もりけん語録
テーマ:「中国紀行2000.03」
書き込み期間:2000/3/1〜2000/3/28
要旨:
今回は、テレポーテーションや葉の再生縮小能力を持つランちゃん、カクちゃんと、超能力の調査を行いました。
彼女達は、やると決めた時には100%やる人です。そのため、もの凄い迫力を感じさせます。
私は今度の調査のために、何度も何度も試作した実験装置を用意してきました。お互いに万全の準備を整えて、実演に臨みました。
撮影される中、誰も手出し出来ない状態でたった一人、ランちゃんはビンの底から薬を出そうと試みます。・・・そして成功しました。
私と縁の深い超能力者は女性が多いですが、実演には相手に対する信頼度も大きく関わっているような気がします。
調査のために超能力者と接する時、私はある意味でエゴむき出しの自分になります。社会のためでも人類のためでもなく、「私は私のためにしかやっていない」というスタンスをそのまま出すのです。彼女達はそれに対して、全力で応えてくれました。
それでも私は、取っていくだけの日本人には、絶対にならないようにと思っています。

今回の中国調査では考古学者のトラさんが同行していて、彼のお膳立てで何人かの超能力者達に会うことが出来ました。薬の物質化が出来る人、透視をする中学生の女の子。白髪を立てて老子様を呼ぶオババという人もいました。
中国では超能力の実演を見る時に、トリック防止の対策を固め、本物であることの証明ばかりに意識を注いだりします。私が日本にいても、超能力の資料を発表して科学的に証明しないのかとよく言われます。
しかし私の興味はそこにはないのです。私の興味は、向こう側の成り立ちがどうなっているのかを見ることです。
中国に来ていると、地に足がついていないような状態になります。何の期待も意図も持たず、批判されても何でもなくなるのです。
超能力調査というと、ともすれば科学的か非科学的かが問題にされますが、私にとっては二の次なのです。さらに言えば、宗教も非科学的だとは考えていません。非科学的だといって排除したくありません。
私はどんな側面からでも、世界全体の仕組みを知りたいのです。そのためには、科学と宗教、両方の領域から踏み込んでいきたいです。
目次
○ 中国紀行はじまり、はじまり・・(2000/03/01)
○ 山西省にて(2000/03/03)
○ 前回の山西省(2000/03/04)
○ 葉から根を出すには?(2000/03/04)
○ 透明度(2000/03/04)
○ トラさんとの面白い会話(2000/03/04)
○ 99%(2000/03/05)
○ テレポーテーションの撮影(2000/03/05)
○ 超能力調査と男と女(2000/03/05)
○ 道教と老子(2000/03/07)
○ トラさんとの話(2000/03/07)
○ ランちゃんカクちゃん(2000/03/07)
○ 透視能力がある中学一年の女の子二人(2000/03/07)
○ アンチテーゼ(2000/03/08)
○ 今日の一日(2000/03/08)
○ 時間(2000/03/08)
○ リトンビンが犬に吠えられた!!!(2000/03/10)
○ 北京到着(2000/03/11)
○ 因果同報(2000/03/14)
○ ミニミニツアーと道教伝授(2000/03/20)
○ 帰りの飛行機の中で(2000/03/22)
○ 縮小・再生された葉(2000/03/23)
○ 物質化、もしくはテレポーテーション(2000/03/24)
○ 薬をオエーと吐き出す女性(2000/03/28)
中国紀行はじまり、はじまり・・(2000/03/01)

今回はシンセンでも香港でも北京でもありません。
誰にも言っていなかったのに、当てた人がいました。梁(リョウ)さんの教え子です。
「森田さんは今回、山西省に行くよ」と言ったらしいのです。
その通りです。明日は北京に一泊し、そのあと山西省に向かいます。
今回は新人発掘が一つの目的です。現地に行ってから情報収集するので、新人などには誰にも会えず、全部遊びになるかも知れません。

『老子』(講談社学術文庫)という本を機内で読みました。老子の道徳経の訳本です。
道徳経などというと道徳の教えと思いましたら、全然違うのですね。上巻と下巻に分かれ、上巻は「道経」つまり道について書かれ、下巻は「徳経」すなわち徳について書かれています。
さて、三時間半の飛行でほとんど読み終わりました。
老子と言えば道教の教祖と言われている人です。聖書ではバイブルに当たると思います。
しかし私が偶然に道教に出会う前に、この本に出会わなくて良かったと思います。
とは言え、とても面白かった部分が一つだけあります。次のくだりです。
『真実の「道」が失われてからそのあとに「徳」があり、「徳」が失われてからそのあとに仁愛があり、仁愛が失われてからそのあとに正義があり、正義が失われてからそのあとに礼儀があらわれたのだ。そもそも礼儀というのは忠とか信とかいう人のまごころが薄くなってできたものであって、そもそも争乱のはじまりである。(38章126ページ)』
これでいくと、「徳」は「道」とイコールじゃあ、ないんですね。仁愛はやはりランクが低いですね。
しかし私の価値観をひっくり返すのはこの部分だけで、この本の他の部分は何だかグッと来なかったのです。若干ハウツーものを読んでいるような感じも受けました。

私には道教における老子の役割がよく分かりません。キリストや仏陀のように、完璧にすごいヤツとして考えられていないフシもあります。
老子は道教を大きく包んでいるとは思いますが、「まあ、老子のよい部分も入れておくか・・」という感じのようにも受け取れます。
老子とほぼ同じ位置にリトンビンがいますが、彼らを経て、道徳経と房中術と寝技が私の中でどうしても結び付かないのです。
四次元立方体の切り口は三次元の立方体ですが、まさに我々に出現する見方として道教は色々な側面を見せるのかも知れません。
私が道教に魅せられたのは、真面目な修行から一転してパーティーに移行する様変わり、これらは老子が言うところの教えに結びついていかないのです。
そして人を切り、トランプで未来を決め・・・そんな側面なのです。
牛に揺られてのらりくらりとやっているのではなく、ガンガン三次元を生きているのが、私は道教だと感じているのです。
この疑問はもう少し体験しないと答が出て来ないのかも知れません。

明日は山西省で過ごしますが、そこである人と一緒になります。
その人の名前は「フーテンの虎さん」です。虎という字が名前そのものに入っているのと、本当にそういう生活をしているからです。
考古学研究をしていて、年に一度国にレポートを出せば良いのです。それで国からお金が出ています。
どういうわけか、日本語を喋れます。哲学論もかなりイケる人なので、この人の交流そのものも目的の一つです。
彼とうまく会えたら、明後日は彼と一緒に飛行機で北京に戻り、なんとその日のうちに飛行機で別の地域に移動します。その後、またまた北京経由で山西省に戻ります。
そろそろ出発準備に入ります。
山西省にて(2000/03/03)

