もりけん語録
テーマ:「仙道修行2000.07(2)」
書き込み期間:2000/07/13〜2000/07/17
要旨:
老子が住んでいたという祠を訪れました。ところが驚いたことに、全く人がいないのです。一方、同じ西安の道観はたくさんの人で賑わっています。
これは、道教が他の宗教のように一人の創始者を崇めることをしない、という特徴を表しているのではないでしょうか。それは、道教が直接伝授を基本とし、感覚を重んじる世界であることと関係しているように思います。
終南山にある建物の中には、リトンビンの絵が飾られていました。見ると、実に奔放で楽しそうにやっている姿なのです。道徳経を書き残して社会改革を意識していた老子とは対照的に、リトンビンは何も残さないのに人気が高いのです。

道観の中に、八仙が描かれた非常に素晴らしい屏風が置かれていました。八仙の中で女性は一人だけなのですが、男性の中の二人はどう見ても女性にしか見えないのです。
彼らは、女性の格好をすることで美しさと自由さを表現していると思いました。通常の「男性らしさ」「女性らしさ」というものから解放されているように見えました。
私はこの二人の仙人にとても心惹かれたのでした。

老子の祠がある場所の木に、願望成就の気持ちを込めた赤い糸が結ばれているのを見ました。
しかし意識で願望実現するのは道教の教えに反します。「為さずして為す」という道(タオ)の概念を説くのが道教だからです。
私も導師も願望実現の礼拝はやりません。でも、通訳で同行しているリサは礼拝で願い事をしていました。
ですが、母親として3人の子供の健康と無事を願うのを、誰が否定できるでしょうか。
宇宙は混沌、為さずして為す・・と道教では言います。それでも私達はこの三次元で「なる」こと、仕事することなどをやっています。それは完全に否定できるものではないと思うのです。
目次
○ 老子と風(2000/07/13)
○ リトンビンと老子(2000/07/14)
○ 龍門洞(2000/07/15)
○ 仙人と性別(2000/07/15)
○ 仙道と芸術(2000/07/16)
○ 赤い糸(2000/07/16)
○ アメリカ人(2000/07/17)
老子と風(2000/07/13)

老子は牛の背中に乗り、西方に旅に出ました。そしてある関所で道徳経を書くことになりました。
下の左の写真は老子が道徳経を書いているあいだ、住んでいた祠の入り口です。祠の中は小さな洞窟になっています。そこで瞑想を繰り返しながら道徳経を書いたとされる場所です。
ここは西安の都から三時間ほど車で走った所にあります。
右の写真は老子の祠からの帰り道です。
このような所を二時間もかけて上がらないと老子の祠には行けません。実は行きよりも帰りのほうが滑りやすくて恐かったのですが、導師は日傘を差したまま、軽々と歩いています。小さくて見にくいですが、導師は崖の上の方にいます。





下の左の写真は老子のお墓の周囲です。中央付近に見えるのがお墓です。右はお墓の入り口です。
鍵がかかっていて、すぐには入れませんでした。写真は、私たち一行が一時は諦めて帰るところです。リサが中を覗いています(笑)
で、管理人を呼んできてやって参拝することが出来ました。





さて、みなさん、何か変ではないでしょうか?そうです。人っ子一人いないのです。
人でいれば道も整備され、行くのも困難ではないでしょう。
では、ここは有名ではないのでしょうか?そんなことはありません。道教の本には西安の道教の拠点として大きく紹介されています。
では、この西安の都そのものが道教からは無視されているのでしょうか?そんなことはありません。この下の写真をご覧下さい。これは同じ西安の道観です。かなりの人で賑わっています。



では、どうして老子の所が閑散としていたのでしょうか?少なくとも、老子様があの有名な道徳経を書いた所ですよ!!そして老子様のお墓がある所なのですよ!!
ブッダやキリストでは、考えられないことではないでしょうか?
では、賑わっている道観と老子の場所との違いは何でしょうか・・
そうです。賑わっている所にはコントンを始めとする神様が沢山いるからです。老子様の所には、老子様しかいないのです(笑)。
私達は、宗教を一人の創始者に帰する癖があります。古代の「賢人」に「教え」を求めるところがあります。「偉い賢人」が作った宗教だから「偉い教え」なんだという言い訳があります。
道教における老子の地位は、はっきり言って、上の写真が物語っているのです。
これを書いたら道教ファンや老子ファンは腹を立てるでしょうか?もしも腹を立てたら、その人は道教や老子をよく理解していないのではないかと思います。
老子は道教の中では数パーセントの勢力しかないのです。老子を理解して道教が分かったとすれば、それは数パーセントに過ぎないのです。
老子は道徳経を書きました。ただ、それだけなのです。道教の基本姿勢は直接伝授です。
道徳経はどうでしょうか?あれは間接伝授です。文字を読むことにより、左脳の世界から入ります。ある意味では「なる」世界なのです。

