テーマ:「中国諦め紀行2000.10(3)」
要旨:
黄色い大地と呼ばれる場所を訪れると、そこには全体で穴蔵生活をしている村がありました。
ところが、穴蔵の内部はとても素敵だったのです。ステンドグラスや切り絵などの作品まで飾られているのです。
私達を歓迎するための歌と演奏も披露してくれました。それも、とても楽しそうに。
穴蔵生活をしている人は貧民として見られがちですが、実はそこには私達が失った豊かさがあったのでした。
私は初めて密教寺に行きました。そして地獄の館に入った時、度肝を抜かれるほとびっくりしました。SMショウのごとき女性像がそこにあったのです。
さらに驚いたのは、人々が争っている場面が描かれた絵の隣に、「争いの出来ない人は涅槃に行けない、地獄にすら落ちる」と書いていたことです。密教では、極楽に行くためには争いさえも必要だというのです。
寺の中には、大笑いしている弥勒菩薩像がありました。日本の真面目すぎる菩薩像と正反対です。
ここでの善悪の概念は、一体どうなっているのでしょうか・・・。
密教では、善と悪、色と空、プラスとマイナス、両方ともが必要だとされているようです。
現在の中国の宗教人口は10%ほどですが、その中の90%が仏教徒で、残りの10%が道教です。仏教の中の90%が浄土宗で、残りの10%が密教です。
道教と密教のシェアは低いのですが、両者に共通しているのは、救われる教えを説かないことです。
お互い似ているところと異なるところを持った道教と密教に、私は非常に興味が出てきました。
目次
○黄色い大地(2000/10/21)
○密教の寺(2000/10/22)
○三蔵法師1(2000/10/22)
○人体奥秘展と古代の遺跡(2000/10/22)
○空海(2000/10/22)
○三蔵法師2(2000/10/22)
○中国の宗教(2000/10/22)
黄色い大地(2000/10/21)

 四駆で片道10時間かかる所に、黄色い大地はありました。
 中国の田舎に行くと、穴蔵を発見することがあります。まさかあそこに人は住んでいないよね・・なんて疑問に思っていました。
 聞くと人が住んでいるそうです。やはり中国も大変なんだなあ・・と思っていました。
 ところが今回はその穴蔵だらけだったのです。ほとんど村全体が穴蔵生活なのです。


 
 穴蔵生活などと聞くとみなさんも私と同様に、「中国も大変なんだなあ・・」と思うでしょう。しかしです。内部はとても素敵だったのです。
 土の壁かと思えば、ちゃんとセメントで作られて、内装もしてありました。しゃれたベッドまであります。
 ひょっとしてみなさんの部屋よりも素敵ではないでしょうか?


 
 そして入り口を振り返ると、そこには芸術がありました。窓はまるでステンドグラスです。



 一つ一つには切り絵が貼ってあるのです。それも写真のような素晴らしい作品です。



 もちろん可愛いお姉さんも住んでいます。
 これらの作品は、すべてたった一枚の紙から作られます。カッターなどは無くて、普通のハサミで作ります。


 
 この切り絵は文導師のマスターも得意でした。マスターが導師のために作った「教え入り切り絵」見せてもらったことがありました。
 さて、私達が行くことは三日前に連絡しました。するとそのために、わざわざ楽団が結成され私たちを歓迎するための音楽を演奏してくれました。
 真ん中の女性が歌っています。私達を歓迎する歌を即興で作って歌うのです。


 
 とにかくとても楽しそうなのです。
 私は子供の頃、洞窟があるとそこで遊びました。そしてそこに泊まる冒険をしてみたいと言って親を困らせたことがありました。それは実現しませんでした。
 ちょうどその夢をそのまま実現しているのです。
 穴はどこに掘ってもOKだと言われました。
 通常三つほどの穴を掘り、寝室、リビング、キッチンという風に使い分けます。
 子供部屋が必要になれば、その隣に掘ればいいのです(笑)。
 私は楽器を演奏してくれた人達にお礼として200元(約2000円)をあげました。
 すると案内人が言いました。「彼らは200元貰っても使うところが無い」・・と。
 案内人は何年か前、貧民を救済するという命令を政府から受け、ここに派遣されました。そして一年ほど活動しました。
しかし彼は分かったのでした。「ここは決して貧民ではない」・・と。
 黄色い大地・・それは家が無いからつけられた名称でした。
 しかし穴蔵生活という、外から見れば貧民としか思えない人々が、実は私たちが忘れ去った豊かさを持っていたことを・・・。

密教の寺(2000/10/22)

