テーマ:「『不思議の科学』文庫化」
書き込み期間:2004/10/12〜2004/11/15
要旨:
『不思議の科学』文庫本化の作業が始まりました。執筆から六年が経った今読み直しても、内容は全く色褪せてはいません。
『不思議の科学』には「原因の世界」「結果の世界」という言葉が出ていて、この頃から既に「三次元は結果の世界」「私は結果」という仮説を持っていたのです。これは極めて斬新で先駆的な内容だと思っています。
そこで、文庫版のタイトルも『「私は結果」原因の世界への旅』となりました。
『不思議の科学』の内容で、私が腹の中に発信器を入れ込んだ実験を評価する人が多いです。ですがそれよりも、私の中ではお尻から金属リングを入れ込んだ実験の方が圧倒的に凄いと思っています。
精神性を説く人の誰が「ケツへの入れ込み」をやるでしょうか・・。しかし私は精神性とか生き方論とかを言うのは嫌いです。
それでも私は発信器やリングを入れ込む時、神を信じていたのです。それは奇跡をもたらす神ではなく、方程式のルール通りに事を運ばせている秩序の神です。
『不思議の科学』では、時空のドアとのやりとりで「あなたは誰ですか?」と問われる場面があります。その質問を外人の参加者達が「ZEN CONVERSATION(禅問答)」「LAST QUESTION(最後の質間)」と呼びました。私はこの呼び方に引っかかったのです。
私にとっては「最後の質問」ではなく「最初の問題」だからです。まず最初に出くわすのがこの問いであり、これを避けては先に進めないというものです。
これを「最後の質問」と定義付ける人は、いつもその問いを迂回しているのではないでしょうか。
 
『不思議の科学』を執筆していた頃と今とで、考え方が大きく変わったところがあります。
『不思議の科学』には、「好奇心とはいったい何なのでしょうか?エゴに近い感情でしょうか、愛に近い感情でしょうか。」という一節を書きました。
この頃の私は、神は全知全能だから好奇心は働かないと考えていました。ところが今では、「時空にすら答えはなく、まだ知らない自由の世界に向かっている」という仮説を持っています。
この変遷に六年の年月を費やしたということです。
『不思議の科学』の文中で特に大事なのは以下の一節です。
「自然界は我々が質問するのを待っているのではないか。その質問に合うように物理世界を作り替えているのではないか。万物の奥底にあるものは、答ではなく質問なのだ。」
私は「問いは周囲の人の運命を変えている可能性がある」とも言っています。
おおもとを変えるのは問いではないかと思います。私の講演会でも問いかけが多いです。
そうして問いかけをすることが、世界を変えるきっかけになっているのかも知れません。
目次
○文庫化スタート
○原因の世界
○自由
○輪廻転生の管理責任者は実在するか
○『死後体験』
○一方方向からではない『不思議の科学』
○LAST QUESTION
○好奇心
○奇跡の神と秩序の神
○結果の世界と原因の世界
○おおもとは問いで変わる
○『「私は結果」原因の世界への旅』
○孫さんの蘇生
○私は結果
○幸せは前提
○時空も「状態」を作りたい、「状態」は「始まり」だから
文庫化スタート

 いよいよ『不思議の科学』の文庫化がスタートしました。
「本書は1998年に刊行された『不思議の科学』を改題し、大幅に訂正・加筆・編集を加えたものです」と注記される予定だそうです。
 原本を買っている人も、もう一度買ってもらいます(笑)。経済の原則で・・
 今、アマゾンで中古の価格を見たら、1998年に刊行された本は4000円程度で売りに出されています。『不思議の科学3』の中古価格は6000円もします。
 ということは、もっと値段が上がる可能性があります。
 しかし、文庫化の情報は、単行本の中古価格にどう影響するのでしょうか・・。
 『不思議の科学』の文庫化はすごいです。だって巻末には「今」の私でエッセイを書きます。ということは、六年かかって書いた本に匹敵します。
 六年前の私を、今の私が「斬る」のです(今の私が斬られるかも知れません・・)。
 私だって、並なエッセイは書きません。

原因の世界

 今日は編集者が来ました。『不思議の科学』の文庫化の第一回会合です。
 そこで出た言葉が「原因の世界」です。これは『不思議の科学』の後半で何度も登場します。
 その反対の言葉は「結果の世界」ですが、これも『不思議の科学』に登場します。
 結果が結果を変えようとしていたのが、今までの私達だ・・と。
「私は結果」というのは、六爻占術が始まってからの流行(はやり)の言葉になっていますが、既に「不思議の科学」の時代から始まっていたのです。
 つまり原因を「私の内部」とは考えずに、「私の外部」に考えたのです。
(その後、私以外にもモンロー研究所に行き、体脱に関する本など書く人が増えていますが、そのいずれもが、原因を自分自身に置いています。)
 『不思議の科学』のすごい所は、この三次元は「結果の世界」と言い切ったところにあると思います。
 六年前といえば、足立郁郎さんとか、飯田史彦さんとかの全盛期・・
 よく言えたと思いませんか?
実は船井さんもこの単語(原因の世界)を使うようになりました。
 原因が外側だという考え方は、極めて斬新だと思います。だって世界観がひっくり返るからです。『不思議の科学』は、その先駆的な本だったのです。
 執筆してから六年の年月が経っていますが、内容は全く色褪せていないどころか、時代を先取りしすぎていた感じもします。
 今、文庫化の話が持ち上がり、もう一度編集作業に入れる私は、とても幸せです。
 また、あの当時このHPを見ていなかった人も、『不思議の科学』の世界を私と共に堪能できると思います。

