もりけん語録
テーマ:「孫さんの念写写真」
書き込み期間:1999/10/27〜1999/11/20
要旨:
念写は超能力の中では定番の部類とされるものです、しかし孫さんの念写が通常と違うのは、自分で念じたものを写すだけでなく、向こうから訪れてくるものを写すことも出来るところです。後者の撮り方では、フォーカス27を超えた存在が写る可能性もあります。
実際に撮れた念写写真は、女性や天使、UFO、時空のトンネルなど、いずれも孫さんがビヨンド35にアクセスして捉えた存在です。
孫さんは三次元を超えた存在に遭遇しても、恐れたりひれ伏したりはしません。どんな次元の存在にも、友達のように愛を持って接するのです。
特に私が衝撃を受けたのは、文字の念写です。書かれた文字は左右が逆だったり不完全だったりしました。それでも、他では見たことのない鮮明な画像に私は物凄く感動し、孫さんの本当の実力を見た思いがしたのでした。
孫さんの写し出す写真を見ていると、イメージを作って念を送るやり方ではなく、受身的に対応していることが分かります。そして先入観に対してとてもクリーンです。
私は自分の中の既成概念を壊したくて、不思議研究所をやっているところがあります。孫さんの念写は、まさに既成概念をくつがえさせるには充分でした。

私がこうして不思議の調査をして発表しているのは、好奇心のためです。しかし、私と同じような研究をしている他の人達のほとんどは、世界や人類を良くするためにというような使命感を持っています。私がそれを好きではないのは、そこに正義があるからです。それなのに多くの人が使命感で何かをやろうとするのは、自由が怖いからだと思います。
孫さんの研究室は建前では正当科学の研究として成果を提出していますが、孫さんの本音では、時空を解明したいという好奇心があります。念写などは正当科学の評価の対象になりませんが、それでも挑戦してくれています。
私は不思議現象を科学的に証明するという目的で探求をしているのではありません。ただ、問題の解明に繋がるための手がかりが欲しいのです。科学も哲学も精神世界も、単にそのための手段だと思っています。

目次
○ 予告
○ ビヨンド35を念写する
○ 北京は快晴
○ 三次元的時空の写真
○ 文字の念写
○ 時空の天使1
○ 孫さんへの質問
○ 試されている私達
○ 三次元を越えた時空を飛ぶUFO
○ 「時空のトンネル」の説明
○ 最初は点から
○ UFOと時空のリング
○ 時空の天使2
○ 片桐すみ子さんのHPでの天使
○ 片桐さんよりのEメール
○ 片桐さんのメールを読み
○ 好奇心駆動型と使命志向型
○ ビジョン
○ 「忙しい」ということ
○ 私の社会性
○ 蘇生豆の芽
○ 遺伝子
○ 日本の協力
○ 科学者か哲学者か
予告

 なーんだ、念写か・・・と思う人も多いかも知れません。それは中国でも同様で、念写は超能力の定番とされています。
 でも、これから報告しようとする孫さんの念写は、それを一歩も二歩も進めたものになりそうです。
 なりそうです・・と書いたのは、まさに現在進行形でやっているところだからです。





 この写真ですが、上側はまさに念じているところの写真です。孫さんマニアにとっては、グッとくる写真かもしれません。しかしマニアに申し訳ないのは、孫さんは私のことを想って念じてるのです(みなさん、ごめん。でも役得だから・・)。
 冗談はさておき、右側は念写が終わったときの写真です。よーーく見ると写真には「森」という字が書かれています。この写真は、後で大写しで載せます。
 さて、どんな装置でやっているのでしょうか。
 左側の「最中」の写真の装置から、紐のようなものが出ているのが見えると思いますが、これはキルリアン写真機として使うための圧電シャッターです。このスイッチを押すと、カチッという音がして、ポラロイドのフィルムに高圧電流が流れるようになっています。
 カチッと言う音は、ちょうどライターの原理と同じです。フィルムに手を置いてカチッとするとちょっと痺れます。
 しかし孫さんはこのカチッをやりません。フィルムの上に手を置いて、念じるだけです。
 つまりこの装置は、孫さんにとってはフィルムに光を入れないための、ただの箱に過ぎないのです。
 帰国する二日前にお借りし、私の家で実験しました。私もカチッとやってみました。しかし右側の写真にちょっと写っている様な、鮮やかな赤は出ませんでした。キルリアン特有の、濃い青い色のものばかりでした。

