もりけん語録
テーマ:「時空ネットワーク論」
書き込み期間:2005/03/29〜2005/05/30/2005/06/13〜2005/06/14
要旨:
私は今、「問いって何?」という問題を考えています。まず、問いを持つのは自由意志でしょうか。「私は結果」であるなら、問いも時空から持たされていることになります。それなら何故、問いを発して運命変更をすることが出来るのでしょうか。問いも運命変更ももともと決まっているのでしょうか。
これについては仮説も何も掴んでいません。ただ私は、運命変更は本当にきちんと「変更」しているのではないかという感触を持っています。外側に物を置くことで変更が行われるのがその理由です。私達の運命は外側から変えられるとして、時空そのものの運命を変えるためには、時空の外側に何かを配置する必要があるのでしょうか。
ここで、時空をネットワークとして考えてみました。ネットワーク内では外側と内側の区別がなく、全てがネットワークの一員となります。誰かが問いを発すると、ネットワーク全体に波及効果が広がります。それは時空全体に変化を及ぼすことになると思います。
ただしネットワークに変化を与えるには、「私は結果」が前提の問いでなければなりません。人類はこれまで「私は原因」が前提の問いしか繰り返してこなかったため、運命変更が起こらなかったと考えられます。下位の問いが発せられるようになれば、世界は自動的に変わりそうです。

私の過去の仮説では、個と全体が別格に存在するという概念でした。しかしネットワーク仮説に基づけば、個がネットワークされたものが全体である、という概念に変わります。
しかしこうなると、原因の世界を突き止めるのは難しそうです。個々が全体に影響を及ぼし合っている世界では、原因を特定しにくいからです。
全体に問いを発すると答えが返ってきます。それは情報の断片です。全方位に問いを発することが、時空ネットワークの全貌を掴むことに繋がるかも知れません。
ネットワークの特徴の一つとして、個の行動が外側から決まるという点が挙げられます。個人の役割や希望よりも、全体にとって何が必要かが行動の基準になります。
もう一つの特徴は、ネットワークに繋がっていると、知らないうちに自分が他人に情報を伝達する役目を果たす、ということが起こります。例えば、株を占っている人の発した問いで、近くにいるバッタが飛んできて外応の役目を果たすようにです。
自分が発した情報は、誰のところを通過していくか分かりません。また自分のところにも、誰の発した情報が通過するか分かりません。つまりプライバシーを取り払わないと、ネットワークからは切り離されるのではないかと思います。

インターネット網的視点から、運命を考察してみます。
メールを送信する時、通常のポイントが不通になった場合は別のポイントに切り替えられます。運命変更も同じように説明できると思いました。
各ポイントは決まった運命の上で起こる出来事です。従来通るべき道を切断して別ルートに切り替えるのが、運命変更なのではないでしょうか。
ただし途中経路が変わっても、いずれは最終ポイントに辿り着きます。しかし人生とは途中経路のことなので、途中経路に変更がかかれば人生が変わったことになります。
とは言え、インターネットの場合はある箇所を爆破してもネットワーク全体には支障が出ないシステムになっています。これが運命にも当てはまるとすれば、一人が(あるいは人生のある一部を)運命変更しても、全体にまでは影響しない可能性もあります。

ネットワークの特徴をさらに押し進めると、ネットワークに繋がっているということは、自分は常に他人のために存在しているということが言えます。孫さんは豆を蘇生させることが出来ますが、自分で自分を蘇生することは出来ません。豆もまた、自力で蘇生することが出来ません。
私は幸せを自動操縦に任せていると言いましたが、ここから非常に面白い仮説が浮かびました。私達の運命を、自動操縦の飛行機に喩えます。行き先を変更したい場合は、外側に信号を発して、他の飛行機に向きを変えてもらいます。なんと自分のエンジンで自分の進路を変更することは出来ないのです。自分のエンジンは、他の飛行機の進路を変更するためにあるのです。
私以外の環境が私の運命を決定しているとすれば、「私」とは私以外の部分の空洞なのです。何も無い「私」を知るには、外側を測るしかありません。これは「私は結果」の別の表現でもあります。
ネットワークに繋がると、空洞の「私」の中に線が通ります。双方向通信をすることで外側の何かが変われば、「私」が変わるのです。ただし、ネットワークの回線には誰もが繋がっているわけではありません。直前までは配線されていても、繋ぎ方が分からない状態です。
繋ぐための一つの条件が、「私は誰でもない」という概念なのではないでしょうか。そして線を繋ぐための鍵、すなわち自由への一歩は、私達が握っているのではないか・・というのが私の仮説です。
目次
○ 問いって何?・・という問い1
○ 問いって何?・・という問い2
○ 問いって何?・・という問い3
○ 問いって何?・・という問い4
○ 問いって何?・・という問い5
○ 慶応大学の入学式から学ぶもの(笑)
○ ネットワーク的会社経営の視点から
○ 我々は情報ネットワークの投影にすぎない
○ 時空のネットワーク・・・コンビニとの関係
○ ネットワークに中心点はない
○ ネットワーク探査とレーダー
○ 見えない敵、それは「ネットワーク」
○ 二つのネットワーク
○ 全二重通信方式か、半二重通信方式か・・・
○ 全二重通信バリバリの世界
○ 半二重のススメ
○ キャリア
○ 時空からの通信は簡略化している
○ 時空のネットワークは「固定的」ではなく「浮遊的」ではないか
○ プライバシー
○ ネットに公開されるレポートは、運命変更システムと似ている
○ 一生運でも、卦は一個しかない理由
○ 卦が一つでの運命変更
○ ネットワークにおいて運命を変える一つの要素は「情報」
○ 時空は、「不連続」を「連続化するソフト」を動かしているのではないか・・
○ 十二支の変化と四季の変化
○ 結果の世界を積み重ねても、原因の世界は見えないのではないでしょうか
○ 六爻占術は、着ている服を全部脱がせる占術
○ 六爻占術に「科学」が残っていたら、それはまだ削ぎ落とし切れていない・・
○ 運命を「インターネット網的視点」で考察する
○ 全ての人は他人のために存在している
○ お互いがお互いに勝とうとしている世界では、蘇生は起こらない
○ 人は他人のためだけに「存在」する・・しかし他人のために「行為」してはいけない
○ 「OR方式」と「AND方式」
○ グレイゾーンを保持する
○ ANDでもなくORでもなく
○ 向こう側に拡大する「私」
○ 地方局の逆襲(笑)
○ 時間系と空間系
問いって何?・・という問い1

このところ私にとっての大きな問いは、「問いって何?」というものです。
だからこの書き込みには、仮説もありません。全く何も掴んでいないからです。
コインを振るためには、問いを持たなければなりません。
しかし「私は結果」です。結果である私が問いを持ったとすれば、問いすらも、もともと決められていたことになります。
それで運命変更したところで最初の発端は「私の問い」ではないので、私が運命変更したわけではなさそうです。
時空が私という肉体を使って、勝手に問いを発し、勝手に運命を変えただけ・・
つまり私というのは、マシンと同じです。
『運命を変える未来からの情報』では、励起パルスという仮説を出しました。
時空側から「問わないの?」という問いかけがあるというものです。
もしもこれが正しいとすれば、「私」に選択権があるということになります。
選択するかどうかが「私」にあれば、それは「私は原因」となります。
問いって一体、何でしょうか?

全てが「結果」なら、運命を変えることは不可能だとは思いませんか?
しかし『運命を変える未来からの情報』という本によれば(笑)、問いを発することで運命変更が可能です。
だとすれば問いは、運命の流れには入っていないことになりそうです。あの本を書いていても、この部分だけは納得がいかなかったのです。
時空から「問わないの?」という励起パルスが降りてきたとしても、「私は結果」ならば、全ての励起パルスに反応しなければなりません。
なのに問う人と問わない人が出てくる仮説(励起パルス仮説)は、いかがなものでしょうか?(笑)。
下條さんの研究によれば、自発的なパルスは存在しないそうです。自由は幻想だと言います。だとすれば、励起パルスを選別することすら矛盾します。
もちろん答えを早く出す必要はないのですが、一度この問題にチャレンジしても良いのではないかと思いました。それで何の仮説も得られていないまま、今書き込んでいます(笑)。
えーん、仮説がまったく無い書き込みです・・(泣)
問いって何?・・という問い2

昨日のレスの中で、以下のが面白かったです。その部分を掲載します。
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もりけんさんの場合は、自我の目覚めと同時でした。自我とは自他の意識ともいえると思います。自他の意識とは・・時空に対する自他ではないかと思いました。つまり、それまで時空と一体であったのが、個として分離し、それを意識したのが、もりけんさんにとっての自我の目覚めではないかと思いました。
時空と一体とは、エデンにいる状態です。それが、知恵の実を食べてエデンの外に出たのが、自我の目覚めではないかと思うのです。だから、もりけんさんは、自我の目覚めと同時に、「私は誰?」「神(時空)って何?」という問いを持ったのではないかと思いました。そして、ほとんどの人は、もしかしたら、まだ自我が目覚めていないのかもしれません。下位の問いを持たずに上位だけで生きている人というのは、運命のわだちにがっちりはまった状態です。それは、ある意味、時空から分離していない、一体であるからこそ、問いを持たないのかもしれないと思います。
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この仮説によれば、人類のほとんどはりんごを食べていないということになります。しかしこの視点はかなり斬新だと思います。
人間の脳は90%以上が使われていないと言われています。その部分が、「問い」を司るのかも知れません。
今日は雑誌『ミスティ』の取材がありました。そこで「問い」の話をしました。
でも「問い」が人生を変えるということを、ミスティの記者はなかなか理解できずにいました。
通常は占い師や占い雑誌に対して、アドバイスを求めるからです。つまり「問い」ではなく「教えて下さい」という「依頼」になるからです。
カリフォルニア工科大学の下条さんも、下位の問いを持った状態の人の脳を測ったことがないのかも知れません。そこには自発性のパルスを発見するかも知れません。
だがしかし、以上の仮説は証明するのが難しいです。
問いはどこからやってきて、どこに行くのか・・・
問いって何?・・という問い3

今回もある人の書き込みに気付きがありましたので、引用します。
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励起パルスがある場合は、パルスを受信するセンサーにフィルターがかかっているかいないかで、パルスを受信できるかできないかが決まってくるのではないかと思いました。
たとえば、人間の耳で考えてみます。
人間の耳は、約16ヘルツ〜1万6000ヘルツぐらいまで聞き取ることができるそうですが、言語によって優先的に使われる周波数(パスバンド)が決まっているそうです。
日本語ですと、125〜1500ヘルツ、英語ですと2000〜1万2000ヘルツ。
ずいぶん違います。
そして、このパスバンドは、生後11歳ぐらいまでに基本的な聴覚としてできあがってしまうそうです。
日本人は、日本語の周波数が低いために、英語のような高周波は雑音として処理されてしまうそうです。
だから、英語がなかなか聞き取れない。
つまり、125〜1500ヘルツ以外の周波数、特に高周波に関してはフィルターがかかった状態といえます。
それは、日本語を使う環境に生まれた結果であるといえます。
しかし、フィルターの獲得は結果とはいえ後天的なものであって、英語やクラシック音楽などの高周波に耳を慣らすことで、フィルターを外すことが可能です。
フィルターが外れれば、以前は雑音として処理されていた音を聞き取ることができるようになります。
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さて、この仮説でいけば、励起パルスを受信できる人とできない人がいても良いという説明が付きます。しかし今回問題提起するのは次の点です。
励起パルスにしても、誰が受信できるかは、もともと決まっているという可能性が強そうです。だったら何故、運命変更したルートが年運に現れてこないのでしょうか?
運命変更が決まっているとすれば、それらも全て年運に表れないといけません。しかしそうでないときの方が多いのです。
もしもどこかに1%でも「自由意志」が存在すれば、それで説明が付いてしまいます。
たった1%であってもそれが「自由意志」ならば、運命に織り込まれないからです。
しかし「自由意志」を肯定してしまうのは、あまりにイージーです。
そうかといって、年運の問題を説明する方法がありません。
またもや、仮説がない書き込みになってしまいました。
問いって何?・・という問い4

ある人は次のようにレスしていました。
「もりけんさんの場合も、時空がご自身をなんらかの形で脅かす存在となったときに、時空についての問いを発しているのではないかと思います。自分という存在自体に影響を与えない問題が起きても問いにはつながらないと思います。」
私の場合には高校生の時、物理の時間に黒板に書かれた方程式を見ている時に、下位の問いが訪れました。「これは誰が作ったのだろう・・」
ふわっと浮いたように感じ、次の瞬間は暗黒の宇宙でした。そして方程式の列がどこまでも続いていました。
その時の私は、何にも不満はありませんでした。何かに脅かされている感じもありませんでした。もしも何かに不満を感じていたり、脅かされていたら、この手の問いは持たなかったような気がします。
しかしそうでもないとも言えます。7億円の借金の時、私は借金の側の問いは持たなかったからです。相変わらず下位の問いに占められていました。

別の人の書き込みには、盲師派推命占術の件が載っていました。運命の大河は、決まっているのではないかというものです。
しかしまだ情報は少ないですが、四柱推命で出た結果を完璧にくつがえす変更を、六爻占術ではやってしまう時があるようです。
「不完全」が問いの原因ではないかと書いた人もいました。でも私が高校の時に持った問いは、「不完全」だから生じたのでしょうか?
私の問いの原因は好奇心だと思います。不完全→好奇心とは、どうも考えにくいのです。
なぜなら好奇心の元は「やってみなければ分からない」からです。不完全か完全かは、一度やってみてから出る感覚のような気がします。
でも不完全が上位の問いを作り出すのは、何となく分かります。
また「運命は決まっているけれど、卦に出さない」という件ですが、トラさん自身が「年運のどこにも出てこない」と言うとき、その事象は別の事象で置き換えられていたわけです。空白の年運ではないわけです。
そうすると、「出てこない」あるいは「出さない」というのがピンときません。