自由

 今日編集者と話したのは、『不思議の科学』の話ばかりではありません。『不思議の科学』は過去の本です。
 今日は新刊本『運命を変える未来からの情報』の次の本の話が出ました。
 新刊本の次なので、「次刊本」とでも名付けましょう(笑)。
 次刊本のテーマは、「自由」です。
 なんだ、またそのテーマか・・と思われる人はいないでしょうか?(笑)
 ところが、「自由」は私のサインから消えました。なぜ消えたかと言えば、おそらくこれほど深い言葉はないからです。
 編集者とFOWの私の講演について話しました。
 私は仮説・・時空も仮説・・この根底に流れるのが「自由」なのです。
 私は言いました。「自由という概念がわかっていて、それに向かって時空が動いているとすれば、方程式によって向かう自由だと考えられます。方程式で一義的に導かれる世界が、時空の目指す自由でしょうか・・・。」
 編集者が言いました。「HPに面白い書き込みがあったですね。電波の発信源を探るための図です。あれは森田さんの場合、予定調和ではないという書き込みです。まさにあれですね。」
 私は答えました。「そうです。暗中模索のことです。暗中模索だとすれば、それは方程式で一義的に導かれる世界ではないと思います。」
 編集者は言いました。「新刊本は『問い』が切り口でした。でも次刊本は問いでも答えが得られない世界かも知れませんね。でも今までの経過と矛盾しません。DVDでは、時空は全体の業として自由に向かっていると言いました。次はその自由とはいったい何か・・ということですから。」
 この議論に約二時間を使いました(笑)。
 私は訊きました。「『不思議の科学』の文庫化は、どうしましょう。」
 編集者は答えました。「私のコメントを読んでおいて下さい。また話し合いをやりましょう。」
「はい・・」
 ということで、『不思議の科学』の話は、ほとんどしていないのです(笑)。
 もちろん「自由」は仮のテーマです。でも今日は、次作に向かっての話が出たのです。

輪廻転生の管理責任者は実在するか

 まずは『不思議の科学』の本文です(168ページ)。

 モンロー研究所のセッションはこのころ佳境に入っていました。フォーカス二七を管理する管理責任者に会いに行き、さらにプランニングセンターにも立ち寄るというのです。
 プランニングセンターとは輪廻転生において、来世の計画を立てる場所です。この場所にはどうしても行ってみたかったのです。それがわかれば、私は現世においてなぜ日本を選び、なぜこの両親を選び、なぜ男性という性を選び、なぜ不思議なことを研究するようになったかも分かるはずです。
  精神世界にバースビジョンという用語があります。生まれる前に持っていたビジョンという意昧で、それを思い出すことが大切だということです。それがわかれば「私は誰なのか」という質問にも答えられそうだと思いました。
 フォーカス二七につくと、Coordinative Intelligence(管理責任者)に会いに行けと言われました。私はイメージしたのですが、どこにも行けませんでした。
次にプランニングセンターに行けと言われました。そのときもどこにも行けませんでした。つまりどこにも移動できなかったのです。
 この最終コースでは一回のセッションごとにアンケートと感想文を書かなくてはなりません。セッションの最初のほうは自由形式でしたが、このころになるとアンケートも詳しくなります。だからセッションに入る前に読むようになってしまいました。
 たとえばプランニングセンターのセンターはどんなところにあり、センター長はどんな仕事をしていたか? あなたは彼からどんなメッセージを受けたか?などという質間が書いてあります。できればアンケート用紙は全部記入したいので、セッション中に見落としがないように、事前に質間を知っておきたくなるのです。
 この後の報告会で私は次のような報告をしました。
「私は両方とも見つけることはできませんでした。それは私がそういう存在を信じていないからかも知れません。
 しかし、ひとつ言いたいことがあります。彼らは本当はいないのではないでしょうか。モンローさんの著書の中にはプランニングセンターらしきものは書かれています。プランニングセンター長のような存在(エドという名前の魂体)も記述されています。しかしこのアンケートにあるような確立されたイメージではありません。
 ひょっとするとこのアンケートとコントロールルームからの誘導音声によって、存在しなかったものまでが作り出されたということは考えられないでしょうか? 管理責任者などというのはアメリカでいえば大統領を思わせます。ひとつの魂体が全体の魂を管理するなどというのは、この世の話ではないでしょうか?
 それが本当だとすればその魂体は神の親戚ですか?そうでないとすれば、輪廻転生をちゃんと卒業した存在でしょうか?東洋の仏教には管理責任者なるものは存在しません。輪廻転生のシステムが存在するだけです。
 私はプランニングセンターが存在するとしても、システムとして存在するのではないかと思います。誰か個人の意志のようなものは働いていないと思います。
 ところでモンローさんの存命中は、モンロー研究所はどんな宗教からも独立していたと思います。俗にいう精神世界からも独立していたと思います。けれど、この状況はアメリカの議会システムみたいです。それであの世を定義しようとしています。」
 プランニングセンター長の存在は賛否両論がでましたが、見たという人の方が多かったように思います。本当に存在するのでしょうか?
 私はこれ以降、アンケートヘの記入を拒否しました。もちろんちゃんと理由を書いてですが。