 さて、孫さんの念写の、どこが他のものと違うかを書きましょう。通常、念写は何かを念じます。だから念写と言います。しかし孫さんは二つのバージョンでできます。
  1.一つは何かを念じるバージョン
  2.もう一つは何も念じないで、向こうから訪れてくるものを写すバージョン
 さらに、彼女は蘇生超能力者です。蘇生はフォーカス27を越えた実存領域にアクセスしているというのが、私の仮説です。だとすれば、彼女が写す2のバージョンの写真には、フォーカス27を越えた存在が出る可能性があります。
 私は8月にモンロー研究所に行き、ビヨンド35に挑戦しました。まさにそこで出会った存在が、写真で撮れているのです。
 幽体離脱ではカメラを持参することが出来ません。ですから、私の話だけでしか伝えることが出来ません。しかし帰国後の講演会では、孫さんが撮った実際の写真を、ど迫力で見せることができます。
 いえ、その前にこのHPの人達にはとっておきの写真を見せましょう。
 とても意外な写真だと思います。どんな存在だか、当ててみて下さい。たとえば骸骨のようだとか・・、仙女のようだとか・・・。でも、いずれも違います。

ビヨンド35を念写する





 下側の写真は、上側の写真の左半分を拡大したものです。
 まず上側の写真について説明します。ビヨンド35の「彼女」は、光に乗って現れました。
 三次元に生きる人間には通常、光しか見えません。だから彼らを感じることの出来る人(チャネラーや霊能者系の人)は、「光の存在と遭遇した!!」などと感嘆します。「自分に光が降りた」などと宗教的な勘違いする人もいます。
 しかし孫さんには、そんなことは通用しませんでした。
 「眩しいわね〜〜この光は・・。どうしようかしら・・・。そうだわ、太陽を見るときに下敷きで見たりしたわよねぇ・・・。下敷きよ、出なさい!!!」
 これらは全て孫さんが、写真機に手を置いたまま瞑想状態で、天目に写った画像とのやりとりです。
 下敷きは何故か周囲はギサギサでしたが、そこの中央付近に女性が写っていたのです。
 よく見て下さい。写っているでしょう。私の手元にあるものには、もっと鮮明に写っています。女性の部分を拡大したのが下側の写真です。まるで人形のように見えませんか?
 (補足:写っている女性は、写真では良く見えませんが、頭の右側が透けていて脳が見えているのです。こちらから見ると、頭の左側です。肌丸出しではなく、脳丸出しです。)

 私は孫さんに質問しました。
  私「この女性は実際に生きているのでしょうか。つまり三次元の存在として生きているかという意味です。」
  孫「生きていません。三次元の肉体は、とっくの昔に捨てました。」
  私「でも、意識としては生きているのでしょうか?」
  孫「もちろん生きています。」
  私「ここにモンロー研で私が作ったいのちの世界があります。彼女はフォーカスのどこに住んでいる存在でしょうか?
」   孫「ここです。」
 と言って、ビヨンド35を指さしました。そうなのです。私はビヨンド35で、こういう存在達と遭遇したのです。まるで能面のように、感情というものが希薄な存在達と・・・。
 バシャール、ラムサ・・彼らはこういう顔をしているのでしょう。私たちが持つような欲望や、怒りや、悲しみや、そういったどろどろとした感情が希薄です。
 彼らは一様に「愛しなさい、ワクワク生きなさい、喜びに生きなさい、エゴを捨てなさい」と言いました。
 光に包まれた存在にそんなことを言われると、その気になったりもしそうです。
 私はビヨンド35に行った時は、既に仙人ローブを頂いていました。モンロー研での体脱も、それを着たまま行いました。
 「愛しなさい、ワクワク生きなさい、喜びに生きなさい、エゴを捨てなさい。」
 そんなことを言われても私は「エゴなどというものは、愛しなさいと言われるから出来てしまったのです。あなたの言うことは私には無用です。」
 と言うと、「だとすると、これ以上先に進むことは許されません。このエネルギーボールが見えませんか?」
 彼女の頭の周りには、光のボールが回っていました。それを一発、天目から発射しました。それに対抗するのは簡単です。無抵抗になればいいのです。
 光の玉は、私を通過して後ろに飛び去りました。今度は私は、導師から教わった秘伝の方法でエネルギーボールを作ろうとしました。すると相手はその瞬間に消えました。
 彼らには一様に表情がありません。そう言えば銀河鉄道999のメーテルも、感情に欠けるところがありました。ビヨンド35の存在達に似ています。

