もりけん語録
テーマ:「仙道修行2000.07(5)」
書き込み期間:2000/07/27〜2000/08/28
要旨:
黄山から下りて、ホテルに向かうバスに乗った時のことです。バスが故障したり運転手がなかなかバスを走らせようとしなかったりで、三回もバスを降りる羽目になりました。
その後、ホテルのチェックアウト時にも料金のトラブルが発生し、口論になりました。
その次に乗った夜行列車でもトラブルは起きました。手配されていたはずの寝台が確保されませんでした。
にも関わらず、そこで車掌と交渉している導師の目を見た時、落胆や否定の色が微塵も感じられなかったのです。
道教は「ポジティブに生きなさい」とは説きません。しかしその時の導師は、100%ポジティブで瞬間的に行動していたのでした。そうして流れの中に飛び込んだのです。
最終的に寝台車に飛び乗った導師はただ笑いかけ、私もただ笑い返しました。
トラブルやアクシデントが立て続けに起こった状況の中で、導師は前面に出て凄い行動力を発揮しました。
導師はワダチに乗って「為さずして為す」の世界を生きているのでしょうか。そうなのです。導師は目標を持たず、何も「為して」いません。しかしその状態の時、人は最大限の事をしているのです。瞬間の世界に入っているのです。

松林で瞑想をしている時、マスター達に遭遇しました。風に乗ってやって来て、微細な粒子となって舞い降りてきた感じでした。
私はマスターに「すべては波動なのですか?」と訊ねました。次に「あなたは(不老不死を)生きているのですか?」と訊きました。マスターは微笑んで頷きました。
マスターの存在からは、生命の躍動を感じました。その時、天人合一の図と共に、「唯一になれば、何にでもなれる・・・」という思いが頭に浮かんだのです。
マスターは、「風を感じればいつでも会える」と言いました。
日本に帰国してからも、報告を書き込みしている時にも、私は松林で感じたのと同じ風を感じることが出来ます。
気を入れるだの与えるだのと言うよりも、マッチングを取ればエナジーの循環が起こるのだということも、今回の気付きでした。
マスターの世界は、私が作った天人合一の図の外側に存在するのかも知れません。外側から私達の世界に通じているのです。
継続を期待せず一瞬で良いと思えれば、きっといつでもどこにいても、その世界を感じられます。
目次
○ 道教にポジティブは無い(2000/07/27)
○ 本当の「為さず」とは・・・(2000/07/28)
○ 導師は保険に入るか(2000/07/29)
○ 逍遙功(2000/07/29)
○ 導師の故郷を流れる川(2000/07/31)
○ 孤独と自由(2000/08/01)
○ ちょっとした飛躍(2000/08/26)
○ 立体的天人合一(2000/08/26)
○ 風を感じて・・その微細な感覚と躍動感(2000/08/28)
道教にポジティブは無い(2000/07/27)

中国紀行にもお休みが必要でした。このあと展開される話の基礎知識として、どうしてもアンテナや分布定数回路の話が必要だったのです。
でも、これから先は、今までほど難しくはありません。物語は再度、時系列の流れに入ります。
前回は黄山でリスと遭遇したところまで書きました。それはこの旅行での一つの盛り上がりでした。仙人が修行した場所を巡り、その最高峰での瞑想・・。
私はリスのエナジーの残像を見ることが出来ました。微細な光の粉といった感じです。
リスの形でちょこんと残っているその様は、それ自身が一つの生き物に思えました。
私達は黄山を下りました。でもここから物語は、陽から陰に転落します。

山を降りると、そこは人だかりでした。帰りのバスやタクシーを待っている人です。
行きの写真を見た人は帰りの混雑ぶりも想像がつくと思います。
あれだけ広い黄山の山々から、たった一カ所の出口に人が集まるのです。
バスがやってきました。中国のバスは結構いい加減で、手を上げると止まってくれます。好きな所で降ろしてくれます。だからある意味では自由が利きます。
で、導師は頼みました。「日本人もいるので、ホテルの前まで行って欲しい。」
車掌さんは「OK、OK・・乗った、乗った!!」と言いました。
30分も揺られたでしょうか・・・、私はウトウト・・と、突然「ケン、降りるわよ。チェンジ・バスよ。」
訳も分からず道端で、別のバスに乗り換えます。聞けば、そのバスは故障してしまったのです。
そして一時間ほど走ると、また「チェンジ・バスよ」と・・そのバスは走る気がしなくなったと言うのです(笑)。で、三台目のバスに・・・。
30度を超えるのにクーラーもなく、窓は開けっ放しで、私の髪は砂でザラザラ・・
「あ〜、早くホテルに帰りたい」
行きは導師の友達に送ってもらい、30分で着きました。しかし、帰りは3時間もかかってやっと・・・と思いきや・・導師が突然、車内で大声で怒鳴り始めました。凄い剣幕です。
見れば遙か向こうに私たちのホテルが見えます。後から聞くと、導師はこんなことを言っていたのです。
「乗った時のバスはホテルまで行くと言ったのだよ。大切な日本人も乗っているし、約束を守ってもらわなきゃ困るよ。あそこまではほんの3分だよ、みんなは、いいかい?」
車内からは「ホテルまで行ってやれ、このおばさんは寝ちまったガキも連れていることだし・・」という声が上がりました。
しかし・・。運転手は違いました。「俺はそんな約束をしてねえよ。いつものルートを走るだけさ・・」
しかし導師も負けてはいません。乗客の全員に向かって再度承諾を取り、運転手と口論です。その迫力に乗客から拍手まで起こってしまいました。
しかし、それがまた運転手の気持ちに触れました。
「(導師に向かい)くそババア、いいかげんにしろ。(みんなに向かい)おめーらも、うるせえんだよ。俺は何も悪いことをしていないよ。(我々に向かい)てめーら早くこのバスを降りろ!!」
その後、10分ほどに渡り、導師との口論が続きます。
しかし、らちはあかず、導師はトントンを抱いてバスを降ります。
我々はトラックがビュンビュン通る舗道の無い道を、一列になって歩きました。そして20分でホテルに辿り着きました。ホテルはホテルで何があったかと言うと・・・
すでに夜行の出発の時間が迫っているので、シャワーに入っている時間もありません。
急いでチェックアウトしようとしたら・・・「お客さん、2400元(約3万円)払って下さい」と言われたのです。
「800元(1万円)のはずでしょ」と導師。で、ここでもトラブルが発生したのです。
私たちは導師の友達のコネで、60%引きでした。そして2000元のスイートルームを800元で良いと言われていました。
利用したホテルは下の写真のように、素晴らしいホテルです。黄山を訪れる国際VIPのためのホテルなのです。我々はこの旅行では3000円以上の部屋に泊まったことはありませんでした。でも連日の「シャワー無し、電話無し」で、私に元気をつけさせようとした導師が「60%引きならいいわ」と承諾して、ここに泊まったのです。