 本文は以上です。
 まず、あれだけの英語をよく喋れたと思います(笑)。そして喋った内容は、非常に重要なものでした。
 今でも色褪せていないどころか、基本的な問題を解き明かす糸口になっていると思います。
 生まれ変わりの村の情報では、輪廻を管理するような責任者は存在しません。でも体脱や臨死体験では登場する時が多いです。
 何故だろうと思っていましたが、そのヒントは喋った内容にあると思いました。
 体脱や臨死体験はこの世の肉体とまだ繋がっています。だからこの世の価値観を持って行っている可能性が高いと思うのです。
 ましてやコントロールルームから誘導されれば、そういう幻想を見る可能性が高くなると思います(コントロールルームの音声が聞こえるのも、この世と繋がっている証拠です)。
 モンロー研には「WHO ARE YOU?」という私の作ったポスターが貼ってあると聞きます。
 でもあのドアにコントロールルームから誘導することは、不可能だと思います。誘導されて出てくるドアは、本物ではないと思うからです。
 私の場合、モンロー研の指示を途中からほとんど無視してやっていたのが良かったのかも知れません。そうでないと「人生の計画」なんて、言っていたかも知れません(笑)。
 最近モンロー研は、精神世界に傾いてきたと思います。魂の気付きやレベルアップを目的とするような・・
 そしてそこから「得られた」もので、今世の「生き方」を変えるためのような・・
 方向性を持ったアンケートを拒否した私には、もっと根本的な問題があったからでした・・。
 しかしローリー・モンローさんは、このポスターを気に入ったのでした・・


『死後体験』

  
 死後体験が書かれている本を読みました。
 『不思議の科学』の最新版あとがきを書くために、一応は読んでおきたかったからです。
 あの世での「人生の計画センター」の話はちゃんと出てきます。来世は誰と結婚してどういう人生を送るかを、そこで決めるのです。
 でも例えば来世で私(森田)と結婚したいと計画した女性が二人出たら、どうするの?(笑)。その上、私がその二人を指名しなかったらどうするの?(笑)
 個人が勝手に「計画する」ことなど、あり得ないと思いませんか?
 こんな誰でも分かることなのに、どうして今まで「個人計画説」がまかり通ってきたのでしょうか。
 そう言えば、「ソウルメイト」という単語も沈静化してきたような・・。
 出来るだけランダムな駒としてのデータを取るためには、「ソウルメイト」とかはまずいですよね。
「個人が計画」するというのも、まずいです。だって知らない人は、選びにくいから。
『不思議の科学』は、極めて未知の分野で「科学的」なのです。しかも荒削りをところを、本人は何とも思っていない・・
 発信器の入れ込み、気圧計を使ったテレポーテーションの実験(この装置なんて、すごいです。考え抜いています。ゴム紐、冷蔵庫の中、フラスコ)・・すべて自作で挑戦。
 いやぁ、文庫化されて良かった・・・

一方方向からではない『不思議の科学』

 『不思議の科学』を読んでいると、モンロー研の体験談とは思えません。ケツに手を突っ込まれるのですから(笑)。
 突っ込んだのはエドウィン本人だと思っていたら、『不思議の科学』の記述を読むと、助手でした。向かって左のフランケンシュタインに似た人(笑)
 助手の方が手が細い(Sサイズ)・・やはり最初からLLサイズは無理(笑)。



 ブースに横たわり、スピリットが銀河系を抜けて、高次元へ向かう人・・
 一方、フィリピンでパンツも脱がされ、ケツから大腸に達するまで金属リングを入れられる人・・
 私は問いたい・・精神性を。
「ケツに手を突っ込まれる」の実験を、他の人がする必要があると思いますか?
 ないですよね・・。なぜなら、精神性と無関係だからです。
 ケツに手を突っ込まれる実験は、一週間かかりました。モンロー研よりも長いです。
 ケツは、最後の手段だったからです。毎日、体の別の部分が血だらけでした。
 なぜか、「死んでも文句を言わない(死ねば言えないが)」という紙にサインさせられました。「小悪魔」を使うからです。
 そんな事をして、精神性の何の役に立つでしょうか?
 さらに言えば、ケツに手を突っ込んだのは、神父です。神を暴こうとしている人間のケツに・・。神父は、私の迫力負けです。
 手を突っ込まれるのは、すごく痛いです。ビジネスにもなりません。
 発信器の入れ込みを評価する人は多いですが、私の中では圧倒的にケツなのです。なぜなら、レントゲンが撮れたからです。
 ケツの実験が、フィリピン最後の実験でした。発信器は三度も入れたし。
 私は精神性とか生き方論とか、嫌いです。
 そんなことを言う奴は、ケツに発信器でも入れたろか・・と思います(笑)。
 少なくとも、「科学者」のやる事ではありません。精神的な次元が低すぎるのです。

