もりけん語録
テーマ:「中国紀行2000.05」
書き込み期間:2000/5/23〜2000/6/5
要旨:
今回の中国紀行は、不老不死の問題を投げかける旅となりました。
出発前、孫さん達と、「蘇生が機械で出来るか」という議論をしました。教授は可能だという意見で、私は無理だという意見でした。理由は、蘇生には意識が関わっていて、意識は生から出るものだからです。
ロバートモンロー氏の『魂の体外旅行』という本には、機械を必要としない世界が描かれています。身一つでどこへでも行けるし、何でも出来るのです。
この議論には結論が出ませんが、大変に面白かったです。

山西省には不思議なオババがたくさんいます。男性の能力者にも会いました。
金魚の絵を本物の金魚に変える人、爆竹を鳴らしながら薬を物質化する人、200V以上の電流を身体に流して相手の体に触り病気を治す人・・・
彼女(彼)達は、「それが何の役に立つの?」と言われて世間的にはあまり注目されない人達です。でも私はオババと対面している時、そんな批判や評価など知ったことではなくなるのです。
私はオババ達を、調査の対象として見ることが出来ません。オババが実演を見せている最中、私は非冷静状態になり、うまくいくことをひたすら祈るばかりです。
うまくいった時、彼女はとても嬉しそうな顔を見せ、私もとても幸せな気持ちになるのです。

良い事ばかりではなく、大変な目にも遭いました。
空き瓶を使う治療師に会った時、「すべてはうまくいっていません」というメッセージを受けました。その後空き瓶をいくつも吸盤のように体に張り付けられ、体をバシバシ叩かれるのですが、それが悲鳴を上げるほど痛いのです。体には真っ赤な跡が残りました。
その帰り、「すべてはうまくいっていない」というメッセージが心の中に響き渡ったのです。私は今まで「すべてはうまくいっている」と言ってきました。しかし「うまくいく」という価値判断は、何を基準にされるのでしょうか。「すべてはうまくいっていない」と言い換えたとき、初めて肯定系の人生から脱して、自由な世界に向かえると思ったのです。

私は今回、複数の人達に不老不死の質問を投げかけました。一笑する人は誰もいなくて、真正面から答えてくれた人ばかりでした。その質問が私の中で出た時、不老不死の問題が本格的に動き始めたのを感じたのです。
「世界の平和と不老不死は同時に実現する」と言った人もいました。不老不死に入ると、時空に終わりは無くなると思います。死ぬことは可能かも知れませんが、死の概念とは全く変わるでしょう。でもそれは、個体を持ったままの不老不死ではなさそうです。
死は絶対的とされています。科学も宗教も死を前提として発達してきました。しかし今、人は生まれて必ず死ぬという前提が崩れつつあります。
目次
○ 地球のワダチ(2000/05/23)
○ 山西省到着(2000/05/24)
○ 亀の修行法(2000/05/24)
○ 過程(2000/05/25)
○ 金魚おやじ(2000/05/25)
○ 爆竹オババ(2000/05/27)
○ 電気おやじ(2000/05/27)
○ 時間の流れに乗ったまま(2000/05/27)
○ すべてはうまくいっていない・・・受難の日(2000/05/28)
○ 未来予知看護婦(2000/05/29)
○ 不老不死を投げかけた一日(2000/05/31)
○ 箸の神様(2000/05/31)
○ 淡々とした一日(2000/06/01)
○ 不老不死と世界平和(2000/06/01)
○ 冷静さ(2000/06/01)
○ 山西省最後の一日(2000/06/02)
○ ランちゃん(2000/06/03)
○ マニアと流れ(2000/06/04)
○ 孫さん(2000/06/04)
○ 成田にて(2000/06/05)
地球のワダチ(2000/05/23)

昔々、ネアンデルタール人はどちらかと言えば右脳で生きていました。クロマニヨン人は左脳で生きていました。
クロマニヨン人は左脳で科学を発展させ、道具や武器を生産しました。
ある時、二つの種族はぶつかりました。それは脳のぶつかり合いでもありました。そして左脳が勝ちました。
クロマニヨン人はヨーロッパに定住し、ネアンデルタール人は東洋に逃げました。
孫さん達とした、蘇生が機械で出来るかという議論は、大変に面白かったです。
教授は「機械でできると思うし、そのために孫さんを色々と調べている。例えばMRAという機械は、精度こそ落ちるとはいえ、超能力者のやることを機械で実現しようとしている」と言いました。
孫さんはその発言に大きく頷きました。
しかし私は「天目を機械化することは無理だと思います。なぜなら意識というものが大きく関わっているからです。意識は生から出るものであり、死んでいる機械からは出ません。」
私のこの発言に対しても孫さんは大きく頷きました(猫の目孫さんという言われるわけはここにあります)。
もちろんこれは結論が出ませんでした。
ここで私はロバートモンローが書いた『魂の体外旅行』という本を思い出しました。その中に次のようなことが書かれています。
ロバートモンローは、未来に行きます。そこには機械と言える物は何もありません。すべてが想いで実現します。若返りもしかり、蘇生もしかり、食料生産もしかり・・
当然テレポーテーションもしかりなので、車や飛行機も必要ありません。
そこに描かれた世界には、蘇生をする機械は登場していません。
もしもこれが本当だとすれば、我々は全ての機械を捨てるのです。身一つでどこにでも行き、何にでもなれます。ほとんどが右脳の世界になるのです。
右脳・・それは潜在意識と結び付いた世界です。顕在意識と結び付いた世界ならば、機械化は可能かも知れません。

今回の中国ツアーでは潜在意識の世界を垣間見ました。その方法は瞑想によるものでした。
やはり西欧人の多くが瞑想に喜びを見出すとは考えられません。
そしてここ中国では、右脳から左脳への転換が行われつつあります。西欧化を推し進めようとしているからです
これから行こうとする山西省には不思議なオババがたくさんいますが、そういうのは迷信だということで、排除されつつあります。
ネアンデルタールからクロマニヨンへの移行が中国で起こりつつあります。
私は理由抜きに日本人を持ち上げることは好きではないのですが、何でも受け入れる日本人だから、ひょっとすると、日本人は右脳を保持したまま左脳を使っているのではないでしょうか。
つまりロバートモンローが垣間見た未来は最初、日本のような環境で実現するような気がするのです。
そしてそのスピードは意外に早いという気がします。私達が死ぬまでの間に不老不死が実現してしまうかもしれません。
もちろん不老不死のキーは仙道ではなく、エネルギーによる蘇生・若返りだと思います。
そのためには、今までの方向性の全く逆のシフトが必要になるのかも知れません。
今後、地球はどうなるのでしょうか。地球自体のワダチにも、とても興味が湧きます。
というわけで、この調査は「やめられない、止まらない」・・なのです。
山西省到着(2000/05/24)

今回の中国雲遊とは全く関係ないですが、ここに来るための雲の上で変な事を考えました。それは「なぜ願望は実現されなければならないのだろうか」ということです。
「幸せとは何?」と訊かれると、「願望が実現した時」と答える人は多いのではないでしょうか・・。
しかし・・・それは本当でしょうか?
想いは実現すると言い、想いを大切にしますが、それは実現するのが目的です。
しかし、それで良いのでしょうか?
これから時間の流れに乗る楽しい旅行が始まるというのに、変な事ばかり考えています。
さて、人は生きる目的を考えようとします。しかし・・この問いは、本当に意味がある問いなのでしょうか?
生きたいと思う理由や目的があるのでしょうか?それがなければ私達は生きないのでしょうか?
9時にトラさんが来て、いよいよ雲遊が始まります。
亀の修行法(2000/05/24)

