう。
 この「二次レーダー」の概念は、なかなか良いと思いませんか?
 時空全体に対する二次レーダーを手にしても、やはり自分の「発信器」に固執しますか?
 どうせやるなら、向こう側のエネルギーを使ってドカンとかましたくありませんか?
「発信器たり得るか?」という設問は、レーダーを考えると、どうでもよくなるのです。
 私は自分の生き方に、あまり興味がないからかも知れません。

奴にとっての価値、みなさんにとっての価値

 私は会社を始める前に簿記学校に行きました。簿記学校で、ある日値引きについて習いました。値引きをすると商品の資産価値が減ることに気付きました。
 私は先生に質問しました。
「値引きをすると、物の価値が減るのですね・・」
 先生は税理士の資格を取るために勉強中の学生でした。
(だからその先生ももてました。ある日オバサンに食べられてしまいました(笑))。
 先生は言いました。「物の価値は変わらないよ・・・」
 でも先生を食ったオバサンが言いました。「森田さんの方が正しそうですよ・・」
 先生は「あっ、そうかも・・」と・・
 私は今でも信じています。値引きをすれば物の価値が減ると・・
 このHPには税理士さんがいるので、本当のところをお聞きしたいです。
 さて、資本主義社会では、「価値基準」を作ります。貨幣です。だから同じ土台に乗ります。
 魚が一匹100円ならば、六爻占術のテキストの価値は1000匹分と釣り合うのです。 毎日食べても三年持ちます。
 地球環境の話題が出ましたが、地球は代替が利きません。だから価値は無限大とみて差し支えありません。
 本来は私たち人間一人一人だって、代替が利きません。だから価値が無限大とみて良いはずですが、何故かそうはなりません。
 それは貨幣の様に、ある基準を想定してしまうからだと思います。魚と六爻占術テキストのように(笑)。卑下したり、過大評価したり・・
 
 しかし、奴はどうなのでしょうか・・奴は魚を食べません。奴は六爻占術を勉強しません。奴はセックスをしません。
 奴はこの世界の産物を何も利用しないとすれば、価値は見出しているのでしょうか・・ 
 一般的に言われるのは、創造主は我々を愛の世界に導くために色々なことをしていると言われています。
 しかし3%もの自由がなく、地球が加害者で我々が被害者だとすれば、愛に向かえといわれても、どうすることも出来ません。
 なのに「価値」などという奇妙な概念を創り出して、全く理解に苦しみます。
 理解に苦しむのにあっけらかんと生きている我々は、もっとどうしようもありません。 
 生きている限り、価値感は無くならないと思います。
 ところでみなさんにとって、価値ある事とは、何でしょうか?

私にとっての価値

 私にとっての価値は、なんと言っても「自由」です。もともとこれに興味を持ちだしたのは高校生の頃でした。
 物理の方程式を見て「これを作ったのは誰だろう・・」と思ったのです。だって、交通法規は人間が作らないと出来ないでしょう?
 本来は物だって勝手に動きたかったはずです。でも一秒一ミリですら、勝手に動く自由は与えられませんでした。
 科学者は方程式を発見してお終いです。それで「神はいないでしょう」なんて言います。
「どーーーーーしてだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」という叫びがこだましました。
 その言葉は、世の中が偶然に動いているのを発見して、言う言葉でしょう・・?
 私にとっては、まさにそれでした。ルールを作った「奴」がいる・・それ以来、私の「奴」探求が始まります。
 私達は「奴」が作った何がしかのルールの下にいる・・くそ〜、自意識なんて与えながら、悪い奴だ・・
 私は自由になりたいと思うようになった時、不自由をより意識するようになりました。
 フロムの書いた『自由からの逃走』は、全くその通りでした。人は逆をやっているのです。「〜からの自由」を得ようとすることは、自由からの逃走そのものだったのです。
 ところで今までのみなさんの書き込みの中には「自由」という言葉がありません。それは価値の無いことでしょうか?
 いえ、それ以前に私には問題提起があります。ひょっとしてみなさんは、自分の不自由を意識していないのではないでしょうか・・
 普通に不自由を意識するとすれば、まさに「〜の自由」で言うところの「束縛」です。
 親から自由になることととか、縛られた土地から自由になることとか、お金からの自由とか、「自由にしたい」時間とか・・
 そんなものよりも、どでかい不自由があると思うのです。
 波の音を聞けば、自由を感じますか?風が通りすぎれば、自由を感じますか?美味しいものを食べると、自由を感じますか?
 