導師と断崖絶壁を下りながら、私は晴れ晴れとした気持ちになったのです。道徳経や文献の中には無意識的道教はないと・・。
それは道教の中で生きる人でさえそうなのです。老子は老子、私は私・・・。
道教や仙道は、ほぼ完璧に感覚の世界なのです。
どこに行ってもリトンビンは人気がありました。彼には風の匂いがあるのです。人間としての混沌とした香りがあるのです。その感覚が道士を引き付けるのです。
だからリトンビンの故郷、山西省にある道観は、非常に賑わっていたのです。
道徳経を書いた老子よりも、犬に吠えられたリトンビンに人気か集まる・・。
しかしリトンビンの教えを、誰も言葉で表すことは出来ないのです。
リトンビンの像や壁画は、それぞれみんな違う表情をしています。まるで生きているようです。ある時は天女と戯れ、ある時は酒を食らい・・・。
それにひきかえ、苦悩に満ちた顔のキリスト像・・・さらに、無の境地に至ったようなブッダ像・・
その路線を老子をもってして狙いましたが、誰も付いて来ませんでした(笑)。
もしも道観に老子しか飾らなかったら、きっと誰も行かないでしょう。
かく言う私もここまでとは思いませんでした。何時間もかけて行った老子の里には、深い精神性を求めた信者でいっぱいだと思いました。
私達は科学の世界に生きています。科学は多くの現象を一つに集約させようとします。統一方程式を求めて日夜頑張っています。つまり原理を求めて、一つにさせたいのです。
宗教とて同じです。中心を求めてやみません。しかし、宇宙の中心はどこでもあります。
導師は旅行の計画を立てる段階で私に訊きました。「何が見たいですか?」
私の返事の一つが老子の関係でした。しかし海を渡れたのは、プリントされた「道徳経」だけだったのです。学校では老子は出てきても、リトンビンは出てきません。
老子の里が見捨てられているのには、もう一つの理由があります。
私は、老子は不在だと思っています。老子は民衆の心から出てきたものなのです。
だからこそ、具体的な外部の他者としての老子の墓になど、民衆は興味はないのです。
無意識の世界で形成された宗教だからこそ、意識の世界で書かれた「道徳経」の持つ威力は、数パーセントにしか過ぎないのです。
先駆者がいる仏教や道教。先駆者のいない道教。
無意識と意識を研究する材料としてこんなに面白いものはありません。
やっと入れた老子の墓で私は呟きました。「老子さん、鍵なんかかけられて、ご気分はいかがですか?」
するとどこからともなく「気分?最高じゃよ。宗教は誰か教祖ひとりを崇めるものではないからのぅ・・・」という声が聞こえたような気がしました。
墓を出るとそこには一面に緑が広がっていました。
そしてどこからともなく吹いてきた風が、導師と私の間を通りすぎて行きました。
あの風も、もしかすると老子さんだったのかも知れません。

(老子の里の全景)


リトンビンと老子(2000/07/14)



私達は老子の祠を出て終南山という場所に向かいます。ここは山というよりは平原です。
 仙道ではこのような場所を歩く修行を逍遙功と言います。
 すると写真のような彫り石が立っている建物に辿り着きました。
 ここに描かれているのがリトンビンと、その先生です。



左側が呂洞賓(リトンビン)で、右側が漢錘離(かんりょうり)です。
 ある日リトンビンが遊んでいると(笑)、漢錘離という仙人に出くわします。そして終南山という場所に連れて行かれ、修行をします。
 その修行をした場所がここなのです。つまり老子が道徳経を書いた場所から歩いて行けるのです。
 写真を見ると、先生がリトンビンに何やら耳打ちしています。何を教えているのでしょうか?
 では当時の周りの環境はどうなっていたかというと、下の鳥海図の様になっていました。