LAST QUESTION

『不思議の科学』では、ドアとのやりとりが一つの山場です。
「あなたは誰ですか?」と時空のドアから訊かれる場面です。
 それを参加者に報告した場面が、本には次のように書いてあります。
「外人たちはこのやりとりを『ZEN CONVERSATION(禅問答)』と名付けました。『LAST QUESTION(最後の質間)』と言う人もいました。つまりあなたは誰ですかという質間は、生きていく上の最後の質間だというわけです。」
 実は、今回初めて引っかかりました。「LAST QUESTION」・・にです。
 この意味には、「重要な」というニュアンスもあると思いますが、私には「多くの問題を解決した上での、最後の質問」と解釈されるのです。
 つまり日常生活には出てこないで、何かあらたまった時に考えるというような・・。
 ところが私にとっては「FIRST QUESTION(最初の問題)」なのです。これを解決しないと、先に進めません。
 それはあのドアでも同じでした。私はあのドアを無視して通り過ぎることも出来ました。でも出来ませんでした。
「あなたは誰?」と訊かれて、その問いを迂回するわけにはいきません。
 もしかすると「LAST QUESTION(最後の質問)」と定義する人は、いつも迂回しているのではないでしょうか・・。
 
 体脱の本は日本でも出るようになりました。
 しかし「LAST QUESTION(最後の質間)」に挑戦をする人の本を読んだことがありません。
 同様に、世界を変えようとか意気込む団体にも、「LAST QUESTION(最後の質間)」を感じたことがありません。
 でも「LAST QUESTION(最後の質間)」に挑戦することが世界を変えると思いませんか?
「ZEN CONVERSATION(禅問答)」と「LAST QUESTION(最後の質間)」
 この二つの意味は、「そんな事を考えても、答えは出ないんだよ」と言っているものではないでしょうか?問題提起する人に、多少失礼ではないでしょうか?(笑)
 もちろん私は、ガッチリと食い下がりました。それはあの、「人生の計画センターなど、おかしいではないか?」というセッションの後です(笑)。
 問題児の日本人がまたごちゃごちゃ言っている・・(笑)
 しかしこの後のくだりは、本には書いていません。
「LAST QUESTION(最後の質間)」に対する答えを出したあの時の様子です。
 彼らにとっては、あるとは思わなかった、あってはならない・・答えなのです・・
 なぜなら、「ZEN CONVERSATION(禅問答)」と「LAST QUESTION(最後の質間)」だったのですから・・

好奇心

 以下は『不思議の科学』の中の一節です。

 好奇心とはいったい何なのでしょうか?
 エゴに近い感情でしょうか、愛に近い感情でしょうか。
 神様は私たちを自分に似せて作ったといわれています。でも私たちが持つような好奇心は持っていないかもしれません。なぜなら神様はすべてを知っているはずだからです。
 となると、好奇心を持っているのは人間だけかもしれません。神さえもっていない感情だとすれば、あまり良いことではないとも思えてきます。
 科学技術の発達も、その大半の原因は好奇心にあると思います。こうしたらどうなるだろう、ああしたらどうなるだろうといっては、チャレンジをしてきました。

 これはフィリピンで、ジュンラボという心霊治療家を訪ねた後のことを書いた文章です。
 私が発信器の入れ込みを「神が許さない」と言って断られ、その後、ラーメンカップを持って臨むのですが、そこでもカンカンに怒られました。
「どこにトリックがあるというんだ」・・と。
 私は50人の前で、パンツ一丁で、ラーメンカップを持って立ちつくします。
 調査をしていると、時々こういう場面にぶつかります。
 私は好奇心でやっているのですが、それはエゴだと思わせられる時があります。好奇心は自分のためであり、自己満足そのものだからです。
 上記の文章を書いたときは、神は全知全能であり、未来の果てまで把握して、全てご存知であるという前提でした。
 そのとき、神には好奇心が働かないと思います。好奇心とは、未知の分野に対して働くものからです(という意味では、スープを飲まないで生まれると、好奇心は少なくなるかも知れません)。
 しかし・・・DVDブックで「全体の業」という概念がデビューしました。
 さらに船井幸雄オープンワールドでは、時空ですら仮説の上でしか発展できず、まだ見ぬ自由な世界に向かっているのではないか・・・という仮説も生まれました。
 となれば、神にも好奇心はアリなのです。
 この気付きに辿り着くのに六年かかったのです(正確に言えば52年間。人類の歴史で言えばもっと・・)。