さて、私は運命変更はちゃんと「変更」しているのではないか・・と、いう感触を持っています。
運命の変更が「外側」に置いたグッズで行われるというのが、私にとっては「ちゃんと変更しているんだ」というイメージにさせられる要因です。
この宇宙は内側からは変えられないけど、宇宙の外からなら、変えられるような気がするからです。神が私達をコントロールできるかも知れないと思うのは、神は私たちの外側にいると考えられるからです。
個人の運命を小宇宙だと考えれば、その外側に何かを置けば変えられそうだからです。
しかしそれがもっと大きな世界から見れば「全て決まっていた」という風に取れる可能性は否定できません。ところがもっと大きな世界を、私達は見ることが出来ません。
一体、どうなっているのでしょうか・・・。
問いって何?・・という問い5

昨日は運命変更グッズを外側に配置するという話を書きました。では時空そのものの運命を変えるためにも、外側に何かを配置しないといけないでしょうか?
私は、時空をネットワークのようなものだと考えています。
死ぬ運命にあったお父さんがウサギ8匹で助かりました。もしもウサギ8匹も生かすためにウサギの外側に何かを置いていたら、ウサギも助かったかも知れません。
アメリカの失業率が増加したというニュースが流れると、日本の株価が下落したりします。アメリカの失業率など、知ったことではないのにも関わらずです。
株式市場が開始された当時は、たぶんこんな事はなかったと思います。
ネットワークが組まれるようになると、「外側」が自分達に影響を与えるように思われます。しかしネットワークの世界では、何が外側なのか、よく分かりません。
ネットーワークに組み込まれたものは、全部内側と考えるのが妥当です。
バッタが飛んできて、それが株価そのものの動きを表したとき、バッタは外側とは考えづらいです。バッタがネットワークの一員ということなら、納得できそうです。
そしてネットワークそのものが時空だとすれば、ネットワークが変化することは、時空そのものが変化することにならないでしょうか・・・。

話を問いに戻します。
誰かの問いが発端となり、運命の変更がされた時、その波及効果はネットワーク全体に広がるでしょう。それは時空が少し変化したと考えられると思います。
しかし問いには、ネットワークに変化を与えないものと、変化を与えるものがありそうです。
おそらく人類の歴史において、変化を与えない問いが繰り返されてきたのです。それはおそらく、「私は原因」という前提のもとにされた問いだと思います。
ところが「私は結果」という前提のもとになされる問いは、その問いからして、ネットワークに影響を与えるような気がしてなりません。
「私は原因」と「私は結果」の問いには、本質的な差があります。
「私は原因」には私という個を中心とするハイアラキーの感じがして、「私は結果」にはネットワークの感じがするからです。
もしもネットワークならば、世界を変えようなどと思わなくても、自動的に変わりそうです。
慶応大学の入学式から学ぶもの(笑)

今日は娘の大学の入学式でした。それがヒントを与えてくれそうなので、他のコーナーに書き込んであったものをコピーします。
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入学式報告
学長(本当は塾長と言うらしい)は「自由・平等・独立」の三つの言葉をもとに、新入生の挨拶をしていた。
学長は福沢諭吉だけを「先生」と呼び、あとの先生は君付けで呼んでいた。
私自身は、自分の講演会のあとの懇親会などで「先生」と呼ばれるときがあるが、そのたびに否定している。
もしも福沢諭吉が生きていたら、同じようなことをするような気がする。ましてや自分だけを先生呼ばわりすることは、ないと思う。
福沢諭吉が「先生」なら、他の教授も先生と呼ぶべきである。
それがなされないようならば、自由と平等は、すでにない。
会場の後ろの来賓席には、ちょうど50年前の卒業生が1000人もいた。当時2000人くらい卒業したらしいので、半数が出ていたことになる(小林亜星もいた(笑))。
その1000人が入ったために、新入生で会場に入れなかった人も出た。
学長は言った
「君たちは慶應義塾に四年間入ったのではありません。一生入ったのです。それは後ろにいる人たちを見ればわかります。君たちが社会に出たとき、慶應義塾の先輩たちが君たちをバックアップしてくれるのです」
ここで「自由・平等・独立」の最後の単語、「独立」が吹き飛んだ・・・
そんなにコネが大事なのかい??
妻の隣の女性は、感動して泣いていた・・
しかし・・・私の隣の女性は、せせら笑っていたのだ(笑)
しかもキーセンテンスを手帳にメモしている(笑)
「君たちは慶應義塾に四年間入ったのではありません。一生入ったのです」・・これをメモしながら、笑いをこらえているのがわかるのです(笑)。
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ネットワークがちゃんと成り立つためには、平等である必要があると思います。一人だけが「先生」呼ばわりされるような世界は、ネットワークにはならず、ハイアラキー(縦割り)になると思います。

さて、SFC(湘南藤沢キャンパス)というところがどうして出来たか、詳しい経緯は知りません。風の噂では、日吉の旧体制に反旗を翻した教授たちが、飛び出して作ったと言われています。
娘がオリエンテーションで貰ってきた資料を見ているうちに、「ネットワーク」という単語が浮かんだのです。そして昨日、「ネットワーク」というテーマの書き込みをしたのです。
SFCでは授業の多くがサイバー化されて、構内に無線LANが張り巡らされて、どこからでもアクセス可能です。それは「フリーアクセス化教室」と呼ばれているみたいです。
昼休みは20分しか無いですが、大半の授業は飲食可なので、食べながら授業を受けるみたいです。
今日はそちらの学部長も挨拶しました。
「SFCはネットワークの面では日本一だと自負していますし、これからは最先端のデジタルキャンパスを目指しています。」
日本で初めてAO受験を始め、全く違う視点から人を取るようになったSFC・・。
日吉と何かが違う・・(笑)。
50年前に卒業した1000人の人たちを入学式に呼んだのは、「縦の繋がりとしてのネットワーク」です。
こういうネットワーク今までも沢山ありました。「学閥」というヤツです。それは常に、「過去」との繋がりでした。パソコンの記憶領域に例えれば、ディスクです。
願望を持ち上位の問いを投げかける世界は、ディスクの側のネットワークだと思います。
しかしSFCの側は、メインメモリのような気がします。リアルタイムな「今」を、ネットワークとして勝負している・・。
SFCのAO受験が面接(メチャクチャ厳しい面接)のみだというのも、「今」が勝負だからではないでしょうか・・・。
話を問いに戻します。
日吉の側で問いを発しても、せいぜいその教室止まりでしょう。
しかしSFCの側で問いを発すれば、一瞬でデジタルキャンパス全体に広がってしまう可能性があります。時空のネットワークというのは、そういうものだと思います。
そうだとすれば、決められている運命を壊せるのは、そういうネットワークだと思います。
文章の冒頭では慶応をけなしましたが(笑)、縦横両方のネットワークを持つのは、凄いことかも知れません。
ネットワーク的会社経営の視点から

日本的経営は、広義のネットワーク型であると思います。何故「広義」と付けたかといえば、目に見えないネットワーク(精神的ネットワーク)だからです。
「あうんの呼吸」も、広義のネットワークの為せる業だと思います。
末端のはずの社員が頂点のはずの社長の身になって動くことが、日本の企業ではよく見られます。でも欧米でこれをやると、権限超過になってしまうのです。
なぜなら、「個」には決められた領分というのがあるからです。しかし日本では「個」を超えて動くことがしばしばあります。
NHKのプロジェクトXなどでは、「個」を超えて全体の利益のために、相当な困難を乗り越える話などが出てきます。それも影で動くとか・・・(笑)。
「個」から「全体」に移行するためには、精神的ネットワークが必要です。それは自分のいる位置からの視点だけではなく、社内の多くの視点から見るということです。
そのためには、会社は今どういう状態にあり、どういう事をすれば全体のためになるのかを常にチェックする必要があります。
これは、一般的なネットワークと同じだと思います。
その中では、他の社員に問いを発すると同時に、おそらく自問自答もしているのです。そして日々、情報を新たにしているのです。

この視点からすれば、ネットワーク型の企業で働く人間は、自分の行動する内容が、「外」から決まるのです。幾つかの行動指針を考え付いたとして、その最適値を選ぶのは、「外からの情報」だからです。
自分がこれをしたいからではなく、全体にとってこれが必要だから、それを選ぶのです。
親鸞の言葉を借りれば「他力」かも知れません。
反して自力の人は「これが俺のオリジナリティだ」などと言って自己主張を始めます(笑)。
「他力」をうまく機能させるには、トップは力がない方が良いのです(笑)。
その代わり、ネットワーク的にうまく機能させるために、情報をどんどん出せる人でないといけません。
日本人は個がないと批判されますが、ネットワーク的ならば当然のことです。
話を問いに戻します。
欧米ではハイアラキーなので、一つ上の上司にだけ問いを発していれば済みます。
しかし日本では「全体」に問いを発する必要があるのです。
それが拡大されれば、時空への問いになっていくと思います。
我々は情報ネットワークの投影にすぎない

『運命を変える未来からの情報』では、『「個」と「全体」の融合』という言葉が使われました。
その概念でいけば「個」とは別格に「全体」があるのです。だから全体に融合するためには、個を消滅させるような感じすらありました。
宗教の多くはこの手法を取っていると思います。個を落とせ、エゴを消せと・・。
DVDブックでは、『個と全体の通信』という言葉が出てきました。
融合して一つにするのではなく、通信をしてお互いに一つになるというものです。
いずれも個とは「別格」に全体がありました。
しかし今回ネットワークという概念が登場して、個とは別格に全体というものがあるという概念がなくなりつつあるような気がします。
つまり全体とは、単に個がネットワークされたものであるという概念に変わったわけです。

しかしネットワークという概念だけでは、六爻占術で未来が分かるということが、いまいちピンときません。
ネットワークというのは、SFCのように単に教員と生徒を繋いでいるというだけの概念があるからです。
未来から情報を持ってくるためには、ネットワークは過去から未来に至るまでがネットされていなければなりません。
個と個のネットは分かりやすいですが、未来や過去には個はないと思います。
いったい何をネットしているのでしょうか・・・
ここで視点を変えてみます。個のネットではなく、仮想のネットの方がホンチャンと考えてみます。
実態が無いものをネット出来るかといえば、コンピュータネットがまさにそうだと思います。扱うのは情報ですので、実態があるわけではありません。
もりけん生放送をオンディマンドで見ることが出来ますが、私がそこにいるわけではありません。
このHPに書かれる情報も、書き込まれた情報には実態があるわけではありません。勝手な経路を通って、他の端末に勝手に呼び出されていくだけです。
このような情報ネットワークが時空ではないでしょうか・・・。
そして私達の「個」は、その投影というわけです。
ネットの情報が書き換えられれば、こちらの「個」が変るのです。
うーん、なんか、すごい仮説だ(笑)。
時空のネットワーク・・・コンビニとの関係

1999年の11月に、コンビニについての書き込みをしてありました。それを再掲します。
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コンビニと道教(1999/11/30)

コンビニには個性がありません。
私達は個性を持てと言われ続けてきました。あなたは、この世でたった一人の掛け替えのない人なのよ、と言われてきました。
あなたにしか出来ないことをやりなさいと言われてきました。
そんなあなたが、街を通り過ぎます。個性的なブティックが並んでいます。
「あなたの趣味を決めてから入ってね」という無言のメッセージが聞こえてきます。
「目的を決めて人生を生きなさい」という、いつものメッセージと同じです。
でもあなたは、ふとコンビニを見つけます。そこには個性がありません。
全ての目的があるということは、目的が決まっていないことと同じです。
あなたは、何か安心感を覚えます。演出した何物をも感じません。
人は中和をするために、コンビニに行きます。個性というものの、中和を・・
人は元々コントンとしています。
宇宙創生の神、コントンに五官を付け個性化したら、7日間で死んでしまいました。
コントンは、個性のないコンビニに似ています。道教の神髄は、コンビニにあります。

時空はコンビニ(1999/11/30)

コンビニには360°の可能性があります。これは個性が無いことの裏返しです。
私は東京では唯二だった村の出身です。東京都西多摩郡日の出村です。
その村には中学は二つしかありません。1学年60人、全校180人でした。
私はその中学で、一度も一番になったことは、ありません。
オール5なのに・・です(笑)。
でもわざわざ中学のことを書くのは、理由があります。それは高校受験を前にして、担任の先生が進路指導のための家庭訪問に来たのです。私は隣の部屋で偶然その会話を聞いてしまいました。
先生は言いました。「健君は、もっと勉強すれば一番になるし、高校も一番のところに行けますよ。健君は、クラブ活動などの勉強以外のところに興味があるように見えます。」
その時父が言いました。「山が高くなるには裾野が広くなければいけないでしょう。今は裾野を広げることが大事です。一番になる必要はないでしょう。なればそれで終わりです。」
担任は「それは、そうですが・・・若いときしか勉強できないし・・」などと、歯切れの悪い応戦をしていました。
その頃私は科学天文部というのを勝手に作り、夜、生徒(女生徒もたくさんいた)を集めて、活動(何の?)をしたりしていました。
家に帰るとアマチュア無線に呆けていました。
結局私は十何校の高校の、真ん中くらいのところに行きました。
三年の頃、学園紛争なるものが勃発し、私はスト派になり、毎日授業ボイコットの活動を続けました。
半年ほど経った頃、父が言いました。「社会に対する気付きが、俺より早いな・・しかし、勉強よりもこういう事の方が大切なんだ・・。」
父の自慢のような話になりましたが、父が亡くなったとき、私が彼に言った最初の言葉が、「あの、山の話をありがとう」でした。

山を高くすることは、専門分野を伸ばすことです。個性化を意味します。
デパートは、当時、非個性化で始まったと思います。ところが時代が個性化に向かい始めました。そこでデパートも個性を出すようになります。
そして「違いが分かる男のコーヒー」・・の時代になります。世の中が細分化を始めます。
しかしある時、突如として登場したのがコンビニでした。
コンビニには突出した部分がありません。山の裾野だけで成り立っているように思います。
可能性だけの世界・・コンビニ。360°の世界・・・コンビニ。
私は恥ずかしい事があると、コンビニに行きます。恥ずかしい事とは、自分の個性の飛び出た部分です。それを感じた時、コンビニに行くとホッとします。
すると、たった一分でも、まるで二時間も瞑想したような効果があります。
私は体外離脱したとき、喋るドアと遭遇しました。そしてドアに言われました。
「子供の頃には360°の可能性があったでしょう」と。
今、父が生きていたら言うでしょうか。「もう裾野は終わった。そろそろ山を高くする時期だ」と。
いえ、言わないような気がします。「お前は一生、裾野でいいんだ。」たぶん、こう言うでしょう。