機内で『老子』の道徳経のあとがきを読んでいました。そして思ったですが・・
老子は道教の「はじまり」であったのではないかと・・。つまり「帰する所」ではないのです。その後多くの仙人達が出て、多くの変遷をします。
まさに道教というのは、変遷の過程にあるのではないでしょうか・・。
道観で中央に飾られているのはコントンです。老子ではありません。
しかし導師の家では、中央がサンリュイン(グランドマスター)で、横が老子です。
コントンはいません。私は最初にリトンビンをもらい、その後が老子でした。
はっきり言ってどうでもいいのです、きっと・・。
老子は単に始まりだったのです。数多くの道教の関係者の寄せ集めなのです。
だから私が関われば、それも道教の変遷に繋がるのです。

今日はトラさんと、超能力者を訪ねました。彼がお膳立てをしてくれていたのです。
まず最初の人は、物質化と非物質化が出来る人でした。空中から薬を取り出す人です。
彼は今日、とても機嫌が良かったです。なぜかと言うと私と会うのが二度目だからです。
自分の所をもう一度訪ねてくれてありがとうと言われました。
物質化としては、「薬を取り出す」「宝石の様な石を取り出す」をやってくれました。
非物質化としては、「薬を体内に入れてしまう」をやりました。
テレポーテーションとしては、「患者の身体の膿を外に出す」ということをやりました。
フィリピンで見た現象そっくりな事が目の前で行われました。フィリピンと違うのは、全部撮影可能なのです。大きな薬の玉が体内に入り込む瞬間もビデオで撮影されています。彼は薬の玉には全く触れていません。
今度来る時は、科学的調査も可能だと言われました。


左から二番目がトラさんです。右から二番目がその超能力者です。真ん中の女性は超能力者の娘です。

<孫さん来日の記事>
『中国気功科学』という雑誌に孫さんの来日記事が載っていました。
今日は山西省気功協会会長という人も同行したのですが、雑誌に出ている「シンデンシェンは冒険的探求者だ」というくだりを読んでいたので、私と会って何だかえらく感激していました(笑)。
<飲めや歌えの大騒ぎ>
さっきまで、物質化の超能力者たちと酒を飲んで大騒ぎをやりました。
ここ山西省は北京と違い、なんか人情深いのです。わざわざ日本から来てくれたというだけで感動されたりもします。
孫さんの来日記事を読み、「いいなあ、俺も行きたいなあ・・」と彼は言っていました。
私も一気飲みをガンガンやり、少しグロッキーです。
明日はトラさんと朝六時に出発し、別の省に移動します。
前回の山西省(2000/03/04)

 前回山西省に来た時は、仙人を探しに来たのです。その時の事は『不思議の科学3』に次のように載っています。
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自由度の中に空(くう)と色(しき)という言葉が書いてあります。これは仏教用語です。私はフォーカス三五の存在からこの二つの言葉を聞いていません
 ではなぜ書いたかというと、話は長くなりますので短めに切り上げますと、私は、中国の三千メートルもある五台山というところで仙人といわれている人に会いました。最近アメリカのクリントン大統領もお忍びで会いに行ったと噂される仙人です。四日がかりで彼を見つけました。彼に二図を見せるとたった一言、「ここが空、ここが色」と言ったのです。
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 五台山という山は仏教の山でした。その山の上には「権威」がありました。
 当時、クリントン大統領は不倫問題で揺れていました。彼がここを訪れ、ダライラマと並ぶ仏教の高僧に「クリントンは素晴らしい人だ」と言ってもらえれば、共産圏と仏教界の両方を制することができたのです。
 しかし高僧は彼に会いませんでした。で、私は会えました(笑)。
 この山は全世界から仏教徒が集まります。そしてここで修行をすればある権威を手にすることが出来ます。五体山とはそういう所でした。
 山水画に出てくるような山の上に他称「仙人」はいました。しかし入り口にはずらりと土産物屋が並んでいました(笑)。
「仙人」に「あなたは本当に仙人か」と訊いたら、「わしなんか、修行が足らなくてまだまだだよ」と言いました。年は70歳前後でした。
 道教と仙人が結びついていることをまだ知らない頃の私でした。
葉から根を出すには?(2000/03/04)

今日はランちゃん、カクちゃんに会いました。
山西省の次にどこに行くかを言わなかったのには、ちょっとしたわけがありました。
孫さんやランちゃんカクちゃんの所を訪れた日本人がいるという話を聞き、さらに私の件で良い話をしていないらしいという噂があったからです。
最初、彼女達からその話が出ました。彼女たちが言うには、やはり人の批判を言う人の前で超能力を発動する気がしなくなるということ(実際にしなかったそうです)。
でもさすがにランちゃん、カクちゃんです。そういう日本人に対する批判はその一言だけで「もうその話はおしまいにしましょう」と言い、すぐに超能力の発動となりました。
私はここに二泊しますが、三つの課題を持ってきました。そのうち二つにチャレンジしてもらえることになりました。

一つは、以前ある人が提案してくれたものです。その人の以前の書き込みを、もう一度ここに出します。
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縮小再生した時の顕微鏡写真で、細胞の外枠が小さくなっているのは講演会のときに見せていただきました。僕が興味を持っているのは、細胞核の大きさはどうなったのか?なのです。細胞核の中にはDNAが収納されていて、その大きさは細胞の外回りが大きくなってもそうそう変わりません。
(※細胞分裂を経過すると、分裂後は分裂前の半分になりますが、その程度です。)
もし細胞核も同じ比率で縮小されていれば、DNA分子が分子レベルで縮小したか、あるいはDNAが一部分間引かれたか、この二つの可能性があります。どちらにせよ僕の頭ではDNAの絶対性が崩れます。
逆に細胞核の大きさは変わらなかったとしたら、細胞核以外の物質の間引きか、あるいは葉っぱが小さい時点まで若返ったか、二つの可能性があります。
細胞核は染色液で簡単に染まりますし、理科室にあるような顕微鏡で確かめることができますので、一つ!何かの機会に、考えていただけませんか!
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この実験のために葉の縮小をやってもらいました。
下の写真で上側のは、うまくいって喜んでいる写真です。下は縮小再生された葉と普通の葉(縮小前とほぼ同じ大きさの葉)との比較です。コインは100円玉です。



透明度(2000/03/04)