(黄山国際大酒店)


しかし泊まった部屋は「プレジデンタル・スイート」だったのです。その部屋の正価は6000元(約8万円)でした。
予約をした友達も駆けつけました。そしてホテルと交渉です。しかし、ホテル側は「あなたたちは最初からプレジデンタル・スイートを予約した」と言い張るのです。
実際私達はその部屋を使い、驚きました。ベッドの部屋が四つもあり、全員がその部屋一つでOKだったのです。
「北京やシンセンみたいな都会を離れると、安くてこんなにいい部屋に泊まれるのね」とリサも大喜びでした。
しかし・・・導師はそこでも声を上げてホテルと交渉です。
とは言え、夜行の時間も迫っていて、結局私がカードで支払いました。
そして駅へ・・・その日は土曜日・・。駅は駅で大混乱・・・。
さっき、ホテルの予約でコネを使ってくれた友達をAさんとしましょう。
Aさんは導師に切符を渡しました。「あれ、寝台じゃないの?」導師は訊きました。
「取りあえずこれ(二等自由席)で入って、中で変えられますよ」とAさん。
列車が入ってきました。狭い改札に、人が押し合いへし合い・・・
まず、その中から制服を着た人達が呼ばれ、別の改札からホームに入ります。彼らも走って行き、席を奪い合います。
導師はAさんに訊きました。「どうしましょう。この列に並びますか?」
「大丈夫ですよ、寝台に乗れますから・・、ゆっくり行きましょう」とAさん。
改札が開き、怒涛の流れが起こりました。列車の窓から荷物を放り込み、席を確保しようとする者さえいます。
で、私達はAさんの後を付いて小走りに寝台車に向かいます。既に発射のベルは鳴り始めています。
Aさんは寝台車の前で、ホームにいる車掌にチケットを見せ、寝台に変えてくれと言います。しかし車掌の答は「メイヨー(ありません)」
すぐに導師がチケットを取り上げ、自分で交渉を始めます。早口の中国語ですが、日本人がいるから・・とも言っています。
しかし答は「メイヨー、メイヨー(ありません、無いんですよ)」
私は導師の目をずっと見つめたままでした。私は導師の目を横から見ていました。
そこからの0.1秒が、今回の旅の最大の山でした。松ぼっくりの林に匹敵するのです。
まるでスローモーションでした。
車掌に問い詰める導師は非常に客観的でした。正確に事実を確認しようとしていました。
車掌に愚痴を言ったり、文句を言うこともありませんでした。これはバスやホテルの騒動とは違いました。
導師は視線の移動を始めました。視線は車掌から外れ、列車の前方に注がれました。その中間に私の目線がありました。0.000000001秒だけ、私と目が合いました。
ても、その目には落胆とか否定とかいうネガティブなものが、全く無かったのです。
後からリサから聞いたのですが、これはAさんの落ち度でもあるのです。一週間も前からこの日の事はAさんに伝えてありました。ホテルの予約と列車の予約を頼むと・・
導師は友達に会うたびに言っていました。
「日本は素晴らしい所なのよ。向こうではこの人が全てやってくれたの」と・・。
ある意味ではそのお返しでもあるこの旅・・それが先ほどから、ツイていない事ばかり・・。
でも、導師の目にはそれが微塵も無いのです。

「ポジティブに生きなさい」と精神世界では言いますが、道教・仙道の世界でこの単語はありません。
「何があってもそれは意味のある事なのです」ともいいますが、「意味」という単語は、道教では、最も忌み嫌う(笑)ものです。
ポジティブも無く、意味も無く・・・しかし導師は、100%ポジティブな目を列車の先頭方向に向けたのです。
私は今思い出しても溜め息が出るほどです。彼女はその時、本当に瞬間に生きていたのです。時間を未来から過去に流すことが出来たのです。
そして流れの中にジャンプすることが出来たのです。流れの中に漂うことが出来たのです。
突然彼女は、トントンを抱き、荷物を引っ張りながら、前方に走り出しました。すごいスピードです。
リサに中国語で叫びました。走りながらリサが通訳します。「出来るだけ前方に乗るのよ。」
そうなのです。寝台車の近くの二等車は、ドアまで人が溢れていて乗れないのです。
100メートルは走ったでしょうか・・。ガタン・・ガタン・・。列車が動き始めました。その時点で導師がドアの人混みに体当たりしました。
中の人に「場所を空けなさい」と叫びました。私はその僅かなスペースに飛び込み、とにかく列車に乗ったのでした。そしてリサも乗ったのを確認すると、導師は私に笑いかけたのでした。
その笑いは何のポジティブもなく、何の意味付けもありませんでした。ただただ、笑いかけたのでした。私も笑い返しました。
本当の「為さず」とは・・・(2000/07/28)