 私は「運命は決まっている」という六爻占術の前提を、かなりスッキリと受け入れました。でもこのHPに書き込みする人のほとんどは抵抗感を示しました。
 今でも願望実現を運命の変更だとしている人が多いです。自分で未来は変えることが出来ると・・
 そこにはもともと自分は自由だという前提があります。その自由を行使するか否かだけだという・・・
 人は主体的に生きたいです。だから不自由に目を瞑ります。
 風船の反転現象の話をしました。風船から出る方法です。
 それはどこまでも風船を大きくしていけば良いのです。最大点に達したところでしぼみ始めて無くなります。
 でもこれを書くと、自由を獲得する「ため」に、不自由を見つめるようなものです。
 フロムの言った「〜の自由」は自由からの逃走だ・・の路線です。
 自由についての話題は、出てもすぐに無くなります。そこに価値を置いても、何にもならないからかも知れません。
 人が不自由なら、何に価値を置いても無意味ではないでしょうか?だってそれは「自分」が作りだしたものではないのですから・・
 それでも何かに価値を置きますか?

『火の鳥』と『ばるぼら』

 小学校の頃『鉄腕アトム』がテレビに出てきて、衝撃的でした。こんなに洗練させた漫画はなかったからです。
 アトムがあんな小さな体で大きなロボットと闘うのはすごいと思いました。
 しかし、鉄腕アトムへの思いはある時期から薄れます。戦いが中心のストーリーが少し嫌になったのだと思います。
 高校生の時には手塚治虫とは離れていました。でも大学の時に読んだ『火の鳥未来編』『火の鳥宇宙編』には参りました。
 漫画でありながら、こんなにすごい展開が出来るのだと感動しました。
『火の鳥』はシリーズもので出ましたが、私は未来編と宇宙編が好きです。私が買ったのはたぶん初版本だと思います。何度読んだかわかりません。本はぼろぼろです。
(未来編は真ん中の本、宇宙編は左です)



 未来編に出てくる主人公は火の鳥から永遠の命を貰います。死んでも死ねない体になります。
 そのうち、人間は核戦争で滅んでしまいます。それから主人公が闘わなければならなかったのは、孤独でした。
 しかし、永遠の命を与えらたのに主人公の肉体は滅びます。そして魂だけが生き残ります。
 なんだ、別に同じじゃん・・と思いました。生まれ変わりの村の人達とです。やはり「スープを飲まない行為」は、永遠の命と同じなのです。
 主人公は魂になって、上から世界を見ています。数億年が経ち、再び地球に生命が誕生する場面で終わります。
 私はその頃、自分の人生を既に諦めていました。だから、こんなにすごいストーリーを世に出せる手塚治虫はすごいと思いました。
「自分にマンガが書ければなぁぁぁ・・」と思いました(笑)。
 
 年月は経ちました・・・
 諦めていた私から、諦めない私への変貌が起こりました。不思議研を始めたのです。
 その頃読んで、とても感動したのが『ばるぼら』でした。


 
 この本は半分、狂気を描いた漫画です。
 今、巷では手塚ブームで、色々な本に手塚の論説が書いてあります。
 しかしマンガ評論家の話題にする作品の中に『ばるぼら』が出てきたことは少ないです。
 無視されているような作品ですが、私はとても好きです。
 手塚の中で好きな作品を上げろと言われれば、『ばるぼら』と『火の鳥未来編』と『火の鳥宇宙編』を上げます。この三つは「自由からの逃走」と共に、いつも目の前の私の書庫にあります。
 これらの作品に共通するものとして、「永遠の命はむごい」というものです。いえ、それ以前に「生きるということは酷だ」というものが流れています。
 だから火の鳥から永遠の命を貰ったくせに、主人公は何度も死のうとします。
 命は永遠でしょうか・・
 最近の私の仮説によれば、宇宙はいずれ、終わります。キッチリと、一秒と違わずに・・
 しかし終わるのは宇宙であって、我々ではないかも知れません。