私はものの見方を転換するのが好きです。それは裾野の、もう一方の側を作ることなのです。
裾野を広げ、色々な位置に望遠鏡を置いて見ます。すると別の世界が見えるのです。
この宇宙は・・・いえ、時空は、大きなコンビニなのです。
時空のコンビニも、360°の可能性があります。時空のコンビニも、24時間、開いています。そして時空のコンビニにも個性はありません。
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さすがに1999年の書き込みをアップするのは、恥ずかしくて勇気が要ります(笑)。

今回コンビニについて書こうと思ったのは、コンビニがネットワークを使っているからです。
コンビニではどの商品が売れて、どの商品がダメなのかを、購入者別に統計を取っています。そして売れる商品を前面(客が取りやすい場所)に置きます。
つまりコンビニには個性がありません。
私が何かを買えば、その情報はコンビニのネットワークで計算されて、次の客のための品揃えのデータとなります。
つまり「外部」によって「動かされている」のが、コンビニです。
もちろんコンビニには「本部」という「サーバー」が存在します。しかし本部のサーバーが単に方程式だけで動いているとすれば、時空と似ていると思います。
そのネットワークは、一つや二つのコンビニが潰れようと、知ったことではありません。全体が生き残ることが優先されます、
まさにコンビニの一つが、時空における人間ではないでしょうか・・・。
データを取るだけなのです。
株式市場のネットワークよりもコンビニの方がより近いのではないかと思い、今回、書き込んだわけです。
しかし、そこから何が出るか、まだ自分でも分かりません(笑)。単に問題提起にすぎません。
ネットワークに中心点はない

コンビニの中に売っているものは、一品一品を取り上げれば個性的だというレスがありました。確かにそうだと思います。
しかし一つのコンビニ店全体という視点からすれば、他の専門店よりもずっと個性は減ります。それがなぜ起こるかと言えば、打ち消し合うためだと思います。
エロ本の隣に乾電池が売っていれば、それだけで打ち消されます。
ウイスキーの隣にハーゲンダッツが売っていれば、それだけで打ち消されます。
打ち消し合うということは、時空が行ってきたことだと思います。
男がいれば、女がいました。キリスト教があれば、仏教がありました。Mがいれば、Sもいました。平和があれば、戦争もありました。
時間と空間を遠くから眺めれば、多くの事が打ち消し合っていると思います。
なぜ一方だけに偏らないのか・・・それはたぶん、方向性が生まれるからだと思います。
方向性が分かると、何故いけないのか・・・ユーザーに飽きられるから(笑)。
個性的な店のネックは、「飽きられること」だと思います。個性的なほど、飽きられます。
だから味に個性のないご飯は、飽きられません。
「なーんだ、時空はやはり、世界平和を目指していたのか」ということが真実だと証明されると、時空はたぶん、飽きられるのも早いです(笑)。
だからコンビニは、飽きられません。そういう意味では、コンビニ的女や、コンビニ的男になると、飽きられないかも知れません(笑)。

さて、ネットワークの話は、SFCを知ったことが発端でした。
SFCのネットワーク見取り図を見ると、ひとつの教室に三つも四つもアンテナがあります。
そこにパソコンを持ち込んで無線LANでつないだ場合、自分のパソコンが一体どのアンテナに繋がっているか、知ることは大変そうです。
これがネットワークが持つ特徴の一つだと思います。
電波の発信点を調べようとしても、あらゆる方向から電波が来ていて、一体どこから発射されているのか、分からないような状態です。
原因の世界を調べようとしても、同じことが起こるでしょう。
原因の世界も結果の世界も、同じネットワーク上の出来事かも知れないからです。
ある人が「HPでも与えられたテーマにそってレスを返し、もりけんさんの不思議調査によってあがってきた六爻占術を勉強する日々です」と書き込んでいますが、私の書き込みだって、みなさんの書き込みの影響を充分に受けています。
量子力学の世界では、観測者の意図が実験対象に影響を与えるという話がありますが、今我々が議論している世界では、影響を与えるどころの話ではないかも知れません。
どちらが「外部」になるかは、ネットワークの世界では、五分五分だからです。
だとすれば、原因の世界を探査するのは、とても大変なのです。私達の「個」とは別格に「場」が存在するわけではなさそうだからです。
ネットワーク探査とレーダー

学生時代、横田基地でアルバイトをしていました。
ある時、司令室に入るチャンスがありました。
そこには基地内でも普段あまり目にすることのない、きっちりとした制服を着た人たちがいました。彼らの肩には何本かの金筋まで入っていました。
私は普段は雑用係なので、基地内では空いた兵舎の片付けなどをするのですが、大抵目にするのは、迷彩服を着たような兵士達ばかりだったのです。
しかし司令室にいる人は、いかにもエリートでした。喋る英語も丁寧で分かりやすかったです。たぶん音楽を聴くとすれば、クラッシックなんか聴きそうです。
戦略を立てるテーブルでは、制服を着た数人が議論していました。
すぐ脇には透明なボードがあり、アジアの地図が書かれていました。厚木基地や嘉手納基地や、サイゴンやハノイが、それと分かるマークで書かれていました。
数人はボードの前に移動すると、ボードの上に貼り付いているマグネットを、移動しました。下級の迷彩服の人達は、こうやって「移動」されるんだと思いました。
そしてテーブルの向こうは少し暗くなっていて、大きなスクリーンがありました。
そこにはレーダーの映像が映っていました。スクリーンの両側には、何台ものレーダーが動作していました。まるで映画のようでした。
それらの映像を総合して見ると、アジア全域が写っていたのです。
私は大学でレーダーの研究もやっていましたので、非常に興味がありました。
それでビックリさせられたのは、通常アジア全域を映し出す方法など無いのです。
私は若い兵士に訊きました。「この横田基地からレーダー波を発射しても、こんなに広くはカバーできないですよね。」
兵士は答えました。「もちろんさ、飛行機に搭載しているレーダーの情報が、ここに届いているんだよ。」
ああ、それならわかります。聞けば、24時間態勢で何機も飛んでいるのだそうです。

さて、前座はこれくらいにします。
時空がネットワークだとして、その全貌を探るにはどうするば良いか・・そのヒントがレーダーにありそうだと思いました。
レーダーは最初、パルス波(進行波)を発射します。そして、反射波を待ちます。
反射波は、その都度変わります。遠くに山脈があれば、やっとそこで反射して返ってきます。
敵機が近くにいれば、すぐに反射して返ってきます。敵機が高速で接近していれば、反射波はドップラー効果を起こし、進行波と反射波の周波数の差で、敵機の速度はすぐに分かります。
しかしこの動作で分かるのは、基点からある方向に直線を引いた線上のみです。
だからレーダーを回転させながら同じことを繰り返し、ブラウン管の残像効果を使いながら、360度の画像を作るのです。
時空のネットワークの全貌を掴むには、この方法が良いかも知れないと思いました。
横田基地で肉眼で周りを見渡しても、敵機は見えません(笑)。
しかし一瞬でも問い(進行波)を発射すれば、ハノイからミグ戦闘機が10機飛び立ったことが、横田基地で分かります。
でも一回の問いは、断片の情報に過ぎません。全貌を掴むのには、360度に向かって問いを発しないとダメなのです。
問いを発するというのは、ネットワークを客観的に知ることのできる行為かも知れません。
見えない敵、それは「ネットワーク」

アメリカが北ベトナムと戦争を始めたとき、敵はピンポイントの「北ベトナム」だと思っていました。
ところが始めてみると、敵の戦闘機を何機落としても、あとからあとから飛び立ってアメリカ軍に向かってきたと言います。
昔、劇画(漫画)を読んだことがありました。ラスベガスのカジノホテル乗っ取りがテーマ・・です。
日本の若造がホテルに行き、あるゲームに参加します。
彼は一応、女を一人はべらせているのですが、金持ちとか社長の御曹司とかには見えません。カジノの胴元側も、最初は気にしていませんでした。
彼は負けが込んできます。しかし・・いくら負けても彼はその場を離れず、賭けを続けます。
ホテルの側が不審に思い、彼の口座を調べます(そんなことは現実に出来ないと思いますが、それが劇画です(笑))。
すると負けた額と同じ金額が、日本から送金されていたのです。
しかし彼は小さな会社の社長だったので、送金もすぐに底を尽きるとホテル側は思っていました。
カジノの胴元側は、最初はあの手この手で不正をしていました。それが回を重ねることに見破られて、次第に使えなくなってきていました。
それでも彼の負けは、数億円に達していました。もうギブアップするだろう・・・しかし彼は、淡々とゲームを続けます。
彼のバックボーンがばれました。彼はコングロマリットの総司だったのです。
コングロマリット・・それは企業連合体です。彼の肩書きは、その中の最も小さな会社の社長ですが、それはネットワークのほんの一部にすぎなかったのです。
そして劇画の最後、彼が一度に賭けたのは、数億円の金額でした。
不正が何も使えなくなったホテル側も、最後のカード一枚に賭けました。
そして・・・彼はゲームに勝ち、そのホテルを乗っ取りました。

敵の全貌が見えないというのは、怖いことです。アメリカがそれでした。
第二次大戦後、アメリカは世界の頂点に立っていました。
あの巨大なアメリカが、北ベトナムなどという小国に負けるはずがありませんでした。
しかし、叩いても叩いても、どこからともなく現れたミグが、次々に攻撃をしかけてきました。
南ベトナムに野営しているアメリカ軍に、ベトコンと称されるゲリラが、闇にまみれて攻撃してきます。
現場のアメリカ軍は、怖くて怖くて仕方がなかったそうです。これらの話は、横田基地で実際の兵士から聞いたことです。「我々は見えない敵と戦っているのか?」と思ったそうです。
それは当たっていたのです。見えない敵・・それは「ネットワーク」だったのです。
ベトナムは「戦場」という「点」を提供していただけに過ぎなかったのです。ソビエトと中国から、軍事物資がいくらでも運び込まれていたのです。
戦車軍団が国境を越えてサイゴンに向かいました。アメリカ軍の兵士達が先を争うように脱出を始めます。大使館員もその家族も、みんなです。
全てのアメリカ人が脱出したあと戦車部隊がサイゴンの中心部に達し、国会議事堂に北ベトナムの国旗が立てられて、戦争が終結しました。
麻薬やLSDを飲み、やっと自己を維持しながら戦場に向かった彼ら(迷彩服の兵士)は、いったい何だったのでしょうか・・・。
将校の軍服を着て、偉そうに駒を動かしていた彼らは、いったい何だったのでしょうか・・・。
いくら個が強くても、ネットワークにはかなわない・・そう思いました。
時空のネットワークとは少し違うかも知れませんが、横田基地の関係の書き込みでした。
二つのネットワーク

私が六爻占術の場を100%取れると仮定して、ラスベガスのカジノホテルにいたとします。コングロマリットの若造の隣に私はいます。
若造は不正を見破ったとは言え、勝つ確率は五分五分です。私は不正に関係なく9割です。50%と90%は、天地の差があります。
彼は2回に1回は負けます。私は10回に1回しか負けません。私がニッセンで儲けた金額だけでも、充分勝てるでしょう。
私が横田基地にいたとき、最初の仮定が成り立っていたとしましょう。
ひょんなことから、ある部隊の戦闘を占います。攻め込む方向が違うから負けると言います。そして勝つための戦略を出します。それが当たります。そして次々に勝ちの戦略を出します。
私の勝つ確率は9割です。たぶんアメリカ軍は最後に勝利を収めるでしょう。

さて、ここからが今回のテーマです。
「場が100%取れるということが、ネットワークに繋がるということではないでしょうか」・・という仮説を出します。
今の私は六爻占術の判断においては、かなりの確率で当たります。でも問題は「場を取ること」です。
カジノのゲームで次々に場を取ることは、今の私には出来ません。同様に、緊迫した横田基地で次々に場を取ることも、今の私には出来ません。
つまりそういう状態は、ネットワークから切り離された状態だと思うのです。
場を取ると言えば、どこかの領域から場を引っ張ってくるようなイメージがありましたが、ネットワークに繋がることだと思いました。
さて、そうだとすると変です(笑)。
結果である私達は、ネットワークからぶっちぎられているのでしょうか?
結果である私達は、ネットワークから孤立しているというよりは、ネットワークにがんじがらめ・・という方がイメージに合っています。
では、前述した「ネットワークに繋がる」というのは、どういうことでしょうか・・。
それはもしかすると、「原因の世界のネットワーク」のような気がします。
ネットワークには二種類あるのです、結果と原因の・・・。
そして原因のネットワークは、長い間ぶっちぎられていたのです。
もちろんこれは、仮説ですが・・・。

ということで、今回の私の書き込みで言わんとしていることは、
1.私は最強になる可能性があること
・・・未来予知者というのは、最強になれると思います。だから億万長者にならないと、おかしいです。
2.場を取るということは、ネットワークに繋がるということではないかということ
・・・「場」=「ネットワーク」であるという新仮説です。
3.場を取れるネットワークは、原因の世界の可能性があること
・・・逆に言えば、場を取ることと関係ないネットワークは、結果のネットワークだということです。
全二重通信方式か、半二重通信方式か・・・

時空はネットワークではないかという仮説のもとに話が進みました。
私は、「原因の世界」と「結果の世界」という分け方をしています。
そこにもネットワークという概念が入るはずです。
原因と結果の世界が別個のネットワークという捉え方もあれば、二つは一つだという捉え方もあります。
さて、私達が意識している世界は「結果の世界」だと思います。
しかし六爻占術を使えば、決まった運命を変更することが出来るので、この部分を取り上げれば原因の世界に繋がっているということです。
でも、繋がるときと繋がらないときがあります・・・六爻占術ではこれを、「場が取れる」「場が取れない」という言い方をします。
昨日の書き込みでは、「場が取れる」のは「ネットワークに繋がるとき」だと書きました。
今日はその繋がり方、すなわち通信方式の話です。