ご覧の通り結構開けているのですよ。
 リトンビン達は決して断崖絶壁のある秘境にはいませんでした。里で修行したのです。
 里で何をしていたかと言えば・・
 下の写真は壁画です。リトンビンと先生(漢錘離)がいちばん左側にいます。
 この写真は、ある高名な女性の誕生パーティーに招かれた時のものです。
 うーーん、羨ましい限りではありませんか・・。



これを見る限り、上の写真で耳打ちしていたのは「わしはあの子にするから、おまえはあっちだ・・」なんて言っていたとしか考えられないのです。
 ところで導師はリトンビンよりも老子が好きだと言います。なぜかと言えばリトンビンは独創性に欠けると言うのです。彼は自分で考案したものはほとんど無かったのです。
 房中術は膨祖という人が最初に作りました。リトンビンはそれを実際に使用しただけなのです(笑)。寝技だって、元はリトンビンではありません。彼はそれを実際に使用しただけなのです(笑)。
 それに引き替え、老子は少なくとも道徳経を創り出しました。
(道徳経は徳経と道経に分かれて書かれ、まとめて道徳経と言うのです。)



リトンビンにはこの様な華々しい石碑はありません。
 その代わりがあの耳打ちシーンであり、誕生パーティー宴会シーンなのです。
 リトンビンには独創性はありませんでしたが、何故か人気が出てきました。それは私達そのものに最も近いからなのではないでしょうか?房中術、寝技、酒飲み・・。
 しかし導師の服を見てもらえば分かりますが、全て自作です。マスターからは絵の描き方も習いました。導師にとっては、リトンビンでは少し物足りないという感じではないでしょうか?
 もう一つの視点から見てみましょう。老子は道徳経を残しました。
 あれを読んでもらえばわかりますが、かなりのアンチテーゼなのです。つまり「なろうとする」権力を攻撃しています。
老子は社会変革を意識していたのではないでしょうか・・。ところがリトンビンにはそういうところがあまり無いと思います。
 自分が楽しければいい・・だから苦行など何になる・・・楽しく生きないで、長生きしてどうする・・そういうスタンスを感じます。
 彼に「道徳経のようなものを書け」と命じ、部屋に閉じこめても、しばらくすると抜け出し、どこかの宴会(もちろん女性がいる宴会)に行ってしまうのではないでしょうか・・。
 それにしてもリトンビンは描く人によって相当に違います。いちばんいい男に描かれていたのは、下の写真でした。

龍門洞(2000/07/15)

西安から西へ300キロほど走ると、この洞窟があります。しかし山岳地帯を走るので、車でも8時間ほどかかります(どひゃー)。
私達は16時に西安に到着したのにその日には辿り着けず、途中で一泊する羽目になりました。翌日は9時に出て、洞窟の下に着いたのは13時でした。
洞窟の下には洞窟を守る事務所のような所があり、その道長が写真の方でした。
記念写真を撮るというのに、まったくアッチの方向を見ていて、困ったものです(笑)。


ところで今回の旅は導師のマスターが計画を組んでくれたものです。導師のマスターは13人いて、その中では消息の分からない人もいます。
でも、計画を組んでくれたマスターはたぶん三次元で生きている人です。何故かと言えば、現在の中国国家主席がそのマスターに会いに行き、主席が握手を求めている写真もあるからです。
おそらくそのマスターはギョウカイ(仙人業界)ではトップなのだと思います。
しかしマスターは写真を撮られることとか、それが公開されることをひどく嫌います。ですので表に出ることがありません。
そのマスターの風貌が、どこか上の写真の道長に似ているのです。欲を言えばもっと痩せさせて、凛々しくした感じです。
そのマスターには、導師は来日したときの出来事を全て伝えたと言います。東京、大阪、雲仙、京都、奈良、熱海、箱根・・・
日本の素晴らしさを導師が語ると、マスターは目を細めて聞いていたと言います。そしてそのお返しが今回の旅行となりました。
そのマスターを慕う人たちは大変に多く、マスターが計画を立てた今回の旅は、それらの人たちの援助を受けることになりました。
例えば西安空港に着くと、ローブを着た人が「文導師・森田先生歓迎」という紙を掲げていて、用意された二台の車で5日間もの間案内してくれました。
どこに行ってもこの調子なのです。新しい場所に着くと、新しい人達が待っているのです。
そのマスターには私もまだ会っていません。彼は年齢不詳、住処不詳・・・。
そのマスターが「是非シンデンシェンを連れて行きなさい」と言ったのが今回訪れているすべて場所なのです。
ところで導師は「マスター」とは言っていません。老師(ラオス)と言います。それをリサがマスターと訳すのです。