 孫さんはこの写真を撮るのに時間がかかりました。なぜなら下敷きの中央に存在を乗せた光の玉が、なかなか乗らなかったのです。運良く乗った瞬間に天目の映像を手のひらの労宮ツボに移動し、フィルムに焼き付けました。
 一枚撮っても、まだ存在は孫さんに捕らえられたままでした。
 この写真機には20枚のフィルムがセット出来ます。撮ったフィルムを引き抜き、すぐに下のフィルムにも焼き付けを意識しました。その瞬間です。
 「私、帰るわ」と言って、彼女は孫さんから離れようとしました。それが真ん中の写真です。光は下敷きを離れて上部に飛び去りつつあります。
 なんか、凄い写真ではないでしょうか・・・。私にはとても荘厳な瞬間に見えます。
 この彼女、それほど邪悪でもないと孫さんは言っています。友達になれそうだと言っています。
 三次元に住んでいるのに、孫さんという人は計り知れないと思います。孫さんは相手がどんな存在であろうとも、常に愛を持って接しているのです。
 私と孫さんの大きな違いは、恐怖心です。私はまだまだ恐れとか恐怖心があるのです。
 だから彼らはそこに付け込むのです。だからエナジーの攻撃をされるのです。ある意味では全て自分で作り出しているのかも知れません。
 それに孫さんに「愛しなさい」というフレーズも通用しないのでしょう。だから対等の友達になれるのです。
 彼女は既に、カラーフィルムにも登場しています。でも白黒の方が鮮明です。
 何故かと言うと、光が白で、彼女が白に近い赤のため、私のビデオキャップチャーでは判別不可能になるのです。

 今度は面白い実験をやる予定です。それは蘇生前の魂を写すのです。エビフライでやる予定です。エビフライを前に置き、孫さんがそのエビの魂にアクセスします。
 光に包まれて現れるのか、それともエビフライの格好のまま写るのか、興味があります。魂を撮影してから蘇生するのです。その魂と会話しながら・・・。
 つまりこの写真機は、孫さんの天目映像撮影機なのです。
 実験を繰り返し、もしもこの映像の信憑性が高まれば凄いことです。あの世の写真も写すことが可能です。

 なんと、ビヨンド35は人形に近いのです。まるでマネキンの様な・・。
 彼らこそ、本当に愛に生きているのでしょうか?ワクワク生きているのでしょうか?
 エゴは少なそうに見えます。しかしそれで本当に良いのでしょうか?
 彼らに比べて我々は、何と表情が豊かなのでしょう。泣いたり笑ったり怒ったり・・・。
 それにしても孫さんという人は、なんと自由なのでしょうか。下の方に念写している最中の写真を載せましたが、本当に楽しそうにやるのです。
 あの女性をカラー写真に撮る時も、「ねえねえ、もう一度、遊びに来てよ」と言いながらやるのです。
 彼らが愛しなさいと言うのは、自分達が愛されたいから言うのかも知れないと思いました。どんな高次元の存在も三次元の私達と平等であり、お友達になるべき存在なのです。
 笑ってしまうのは光に包まれた観音様を撮る時です。
 「観音様〜〜、そんなとこに隠れていないで出てきてね〜〜」と言うわけです。
 それは観音様の格好をした「存在」なのです。孫さんにかかっては、どんな格好も通用しません。平等なのです。
 私はここ一年、孫さんの蘇生と、モンロー研と、導師を追ってきました。それぞれ分野は違うけれど、何かとても大きな関連性を感じます。
 孫さんは物理現象で勝負してきます。導師はコントンの世界から勝負してきます。モンロー研は時空の外側から勝負してきます。
 これらを統合するのが、この情報を得た私達だと思います。
 蘇生の孫さんに映像という手段が加わったことで、ますます面白くなってきました。
 シンセンや香港も熱かったけれど、北京だって、負けずに熱いと思いませんか?