娘は毎晩、インターネットを使ったボイスチャットにはまっています(笑)。高校の同級生だった人たち複数と、ヘッドセットを使って話をしています。
新しい環境の話を、みんなで交換しているのです。
それは全二重通信方式です。つまり、話すのと聞くのが同時に出来るのです。
別にボイスチャットを持ち出すわけでもなく、電話だって全二重通信方式です。
ところが複数で話すシステムは、電話では一般的でありません。
私はアマチュア無線をやります。それは半二重通信方式です。
つまり「喋り」と「聞く」を交代交代やるのです。「××さん、どうぞ」と言って、相手に喋る権利を渡します。
インターネットも電話もアマチュア無線も、「ネットワーク」です。
さて、原因の世界と私たちの世界とのネットワークは、アマチュア無線に近そうです。
なぜなら、コンディションが良くなければ、ヨーロッパと話したいと思っても、繋がらないからです。つまり「場」が取れないのと同じです。
しかも問いを持ってコインを振り、それを判断して運命変更するあたりは、喋るのと聞くのを交互に行う半二重通信を思わせます。
半二重通信方式は、電気通信の世界では一番初歩的で幼稚な方式です。
時空のシステムは、元々そういうシステムなのでしょうか・・それとも、初期段階なのでしょうか・・。
少しだけ通信方式の切り口から考えてみたくなり、今回はその問題提起だけとします。
全二重通信バリバリの世界

私の仮説では、意識は従来半二重で、無意識は全二重だと思います。半二重と全二重の違いの一つに「割り込み」があります。
アマチュア無線は半二重ですから、割り込みは絶対にありません。つまり「マイクをお返しします。ではどうぞ」と言うまではこちらから電波を出しっぱなしなので、相手が話の途中で私に何かを伝えようとしても無理です。
しかしインターネットなどは全二重の要素を持っています。なかなか画面が出ないとき、スキップさせることも可能です。インターネットの画面を見ている時に、メールが来れば知らせてくれます。
分かりやすいのは電話です。半二重的に交互に喋っていても、突然相手が自分の喋りに割り込みを入れてくることがあります。
「意識」と「無意識」ではどうでしょうか。
意識で何かを考えているとき、無意識領域が突然割り込んでくるときがあります。腹が減ったとか・・(笑)。
一生懸命に考えているのに、突然割り込まれます(笑)。
この差は何に原因があるかと言えば、意識は過去の情報を扱うのに対して、無意識は未来の情報なのだと思います。
未来の情報には論理性がありません。だから突然割り込むしかないのです。
意識が基本的に半二重なのは、割り込み等が嫌いなのだと思います。論理的に思考していくときは、物の順序というものがあるからです。

こうして考えてみると、励起パルスという概念は、全二重通信の為せる業なのです。
つまり虫の知らせとか突発的な危険回避信号は、無意識からの全二重通信があるおかげです。それをちゃんと受けられるか否かは、意識の側の問題です。
となると、意識の側もシステム的には全二重なのです。だって半二重ならば、割り込みは絶対に入るはずがないからです。
励起パルスを受けてから・・コインを振り、判断します。この過程は半二重で充分です。
しかし運命変更をかけるときは、無意識の側に割り込みをかけます。これは向こうのシステムに対しては、全二重です。
つまり向こう側(無意識の側)は、全二重バリバリの世界だと思います。だって何かあれば、わざわざ知らせてくれるのですから・・(笑)。
そして個人的な運命変更も受け入れてくれるからです。
お役所業務でやっていたら、決してここまでサービスはしてくれません(笑)。
無意識は民間人で、しかもやる気満々のバリバリなのです(笑)。
だからもしも意識の側が全二重バリバリになっら、いったいどうなるのでしょうか・・(笑)。運命が未知数の世界に入るのは、そのときかも知れません。
でも六爻占術はすでにその入り口から、中に入った世界だと思います。既に全二重の世界に入りつつあるからです。
半二重と全二重の切り口も、意外に面白いですね(笑)。
半二重のススメ

私が毎日りんごの部屋(プライベートルーム)に行っている理由が分かりました。半二重にしたいからです。
会社にいるときにはそれなりに「割り込み」がかかります。電話もかかってくるかも知れません。それが嫌で、私はりんごの部屋を借りたのです。
りんごの部屋にいるときのことを、「メインメモリに浮遊する」という表現を使ったことがありました。
メインメモリに浮遊しているとき割り込みが入ると、浮遊していたデータはパーになります。つまり考えに集中する時は、割り込みが入ってはならないのです。
だから、りんごの部屋が必要なのです。
うーん・・、半二重も使い道があるのです(笑)。
しかしここで言う「割り込み」は、三次元の世界からのものです。
りんごの部屋は、電話もかかってきません。もちろん人が訪ねてくることはありません。訪ねてきたとしても、ドール宅配のお兄さんくらいです(笑)。
私はその部屋にいることにより、三次元からの割り込みを完璧にシャットアウトしています。
つまり私は、意識の世界を「半二重バリバリ」にしているのです(笑)。
昨日は、無意識の世界は全二重バリバリだと書きました。でも意識の世界は、半二重で良いのではないでしょうか・・。
私は月14万円(りんごの部屋の家賃)を払って、半二重を買っているのです。

意識の半二重は、一見「私」がプログラミングしています。「今日はこれを考えよう」と意識して、その思考の中に突入するからです。
期日が差し迫ったものありません。私は前倒しで事を行っているからです。だから「させられている」という感じは、ありません。
一見、非常に主体的な世界に身を置いています。しかし普通の人が言うところの「主体的」とは少し違います。夢や希望に向かっていないからです。
私は三次元の世界で何かを為すために、半二重をしているわけではないのです。
私がとっているこの手法は、多くの成功者がとった手法ではありません。三次元の目的が無いからです。
悟りを得た人が取った手法でもありません。私は左脳を使っているからです。
しかしなぜか、向こう側を流れている無意識の全二重の流れと、同じようなものを感じるのです。
キャリア

無線の世界にも全二重の例がありました。キャリア(搬送波)を使わない通信方法です。
普通、AMラジオを聞くとき、ダイヤルをチューニングすれば、アナウンサーが何も言って無くても電波を受信してきます。
「ザー」というノイズが消えて、無音状態になっています。音楽や喋りはその無音を破る形で聞こえてきます。
しかしキャリアを使わない方式だと、アナウンサーが何も言っていないと、電波も出ていません。だからノイズの状態です。そこに放送局が存在するのかも分かりません。
だから普通のラジオ放送では、キャリアの無い方式はとっていません。
でも海外向けの個人的通信の場合には、キャリアのない方式が一般的になっています。キャリアは、受信機の側で混入させるのです。
つまりキャリアは「飛んでいない」のです。だから凄く遠くまで「飛ぶ」のです(笑)。
だってキャリアが飛んでいないのだから、遠くに飛ぶはずです(笑)。
この通式方式を知らない人には、訳が分からないと思います(笑)。
簡単に説明すれば、普通の放送はキャリア(搬送波)と側波で成り立っています。
アナウンサーが100ヘルツの声を出したとき、キャリア(搬送波という中心周波数)から100ヘルツ離れたところに側波が出現します。
受信機の側は、キャリアと側波の「うなり」で、100ヘルツの音が出ます。
つまりモンロー研のヘミシンクのようなやり方で、音を送っているのです。
キャリアは常に一定の周波数であり、側波はいつも変化して、その変化が声に変わります。
そこでキャリアが一定の周波数ならば、飛ばす必要がないと考えたのです。受信機側で入れれば良いのです。これを側波帯通信と言います。キャリアの無い通信方式のことです。
しかもキャリアを飛ばすには、凄い電気エネルギーを使います。側波の10倍くらい使います。その分のエネルギーを側波に使えば、それだけで遠くに飛ぶ要素になります。
さらに側波はキャリアの両側に二つ(上側波、下側波)出来ているので、その一方だけを使えば済むのです。電力の無駄はもっと少なくなります。
これを専門用語では、シングル・サイドバンド(単側波)通信方式と言います。サーチエンジンなどで「SSB方式」とか入れれば、たくさん引っかかるはずです。

さて、キャリアがないとすればどういうことになるかというと、我々が現実の世界で喋るのとほとんど同じ状況なのです。
喋っている時、息継ぎをしただけでその瞬間、電波は出ていません。その瞬間を狙って、割り込みを入れることが出来ます。
無線の世界では、「ブレイク」と言って割り込みます。つまり二人で話している時、三人目はこうして割り込みします。割り込まれた方は大抵「ブレイクさん、どうぞ」と言って、三人目の人に発言権を渡します。
つまりキャリアを使わないやり方は「ブレイク」という割り込みが自由自在で、全二重通信に近いのです。
これを我々の生活に当てはめてみます。
キャリアを持っている生き方は、信念を持って生きるようなものだと思います。目標を作って、そこに邁進していく生き方でもあります。だから「ブレイク」を嫌うと思います。
この場合のブレイクは、原因の世界からのブレイクです。
しかし結果の世界からのブレイクは、意外に歓迎しているような気がしてなりません。
それが彼にとって、チャンスを生かすことだからです。三次元の世界からのブレイクは、手帳にスケジュールとして書かれます。その数が多くなると、本人は満足します(笑)。
そう言えば「キャリア」は「経験」とも訳されます。
キャリアを出していない放送局は、喋っていないと存在すらも確認されません。
意外に人間は、キャリアの方にしがみ付いているかも知れません。
時空からの通信は簡略化している

キャリアの無い側波だけの電波を受信したとき、どうなるでしょうか・・。
私がアマチュア無線を始めたときの受信機は、ラジオを改造して作ったものでした。信じられないことに真空管です(笑)。
AM放送しか受信できません。しかし側波帯だけの通信はすでに開始されていました。
でも私の受信機で聞くと、「モガモガ」としか聞こえません。
その人が笑っているのか怒っているのかくらいしか、分からないのです。
この状態が、孫さんなどが受信する未来からの情報だと思います。
この人には事故が起こるのが見える・・・しかしいつ起こるのか、規模はどれくらいなのか・・とかは分かりません。
私は「モガモガ」をちゃんとした声で聞きたくて、発信器を作りました。つまり簡易キャリア発生器です。
その発信器を近くに置くだけで、「モガモガ」はクリアーに声になったのです。
相手の名前は××で、どこに住んでいて、今日の天気は晴れだとか、喋っている内容が克明に分かりました。
これは六爻占術の世界そのものではないでしょうか・・・。
トラさんは超能力者がアバウトな予知をしたとき、終わってからコインを振ります。そっちの方がよっぽど正確なのです。

さて、時空も側波通信だと思いました。なぜなら受信した側でキャリアを入れないと、笑っているのか怒っているのかくらいしか分からないからです。
キャリアを入れることはどういうことかと言えば、納甲の歌とかで卦を出すことです。
時空は通信を簡略化して送っているのです。簡略化せずにもっとダイレクトに送れば良いのに、きっと何かの理由があるのだと思います。
その理由の一つは、「三個のコインを六回振ること」で伝達できる・・ことだと思います。
映像などで送ろうものなら、どれだけのビット数が必要でしょうか・・動画情報になれば、1メガビットはかかるでしょう。すると33万回は振る必要があります(笑)。
こうして考えると、3×6=18ビットで送るというのは、大変な圧縮技術なのです。
しかも圧縮された情報を解凍するのに、キャリアを入れるような作業も必要です。
だとすれば、六爻占術はどんな超能力よりも上回っていると思います。解凍すれば、原因の世界の側の情報が復元されるからです。
たとえ「モガモガ」でも直接未来情報を聞きたいと思った人は、超能力の修行をしました(笑)。しかし手元の発信器のスイッチを入れてキャリアを発生させてあげれば、誰でもクリアーな音として聞けたのです。
初めてキャリア用の発信器を作ったのは高校一年でした。丁度下位の問いを持ち始めた頃でした。
送る側でわざわざキャリアを取り去り、受信する側でそれを再生する・・神の声を聞くのも、同様かも知れないと思いました(笑)。
霊能者などが未来予測の声を直接聞けるのは、たぶん誤動作だと思ったのでした(笑)。
時空のネットワークは「固定的」ではなく「浮遊的」ではないか

私達は時空のネットワークの一員だと思います。でもインターネットのそれが、どうも当てはめにくいのです。なぜかと言えば、サーバーがあるからです。
私達のパソコンは一度サーバーに接続されて、そこから世界に発信されます。
私は、時空に「サーバー」は無いと思っているからです。
でも良いモデルがありました。またまた、アマチュア無線(ハム)です。ハムの世界でもデジタル通信をやります。
パソコンをトランシーバー(送受信機)に繋ぎます。すると、そのとき電源を入れているトランシーバーだけがネットワークされて繋がります。
つまりインターネットのように、いつでもメールを送れるような機能がありません。
言い換えれば、インターネットは「固定的」、ハムは「浮遊的」とでも言えそうです。
(もともとハムの世界は浮遊的です。電話すれば確実に話が出来るのに(笑)、わざわざその時の偶然に任せて、電波で繋がる相手としか話さないからです。)
さらに、ハムのデジタル通信にはサーバーがありません。トランシーバー同士がダイレクトにネットされます。だから面白い事が起こります。
知らない人がその人の相手に宛てたメッセージが、自分のトランシーバーを通過していきます。
「勝手に人のトランシーバーを使うんじゃねェよ、電気を食っているんだからよ!」とでも言いたくなります(笑)。
でもそれを言えないのは、自分のメッセージも知らない奴のトランシーバーを通るからです。

これは時空のネットによく似ていると思います。明日の株価を知らせるために、バッタが黒板にぶつかりました。これなどはぴったりです。
私達は自分の意識しないところで、外応として他人にメッセージを伝えているはずです。まるでバッタのように(笑)。
今日駅の階段でコケそうになったあなた、後ろの人の問いに答えたのかも知れません(笑)。
しかし電源を入れていないトランシーバーがネットから切り離されているように、「私は原因」だと思っている人は、電源が入っていないのと同じではないでしょうか・・。
つまりそういう人は時空のネットから切り離されている・・。
だって外応を受け取れる人がいないのに、バッタはわざわざぶつかるでしょうか?
答えを受け取れない人のために、あなたは駅の階段で転べますか?(笑)
つまり言いたいことは、時空のネットワークは「固定的」ではなく「浮遊的」ではないかと思ったのです。
そしてネットにプラグインされたなら、自分はいつだって他人のために自動的にメッセージ(外応)を伝える役目をしているかも知れないということです。
プライバシー