さて、私たちは洞窟に向かいました。洞窟と言えば山の中にひっそりと存在していると思っていたら、なんとそれは断崖絶壁でした。
登るのは写真のような板の上を歩けば良いのですが、下までは100メートルくらいあるので高症恐怖症の人にとってはかなり難儀となります。
おまけに崖そのものの海抜が2500メートルもあり、空気も薄く、すぐにへばります。


登っていくと、下の写真のような「踊り場」があります。しかし写真の左側を見て下さい。ハシゴが見えます。
そうです。ここからは垂直に上がるのです。落ちれば100メートル下までまっしぐら・・・。


途中にはちゃんと横穴の洞窟があり、瞑想修行ができるようになっています。しかし、コウモリがいてその糞でとても臭いです。おまけに蛇までいます。
で、「ホテル洞窟」(下の写真)で瞑想をしたわけです。「ホテル洞窟」とは言え、崖の中間点にあります。


「ホテル洞窟」での瞑想を終えた後、明晰夢のパノラマショーを見たことは前に書きました。私がしている赤いたすきは、道長から頂いたものです。赤は邪気を防ぐのです。
仙人と性別(2000/07/15)



老子の祠が閑散としていたという話をしたとき、それに対応させて、同じ西安の地区で賑わっている道観の写真を見せました。その賑わっていた道観の中にあった屏風があまりにも素晴らしいので撮りました。
これは「八仙」と言って代表的な八人の仙人なのです。リトンビンは右から3番目にいます。その横にいるのは八仙で唯一の女性です。

しかし・・・女性はこれだけでしょうか?拡大した写真を出しましょう。



両方ともどう見たって女性ではないですか・・でもこれが男性なのです。
上側の笛を吹いている女性・・いや男性には惚れてしまいそうな美しさがあります。
何故この2人が女性みたいなのか・・文献を調べても出ていないし、私も導師に質問をするのを忘れたまま帰国してしまいました。
仙人は肉体を好きなように変えることが出来るから、男性にも女性にもなれるのだということが考えられます。しかし、この絵はそれを言いたいのでしょうか?
聞けば、この屏風の絵を描いた画家は、八仙を描かせたら中国一なのだうです。で、私の仮説は・・・
この二人は、単に美しさを表現しているだけなのではないでしょうか?それも極めて自由に・・。
私達の世界では「俺は自由に生きている」と威張っている人でさえ、今日は男性、明日は女性といった格好はしないでしょう。
通常男性なら「男性らしい」格好をしているでしょう。オカマなら、通常「オカマらしい」格好をしているでしょう(笑)。それぞれ「らしさ」を追求しています。
この二人の仙人は、そういう「らしさ」から解放されているのではないでしょうか・・。

上側の仙人は韓湘子(かんしょうし)と言う人です。
彼が笛を吹くことによって花を促進開花させることが出来ます。この写真に出ているのは牡丹の花です。開花させた花を食べると病気が直るのです。やっていることは孫さんにとても良く似ています。
下側の仙人は藍菜和(らんさいわ)と言います。
彼はいつも滅茶苦茶な格好をしていたそうです。夏に綿入れを着て、冬は逆に一重の着物だったのです。でも彼は暑さ寒さから解放されていたので、全く影響がなかったのだそうです。さらに片足はたいてい裸足でした。
そしていつも歌を唄いながら町を歩いていましたが、その歌が仙道の教えそのものだったそうです。
さて、屏風の右側に描いている壁画には笛を吹いている仙人、すなわち韓湘子が見えますが、これは男性風に描かれています。
しかし、以前アップした八仙の遊び風景の絵にはやはり二人は女性的に描かれています。
やはり、この二人は自由そのものだったのではないでしょうか・・・。
私はこの二人の仙人に、とても良い波動を感じているのです。