『幼年期の終わり』

『SFマガジン』という雑誌である時アンケートをしたら、面白かったものの第一位が『幼年期の終わり』でした。両方とも早川書房です。
 この本は一年ほど前にこのHPでも紹介して、何人もの人が読んだと思います。
『2001年宇宙の旅』を書いたアーサー・クラークの作品です。
 最初に『幼年期の終わり』を読んだ時は、すごい衝撃を受けました。
 だって、この題名の意味は・・アセンションなのです(笑)。
 今の地球はまだ幼年期であり、やっと青年期に向かって脱皮する話です。しかし精神世界系のアセンションとは全然違います。
 地球を指導するためのUFOが来るところまでは同じですが、そこから降り立った宇宙人は、悪魔そっくりだったのです。こんな醜いのが、あるのかよ〜・・という感じです(笑)。
 でも、彼らは時を待っていたのです。それは醜いというだけで下に見るという価値観が変わる時を・・
 悪魔のような宇宙人が降り立っても、誰も攻撃したりしませんでした。そこまで人間は、「成長」していたのです。
 その宇宙人は自らを「オーバーロード」と言いました。上位的存在という意味です。まるで神・・です。
 彼らの指導の元、地球人のアセンションが始まります。最後にニュータイプのような子供たちが生まれます。
 ニュータイプは超能力が使えました。だからそのうちの一人は、自分の母親に未来からテレパシーを送ったりしました。
 つまりその母親は、まだ生まれていない子供から通信を受けるのです。六爻占術とも関係ありそうです。
 ところでオーバーロードの調査に乗り込む人達もいました。
 彼らの宇宙船に忍び込み、素顔をビデオ撮影するのですが、それさえもオーバーロードには分かっていました。
 とても面白い小説です。
 
 今が「幼年期」だと言えば、人類そのものは成長していそうです。いわゆるアセンションという考え方です。
 しかし、人類は本当に成長しているのでしょうか。みなさん、考えてみて下さい。
 源氏物語とか百人一首とかを見ると、悩みはあの頃とちっとも変わっていないように感じます。
 ということは、成長していないのでしょうか・・変わらない方に一票でしょうか・・
 さて、人間が成長しているとすれば、幼年期の後には青年期があるのでしょうか・・そして、その後は老年期があるのでしょうか・・そして肉体と同じように、精神も老いるのでしょうか・・・
 さて、みなさんはどう思いますか?

長く生きれば滅びる

 人は何のためにスープを飲んで前世を忘れるのでしょうか・・私の仮説・・それは、「種の保存」のためです。
 まず一つ言えることは、寿命が延びると種の競争力を減らします。しかし短すぎても競争力を減らします。
 前者の理由を言えば、種が競争力を持つのは、環境変化に適応する力に負うところが多いのです。
 寿命が延びると、知った風なことを言う人が増えます。それだけで環境適応力を無くします。だから頭がカチカチの人には早く死んでもらわないといけません(冗談)。 
「今の若者は・・」と非難されるような種が出ることによって、環境に適応できるのです。
 数千年昔、隕石の嵐が振ってきた頃、あの時代だけでもいいから、恐竜の寿命がもっと短ければ生き延びたと思います。
 次の世代が別のやり方の生存方法を見つける可能性があるからです。
 しかし親の恐竜は、過去の生き方で、なんとか生き抜こうとして失敗しました。
 寿命が短すぎると今度は逆に、成長して蓄積している暇がありません。
 
 これらは肉体だけかと思えば、私の仮説は違います。精神も同様だと思います。
 個人が経験を積み、あるいは人類が歴史を積み重ねて成長すれば、どうしても人間はその蓄積を利用しようとします。
 現代文明が脆くも崩れ去るような出来事が襲ってきた時が問題です。
 100匹目の猿の話では、芋を洗って食べる猿は、子供の猿しかいなかったそうです。大人の猿が真似をしなかったため、100匹目まで伝搬するのに四年かかったそうです。
 最初に芋を洗って食べたのは一匹のメス猿と何匹かの子供の猿だけだったのです。だから新たに子供が生まれないと100匹に達しなかったのです。
 しかし100匹を越えると、大人も真似をするようになりました。
 この話はライアルワトソンが嘘を書いたという噂のある話なので、100%は信じられませんが、それでもありそうな話です。
 精神成長という概念が全く定義されていないで議論が開始されていますが(もちろんこれで良いのですが)、老いて死ぬ目的が人類の種の保存のためというのであれば、精神成長というのは、そのまま肯定できるでものでしょうか・・
 なぜ人は死ぬのかという視点としては、この話は大変に面白いと思います。長く生きれば、滅びるのです(笑)。
 とすれば、成長ということも足枷にはならないでしょうか・・ 
 精神成長をしていないというのは、「した状態」のイメージを持っているということです。
 まさに今が「した状態」かも知れないでしょう?それを否定する根拠は、無いはずです。逆に言えば、肯定する根拠も無いはずです。
 自分であるということの他に、バロメータはあるのでしょうか・・・
 何故、「成長していない」という感覚を持つのでしょうか・・ 幼年期からの脱皮
  