超能力者と接するときに大事なことは、どれだけ自分が透明になれるか・・だと思います。
透明とは、クリーンという意味ではありません。トランスペアレントという意味です。
魂がどす黒くても、トランスペアレントになれれば良いのです・・・というのが、私の仮説です。
私はどちらかと言えば、・・世間で一般で言えば・・エゴむき出しです。私は私の個人的な興味を貫きます。社会のため、人類のため、真実のため・・ではありません。
わざわざ「真実のためではない」と書いたのは、真実という正義の為ではないからです。
私は私のためにしかやっていません。真実とは私のための真実であれば良いのです。
彼女たちと対面した時、トランスペアレントにそれを出すのです。
トランスペアレント・・・つまり私はそれ以上、裏切りようがない自分になっているのです。言ってしまえば「最悪の私」になっているのです。
そのとき私と超能力者との間に流れるエナジーは、逆にプラスに変換されています。
ランちゃんカクちゃんはいつもより早く、ものの数分で葉の再生縮小をやってしまいました。
とは言え、私は「取っていくだけの日本人」にはなりたくありません。

<葉の縮小の補足>
縮小に使った葉は、まさきという種類のようです。
今から別の葉をやってもらうわけはいきません。なぜかと言えば、それは取るだけの行為です。もう、既に発動は終わったのです。
この葉でダメなとき、初めて次の植物になるのです。そして次の植物は次回の訪中です。
トラさんとの面白い会話(2000/03/04)

彼は自分で考古学を選んだのではありません。
当時の中国は、大学を卒業する人達に職業を推薦してきたのです。彼が推薦させたのが考古学でした(笑)。
まさに、ワダチそのものを生きているのがトラさんです。そのトラさんが面白いことを言いました。
「私と森田さんは似ています。葉が縮小することを研究しても何の役にも立ちません。そんなことが現代社会の中で何かの為になど、なり得るはずがありません。私も同じです。考古学を研究しても、直接今の私たちの為にはなりません。でも私達はいったい何なのかを知ることには繋がります。それが何の役にも立たないと言われれば、その通りです。」
さらにこんなことも言いました。
「日本で土器が発見されたのは1億3000年前です。中国は1億1000年前です。さすがに日本人は道具を発明するのは早いと思いがちですが、そんなことはありません。中国の土器には模様が少ないのです。日本の土器は模様がたくさんあり素晴らしい芸術作品です。私は日本人は効率一本槍だという言い方には反対です。生活の中で小さな楽しみを見つけています。それは今でもそうです。」
99%(2000/03/05)

今日は14時に彼女達が来ます。
ところで、彼女達は決めたことを100%やりました。出来ないかも知れないという時にはやらないのです。これには一長一短があります。
短所の側は、とりあえずやってみようという試行錯誤が出来ないのです。
長所の側は、絶対にやるので迫力満点なのです。逃げのない迫力、孤独感、そういったものがひしひしと伝わります。
さて、今日の午後の実験には、初めて「出来ないかも知れない」と言いました。
彼女達は撮影されるということを嫌うのです。これは孫さんでも同じです。
理由は、彼女達が女性だからだという気もします。もう一つは、過程を記録されているという意識は、エネルギーを散漫にするのだと思います。
今日は何をやるかと言えば、テレポーテーションの瞬間を撮影するのです。そのための装置まで作ってきました。それがあまりにも良く出来ている装置なので(つまり私の努力を買ってくれて)失敗したとしてもやってくれることになったのです。
テレポーテーションで物質が消滅する瞬間と、再生出現する瞬間を撮影するのです。
私はこれから行われようとすることをここに発表することは、あまりしません。でも、今はその方がエネルギーが高まると思っています。
見ている側のエネルギーが超能力をやる側に伝わります。私は今、私のエネルギーを高めようとしています。
昨夜、植物の話題の方向転換をしようと思い書き込みを入れたのはそのためです。もちろんみなさんが色々なアイディアを入れてくれることは、とてもうれしいです。
しかし私は今、次の瞬間のためへの切り替えをしています。正直言うと、少しドキドキしています。

自分の作った実験装置は過去、いずれもうまくいっています。
フィリピンの発信器、超宝勝の気圧計、ランちゃんのPHメータ・・そして今回が「撮影装置」です。
ランちゃん達は薬のビンを振って、中の薬を蓋を開けずに出すことが出来ます。
それを撮影しようとしても、ビンが振られている状態だと安定して撮影出来ません。ビンを振らずにやることは出来ないかと聞いたら、それはかなり難しいとのこと。
だったら、ビンと一緒にカメラも振らしてしまえばいいという発想をしたのです。
昨日、予行演習をしましたが、どんなに強く振っても、小型カメラもビンと一緒に動いているので、カメラ側から見るとビンは全く動いていないように見えるのです。
それをデジタルビデオで記録し、コマ送りで見れば、消滅と再生の瞬間が見えるのではないかと思ったのです。
私はこの装置を作るために何度も秋葉原通いをして、何万円もする小型カメラを何個も買い、東急ハンズ通いをしてケースを何個も買い、何度も作り直しています。
でも、それはそれでとても楽しい作業でした。
今日という日に、それは役立たずでもいいのです。時空への貸し借りは無しです。
でもドキドキするのは、99%の法則が私の中で動いているからです。
出来ないかも知れないことに初めて挑戦してくれる彼女達。彼女たちの中でも99%の法則が動き出しました。
今日という日に、何も起こらなくてもいいんです。何も起こらなくても全て帳消しになるような気がします。
さて、そろそろ装置の最終微調整に入ります。
テレポーテーションの撮影(2000/03/05)

14時のはずが、彼女達は11時に来てしまいました。
カクちゃんは何を隠そう妊娠しているため、今回の超能力の出番はありません。
昨日の葉の縮小再生に続き、テレポーテーションもランちゃんが担当することになりました。
私は薬ビンを装置に固定し、カメラの微調整も済ませていました。
しかし部屋に入ってくるなりランちゃんは言いました。「この装置は波動が悪いから、一度バラバラにして下さい。」
「えーー、ちゃんとセットしたのにぃぃぃ」と言っても通用しません。私はスゴスゴとバラバラにしました。
そして部品になった装置の一つ一つを手に持ち、エネルギーを入れました。
下の写真ですが、上が装置です。アクリルのケースにカメラと照明が入っています。装置の上に薬ビンを乗せ、太いセロテープでガッチリと留めます。
下の写真は実験中の風景です。ランちゃんは装置ごと持ち、テレポーテーションを意識します。ランちゃんには四歳の子供がいますが、その面倒を見るのはカクちゃんの仕事です。ママさん頑張れ・・・です。