再び、八仙の絵


仙道と芸術(2000/07/16)

仙人と性別のコーナーの最初に、八仙の絵が描かれた屏風を紹介しました。その写真に写っている右から二番目の人は、別の道観の館長です。
今回、西安の旅のコーディネータをしてくれた人です。導師の弟子的存在でもあります。
その彼が私達を自分の道観にも連れていき、彼の部屋に通しました。


ご覧の通り部屋は、絵を描くアトリエになっていました。
そして私に一枚、導師に一枚・・好きな絵をプレゼントしてくれるというので、私と導師は数ある絵の中から下の絵を選びました。
上の写真はその絵にサインをしているところです。




私が選んだのは月、導師が選んだのは太陽です。絵を選ぶ瞬間は、導師より私が先でした。そして、何も迷うことはありませんでした。まるで恋をするように・・男(自分)が女(絵)に、自分の無いものを求めるように・・・。
なぜ私が月を選んだかと言えば、私の天目の中に現れる映像が月の時の方が多いのです。
導師の故郷にある松の木の下でエネルギーのシャワーを浴びた時も、月光のイメージがありました。
天目の光は太陽でなくても良いというのは、リョウさん初級ツアーの最後に知ったのでした。
通訳が「天目に真っ赤な太陽が昇ってきました・・」と言うのは、月でも良いのです。
現に孫さんもお月さまバージョンの念写を沢山しています。私が心を引かれるのは、太陽ではなくむしろ月です。
それにしても両方の絵は美しいですね。仙道や道教の人は、芸術家が多いです。導師しかり、マスターしかりです。ローブ一つとっても、かなりの芸術性があると思います。
八仙の中で女性の格好をしている藍菜和(らんさいわ)も、歌を唄うことで仙道の教えを広めました。
私は創作行為そのものがタオ(道)なのではないかとさえ思います。
リリースという言葉がこのHPに一年前に出てきましたが、こういった芸術はリリースそのものです。
個という意識を捨て去ると芸術は出来ません。その個人以外、誰にも作れないものが芸術です。
個になり切ること・・・そしてリリースして全体と一致する・・・動的一致・・・。
キリスト教では「人生は一回だから大切に生きよう・・」と言います。仏教では「カルマを解消して輪廻転生の最終段階、すなわち解脱しよう」と言います。しかし・・・
マスター達は、そういう観念を全く乗り越えているような気がします。
つまり、モンロー研で定義したところのフォーカス番号の世界の外にいるのです。おそらく・・
死んでも(羽化しても)、この現世に自由に出入り出来ていそうです。
でも、芸術ならすべてOKかというと、そうでもないような・・・。この道長があまりにあっさりとした人なので、そう思ったのです・・・。芸術家でなくてもタオはタオだし・・。
世界にたった一枚しかないこの絵は、額に入れて不思議研究所の会議室に飾っておきましょう・・。
赤い糸(2000/07/16)

下の写真をご覧下さい。後ろにボケて写っているのは、人っ子一人いない老子の祠です。
そして帰り道、この赤い糸を見つけました。赤い糸はここだけではなく、幾つかの箇所にありました。これは何かと言うと、願望が実現したお礼だと言うのです。


普通の神社にあれば、何とも思わないでしょう。しかし、ここは老子の祠です。老子が、あの道徳経を書いた場所です。
為さずして為す・・・名付けたらそれはタオではない・・叩くなかれ、扉は開いたままだ、ほらごらん・・
で・・・この赤い糸・・・何か、勘違いしているのではないでしょうか?
ワダチという考え方も、道教から出てきたものでした。願望実現とはハンドルを切ることです。意識で作られた願望の方に、意識でハンドルを切ることです。これは道教の「混沌」とする教えには、むしろ反するのです。
導師も道観の中で、例えば老子様の像があったとすれば、道教特有の礼拝をします。私もします。しかし、それは礼拝のみです。導師はその後長いこと拝んだりしません。私もそうです。そこには願望はありません。宇宙の混沌に対して、ただただ一体化するだけです。
さて、老子の祠はなぜ誰もいないのでしょうか?実は、この赤い糸にヒントがありそうです。というのは、他の道観にはこの赤い糸は、もっと沢山あるのです。
そうなのです。たとえ道教でも、多くの人は願望実現のために道観に来るのです。でも、多くの人は知っているのです。老子はなんか、そういう感じじゃあないと・・(笑)。

さて、以下の文章は10月に香港を訪れたときにアップしたものです。
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香港の道観は御利益的なのか??