北京は快晴

 孫さんは今、日本が大好きで、日本語のカセットを勉強しています。ビヨンド35のスピリッツを呼び出す時、「日本のスピリッツよ、出て来て下さい」と思ったそうです。
 以前、明日香村に行った時、女王卑弥呼の話をしました。とても興味を持ちました。
 下敷きが立体的なのに、高次元のスピリッツは平面的です。でも下のフィルムにも薄く写るときがあります。
 その時は下敷きは写らず、高次元のスピリッツだけ別の切り口で写ります。写真を合わせると立体的に見えてきます。まるでレーザーホログラムの切り口のようなのです。
 「あの娘のスピリッツよ、また出て来い」と思っても全く捕らえることが出来ないのに、
 「エイ」と焼き付けると、あの娘が横顔で写っていたりします。
 つまりあの娘が孫さんを見ている状態でないと、孫さんもコンタクトとれていないのです。
 既に撮った映像は300枚にのぼります。
 とても不思議な現象ですが、じっくり研究していくと大切なことが分かるかも知れません。
 今夜は、孫さんが100%作りだした映像をアップします。天目とは何かを研究するのに、とても役立つ映像のはずです。

 <補足>
 蘇生する前のピーナッツを置いて焼き付けると、何とそこには出るべき芽の状態が写ります。スピリッツは前もって既に来ているのです。
 それとも時空の関係で、未来が写っているのでしょうか?

三次元的時空の写真



 これは本日、モンロー研で一緒だったアメリカ人の女性が送ってきたものです。「私の幽体離脱」という題名です。
 彼女は、離脱の際に宇宙へ行くのが得意でした。その時の様子を絵にしたのです。
 なぜこのコーナーに出したかというと、孫さんの「ビヨンド35を撮る」の映像と比較してもらうためです。
 モンロー研の彼女の絵は、とても分かりやすいです。まるで幽体離脱を絵に描いたような絵です(笑)。
 それに比べて孫さんのは、理解困難なところがあります。
 でも、私がビヨンド35で体験したのは、孫さんのと同じ感じなのです。

文字の念写





 私はこの写真を見た時、「うーーん、孫さんの実力はすごい!!!!」と思ったのでした。
 彼女にとって、常識など屁でもない(失礼)のです。
 ぶっとい字で念写して何が悪い・・・。ぼてぼてに書いて、何が悪い・・。
 さて、上側の写真は孫さんが、自分の名前である孫儲林の、アルファベットの頭文字を念写したものです。問題点は一目瞭然ですね。左右が逆なのです。
 下側は森田健の「森」を書いたつもりです。しかし不完全です。残念ながら森という字は左右対称だったので、逆かどうかが分かりませんが・・・。
 さて、もう一つの問題は、なぜかクレヨンで書いたような感じだということです。
 孫さんは通常、自分から積極的にイメージを作ることはありません。蘇生の時も常に相手の魂とコミュニケーションを取りながら行います。
 「完了形のイメージを持って、エイとやる」・・これは一般的に言われている念の送り方です。しかし蘇生される魂によっては、蘇生を望まない魂もあるのです。
 ですから、孫さんは受け身的に対応しています。積極性にやるのはコンタクトを取るという行為のみです。

 みなさんの中には、「ビヨンド35を念写する」に出現したアニメの女性は、孫さんが創り出していると言う人も多いかと思います。しかし孫さんと接していると、たぶん、それは無いのではないかと思います。
 彼女はイメージを自ら創り出すタイプではないのです。ある意味では先入観に対して、とてもクリーンです。
 ですから今回のように、自分の名前を書けと言われると、とても困るのです。天目をそのような創作の場に使ったことはあまりなかったからです。今回の念写という実験で始めて経験したのだと思います。
 困った孫さんは、画用紙とクレヨンを意識して、そこに一生懸命に書き始めたのです。
 時空のクレヨンは、長く画用紙に当てているとエネルギーが転写されるために、白くなってしまいます。だからSCLの文字の出だしはそれぞれ白くなっています。
 書いた文字を丸で囲むところなんて、けなげだと思います。
 本来、丸を意識すれば、完全な丸が出来そうです。でも、まるで手書きのようにグニャグニャです。
 森という字は、始めての漢字に挑戦したということもあり、なかなか筆が進まず、エネルギーを受けすぎて、全体が白くなっています。
 それでも、左右逆はあるにしても、私はこの写真に、孫さんの本当の実力を見たのです。
 さて、「ビヨンド35を念写する」の時に現れた下敷きを思い出して下さい。
 孫さんは「下敷きよ、出てこい」と言いました。つまり創造したのではないのです。呼んだのです。
 誰かがSF映画の宇宙船の様だと言っていましたが、まさにそれに似ています。孫さんの教授は時空の窓だと言っています。
 四つの部品からなる時空の窓は、大変に均整がとれています。もしも孫さんが窓を作ったとしたら、今回の丸のように、グニャグニャになるはずです。