私とリサは列車の連結部分に陣取りました。
私はインドを旅行したとき、同じような経験をしました。あみだなの上に寝たり通路に寝たり・・。でもあの時はまだ21歳・・。
リサと私は荷物を椅子になるようにセットし、そこで寝る体制に入りました。
しかし次の駅に着くと、乗客はもっと乗ってきたのです。
導師は私達に「荷物をお願いね」と言うと、人をかき分けてどこかに行ってしまいました。
30分ほど経ったころでしょうか・・導師が戻ってきました。そして「少し待ってね」と言います。
私は「ここでOKですよ。一晩くらい寝なくてもOKですから・・」と言いました。
するとまた「少しだけこのまま我慢していて・・」と言います。その時は何の意味か分からずにいました。
で、一時間近くが経過しました。突然導師が「席が見つかったわ。レッツゴー!!」と前方を指さしながら言ったのです。
何が何だかわかりませんが、とにかく導師の後に続きます。
ものすごく混んでいるのですが、リュックを持って車内を移動です。
そこにどこからともなく車掌さんが現れ、私とリサの荷物を担ぐと、道を空けろと叫びながら前進を始めたのです。私とリサは彼の後に着いていきます。
20分もかかって列車を三両分移動すると、そこには公安の人がいました。彼の指さす場所に私達のための席が空けられていたのです。
どうして私達の席が作られたかと言うと・・・後から聞いた話ですが・・。
この列車は六人掛けのボックスと四人掛けのボックスで構成されています。
ある六人掛けのボックスは少しガラの悪い男性が四人で占領していたらしいのです。
そこへ車掌さんと公安の人が来て「お客さん、ここは六人掛けです。つめて下さい」と言ったかどうか、もしくはもっときつい調子で言ったかは知りませんが、とにかくそうやって席を集めて確保されたのです。
もちろん無料ではありません。導師はあらかじめ車掌には100元(1200円)を渡してありました。
中国で100元のチップといえば、かなり大変な額です。(公式には中国にチップという制度はありません)。しかしその結果、一時間かかっても我々の席は確保されたのです。
導師は車掌にお礼を言っています。車掌は「いえいえ・・」とか言いながら行ってしまいました。
公安の人はそこに残っています。日本人に何かあるといけないのでしばらく残っていると言うのです。
その時、私は見ました。導師が小さくたたんだ100元札を公安の人のポケットに入れようとしているのを・・・。それはそっと行われました。
しかし公安の人はその手を掴むと、首を横に振って「ブヨン、シェーシェー(不要です。ありがとう)」と小声で言いました。
すると導師は自分の名刺を出して「何かあったら電話して下さい。私に出来ることがあればさせて下さい」と言ったのでした。
公安の人はしばらくして私に言いました。
「ここの車両の人は全員、あなたが日本人であることを知っています。あなたのお金は狙われています。寝る時も、絶対に鞄から手を離さないように」と・・。
私達は四人で一つのボックスに座ることが出来ました。

次の駅に着くと、もう一つのイベントが待っていました。盲目のおばあさんと娘が乗ってきたのです。娘さんは金切り声で叫びました。
「目が見えないお母さんのために、空いている席をお譲り下さい」と。
そして六人席を四人で使っている人の所に行き、懇願しました。
しかし彼らは私の方を指さしながら悪態をついています。リサに聞くと「あの日本人のおかげで横になって寝られなくなったんだ」なんて言っているのです。
ここでリサがブチ切れました。「なに言ってんのよ。人のせいにしないでちょうだい。そこは六人席でしょう。その盲目の女性を座らせてあげたらどうなの?」
リサは強い調子で怒鳴りました。それを導師が首を横に振って止めました。
でもリサは止まりません。もう一度叫ぶと、男達はすごすごと席を空けました。
リサは私に言いました。「チャイニーズハズノーハート(中国人には心が無い)」と。これはリサが香港人だから言えたのです。
しかし導師は言いました。「リサ、そのうちに分かるわよ・・」と。
しばらくすると盲目のおばあさんは鈴を取り出し、チャリーンと鳴らしながら娘と共に車内を営業に出かけました。「お恵みを〜」
1時間ほど経った時です。そのおばあさんかスタコラひとりで戻ってくるではないですか(笑)。娘は人をかき分け、やっと戻ってきました。
そうです。盲目ではなかったのです。再び男四人が自分の席を占領しているので、おばあさんは叫びました。「おまえら、早く空けな!!」
怒ったのは男達です。全員が椅子の上に立ち上がり「このくそババア・・」なんて言っています。
導師はリサに向かい「ほらね・・」という顔をしました。
結局そのおばあさんは実力で座ってしまいました。男達の悪態はしばらく続きましたが、それでも車内は次第に静かになりました。
乗ったのが21時です。0時を過ぎると車内の電気も暗くなりました。
私がウトウトし始めた時、導師が突然私の手を取って鞄に持っていたのでした。「決して離してはダメです」と。
私はノートを取りだして、コリコリと記録を書き始めました。一時間も書いていると、導師はトントンを抱いたまま寝てしまいました。リサもしばらくすると寝てしまいました。

西安から黄山に行くときも同様にトラブりました。客が少なくて飛行機がキャンセルになったのです。そのとき、別ルートで行ったのですが、導師は料金を1/5にさせてしまったのです。つまりキャンセルした飛行機会社に4/5を負担させたのです。
全ては導師が前面に出てやります。他の人のミスであれ、導師が出ていって解決します。
一連の流れを見たとき、彼女はワダチに乗っていると言えるのでしょうか?為さずして為すの世界にいるのでしょうか?
いるのです・・・。為さずして・・の「為さず」とは「目標を持たず」の意味です。
でも、発車の時、前方に向かって全力で走りました。車内では100元を車掌に渡しました。
これは「目標」ではないのでしょうか?これは「目標」ではありません。実は彼女は、何も「為して」いません。
目標を持つとき、人は何もしてはいないのです。目標を持たないとき、人は最大限の事をしています。これが両者の相違です。
××になろうと思った時、瞬間その状態の流れの中に入っていなければ、それは目標になるのです。為して為すの世界に入るのです。
導師の行動力は、すごいものがありました。それは瞬間の世界に入っているからではないでしょうか・・・。
導師はトントンを抱いて、ただただ寝ています。
この気質は、生まれつきのものなのでしょうか・・それとも道教や仙道のおかげなのでしょうか・・それとも、マスターの影響なのでしょうか・・・。
そんなことを考えていると、いつの間にか朝が来ていました。六時です。導師の故郷に到着です。
列車のドアが開く前に導師はなんと、窓から飛び出しました。私とリサが荷物を窓越しに渡します。そしてリサが窓から飛び出しました。
私は・・・そうでした・・・私は、カメラを持っていることすら忘れていました。記念に一発、車内の風景を撮りました。

(終点に着き、降りる準備を始める乗客達)


で、その後、私も窓から飛び出したのでした。
着地すると導師が笑いました。次にリサが笑いました。私も笑いました。
荷物を背負って改札に向かっても、汗は出ませんでした。
今から考えると、きっと風が吹いていたのですが、その時の私には感じることができなかったのです。
でも私達の笑顔を見て、風の中のマスター達も、きっと喜んで出迎えていたに違いありません。
導師は保険に入るか(2000/07/29)