上の写真は香港の、ある道観の館内です。左から私、主婦、導師、導師の友人です。ずらっと並んだのは小さなバケツに入った御利益願いです。バケツの中にはそろばんとハサミとお米と願いをかける本人の名前を書いた名札です。衣食住(ハサミとお米)とお金(そろばん)の願いをかけているのです。
下の写真は境内で御利益願いをする参拝客です。こういう風景は中国本土の道観では見られませんでした。
しかし道教のお寺で願い事をして、何になるというのでしょうか?願い事をする人たちは、自分のハンドルをそちらに向けたいのでしょうか?
完全だから悪の入り込む余地がある・・こう言い切る道教に何を願うのでしょうか?災害で死ぬ人も幸せ・・こう言い切る道教に何を願うのでしょうか?
為さずして為す・・道教の大ボスである老子はこう言っています。「為さずして」という意味は、何も願い事をせずにという意味です。
さすがに導師は「嘆かわしいことです。お線香を売るだけで食べていけるのになぜ願い事ビジネスに走るのでしょうか」と言いました。
下の写真の道観には道士さえもいませんでした。それまでは導師が「日本人か来たので、だれか道士の方、説明をお願いします」と言えば、われ先にと修行中の道士が出てきて、館内を説明してくれました。しかし右の観の事務所に入ると、そこにはパソコンが数台並び、制服を着たOL達が働いていました。
導師が説明を依頼すると「私達はここで働く単なる女子所員です。ここには道士はいません。私たちには館内のことは全く分かりません。どうぞご自分でご覧になって、参拝して下さい」と言いました。
道士が誰もいず、コンピュータによって売り上げが管理されている寺。
その寺はお願いごとをする参拝客でいっぱいです。ビジネスの上では大成功の寺です。
これでもれっきとした道教の寺です。香港の寺のほとんどはこのスタンスでした。
さて、みなさんはここまで読んで、私と同じく、批判的な気持ちになったでしょうか?しかし、私はそれに対する反論も述べたいと思います。