山西省の第1日目は、仙道の導師でした。今度は男性の導師です。
無為の話から始まったところまではシンセンの導師と同じですが、やはり今回は男性なので、修行も男性的です。
この導師は「亀の修行法」が得意でした(笑)。それは亀のような格好をして、息を調節しながら鍛えるのです。鳴き声まで亀そっくりです(なんか、かっこ悪い・・)
さらに極めつけは、レンガを素手で割ったり頭で割ったりし始めました。どうして亀がレンガを割るのか??
そして歴代の弟子達のビデオを見せられました。そこには・・・・・
1メートルもある刀を飲み込んでしまったり(死なない)、トラックに轢かれたり(死なない)、釘の上に寝たり(死なない)・・
講演会でこれをやったら相当ウケるだろうけど・・・私は「何の意味があるのだろう・・」と思いました。
「彼の弟子になって何の意味があるのだろう・・」と私は考えました。
しかし、弟子になりました(笑)。その理由は下の写真を見れば分かります。



左からトラさん、私、導師、導師の奥さん、弟子のおネエちゃん、トラさんの友達です。
この弟子のオネエチャンは山西大学日本語科を出ていて、日本語がペラペラ・・しかも22歳。導師の隣に住んでいるのです。
彼女は「ねえ、あなたも弟子になりましょうよ〜ん。イイコトあるわよ」とは言いませんでしたが、言ったような気がして、私は弟子になってしまったのです(笑)。
(仙家(仙道の前)なので、道教といった宗教に加入したのではないのです。ご安心を)
ところでこの導師の家にはリトンビンの像しかありません。さすがにリトンビンの故郷です。
私はリトンビンが伝えたという房中術の秘伝の書いた冊子を手に入れることができました。もうけた(笑)、ケケケ。
明日はもう少し田舎に移動します。そこに泊まりますので、果たしてPCが繋げるでしょうか・・。
過程(2000/05/25)

「時の流れに身を任せ」・・これを言い換えると「過程」だと思います。出てきた結果ではなく、過程・・
今回の初級ツアーで、孫さんの話に感動したという人がいました。蘇生という結果ではなく、そこに至るのでの過程、さらには挑戦し続けていく彼女の姿勢に・・。
結果を評価する人と過程を評価する人がいます。
同様に、結果に生き甲斐を見出そうとする人と、過程に生き甲斐を見出す人がいます。
山西省で出会う人達は、私の本にはなかなか載りにくい人たちです。
「その人は結局何が出来たの?」と訊かれた時、「何も・・」と答えるような人が多いのです。しかし・・
時間の中に生きている彼らは、その切り口のほんの断面を見せているに過ぎないのです。
恋愛でもそうです。失恋で終われば、ダメなのでしょうか?最後が幸せならそれで良いのでしょうか?
「時の流れに身を任せ・・」過程に身を任せる楽しさは、結果よりもずっと大きいです。
今日は、どんな人に会えるでしょうか?期待がゼロなら、結果は問われることはありません。
金魚おやじ(2000/05/25)

ここは人口が500人の小さな村です。
なにやら凄い超能力者がいると聞きつけて、何時間も車に乗ってやって来ました。
ワゴン車で出発したのですが、一人乗り、二人乗り、結局3人の案内人が乗り、ここに辿り着きました。その案内人には、日本から用意した手回し式のラジオをプレゼントするのですが、大変に好評です(メインドインチャイナのシールは結局はがしました)。
さて、お目当ての能力者が登場しました。彼は最初に「私のは魔術です」と言いました。
私が「魔術??魔術にはタネがあるのですか?」と訊くと、「もちろんです」と答えるではないですか・・・。
最初にやったのは、二つに折ったマッチの棒を接合することでした。
すり替えトリック見え見えという感じなので、私はマッチ棒に赤いポールペンでサインしました。それを二つにへし折りました。
しかし・・それでも接合してしまったのです。しかもサインが付いたまま・・・(そのマッチ棒は今手元にあります)。
「タネはどこに??」私の疑問をよそに、実演は続きます。
彼は金魚の絵を書いた紙を取り出しました。そしてその上に逆さにしたカップをかざしました。
そのカップを元の状態に戻すと、なんと、中には金魚が泳いでいるではないですか!!!
それを二回もやったのです。




タネがあると始めから言われていたのですが、これは本当でしょうか?
最後は、二つの椅子に向かって念を送り始めました。聞けばその椅子が踊り出すのだそうです。
うーーむ。凝視し続けましたが、椅子はびくともしません。 「まだ修行が足らん・・・」と言い残して、彼は出ていってしまいました。恐るべし・・・

しかし・・金魚はどこから来たのでしょうか?
サインをしたマッチ棒がどうして復元したのでしょうか?
私も長いこと超能力の研究をしていると、本物の超能力者が出す気の流れを感じます。
例えば孫さんの時には、植物検知器が鳴り始めます。同様に私も微弱ながら気を感じます(このとき感じる気は、気功師の気とは違いますが・・)
そんな風に、私は本物と偽物を自分の感覚で区別している時が多いです。しかし、今日の魔術師には本物の気を感じなかったのです。
魔術というものがあるとすれば、そういうものなのでしょうか?それとも今日のは、トリックなのでしょうか?
村人達はみんな信じている様子でした。人口500人の村でわざわざトリックをやるでしょうか?
聞けば、検証に行ったのは私が初めてだということでした。しかし、私が充分に楽しんだのは言うまでもありません。噂を頼りに山中に入るだけで楽しいです。
そこにオババがいようが、金魚おやじがいようが、問題ではないのです。
爆竹オババ(2000/05/27)

昨日は、五台山のふもとの村まで行きました。なんと電話がないのでインターネットに繋げず、送信できませんでした。電話がない所は、初めてではないでしょうか。
さて、今回は「オババ」でした(笑)。それも爆竹(笑)オババなのです。
何が爆竹かと言えば、外で景気良く爆竹を鳴らすのです。バンバン・・と。その景気のいいこと・・。
すると神が降りてきて、そのオババにパワーを授けるのです。どういうパワーかといえば、物質化するパワーです。
ここ中国での物質化現象は、薬が一般的なのです。ですのでオババも、薬の物質化でした。
そのオババは、私達が買ってきた爆竹を景気良く鳴らす音を聞いて、大変に機嫌が良くなり、数秒でサッと薬を取り出しました。
手からパラパラと出てくるので(口から吐き出すわけではないので)、見ている人にとっても大変に気持ちが良いのです。
私はその薬を食べてみました。それはそれは苦い薬の味がしました。
この写真はオババが薬を取り出しているところです。



さて、このオババにはもう一つの特技がありました。
それは、道教などでおなじみの符を、自動的に書くことが出来るのです。
お椀に入れた水を見つめるとイメージとして符が浮かび上がり、その時紙を口にくわえると、その符が紙に転写されるというのです。
その符の数は半年で幾つと決まっているのです。私が行く直前にその数を使い果たしてしまい、残念ながら今回はやってもらえませんでしたが、次回は挑戦したいと言いました。
さて、オババという表現を使いましたが、今回のオババはずば抜けて品が良かったです。
出来る限りチャレンジしようとしてくれたし(数量制限をオーバーしたのに、符に挑戦してくれた)、お礼を突き返そうとしたり・・。
でも、何よりも笑顔が素晴らしかった。最後に私の手を握ったときの目が素晴らしかった(優しかった)。
この中国紀行ではオババという表現を使っていますが、みんな愛すべきオババなのです。
たぶんこのHPを見ている人たちも同様に感じていると思います。
彼女達は、本当に愛すべきオババなのです。
私達が文明の下に忘れてしまったものを思い出させてくれる、大事なオババなのです。
今回は爆竹オババでした。ありがとう、オババ・・
電気おやじ(2000/05/27)