入ります(笑)。
中国の国内航空は、機内預けの荷物に対しては保険をかける場合とかけない場合があります。ただしこれが必修なのか選択なのかは分かりません。
チェックインする時、「預ける荷物に保険をかけて下さい」と言われるときと言われないときがあるのです。
導師とは何度か国内航空に乗りましたが、飛行機に乗ろうとして飛行場に着いたとき、導師は真っ先に保険の窓口に行き、保険に入りました。
導師は今、自動車教習所に通っています。今頃は免許を手にして、颯爽と車を運転していると思います。これは私の勘ですが、導師は保険に入っていると思います。
さて、今までの導師の行動を見ると、彼女には「貸し借りを残さない」という性質がある様子です。
公安に100元を渡そうとしたのもそれです。彼が受け取らないから代わりに名刺を出しました。
私もビジネスマンですから、こういう行動は大変に勉強になります。
その雰囲気は相手にも伝わります。バスの料金は最終的にひとり分がタダになり、ホテルの支払いは400元安くなりました。彼女の迫力が伝わるのではないでしょうか・・・。
北京で最初に会ったとき、20人以上におごったのに、彼女だけがシェーシェーと言いました。これも貸し借りは残さないからなのではないかと思います。
東京伝授会の後のパーティーでは、導師はまず私に訊きました。「幹事さんは誰ですか?」そしてまず、幹事の人と乾杯をしました。
カッコイイ言い方をすれば、ゼロの人生を生きているのです。

保険に話を戻しましょう。保険とは何でしょうか・・・。
保険とはゼロの人生を生きるためのものなのです。これは、意外ですか?
自動車保険を考えましょう。自動車を運転する人は、毎日賭けをしています。自分が注意していても、不運にも相手からぶつかられることがあるからです。
で、保険に入っていない人は、毎日、賭けに勝たないといけないのです。それもある意味では一生勝ち続けていかなければなりません。
一生を無事故で通したとき、彼は「どうだ、保険金をもうけたぞ。入らないで良かった」と思うのです。
たった一回でも事故に遭うと、大変な負けになります。
彼は毎日毎日、その賭けに勝ち続けないといけないのです。
保険に入っている人は、毎日毎日、賭けに勝つことが、イコール負けることなのです。
一日を無事故で終わりました。それは事故を起こさないという賭けに勝っています。しかし保険金はムダに終わりました。
事故を起こした時はこれが逆になり、やはりゼロは変わりません。
ワダチという考え方は、私たちに少しばかりのパラダイムシフトを起こしました。
主体性だけが良いという考え方に疑問符を投げかけました。
ワダチに生きることは、運命に身をまかせるような響きがあり、保険というようなセコイ技は使わないのではないかと思われがちです。
しかし、黄山以降の書き込みでは、また別の側面が出てきたのではないでしょうか?
さて、最後の命題があります。不老不死を信じる仙人は、生命保険には入るのでしょうか?(笑)。
逍遙功(2000/07/29)

導師の故郷に着きました。まずは、逍遙功の始まりです。
下の写真をご覧下さい。延々と山が続いています。
私たちは遙か向こうに見えるふもとから登ってきたのです。導師はお気に入りの傘を頭に付けています(笑)。


こういう山歩き(逍遙功)をしていると、例の四つの言葉が頭をよぎります。
無限、無止、無境、無容。
だってその通り、いつまでたってもどこかに着くということがないのです。
この時、印象に残ったのはセミの声です。ニィーニィー・・・休むとセミの鳴き声が聞こえてきます。
体力的には最も大変だったのが今回の旅です。
香港のど真ん中での伝人合一の修行は、毎日が瞑想でした。それは楽でした(笑)。食っちゃ瞑想、食っちゃ瞑想・・・
しかし今回は松の実を食っちゃ(ビフテキが食いた〜い)山歩きです。
導師に「あなたが生まれた家に行きたいんだけど・・」と言っても、「あせらない。あせらない・・・」と言うだけです。
夜行の疲れと山歩きで夜は死んだように寝てしまいました。
そして山歩きは翌日も続いたのです。どひゃ〜・・

次の日も山歩き・・で、適当なところで休んで瞑想したり・・・
(逍遙功に出かけるところ。目指すはただ、前方(笑))


この逍遙功も疲れました。お昼を食べて、車の後部座席でウトウトしていました。
すると「着いたわよ、私の家・・」突然そう言われても頭がついていきませんでした。
私の家???「これは私が小さい頃に住んでいた家です。」ああ、そうです。とうとう導師の家に着いたのでした。

(スチール写真、左が導師が幼少の頃の家)


家は一階建ての平屋でした。
導師はその前を「今は別の人が住んでいますが・・」と言いながらスタスタと通り過ぎていきます。
あ〜待って〜。もう少し見たいのですが、導師はどんどん進んでしまいます。
そして裏庭にやってきました。「ここにねえ、あれがあってね・・・これがあってね・・・」としきりに説明を始めました。


そこからほんの五分ほど歩くと、小さな湖がありました。下の写真をご覧下さい。
これから先はスチール写真が多くなります。なぜかデジカメだとシャッターが切れないときが多くなったのです。
湖にたたずみ、私は身体の中をさざ波が幾つも幾つも通り過ぎていくのが分かりました。
実はこれを書いている今も、通り過ぎていきます。ザザーザザー・・
そして私には見えたのです。幼少の頃の導師がマスター(仙女)と遊んでいるところが・・
以前語ってくれた導師の言葉も響きます。
「私が初めて仙女に会ったのは、私が幼少の頃でした。家の裏手に小さな湖があって、そこで初めて会ったのです。楽しくて楽しくて、毎日、毎日通いました・・・」
私は湖を見つめたまま・・・体のさざ波を感じています。
パソコンに映ったこの写真を見るだけで、空気が・・あのときの優しい感じに変わってきます。

(スチール写真)
導師が幼少の頃、仙女と出会った湖・・・


私はその小さな湖の前にちょこんと座ってしまいました。
(スチール写真より)


昔は水が澄んでいて、沢山の魚が住んでいたそうです。
今は上流で道路工事が始まり、私の座っている後を時々ダンプカーが通ります。
しかし、私にとってはこれでも充分すぎるくらいです。
まるで時間が止まったような空間でした。何とも言えない光が降りています。
光の粒子が、あるいはその波動がそのまま見えるような光の流れです。
気で充満されているような空気です。ここなら松の実を食べなくても生きていけそうな気がします。
どのくらい時間が経ったでしょうか・・・
リサが後から呼びました。「ケン、導師が子供の時と同じことをしたいって・・・」
私がその場所を離れると、導師はその木の枝にピョンと登ったのでした。
彼女は言いました。「マスター(仙女)は、8歳のときの私といつもこうやって遊びました。」

(スチール写真より)