ママさん超能力者は、18分かかりました。
18分間に渡り、下の記事に載せた写真の状態で頑張りました。もちろん雑談をしていますが、顔はいつでも真剣でした。
これは彼女が一人で突破するしかないのです。誰も手伝えない状態なのです。
私は世間話をします。気のない返事が返ってきて、それでも世間話は意味があるのです。緊張がほぐれるからです。
私達を乗せた車はワダチの中を走り出します。
外国人に全てが記録されているという状態は、いったいどういう状態でしょうか?
でも、私はどこかで感じています。彼女が生まれてきた意味の一つを、彼女自身もこれで知りたいのだと・・・。
何もビンの底から出すことはないじゃないの、蓋があるんだから・・。
しかし閉空間から物が出ることは、宇宙の法則に反しています。私達は法則に反している宇宙で生きている可能性があります。
薬ビンは新品です。封がしてあります。さっき私が買ってきたものです。
何も新品を使わなくても、私の手持ちの風邪薬でいいのではないかと言ったのですが、後でトリックだと言われるのが嫌だからと言いました。
ビンには100個入りと書いてあります。

さて、18分たった時でした。装置を持つ下の手から薬を出しました。
「どひゃーー、カメラを通り越して、下までいっちゃったんですか?」
「ごめんなさい、エネルギーが入りすぎて・・」
薬はカメラの後ろ側に出現してしまったのです。ふぅ〜。
そしてその三分後、カメラの視野でそれは起こりました。何度も起こりました。
結局全部で6粒が外に出ました。その時出現した瞬間の映像が下です。




このコマの一つ前には薬ありません。まだ断定出来ませんが、薬はビンのガラスの壁面を通過してはいません。突然に出現しています。
ただ残念なことは、薬ビンの中のどれが消えたかが分からないのです。日本に帰ってからスローモーションでしっかりと観察する必要がありそうです。
とは言え、この方法で繰り返し実験し、撮影を何度もすることによって、消える瞬間と出現する瞬間が撮れるのではないかと思います。第一歩としてはとても意味があります。
さて、終わってから薬ビンの封を切り、中の個数を調べました。すると92個しかないのです。ビンには100個入りと書いてあります。
もしも正確に100個入っていたなら、2個はどこに行ったのでしょうか?別の異次元空間、それとも別の場所でしょうか?みなさんの近くに白い薬が出現したりはしませんでしたか?
私達が住むこの時空は、とてもフニャフニャとしたものなのかも知れません。物がそこにあると言っても、あちらの次元から見れば不確定なのかも知れません。
いい大学を出て、いいところに就職して、安定した日々を送る・・・テレポーテーションの実験をしていると、そういう生活の方が奇妙に思えてきたりもします。
出てきた薬に聞いてみたくなります。途中の空間はどうだったか・・向こうからはどう見えたか。
<ツーショット写真の補足>
私が膝の上に乗せて持っているのは、ビンの中に残った薬を数えるためにスケッチブックの上に列べたものです。92個しかないのです。
ランちゃんが持っている白い容器は、彼女が出した6個が入っています。
超能力調査と男と女(2000/03/05)

奇妙な題ですが・・・私が長い付き合いに入る超能力者はたいてい女性です(笑)。
何故でしょうか?何故かと言われても、答えようもないですね、私も・・。
私がスケベだから・・うーーん、それもあるかも知れません。
しかし・・「しかし」などと言っても、次に続く言葉は・・うーーむ。
つまり・・超能力調査でも、「男と女」が存在すると思うのです。
例えば孫さんの教授は20歳も年上ですが、教授が男性だからバランスのとれた関係が続いているような気がするのです。
孫さん、ランちゃん、カクちゃん、導師・・・私との関係には何の要素があるのでしょうか?
今回、通訳には女性ではなく男性(トラさん)を選びました。その理由は女性二人を前にして、通訳は男性の方が良いと思ったからです。
私も結婚していますし、相手の超能力者も結婚しています。しかし・・・
特に超能力者が女性の場合、調査に来た相手の男性が・・・男性の魅力として全くアウトだと・・・
私がもてるとか、もてないとかではなく、一般的な話としてなのですが・・。
女性の超能力者は調査しに来た男性を、直感で判断するような気がするのです。
どんな肩書きを出しても、ダメなものはダメ・・。

超能力の実演というのは、ワダチそもののを突っ走るようなものだと思うのです。手放し運転をした時、傍にいる男性の信頼度・・それを直感で判断していると思います。
また、調査する側も相手の女性超能力者の女性の部分を好きになっていないと、彼女は精魂込めてやらないような気がするのです。
遊び(道具)として見られているか、本気(目的)として見られているか・・その本気の部分がしっかりと広がっているか・・。そういうところも見ているような気がします。
決してドロドロとした男女間ではないのですが、超能力調査にも男と女を抜きにしては語れない部分も存在しているような気もするのです。
最近は嫉妬されていると感じる時もあるのですが、逆に嫉妬もなくなったら、本格的な超能力調査もそれでおしまい・・そんな気もします。
もう一つ、「おしまい」になる要素があると思います。それは相手の超能力者を崇めてしまう時です。
相手を偉大な人として見てしまうと、本格的なつばぜり合いが出来なくなるからです。
神や菩薩として見てもいけないし、女として見過ぎてもいけないし、かといって性の要素がなくなってもいけないし・・。
微妙なバランスが要求されるのが、対女性超能力者との関係だと思うのですが・・。
さて、下の写真はランちゃんとのツーショットです。テレポーテーションの撮影がうまくいった時に撮りました。
ランちゃんとカクちゃんはストレートに感情を出すタイプです。純粋です。全力でぶつかると、全力で返してくれます。私はとても好きです。


道教と老子(2000/03/07)

北京空港では暇だったので、老子関係の本を二冊読みました。
それによれば、もともと道教と老子とは関係なく、後になって道教が老子を引きずり込んだらしいのです。
つまり道教という宗教は、土着の宗教であったのですが、その後多くの思想をごちゃ混ぜに入れているようです。
ただし、単一人物の思想や悟りを良しとするか、ごちゃ混ぜのものを悪しとするかは、判断基準の問題でしょう。
単一人物に返っていかないとすれば、民衆の潜在意識から生まれたものとも言えます。
道教が常識崩しをしてくるのは、常識というのは「言葉」なのだそうです。言葉は既に有為の世界なのだそうです。
ところでこれは山西省に向かう飛行機の中で書いていますが、すでに0時を回っています。国内便でもこんなに夜遅くに飛ぶのですね・・・。
トラさんとの話(2000/03/07)

考古学にも分野があります。フーテンの寅さんの分野は宗教です。
信仰は1億年前の土器誕生の頃から見られると言います。古代人が信仰を始めたのは死後に対する恐怖からだとそうです。
信仰はそれぞれの地域で長老がグルになるという形で、バラエティに富んだ形で起こりましたが、やがて仏教がインドから入ってきました。
中国には既に道教が広まりつつありましたが、道教は死後の世界など不明なものは不明だとして、定義していませんでした。死後の世界の救いを道教に求めることはできませんでした。
中国に伝わった仏教は死後の世界を説明していました。死ねばみんな仏様になれると言われ、仏教のほうが人々に安心感を与えるようになりました。
老子を起源とする道教は「為さずして治める」ということを政治の考え方としているため、封建体制を作ろうとする権力側と常にぶつかっていました。
反抗的な(雰囲気の)道教・・・従順な仏教・・・
権力は人々に仏教を勧めるようになります。そして道教は廃れ、仏教が中国を支配しました。
ランちゃんカクちゃん(2000/03/07)