 初めて密教寺に行きました。寺は二つの部分に分かれていました。
 密教の概念を伝えるための場所、そして修行するための場所です。
 まずは密教の概念を伝えるための場所に行きました。
 密教は「密」という字がつくだけあって秘密主義です。文字に書いて説明してもらった紙は、その場で破り捨てられます。写真も断らないで撮るとフィルムを没収されます。
 私は概念を伝える場所で写真を撮っても良いかと訊きました。
すると「三枚なら撮っても良い」と言われました(なぜ三枚?)。
 
 まずは輪廻転生の時に現れる、あの閻魔大王の説明がありました。
 私達が想像する通り、閻魔大王は生前の行いを判断して地獄送りを決めているようでした。おお、怖い・・(笑)


 
 でも、地獄の館に行ってびっくり・・
 な、なんと、SMショウが繰り広げられているではないですか(笑)。
 色々なポーズで責められている女性像を目の当たりにして、私はあぶなく三枚すべてを使ってしまうところでした。


 
 この絵を見て「うん、地獄もまんざら捨てたものではない」などと思ったのは、私だけでしょうか(笑)。
 何せ鎖の巻き付き具合が妙にエッチです。しかもこの女性は両手が使えるはずなのに、なぜ自分で上に上げてしまっているのでしょうか?
 もう、悶えているとしか考えられません(笑)。
 
 次の写真は・・そうです。人々が争っている場面です。通常は地獄に落ちるべき人です。


 
 しかしその隣にはこう書いてあります。「もしも人と争っても、その刀を捨てれば涅槃の世界(仏の世界、極楽)に入ることができる。普通の人は争いをする決心すらできないから、涅槃に入ることはできない(地獄にすら落ちる)。」
 ああ、道教よりも凄いことが書いてありました。
「災害で死ぬ人は幸せ」・・どころではありません。密教では極楽に行くためには争いさえも必要なのです。
 つまり、善の道を突き進む菩薩道を極めると、地獄にさえ落ちる可能性があるのです。
 でも考えてみて下さい。地獄に落ちると、あの素晴らしい地獄が待っているのです。
 私はいったい善をしようか悪をしようか、迷っています(笑)。
 
 さて次の写真は何でしょう?(4枚目なので隠れて撮った。しかしこれで私も涅槃に行ける(笑))


 
 これは何と、あの弥勒菩薩なのです。日本に来るとき、いったいどこで入れ替わったのでしょうか?私は考えてしまいました。
日本の仏教は真面目すぎやしませんか?弥勒菩薩はオリジナルの通りではいけなかったのでしょうか?ばか笑いしていては、いけなかったのでしょうか?
 善悪の概念といい、何か変ではないでしょうか?
 
 さて、いよいよ修行場に行きました。そこの入り口には「涅槃場入り口」と書いてあります。おお、いよいよ来たか・・という感じです。
 まずは偉そうなおっさんの像がありました。彼は密教を伝えた人なのです。 龍樹という人です。


 
 ところで密教はいつ出来たのか、知っていますか?なんと、ブッダの死後1000年後なのです。それまではほとんど存在していませんでした。
 さて、涅槃場は金ぴかでした。


 
 とにかくあらゆるものが金ぴかです。貧乏人は密教には入れないのは、確かなようです。
 修行僧が食べるどんぶりまで金ぴかです。お鍋も金ぴかです。修行僧が持って歩く杖まで金ぴかです。目眩を起こしそうです。
 中には修行僧もいましたが、徳がある風には見えません。得はありそうです(笑)。
 撮影は全面的に禁止されているのですが、トラさんが「森田さんのカメラはフィルムが入っていないから大丈夫でしょう」などと呑気なアドバイスをしてくれたので、フラッシュをたかずに撮りました。
 


 これはブッダの像です。手をご覧下さい。これは明らかにエネルギー修行の手です。
 さらに隣の阿弥陀像も同様にエネルギーの手をしていたのですが、見張りが厳重でどうしても撮れず、後で私の手で撮りました。下の写真と同じ手をしていたのです。


 
 さて、いよいよ一番内部に侵入しました。そこには修行をするための秘宝が置いてありました。これは五輪塔といい、地、水、火、風、空、識を表しています。
 織とは、意識のことです。同様に色の意味でもあります。
 つまり密教では色と空は同居しているのです。しかも一番上が織(色)なのです。
 これは先ほどの争いに関する件と関係があります。道教における陰と陽のように、ここでもプラスとマイナスは両方とも必要なのです。


三蔵法師1(2000/10/22)

いたのです、三蔵法師は実際に・・。下の写真は三蔵法師を祀る寺です。
 修行僧をご覧下さい。道教にとてもよく似ています。袈裟など着て、エネルギー修行など出来ないからでしょう。