導師の故郷を流れる川(2000/07/31)

下の写真をご覧下さい。これは導師の故郷を流れる川です。私は海の近くかと勘違いしてしまいました。ところが導師の故郷は江西省です。海とはだいぶ離れています。


私はこの川を見るのが好きです。それまでの逍遙功では、岩と渓流でした。山水画のような世界でした。でも、この川は違います。
導師が生まれ育ったあの松林は、ここから30分ほどで行けます。あの湖も、この川の支流にあたります。
仙人が出てくる絵に、こういう風景はあったでしょうか?
私は秘境と言われる場所を幾つも訪ね、瞑想などを繰り返しました。切り立った岩に、何らかのエナジーを感じようとしました。
でも、マスターが計画した旅の最後はここでした。どこにでもあるような風景・・自然というよりは、人間の生活が主体となるような場所です。
今でこそ、書けます。ここには何かあると・・。
しかし、夜行列車で着いた時、この川に何の期待も生まれませんでした。
『となりのトトロ』というアニメがあります。あれは「となり」という言葉が大切だと思いました。これは「となりの川」なのです(笑)。
孤独と自由(2000/08/01)

空間に生きる方が、孤独感を感じない・・最後の書き込みの原稿を書いていて、そう思いました。
私は中国の帰りの夜行列車で、マスターとの遭遇の事を導師に話しました。すると導師は言ったのです。「それを発表するのは、時期が早いのではないか・・」と。
「何故?」と訊いても、明確な理由はありませんでした。
帰国後に書き込みを始めたとき、黄山のところで止まりました。このまま最後までいってしまっては、まずいと思ったのです。あの時は、何の躊躇もありませんでした。
あのまま、分布定数回路の議論無くして最後まではいけないと思ったのです。
しかし、今回は躊躇をしました。書き込みをやめることに対する躊躇です。なぜなら、7/31の22時にアップすると宣言していたからです。
みんなの期待感が強かったとか、そういうのではないのです。
原稿は出来ているのだから、あとは簡単な動作です。コピーして、投稿をクリックすればいいのです。10秒あれば出来ます。
しかし、なぜかそれをする気になれないのです。
旅の始まりに、サンリオの社長が書いた「着工式の日にそれを中止することについて」という文章を載せました。何だか、それに似ているなとも思いました。
全てのお膳立ては揃っているのだけど、それをGO出来ないのです。
『となりのトトロ』という曲には、さすがに心を動かされました。昨夜は自分でもCDをかけて、何度も聴きました。

岡山講演会で私にサインを求めた人の書き込みを誰かが入れていました。
私はあの時「自由へ」とサインしました。その人は「自由になってもいいんですか?」と訊きました。私は即座に「もちろんです。自由になってください。」と答えました。そういうエピソードが入っていました。
それを読んだ時も、かなり心を動かされたのですが・・・。
仙人・仙女達は、孤独と自由という問題に直面し、それをどのように解決しているのでしょうか?
肌色部屋では男女関係についての話が出ていますが、人は愛し合うほど孤独に直面するのではないかというのが私の考えです。
同様に、人は創造的になるほど孤独に直面するとのではないかと思います。
今、喫茶店で書いています。昨夜は、私らしさという話題も出ました。
昨夜の22時にアップすることは、本当に私らしいでしょうか?何もアップせずにここに至る私には、私らしさはないでしょうか?私は引いているでしょうか?
孤独という単語には、あまり大きな反響はありませんでした。自分にはそんなものはないという意見の方が多かったです。
しかし私にとって、最終的に行き着くもっとも大きな問題はこれなのです。
仙人・仙女は、不老不死の孤独を、どうやってやり過ごしているのでしょうか・・・
手塚治の「火の鳥・未来偏」では、マサトという主人公が不老不死になり、同様の問題に苦しみます。私にとってこの問題はこれからの大きなテーマでもあります。

しかし、この問題を直に書き込めない私がいます。私だって傷付くのが恐いですから・・・。
あのまま書き込んでしまったら、マスター達に大きな誤解が生じたかも知れないとも思います。
風の中にいるロマンチックな存在としてのみ映ってしまう可能性があるからです。
ワダチに対する誤解があったように、私達が微細に受け身的になれば、マスター達とマッチングがとれるというような・・。
読者感想コーナーに著者の感想しか入らないのは、やはり寂しいものがあります。
マスター達を是非ここに呼んで欲しいのです。
みなさんに期待ばかりもしてはいられません。昨夜書き込みをしなかったのも、私の一つの前進だと思っています。
私も、流れの中へ・・。
ペンディングになった最後の中国紀行ですが、ある日タイミングが合ったら、突然出します。そのときの合い言葉は、「世界の広さ」です。
最近、私のもとには面白い手紙が来ます。
ヒマラヤ聖者・・等の本を読んで、彼らに会いに連れていってくれ(笑)という手紙です。別人から同時に何通も来たので、シンクロ現象でしょうか。
しかし、彼らには会いたいという目的で行くと、会えないと思います。
世界の広さは突然に、何の前触れもなしにやってきます。
ちょっとした飛躍(2000/08/26)

きょう、ちょっとした飛躍がありました。眠かったのに・・・インスピレーションがありました。
天人合一の図で、フォーカス70からのリングは、90度回転させるのです。
ちょうど、映画コンタクトで、時空に飛び出すためのカプセルの周りに回っていたリングの様に・・・。
大人になる(成長する、あるいは孤独になる、あるいは分離する)のは、私が今まで書いた通りの平面二次元でよいのです。
しかし、再びこの三次元に戻るのは、同じ平面上ではないのです。90度ずれた時間上を帰るのです。
孤独感を背負った人間が時間軸で帰ってくる・・・なんて、すごいのでしょうか・・・。
そういう意味では、リリースでいいのです。だって戻ってくるのですから・・・
でも、この循環は「螺旋」とも考えられます。成長と帰還は同時に起こるからです。回転をしながら進むイメージです。
それが螺旋だとすれば、螺旋を上がりながらFREEになっていくのです。
空間系がフォーカスなら、時間系はアウトオブフォーカスというのは合っています。
この図の意味は、数多くあります。
でも、最大のものは・・この三次元のすごさ・・では、ないでしょうか。
何も失わずに、戻ることではないでしょうか・・。
大人になることと子供に戻ることが、矛盾しないということでしょう。
意識と無意識が対立しないことでしょう。
立体的天人合一(2000/08/26)