ランちゃんカクちゃんは、ある科学者によって見出されました。
超能力が好きな科学者が当時、小学生を対象にしてテストをしたのです。そのとき四人が抜群の成績を示しました。
ランちゃん、カクちゃん、マーさん、コウさんです。しかしある時、科学者は死んでしまいました。
それで四人はバラバラになりました。マーさんはシンセンに行きました。残った三人は看護婦になりました。そして今に至ります。
中国では実力のある人は人体科学研究所に所属し、教授のもとについて研究をやるのが一般的です。孫さんはその道を選びました。
しかし超常現象を否定する方向にある中国では、人体科学研究所の存在も危ない方向にあります。
ランちゃんカクちゃんのいる病院(武装警察病院)には、特異効能力研究室がありました。彼女たちを研究するためです。しかし今は廃止されました。
ですので、ランちゃんとカクちゃんには彼女たちを専門に研究する教授はいません。(マーさんにはいます)。
ランちゃんとカクちゃんも、自分達の能力を解明して欲しいという意図を持っています。
物理現象を繰り返し起こせる人は、中国でも稀です。「今日は調子が悪い」と言って我々を待たせるケースが多いからです。
病気を治したりする能力者は多いですが、物理実験が出来る人は少ないです。
さて、私がランちゃんカクちゃんに興味を持っている点の一つに、指導霊がいないということです。
これを言うと彼女達のレベルが低いと評価する人がいますが、私はそうは考えません。自分の能力だけでそれをするのは、我々に一つの希望を与えてくれます。
孫さんはなかなか出来ないとき、後ろの指導霊が「諦めないで、もうすくだ」と言ったりもするといいます。
しかし、ランちゃんカクちゃんには応援してくれる存在は誰もいません。孤独で頑張るしかないのです。
だから二人はいつもペアなのだと思います。指導霊の代わりが友達なのかも知れません。
透視能力がある中学一年の女の子二人(2000/03/07)

今日は車で片道3時間かかる所に行きました。とても田舎ですが、そこには山西省人体科学研究所の支部のようなものがありました。
私に関する記事が『中国気功科学』という雑誌に載った影響で、先方では10人以上のお偉いさんが「冒険的探求者」待ち構えていました(笑)。
さて、彼らはとっておきの超能力者を用意しておいてくれました。透視能力がある中学生二人です。道教方式の訓練で超能力が芽生えたと言いました。
まずみんなでお昼を食べました。正面の二人がそうですが、とても初々しくて、可愛いのです。


さて、お偉いさんたちはお昼なのにカラオケセットを出してきて、日中超能力友好のためにお互いの歌を披露し合いました。私はカラオケが大嫌い(笑)なのですが、頑張って歌いました。
その後、場所は透視能力試験会場に移りました。


私の両隣が女の子です。「森田センセーは真ん中にどうぞ」と言われ、場違いにも超能力者の間に座っています。
これって、中国ではよくある風景です。私の位置がではありません。超能力者をぐるっと囲み、トリック防止をするパターンです。
被験者は封筒にガッチリと入れられた10枚のトランプを、透視で10枚ともその順序まで当てるのです。
可愛そうに中学一年の女の子は、二時間も頑張ったのに出来ませんでした。
人数が多いんじゃないかと言うので、大半は別の部屋に移り、私が撮ったビデオなどを鑑賞していました。そして30分経過し、彼女たちは100%の透視が出来ました。

実は私はこういうのが好きじゃないのです。みんなで取り囲む・・のがではありません。
「科学的」にガッチリとした・・つまりトリック防止にのみ力を入れたのが好きじゃないのです。
中国発は嫌がられます。モンロー研でも「チャイニーズでしょ。彼らはトリックするわよね」と言われました。それが原因でアメリカ人達がフォーカス35に行けなかったのではないかという話は『不思議の科学』に書きました。
中国の「超能力サイド」も、このアンチテーゼになってしまいました。つまり、本物であることを証明するためだけに超能力の実演をするのです。
私もよく言われます。「森田さんが集めた映像とか資料を公表して、否定派をぎゃふんと言わせればいいじゃないですか」と。しかし、そんな事には何の興味もありません。
私は、私一人が向こう側を見ることが出来ればいいのです。
向こう側とは、向こう側のシステムのことです。向こう側の成り立ちです。
外側でギャアギャア言う野次馬は放っておいて、我々はどんどん先に行けばいいのです。
しかし、残念ながら中国の人がそれを言うことは、たぶん出来ないでしょう。西欧諸国ならびに中国そのものが、そうしてしまったのです。トリック論争でがんじがらめなのです。
中学の女の子にしても、失敗を恐れず、新しいことにチャレンジ出来るのに・・です。
アンチテーゼ(2000/03/08)

老子の道徳経を読むと、アンチテーゼであることが分かります。××すればかなわず・・とか。
それは、別の考え方を否定するという動機が充分に感じられます。それを肯定的に直したのが道教かも知れません。
ワダチのど真ん中を行く時、人はアンチテーゼには生きないと思います。
私はここに来ると(不思議調査に入ると)、アンチテーゼがなくなります。つまりそれらに関して、全く別の世界の出来事のような気がしてきます。
人は「私とは誰か?」という疑問を発し、立ち止まった時にアンチテーゼが出るのではないでしょうか?
今日の一日(2000/03/08)

<午前>
山また山を越え、行ったところが下の写真です。


とにかく村の人達が全員集まってきたのではないかと思うくらいのギャラリーの数。窓にも鈴なりの人が見ています。その中で私の生涯を見てもらいました。
何でも訊いてくれと言うので、じゃあ過去をお願いしますと言いました。
私の実家の出来事、会社を辞めて独立したこと、独立して数年後に胃潰瘍になったこと、健一が死んだこと、父親が死んだこと、不思議研究所を作ったこと・・・これらの時期まで全部正確に当てたのです。うーーん、さすがでした。
未来に関しては、「55歳のときに人に騙されるから気を付けなさい」と言われました。女か男かを聞くのを忘れてしまいました。重要な問題です。

<午後>
山の村から戻ると、ホテルには綺麗な女性が待っていました。


彼女は離れた所の現在の状況を見ることが出来ると言いました。
母の着ている服、母が二時間前にやっていたこと、フェルルが今どこの場所でどうしているか・・・そんなことを聞き、電話で確認したらちゃんと合っていました。