電話の無い村を出て、大きな集落の方向に1時間ほど戻ったところに彼はいました。
彼・・・今度は電話が無いどころか、なんと・・電気おやじだったのです(笑)。
この旅は何が起こるか、もう予想がつきません。さっそく写真を出しましょう。



このおやじが何をしているかと言えば、コンセントに繋がれた220ボルトの電線を手に持っているのです。そして紹介者が彼の天目のところの電圧を測っているところです(笑)。ちゃんと電気が通っているという証拠のために、電球まで点灯させています。
ちなみに天目の電圧も220Vでした。
それだけならだれにも迷惑をかけないのですが(笑)、彼は「おい、そこの日本人・・」と言って、私を隣に座らせて、なんと・・電線がついた手で私の天目に触れたのです。
ぴかーーー・・私の天目は光りました。
「り、リョウ先生、ひ、光が見えました・・」なんてものではありません。
60ヘルツの周波数で光が点いたり消えたりしたのです(笑)。
その後、彼は私の体中を触りました。「ビリビリ感」が身体中を這い回り、もうイッちゃう直前でした。
(SMでさえ、電気プレイは無いでしょう・・。しかし病みつきになりそうでした・・)
これで病気が治った人が沢山いるというのです。恐るべし・・
ところで「恐るべし・・」は、彼の体でしょう。
彼は商用電源の220Vでは飽き足らず(刺激が少なくなったのでしょう)、変圧器を持ち出して、250Vに変えて、それを身体に付けたのです。だから彼の身体のどこを触っても、高電圧でビリビリきます(良い子は真似をしないでね・・)。
そのあと彼は気功の練習を始めました。なんと今、充電の術を修行中なのだそうです。
「次にあんたが来るときは、私自身から250Vが出せるからね・・」
こう言い切る彼・・恐るべし電気おやじ・・。
時間の流れに乗ったまま(2000/05/27)

私は今のような調査が大好きです。
「それが出来てどうするの?」「トリックかどうかの検証はしたの?」「責任は取れるの?」
そういう批判など、まるで風のようにどこかに飛んでいってしまいます。
私も長いこと、目的意識を持って調査に当たっていました。フィリピンしかり、ブラジルしかり・・それが地球のバイブレーションを上げるかどうか・・これこれに気付くべきだとか・・・
今回の爆竹オババにしても、電気おやじにしても、「それがどうした」というスタンスです。
爆竹を鳴らすと、「またあのオババがあれを始めたな・・」という感じで、隣近所の人たちが集まってきます。
でも、薬を出す段になると、手を合わせる人が多いのです。科学的調査なら、腕組みをして見ることでしょう。
しかし、私達はいつからか、こういう風景に手を合わせることを忘れてきました。
聞けば、奥にはもっと凄い人がいると言われました。泥人形に霊を降ろし、踊らせるというのです。山西省の田舎は、そういう不思議な事でいっぱいだそうです。(泥人形の村の方向も聞き出しました)
私には科学が顔を出す時だってあります。彼らがOKを出せば、私は指輪型カメラをオババに付ける予定ですから・・。
しかしこのおばあちゃんの役目は、そういうことではないと思うのです。
では、どういうことかと言えば・・・言葉にすることが出来ません。

18歳から薬が出るようになったとオババは言いました。18歳の頃、彼女はとても美しかったと思います。
そして今、82歳。村の人たちからずっと慕われてきたおばあちゃん。
初めて現れた日本人(私)がカメラを取り付けることは出来ません。現に私は、指輪カメラの存在すら忘れていました。
私は、初めてやる外人(私)の前での実演がうまく行くように、ただひたすら祈っていたのです。
薬が出た時のおばあちゃんの嬉しそうな顔・・彼女から、超能力の気は充分に出ていました。
ところで電気おやじからは、気功師の気が大量に出ていましたので、やはり彼も本物でしょう。何かのテクニックを使い、電気が体内を通らないようにしているのです。
さて一昨日会った金魚おやじからは、超能力の気が出ていないと書きました。
しかし、私たちに対する実演が終わると、彼は外で子供達に取り囲まれていました。
その幸せそうな顔・・その風景だけですべてOKだと思いました。
すべてはうまくいっていない・・・受難の日(2000/05/28)

毎日、良い事ばかりは続きません。今日は、空き瓶を使った治療師の所に行きました。
彼は初対面の患者さんに対しては、その人に向けてのメッセージを贈るのです。メッセージはチャネリングで得るので、しばし空の方向を向きます。
そのメッセージ詩のような形で降りてくるので、彼ですらメッセージの意味は分かりません。数秒間空の方向を向き、彼は確信を持った感じで私に言いました。
「すべてはうまくいっていません!!!」
トラさんが日本語に訳したのですが、何かバツが悪そうでした。だって「すべてはうまくいっていない」という、全面的にマイナスなメッセージ(笑)だったからです。
私もしばし呆然として・・、それでも訊きました。「それはどういう意味ですか?」
治療師は言いました。「私にも分かりません。あなたへのメッセージだから、あなただけが分かるのです。」
・・すべてはうまくいっていない・・・その時はなんか、とても嫌な感じに聞こえました。
腑に落ちないまま、私への治療が始まりました。さっきのメッセージと治療とはあまり関係はないのです。私はベッドに仰向けになりました。
彼が持ち出してきたのは、空き瓶でした。その一つ一つに火のついた紙を入れ、中の空気を暖め、次の瞬間、私の体に覆い被せます。すると中の空気が冷えるので収縮し、私の体にペッタリと吸盤のように張り付くのです。その痛いこと痛いこと・・・
針灸で悪血を取るのと似た原理です。ただ、空き瓶を使っているところが中国的です。
私の体は、とうとう空き瓶だらけになりました(笑)。しばらくしてから空き瓶を取ると、私の体に赤い円が幾つもあります。





さて、この写真には写っていませんが、その後も大変だったのです。弟子のオババが、裸の私をバッシバッシと叩くのです。私は仰向けに寝かされ、おまけに周囲から押さえ付けられているので、逃げることが出来ません。
悲鳴を上げていると、他の患者さんが飛んできて、私を笑います。「ぎゃっははははははは・・」
その時、私の頭にさっきのメッセージが浮かびました。
・・すべてはうまくいっていない・・メッセージの通りのことが起こり始めました。
「このオババをなんとかしてくれ」私がそう言うと、治療師は「彼女はトランス状態だから、止まらないのです。」
・・おいおい、オババ・・私の懇願の眼差しを無視して、オババは叩き続けます。
バシッバシッ!!みぞおちの部分を集中的にされ、ほとんど虫の息になりました。
「意識を、叩かれていない足に持っていきなさい。」治療師のアドバイスがありましたが、この痛さではどうしようもありません。
「痛い、痛い・・・」あまりの叫び声に、治療師はオババを静止させました。
そして最後に治療師が私に気を送り、終了となりました。
しかし、半分トランス状態のオババは「まだやり足りないわ」なんて言っています。
ひょえ〜〜・・
あれから数時間経った今も、体は真っ赤です。しかし、多くの病気の元が吹っ飛んだと言われました。
でも私も言い返したのです。「あれをされるなら、死んだ方がましだ」と・・
なんて忍耐のない日本人だと思われたでしょうか・・
あとの治療風景を見ていましたが、私のようにわめき散らす人は誰もいませんでした(笑)。