昨日はハム(アマチュア無線)の世界の、デジタルネットワークの話をしました。
ところでインターネットをはじめとする通常のネットワークとハムのネットワークの間には、大きな差があります。それはプライバシーの問題です。
前述したように、ハムの世界では自分の出したメッセージがどのトランシーバーを通るか、分かりません。
それが郵政省電波監理局のトランシーバーを通過するかもしれません。
メッセージには必ずコールサインが入っています。
さらに言えば、ハムは「これこれこういう電波形式を使います」という申請をして、許可を得ないといけません。しかしいちいちそんな書類を出すのは面倒なので、申請などしないでやっているハムは多いです。
ところがある日、私の知り合いのハム仲間に電波監理局から一通の警告文が来ました。
「あなたは×月×日、430MHzで、あなたが申請許可を取っていないデジタル通信をしていたことを突き止めました。あなたの犯した無許可通信を厳重に警告します。」
一般のパソコンから出る通信パケットを警察が途中で傍受したら、それは違法になるはずです。そうでなくてもプライバシーの保護は、最近高まる一方です。
しかしハムの場合、上記の事件を見てもらえばわかりますが、プライバシーというものがゼロなのです。
逆に言えば、ハムの世界ではすべてが「公開」でないといけません。ハムの電波法にも「暗号を使ってはならない」と条文化されています。
ところがインターネットの世界では暗号化しないと、カード情報などヤバイです。
つまり一般のインターネットの世界とハムの世界では、プライバシーに関することは逆なのです。
プライバシー強化するインターネット・・もともとプライバシーゼロのハムの世界(笑)。
だからハムの世界では、浮遊的ネットワークが問題なく発展できたのです。
浮遊的とは、誰のトランシーバーを通過していくか分からないネットワークのことです。

ところでプライバシーとは何でしょうか・・。それは「過去」だと思いませんか?
プライバシーを守ると言いますが、何を守るかと言えば、その人の「過去」なのです。
土地がどれだけあるか、誰といつからそこに住んでいるか、預金はどれだけあるか、借金は・・(笑)
「過去」を必死に守る現代人・・うーん、何か違う(笑)。
「私は誰でもない人」には、たぶんプライバシーはありません。
さて、これから以後、プライバシーという問題はどうなるでしょうか・・。
そのうち、「未来」に関する事が最大のプライバシーになるはずです。
例えば、場さえ取れればブッシュ大統領の未来を知ることが出来ます。次の選挙でどうなるか、いつ没落するか(笑)。
それが正確に分かったとき、過去のプライバシーなど、どうでもよくなるのではないでしょうか・・。
「陰極まって陽と成す」と言います。今は過去に関するプライバシーが増幅の一途を辿っています。
さて、プライバシーが強化されると、ハムのようなネットワークの構築が難しくなると思います。
しかし、時空はたぶん、ハムのようなネットワークだと思います。
そうなると、プライバシーを優先したい人は、時空のネットから切り離されて、結局損をするような気がします。やっぱり儲かるのは、露出症の人・・(笑)。
まあ、どっちでもいいですが・・(笑)。
しかしそもそも、「時空にとってプライバシーって何だ」という問いには答えていません・・。
ネットに公開されるレポートは、運命変更システムと似ている

面白半分にSFCの授業を履修しています。
もりけん生放送のように授業風景をパソコンで見ることが出来ます。しかもそのうち、パソコンに付けたカメラから質問をすることも出来るようになるみたいです。
その最初のレポート課題が、明日出る予定です。
さて、過去にレポートを提出した分は全て閲覧できます。この点からすれば、プライバシーはありません(笑)。
これは画期的だと思います。だって教授の内容を超えているレポートもあるからです(笑)。
今までの学校では他の人のレポートを読むことなど、あり得ませんでした。それがネットワークを使うと、このようなことも出来るのです。
ところで明日出される課題は、レポートをオンラインで出します。期限は一週間で、その間、何度も書き換えが出来ます。
さてもしも仮に、それが期限前にお互いに閲覧可能だったらどうでしょうか?
これが今回のテーマです。
プライバシーを取り払い、ネットワークに載ったレポート・・・です。
これがまさか、時空の「運命変更」に関係していたなんて思いませんでした。

例えば私が出した後、別の人(Aさん)が提出したとします。私がそれを見ます。
そして「ああ、こういう視点もあったのか・・。これをアレンジした形で加えると、私のレポートはもっと面白いものになる」と思うかも知れません。そして私はそれを実行します。
するとそれ(私が書き換えたレポート)を見た別のBさんは、「ああ、こういう視点もあったのか・・。それをアレンジした形で加えると、私のレポートはもっと面白いものになる」と思うかも知れません(笑)。そしてBさんはそれを実行します。
するとそれを見たAさんは、「ああ、ここまで考えを進めた人がいたのか・・。それをアレンジした形で加えると、私のレポートはもっと面白いものになる」と思うかも知れません(笑)。そしてAさんはそれを実行します。 こういう連鎖反応が発生する可能性があります。
今までの学校では、レポートを出した時点で全ての運命が決定されました。変更は不可能でした。
しかしプライバシーを無くし、ネットワークで結ぶだけで、教授は何もしなくても生徒が勝手にレベルアップしていくのです。

さて、書き換えるのは何でしょうか・・最初に提出したレポートです。
これは六爻占術でいえば最初の卦です。運命を変更するのはこの最初の卦で行われます。
とてもよく似ていると思います。
しかも他の人のレポート(外側)が「原因」で変化しています。
普通は違います。一度出したレポートは変更できず、採点されてカルマとなって残ります(笑)。
カルマは来世(次のレポート)でレベルアップする形で返さなければなりません(笑)。
私達の人生は、パソコンのシステムで言えば、「動画」だと思います。その動画を生きる私たちは動画の「動き」を「自分の起こした変化」だと思っています。
しかしその動画は、初期設定を変えれば、ストーリーが変わるだけなのでした。
レポートを動画に置き換えてみれば、これがネットワークとしての運命変更システムとして見ることも可能ではないでしょうか。
もしもそうなら、変更の要素は、ある程度のプライバシーの公開と、それを結ぶネットワークなのです。
今回は単なる問題提起ですが、何かのヒントが潜んでいそうです。
一生運でも、卦は一個しかない理由

ネットワークで公開するレポートシステムの面白さは、最初のレポートを何度も書き換える点です。
しかしこのHPはそうではありません。一度投稿すると、訂正することが出来ないからです。訂正の書き込みは、その後の書き込みとして、別にしないといけません。
つまりこれが私達が今生きている運命の流れです。最初に戻ってやり直すことが出来ません。
ところがネットワークで公開するレポートシステムは、最初に戻ってやり直すことが出来ます。
昨日は、動画の話をしました。私達の人生は、動画です。
動画の中のストーリーをどこで変えることが出来るかと言えば、初期設定でしか出来ないのです。初期設定で変えたら、あとは惰性で動くのです(笑)。
レポートは、動画の初期設定そのものという「設定」です(笑)。
だからレポートが変われば、動画のストーリーが変わることになります。
うーん・・この認識が結構大変かも知れません・・・。

話をこのHPに置き換えてみましょう。
私はある人の書き込みに対して、とても内容が豊富ですが難しいというレスを入れました。
もしもこのHPが書き換え可能ならば、その人は自分の書き込みを再度検討して、書き換えるかも知れません。
そうすると厄介なのは、私が既に読んでしまっている点です。
つまりここが書き換え可能になったときのシステムで問題なのは、他の人の書き込みが既に書き込み済みであっても、気になるという点です。
だから卦は一個しかないのです。
つまり動画が要所要所での書き換えが出来ないようになっているのは、このためではないでしょうか・・。一本化しないと面倒だからです。
だから一生運でも、卦は一つなのです。
この話は、とても複雑です(笑)。これにレスする方の認識は、全員が違うような気もします(笑)。でもこれでもうしばらく走ります。
卦が一つでの運命変更

運命を変更すれば、随時、卦が変わります。
当たり前です。運命が変わったのに卦が変わらなければ困ります。
でもトラさんに言わせると、どんなに変更をかけても、それをまた変更したいときは、一番最初の卦に変更をかけるのです。
つまりレポートに対応させて言えば、常に最初のレポートが基本になるのです。
昨夜、ある人が次のようなレスを入れました。
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だから、私の場合、そのようなこと(自分のレポートの改良)をやろうとしたら、軸がぶれて、自分のオリジナルなレポートが散漫になり、論点がぼけ、説得力もなくなってしまうという危険があります。ひとつのレポートで論じる方針やスタンスは、ひとつであるべきだという考えを私はもっています。
わたしはこのHPに書き込むにあたって、どんなにくだらなくても自分の切り口だけで強引にひっぱってくタイプだと思います。自分のレポートで必要最小限のことだけが、自分に明らかになれば、とりあえずは、それで満足です(自己満足かもしれません)。
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時空もたぶん、こういうことを大切にしているのだと思います。ぶっちゃけた言葉で言えば、オリジナリティです。
運命に変更をかけるときは常に最初の卦に対して行えというのは、基本的なオリジナリティは失わずにいろということです。
さらに言えば、元のレポート(オリジナリティ)からどれだけ距離があるかを常に意識していないと、運命の変更は無理だということです。
もっと言えば、変更しても「ブレ」を意識していないとダメなのです。
以上の事から言えることは、基本的な運命を知っていれば、どんどん変更をかけられるのです。
もっと難しく考えている人は多いはずです。変更すれば卦も変わり、それを知らないと次の変更は出来ない・・と。だから次々に振り続けなければいけない・・と。
そうではなく、最初の卦だけ知っていれば良いのです。

ここまで書いたところで、別の人からのレスがありました。次の事が書かれていました。
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ポイントは、ゼロ点の位置は固定されていないことです。たとえば初回提出時と、他人のを読んだ後とでは、ゼロ点の位置が変化しています。しかも高いほうへのシフトです。
さて、運命変更が日常化するにつれて、金運や仕事運などの関心事に対するゼロ点は流動的になってゆくのではないでしょうか。たとえば運命変更によって金運を高めた人が増えていれば、金運に関するゼロ点、すなわち「フツーの金運」の水準がどんどん高くなっていくでしょう。つまり運命変更によって変わるのは、吉凶だけでなくて、吉凶のゼロ点もだと思います。
一生運で吉が出ていた人の受け取る吉は、ますます増えるばかりでしょう。たとえ凶と出ていたとしても、出生時のゼロ点で比べれば、ものすごい吉にだってなり得ます。また健康に関して凶の情報があったとしても、ゼロ点が変われば命にかかわりのないすり傷程度に変わってもおかしくはないと思います。吉凶の最終判定がなされるのは、出来事が起きる時なのですから……
むしろ最初の卦が書き換わっては、かえって困るのではないかとさえ思います。卦が固定しているからゼロ点の移動が起こりうるのであって、逆に卦が流動的だとゼロ点が固定されてしまいそうな気がします。
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以上ですが、私のポイントが別の言葉で書かれています。これを踏まえると、大変に面白い事実が出てきそうです。
それは、最初の卦が基準である限り、運命を変更したとき、悪い方向に行く可能性が非常に少ないということです。
つまり原神だの用神だのを強めていれば、どんどんシフトアップされるということです。
悪い方向に行かないというのは、例えばある人が看護婦と知り合って幸せな結婚をする運命だとします。でもその人が六爻占術で運命改善をして事故を回避してしまいました。
すると病院に担ぎ込まれなくなるので、看護婦に会いません。
つまりこっちを取ったらあっちが取れない・・そういう状況になると思っていました。
しかし最初の卦が常に基本ならば、看護婦とは別の場所で出会いそうです。
そうなると、自分の運命というのは、出来るだけ知っておいた方が良いと思います。
だって良い方向にしかいかないとすれば・・。
ネットワークにおいて運命を変える一つの要素は「情報」

SFCで『インターネットの進化と可能性』という授業を受けていますが、今回は次の話が出ました。
「多くの車をインターネットで繋ぎ、センサーのような役目をさせたらどうか?例えばワイパーが動いたかどうかの情報をアップさせれば、どこで雨が降っているかが正確に分かる。また交差点でタイヤがスリップした情報をアップさせれば、その交差点に入る次の車から気を付けるようになる。」
なかなか面白いと思いました。
インターネットは情報を見るだけでなく、端末(PC)をセンサー化できるからです。
そしてそれらの情報を公開してネットワークに乗せることで、事故を未然に防ぐことが出来ます。一種、六爻占術の運命変更に近いものがあります。
六爻占術とて同様です。いつもの道を走ったら事故に遭うと卦に出れば、道を変えるからです。
この運命変更に使ったのは、「情報」のみです。
こう考えると「情報」というのは、運命を変える大きなキーです。コイン三枚を振り、紙とボールペンで卦を書くだけです。ここから出てくる「情報」だけで命が救えるのです。
しかしインターネットシステムと六爻占術とでは、えらい違いがあります。
インターネットシステムでは、「雨が降ってきた」「タイヤがスリップした」という情報は、既に過去の情報です。それでも事故を減らすことに繋がります。
それはなぜかと言えば、自分が走っていくだろう交差点の「未来」の情報が、そこ(たぶんカーナビ)に出ているからです。
人は少しでも「未来情報」を知りたいのです。だから移動体通信では、ネットワーク化してお互いに情報交換することで、一種の「未来情報」を交換しているのです。
しかも各車が出す情報は、自分達がセンサーになった情報です。
「60億の人間」という「端末」を使ってデータを収集している時空に似ています。