宇宙のインフォメーションセンターはどこにあるのかと言うと、この「立体部分」あるというのが正しいと思います。
何故かというと、孫さんは全ての次元の念写が出来ます。信念体系領域も、指導霊症候群の領域も、天使の領域も・・
これは立体部分からアクセスするからこそ出来ることです。立体次元は、情報の通路でもあるのです。
さて、三次元の重要性を書きました。その例を挙げましょう。また孫さんの例です。
孫さんには五人の指導霊が付いています。しかし、彼らはそれぞれ連絡が取れません。
孫さんは彼らの全てと連絡が取れます。これは孫さんがこの三次元にいるからなのです。
立体的な時間次元は、全ての空間次元と接触しているのです。それが全て我々の三次元に集約されているのです。
しかし高次元同士に対しては、なぜか連絡通路の役目をしないのです。これは連絡されるとまずいのです。だって指導症候群が全高次元領域にプロパガンダを始めかねないからです。
こう考えると、高次元など、屁でもない・・ではないでしょうか?
高次元の存在が立体次元に乗ることは、出来ないのかも知れません。しかし逆に、この三次元にはあらゆる領域の情報が降ってきます。それがまた、楽しいところです。
そして私達も立体次元に乗り、あらゆるところにアクセス可能なのです。
道教の「無為」・・・まさに立体的時間に乗る方法ではないでしょうか。
ワダチに乗る・・これも立体次元に乗る方法かも知れません。

意識は空間次元と考えます。つまりフォーカスされる部分です。
無意識は立体次元と考えます。アウトオブフォーカスとされる部分です。
このコンビネーションをうまく使うことにより、私たちは素晴らしい世界に旅立てるはずです。
私たちが通常意識するのは、フォーカスされる部分です。成長しようとか、何かをしたい、したくないとか・・。
それは個性なのですが、そのままでは未完成なのです。それをリリースしてしまわないといけないのです。
リリースは、解き放つことです。すると無意識の領域に入ります。
立体的次元に放り込むと、それはオートマチックで運転してくれます。
その時、私達は周りの景色を楽しむだけでよいのです。
意識で運転をしている間は、それが気になって景色も見ることが出来ませんでした。
立体次元からの景色は、それこそ、素晴らしいのです。
コーヒー一杯だって美味しくなるのです。
風を感じて・・その微細な感覚と躍動感(2000/08/28)

湖のほとりに林がありました。導師はその林で遊び始めました。走り回ったり、かくれんぼをしたり・・

(スチール写真より)


(スチール写真より)


(スチール写真より)


そして「マスターに瞑想を教わった場所はここです」と言って、ちょっと離れた空き地を指さしました。
私はトコトコと歩いていき、そこにちょこんと座りました。
下の写真(ずっと下の写真で導師が私にエナジーを送っている写真)は後から撮ったものです。導師が小さい頃座った位置に私も座ったのです。
光の加減かどうか分かりませんが、座った位置に光が放射状に集約されてくるような感じを受けました。
(スチール写真より)


この時、私はローブを着るのを忘れていました。
道観ではローブを着ないと単なる観光客と見なされ、重要な部分に入れないので、瞑想の時はローブを着るというのが習慣になっていました。
でも、その時の私はそういう大人の心が無くなっていたような気がします。
座るやいなや・・・それは起こりました。一瞬、風を感じました。
よくUFOからビーム光線が降りてくる絵を見ますが、あれと似ています。
微細なエナジー。まるで風のエナジーのトンネルができ、上から下へと、流れます。それがどんどん強力になっていきます。
モンロー研究所でフォーカス35に飛ばされるとき、同じようなトンネルを経験していますが、その数百倍、数千倍の迫力があります。
しかし今は、幽体離脱をしているわけではありません。
三次元そのものでのエナジーのトンネルはこんなにもすごいものでしょうか・・。
少し気が遠くなりそうになり、目を瞑りました。百会が、まるでひまわりの花の様に、全開になっています。駆け抜けるエナジーで、全身の毛穴が開いているようです。
何かに感動して震えるときがありますが、それがずっと続いているような感じです。
目を開けました。喋ることは出来ます。「リサ、デジカメで僕を撮って・・」「OK!」
しばらくデジカメで格闘しているリサが見えました。「やっぱりシャッターが切れない・・。」
そうでした。湖のところに来てからというもの、シャッターが切れなくなっていたのです。(帰るとき、導師の家の近くに戻ったら、また切れるようになりました)
「じゃあ、スチールカメラで撮って・・」「スチールカメラはどこにあるの?」「ああ、ここにある・・」
そうです。湖や林で導師のことを撮っていたので、私の手元にありました。
リサが取りに来ようとした時です。導師が手でそれを制しました。その瞬間、景色が消えたのでした。七色の光だけがありました。
私は自動的に目を瞑りました。身体を突き抜けるエナジーは先ほどよりも増しています。
そして目を瞑っているにも関わらず、周りの景色が見えます。導師とリサも見えます。湖も見えます。しかし・・松林が見えません。
私は目を開けました。状態は変わりません。だって、開けてても閉じてても、変わらないのです。
でも変わっていることがありました。松の木がエナジーの流れとして見えてきたのです。
虹色のエナジーが上から下へと流れています。虹色と言うよりも、キラキラした光の粒子という感じです。

その時、風が吹きました。その風は、私のあらゆるスイッチをONにして、通り過ぎていきました。
エネルギーの渦のようなものが私通過した瞬間でした。松の木の中から(だと思うのです)、何のエネルギー体が出てきたのです。
だと思うと書いたのは、最初に遭遇したとき、まさかと思ったのです。
しかし帰りの夜行で導師は言いました。「マスターは私を通り抜けて、松の木の中に入ってしまう時もありました。」
これを聞いた時、「ああ、あれはやはりそうだったんだ・・」と思いました。
でも、妖精のように松の木そのものから出てきたというイメージではありません。
上から降りるエナジーに乗ってきたという感じなのです。
その松の木と私との距離は30メートルほどはあります。
木から出るとエネルギー体は実体化しました。真ん中の人は女性でした。170歳・・先入観がありますのでそう見えました。
右側の人は男性・・やはり同年代(170歳前後)に見えます。左側は性別不能・・どちらにでも見えます。
その時、また風が吹きました。その風に乗って三人は突然私の前に移動しました。
テレポーテーション。瞬間エナジー移動。
目の前に来た彼女は40代前後に変わっていました。
髪は肩まで・・それ以上の描写は出来るのですが、しません。精確な描写をすればするほど、彼女の存在が薄れるのです。
どこから来たのでしょうか・・・。風の中に住んでいる・・・という感じです。
後から導師に聞くと、真ん中の女性はボジン密法を教えてくれたマスターだということです。『不思議の科学3』にも主要なマスターとして出てきます。
そのマスターは水の上を歩いたそうです。風の中に住んでいれば、水の上を歩くのは当然でしょう。
マスターはまるで粉が降っているような感じです。金粉がふわ〜っと飛び散ったような・・・。
マスターは私に向かって、両手を少し広げました。その両手からも光の粒子が出ています。微細な粒子は私に流れます。
上からは光の粒子のビームが・・前からはマスターの粒子が・・・。