みなさんが日本で手にする道教の本は、いったいどの切り口なのでしょうか・・。
道教は「無い」というのが基本概念です。無からは有が無限に生成されるというのも基本概念です。もともと道教の寺は、「無い」はずなのです。
キリスト教はどうでしょうか・・キリスト教には神がいます。
教会に行けば、神と対話することができます。もちろん教会でなくても神との対話は可能ですが、教会にはキリストの像があり、その感じをより増強させてくれます。
しかし、道教には神がいません。もちろん低レベルの神はいますが、宇宙の創造主は「無」なのです。いたとしても、それは「コントン」なのです。
つまり道教にとっては、寺が存在すること事態、一つの矛盾であると思うのです。具体的なものは作るべきではないのです。
寺の中でお賽銭を数える仙人など、聞いたこともありません。カスミの中で生きるのが道教のはずです。
さらに、道教の教えは言葉にした途端に消え去ると言われます。ですから書物の道教など、何の役にも立たないはずです。だから寺など、もってのほかです。
では仏教の寺はどうでしょうか。仏教は輪廻転生を基本概念としています。そこではカルマが発生したり、過去の罪が問題となったりします。だからブッダの像を置いて輪廻の世界に思いをふけることが出来ます。
そう、仏教の世界には悠久の時間という概念があるのです。過去世が現世に影響を与え、現世が来世に影響を与えます。
しかし、道教にはその概念がありません。ですから私の描いた「いのちの世界」は仏教的世界なのです。道教にはフォーカスの概念は通用しません。だからいきなりフォーカス69、つまり六次元なのです。途中の領域は無いのです。
ですので、私がこのまま道教の世界を追求していくと、いつか大きな矛盾にぶち当たるはずなのです。私の描いたフォーカスの世界は一体何なのかという・・。
現在の私はまだその矛盾に当たるほど、修行が積まれていません。おそらく、次のステップに入った時、クローズアップされるはずです。ですのでトランプが集結して良かったと思います。
「森田さんは死後の世界に興味があるようですが、私にはありません」導師はこう言い切りました。死んだらそのまま手放しでワダチの通りに・・・
仏教が「無」を強調していながら輪廻転生を言っているのは、いったい何故でしょうか。カルマを言っているのは何故でしょうか。無の世界に因果応報など無いと思うのですが・・。
さらに「いのちの世界」で強調されるフォーカス番号とは、一体何でしょうか?私は「いのちの世界」を描いたとき、時空の世界の一部ではあってもそれが分かったと思いました。
しかし道教に入っていくうちに、ある日、あの図が崩れるのではないかという思いが出てきました。
私はまたもや、スタートラインに戻されようとしています。
そう言えば、道教はスタートラインに戻ることだと導師は言っていましたっけ・・。それを今、思い出しました。
「進もうとするところには真理は無い」とも言っていました・・。
成長して輪廻転生をクリアーする・・何て「進もうとする」概念でしょうか・・。愛する人間になる・・何て「進もうとする」概念でしょうか・・。
道教は私達に、すべての概念の反転を要求しているのでしょうか・・。
香港の御利益的道観・・それを批判することは、ひょっとすると「進もうとする」概念かも知れません。
三次元で生きる人間として、御利益願いがなぜ悪い・・そういう香港人の声が聞こえてきそうです。
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さて、先ほどの赤い糸に話を戻しましょう。導師と私は何も願望実現のお願いをしません。しかし、リサ(通訳で付いてきている香港の主婦)はやりました。それも随所でやりました。だから彼女の礼拝時間はとても長かったのです。
リサには3人の子供がいます。一番下は3歳で、いちばん上が7歳です。「子供達が健康で過ごせるように、事故がないように祈るの・・」と言います。これを誰が否定できるでしょうか?
宇宙は混沌・・為さずして為す・・母親にとってこの老子の言葉は何でしょうか?
あの赤い糸は、そういう人達の感謝の印なのです。きっと・・・。
私達は三次元で子育てをしたり、仕事をしたりしないと生きていけません。「なる」世界を完全に否定することは出来るのでしょうか?
最後にもう一度、同じ写真を出したいと思います。


アメリカ人(2000/07/17)

私達は西安から黄山に移動しました。 そのときの飛行機が、客が少ないという理由でキャンセルになり大変な思いでここに辿り着いたことは、既に書きました。
その時の客の一行が下の写真に写っています。ただし、一番右は現地の案内人です。


この写真の中にアメリカ人が2人います。彼らについてちょっとコメントしておきたいのです。
彼らはアメリカでも有名な大学の博士課程にいます。宗教学を専攻し、教授になろうとしています。9ヶ月も色々な国を回りました。特にインドには二ヶ月滞在し、瞑想もやったと言いました。
導師は西安空港で大変でした。別の航空会社のルートで行くのですが、色々なところに掛け合って、キャンセルの慰謝料だと言い、まともに飛ぶのの1/5の料金で上海経由黄山行きの切符を獲得しました。彼らアメリカ人もその犠牲者でした。
導師が掛け合っている間、彼らはリサとジョークを言い合っていました。
導師が一人で走り回っているので、私は時々導師のところ(色々なカウンターを回っていた)に行き、導師の顔だけ覗くのでした。
外人とリサのところに戻ると、リサが「ケン、この人達があなたのことを知りたがっているわよ」と言うので、「何?」と訊くと、その外人は「あなたのキャリアを教えてくれ」ときたのです。
私は中国に来てキャリアを訊かれたのは張宝勝に付いている科学者だけです。孫さんは20秒ほど見つめただけでした。導師も10秒ほど見つめただけでした。私のキャリアを話すのは、会ってその半年も後になるのです。
導師と行動を共にしている時も、導師は私のキャリアを人に紹介しません。だって、無いんですから・・・(笑)。
しかし、このアメリカ人はしつこかったのです。私は「無い」と答えました。で、アメリカ人は怪訝な顔をしました。
リサが「でも、この人はいちばん面白い人生を歩んでいるわよ」と割って入りました。外人は「どんなふうに面白いのか?」ときました。