さて、今日は教授からレポート提出の課題が出ました。それは「我々の空間がいつでもunwiredでmobilityを提供するために、ビジネスモデルと技術と制度」というものです。
無味乾燥のテーマです(笑)
しかし「unwiredでmobility」の中に入れるソフトは、コマーシャリズムにのって誰でも参加できる競争の原理を採用すべきだと思います。なぜなら私は、次の提案をしたいからです。
年運を匿名(ただし本人との繋がりは残す)で不思議研究所のサイトに入れておきます。交通関係の事故とかはパソコンソフトでも解析できそうです。でも場が取れていなかったりして二割は当たりません。だから今日が「危ない日」だと思っても、信じないで出発する人もいそうです。
車のエンジンをかけた時、自動的にフシケンのデータベースにアクセスします。そして事故の情報を知ります。でもそれは本人には告げません(笑)。場が取れていなかったり、判断ミスかも知れないからです。
でもカーナビに目的地を入れた時、車のスピーカーから声がします。「今日そこに行く人のほとんどに、事故の卦が出ています。」
つまり、ネットワークで当たる確率を上げようというものです。
よほど六爻占術が普及しないとこれは出来ないと思いますが、例えば携帯電話と一緒にすれば、今回の脱線事故のような人達に事前にメールで知らせることが出来るかも知れません。

ところでSFCは、レポート提出をすると、見た人が感想を入れることが出来るみたいです。
うーん、なんか凄いところです。教授が読む前に、ズタズタにこき下ろされる履修生も出そうです(笑)。匿名と署名の両方で感想を書けるみたいだからです。
「六爻占術だと?バカ、ふざけんな!」・・とか(笑)。
ネットワークの活用というのは、六爻占術の運命変更のように「面白い」と感じます。
りんごの部屋にいても、「生放送」でリアルタイムな双方向をすることが出来ます。
中国の奥地にいても、その日の事を報告してレスを得ることが出来ます。
トラさんからは毎晩、宿題が来ます。それを使った通信教育も、ネットが主流です。
ネットワーク無しで、六爻占術の発展はあったでしょうか?たぶん、ないと思います。
こうして考えると、運命の変更モードに入るためには、ネットワークは不可欠なのではないでしょうか・・・。
ですので、もう少し引きずってみたいと思います。
時空は、「不連続」を「連続化するソフト」を動かしているのではないか・・

以下はある人の書き込みです。
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事象とは連続して起こるものであると考えると、事故を回避すると看護婦には会えないということになります。しかし、事象はもともと不連続であると考えれば、たとえ事故の要素が抜けても、看護婦との出会いまでなくなってしまうわけではないというのは納得がいきます。運命というのは一本道として存在するわけではないのだと思います。一本道として考えると、事故が起きないルートに切り替えたら看護婦にも会えない、こちらを取ったらあちらが取れない・・となってしまいます。でも、運命が、様々な周波数の交差する点としてあるなら二者択一にはならないと思います。
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ネットワークの問題から外れますが、ちょっとこの問題について書きたくなりました。
例えばニッセンが上がったときは、まさに不連続でした。ずっと低迷だったのが、いきなり急上昇です。


最初に上がった日などは、文字通り、不連続でした。線が完璧に切れています。


これは亥月から子月への、月替わりの日の出来事でした。ニッセンの卦は抜群に良かったのですが、月破でした。だから月替わりが応期となりました。
ストップ高が起こったのは亥月から子月に入った日(12月7日)でした。
十二支はデジタルに変わります。もしも「連続」ならば、子月の月半ばが一番の「応期」になりそうです。しかし応期は「不連続」に、いきなり来ました。
しかしもしもこの三次元が不連続だとすれば、加速度がありすぎて世界の運営は出来ません。だから、「不連続」を「連続化するソフト」が動いているのではないかと思います(笑)。
(笑)と付けたのは、あまりに突拍子もない仮説だからです。
ニッセンはその前日(12月6日)に利益が五倍になったことを発表しています。でも五倍になるくらいならば、中間決算のときになぜ発表しなかったのでしょうか・・。
会社四季報だって年に四回も出ています。その前の号で、何故リークされなかったのでしょうか・・。
しかし事前に漏れれば、あのニッセンの卦はありませんでした。
いきなり意表を突いたストップ高にするという時空のプログラムに、他の事項が付随されたと思います。
原因の世界がデジタルだとしたとき、結果の世界に落とすにはアナログ的に「ならす」必要があると思うのです。
もしもならせないとき、「上の電車に乗って!」というような、看護婦からのテレパシーがあるかも知れません(笑)。
考えてみればテレポーテーションは、不連続のまま三次元に現象化してしまったのだと思います。孫さんの蘇生も、不連続に近いです。
これらは「連続化するソフト」を通していないのかも知れません。
「連続化するソフト」・・それは私達の世界に存在する「物理法則」だと思いました。
つまり「物理法則」とは、デジタル・アナログ変換かも知れません。
十二支の変化と四季の変化

十二の変化はデジタル的だというのは昨日書きました。十二支の変化に対して、季節の変化があります。しかし季節の変化はアナログ的だと思います。(ところで私は「アナログ」ではなく「アナログ的」だと言っていることにも注意して下さい。)
季節の変化は、徐々に変わります。春夏秋冬・・
春と夏の間には初夏という季節がある通り、必ず中間帯があります。
ところが十二支の変化には、それがありません。
ニッセンは「初冬に上がる」のではなく「子月に上がる」だったのです。だから子月になったその日にいきなり上がりました。
「初冬に上がる」とすれば変化がなだらかとなり、六爻占術から「応期」が消えて無くなると思います。
四季の変化の世界では、10度だった気温が次の瞬間に20度になることはありません。
でも十二支の変化は、それが「アリ」なのです。だからデジタル的だと思うのです。

ところで私のところには、盲師派推命占術のテキストの原稿が届き始めています。それを見ると、とても面白い事が分かります。
盲師派推命占術では、十二支に「中間帯」があるのです。
例えば寅は木の五行の他に、火の要素も持っています。火の長生の地だからです。
また、一口に「相合」と言っても、やはり「中間帯」の関係が存在します。
卯と戌は相合しますが、戌土は卯木に剋されるので、相合することによってお互いに別の面の影響を受けます。
この他にも「中間帯」がたくさん定義されています。これに最初、とても面食らいます。
何故こんな話を出したかと言えば、六爻占術はデジタル的な原因の世界をそのまま記述したのではないかと思うからです。
そして盲師派推命占術は、結果への展開を出来るだけ記述したのではないでしょうか・・。
パン作りで言えば、六爻占術はパン粉を練った状態です。
しかし盲師派推命占術は、パンとして焼き上がった状態です。
六爻占術では、出来上がりのパンを指定することが出来ます(運命変更で)。
練ったパンの形を変え、フレイバーを変えれば良いからです。
しかし元のプログラムがメロンパンを作ろうという魂胆だということを知るのは、結構大変です。
だから六爻占術で占って「ああ、こういうことだったのか・・」と後から気づくことが多いです。
しかし盲師派推命占術では、もともと作られる予定の「メロンパン」がそこに記述されます。
でも本当はバターロールが欲しかったとしたとき、どこで変化させればいいかが、盲師派推命占術では分かりません。
こうして考えると、盲師派推命占術は、四季の変化に近いものを表現していそうです。
最初ダンさんとトラさんが盲師派推命占術の師匠をテストする意味で、友達を連れて行きました。彼が銀行員だということを言う前に師匠は「あなたは今、外国の紙幣を数える仕事をしていますね」と言ったのです。
彼は外国為替の部署にいたので、ビックリしました。
そしてダンさんとトラさんは、何故そんなに詳しく当たるのかと驚いたのです。
盲師派推命占術が、中間帯を記述するのがいかに上手かということを示している話です。
結果の世界を積み重ねても、原因の世界は見えないのではないでしょうか

六爻占術が中間帯を排除しているのは、ノイズを除去して信号波だけを取り出しているように見えます。
それで思い出すのが以前ここに紹介した側波帯通信(SSB)です。キャリアを取り除いて、純粋な信号波だけで通信する方法です。
中間帯がキャリアだとすれば、現象界で混入させれば良いわけです。
ところで、ある人が次のように投稿していました。
「盲師派推命占術の開発者たちは、デジタルな卦をもとに長年にわたって統計的なデータを取っていたのかもしれません・・。この卦のときはこうなることが圧倒的に多かったから、この卦の意味するところはこういうことなのだろう・・と。」
本当にこうでしょうか?私は違うように感じます。
盲師派推命占術の開発者は、目の見えない人です。その人達が「長年にわたって統計的なデータを取った」でしょうか?これはむしろ、目の見える人の得意分野です。
目の見えない人は、キャリアを取り除くことと混入させることに、とても長けていたのではないでしょうか・・・。
六爻占術ならスパンの短い占いをすることが出来ます。密閉された容器に入ったものを当てることなど、すぐに検証可能です。
しかし盲師派推命占術のやることは、主に一生運です。
「長年にわたって統計的なデータを取った」としても、その数はたかが知れています。
六爻占術の開発者である京房にも、「それ」は突然降ってきました。
統計というのは結果の世界のものです。それを調べて、原因の世界に辿り着くでしょうか?
レイチャールズは目が見えませんでした。だから騒がしいレストランの窓に留まった蜂の羽ばたきも聞こえました。
彼にとっての「信号波」を取り出すのは、目が見えないからこそ可能でした。
京房も散歩の途中に昼寝をしている時、六爻占術が降りました。
私は、結果の世界でいくら統計をとっても分からないと思っています。
だから私は、りんごの部屋でゴロゴロしています(笑)。
六爻占術は、着ている服を全部脱がせる占術

昨日は、六爻占術と盲師派推命占術の違いを書きました。六爻占術が原因の世界に近くて、盲師派推命占術は結果の世界に近いのではないか・・と。
そして前々日は、こんな事も書きました。
>例えば寅は木の五行の他に、火の要素も持っています。火の長生の地だからです。
>卯と戌は相合しますが、戌土は卯木に剋されるので、相合することによってお互いに別の面の影響を受けます。
>この他にも「中間帯」がたくさん定義されています。これに最初、とても面食らいます。
そうだとすれば、盲師派推命占術には「中間帯」というルールによってできる、沢山のビット数が存在することになります。
だから運命変更には適さないのではないでしょうか・・・。ビット数が多いと、何がキーか分からないからです。
例えば私達の実生活において何かの失敗をしたとき、その原因が何かを探ることはとても難しいと思います。物事を単純化するというのは、それほど難しいことなのです。
でも六爻占術は、これまでかと思えるほど、余計なものを切り落としたのです。つまり服を全部脱がして、裸にしたのです(笑)。
18ビットにまで素っ裸にしたシステムを、私は知りません。誰がそこまで人生を単純化できるでしょうか・・。
しかし、余計なものを全て剥ぎ取ったとき、そこに「原因の世界」が姿を現しました。
だから逆に言えば、六爻占術の卦を見ただけで「ストーリー展開」が出来るためには、熟練が必要なのです。
中間帯が存在しないために、それを補いながら解釈する必要があるからです。
しかしです。六爻占術は余計なものを全て削ぎ落としたので、原因の世界が丸裸になって出ているのです。だから運命変更に使えるのです。
つまり付随的な情報が多くて「それ、当たっているよね・・」と言える占いほど、運命変更からは遠ざかるのだと思います。
六爻占術に「科学」が残っていたら、それはまだ削ぎ落とし切れていない・・

昨日は、単純なほど運命変更に向くという話を書きました。
たった18ビットにまで削ぎ落としたとき、そこに丸裸の原因の世界が現れたのでした。
もしもこれが本当だとしましょう。そこから出てくる仮説は、とんでもないです(笑)。
つまり18ビット以外の情報は、すべて「飾り」だからです。
あなたの運命の本質は18ビットであり、それを現象化する際に、「みんなが共通に使うルール」で装飾していただけなのです。
その中には「恋心」とかの感情も含まれると思います。その中には「悲しみ」という感情も含まれると思います。そういう付随情報をずっと「私」だと思ってきました。
そして付随情報の現れ方の一つのルールが、物理法則だと思います。それを解明して、世の中が分かった顔をしてきました。
それを子供に説明して「ほーら、宇宙はこう動いているのよ」と言ってきました。
六爻占術の開発の歴史は、大した歴史でした。だって「既に分かっている事」は、「付随情報」だと言って、全て排除してきたからです。
だから、こうも言えます。「もしも六爻占術に『科学』が少しでも見つかったら、まだ削ぎ落とし切れていない」・・と。
運命を「インターネット網的視点」で考察する

インターネットがどうして始まったかと言えば、アメリカの国防省だと思います。
それまでのシステムは、例えば世田谷電話局が爆破されれば、世田谷地区全体の電話が不通になると思います。
例えば以前、世田谷のマンホールで火災があり、電話の幹線が燃えてしまい、広域にわたって電話が普通になりました。
ところで最近のミサイルはピンポイントです。
通信の「要所」を狙って爆破すれば、アメリカ国内の通信を不通にすることも出来ます。
それでは困るというので考え出されたのが、インターネットだと言われています。
まあ、これが発祥の物語ではなかったとしても、ミサイル攻撃からの防御効果としてはあります。
つまりインターネットが通信手段だった場合、それを破壊するのは、ピンポイントでどこを狙えばいいのでしょうか?「要所」は一体どこでしょうか?
メールをある人に出そうとした場合、そのメールはどこを通っていくか分かりません。いつも通っていたポイントが事故で不通になれば、別のポイントに切り替えるはずです。
これが、運命変更の説明をしているような気がしました。


この図は、ネットワークの一部を書いたものです。
インターネットでメールをAからZに送る場合、元もと通る予定だったBが「不通」だったら、Eに切り替えるはずです。
運命の変更も同様ではないでしょうか・・・。
Bに行くルートをバッサリと切ってしまうのです。するとEに変更せざるを得ません。
従来通るべき道を切断するのが運命変更かも知れません・・・。

さて私は、BとかEは、時間の中に存在する「運命のイベント」だけとして定義していません。それでは普通すぎます(笑)。
BとかEは、三次元で出会う人とか物でも解釈可能だと思います。
つまりBに会う予定だったのが、Eに変更になった・・
人との出会いがどれほど人生を変えるか、想像がつくと思います。
しかしメールがZに届くように、人生も最後にはZに辿り着きます。人生でのZは、「死」かも知れません。
「死ぬときは死ぬんだよ、だから同じじゃん」・・と反論する人がいるかも知れません。しかし人生とは「途中経路」なのです。途中経路が変われば人生が変わったことになります。
インターネットの話でミサイルでピンポイント爆破をしても、ネットワーク全体は影響を受けません。
これが運命にも当てはまるとすれば、一人が運命変更しても、ネットワークには影響がありません。
実はこの視点は、今までありませんでした。一人が運命を変えれば、全体が影響を受ける・・・という説の方が有力だったからです。
でも今回の仮説も、一つの視点として考えてみたいと思います。
全ての人は他人のために存在している