<夜>
私の部屋に山西省の不思議研究家が集まりました。大学の教授が多く、医者もいたり、UFO研究家もいました。
下の写真は私がプレゼンテーションをしているところです。


ここは北京とは違い、小さな都市なのでまとまりやすいのです。今後もこのような交換会を持とうということになりました。不思議な人のルートも、この人達を通じて広がりそうです。
まずは自分から惜しみなくリリースすることだと思いました。
集まった人の中に、口から薬を出す女の人がいました。


ミーティングが一段落したところでいきなりペッペッ!!!と薬を吐き出しました。
彼女を見て・・・・・私は吐き出した薬を飲めませんでした。
時間(2000/03/08)

日本を出てから一週間ほどしか経っていません。しかし一ヶ月もここにいるような感じがします。この感覚はいつもそうです。
今の私には「未来」というものは、ほとんどありません。
ドキドキする時間の中では、次の日の予定すら考えません。
何かを創り出そうとか、こうしようああしよう・・という考えはありません。
不安というものも、無いのです。
日本で生活していたのは、遠い過去のようです。カレンダーを見て初めて「先週まで日本にいたんだ」と思います。
満足や不満足という感覚もありません。これは期待をしていないからなのかも知れません。
足が地に着いていないのです。ひどいですよね、足が地に着いていないなんて・・・。
でも、今の私はどんなに批判されても、何でもないと思います。批判というものがどんなにくだらないか、足を浮かせて見ると分かります。
だから老子は、地に足が着いていました。なぜならアンチテーゼをしていたからです。
彼はワダチを生きている状態で、道徳経を書いていません。しっかりと左脳で書いています。だから読んで、分かったようで分からないのです。
日本でこういう状態になるのが難しいのは、明日も同じ生活があると思うからなのでしょう。未来にレールを引いてしまうからなのでしょう。
ここに来て書き込みをする時、読み直すということもありません。字が間違っていようが、大した問題ではありません。伝わればいいのですから・・。
リトンビンが犬に吠えられた!!!(2000/03/10)

昨日はリトンビンの里に行きました。山を越え谷を越え、辿り着いた先は断崖絶壁・・・ではありません。
既に緑も息づき始めた肥沃な大地(笑)でした。繁華街がありました。その真ん中にリトンビンが生まれた場所が場所がありました。
遊女通いをしたリトンビンは遊女を天女とさえ呼びました。遊女が断崖絶壁にいるわけはありません。
そう彼も和光混俗をやっていました。そこには素晴らしいことわざがありました。
「狗咬呂洞賓、不識好頼人」
リトンビンが生まれた地方に伝わることわざです。狗とは犬のことです。
リトンビンは犬に吠えられた。彼は良い人か悪い人か分からない。という意味です。
私はこのことわざに、リトンビンの全てを見ることが出来、このことわざを知ったことで、私は何か勇気づけられるものがありました。
親切をしたのに相手がそれを理解しない時、不平を言うことがあります。あんなにやってあげたのに・・・と。その時、不平を言う人にこのことわざを言うのだそうです。
リトンビンも犬に吠えられたと・・・。このことわざは、深い意味を持ちます。
この地で生まれたリトンビンは有名になりました。老子は不在の人物だと言われていますので、実在の人物としては彼が道教一の有名人でしょう。その有名人は、きっとやりたい放題をやったのではないでしょうか(笑)。
世の中で素晴らしい「善」と考えられるような事をやったとすれば、このことわざは無かったのではないでしょうか。
リトンビンは犬に吠えられた。彼は良い人か悪い人か分からない・・・
きっと犬に吠えられるような事をしたのでしょう(笑)。
犬に吠えられるとは、ある意味では客観的な外から見た「悪」なのかも知れません。
リトンビンは結婚して子供もいました。なのに遊女を天女とさえ呼びました。
好き勝手して犬に吠えられる・・、しかしそれで彼の善悪を決めることは出来ない・・。
親切を理解しないと愚痴をこぼす人にこれを言うのです。理解しない相手の善悪をあなたは決められないと・・。
リトンビンは犬にも好かれた・・・道教の第一人者はこんなことを言われてはならないのです。
肩に小鳥を止まらせ、秘境で動物達に囲まれる仙人・・・本物の仙人は全くその逆でした。
歓楽街で遊女をはべらせ、酒を喰らい、鳥は逃げ(笑)、犬に吠えられる・・・。
そのリトンビンが有名になったので、地元の人が苦肉の策で作ったのが、あのことわざなのではないでしょうか。




上の写真は今回のリトンビンの故郷で撮ったものです。しかしこの凛々しい写真はどうも本当のリトンビンからは遠いので、私の机の上のリトンビンの写真もその下に出しました。彼にはこちらの方が似合います(笑)。


この写真は「白髪立つオババ」です(笑)。
リトンビンの故郷の帰りにここに寄りました。しかし彼女に予約の電話を入れたとき、「そのシンデンシェンとか言う日本人は、公安の犬(笑)と一緒ではないでしょうね。正義感バリバリで私を捕まえに来るのではないでしょうね」とトラさんに聞いたそうです。
トラさんは、「私が知る限り、その日本人の辞書には正義という文字はありません。好き勝手という文字はありますが・・(笑)」と答えたら、会っても良いというオーケーが出たのだそうです。
このオババは白髪を立てて神を呼びます。老子様も呼べるというので呼んでくれと言いました。するとさっそく白髪を立てて呼びました。
「来た来た、さあ、何でも質問しておくれ」とオババが言うので、「無為の意味を教えて下さい」と聞きました。
オババに降りた老子様は答えました。「はあ??無為??何それ??」
私とトラさんは、そそくさとそこを出てしまいました。
いい加減なオババではありましたが、さっきのことわざが頭をかすめました。
「狗咬呂洞賓、不識好頼人」
正義の人、正しい人、善いことをする人・・こんな概念は捨てて、我々も犬に吠えられるようにならないといけません。
そういう意味では私もまだまだ修行が足りません。充分に善人の部分を持っているし、犬に吠えられることを気にしたりしているからです。
犬の吠える声(世間の非難)をよそに、酒を喰らい、リトンビンスリーピングで寝てしまう彼が目に浮かぶようです。
北京到着(2000/03/11)

今日の午後は孫さんが来ます。
孫さんはお泊まりが好きなので、今日から二泊します。本当にお泊まりが好きです。家事が嫌いなのでしょうか?(笑)。
彼女の在日許可が下りてから、今日が初めての会合です。
彼女は私の会社の社員になるので、今日は面接です(笑)。毎月の給与を幾らにするか、その交渉をやります。今日は私からの提案をし、中級セミナーが終わった後に返事を貰います。
もしもOKなら、入社式があります(笑)。まあ、それは冗談ですが・・。
マジな話、日本のどの研究機関と一緒にやるかを提案します。念写については福来心理学研究所が良いと思っています。佐佐木さんと孫さんの出会いも何か生まれそうですし・・。
そんな話をした後5時にはここを出て、北京空港に迎えに行きます。その後は中級セミナーのワダチに乗りますので、孫さんの件はコースが終わってから報告したいと思います。