そこへ導師が新しいチケットを持って、やっと帰ってきました。彼らの第一声が「幾ら?」でした。
アメリカ人が黄山で泊まるところを予約していないことを知ると、導師は私たちと一緒に来ないかと誘いました。アメリカ人はオーケーと言いました。
黄山空港に着くと迎えのワゴンが来ていました。道観の人たちが迎えに来たのです。
ワゴン車はいっぱいでした。助手席の上にも荷物がいっぱいでした。そして後の座席に座った外人は、なんとその足を伸ばしてきたのです。彼の足の下は導師の荷物です。私は言いました。
「あなたのチケットを1/5にして、しかもここに運んできて、しかもこのワゴン車を手配しているのは、前に座っているあの女性だ。あの人は先生です。私達はここでは生徒です」と。
すると外人は言いました。「料金は払うよ」と・・・。
私達は黄山の向かいにある、斉雲山というところに向かいました。上の写真はそこで撮ったものです。
外人はいつもサングラスを身につけています。そして案内人が説明をしている時はグラサン姿です。私はこういうのがダメなのです。
案内人は一生懸命にリリースしています。しかし彼らは自分の目を隠したまま・・・。目の持つ情報量はあらゆるものを上回るのに・・・。
それで、道観の中で時間ができた時に私は彼らに言いました。
「サングラスは失礼だと思います。あなたたちは宗教を研究していますが、私もしています。でも私は内側から見たいのです。サングラスをしないどころか、私はローブさえ着ています。私は道教に入会しているわけではありません。でも、できるだけ導師の価値観に近づきたいのです。言葉を越えた体験をしたいと思っているのです。」
と言うと、一人の外人は言いました。
「私は理系ではないが、宗教学は物理学と同じだと思っています。現に私は物理学者になろうとしている友達と話が合います。」
「私も理系なのですが・・」と言うと、「博士号は持ってますか?」
「いいえ・・」それで話はおしまい。

夜は神の話になりました。
道観に沢山の神様が祀られているので、「道教にはいったい幾つの神がいるんだ」と訊いてきたのです。
私は逆に訊きました。「あなたは宗教を持っているのか?」と。
「もちろん私はクリスチャンだ。だから唯一、一つの神だけだ。」
もちろんという単語が頭の中でこだまします。
「教授になったら、何を教えるの?」
「キリスト教は牧師が教えるので、私は仏教と道教だ」と・・。
そこで「世界には神のいない宗教が3つあるんだけど、それは仏教と道教とジャイナ教で・・・」と言い始めたのですが、神の不在ということがどうしても彼らには理解できないらしいです。
「神がいないのに、どうして私達は誕生したんだ」という質問に対しては、「だって私達は、生まれていない・・」と言ってはみたものの、それは笑われてしまいました。
夜は導師と瞑想したいなどと言っていましたが、さすがの導師も彼らは誘いませんでした。それどころか導師は早朝瞑想しようと言い出し、その夜は私だけが外に出て北斗七星に向かって瞑想しました。
風に吹かれながら瞑想していると、後にガムを咬む音が聞こえました。彼らが来たのです。しかしずっとガムを噛んでいて、そのまま瞑想しないで立ち去りました。
その夜は七夕。天の川をはさんで織り姫と彦星かデートをしていました。

翌日、彼らは私に言いました。
「あなたは何だか知らないけど、迫力がある。昨夜は一緒に瞑想しようとしたけど、何だか言い出せなかった。あなたは私たちと同年代なのに・・・」
「私は48歳です」
「オーマイ、ゴッド・・。で、失礼ですが、何のためにここに来ているのですか?」
「私が誰かということを知りたいからです・・・」
「・・・・」
私は彼らに訊きました。「あなたは、誰ですか?」
「・・・・」
デートをしたのは織り姫と彦星だけではなさそうでした。西洋と東洋もデートをしたのかも知れません。
その後、私たちは黄山に行くために、外人はアメリカに帰るために斉雲山を降りました。
気付くと、彼らはサングラスを外していました。最後に私達はハグをしました。
「素晴らしい教授になって下さい」と私・・
「ケン、うまく言葉にできないんだが・・ありがとう・・」
どこからともなく吹いてきた風が、私たちのハグした間を通り抜けていました・・。
(もちろんここに書き込んだ文章以外にも、ほとんど喧嘩になるほどの事を私は彼らに言いました。でも、最後はハグできて良かったです・・ホント)
書き込み期間:2000/07/13〜2000/07/17