 人類の成長がテーマになっています。
 しかし、我々が歴史を動かしているのでしょうか?もしも答がYESなら、議論の意味は大きいです。
 だって我々に原因があるとすれば、歴史を変えるには、我々が変われば良いのですから・・
 しかし「たらい理論」によれば、我々はたらいに乗っているだけです。場が動くから、たらいも動くのです。
「たらい理論」が正しいとすれば、歴史の側が主人公で、我々は被害者なのです。被害者が偉そうに、加害者になっているのです(笑)。
「被害者ぶるな」と言われるときがあります。でも「加害者ぶるな」とは、なかなか言われません。
 自分に責任が無いのに「私に責任があります」なとど言うのは、いい子ぶることと同じです。
 全く人間というのは、どこまでいい子ぶれば気が済むのでしょうか・・
 人類が成長するというのは、ずいぶん先のことだと思います。だって原因を奪還しないと、何も始まりません。
 我々はアンドロイドです。場が主人公なのです。
 個人の成長も同様です。降り立った肉体とその後の環境が「その人の成長」を決定していきます。
 なのに「自分は成長していない」とか「少し成長したかな・・」などと、「自分」主人公になれるのは、すごいです。
 どこまで主客転倒すれば気が済むのでしょうか・・・
 人類の歴史は私たちが作ったのではありません。歴史が私たちを作ったのです。
 幼年期からの脱皮は、まだまだ先でしょうか・・
 いえ、認識するだけで変わるかも知れません。何も悪魔に似たオーバーロードが、巨大UFOで降り立たなくても・・
 しかし認識する人は、ほとんどいないでしょうが・・なぜなら、私の「たらい理論」を理解する人は少ないからです。

幼年期からの脱皮

 人類の成長がテーマになっています。
 しかし、我々が歴史を動かしているのでしょうか?もしも答がYESなら、議論の意味は大きいです。
 だって我々に原因があるとすれば、歴史を変えるには、我々が変われば良いのですから・・
 しかし「たらい理論」によれば、我々はたらいに乗っているだけです。場が動くから、たらいも動くのです。
「たらい理論」が正しいとすれば、歴史の側が主人公で、我々は被害者なのです。被害者が偉そうに、加害者になっているのです(笑)。
「被害者ぶるな」と言われるときがあります。でも「加害者ぶるな」とは、なかなか言われません。
 自分に責任が無いのに「私に責任があります」なとど言うのは、いい子ぶることと同じです。
 全く人間というのは、どこまでいい子ぶれば気が済むのでしょうか・・
 人類が成長するというのは、ずいぶん先のことだと思います。だって原因を奪還しないと、何も始まりません。
 我々はアンドロイドです。場が主人公なのです。
 個人の成長も同様です。降り立った肉体とその後の環境が「その人の成長」を決定していきます。
 なのに「自分は成長していない」とか「少し成長したかな・・」などと、「自分」主人公になれるのは、すごいです。
 どこまで主客転倒すれば気が済むのでしょうか・・・
 人類の歴史は私たちが作ったのではありません。歴史が私たちを作ったのです。
 幼年期からの脱皮は、まだまだ先でしょうか・・
 いえ、認識するだけで変わるかも知れません。何も悪魔に似たオーバーロードが、巨大UFOで降り立たなくても・・
 しかし認識する人は、ほとんどいないでしょうが・・なぜなら、私の「たらい理論」を理解する人は少ないからです。

たらい理論とオーラの色

「幼年期からの脱皮」の書き込みをした日を境として、「たらい理論」側の視点からも物が見えるようになりました。
 場の流れに乗っている私としての認識が少し出来るようになったのです。
 でも完璧ではありません。時々「ハンドルを切っている私」が顔を出します。
 そう言えばチベットで知った「流れに乗る」というのは、こういうエネルギー的なことだったのかも知れないと思いました。
 書き込みをした日に、一つの変化がありました。自分の手からオーラが出ているのが見えたのです。
 もちろん今までも、霧のような感じで見ることが出来ました。でもその日から、色が付いているのです。色と言っても虹色ではありません。薄い紫です。
 手がちょうど、『スターウオーズ』に出てくるライトセーバーの様に見えます。動かすとライトセーバーそっくりです(笑)。
 動かすとエネルギーが少し残るから、ライトセーバーを振った時の残像の様に見えるのです。でもすぐに本体のエネルギーを追って、合流します。
 最初、自分の手だけから出ていると思えばそうではありません。他人の手も同じように見えます。
 もちろん手だけではありません。体からも出ていますが、暑くなって腕を出す人が増えて、何か腕の部分が強調されています(笑)。
 指と指を近づけると、指の間で行き来をしているのが見えます。それも紫色なので、とても綺麗です。
 折しも「場」というものを中心に物事を考えられるようになったので、それと関係があるのでしょうか・・
 こういうオーラも昔なら逆に考えたはずです。「生きているからオーラがでているのだ」・・と。
 でも今はそう思いません。「オーラが出ているから、生きているのだ」・・と思います。
 場の流れが先にあり、私達はその後を追いかけているのです。