 それにしても、今までにこんなに鮮明な念写写真が撮れたことがあるのでしょうか。
 何かボヤッとしたものが写っているような、いないような・・・そういう写真ばかりではなかったでしょうか?
 念写を一つとっても、孫さんという人は本当に凄いと思います。鮮明に写ったおかげで、反転という現象に遭遇できました。
 さてみなさん、どうして文字が反転したのでしょうか?誰か解明して下さい。
 孫さんはポラロイドのフィルムの上から手を当てています。額の天目がCPUに当たり、手のひらの労宮つぼがアウトプット端子に当たります。
 天目から労宮つぼに行く間に反転したのでしょうか?それとも、労宮つぼからフィルムに行く間に反転したのでしょうか・・。
 それとも、時空は鏡のように反転効果を持っているのでしょうか?彼女が書き込んだ時空は、平行宇宙なのでしょうか?
 私がなぜ不思議研をやっているかというと、自分の中の既成概念を壊したいという気持ちがあるからです。学校や本でインプットされたガチガチの既成概念を壊したいのです。
 今、孫さんのやっている念写は、まさにその材料を提供してくれています。
 ビヨンド35の女性は、始めにアニメありきなのでしょうか?孫さんの潜在意識が映像化されたのでしょうか?それって、あまりに既成概念的だと思うのです。
 (しかし、私はアニメも否定しているわけではありません。是非とも、文字の念写と同時分析して欲しいのです。)
 ところで、私は文字の念写には物凄い感動を覚えています。孫さんと言う人は、何という人でしょうか?
 ボケた写真が出来たわけではないのです。ぼてぼてだけど物凄い鮮明な画像を、我々に提供してくれたのです。

時空の天使1





 天使とは、いったい何でしょうか?羽の生えた女の子が描かれることが多いですが、これは天使です。孫さんも天使だと言いました。私も天使だと言います。
 彼女達には意識があるのでしょうか??孫さんも私も、彼女達の意識とはコンタクトが取れません。孫さんが「疲れたわ」と言った時に現れたのです。ですから人の意識を読むことはできるのかもしれません。
 私がビヨンド35を飛んでいる時、この存在が現れて私を包んでくれました。私はとても暖かい気持ちになりました。
 仮に天使と言いましょう。天使は、色々な格好をしています。女の子に似ていたり、蝶か鳥のようだったり、時にはリング状のものもあります。一様に暖かい感じだけを持つ存在です。
 私が遭遇した天使は、私を暖めると、しばらく道を先導し、次のフォーカスへの入り口まで送ると、突然消えました。
 みなさんも、夢の中にこのような存在が出てきたことはありませんか? 
 そうそう、UFOの形をしたものもいます。天使のUFOは暖かい色です。でもアニメの女の子のいる領域にいるUFOは、あの銀色、もしくは白い光を眩しく放っています。
 本当に暖かい存在は自ら眩しい光は放たないというのが、ビヨンド35で得た仮説です。

孫さんへの質問

 孫さんに訊きました。
  私「私は孫さんが念写したアニメみたいな女性を、ビヨンド35の女性と名付けました。この女性は何か話すのでしょうか?」
  孫「彼女はとてもおしゃべりです。でも宇宙語だから、何を喋っているのだか、さっぱり分かりません。私の2番目のマスターは宇宙人(これはウルトラマンに似ている)ですが、それと同じ様な宇宙語です。だから私は、ビヨンド35の女性の言うことは、感覚でしか掴めません。でもあのとき最後に私に言った「もう、帰るわ」だけは分かりました。」
  私「孫さんが過去に見た、アニメの映像だという人がいるのですが、それについてはどう思いますか?」
 孫さんは、ここで非常に否定する表情をしました。
  孫「私が過去の映像を捕らえる場合、必ず分かります。関連情報がどんどん出るからです。この女性の場合、独立した魂として出現しています。顔の形は、彼女のものです。私からイメージを取っていることは、ありえません。彼女はマスター的存在ではないかとさえ思います。」
  私「孫さんはイメージ通りの物を作ることは得意ですか?」
  孫「自分のイメージがそのまま出ることは、ほとんどありません。私は第三の指導霊ツンカバから物質変換の方法を教わりましたが、水をガソリンに変えようとしても、高次のエナジーがそれを許さず、自分でもコントロール出来ないうちに、食用油に変わってしまう時の方が多いのです。」
  私「だから文字の念写は、あんな風になったのですか?」
  孫「リョウさんの超能力開発セミナーに出た人は、光を出す練習というのをやったでしょう。私はあの光をできるだけ細くして、サインペンの先くらいにして、天目に書くのです。ですから、私には瞬間的には光の点しか見えません。森田さんの森の字があんなふうにグジャグジャになってしまうのは、そのためです。引いた線が残像してくれると助かるのですが・・。」