奇跡の神と秩序の神

 さっそく『不思議の科学』の本文です。 

 それからが大変です。彼女がお祈りをしている間にアンテナを据え付け、受信機を三台セットしました。
 私は上半身を裸になってベッドに横たわりました。私の手にも小型受信機が握られています。受信機のメーターは振れていました。発信器から正常に電波が出ているのです。耳にはビート音をキャッチするイヤホンまで付けています。耳の中でも電波の音がキャッチできます。
 ああ、ついに真理を知ることができる瞬間が訪れる……
 私はそう思いました。
 私はこの時点で、自分の体内そのものに発信器が入るなどとは思っていません。私のお腹の空間を裂き、発信器はそこを通って別空間にいくはずなのです。だから安心して発信器の挿入を依頼していました。
 世の中の人が神様の存在を言うとき、それは二種類に分かれると思います。宗教家が言う神様は奇跡の神様です。科学者が言う神様は秩序の神様です。
 私は奇跡の神様を信じてはいません。いるとすれば秩序の神様です。もしも奇跡の神様なら、発信器の入れ込みをしてはもらいません。秩序の神だからこそ、その秩序が知りたくて、さらには秩序を信頼しているからこそ発信器の入れ込みを頼んだのです。
 私はベッドの上で感動の瞬間を迎えていました。あと数秒後には仮説の証明に一歩近づけると……。

 本文は以上です。
『不思議の科学』には神様という言葉が出てきも、時空という言葉はほとんど登場しません。この頃の私にとって、追求する相手の呼び名は「神」だったのです。
 この変遷は私にとって、とても重要です。
 みなさん、もしもこのHPに来ていなくて、私のことを知らなかったら、追求する最後の相手は誰になりますか?
 自分だ・・なんて言わないで下さいね(笑)。あるはずです・・外側に、何かが・・
 いえ、無いかも知れません(笑)。それは、あまりに得体が知れないからです。
 だから神はいないという人と、あまり話をしたいとは思いません。私達の存在の根本を、いとも簡単にぶった切る人がダメなのです。
 逆に、そういう事に全く疑問を持たない人もダメなのです。
 この問いは、下位の部類です。だって具体的な生活を営み、幸福を追求する上では必要無いからです。いえ、邪魔にさえなります。
 だから下位の問いは早く片付けて生き方に向かうのが宗教あり、精神世界だと思います。
 私は『不思議の科学』の時点では、呼び名を「時空」ではなく「神」だと書きました。
『運命を変える未来からの情報』を執筆する時、編集者に訊きました。
「神はどう呼びましょうか・・ヤツではまずいし(笑)。」
 そして新刊本では「時空」になりました。
 さて、神にも性質があります。奇跡の神と秩序の神です。
 奇跡の神を信奉する者は、奇跡で証明しようとします。キリストしかり・・サイババしかり・・
 でも私だって神の存在を信じています。秩序の神として・・です。
 だから発信器の入れ込みに対して、怖くないのです。
 奇跡の神なら、怖いです。そこに神の「気まぐれな」意志が介入しそうだからです。
 発信器を入れられる瞬間、私は神に祈ったわけではありません。
 血も涙もない、大量虐殺までしでかす秩序の神を信じていたのです。
 ルール通りにコトが運ぶと・・私の仮説通りにコトが運ぶと・・。

孫結果の世界と原因の世界

 さっそく本文です。

 私たちは結果の世界で幸せになろうとしてきました。
 結果の世界には客観性が存在します。つまり誰の目から見ても幸せという状態です。
 そういう幸せを求めて生きようとしてきました。
 モノサシは共通のものでなくてはならなかったのです。
 努力をしてモノサシに合わせようとしました。
 しかしそれらはすべて結果の世界の中の出来事でした。
 影が影を変えようとしていたのです。
 もしも私が影だったとし、それを変えるなら、影が写っている床板を変形させる必要があります。その刻み方を教えてくれたのが物理学でした。
 影は長いこと変わることはありませんでした。
 しかしちょっと違ってきました。
 実体を動かせば影は簡単に変わったのです。
 私の気づいた点はここにあります。

 本文は以上です。これが六年前に書かれていたのです。
『不思議の科学』はやはり、先駆的な本だと思います(笑)。
 何故かと言えば、六爻占術が出てきたとき講演会のスライドでは、「私は結果」という短いセンテンスを出し、自分の意識は原因ではないという主張を始めました。
 それが・・既に『不思議の科学』に書いてあるのです。
「いのちの世界」という有名な図(笑)にも、この三次元の世界は、「結果」だと明記されています。
 他の方がその後に出されている体外離脱関係の本には、こういう視点はありません。視点は常に「自分」にあります。そしてどうすれば体外離脱ができるか・・どうすればガイドや天使と繋がれるかが、書かれているものが多いです。
 そんなもの、私にはどうでも良いのです。ガイドや天使から、何を奪い取ろうと言うのでしょうか・・・。そんなに何かが得たいのでしょうか・・・。
 視点移動・・・実はこれを成し遂げたくて、体外離脱に挑戦したのです。女装だって一つの視点移動なのです。
 そして『不思議の科学』では、根本的な視点移動が行われました。それは原因と結果の関係です。
 原因がこの自分自身にあるというのは、ずっと前からの常識でした。
 世界は自分の意識が作り出している・・だから欠点を直せ、生き方を変えろ・・この世はそのための修練だ・・・うんざりするほど聞かされました。
『不思議の科学』では、これらをすべて嘘だと言ったのです。