テキスト第四巻

 話は、千数百年前から始まります。日本でなら、平安時代の前でしょう・・
 中国では、一人の六爻占術が、運命の変更に挑戦する話から始まります。
 これがすごいのです。手計算バリバリ(笑)・・(当たり前)
 当時の天才的六爻占術師の卦が、そのままテキストにも出てきます。
 私には日本の「陰陽師」の上を行っているように感じます。相冲、相合、墓を駆使して鬼退治(実際には病気治療)・・超能力を使うよりも、よっぽどすごいと思います。
 情報が行き届かなかったあの時代にあれだけの判断が出来るのは、すごいと思いました。
 今通信教育をやっている人達に同じ問題(当時の軍隊での偉い人の病気治療)を出しても、互角に判断できる人は少ないかも知れません。

四次元の悔しさ

 よく人は言います。偶然にそれを手にすることが出来なかった時、「これは自分にとって必要がなかったのだ」・・と。
 そしてこうも言います。「自分に必要なものは、そのとき現れる」・・と。
 でも私はそういう捉え方と、やっとさよならすることが出来ました。
 みなさん、悔しくないですか?自分で自分の自由を捨てて、悔しくないですか?
 自分は自由に向かっていると自分に嘘をついて、悔しくはないですか?
 それでも未来は明るいと自分に嘘をついて、悔しくはないですか?
「自分に得るところがあれば良い」・・そう思って生きて、悔しくはないですか?
 私は悔しいです。みなさんはどうですか?悔しいですか?
 でも、少しも悔しさのかけらも伝わってきません・・
 たぶん、そんな「悔しさ」よりも、三次元的な嫉妬心の方が強いのではないでしょうか・・
 嫉妬心としての悔しさは時空への悔しさなど、木っ端微塵に吹き飛ばします。
 だから、三次元への悔しさ>四次元への悔しさ、なのでしょう・・
  
 嫉妬の話が出たところで、私の結婚式の話をしましょう。
 私の結婚式は、仲人がいませんでした。新郎新婦の席は、とてもこじんまりとして、冴えなかったです(笑)。
 主賓が一番偉い存在でした。主賓として呼んだのは富士通で部長だった人です。私はその人をとても尊敬していたので、富士通を辞めて三年も経っていましたが、主賓で呼んだのです。
 その人が祝辞で言った言葉は「作るのは時間がかかりますが壊すのは一瞬です」でした。この言葉は私の人生に対して言った言葉です。
 まだ富士通にいた頃、朝の喫茶店でフロムの話をした時「森田くんはそれをずっと持ち続けているのがすごいな」と言ったのです。
 さて、その部長に後に祝辞を述べてもらったのは大学で物理を教えた先生です。その先生とは当時よく飲みに行きました。そして「時空論」を闘わせました。
 その先生は結婚式のスピーチの冒頭で次のように言いました。
「森田君のことで、とても良く覚えているエピソードがあります。それはまだ一学期も始まって間もない頃、授業が終わると私のところに飛んできて『先生、神はいると思いますか?』と聞いたのです。そんな質問をしてきた生徒は初めてだったのでとても印象に残っているのです」・・と。
 私はこれを聞いて、半分ガッカリしました。なぜなら私は、「そんな質問」をその時も考えていたからです。
 その後不思議研究所を作ってから、その先生に電話をかけたことがあります。
 先生は言いました。「非科学的な世界の探求は、やめた方がいいよ・・」
 私はその時45歳・・自分の稼いだ金で世界を回って探求していました。
 あの頃とは、違います。あの頃なら、言われてもかまいませんが・・
「作るのは時間がかかりますが壊すのは一瞬です」・・これが脳裏をよぎりました。
 話を戻します。
 私は上智の教会で式を挙げました。神父は私にフロムを紹介してくれた人(スペイン人)です。
 私は神の前で愛を誓い、それはフロムを紹介した神父によって執り行われました。
 しかしその神は我々を、時空上で言えば二次元の平面に押さえ付け・・(この視点を持てる人は少ないかも知れません。)
 または三次元的に言えば、両手両足を切り落とし、しかも目隠しまでさせて、たらいに乗せたのです。
 神に誓ったり神に感謝したり・・出来るわけがありません。
 四次元の悔しさを三次元の悔しさに紛れさせないために、手帳を白紙にする努力が始まりました。