さて、帰りの車の中、私はズキズキする痛みを体中に感じながら、ぼんやりと外を眺めていました。
・・すべてはうまくいっていない・・この言葉が心の中に響き渡った時、突然に景色が明るくなったのです。
私は『不思議の科学2』で、「なる」の世界から「ある」の世界への移行を言おうとしました。一般的な精神世界では、愛する人間になる・・とか、心の広い人間になる・・とかいう風に、今の自分を否定して成長しようとします。
しかし私は、あるがままの自分でOKなんだ・・なろうとすることは別の自分になることなんだ・・と言いました。道教の修行を経て以来、無為、すなわち無意識の自分に従う生き方・・一言で言えばワダチの生き方に変わってきました。
しかし・・すべてはうまくいっている・・とも言ってきました。
道教では頂上を目指さない方が良いと言い、目標を持つことを良しとしませんでした。
なのに、「すべてはうまくいっている」と言ってきました。
さらに最近、私達は生まれてはいない・・これからも生まれることはない・という気付きにも会いました。なのに、「すべてはうまくいっている」と言ってきました。
「うまくいく」という価値判断は、何を基準にされるのでしょうか?暗黙のうちに何らかの達成する目標があり、そこに向かっていくための「うまくいく」ではないでしょうか?
ワダチに乗っていながら、どうして「うまくいく」という評価が生まれるのでしょうか?
ブッダは「すべての心理は否定形にある」と言いました。だとすれば・・・なぜ、すべてはうまくいくという肯定系なのでしょうか?
確かに、今の自分を否定するよりも、うまくいっていると思ったほうが良いと思います。愚痴を垂れるよりも、肯定したほうが良いと思います。
しかしそれは、フォーカスレベルをどんどん上げていき、最後には天人合一で三次元に帰る私達の言う台詞なのでしょうか?

「44歳であなたの運はゼロになります」と言われたことがありました。そして44歳から私は運とは関係ない世界に入ってしまいました。
言い換えれば、それ以来ツキまくっているのです。しかし誰にも「ツキまくっている」などと言っていません。
言えば「過大評価もいいかげんにしろ」と言われそうです。逆に私は「運はゼロだ」と言っています。
同様に「すべてはうまくいっている」というのは・・「すべてはうまくいっていない」と言い換えたとき、初めて「うまくいく」という人生肯定系から離脱できるのではないでしょうか?それで初めてゼロになると思うのです。
「すべてはうまくいっていない」・・なんと素敵な言葉でしょうか・・。
私は「うまくいく」とか「成功する」とかいう世界から、やっと次の一歩が踏み出せそうです。本当に自由な世界に、うまくいくという概念はないと思うのです。
自由な世界に向かうとき・・「すべてはうまくいっていない」
仙道の言葉に「出て行かなければ、戻ることは出来ない」というのがあります。
子供に戻るということを目的とした「還童功」という修行がありますが、では実際の子供はそれでOKかといえば、そうではないのです。子供は「出て行っていない」からです。
同様に「すべてはうまくいっている」という世界に入り(言い換えれば「出て行って」)、初めて「すべてはうまくいっていない」という状態に戻れるのではないかと思います。
未来予知看護婦(2000/05/29)

今日は、ホテルに看護婦さんが来てくれました。ルンルン♪
それもただの看護婦さんではなく、未来予知が出来る看護婦さんです。未来予知だけでなく、高次元から取ってくる情報は多岐に渡っています。
ではさっそく今日の報告を始めましょう。いきなり写真からいきます。



これは私の指から情報を取っているところです。最初は、私の健康状態のチェックから始まりました。「森田さんは、血液の循環に問題があります。」
おお、その通りです。私は遺伝的にコレステロールか高く、すでにボケが始まっています(笑)。それを、「人は忘れる方法に進化している」などとうそぶいているのです(笑)。
「改善方法はありますか?」と聞けば、「あります。簡単です。頭を自分の手でマッサージすればよいのです。頭皮は血液循環を良くするためのツボだからです。」

さて、前置きはこれくらいにして・・・
「まず森田さんの現在の悩みから始めましょう」いきなり来ました。以下は彼女の話です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
道教には塞翁失馬という話があります。こういう話です。
ある人が馬を失ってしまいました。友人は、「それは残念なことをしましたね」と言いました。しかし彼は「本当に残念だとは思いません」と答えました。
何日かするとその馬は、もう一匹の馬を連れて戻ってきました。友人は言いました。「それは良い結果になりましたね」しかし彼は言いました。「本当に良い結果とは思いません。」
何日かすると、自分の子供がそのもう一匹の馬から落ちて、怪我をしてしまいました。
友人は言いました。「結局もう一匹の馬は、悪い結果をもたらしましたね。」
彼は言いました。「本当に悪い結果とは思いません。」
何日かすると徴兵のための検査があり、怪我をしていた子供は徴兵から免れました。徴兵された部隊は、戦場で全滅しました。
それを聞いた友人は言いました。「良かったですね。結局良い結果を生みましたね。」
彼は言いました。「本当に良い結果かどうかは、分かりません。」
この話はここで終わります。

彼女は続けます(しかし以下の話は、トラさんと、トラさんの友人の話が多少ミックスされていますが、・・・)。
塞翁失馬という話の言いたいことは、うまくいっているとか、うまくいっていないとかは、表面的な現象にしか過ぎないのです。それに囚われてはいけません。
さて、森田さんの次の悩みです。
私達はもともと神が生んだのではありません。宇宙は生まれることも死ぬこともありません。これは仏教の用語で涅槃(ねはん)と言います。道教では無為に通じる言葉です。
森田さん、あなたの前世は仙人でした。仙人でしたが、あるとき死んでしまいました。そして現世は不老不死の研究をやっているのです。
あなたは社会使命を持って研究しない方が良いでしょう。その方がうまくいきます。
(ここでトラさんが割り込みました「森田さんは社会に何かを広めるために生まれたのではないのですか?」・・と。)
森田さんは社会使命を持たない方が良いのです。社会使命を持たなくても森田さんに反対する人、批判する人は出てくるでしょう。しかし面白いことに、批判する人たちが逆に森田さんの使命を社会に広めてしまうでしょう。肯定派が増えれば否定派が増え、否定派が増えれば肯定派が増えます。良いことと悪いことは表面的なことであり、裏には無為の流れがあるだけです。その流れに乗っていけば良いのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
あとは、人間関係のトラブルとか事故とかに話題は移りました(大した問題は無い様子でした)。

私達はいつも「解釈」しようとします。起こった出来事の意味・・生まれた意味・・・
「前世で出来なかったことをするために生まれてきたのでしょうか?」と訊けば、「目的を持った途端にレールから外れてしまいます」などと言われてしまいました。
未来予知にはさほどの興味は無かったのですが、内容的にはとても深いものがありました。
不老不死を投げかけた一日(2000/05/31)



いきなり写真です。このオババは、符を出すことが出来ます。
相談者の問いを聞き、そのあと何も書いていない紙を燃やすと、その燃えがらに符が浮き出るのです。
このオババには何を訊いても良いというので、「不老不死はいつ訪れるでしょうか?」と訊きました。
オババは一瞬考えた後、紙を手にしてボッと火を点けました。するとその燃えがらには何と符が浮き出でている(ように見えた)のです。
それを何回もやりました。その都度、浮き出て見え(たような気がし)ました。
「この浮き出た符の意味は何ですか?」と訊けば、オババはいきなり歌い始めました。
私のビデオを見る機会があれば歌の風景を見せることが出来ますが、それなりに楽しいのです。
最初はトラさんを含め、みんなで聞いていましたが、なんと15分も続き、最後はそれぞれ喋りをはじめてしまい、誰も聞いていない状態になってしまいました(笑)。しようがないから私が一人で聞いていました(笑)。
歌は要約すると以下のようなことでした。
「不老不死は実現します。しかし今のように争いが絶えない世界では実現しません。国が幾つもある状態では出来ません。世界の平和と不老不死は同時に実現するのです。」
うーーん、なかなか素晴らしい歌ではありませんか。
その後、このオババは私の不老不死の研究のために、墨でサラサラと実際の紙に符を書いてくれたのです。機会があればこの符も、お見せしましょう。