おおもとは問いで変わる

『不思議の科学』の本文です。

 世界は正の方向にのみ向かうのではなく、逆もあり得るとなれば、その切り分けをどこですれば良いのでしょうか。
 蘇生超能力者の孫さんは、科学者が仕込んだサインを、どちらのサインかを見分けることによって残すか消すかを決めています。
 電子は粒子の性質と波動の性質の両方を持つといわれています。電子を発射し、ひとつの穴があいた壁を通すと、向こう側に置かれた乾板には電子の穴がひとつ記録されます。これは粒子として通過した証拠です。
 壁に二つの穴を開けると向こう側に干渉波の縞模様が記録されます。これは波動となって二つの穴を同時に通過した証拠です。
 今度は電子がひとつの穴を通ってしまったあとに穴を二つにすると、干渉波になるのです。電子が通ってしまった後なのにです。
 これは私が実験したのではありません。これを実験して驚いたアメリカ人科学者ジョン・ウィーラーは、次のように言っています。
「自然界は我々が質問するのを待っているのではないか。その質問に合うように物理世界を作り替えているのではないか。万物の奥底にあるものは、答ではなく質問なのだ」(『科学の終焉』徳間書店)

 この書き込みは、文庫化のための書き込みのためだけではなく、これからのために書き込みます。
『不思議の科学』には、上記のことが書かれていたのです。
 大事な部分をもう一度書きます。
「自然界は我々が質問するのを待っているのではないか。その質問に合うように物理世界を作り替えているのではないか。万物の奥底にあるものは、答ではなく質問なのだ。」
 これは六爻占術で出会った世界そのものではないでしょうか・・・。
 昨日はサブメインコーナーに、「問いは周囲の人の運命を変えている可能性があります」というテーマが書き込まれ、根源的な問いを持っている人の影響を周囲の人が受けているのではないかという報告がたくさん入りました。
 コトは量子力学の世界だけでは無いかも知れません。
 質問に合うように物理世界を作り替えているのであれば、これは自由への一歩です。
 世界を変えるのは、質問かも知れないのです。
 私の講演会は、問いかけが多いです。最初に「私の発表は仮説です」と言い切り、みなさんには問いかけをします。それは世界を変えるきっかけになっているかも知れません。
 人間のあらゆる営みの元になるのは、精神の世界です。それはもしかすると、量子の世界かも知れません。それが道筋を作り、肉体の行動へと駆り立てるとすれば、おおもとは問いで変わる可能性は十分にあります。

『「私は結果」原因の世界への旅』

 今日は編集者の方が見えました。そして『不思議の科学』の文庫化の原稿を検討しました。特に「文庫版あとがき」についてです。編集者は言いました。
「森田さんの原稿は、良くできています。これならすでに新刊本もDVDも超えています。あとがきというタイトルではもったいないです。『文庫版のための特別手記』ではどうでしょうか」ということになり、初稿でOKが出たのです。
 さて、次は本そのものの題名です。色々案を出す中で私が言いました。
「『私は結果』ではどうでしょうか?」
「いいですね、でもサブも付けて、『「私は結果」原因の世界への旅』」ではどうでしょうか。」
「それにしましょう。」
「もちろん社に持ち帰って検討しますので、決定ではありませんが・・」
「はい。」
 そしてそれを受けて、『文庫版のための特別手記』には次のように書きました。

 今いる三次元の世界の私は結果であり、原因の世界ではない・・・という本書のテーマはその後、色あせるどころか本質を突いていたのです。
 ところで本書の題名は最初、『不思議の科学』でしたが、文庫化する際に、『「私は結果」原因の世界への旅』となりました。「私は結果」という概念はこの六年間の間に私の中で大きく成長したからです。「私は結果」ということを認識することで次のステップに進めるのです。なぜなら結果が結果を変えることはできないからです。運命を変えるには原因の世界に行くしかありません。でも原因は外側にあったのです。

 ああ、なんてすごいことになったのでしょうか・・・
 自分の誕生日プレゼントとして、こんなにすごいことはありません。
 この題名は、時空からのプレゼントだと思っています。
 この題名の本が、村上春樹の文庫本と同じ書棚に列びます(笑)。同じ「ま行」なので近いかも知れません(笑)。
 私は結果・・
 人類は、歴史が始まって以来、ずっと自分を原因だと思っていました。
 なのに、人は、なぜこうも自分という個に固執したがるのでしょうか・・
 六年前に書いた本が、今こうして題名まで変わって登場します。これも一つの「結果」の現れに過ぎません。
 発信器を腹に入れ込み、リングをケツに突っ込み・・ その本は一度、廃刊になりました。その後、中古価格が跳ね上がりました。そして、新たに文庫本で世に出ます。
 これも時空のプログラムでしょうか・・
 ところで表紙は、ドアに向かう私だそうです。
 後ろ姿・・・表紙の帯を取ると、私のケツが見えるように依頼したそうです(りんごかもりけんかは、不明です)。
 編集者は言いました。「ケツの話題で盛り上がっているし、タイムリーでちょうど良いと思います。」
 どうも世の中は「ケツ」という単語で統一されたようです(笑)。