三次元の諸々の出来事は、とても重いです。それを軽くするには、上も下も見ないことだと思います。
上も下も、過去も未来も見ない・・こうすると、だいぶ軽くなります。
孫さんは言いました。「森田さんは誰の意見も気にすることはありません。」
「もっと自分のワダチに乗りなさい」と言ったのです。
上と下・・・最良の状態と最低の状態・・・
因果同報(2000/03/14)

因果応報ではありません。これはある人が陳さんの相談で得たことを参考にして、私が作った言葉です。
彼は陳さんの相談時間を一時間も取りました。通常は自分の相談だけに終始するものですが、彼は時間もあったのでしょうが、一般的人間のレベルから彼に質問をしました。
「因果応報はあるのですか?過去世は影響するのですか?」と。
陳さんは答えました。
「因果応報なんて、全くありません。過去世なんて、全く影響しません。なぜなら、時間は直線ではないからです。強いて言えば、時間は円です。原因と結果は同時に起こっています。原因と結果が切り離されていると思う人だけ、そういう風に感じるのです。だから彼らはまるで未来というものが存在しているように感じるのです。そういう考えを持たない私にとっては悪いこというのは存在しないのです。不幸ということも存在しないのです。しかしこれは良い未来を強くイメージするのとは全然違います。イメージするも何も、今という原因と未来という結果はまったく同一のものなのですから・・・イメージする必要もありません。」
彼にとっては未来予知など簡単なのです。現在のその人を見るだけでいいのです。予測ではないのです。
かといって未来が確定しているわけではありません。どんどん変わります。
因果同報・・・この言葉が浮かんだがために、私の時間観はひっくり返りました。
なんて楽しいのでしょうか・・。
だから陳さんは、いい加減な質問にはいい加減にしか答えられないのです。
同じように、いい加減な原因しか作れないと、ワダチに乗ったとしても、いい加減な結果でしかない・・。
私達は結果を創り出しているのではなくて、原因を創り出しているのです。ワダチに乗ることは、原因に乗ることです。
なのに私達は、結果を求めてワダチに乗ろうとしていた・・。
因果同報とワダチは、まさに同意語でした。
原因は自分自身でしょうか??
いえ、そうではないというのが私の考えです。原因に乗った場合は特に・・。
20数年前に会社を辞めた時、ただ、原因を創り出しただけでした・・。
原因と結果が合体した状態が無為なのではないでしょうか?
ミニミニツアーと道教伝授(2000/03/20)

私は、ツアーでミニミニツアーを四回やりました。その間に道教のエネルギー修行伝授をやりました。
10日間という長い日程の中で、「天人合一」のミニミニツアーは最後にやりました。パーティーが始まる直前にです。
私は歩き回り、全員を見ていたのですが、瞑想中なのに満面に笑みを浮かべる人もいました。
私達は何に向かって生きているのか・・・
生きるために生きている・・・外部を自分の中に感じる・・・
想いを持つことが大事だという考え方は、私の天人合一のスタンスではありません。外部が内部に変わった瞬間、「想い」というものは必要なくなるはずだからです。
ツアーで10日間も合宿をすると、人というのはそれぞれに悩みを持ち、それぞれに楽しみを持っていると思いました。
ホテルの交換機が古くで、PCがなかなか接続できず、リアルタイムの報告が少なかったです。しかし流れに乗っているときには、「書けない」という状態だったとも思います。
左脳ではなく右脳と共に過ごした10日間でした。
そんな中でのミニミニツアーは、講演会の時とは違った効果を発揮したのではないかと思います。
私達はもともと天人合一しているのです。この三次元は投影の世界ではありません。実存の世界です。改めてそれを確認した10日間でした。

ツアーの最初、「暗い」とかいろいろ言われました。新しいHPを作りたいということも出ました。その後、神についての議論が展開されました。
私はこのHPに不満足ではありません。新しいHPに鞍替えしたいとは、思いません。
自分の中に新たな何かが出てきているだけです。
その何かとは「統合しつつ追求していきたい」という欲求と、「着実に積み上げていきたい」という欲求です。
明日、孫さんが来ますので、この相談もしたいと思っています。

<統合について>
科学という切り口だけで議論する領域を越えつつあるような気がするのです。それで神という単語が出てきたのです。しかしそれはあくまで統合した形の上でやりたいのです。
<着実について>
蘇生やテレポーテーションに関しては、実験に協力してくれる能力者がいます。今までは「こんな現象があるんだ、凄いでしょう」という感じでやってきましたが、これからは着実に前進したいと思うのです。ですので今までのような派手さがなくなります。
私にとっては、自分の能力開発は二次的なものです。さらに精神世界の探求も二次的なものです。世界全体の仕組みを知りたいというのが私の一次的な好奇心です。
私は今回の中級ツアーで、アナログ腕時計を5分間止め、デジタル目覚まし時計を20秒止め、スプーンの柄を雑巾を絞るような形でねじることが出来ました。
だとすれば自分で超能力を身に付け、自分で自分を測定すれば良いと思いますが、それは非常に難しいように感じます。
何故かと言うと、その時は少し変性意識の状態に入っているからです。「何故か」という左脳を働かせた途端に変性意識から戻ってしまいます。しかし、その状態を一度でも経験したことは、「世界」の研究にとって、とてもプラスになると思います。
私はこれから、科学の領域と宗教の領域を同時にやっていきたいのです。
信用・・・理由が必要、信頼・・・理由は問わず、信仰・・・理由があってはならない
ここでの信仰を、信頼の領域に引き上げたいのです。
10日ほど前までは別のHPでやる気でしたが、今はその気はありません。自分の中で発生した変化ですが、ここで表現していきたいと思います。
<ランちゃんによりテレポーテーションで出された薬>
北京には正確な秤があるので、それで計ってみました。
もともと一粒13.83ミリグラムだった薬は、テレポーテーションされたことにより13.00ミリグラムになりました。六個とも、ほぼこの値です。
0.83ミリグラムはどこにいったのでしょうか?
しかしこれだけで結論を出すわけにはいきません。テレポーテーションで出された薬は、その瞬間、手の上に落ちているので、そこで摩擦されていると思うからです。
薬には一つ一つに製品略称記号が入っていますが、それは入ったままです。
帰りの飛行機の中で(2000/03/22)