さてホテルに戻ると、若いおネエちゃんが訪れて来ました。



この女性は見覚えがあると思います。そうです。前回、「現在透視」の超能力者として私のホテルに来た女性です。
オババ続きだったので、もうルンルンです(あっ、昨日は看護婦でしたけどね・・)
この女性にも訊きました。「不老不死はいつ実現しますか?」
写真は、それを透視しているところです。しばらく沈黙がありました。その間にトラさんが言いました。
「昔、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すことを徐福という部下に命じました。彼は色々な情報を調べた結果、それは日本にあると知り、旅立ち、結局日本で死んでしまいました。ですのでひょっとすると不老不死は日本と深い関係があるのかも知れません。」
そうこうしているうちに、おネエちゃんが口を開きました。
「ここ2年以内に森田さんに大きな変化が訪れます。その変化は不老不死の解明に非常に関係があります。私にも詳しいことはわかりません。しかしとても良い方向に向かうことだけは確かです」ということでした。
さて、おネエちゃんといい雰囲気になっていると、突然亀導師が乱入してきました。
「不老不死だと??まず修行せにゃならん。あんたはあれから(6日前に会ってから)修行しているのか?」
「はっ、はい。それが・・その・・シンセンの別の導師の修行法を・・」と口ごもると、さっそく彼の動功ポーズを取り始めました。



この亀導師の動功ポーズはとりたてて目新しくはないのですが、実はこの後、秘密の修行法を教えてくれたのです。あの房中術です。
しかしですね、房中術には四つのステップがあり、今日はその一歩です。

ところで不老不死などと言うと一笑されるかと思えば、そんなことはありませんでした。
人は誰でも死ぬことだけは確かなことなのに・・・それを言い出すこと自体が科学の領域を越えているのに・・。
不老不死に入ると、時空に終わりは無くなると思うのです。
以前「善悪は時空の最初から最後まで見てみないと分からない」と言いましたが、これは崩れることになります。時空は開放系入り、始めも終わりもなくなるからです。
つまり「すべてはうまくいっている」のか「すべてはうまくいっていない」のかの判断を下すことは出来なくなるのです。
ところで今これを読んでいるあなたは、「すべてはうまくいっている」と思いたい方ですか?
では質問しますが、それは誰にとってうまくいっていることなのでしょうか?
あなた個人でしょうか?人類全体でしょうか?虫をも含めた生命全体でしょうか?
虫をも含めた生命全体なら、蚊を殺しますか?蚊を殺して「うまくいった」あなたがいれば、殺されて「うまくいかなかった」蚊がいます。
うまくいくとかいかないとかは、実に局所的な考え方ではないでしょうか?
いえ、別に自分を殺して他人のために生きた方が良いと言っているのではありません。
人に親切をしない会の会長(私)としては、そんなことをすれば真理に反します。
本当に自分のために生きた時に、局所からの脱皮が起こるとさえ思っていますから・・。
不老不死に入る時は、閉鎖系(局所系)から開放形に入ります。
そのとき私達には、とてつもないパラダイムシフトが起こるのではないかと思います。
箸の神様(2000/05/31)

だんだん大したことはなくなっていきます(笑)。
今日は・・ふんふん・・別に超能力ではありません(笑)。
でもオババは出ます(オババマニアには何だってドキドキですね・・)。
今日はオーリングテストの「お箸版」です。まず、オババと向かい合います(ドキドキ)。あっ、オババではなく、若い女の子でも可です。
箸(割り箸などが良い)を六本用意しておき、オババと仲良く3本ずつ分けます。そして3本をちょうどコの字型にします。前方が開くような形のコの字です。
そしてオババと箸の先をくっつけ合います(きゃーー)。
これがかわいコちゃんでも可です。くっつける動作に妙な気持ちの入れ込みをしないで下さい。クールにくっつけます。



さて、これで「箸の神様」の出来上がりです。箸の神様には何でも聞けます。
「僕と君はお互い合うかどうか、聞いてみようか?」などというのも聞けます。
「箸の先が外側に開いたら、相性が合うんだ・・」という規則も作っておきます。
「箸の先が上に上がったら、エッチな面もバッチリ」などというのもOKです(結局どの方向に行ってもプラス思考でも可・・なんてね)。
そして目をつむり、彼女と息を合わせ・・「あーー、上に行ったよ」なんてことになるのです。でもあなたはきっと上に持っていったに違いない(笑)。
それでもやってみると結構楽しいのです。オババとやっても楽しいのです。
さて、私は「私の会社はこれからも黒字であり続けるでしょうか?OKなら上に行って下さい」と聞けば、ちゃんと上に行きました(笑)。
「不老不死は実現するでしょうか?」この質問に対しては・・ずっと動かなかったのです。
解答不能・・・・うーーん、深い・・
中国ではこの遊びは古くからあるのです。箸に神様が宿るとされているのです。
しかし、オーリングテストととても良く似ています。潜在意識に聞いているのでしょう。
飲み屋で女の子を口説くには、ピッタリのゲームです。

さて、古くから伝わるもう一つの面白ゲームを、オババからもう一つ聞きました。略して「24時間成長ゲーム」。
有精卵に穴を開け、白身だけを出します。そして何でも良いですから種を入れます。例えば落花生とか・・。そして穴をセロテープ等で閉じます。
それをニワトリに抱かせます(笑)。そして21日たったところで取り出し、種を土に植えます。
すると何と・・その種は24時間程度で実まで付けてしまうのです。つまりどんどん成長するのです。
私は北京で「24時間で落花生を成長させることができる超能力者がいる」という噂を聞いたことがありました。でもまだ会っていません。
しかしこれが本当なら、その能力者はこの技を使っているのです。でも信じられません。
というわけで、今日は中国に古くから伝わる話でした。
淡々とした一日(2000/06/01)

今日も大したことはありませんでした(笑)。
最初は病院です。脳波研究室です。そして超能力を専門に研究する所です。
おお、結構すごいじゃあないですか・・おまけに白衣のお姉さんまでいました(当たり前か・・)。
しかし、メインはオババでした(笑)。オババなんて言うと怒られそうです。



右で深刻に悩んでいるオババが、超能力を脳波の切り口から研究している博士です。
(ところで左の白衣のお姉さんの右側に鉢植えがありますが、この葉を三日後に、ランちゃんに縮小してもらうかも知れません。この葉は、下に落ちただけで根付くと言われている植物だからです。)
脳波というと日本の町教授を思い出しますが、この博士の研究しているのは脳象図というものです。非常にユニークです。
仏教瞑想と道教瞑想の違いなんか、脳象図で見ると一目瞭然なのです。博士は孫さんも計ったことがあるそうです。相当ユニークだったそうです。
明日、私の脳象図を計ることになりました。超能力者か凡人か、すぐに判るそうです。
さて、午後は体内透視能力者が来ました。普通のおやじでした(笑)。



透視に3分もかかったので、私も瞑想状態に入り、彼を透視しています(笑)。でも彼が能力が出たのは58歳だそうです。現在66歳です。
さて、私の体の跡ですが、ご覧の通りです。実は、まだ痛みます。



淡々とした一日でした。
不老不死と世界平和(2000/06/01)

この二つの関係ですが・・私は切っても切れない関係にあると思います。
だって・・・だってですね・・
みなさん、不老不死について考えるとき、あまりに現在の延長で考えているような気がするのです。
ロバート・モンローの書いた『魂の体外旅行』という本に、未来を垣間見るシーンがあります。そこでアイリーンとかいう名前の美しい女性に会います。その彼女は未来のモンロー氏(集合的魂の一つ)なのです。
その頃の地球は美しい緑と森と湖でいっぱいです。人間は肉体を持つか、魂だけ離脱するか自由自在です。食べ物も要らないのですが、食べるということを楽しみたいと思えばイメージで物質化できます。
自分の肉体は自由に作り替えることが出来ます。美人にでもブスにでも(笑)。
これらを自分自身で自由自在にやるのです。別に機械に頼る必要はありません。
では死はどうするのでしょうか・・。死と生は行き来可能になるのではないかと思います。つまり不老不死であっても、死ぬことは可能かも知れません。
ただし、今の死の概念とは全く違うでしょう。フォーカス27に行って「疲れたからちょっと休憩・・」というイメージでしょう。