孫さんの蘇生

『不思議の科学』には孫さんの蘇生が出てきます。
 ところで現物の孫さんが明日、来日します(笑)。世界で初めて「蘇生のやり方」を伝授するためです。
 セミナーの内容が届き、読みました。やはりすごいです。
 トラさんの六爻占術と同様、そのノウハウがかなり具体的に書いてあります。これが公開されるだけでもすごいです。
 それを読むと、天目の映像というのがキーです。天目に相手(たとえばピーナッツ)の映像を持ってくるのです。その映像が安定するまで待つそうです。
 最初は静止画だそうです。そのまましばらく安定化させると、動画になるそうです。
 白黒画像が次第にカラーに変わるそうです(これらの変化は、通信経路の容量が上がるイメージがあります)。
 この変化の時、孫さんは次第に「意識」から「潜在意識」に変わるのだそうです。
 そして天目の画像を通じて、ピーナッツと通信するわけです。それらの方法が具体的に示されます。
 右螺旋と、左螺旋、二つの螺旋を使うのです。テクニックは難しそうです。
 そして、ピーナッツの魂との対話・・
 現物のピーナッツにエネルギーなんて、全く与えないのです。やはり、「私は結果」・・
 これが今までの超能力と違うところです。今までは手かざしなどをしましたね・・
 でも意識で何かをしているかと言えば、違います。無我無為でないと、ダメだと書いてあります。「入静」というのが必要な条件なのです。力んだら、アカンのです。
 つまり顕在意識側から指示を出すわけではないのです。
 私は奇跡の神を信じません。秩序の神は信じます。だから孫さんの蘇生も、何かの方程式を使っているのです。
 しかしこの蘇生に関しては、今のところ、手も足も出ません・・
 時空解明の大きなキーになることは確かなのですが・・・

私は結果

『不思議の科学』本文の一節です。 
「脳の化学変化がすべてだと思っているかも知れませんが、記憶はあくまで実在領域にされるのです。それが三次元の脳の中に投影されて脳の化学反応となります。基本的にはあなたの脳で考えているのではなく、ここで考えたものの影として認識しています。」 
 これこそが、「私は結果」の代表格のような文章です。
 私達は自分の脳を行動の原因だと思っています。猿から進化して、脳の重量が多くなったほど自由度が増えたと思っています。なぜなら、考えることの出来るキャパシティが増えるからです。
 生まれ変わりの時、スープを飲むのは脳の使用領域をできるだけ開けて(メモりをクリアにして)生まれるのが目的だという考え方もありそうですが、脳が結果だとすれば、それも関係ないかも知れません。
 脳が結果・・・すごい仮説です。でも考えてみれば、脳が一生懸命に働くのは、「言い訳」を考えるときであったりします(笑)。結果のつじつま合わせをするのが、脳・・
脳は結果・・・そうでなければ、前世記憶はどう解釈するのでしょうか・・
 六爻占術をやっている今でこそこのHPでも「私は結果」に納得しますが、六年前はまだ主体性が前面に出ている時代でした。
「あなたが変われば世界が変わる」・・こういう標語の団体ばかりが、のし歩いていました。
 私は結果、本当の原因を見つけよう・・この頃から私はこれを言っていたのだと、再確認した今日でした(笑)。

幸せは前提


 まずは本文より

「つまり極論を言ってしまえば、私たちの生きていく目的は幸せになるためではないと」
「幸せは前提です」
「確かにそう思います。私が不思議なことを追求しているとき、幸せになりたいなどとは一度も思わない。おそらく愛や経験についてもそうなのでしょう。人生は経験を積むためだと言う人が多いけれど、私は疑問に思ってきた。それに愛に生きるというのもそれ自体が目的とは思えなかった。」 

 昨夜別のコーナーに「時空が相手にしたい人・・それは幸福なのに、剣を抜いてくる人」と書き込みました。それに関係する文章が、『不思議の科学』の中にあったのです。
「幸せは前提」
 今の私は客観的にも幸せです。
 だけど、7億円の借金の時、私はどう見えたでしょうか・・ 
 それを気付く人がほとんどいなかったのです。アパートに引っ越したのは、単に「引っ越したかったからだ」と思った人がほとんどでした(笑)。
 当時私は富士通に勤めていましたが、やはり気付いた人はゼロでした。何日も帰る家が無かったのに・・です(笑)。
 私は今まで自分が不幸だと感じた時は、あったのでしょうか・・。
 息子の健一が死産で出てきた時も、私自身は不幸だとは思いませんでした。
 もしも感じたとすれば、健一にとても失礼です。大変なのは健一の方だったのですから・・・。
 しかしそれを契機に、私は不思議研を本格的にスタートしました。
 そのとき私は思ったのです。「神よ、お前の好きなようにはさせないぞ。」
 しかし決して不幸だからそのセリフを思ったわけではありません。私はその時も、十二分に幸福でした。
 