この旅は、去年の7月から言われていました。導師がローブを授与した時にです。
「シンデンシェンを洞窟修行と私の故郷に連れて行きたい・・」
そして9月末にそれは実現しそうになりました。
「明後日にいらっしゃい。私も時間がとれます」というファックスが舞い込みました。
しかし10月始めに講演会の予定を入れた私は、断念しました。それ以来、私は余程のことがなければ講演会の予定を入れなくなりました。
でもあの時チャットでそれを喋ってしまい、私がマスターに会い損なったという感じになり、次回の期待感が生まれました。
今回の旅のどこに、マスターへの期待感があったでしょうか?
旅の計画をマスターが立てたと書いたとき、数名がその期待を持ったと思いますが、私が書き込みをしている間に、それは消え失せたのではないでしょうか・・・。
私も、全くありませんでした。連日の逍遙功でぐったりとしていました。
この位置に座った時でさえ、私は普段着です。日常の一部として座りました。
おまけにリサの手元にあるデジカメは動作不能。頼みのスチールカメラは私の手元。リサはこれを取りに来ることを制されている。
何の期待も準備もありませんでした。座って、ただ風を感じたのが原因でした。

マスターは私に向かって微笑みました。後ろの二人も微笑みました。私も微笑みました。
「訊いていいでしょうか?」私は喋った気はしたのですが、口は開いていなかったような気がします。
「すべては波動なのですか?」私の口が開かず、情報の入ったエナジーだけがマスターに届いた感じがしました。
マスターは笑ったまま頷きました。そして上を指さしました。
そこには光の粒子が乱舞する宇宙空間・・・。しかし、ちょっと感覚を戻すと普通の空にもなります。
もう一度マスターの指先を見てから空を見ると、また宇宙空間が・・。
そして光の粒子はマスターの指先に集まり、もう一方の手から私に注がれました。
ふと、このとき不老不死という言葉が浮かびました。「あなたは生きているのですか?」
この言葉の裏には「あなたは不老不死を生きているのですか?」という意味も含めています。
するとやはり優しく微笑むだけでした。いえ、「優しく」というのは誤解があります。
その中にはキラリと光る「生」、言い換えると生命の躍動感を感じたのです。
導師が夜行に乗る駅で見せた0.0000001秒の目がそこにはありました。
「生きていくことは孤独なことよ。あなたも私も唯一の存在、唯一の人生を生きている。でも本当に唯一のあなたになれば、今度はあなたは何にでもなれます。」
これは彼女が私に送った情報かどうかは定かではありません。ただ、その瞬間そういうことが頭に浮かんだのです。
同時に天人合一の図が思い出されました。唯一になれば、何にでもなれる・・・。
彼女の指先に集まったエナジーは、相変わらず私に降り注がれています。
すべては波動・・このとき浮かんだ情景は、電話線です。しかし、とても立体的な電話線です。私達は電話線の断面に住んでいるのです。

電気の世界では、電話線のようなものを分布定数回路といいます。一点に負荷が集中するのではなく、全体に分布するのでそう言うのです。
しかし、それに乗ることができるのは、波動です。逆に波動であれば分布定数回路で計算できてしまいます。
分布常数回路では共振という状態が起こります。
共振・・すなわちマッチングを取れば、送り手と受け手が同じ情報を共有することが出来ます。いわゆる電話が通じているような状態なのです。
この分布常数回路では奇妙なことが起こります。電圧がゼロの時、電流が最大になったりするのです。
電圧を「目標」「期待」だとすれば、電流はその時の瞬間の生命エナジーの値かも知れません。
「愛が欲しい」「幸せが欲しい」こう願っている状態は電圧が最大かも知れません。その時、分布常数回路は電流ゼロとなります。
電話線の切り口に住んでいると言うことは、どこにでも情報を送れる、あるいは共有できるという事です。
そしてこれが最も大事だと思うのですが・・マスターの指先に集まるエナジー、そして指から発射されるエナジー、その両方ともが「場」なのだということです。
分布常数回路だとすれば、これは当然です。アンテナから電子が発射されているわけではないからです。送信アンテナと受信アンテナの共振(マッチング)が起こっているだけなのです。
太陽から出た光は、宇宙空間を通過しているときは、真っ暗です。これは「場」でしかないからでしょう。三次元の物体に当たり、それはエネルギーとなります。
マスター達はひょっとすると「場」なのでしょうか・・・。場にマッチングさせれば、その情報を精確に得ることが出来る・・。

この林には、大きな松ぼっくりが落ちています。後で調べるとこういう種類の松の木があるのです。ヨーロッパなどには特に多いそうです。
この松ぼっくりでさえ、マッチングさせれば向こうの世界に通じることが出来るような気がします。


特に生体関係はそれが言えそうです。マスターは場のマッチングを取っただけなのです。それが一見、エナジーの流れに見えてしまうのです。
実は、これを書いている今も、私は同じようなエナジーを感じることができます。
この松林は何の変哲もない場所でした。導師の家には別の人が住んでいます。湖と林の間には道があり、ダンプカーが通っています。それは洞窟の中ではありませんでした。
「マーケットの中にこそ、本当のエナジーはあります。」
「マーケットの中で悟らずして、どこで悟るのでしょうか?」
導師が言った言葉でした。

今、これを書いているのは、世田谷区のお店です。ラッキーにもテラスが空いていて、ブランチを食べながら書いています。
風が吹いています。雲が流れています。
こんな都会の真ん中でも、吹く風は、あの松林と何も変わりはありません。
「自然に出会いたかったら都会に行きなさい。そこには人間がたくさんいますから・・と言ったのは、解剖学者の養老孟司でした。
フェルルはお店の人に水をもらってご機嫌です。再び寝そべってテラスから鼻を突き出し、風の匂いを嗅いでいます。
木からエナジーもらう・・なんか傲慢です。人にエナジーを与える・・なんか傲慢です。
気を入れる方が大事でしょうか?私は気を抜く方が大事だとさえ思います。人は普通、気を入れ過ぎてしまっています。
マッチングをとれば良いのです。すると相互にエナジーの循環が起こります。
木から人間へ、人間から木へ、人間から人間へ・・・。