さて、世界平和に話題を移しましょう。
こういう状態になった場合、相手を銃で撃っても死なないのです。戦争していくら爆弾を落としても敵は絶対に死なないのです。
ですので世の中から殺人罪や傷害罪は無くなるでしょう。
そこに、平和以外の何かが存在するのでしょうか?
私達は個体というものの考え方に固執しすぎてはいないでしょうか?
ところでこの時点で問題になるのは、むしろ「死ねない生き甲斐(笑)」なのではないでしょうか?
子供も産まれることはありません。ですので家族は存在しません。生殖を目的としたセックスも存在しないでしょう。したがって現在の形のような恋愛もなくなります。
考えてみれば、私たちは個体に固執するから生き甲斐があるのだと思います。
こんな世界になるのは、あり得ないでしょうか?
でも、不思議なことを調査していると、私にとってはむしろ、死の方が不自然に思えて来つつあるのです。死は過渡現象なのではないかと・・。
死がないと生きていけない(笑)から、死があるのです。

過渡現象だとすれば、不老不死は一気に来ないかも知れません。
徐々に来るとき、最初に来ると一番考えられるのは、「生まれた時に前世を覚えている」という現象のような気がします。
そしてその前世(過去)に全く固執しなくなった時、次のステップがあるのかも知れません(孫さんは前世念写もしたいと言っています)。
前世と言えば「前世治療」が有名ですが、過去を治療することによって現在を変えていくやり方が台頭すれば、不老不死からは遠ざかると思います。
ただ、孫さんの蘇生能力等を垣間見ていると、一気に不老不死に突入するような気がしてなりません。
その時は、体外離脱や物質化やテレポーテーションやテレパシーは自由自在になるのでしょう。国家や言語の違いは消滅してしまうでしょう。
科学は生き残るのでしょうか?キリスト教は生き残るのでしょうか?仏教は生き残るのでしょうか?道教は?
私はその世界を垣間見たいのです。いえ、既に垣間見つつあると思うのです。
『不思議の科学2』では蘇生を書き、『不思議の科学3』では仙人の世界における不老不死を書きました。しかしそれぞれ独立した現象としてしか書いていません。現在の私達のような個体に固執した生き方に、どう生かせるかという問題として捉えています。v でも、オババの一言(15分の歌)で、それはもっと面白い世界ではないかと思うようになりました。私達に訪れようとする世界は、個体を持ったままの不老不死ではなさそうなのです。
冷静さ(2000/06/01)

ある方から「もりけんさんはいつも冷静なのですか?はい、いいえでお答え下さい」という質問をメールで受けました。私は「いいえ」と答えました(笑)。
山西省のような場所で調査していると、「冷静」で調査をしていると、まずもって不可能です。
私は有名人が好きじゃありません。それは彼らが冷静さに対応できるものを持っているからです。
張宝勝しかり、フリッツしかり・・彼らはカメラに手を振るほどです。
ここではオババに会うために何時間も走り、山中に入ります。山水画のモデルになったのはここ山西省と言われるくらい、中国でも山が多いのです。
そして車を降り、村を歩きます。都会は半袖なのに、そこでは白い息すら出ます。
テレビのディレクターなら「どういうアングルでいこうか・・」などと冷静に考えるのでしょう。
でも私の場合、「答」が欲しいのです。「世界はどうなっているか」という問いに対する・・
ですので皆さんに報告するという「仕事」は、その時どこかに吹っ飛びます。
いつも思うのですが、私には「村」の映像がありません。ビデオやカメラはバックの中に入っているので、それを出すことに気付かないのです。テレビならそこら辺から「絵になる」のにです。
そしてオババと対面した時点でトラさんの友達たちが協力し、映像が記録可能となります。
オババと対面中、私は非冷静状態に入ります。
その逆の冷静状態・・すなわち腕組みをして科学の目で見ようなどとしたら、「何しにきたんだい。わたしゃ、モルモットじゃないわい」と言われそうです。
オババが「状態」に入る時、見ている私も「状態」に入らないとダメなのです。
孫さんの教授は実にそれが上手いのです。科学者でありながら、孫さんが状態に入るときは、科学者でなくなるのです。
彼は新聞なんか読み始めるのです。でも背中の目(笑)は常に孫さんに向けられます。
それほど蘇生というのは、デリケートな現象です。

さて、オババのもとを離れ、車に乗り、村が見えなくなった時点で私は我に返ります。
それまでの時間を幸せかどうかと訊かれれば、本当に幸せなのです。過去も未来もないのです、その間は・・。
その間、論理的に間違っていることも、全て正しくなるのです。実は、それこそワダチだと思います。他人の介入や常識の介入は無意味なのです。
私は科学者でなくて良かったと思います。テレビのディレクターでなくて良かったと思います。
調査がうまくいこうがいくまいが、知ったこっちゃありません。私は私の人生を生きているだけですから・・。
その間の出来事がきっかけとなり、世界が滅びても、私は知ったことではないのです。その間、私は究極のエゴに生きています。
私が冷静さを取り戻してしまうと、オババも取り戻し(笑)、何かは失敗に終わります。
冷静になった途端、ワダチから外れます。善悪を考え、人格が顔を出します。
そして「すべてはうまくいっている」などと考えるようになります。
ワダチ・・それは運命に対する解釈ではなく、非冷静さではないでしょうか。
山西省最後の一日(2000/06/02)



いきなり写真からいきます。19個の電極を付けているところです。ゴムのバンドで固定されるから、結構痛いのです。さて、結果はこれです。



左側の三つが左脳です。右が右脳です。
この図形が持つ意味は、ソフトを作った彼らでないと分かりません。ブラックボックス化してあるのです。
さて、昨日の博士が解説をしてくれました。以下は言われた通り書きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
森田さんは右脳の方が発達しています。形象的な考え方に優れています。
右脳の状況から分析してみましょう。
右の真ん中の図形がトンネル的なのには意味があります。宇宙的意識が強いです。天と交信ができ、天から情報をもらえます。
ただし、長年の修練を積んでいませんね(笑)。修練を積むと波形が変わります。現象を起こせるようになるかも知れません。しかし宇宙からの情報がそのまま来続けるかどうかは分かりません。
さて、左脳を分析しましょう。森田さんの左脳は、一言で表すことができます。
昔、唐の時代の賢人は言いました。「知識は丸い方がいい。行動は四角い方がいい。」
脳波を見る限り、森田さんは、まさにこの言葉にピッタリです。幅広い知識を持ちながら、行動には個性があるのだと思います。当たってますか?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この研究室は、中国でも有名なのです。
私の前にいた中学生の男の子も脳象図を作ってもらっていました。学校から進路を決めるために行ってこいと言われたらしいのです。
彼は結構きついことを言われていました。数学的な思考力に問題がある・・などと言われてしまうのです。
スポーツ選手希望の人もここに来ます。中国は選手を国が養成するので、もともと素質があるかどうかがキーポイントになるからです。誰でもがスポーツにチャレンジ出来る日本は、やはり素晴らしい国かも知れません。
色々な人の脳象図を見せてもらった後、いよいよ孫さんのが出てきました。
はっきり言って、ほとんど目が点になりました。それほど他とはかけ離れているのです。
偶然かも知れませんが、右脳の図には太陽と月がくっきりと描かれているのです。線も私の図のように繊細ではなく、孫さんのはぶっとくなっているのです。
つまり脳波が一般の人のように、広い周波数帯域に渡って散漫に広がっているのではなく、ある特定の周波数にまとまっているのです。
写真を撮りたいと言ったら、自分以外のはプライバシーの問題があるのでダメだと言われました。