「幸せを融かす」というタイトルの書き込みで、次のフレーズを書きました。
>多くの人は、意識の世界で幸せを追っていると思います。
>しかし私は、意識の世界では、時空の謎を追っています。
>この差だと思います。
>幸せなど、眼中にないのです。
>という風に言い切れるのは、ハンドルを手放してしまっているからです。
>幸せになることを、自動操縦に任せているのです。
「自動操縦」という面白い言葉が出てきました。
今までにもハンドルを手放せとか、流れに乗れとか、自然に任せろとか、色々なフレーズが出てきましたが、自動操縦は初めてです。
今までに出てきたフレーズには、動力源が向こう側にあるイメージがありました。「他力」だとすれば、それも正解です。
しかし、動力源がこちら側にもあるタイプを考えてみても良いと思ったのです。
なぜなら、時空がネットワークであり、繋がっているのが個々のパソコンであれば、小さくても「自力」の要素がありそうだからです。

さて自動操縦と言えば、思い浮かぶのが飛行機です。
飛行機は行く先が固定されています(当たり前です。チケット買った乗客が乗っているのですから)。
それを運命に喩えれば、運命の行き先が決められているのにも似ています。
飛行機は数々のセンサーがあってからこそ、自動操縦が成り立っているのだと思います。
つまり外側の変化を察知するのがセンサーで、その変化に対して飛行機の状態を合わせているのが自動操縦でしょう。
ところで飛行機を我々に喩えれば、全ての飛行機にはコックピットはありません。操縦桿すらありません。おもちゃの操縦桿が付いていて、それを必死で動かしている人もいますが(笑)。
でもコックピットには本物の装置が一つだけあります。普段は作動していないレーダーです。
問いを発すると、そのレーダーに一瞬だけ、行き先と周囲の情報が映ります。それを見て、行き先を変更したい場合は、どうするのでしょうか・・・。
なんと、自分のエンジンでは出来ないのです(笑)。
何に向きを変えてもらうのかと言えば、「他の飛行機」なのです。「他の飛行機」とは、自分以外の存在全て・・です。外側に配置する全てのものが「他の飛行機」だからです。
そして自分のエンジンは何のためにあるのかと言えば、他の飛行機の向きを変えるためにあるのです。

非常に矛盾した概念ですが、「外側」という概念と「ネットワーク」という概念を一緒にすると、こうなると思うのです。
極論すれば、私という存在は、他の人の運命を決定・変化させるために存在しているのです。
だから、エゴを持った人など、誰もいません。全ての人は、他人のために存在しているのです。自分のエンジンは、他人のためのエンジンなのです。
言っていることが支離滅裂に聞こえるかも知れませんが、書いている私は、新しい概念に出会って嬉しいです(笑)。だから支離滅裂仮説をこのままアップします。
自分の中では、相当ヒットしています(笑)。今までこういう思考法は無かったからです。
お互いがお互いに勝とうとしている世界では、蘇生は起こらない

昨日は次のフレーズで終わりました。
>だから、エゴを持った人など、誰もいません。
>すべての人は、他人のために存在しているのです。
>自分のエンジンは、他人のためのエンジンなのです。
この良い例が、孫さんのピーナッツ蘇生です。
今『不思議の科学2』の文庫化をするために、孫さんセミナーのセッションを調べ直しています。
それで言えることは、孫さんは豆の「メイド」なのです(笑)。だから私が蘇生するとすれば「執事」にならないとダメなのです(笑)。
そういう意味では、執事のコスプレもアリです(笑)。
何故「メイド」かといえば、豆が「ああせい、こうせい」と命令することを孫さんは「はいはい」と全部やっているのです。「はいは一度でいい」などと言われかねません(笑)。
どんなことを言ってくるのかといえば「水をくれ」「あんたの座っている方向が悪い」「こんなんじゃ、出たくない」(笑)
豆に向かって「テメーは何様だと思っている!!豆の分際でエラソーにするな!身分をわきまえろ!」とキレそうになる私がいます(笑)。
つまり蘇生というのは「ご奉仕プレイ」なのです(私も一度豆になって、孫さんに「ご奉仕プレイ」をさせたい(笑))。
そして、そんな生意気な豆に、孫さんは外からエネルギーを与えます。
豆自身では、絶対に蘇生することは無理なのです。自分にエンジンが付いていても、それは運命を変える道具にはならないのです。
それは孫さんとて同様です。孫さんは今のところ、自分自身を蘇生することが出来ません。
スプーン曲げは、運命の変更には当たらないと思います。だってペンチでも曲げられますから・・。
しかしピーナッツから芽を出すことは、現代科学では非常識すぎます。ゆで卵を生に戻すのも、非常識すぎます。
だから蘇生は、運命変更だと定義します(笑)。だとすれば運命変更が次第に拡大してくると、歴史を行きつ戻りつ・・の状態に入るかも知れません。
でもそれは、「自分」では出来ないのです。ここが、気付きの最大のキーです。
誰かに、してもらわないとダメなのです。
こうなると、ネットワークという概念は大変に重要です。
私達がネットワークで繋がれているのは、自分は常に「他人のため」なのです。
これが本当だとすれば、時空は凄いものを作りました・・。
お互いがお互いに勝とうとしている世界では、蘇生は起こらない・・のです。
(いよいよここも、本格的に精神世界化してきました(笑)。)
人は他人のためだけに「存在」する・・しかし他人のために「行為」してはいけない

今日は若山敏弘さんが来て、興味ある話を聞かせてくれました。人を直接助けてはいけないそうです。
海で溺れている人を助けようとして飛び込んで直接助けようとすると、助けた人の多くが死ぬらしいです。
長い棒を使うとか浮き輪を使うとか、間接的に助けないとだめなのだそうです。
その理由を「直接助けようとすると、時空は身代わりだと思ってしまう」と言っていました。さらに間接的に助けた方が、相手の助かる確率も上がるそうです。
だから若山さんは、間接型治療の方を増やしたのです。
気功師が「本物」だと、患者から悪いエネルギーを受けやすいらしいのです。だから本物の気功師ほど、短命なのだそうです。嘘の気功師は、いくらでも長生きする・・(笑)。
若山さんが自分の治療室にライフコントローラーを置いたのも、「間接効果」のためでした。そして今は健康食品などでアドバイスして、自分では直接手を下さないことが多いそうです。
すると患者さんの直る確率が上がり、お客(患者)も増えて、若山さんが住んでいる都営住宅を追い出されることになったそうです(年収が上がったので)。
西洋医学の医者がマイナスエネルギーを受けないのは、間接的治療だからですね。メスを使ったり、薬を使ったり・・。
それは溺れた人に、長い棒や浮き輪を使うのと似ています。
人のために直接すると、相手のためにならないばかりか、自分のためにもならないのです(自己満足だけは満たしてくれますが(笑))。
昨日までで「自分は人のためにだけある」ということが分かってきたのに、これはどうしてでしょうか・・。
溺れた人や病気の人は、周囲を剋している存在だと思います。それと直接交わることは、剋される関係に飛び込むことです。
例えば五行では、金は木を剋します。しかし間に水が入れば金→水→木となって、連続相生します。


つまり間に入る要素(棒や浮き輪)は、自動的にこういう五行を持つのではないでしょうか・・。ネットワークは、間に何かが入ることで、連続相生の関係に入れる・・。
もちろんそれは偶然だと言う人もいるかも知れませんが、若山さんが「間接手法」で都営住宅を追い出されるのは(笑)、やはりその確率的な高さを物語っていそうです。
ところで私は、五行は相対的なのではないかという気がします。何度かコインを振るとき、判断は似ていても、用神の五行は違うときが多いからです。
相対的だとすれば、中間に入った因子の五行が両端に影響を受けることはありそうです。
磁石を釘を近づければ、近づけられた側が磁石の極性とは逆になり、お互いにくっつくように変化するからです。ロスがなければ、釘は何個でもくっつきます。
そうなると、ネットワーク上でいくら離れていても、ドミノ倒しのように関係なく伝わります。しかも間接要素が増えるほど、生剋関係を綺麗に整えてくれそうです。
でもあまり遠くになると、今度はお互いのコミュニケーションが出来にくくなりますが・・。
孫さんは蘇生をするとき、「豆に宇宙からエネルギーが降りてきています」という表現を使っています。
つまり孫さんは自分のエネルギーなど、これっぽっちも使っていないのです(笑)。
それを「俺のエネルギーは強いんだぞ」とばかりに相手に手かざしをする気功師は、相手から剋されるだけなのです(笑)。
さらに孫さんは、宇宙のエネルギーを集める行為を、「火の玉」に代行させます。自分は座って待っているだけです(笑)。
「ネットワーク」という発想は、不思議現象を解くカギかも知れません・・。
さて、そうだとすれば未来の大学では、「実空間ネットワークでの間接型人間関係を抽象化したビジネスモデルを考察せよ」(笑)などという課題が出そうです。

ところで「間接」というのは、何が間接なのか・・・。
孫さんは豆を握っていますが、間接的なのです。宇宙に依頼して、エネルギーの照射を代行してもらっているからです(笑)。
「あたしゃ、豆のメイドじゃないんだよ」などという台詞も聞こえてきそうです(笑)
でも、そういうことではないと思います。
相手のためだと思わない・・善行をしていると思わない・・・これだと思います。
相手がイクのが楽しみだから、せっせと相手の体を舐め回している状態(笑)・・だと思います(笑)。
得たいのは自分の快感であり、相手はそれを提供してくれる「因子」なのです(笑)。
直接ペロペロしていても、実は相手のためなんかじゃない(笑)。
孫さんだって別に、豆のために善行を尽くそうとなんて思っていません(笑)。
人は他人のためだけに存在する・・しかし他人のために行為してはいけないのです。
「OR方式」と「AND方式」

今回の人間力アップセミナーの講演で、私は「OR方式」を取りました。
普通は「AND方式」で、複数の調査の共通項を絞り込みます。だから矛盾が出るものは省きます。
例えば原因の世界を想定した世界観と原因の世界が無いネットワークとは矛盾しますので、今までなら出しません。でも今回は出しました。
私は思うのです。矛盾は「剋」かも知れないと・・。でもその間に別の因子が入れば連続相生すると・・。
「OR方式」を取ったので、話が切り替わる最初には、必ず「調査目的」のスライドを入れました。目的意識を捨てて調査している私にしては、異例です。
しかしこれで聴衆は、全体の中の、部分の位置づけを知ることが出来ます。
さらに福次効果があります。聴衆の多くは、精神世界系だと思います。断片から得るというタイプの人が多いと思ったのです。
「OR方式」により、願望実現の実験が登場しました。さらに今までの講演会で出したスライドでも、矛盾点をそのままに、面白い話を展開できました。
何故「OR方式」に切り替えたか・・それは「ネットワーク」がキーになったからです。
生命体はANDではなく、ORだと思います。
フォーカス27から三次元に至る間のフィルターに喩えれば、ANDでくれば、光が通らなくなってしまいます。逆に「OR方式」なら、最後は透明になります。

普通はAND方式を取り、事象と事象が矛盾しないようになっています。つまり重なり合う部分だけを使います。
しかし二本の線が立体空間上にあったとき、その二本が交差していないとしましょう。
でもその線を平面に投影したらどうでしょうか・・。交差していると思います。
高次元では離れていても、この次元では交差して見える場合があるのです。
AND方式をそのまま鵜呑みにすることは危険なのです。
では重なり合っていない場合はどうでしょうか・・。
地球上の緯度線は、メルカトル図法の地図(小中学校の黒板の横に貼ってあったヤツ(笑))では平行線です。しかし本当は北極と南極で交差しています。
一見平行線に見えても、空間が歪曲していれば、重なることもあるのです。
今私達が問題にしているような世界(例えば運命の世界)では、そのくらいのことは起こっているのではないかと思います。
それをさもわかったかのように、「Aという現象とBという現象は矛盾する」などと言って、はばかりません。
大槻教授は言いました。「見るだけで物を動かすことなどあり得ない。作用反作用の法則で、目が物の反作用で潰れてしまう」・・(笑)。
彼は念力と作用反作用をANDで繋いだのです。
もしもここに別の因子があり、両者の接点になったらどうでしょうか・・。連続相生して両方アリの世界に変わるかも知れません。
別の因子・・例えば「目では押してなく、他のエネルギーを使っている」とか。
実際、孫さんの蘇生はそうです。自分のエネルギーを使っているわけではありません。彼女はエネルギーの元に指示をしているだけなのです。
力と力の関係ではなく、「スイッチオン」という「情報による指示」が介在しているのです。これで念力と作用反作用におけるANDとORが両方成立したのです。
ですからORだけで留まってもいけないのです。

講演会の最初のスライドは「このセミナーになぜ来たのですか?」でした。
みなさん何かを得たくて来たのだと思います・・と、私は言いました。
そして次のスライドは、ゴールに向かって走っているスライドでした。汗をかきながら・・。
それはANDの世界なのです。ANDは直列接続でもあります。
だから一箇所が切れると、ダメージを受けます。それがカルマです。
カルマを修復しようと、過去世にまで戻って線を繋ぐ人もいます。モンロー研究所を出た人でもそういう人がいます(笑)。
次のスライドはスタートラインにいるりんごでした。それはORの世界なのです。
そして最後は、ゴールを目指す人にも「出て良かった」と思える講演会に出来たと思います。それは出席者が「ORという思考」をゲットしたからだと思います。
そのための10万円、高くないと思います(笑)。ビジネスにもこれからの人生にも十分に使えますから。
グレイゾーンを保持する