 逆に、もしも不幸だった仮定しましょう。
 そのとき、チベットでああいう旅が出来るでしょうか・・
 生まれ変わりの村の調査が、淡々と出来るでしょうか・・
 生まれ変わりの村は、短期勝負が出来ません。少しずつ地道に行く必要があります。不幸な人に、それが出来るでしょうか?
 売上はゼロで、出費ばかりがかさむ調査なのです。行って無駄足だったということも、多々あります。
 それでも私がいかに幸福に調査を行っているかは、レポートと写真を見れば分かるはずです。
 不幸だと思っている人は、何が足らないのですか?
 そういう人が時空に問うとき、本当に下位の問いが出来るのでしょうか?
 崖から飛び降りるイラストがあります。あれを不幸な人が出来ますか?
 もしもそういう人が飛び降りるとすれば、たぶん、何かを期待するはずです。
 出口の無いところに、わざわざ飛び込みますか?
 あのイラストは、自殺とは全く逆なのです。幸福な者だけが飛べるのです。
 
 マズローという心理学者がいました。彼は人間の欲求を五段階に分けました。
 生理的欲求、安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現の欲求です。その順に満たしていくというのです。
 この仮説に賛成しませんが、欲求が満足されない状態を不幸だと仮定すれば、全てを満たしているのが幸福な状態です。
 さて幸福とは、それ以上、何も要らないのでしょうか・・
 ところが私にとってそれは満たす目標ではなく、「前提」なのです。
 前提だから、願望実現など興味ありません。もしも不幸ならば、それ(上位の問い)を満たすために私は動きます。
 しかし私は幸福です。だから、下に向かって落ちることが出来ます。幸福だから、ブレません。


時空も「状態」を作りたい、「状態」は「始まり」だから

私が5年間で目指したのは「状態」なのです。
普通、願望実現に「状態」は書きません。書くのは「結果」です。
「状態」とは「原因」です。何かを生み出すための・・
願望実現で、これを目指す人はほとんどいないと思います。だって普通、願望実現が目指すのは結果であって、原因ではないからです。
 一般的な精神世界の通説によれば、宇宙は「成長が進んだポイント」がその目指すところでした。
 過去、人間は欲望のままに、エゴに生きてきました。多くの戦争があり、間違いに気付きました。
 一歩一歩、ユートピアに向かっていきました。それは、愛のある世界でした。その世界に向かって、全てはありました。
 人間個人を取っても同様でした。慈悲に生き、空を悟ることで、解脱することが出来ました。それが一つの最終段階でもありました。
 つまり宇宙は、ある「ポイント」に向かって成長しているというのです。これは「状態」ではありません。
 DVDブックの中では、全体の業の話が出ました。それによれば、時空は自由に向かっているのです。
 さて、自由は向かうべき「ポイント」でしょうか・・ポイントだとすれば、自由はそこにありません。
 宇宙は「状態」に向かっているのです。自由という状態に・・です。
 何だか私のやっている事とそっくりなのですが・・(笑)
 その「状態」は、始まりでなければなりません。ここが成長論者との大きな違いです。
 成長論者は「ゴール」です。「状態論者」(笑)は「スタート」です。 
 時空はずっと「スタート地点」に立ちたくて、何度も輪廻をしているのです。
 なのに人類は、ゴールを目指しています(笑)。
「状態」それは縦方向の時間のイメージがする私です。いつでも受信可能な状態・・
それは継続された状態なので、作るのはとても大変です。
約10年の間には、私の会社の状態は山あり谷ありでした。普通はそれに呑み込まれます。
だから、「状態」というのは、ものすごい事だと、自分でも思っています。願望実現の比ではありません。
私のような状態を目指している人を、私は知りません。ほとんどの人は、願望実現派だからです。
私は昼間、りんごの部屋という禁断の部屋で過ごします。人に会うことはありません。
誰がそういう生活を望みますか?
 望んでいるという人がいたら、聞きたいです。なぜ実現しないのですか?
 したくないのだと思います。
けれど状態を維持するのには、りんごの部屋は不可欠です。
状態、それは「斬る」のが難しい概念だと思います。
私のことを評価する人は多いです。でも「状態」に気付く人はいません。気付くのは「結果」・・
私には、状態を維持することが最も大事な「目標」です。
私の場合、実現された願望ほど虚しいものはない・・と感じてしまうのです。
だから、虚しくなりたくないから、状態に移行したいのです。一日りんごの部屋で、ボーっと過ごしても、虚しくないのです。
私の場合、誰しもが嫉妬するような「結果」を得ています。でもそれは、決して願望したわけではないのです。
私が得た「結果」が「原因」だと思う人は、多いはずです。でも、違うのです。
「状態」それは、そう簡単な事だとは思えません。
決算期をまたいで一ヶ月、放浪の旅に出られるかどうか・・です。
しかも、「ワクワク」なんて、無いのです。あるのは刀をサヤに収めないことだけです。

書き込み期間:2004/10/12〜2004/11/15