近い親戚で不幸がありそうなので、急遽帰ることにしました(儀礼的に「不幸」などと書きましたが、全然不幸なんかじゃありません。しっかりと寿命を全うしていますので・・・)。
昨日、孫さんとはかなり突っ込んだ話をしました。日本に基盤を置くという意味の最初の一日だったかも知れません。
こういった研究には科学的な側面だけでなく、経済的、政治的な問題がありますが、昨日の話し合いでほとんど全ての点で合意に至ることが出来ました。
そのうちの一つとして、宗教の問題がありました。
私がシンセンの導師と出会ってから、孫さんの導師に対する意見が変わってきたため、昨日は私の見解を長時間に渡って述べました。
私は宗教を非科学だと思っていないこと・・・。それを非科学だとすることは、自由度を減らすのではないかということ・・。世界全体を知ろうとすれば、宗教の側面は排除しないほうが良いのではないかということ・・。宗教を知るためにはある程度の内部からの経験が必要であること・・。
そんなことを喋った後、「天人合一」の図を見せました。孫さんと教授は「うーーん」と唸ったきり黙りこくってしまいました。
その時、宗教の問題はクリア出来ました。宗教的体験を図にすることは、既に科学の領域に入っていると判断されたからです。
私が描いてきた「いのちの世界」は、やはり科学の領域なのです。
私は道教の世界そのものに浸りたいのではなく、「世界探求」へのヒントが欲しいだけなのだと言いました。そして導師を日本によぶ目的等も喋りました。

ところで孫さんという人は、対等であることを望む人です。オープンであることを望む人です。「孫さんは凄い、孫さんは偉大だ」という人を、彼女は好きではない様子です。
人には多かれ少なかれ劣等感や優越感があるものですが、彼女にとってそれは出来るだけない方が良いのです。
孫さんは「超能力は誘導されるものだ」とも言っていました。調査や試験をする側が誘導する能力がある時、それは発動しやすいと言うのです。
今回の中級セミナーでは孫さんは突然念写をしましたが、あれは我々が誘導したのかも知れません。
全員にピーナッツを配っておくと、孫さんのピーナッツから芽が出た瞬間に、全員のピーナッツからも芽が出る可能性があると言っています。
蘇生というのは、そうやって一気に広まるのかも知れません。
今回、山西省の旅行はとても楽しかったです。真面目な超能力者と言うよりは、ユーモラスな生き方をする人達・・とでも言った方が良いと思いました。
HPへの報告は、「したい時にだけする」という方向に切り替わりました。
海外取材に出たときは毎晩報告を入れるというのが今までのやり方でしたが、それが変わりました。何だか、とても楽になった気分です。
縮小・再生された葉(2000/03/23)

毎日気のパワーを送り、「元気で・・元気で・・」と声をかけていました。その結果かどうかわかりませんが、なんとか保った様子です。あれから18日は経過しています。
左がランちゃんが縮小再生した葉です。真ん中が普通の小さな葉です。右が実験に使ったのとほぼ同じ大きさの葉です。


顕微鏡で調べました。しかし今回、細胞レベルにおいては、あらゆる大きさが変わっていないように見えるのです。細胞の大きさそのものも、細胞核も・・
前回は、縮小されて二日後に調べました。今回は19日後です。この期間の影響でしょうか。それともランちゃんの意識の持ち方でしょうか。
前回はランちゃんに何も先入観入れずにやりました。今回は「前回は細胞まで小さくなってしまいました」と伝えてからやりました。
とは言え、少し実験を繰り返す必要がありそうです。
顕微鏡で細胞核を見るのって、結構根気のいる作業です。これから標本を植えます。
物質化、もしくはテレポーテーション(2000/03/24)





上の写真は、空中から石を取り出しているところです。下の写真は取り出された石です。
この人は山西省に住んでいます。病気治療が本職です。
彼は空中から薬の粉を取り出します。そして患者のおなかにパラパラと撒きます。それはまるでサイババが取り出すビブーティーに似ています。
しかし彼の技は取り出すところで終わりません。患者のお腹をトントンと指で叩くと、まるでお腹に吸い込まれるように薬が消えます。下の写真はその場面です。


私も同様にやってもらいました。薬が落ちるときは、ちゃんと感覚があります。しかし吸い込まれるときは、まったく感覚がありません。
私がここに行った後、孫さんも行きました。天目で見ましたが、どうも本物のようだということです。
孫さんが見ている前で、患者は10元(130円)しか置いていかなかったとのこと。彼は自分からは請求しません。
何とか、彼を調査する良い方法はないでしょうか?調査には協力したいと言っているのです。
でも孫さんの話では、今まで一度も調査に応じたことはないということです。
取っていくだけの日本人にならないように調査しなければなりません。




彼は空中から架空の針を取り出します(写真左)。しかし我々には見えません。
その針を使い、針治療を行います。架空の針だからどこにでも刺せます。
写真の右は、頭に刺して治療をしているところです。
私もこの針治療をやってもらいましたが、頭に刺されるとさすがに痛いです。
さて、彼の技はこれだけではありません。
胆石を持っている人は、それを出してしまいます。膿が溜まっている人は、それを出してしまいます。傷口ひとつ残さずにです。
薬をオエーと吐き出す女性(2000/03/28)

薬をオエーとばかり、吐き出す女性です。目の前の患者さんに見合ったものを出すのだそうです。
しかし・・・・「森田さんのために出したのよ・・」と言われても、「うん、もったいなくて、すぐには飲めない」と言い訳をした私でした(笑)。
「私ね、一度に90個も出せるのよ」と言われ「はい、では、今度ね・・」と言った私(笑)。
「私ね、森田さんの研究のためなら、頑張るわ」と言われ、「うんうん、今度ね」と言った私・・。
このやりとりのビデオを見た孫さんは言いました。
「この女性、森田さんには優しいのねーーーーーーーーーーーーーー」と(笑)。

今までは北京での調査が多かったです。でも、今回は山西省の山中でした。
北京は、大道を行く人がいます。孫さん、陳さん、リョウさん・・。
いずれも、それなりに成功を収めつつある人達です。彼らが北京に来られたのは、その実力が認められたからでもあります。
しかし、そんな人達を尻目に、私は山西省の山中に行きました。
そこには凄い力を発揮しながら病気を治す人がいました。患者からはたったの10元(130円)しか取りません。
やっている事はサイババ並みの物質化現象(仮にこう呼びます)です。
その他にも面白い人がたくさんいました。
クーラーのきいたホテルのスイートで実験をする北京とは正反対でした。
私は大道から小道に入り、そこに見たことのない花を発見したような感動がありました。


報告はこれでおしまいです。中国紀行へのおつきあい、ありがとう。サイチェン。
書き込み期間:2000/3/1〜2000/3/28