マスターは上げていた片手を降ろしました。その時、導師とリサがこちらに歩き始めました。
「また、会えるのでしょうか?」私はマスターに訊きました。
「いつでも会えます。風を感じて下さい。その流れの中に私はいます・・」
とても優しい声でした。流れの中・・・
ロバート・モンローも離脱中、未来に行ったとき同様の体験をしています。そこで遭遇した存在は光のようであり、自在に肉体を変化することが出来たのです。
仙人仙女の波動は、微細でした。決して大きなエネルギーではありません。
しかし躍動感はあるのです。生の躍動感・・・。これはフォーカスの上部の存在達には無かったものです。
マスターが次第に光そのものに変わってきます。その時、導師がマスターの横に来ました。導師がマスターに笑いかけました。マスターも導師に笑いかけます。
そしてマスターは風の中に消えていきました。リサは私の手元からカメラを取り、向こうに歩き始めます。そのあと導師は・・・そうなのです。
あとから写真を見ると、導師はマスターとほとんど同じポーズで私にエナジーを送り始めました。指を立て・・・
「ああ、あれはアンテナなんだ・・。エナジーを集めるのではなく、マッチングを取っているんだ」と、あとから思いました。


マスターが消えた瞬間、松の木も消えてしまいました。向こう一面に湖が広がっているのが見えます。
導師が後にいるので、情景はマスターと導師のものに変わりました。導師がマスターから絵を教わっているところです。
導師はこんな話をしたことがありました。
「私はマスターから絵を教わりました。あの湖のほとりで絵を教わったのです。でも、その絵はすこし変だったのです。妖精とか、そんな絵ばっかりを描いたからです。父は文化大革命の中で、兵士に志願しました。それを契機に厳しい父になってしまいました。あらゆる宗教が否定されるなか、父はそんな絵を描いてはいけないと言い、私の絵の具のセットを土に埋めてしまいました。でも親戚が結婚することになり、なぜか私の絵を自分の新居に欲しいと言い出したのです。私は絵の具を掘り出し、マスターと一緒に描きました。その絵はとても喜んでもらえました。そして数ヶ月が経ちました。親戚の隣が火事になりました。火はなぜか親戚の家を飛び越し、向こう側の家に移りました。親戚の家だけが無事でした。そして三日後、風が吹いたかと思うと、その絵は舞い上がり、飛んでいって、二度と戻りませんでした。」
そういうお話です。
導師の家にはマスターが描いた絵が飾ってあります。それは『不思議の科学3』にも載せました。
粒子になって時空を飛び回り、絵を描いているマスター・・・。
「あなたは不老不死を生きているのですか?」この質問に肯定的な微笑みを返しました。
だとすると彼らは・・・輪廻転生を前提としたフォーカスの番号の、まったく外側にいるのではないでしょうか?
導師が天人合一の四隅に「無限」「無止」「無境」「無容」と書きなさいと言いました。
それはマスターの世界は、あの番号の外側だからかも知れません。外側を通って、私達の世界に戻ってくる経路・・。
輪廻転生としてではなく、自分自身でいつも生まれ変わること・・どんな自分にも変化(へんげ)出来ること・・
リサがシャッターを切った時、突然松の木が実体として戻りました。
帰る時間が来ました。


帰りの夜行は寝台だったので、快適そのものでした。
夜行列車の夜が明けて、朝日が昇るとき導師は訊きました。「シンデンシェンは今、どういう状態?」
私は答えました。「風のような感じです。何か、飛んでいるような・・・。」
拾ったきた松ぼっくりを日本で耳に当ててみました。微細な感じが起こります。ブルッと震えるような一瞬が・・。そう、一瞬で良いのです。
ここで書いたマスターとの遭遇は、リサに聞くと一分にも満たなかったのです。
一瞬で良いのです。マスターの一瞬の生に満ちた目・・
導師だって、列車の前方に向かって走る間、風を感じたでしょうか?列車の入り口に体当たりする時、風を感じたでしょうか?何も感じてはいなかったと思います。
それは0.000000001秒、私と目が合った時に分かりました。ポジティブではないポジティブ・・・。私たち三次元の世界はこういうアクシデントばかりです。
でも、全員が乗り込んだときのあの笑顔・・・窓から飛び降りてしまったときのあの笑顔・・・そこでは風を感じていたのではないでしょうか・・。ほんの一瞬ではあるにせよ。
継続を期待するとそれは逃げます。一瞬で良ければ、それはいつでも現れます。


帰国後に旅行の書き込みをたくさんやったのは初めてでした。その理由は・・
いつも日本に帰ってくると、違和感を感じました。なんて日本は狭いのだろう・・なんで日本には同じ風が吹かないのだろう・・。
今回の旅はアメリカ人とも一緒になりました。香港人が通訳でした。数多くの人と会いました。
ホテルの予約と列車の予約に失敗したAさんもいました。酒を飲んでサイレンと共に疾走する公安もいました。絵描きもいました。
そして帰ってきた私は、この日本に何の違和感も感じないのです。
日常をスケートボードに例えれば、中国旅行はそこからのジャンプと言えます。
今までは、帰ってくるとその同じスケートボードには乗れませんでした。
しかし今回は旅行から帰り着地すると、そのまま同じスケートボードに乗っているのです。
言い換えると、流れに中断が起こっていないのです。流れに飛び込み、そのまま流れているのです。
世界は予想以上に素晴らしいと感じました。それは、世界がとても広いからです。
マスター達は永遠の一瞬を生きているのかも知れません。
本当に唯一の人生を生きれば、何にでもなれる・・だから、本当に出ていけば、戻ることも出来る・・。
一度中断した中国紀行でした。その間に引かないハワイがありました。そして今、最後の中国紀行をアップしました。
こだわる必要などありません。好きな時に・・・です。一瞬でいいんです。風を感じるのも・・。

(導師がマスターから絵を教わった湖)




これで中国紀行を終わります。みなさん、ありがとう。
書き込み期間:2000/07/27〜2000/08/28