二次元に這いつくばっている私達

 二次元の平面は高さゼロです。我々は、這いつくばっているのですよ・・なのに「主人公」・・だと(笑)。
 なぜ奴は平気でいられるのか・・それは、私達が平気でいるからだと思います
 三次元で私たちは少なくとも「高さ」の次元を持っています。
 電車を降りて駅の階段に向かうとき、どこに階段があるかは目で確かめます。
 子供は背が低いから遠くを見通せませんが、それでも階段が近くに来ればわかります。
 しかし私達に「高さ」というものを利用できなかったら、どうでしょうか・・・
 それはコンクリートのプラットホームに這いつくばっている状態です。
 這いつくばるという表現には、まだ「高さ」を感じます。這いつくばっても、顔を上げられるからです。
 二次元に住む生物は、前方からの光はありません。だってある程度の「高さ」という厚みがないと、光は飛んで来られません。
 つまり私達は駅のプラットホームに降りたはいいが、下を向いたままなのです。
 恐くて前進できないでしょう?わたしなら、そうです・・とても恐いです。
 でも前に進めと言われたら、這って行きます。そして突然、階段が現れます。
 時間次元を換算に入れた世界では、これと同じです。私たちは女王様にヒールで頭を押さえつけられています。公衆の面前でここまでする羞恥プレイは、無いでしょう・・
 なのになぜ私達は「自由だ」などと思っているのですか?
 たぶん、真実を知るのが恐いからです。這いつくばっている自分など、想像したくないのです。
 こんな状態なのに「環境を良くしよう」などと言う人がいます。こんな状態なのに「成長しよう」などと言う人がいます。
 我々は、どこまでバカになれば気が済むのでしょうか・・
 毎日こんな書き込みばかりで、気分悪いですか?しかし私は、自分の位置を認識しない方がよっぽど気分が悪いですが・・
 以前書いたイラストは、女王様に首に縄を付けられてハイハイしていました。幼児プレイに近いです。
 しかし真実は、そんなものではありませんでした。這いつくばっているのです。
 もしも『時空の真実』という題名で演劇をやったら、一人ぐらい吐く人がいるかも知れません。
 普段の生活では、苦しいことを考えるよりも、楽しく生きた方が良いと思います。
 でも「奴」のシステムを考える時は、そうではないと思います。
 鍵のほとんどは現状認識にあると思います。通常は現状認識をしないで処方ばかりを考えていると思います。
 やっぱり「奴」は神を越えています・・いえ、言葉が足りませんでした。奴は神の概念を越えている・・でした。

奴の変態プレイ

 私達は駅のプラットホームで這いつくばっているというところまでを書きました。しかしこの後がすごいのです。
 みなさんは、自分で這っていると思うでしょう?自分の意志で・・
 ほとんどだと思います。「自分の意志」で這っていると・・
 前が見えなくても、自分で這っていれば「自由」のかけらくらいはありそうです。しかし・・
 板の下に滑車が付いているものを想像して下さい。板は我々人間の形をしています。そこに我々が一人一人、乗っています。
「ああ、楽ちん・・」と思いますか?とんでもありません。奴の変態性を知らないのですね・・
 私達はその板に縛られているのです。下向きで・・しかも前を向くことが出来ません。前を向いても、同じです。だって光は無いのですから・・
 板には滑車が付いているので、簡易トロッコです。私達はトロッコの床に向かって顔をぺしゃんこにされる形でくくりつけられています。もちろん亀甲縛りです。
 トロッコは自動的に動いています。道にはワダチが出来ています。ワダチの向こうには、階段がある人もいます。そのまま行って、真っ逆さま・・・しかし直前まで気が付きません。
 こんな状態なのに、私たちは全くこの状態を認識していません。
「気持ちの持ち方で幸せになる」と教えられ、ヘラヘラと笑っています。トロッコの上に縛られて、ヘラヘラと笑っています。板に顔を押さえ付けられて、ヘラヘラと笑っています。
 ハードなSMプレイでも、ここまではしません。
 女王様がM男を目隠ししてトロッコに縛り付け、そのトロッコを足で蹴るのです。
 行く先には、階段があります。M男はヘラヘラと笑っています。これが私達です。
 下を向いて薄ら笑いをしながら「地球を救おう」などと言っています。自分すら、救えないのに・・
 大怪我して血だらけになって、課せられた試練だとか言って、喜んでいます・・
 変態な「奴」にここまでされても、愛だの創造だのとか言って生きています。 
 よく「神様はすべてご覧になっている」とか言って、善行を積む人がいます。あちらの世界に言って、「よくやったね」と評価をされたい人がいます。
 こんな「奴」に評価されたいですか?
 しかし、これは単なる「始まり」に過ぎないということが分かりました・・