  
 下の写真は、三蔵法師が苦行しながら天竺(インド)に渡るところの想像図です。
 孫悟空はいません。彼ら動物達は架空だからです。


 
 下の写真は三蔵法師の略歴です。


 
 彼は13才で出家します。これは赤ん坊の頃に殺されかけて、僧に助けられ、寺が彼を育てたからです。
 しかし注目すべきは、紀元600年代にインドに行っていることです。
 彼はインドに行き、仏典をひっさげて中国に帰ります。そしてこの寺で般若心経に訳します。つまり、それまでお経は無かったのです。
 さらに400年後、つまり今から1000年前に密教が成立します。ということは、歴史はとても浅いのです。
 さて、三蔵法師の作った宗派は「唯識宗」と言います。織(色)しか存在しない宗派という意味です。これも意味深げですね。
 彼は織を9つの層に分けました。九識とは・・
 奄摩羅識(アマラシキ)・・・唯識宗 9
 阿頼耶識(アラヤシキ)・・・本当の仏の心 8
 末那識(マナシキ)・・・霊感、無意識 7
 六識(眼、耳、鼻、舌、身、意)・・・普通の人 1〜6
です。
 しかしこの唯識宗という宗派は、たったの二代で終わってしまいます。そして般若心経だけが残りました。
 前述の弥勒菩薩といい、善悪の概念といい、いったい何が本物(本物という概念すらおかしい)なのでしょうか?
 私達は平気で仏教を語りますが、それは数多くの人間の手によって作り替えられたのです。ですから逆に素晴らしいとも言えるのではないでしょうか?

人体奥秘展と古代の遺跡(2000/10/22)

 仙道は六千年前に出来たと言われてます(文導師よりの情報によれば)。
 トラさんが昨日言いました。
「森田さん、六千年前の遺跡がありますが見に行きますか?」
「それは興味があります。だって仙道が出来たころですから・・・」
 というわけで今日は古代の遺跡を見に行きました。
 ところが、チケットを買って中にはいると下のような物体が見えるではないですか。私達は何も言わずにそちらに入りました(笑)。
 だって入り口が女性のアソコの近くなのです。もう入るしかアリマセン(笑)。


 
 すると中には小さな庭園がありました。でもモニュメントにびっくり・・
 なんと女体(右)と男性器(左)があるではないですか(笑)。


 
 そして小屋があり、そこには下のような看板がありました。なんとそそる看板でしょうか(笑)。


 
 中には・・とくと写真をご覧下さい。


 
 実はここには出せない写真もあります。明らかに猥褻(わいせつ)に引っかかります。だってモロ出しの連続なのです。
 みんな何となく写真を撮ったりするのですが、「おお、お前はこういう趣味か」というのがバレバレです(笑)。
 おそらく日本でさえこれらの展示は無理だと思います。
 何が目的かサッパリ分からないのですが、古代の遺跡を見に来たほとんどの人が入っていたことは間違いありません。

 

 そんな生唾ごっくんを通り過ぎると、やっと目指す六千年前の世界がやってきました。
 下の写真は縦穴住居です。


 
 下の写真は貯蔵庫に何かを入れているイラストです。
 このような生活の時に仙道は始まったのです(導師の言うことが本当なら)。
 仏教はこれから四千年も後になります。そう考えると、やはり仙道はすごいです。
 ところで埋葬するための棺には穴が開いています。これは魂の抜け穴だそうで、当時から魂は死なないと思われていたのです。


空海(2000/10/22)

  
 それは田舎にありました。畑道を一時間近く歩き、やっと辿り着きました。
 唐の時代に日本人の一行が修行をした場所でした。


 
 中はまるで日本庭園を思わせました。


 
 日本仏教史に残る六家(空海、円行、円仁、恵運、円珍、宗督)はここで修行したのです。空海は中国でも成績抜群だったそうです。
 でも、ここではなく五台山で修行した霊仙と呼ばれる日本人の僧は、中国の仏教史にも残るくらいの天才・秀才だったそうです。
 霊仙は、中国語もインドの言葉も抜群でお経の翻訳にも加わり、しかもエネルギー技術においても凄い能力を持っていました。
 しかしそれをそのまま日本に持って行かれることに危機感を覚えた人達が、彼を暗殺してしまったのです(と言われます)。
 何事もほどほどにしないといけません。
 さて、話を戻します。この寺は、日本人僧の留学生が来なくなると潰れてしまいました。
 そして最近、日本の真言宗の人たちがお金を出して復活させたのです。ですのでこんなに日本的なのです。
 実は私の生まれた実家は真言宗でした。だからと言ってどうということはないのですが・・。
 空海が修行したのは密教でした。ですので、修行した部屋には下のようなエネルギーグッズが置いてありました。


 
 これは昨日、密教寺で隠し撮りした五輪塔(地、水、火、風、空、識)です。梵字は書いてありませんが・・。同様に石碑のてっぺんにまでこれがありました。


三蔵法師2(2000/10/22)