さて、午後は時空を越えて透視が出来るという女性に会いに行きました。
一応、村の風景も撮るために、彼女と外で写真を撮りました。



彼女は私を見ると次のように言いました。
彼女「以前、親が原因で貧乏になったことがありましたね。」
私「はい、父が借金の保証人になって・・・」
彼女「でも、あなた自身はとても金運があります。」
私「ふんふん・・」
彼女「結婚してから家族に不幸がありましたね。死亡したとか・・」
私「はい、長男を流産で亡くしました。」
彼女「これからの運命はとても良いです。あなたは運が強いです。52歳までに一回だけ災難がありますが、それも簡単に乗り切ってしまうでしょう。」
私「ふんふん」
彼女「ほかに聞きたいことはありますか?」
私「唐突な質問ですが、地球は不老不死になりますか?」
(こんな凄い質問を投げかけたのに、彼女は涼しい顔で答えました。)
彼女「なります。それもあと二、三年で大きな変化が起こり始めます。」
(訳しながらトラさんは「二、三年なんて、あり得ないでしょう」と言いました。)
私「それは人間の外部から起こるのでしょうか?それとも内部から起こるのでしょうか?」
彼女「人間の内部から起こります。既にそういう能力を持った超能力者も出てきているのではないでしょうか(彼女はこの時点で孫さんの蘇生の事実を知りません)。そういう能力を他の人も使えるようになるのです。しかし人類全体が一気に不老不死という具合にはいかないでしょう。そういうことに縁のあるほんの一部の人からスタートするでしょう。しかし同時になる可能性も捨て切れません。」
私「私たち今生きている成人も、このまま不老不死になる可能性もあるのでしょうか?」
彼女「もちろんです。私たち自身が、生まれ変わりの最後の世代になる可能性もあります。そうなると私達はこのまま死にません・・・」
実を言えば、二、三年と言われても、トラさん同様に私もピンときていません。

夜はシュワルツネッカーのような奴が部屋に来ました。彼は法術が出来るといいます。
具体的には、生卵をゆで卵にすることが出来ます。2分間で出来るそうですが、今日は時間が無くて(卵を用意していなかった)、次の機会となりました。



明日は北京に移動します。山西省、サイチェン

<補足>
脳象図の説明のところで「天から情報をもらえる」という表現があります。
この「天」とは、日本人が一般的に使う「天」とは違います。
この話が出ている時、私は『不思議の科学3』のために作った「天人合一の図」を博士に見せました。
すると「天とはまさにこの図に書かれているイメージです。天は、私たちの上に存在し、私たちをコントロールする存在ではありません。宗教家が言う天とはまったく違います。天とはまさにこの図に書かれているように、私たち自身のことです」と言っていました。
さらに「ですのでチャネリングで得る情報ではありません。この図を作る能力とも置き換えられます。」
さらに「この図は、森田さんの右脳の一番上の脳象図にそっくりですね・・」とも言っていました。

「縁のある人に不老不死が訪れる」というような表現を使いましたが、これは正確ではありませんでした。
「不老不死とか蘇生があるという事実を信じ、その修練をする人に不老不死が訪れる」というのが正確です。
ですので、外部からの運命のようなもので決まるわけではないのです。
とは言え、これは彼女のセリフであり、真実かどうかは分かりませんが・・。
私のレポートの中で、私は私の「問い」に重要性を置いています。
答などは対して重要じゃない。そう、思っているのです。

「不老不死を投げかけた一日」の書き込みから、私は変わりました。
何が変わったかと言えば、不老不死についての質問をするようになったのです。
質問をするということは、私の中で本格的に不老不死が動き出したのです。
私はあの晩、朝方まで寝られませんでした。
実はあれから、少し吐き気に似た感情を覚えているのです。孫さんの逆蘇生を見てしまった時のような・・・。
ランちゃん(2000/06/03)

ランちゃんの住む河南省まで出向くと提案したところ、彼女は4歳の息子と北京見物をしたいからと言い、わざわざ北京まで来てくれました。夜行列車で10時間かかるのにです。
さて、今回は新しい実験器具があります。指輪型小型カメラです。
葉を縮小再生させてもらうのですが、植物として一時はポトスを考え、それを用意しておいたのですが、脳象図を撮る病院で、もっと根付くと言われている葉を手に入れたので、それで実験しました。



写真の通り、葉は二つに切断しました。指には小型カメラを付けてあります。カメラには照明もついています。これをそのまま握ると下の写真のようになります。
どんなに握りしめても、超能力者の手の内を撮影できます。



ランちゃんは制服姿の時が多いです。制服マニアの私にとっては嬉しい限りです。
2人ともモニターを見ながらやっています。ランちゃんも、自分の手の中をモニターしながらやるのは初めてだと言っていました。
後ろにはスーツケースの上に花束があります。あれは昨日、時空予知超能力者からいただいたもので、大変に良い香りがします。部屋はその香りに包まれています。
「再生したわ」ランちゃんの一言の後モニターを見ると、そこには一つに再生した葉が写っていました。縮小行為はそのあと始まるのです。
数秒後に手を開くと、そこには20%ほどに縮小した葉がちょこんと乗っていました。
縮小葉が出来ると、今度はテレポーテーションの実験です。
前回は店で売っている薬ビンを使い、中に100個のも錠剤が入っていたので、どれがでたか、分かりませんでした。しかし、今回はビンの中に一粒しか入っていません。



うーーん、写真を見ると、けっこうナイスなポーズで挑戦していたのですね(さすがトラさん・・)。
私は専らモニター画面を見ていました。
今回は、かなりうまく撮影できました。
ガラスの壁面を通過している状態はなく、いきなり外に出現しています。そのスピードも(概略であれば)計算可能です。
そして最後は桃の促進熟成です。
私が持っている青い桃の一部を切り取り、彼女は一分ほどで赤く変えてしまったのです。



色々な写真に写った彼女と私の顔を見てもらえばわかりますが、とてもにこやかな雰囲気の中で行われました。
それが原因だと思いますが、すべての所要時間は30分ほどしかかからなかったのです。
実験結果は全て彼女に返そうと思っています。
マニアと流れ(2000/06/04)

自分自身に興味のある人は多いと思います。特に自分の成長に興味のある人は多いと思います。私はそれがあまりないのです。
いえ、ないというわけではありません。結果として起こってしまうのが好きなのです。
世界全体の捉え方が変わってきたとき、自分にも変貌が訪れます。そういう状態を望んでいます。
私はマニアという言葉が好きです。マニアはその対象を手段化していないからです。楽しむために楽しむのがマニアです。
このHPの人間関係も同じようなことが言えるのではないかと思います。
HPの冒頭に「楽しむだけに研究します」と書いてありますが、人間関係も「楽しいから付き合います」の方が良いのではないでしょうか。
最近、HP内での人間関係が話題になりました。
おそらく「気付くためにもう少し活性化しよう」という動きだったと思います。
上でも言ったように、私はどちらかと言えば、マニアの対象は外側にあります。外側の世界はどうなっているのだろうという問いです。
その問いの結果として自分自身への気付きが起こってしまうのです。
マニアに対して「そのやり方は間違っている、こうしなさい」と言ったところで、「好きでやっているんだ」という答しか返ってこないでしょう。
人間関係もそれと同じで「好きで付き合っているんだ」
HPもそれと同じで、「好きで見ているんだ」・・それでいいと思うのです。