「奴」は「神の概念」を越えている

 私は長いこと「神」という概念と対面してきました。
 授業が終わったとき物理の先生に「先生、神はいると思いますか?」という質問をしたのは、先生にとっても強烈な印象に残りました。
 私はそんなことばかり考えていました。
 大学では宗教学をたくさん取り、神父の話をたくさん聞きました。
 神と人間の関係を随分と考えてきました。でも神は色々あるにせよ、人間を尊重していると思っていました。我々の生き方を一人一人とは言わないまでも、気にしていると思っていました。
 しかし・・トロッコです。神に「尊厳」というものは、あるのでしょうか・・無いと思います。
 神に尊厳が無いのに、人間にあるわけがありません・・
 人間に戦争をさせるのも、いきなり大事故に合わせるのも、神の仕業です。
 中には「気付かせるためだよ」と言う人もいました。しかしトロッコにうつ伏せで乗せられて、何を気付けと言うのでしょうか・・
 今回の「トロッコ編」で、私は完全に神の概念が変わりました。
 ではその存在を嫌いになったでしょうか?・・なりません。
 私と対面する相手として、不足はありません。クールで理知的で、しかも変態で・・(笑)
 私の書き込みは、神をバカにしているわけではありません。何故なら、SMクラブに行く人をバカにしますか?
 幼年期とて、ヨチヨチ歩きが出来ます。でも、私達はトロッコに縛り付けられています。幼年期以前です。なのに、自由だと思っている・・
 何故こんな羽目になったのでしょうか・・?それは神の尊厳に寄りかかりすぎていたからです。サムシング・グレートとか言って・・
 目に見えないものには「尊厳」を投影しやすいからです。
 昔、遠藤周作の書いた『沈黙』が好きでした。神はなぜ沈黙しているのか・・
 理由は・・トロッコに縛り付けておいて、ノコノコと出て来られるわけがありません・・
「奴」はクールです。人が死のうが生きようが、知ったことではないのです。こっちで対処しないといけません。
「六爻占術には神の概念がありません」と言った古代人は偉かった・・それに比べて・・
 神の概念があれば、うさぎ八匹は、しなかったと思います。

高さの次元

 私たちはこのままだと、這いつくばっているだけです。
 それはどういうことかというと、時間次元において、高さの次元を持たないからです。
 自由になるには、高さの次元に行かないといけません。
 人は歩いていく先が見えれば、障害物を避けることが出来ます。それは三次元空間で高さの次元を持つからです。
 でも考えてみて下さい。私達に時間次元における高さはありますか?今の概念では、無いはずです。
 しかし本当に時間の高さは無いのでしょうか?
「はい、ありません」という根拠があります。それは私たちが「創造」をするからであり、「自由」を行使しているからです。
 でも、創造とか自由を行使していると「思い込んでいる」可能性は無いですか?
 今の三次元の世界で充分だと思い、充分に自由だと思っていれば、「奴」は我々に次の扉を開きませんよ・・
 たぶん奴は笑っています。「おめーら、その程度で満足なのか」・・と。
 私は満足ではありませんでした。だからずっと追求してきました。
 私は私の自由の行使よりも、次の扉を開ける方に人生を賭けてきました。
 そして分かりました。今を生きて満足している人には、扉を開いてくれないことを・・
 一時期「あるがままで完璧」だと言いました。でもそれでは嫌です。私は、これ以上這いつくばっているのは嫌です・・高さの次元に行きたいです。
 みなさんは頭に来ないのでしょうか?私は充分来てます。
 なのに願望実現とか自己表現とか・・バカじゃないでしょうか・・
 もしも自分というものがあったとしても、それは自分で造ったわけではないでしょう?
 何を偉そうに自由だの創造だの芸術だのと言っているのでしょうか・・
 いい加減に「自分」から離れた方がいいです。
 私は奴の前から、絶対に引きません。