今回の講演会は「OR方式」を前面に押し出したことは、書きました。
その効用が何にあるかと言えば、「グレイゾーン」にあると言っても過言ではありません。
AとBが重なり合っている(つまりAとBのAND)とか、AとBが重なり合っていない(つまりAとBのOR)という風に、白黒ハッキリした形で認識できる時は、とても少ないと思います。
例えば人形が喋ったとき、いつも喋るわけではないと思いますし、誰にでも喋るわけではないと思います。
同じ現象が同じ条件下で常に起こる・・というのは、少ないのです。
私は体外離脱だけで真実が分かるとは思っていません。体外離脱とて、グレイゾーンです。だから私は今回、次のことを喋りました。
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●体外離脱
客観性・・モンロー研のプログラムは客観性に欠けるかも知れません。ただし客観性に欠けるからと言って非科学とは限りません。しかしその落とし穴は認識しておく必要があると思います。あの世には多くの性質があります。それは認識への危険性となります。
想いが形になることの危険性・・・自分の想いが形となって見えている可能性があります。
今世とつながっていることの危険性・・体外離脱は臨死体験同様、肉体が「今世側」にあります。すると今世側の想い(価値観)が形となって見えている可能性があります。
ガイダンスで誘導される危険性・・モンロー研究所のテープガイダンスが、想いとなって、そういう世界を形作っている可能性があります。
アンケートで「確定」される危険性・・モンロー研究所のアンケートが、不定形のものに形を与えている可能性があります。
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グレイゾーンであることを認識してもらうためです。
つまり私は「Aである」と言い切ることは出来ないと言っているのです。
グレイゾーンであるAとグレイゾーンであるBの重なり合いは、ますますグレイ化させます。言い換えれば、論理思考すらグレイ化させないとダメなのです。
さて、私がものごころ付いてから下位の問いを持ち続けられたのも、「グレイ化思考」のお陰だと思います。
30才の時に大学の後輩に言われました。「あれから全然進歩していないですね。まだそんなことを考えているのですか・・。」
私は「グレイ化」していたから、下位の問いを考えられたのです。普通はAかBかのどちらかに持っていこうとします。
一般的な「成長」といのは、そういうことだと思っています。AかBに片を付ける行為が「成長」なのです。言い換えれば「わかった風なことを言う」ことです。
そういう人は、安定に入ります。
私は女装で出場しました。53才の男が女装で出ました。とても不安定だと思いませんか?
「グレイ化」とは、不安定思考そのものなのです。
ANDでもなくORでもなく

今回はANDでもORでも引っかからなかったらどうするか・・という問題です。
引っかからない問題ほど厄介なことはありません。存在を証明できないからです。
世間ではそれを「無い」と言います。
ところが私達が問題にしている領域は、おそらくこれなのです。


私とは、私以外の部分の空洞なのです。つまり、無いのです。
ある人が、『さて、今回もりけんさんが言っているORというのは、決して従来の論理的思考方法における、切り離しのORではなくて、「剋」AND「」AND「連続相生」の真ん中の「」を空けたままにしておくということではないかと思いました。』と書き込みましたが、「空洞」が「」に近いです。
さて、私とは「環境に開いた穴」だとしたとき、何もない穴を検知することは難しいです。何の測定器を持っていっても振れないからです。だとすれば、外側を測るしかありません。
なのに今日は「ひとりごと」コーナーに「いいじゃないですか、人は人、自分は自分」という書き込みがありました。これなどは正反対の方法なのです。本人は自分探しをしたいらしいですが、「私」を他人との関係を独立させて、私探しなど出来るわけはないのです。
私が変わるためには外側が変わらなければならないのは、上の図を見れば一目瞭然です。
無いものはそれ自身では変えようがないし、「私」について責任の取りようもありません。
上の図は「私は結果」を、別の視点から書いただけなのです。ただし、仮説です。


さてこの図は、ネットワークの線を書き入れたものです。
最初の図と違うのは、空洞だった「私」の中にも線が通っていることです。
世の中にはドールと喋れる人もいれば(笑)、ピーナッツと喋れる人もいます。
また私の仮説ですが、双方向通信をすることで、何かが変わるのです。
外側の何かが変われば、「私」が変わります。
そしてこのネットワークの線というのは、誰にでもあるとは限らないのではないかと思います。この線がどこにあるかと言えば、この空間上ではないと思います。

今、『不思議の科学2』の文庫版を書いています。今までは「私は誰でもない」だけがキーワードでした。
でも「私は結果」(講談社)には、「You are everything aren't you(あなたはすべてとつながっているではないですか)」という言葉が出てきます。
自殺したペレットという外人の魂を救う時です。
でも私が彼を救ったのではなく、彼にネットワークの気付きを与えたのが原因だと思いました。彼に回線がつながり、外部からの力で吊り上げられたのです。
つまりネットワークと情報と、それを使いこなすノウハウがご主人様であり、エネルギーはメイドに相当すると思いました。孫さんがしているのが、まさにそれだからです。
そして次の仮説ですが、線を繋ぐのは、あくまでこちらのオプションなのではないか・・と。つまり自由への一歩は、こちらがキーを握っている・・と。
とは言っても、線は「私」の直前までは配線されているのです。普通の人は、単に繋いでいないだけなのです。でも繋ぎ方が分からない・・。
繋ぐための一つの条件として、「私は誰でもない」という概念が必要なのだと思います。
「私」にモノが一杯詰まっていたら、線も繋げません。
かなり飛んだ仮説ですが、本を書く時はこれくらいハンドルを手放す行為が必要です(笑)。
向こう側に拡大する「私」



昨日は、空洞であるはずの「私」から通信回線が外に出ている絵を出しました。
今日は、体脱の絵です。
肉体を抜け出して私が「私」の外部にいます。どちらの「私」が本当の私でしょうか・・。
身体の私が「空洞の私」か、それとも魂の私が「空洞の私」でしょうか?
もしもどちらかが空洞でなかったら、一方の運命を変えることが出来ます。
いえ、今日の話題はこれだけではありません。
最近モンロー研では「バイロケーション法」という体脱手法を一生懸命に宣伝しています(笑)。これは肉体を抜け出さずして、二箇所に同時に存在することです。
先日『アンビリーバボー』でモンロー研の取材が放映されましたが、そのときもバイロケーション法が主流でした。
私が山西省に行っているとき、トラさんはお昼を食べるために自宅に帰ります。そして昼寝をします(笑)。私はホテルで昼寝をします(笑)。
で、私が先に起きて「そろそろトラさんが起きる時間かな」と思った瞬間、トラさんの頭を「私」がコンコンと叩くそうです(笑)。一種のバイロケーション法です。
夢を見ている間、人の意識は広がっていると言われています。予知夢などを見るのもそのためだと思います。
「私」というのは小さな肉体には留まっていない様子です。だとすると、「私」は向こう側の世界に広がることが出来そうです。向こう側の世界とは、私にとっての「原因の世界」です。
人は個に固執していないとき、言い換えればハンドルを手放しているとき、原因の世界とのグレイゾーンにいるのではないかと思います。
ただし人はいつも「私が原因」だと思っているので、グレイゾーンに拡大しているにも関わらず、運命変更法を使えないのではないかと思います。
地方局の逆襲(笑)

今日はSFCの授業(村井教授)をリアルタイムで見ました。地上波デジタル放送とインターネット放送というテーマでした。
さて、岡山放送という放送局があったとします。岡山放送は岡山という地域にしか放送できません。地上波デジタル放送になったとしても、岡山に限られます。
しかし番組がデジタル化されるということは、そのままインターネットに乗るということです。こっちの方が凄くないですか?(笑)
しかし郵政省がそれを認めるかどうかが問題だそうです。でも時代の趨勢には勝てないと思います。
そしてインターネットで放送されてしまったら、どうでしょうか?岡山放送は全国を相手に出来るのです。

今まで私が最も感動したドラマ、それは北海道放送(HBC)が作った「新世界」という単発ドラマと、NHKが作った「祝辞」という単発ドラマでした。
「新世界」を見た時、私は思いました。「北海道の人はいいなあ、こんなドラマを作ることのできる放送局をいつも見れるんだ・・。」

「新世界」・・それは北海道の町役場の助役が主人公でした。彼は昔、東京のオーケストラの楽団員でした。それを辞めて、地元に戻りました。そしてそのオーケストラが札幌にやってくるということになりました。昔のよしみで参加させてもらえることになりました。でもシンバルです。新世界という曲にはたった1回、シンバルを打つ場面が最後にあるのです。他の楽団員は華やかな東京人になっていました。「芸術」を語る楽団員。練習の休み時間に相手にされず、ひとりぼっちの彼・・。でも当日、役場の全員がマイクロバスで見に来ます。そして演奏が始まります。今までの半生が走馬燈のように出てきます。彼の「芸術」はカラオケの無い当時、宴会で茶わんを叩いて歌の伴奏を作ることでした。みんなが彼の伴奏に楽しそうに歌う場面・・。半ネクタイで踊るように茶わんをたたく彼。そしてビシッとした燕尾(えんび)服で決める団員。借り物なので燕尾服が体に合わない彼。冴えない彼の人生。頭が真っ白になった彼は、たった1回のシンバルが打てなかったのです。楽譜のその部分に大きく赤丸をつけてあったにも関わらず・・。そして次のシーン・・。誰もいなくなった舞台に彼だけが残っています。誰もいなくなった客席に役場の人たちだけが残っています。彼はじっと前を見ています。涙すら出てきません。そこで、やっとシンバルをたたきます。思い切りたたきます。たった1回。ドラマのバックを流れる新世界という曲・・。外ではタイヤが雪を踏む音。大役を果たせなかった彼・・。

東京のキー局では作れないドラマだと思いました。
今までは東京のキー局が全国の地方局を「ネット」して、番組をばらまいていました。東京の文化はそうやって全国に伝わりました。
しかしインターネットで放送すれば、全ての地方局も「ネット」を手に入れたことになります。
私は沖縄や稚内の地元ニュースなんか見てみたいです。それこそ視点移動できそうです。
今までの「全国ネット」はまるでハイアラキー(縦割り)の神のシステムのようでした。
しかし新しい「ネット」は全てが平等のネットワークです。
六爻占術の出現で、時空はネットワークだという仮説が出ました。まるでそれにシンクロするように、社会のシステムも動いているような気がしてなりません。
こうして考えると、原因の世界は、どこかにまとまってあるわけではないと思いました。どこかにまとまってあるとすれば、それは東京を中心とする「全国ネット」の世界に似ているからです。
ところで運命変更に使うグッズも、大きさには関係ありません。どんな小さな物も、運命変更の強力に決め手になるとすれば、地方局のインターネット化と同じです。
地方局の逆襲(笑)

P.S.
彼はシンバルを「たたかなかった」のかも知れません。「たたけなかったか」「たたかなかったか」、あのドラマを見る限り、この差は微妙です。
新世界というドラマは、生命の危険とかカーチェイスとか、緊迫するシーンは何もないのに、私にとっては画面から目が離せない状態でした。
まるで私が問われているようでした。「お前は楽団員をやっていないか?」・・と。
ドラマを観終わり、涙が出てきました。実は上の書き込みをしている時も、涙が出てきました。観たのは確か、私が18歳の時でした。
問いはこれだけではなかったですね。「お前にはこれだけの番組が書けるか?」とも問われていました。
世間では、精神世界のようなカッコイイ台詞を言わせ、人を導くようなドラマの多い中で・・。
『新世界』と『祝辞』この二つのドラマは、とてもよく似ています。
主人公がどちらも、「大役を果たせない」のです。しかし二つのドラマに共通したことは、周囲の流れを変えるのです。
『新世界』では、小学校の音楽教室のピアノが新しくなるのです。その決定が、帰りのマイクロバスの中で、あるのです
冴えない主人公が出てくるこのドラマは、私の心の中でずっと生きています。
時間系と空間系

SFCの村井教授の授業の続きです。授業そのものは上位バリバリなのですが(笑)、下位の問いを持ちながら聴くと、大変に示唆に富んでいます。
今は地上波デジタル放送とインターネット放送のことをやっています。
ここで時間系と空間系という概念が浮かびました。
通常、放送というのは時間系です。番組を時間の流れに乗せて送るからです。放送番組を見る人は、その時間を制約されます。
現状のアナログ放送では、開始する時間まで制約されます。それを自由にするのには、ビデオ録画をしないといけません。
しかし地上波デジタル放送は、そのまま圧縮して、インターネットに乗ります。だからビデオは不要になります。
さて、インターネットは基本的に空間的です。
サーチエンジンは、インターネットに登録さている文字情報を空間的にスキャンして検索しています。だから音声データや動画データは無視されます。
つまり今のインターネットのシステムのままで、放送番組の中身をサーチさせることは出来ません。
サーチの対象になるためには、放送番組を時間系から空間系に変換させる必要があります。例えば「音声→文字」といった具合にです。
でも動画となると、手に負えません。裸の女か裸の男か見分けるのは、コンピュータとてかなり難しいばずです(笑)。女がペチャパイで男が短小だとなおさらです(笑)。

さて、ここまでは前置きです。
これを考えていた時、六爻占術も「時間→空間」だと思ったのです。
運命の流れは、時間系です。しかし卦は紙の上に表現されるので、空間系です。
最近、面白い手紙が来ました。コインを18枚持ち、一回で振っても当たるというのです。手前から3つずつ分け、初爻→二爻→三爻と上がっていくのだそうです。
これが正しいとすれば、18枚のコインは運命という時間系の流れを、一気に空間系に持ってきているのです。
運命の流れは、地上波デジタル放送のように、デジタルの流れかも知れません。
放送をインターネットに乗せるとき「音声→文字」変換するとすれば、まさにそれはコインを振って卦を出す作業のようです。
さて、運命変更は置物を使う時が多いです。これは空間を使います。なのでこれが運命の流れの世界に行ったときは「空間→時間」変換をしているのかも知れないと思いました。
デジタル放送の場合、空間と時間の行き来はとても大変で、面倒です。100%変換することは、まず無理です。
しかし運命の世界は、意外に可塑性に富んでいると思います。時間を使っても空間を使っても、同じように運命変更効果があるからです。
こうして考えると、運命を司る世界(18ビットがある世界)は、時間と空間のどちから一方にあるわけではないのかも知れません。
書き込み期間:2005/03/29〜2005/05/30/2005/06/13〜2005/06/14