話は変わりますが、昔、多摩川をタイヤを組んだいかだに乗って下ったことがありました。
上流の方は良かったのです。激流あり、滝ありで、まるで映画のワンシーンの様・・。
友達とギャーギャー言いながら下りました。
しかし下流に行くと、釣り人達がいたのです。それが物凄い数・・。
コントロールの利かないいかだは、釣り糸の方向に吸い寄せられるように行ってしまいます。
「バカヤロー、あっちへ行け」「ちゃんと許可は取ったのか?」「勝手にそんなことをしてはイケナイんだぞ」
凄い剣幕で怒られるので我々は、必死に手で漕いで、別の方向に行こうとしました。
しかしそういう努力をすればするほど、釣り糸に絡まるのです(笑)。
「これは、このいかだのワダチなんですぅ」もちろんこんなことは、言うわけありません。
結局我々はいっさいの努力を放棄し、いかだの上に寝てしまったのです(笑)。
どこからともなく「おーーい、方向を変えろー」と言う声が聞こえますが、しばらくするとリールを巻く音が聞こえ、進路が自動的に開いていきます。
我々が応戦体制にあったから、あれだけの軋轢が起こったのかも知れません。
空に浮かんだ雲が我々にゆっくりとついていました。その時、初めて流れを感じることが出来たのです。
孫さん(2000/06/04)

今日は、孫さんと会いました。念写についての一つの進歩をしました。
彼女が意識をして字を書くと、それが反転して念写されることはご存じと思います。それは左右の反転の時と上下の反転のときがあることが分かったのです。
さて、字を透視で読んだときはどうでしょうか。
紙に字を書き、それを孫さんに見えないように畳みます。それを彼女が手の中に握り、透視をします。その透視の結果を念写すると反転しないのです。
彼女が字として天目に書かない限り、反転しないのです。
さて、今日は面白い念写写真をお見せします。それは自画像です(笑)。
自念写像というのが正確な表現でしょう。
しかし、その写真はまるで証明写真の自動販売機で撮った写真の様でした。



でも、とても美人に撮れていると思いませんか?
著作権の関係で、カラーでお見せできないのが残念です。(デジタルコピーされない公開方法は無いものでしょうか。あればどんどん公開できるのに・・)

ところで今日は、山西省のトラさんと孫さんが初めて会って話をしました。
孫さんも田舎の出身なので、二人で不思議な話に花が咲いていました。
泥人形の踊りは、孫さんも見たことがあるそうです。泥人形の大きさは20センチもあったそうです。それは歩くのではなく、ピョンピョン跳ぶのだそうです。
あと、ヘビ女も見たことがあるそうです。とても美人なのですが、下半身はヘビなのだそうです(妙にエッチな気分になるのは私だけでしょうか?(笑))。
そんな話に花が咲いていると孫さんは、「私も山西省に連れていってよ〜。北京の研究室にいるだけではつまらな〜い」と言いました。
金魚おやじの話をすると、「森田さんがそんなに喜ぶと、今度は金魚じゃなくて、裸の人魚を出してくれるわよ〜。」なんて言ってました(笑)。
人魚とヘビ女・・どっちにしようか・・うーーん、悩むなぁ・・・
成田にて(2000/06/05)

とうとう日本に帰ってきました。
今回の旅は何だったのでしょうか。それは一言では、未完の調査とでも言いましょうか・・・。
例えば、ヘビをテレポート出来る人に会う予定でした。
しかし、彼はヘビを元いた場所に帰すのが下手なのです。
あるとき帰っていかないヘビに手こずっていたところ、見ていた人が咬まれてしまい、その人は死んでしまいました(不思議調査も命懸けです)。
それ以来、その技をやるのはやめたそうです。
「水をざるですくうことが出来るオババ」もいました。
彼女の村には前回、3月の時に行きました。しかし留守でした。
その後、彼女のところに公安が来ました。あまりに迷信的なことは社会不安を招くという理由から取り締まっているのです。
しかしオババは公安の前で実演して見せました。
それを見た公安は言いました。「おお、このオババは神だ!!」と。
オババは逮捕を逃れましたが、その後、彼女の行方を知っている者は、誰もいません。
うーーん、神に会いたかった・・・。そしてオババのパワー入りざるを売り出す予定でした(笑)。
それにしても何という発想の転換でしょうか。ざるは水を切るためにあるのに・・・。
オババにとってはちゃんとしたバケツが水を切るためにあるのかも知れません。それともざる一個が全ての目的を持っているのでしょうか?

私達は「××は××だ」という確信的先入観を持っています。
「俺は自由に発想が出来る」と言ったって、「俺は生まれていないから、死にもしない」とは、なかなか言えないでしょう。
しかし・・人は生まれて、必ず死ぬという前提が崩れつつあります。
生まれてはいないという仮説は、5月5日のグランドクロスの日に誕生しました。
そして私が公然と不老不死の質問をするようになったのは、5月の末でした。
2000年の5月に「生まれてもいないし、これから生まれることもないし、死ぬこともない」という仮説が全て誕生しました。
トラさんは、若くて美人の追っかけファン(マニア)が付くくらいの中国古代占い師です。
彼の占いは、例えば相性なら、何時何分に初エッチをしていつ頃どういう理由で別れるかというところまで出ます。試験ならその点数まで出るそうです。
その彼が「不老不死になるのは二、三年ではとても無理だ」と笑っていました。
しかし、不老不死そのものは笑いませんでした。
あらゆる科学は、人間が死ぬということを前提しています。
さらに「思えば何でも実現する」という精神世界論者も、死だけは思っただけでは免れないことを知っています。
それほど常識的な死・・・。死の恐怖から逃れるために、多くの宗教が発達してきました。その根底に流れるのは、絶対的前提とされている「死」です。
手塚治虫の『火の鳥』は大変に面白い漫画でした。不死鳥である火の鳥の血を巡って争いを起こします。
その「未来編」では、大変に長生きをする生命体が登場します。それは何にでも変身可能です。可愛い女の子に変身した生命体は、マサトという主人公を癒します。
私のイメージする不老不死の世界は、この生命体のイメージなのです。
現世での肉体や性を自由自在に変えることが出来ます。つまり両性ヘンゲなのです。
さて、主人公マサトは、『火の鳥』という10巻もあるストーリーの中で、初めて不死鳥の血を飲み(火の鳥が飲ませてくれて)、不死になります。
そして核戦争で滅びる地球の最後を見届けるのですが、やがて何億年もの時が経ち、再び人類が地球に現れます。
ここで一つの疑問があります。
火の鳥の血は、物理的な血なのでしょうか、それとも精神的な血なのでしょうか?

昨日、孫さん達と話したとき私は言いました。
「教授は蘇生を科学し、蘇生の機械化を目指していますね。それはそれでやってみるべきでしょう。私も興味があります。しかしもう一つの方法があります。孫さんが生きているうちに孫さんのやり方を他の人に伝えることです。マニュアル化してそれを保存するのも一つの方法ですが、なるべくそれを他の人に伝えることの方も重要だと思います。マニュアルで伝えられないことは口頭で伝えればいい。それは本当の不老不死に向かうための初めての試みになると思います。今すぐに花開かなくてもいいのではないでしょうか。日本では21センチの芽が出ましたし、大変に場が良いと言っていましたよね。日本は思想においては比較的自由であるし、日本に種を蒔いてみませんか?それに日本人はやり方が分かれば真似をするのは上手い人種ですから(笑)。」
孫さんと教授は大きく頷きました。この能力を誰もが出来るものとして伝えたい・・と、2人は言いました。
そう言えば、導師も「日本には種を蒔きに来たのです」と言っていました。
北京の女、シンセンの女・・お互いにこう呼び合っていましたが、陰と陽の中間体としての日本も必要なのかも知れません。
これで、もりけん中国雲遊を終わります。ありがとうございました。
書き込み期間:2000/5/23〜2000/6/5