時間の高さの次元に行ける世界

 私はテキスト第三巻と第四巻から、「時間の高さの次元に行く方法」の仮説を生み出しています。しかしそれを簡単に書いても良いのでしょうか・・
 我々は今まで這いつくばっていて、時間の高さの次元には行けませんでした。
 その理由を考えないで、「ああそうか、こうすれば時間の高さの次元に行けるんだな・・」と思って、スラスラと移動しても、良いのでしょうか?
 私には何かが引っかかるのです。それは何かと言えば、自由に対する考え方です。
 私たちは自分が主人公だと思ってきました。地球環境を壊したのは「自分」だと思ってきました。
 でも「トロッコに縛られていた状態」でした。どうやって主人公になれるのでしょうか・・
 地球環境を擁護する人たちは言います。「人間のエゴが環境を壊した」・・と。
 だから自分たちの生き方を変えて、環境を擁護しなければならないと・・
 しかし「トロッコ仮説」からすれば、その思想そのものがエゴなのです。
 そんなに我々は、「主人公」になりたいのでしょうか・・
 自分の願望を紙に書き、それを実現して満足している人間・・自分の意志は全ての元だと言っている人間・・
 トロッコなのに・・その意識のままで、「時間の高さの次元」に行っても良いのでしょうか・・
 時間の高さの次元に行くと、変えるのは過去の延長としての現在の世界だけではなく、未来も含めた時空全体を変えることになります。
 私の仮説では、他人をも、無意識のうちに変化させてしまうのです。それが「運命変更」なのです。
 だってそうでしょう、自分は一人で生きているわけではないし、自分の運命を変更することは、全体に影響をするのでしょう。
 何故かと言えば、運命の変更は、ユングが言っている無意識領域で行われるからです。コインは、無意識領域を探る手段です。
 しかし「紙に書く」程度の願望実現では、そういうことは起こりませんでした。意識では、運命の変更は起こらないのです。
 私の講演会では最近、一番最後に出すスライドは「運命との調和」です。
 いったい多くの人は、場の理論をどれだけ受け入れているのでしょうか。
 オーラが先で、肉体が後です。行動が先で、意志は後です。
 しかし世界は逆です。意志が先で、行動が後です。だから意志が原因だから、意志ですべてを片付けられると思っています。
 エゴは批判されますが、その批判者が時間の高さの次元に行くと、もっとヤバイことをするような気がします。そもそもエゴとそうでないものを区分けしているからです。
 その人達が時間の高さに行ったとき、私は彼らから無意識領域で操作されたくはありません。
 でもこの心配は、無用かも知れません。
 なぜなら、もう一つの私の仮説によれば、彼らは時間の高さの次元に「行ったつもり」になりそうだからです。
 その世界でも相変わらず「意識の変革」だとか「ナポレオンヒルの願望実現」とか言っていそうだからです。
 時間の高さの次元からの情報は「サイン」だらけです。意識はそのサインを見逃す方に助長するからです。
「あるがままで完璧」は、ある意味正しいです。

奴との勝負の場所

 奴はどこにいるのでしょうか・・・
 奴は無意識の領域にいます。だから、勝負するのは意識を使っては出来ません。
 言語は意識の世界です。ですから言語を使っては、奴と勝負はできません。
 じゃあ、ほとんど勝負にならないじゃん・・そうです・・そうなのです。
 先人達の中には、奴と勝負した人もいます。仏陀とか仙人とか・・です。
 ある意味、孫さんもその一人に入りそうです。
 なぜなら彼らの共通項は、無意識の世界とのやり取りが出来るからです。瞑想とか、色々な方法でやり方を残しました。
 でも六爻占術は、少し違います。六爻占術のすごいところは、無意識の領域を意識で処理できる点です。
 ユングはコイン占いで、大躍進を遂げました。集合無意識という概念とか、シンクロニシティという概念を見出したからです。偉いです(笑)。
 キーは、無意識です。だから奴との勝負は、非常に難しいのが現状です。
 通常、無意識の側が意識の側をコントロールしてきました。なのに我々はそう思っていません。意識が無意識をコントロール出来ていると思っています。
 幸せな存在です・・人類は・・尻に敷かれている内弁慶にすぎません。

書き込み期間:2003/06/02〜2003/06/29