 下の写真に見える塔は、三蔵法師のお墓です。


 
 彼はこんなにも沢山の場所に行きました。赤い線が行きの道のり、緑の線が帰りの道のりです。


 
 そして下の写真のように荷物を背負って一人で旅をしました。


 
 三蔵法師の三蔵とは
1.仏(仏陀)
2.法(達磨)
3.僧(伽)
 という意味だそうです。この三つが揃っている人だから名付けられたのだそうです。
 さて、私は三蔵法師と言えば、白い馬に乗り孫悟空達を従えて、本人は結構呑気に旅をしているたと思っていました(だいたい実在の人物だと知ってビックリしたのですが・・・)。
 私は、あの悟ったような風体で白い馬に乗っているのが好きではありませんでした。
 でも今回中国に来て、三蔵法師のファンになりました。
 彼の生まれる前、お父さんはある人に殺されてしまいました。そのとき、お母さんのお腹の中には彼がいました。
 彼が生まれると、お父さんを殺した人は、彼も始末しようとしました。そして板の上に乗せて、川に放ちました。ドンブラコ、ドンブラコ・・
 彼はある所で僧侶に助けられます。
 彼のお母さんはお父さんを殺した人と一緒になり、その後もちゃんと暮らしました。
赤ちゃんの時に川に捨てられ僧侶に助けられた彼だから、きっと生きていく意味を知りたかったのではないでしょうか。
 苦労して育ったから、チベットの山越えが出来たのではないでしょうか。
 そしてたった一人で山越えをする時、動物が友達だったのだと思います。
 昨日も出しましたが、私は下の写真が大好きです。


中国の宗教(2000/10/22)

 今回ここで得た中国の宗教の話をしましょう。
 日本の場合は生まれた家が仏教の宗派に入っていると、そのまま冠婚葬祭でその宗派と付き合うことになります。でも中国ではそれがありません。
 葬式にお坊さんが来る必要はないのです。地元の方式に則って勝手に出来るのです。
 もちろん家に仏壇はありません。仏教に入っている人の家にも、仏壇はありません。
 仏教は先祖供養のためではありません。
 だから仏教に入るのは、それなりの主体性が必要です。
 現在、約90%の中国人は何の宗教にも入っていないそうです。たったの10%が宗教人口です。
 そのうちの90%が仏教です。仏教は中国では圧倒的な強さを持っています。
 中国では、仏教は大きく二つに分けられます。一つは浄土宗の呼ばれるもの、もう一つが密教です。
 浄土宗は、南無阿弥陀仏という念仏を唱えれば成仏できるという宗派です。極楽を死後の世界だとしています。この浄土宗が中国仏教全体の90%を占めています。
彼らは所属する寺にお布施をします。それは見返りも求めていると言われます。仏様からの慈悲です。良い事がありますように・・と祈ります。
 この場合の仏様とは仏陀のことです。日本は仏様と言えばご先祖様ですよね・・。
 残りの10%が密教です。密教は現世での涅槃(悟り)を目指します。瞑想を中心とした修行をします。
 極楽は自分の中にあるとしています。
「色即是空」とは、色と空は区別が無いという意味です(密教では)。色を否定し、空を目指すのでは涅槃に入れないとされています。
 この解釈は、非常に面白いと思います。日本での解釈は、色を否定するタイプではないでしょうか・・。
 色は織とも書き、意識のことです。意識と空は同居しても良いのです。
 エデンから出ていくことを肯定しているようにも感じます(ところで真言密教という宗派は中国にはないそうです)。
 さて、浄土宗と密教を合わせた仏教全体のシェアは90%だと言いました。
 残りの10%は何でしょうか。それは道教です。もちろんキリスト教もありますが、まだまだシェアは低いです。
 何と、道教は仏教の十分の一なのです。なぜ道教はシェアが低いのでしょうか。
 それは道教は世俗から独立する(つまりは反体制の)傾向があり、政府からの援助が少ないのです。
 それに引き替え仏教は、政府の言うことをよく聞きます。ですので政府はどちらかと言えば仏教を保護しています。
 でもそれは主なる理由ではありません。何と言っても、仏教の、特に浄土宗の「救われる」のが理由でしょう。
『不思議の科学。』に出てくる道教では、個人は決して外部から救われることはなさそうです。無為の世界などと、とても難解なことを言います。
 タオは、宗教になりにくいのです。むしろ哲学に近いとも思います。
 しかしです。シェアから言えば、道教と密教は同じくらいです。どちらも救われないからです(笑)。
 似ているようで似ていない道教と密教・・私は密教にとても興味が出てきました。
 下の写真は、ある密教寺での風景です。パンダのゴミ箱とツーショットです(笑)。


 
 ところで明日は移動日です。一日かけて中国を半分飛びます。