 (ここで天使の話題に移りました。)
  私「私達が天使と呼んだ存在には、羽のようなものが生えていますが、動いているのですか?」
  孫「もちろん、蝶のように動かして時空を飛んでいます。」
  私「飛び方は、速いですか?」
  孫「とても速いです。だから念写するとき、お願いだからここに停まって・・と頼みました。すると停まってくれました。私はそのとき、とても大きなエナジーを感じ、幸せな気持ちになりました。」
  私「同じように、ビヨンド35の女性にもエナジーを感じるのでしょうか?」
  孫「もちろんです。彼女も素晴らしいエナジーを持っています。彼女はもう、私の友達です。」
  私「あれは白黒の写真ですが、本当は何色だったのですか?」
  孫「緑を基調にした色で、とても美しいです。」
  私「文字の念写にはいくつかの色が出ていますが、エナジーの高い色はどれでしょうか?」
  孫「やはり波長の短い色がエナジーが高いです。ですから、黒→赤→青→白の順に高いです。」
  私「私は明日帰国しますが、次に会うまで、どんなことに挑戦しますか?」
  孫「私は他の人間の魂にアクセスすることが出来ます。だから森田さんの考えていることを、写真に映像化するというのはどうでしょうか?」
  私「えーー、それはヤバイ。裸の女性でも写ったら、どうしよう」
  孫「森田さんなら、充分にありえますねぇ(笑)」
  私「それよりも、フィルム一面、どす黒かったりして・・・」
  孫「それも、充分にあり得ますねぇ(笑)」
 ということで、私達は夕食を食べに出たのです・・。楽しい孫さんとの会話でした。

試されている私達

 (成田エキスプレスの中で)
 試されているという単語は好きではありません。特に神様からの意味で使うのは大嫌いです。しかし超能力者を前にしていると、こちらも相手を試しつつ、相手もこちらを試しているのが分かります。
 導師とは、常にその関係にありました。掟(?)を破って、部外者に次のステップへのGOのサインを出すためのトランプ占い・・。
 普通道教の人は、そんなことをやらないでしょう。彼女がそれをやったのは、彼女の中では、トランプ以前にGOサインが出ていたのだと思います。
 しかし他の弟子のいる前で、しかもその弟子は正式な道教の信者で、しかもその弟子は、次のステップにも行っていない。そういう状況で考えたのが、トランプなのでしょう・・。
 ある意味では、トランプの前までに、試されていた結果は出ていたのだと思います。
 何を試されたかと言えば、どれだけ私が常識に縛られないかを試されていたのだと思います。道教には非常識とも言えるところがたくさんあるからです。
 孫さんとも試し試され・・です。新しい現象が起こるたびに、それは行われます。
 彼女は、彼女自身を透明な目で見てくれる人を欲しています。
 例えば、ビヨンド35のアニメの女性がそうです。まさにあれは、このHP全体の人を試しているのかもしれません。
 宇宙語という問題も出てきました。しかしテレパシーならば、全てOKなのでしょうか?
 テレパシーにはテレパシー言語があるのではないかとも思います。
 モンロー研ではテレパシーをロートと呼んでいます。ロートとは情報玉なのです。高次元の存在とは、ロート玉をキャッチボールしながらコミュニケートします。
 私も体験しましたが、それには一つの問題がありました。相手は瞬時にロートを解読できます。そして瞬時に送り返します。
 私はそれを受け取り、地球の時間系でもって解読します。ちょうど、ロートがCDだとすれば解読作業はCDプレイヤーで聞くことなのです。だからこちらサイドは、時間を要します。
 孫さんの話を聞いていると、宇宙語というのは、どうも解読方法に問題があるのではないかと思います。
 そうそう、言い忘れましたが、ロートと読心は別物です。お互いの心を読み合うのではないのです。ですから、コミュニケートにはロートというエネルギー体が必要なのです。

 機内では村上陽一郎の科学技術に関する本を読んでいました。彼によれば、科学とは、分類された科という意味もあるのだそうです。分類されなければそれは科学ではない・・。
 しかし孫さん達を研究するとき、「科」というものは役に立ちそうにありません。
 それどころか、私たちの頭の中から「科」というものを取り去ることが要求されます。
 そう言えば、陳さんも、試し試され・・でしたね。私たちが彼を試すと同時に、彼も私達を試していた・・。
 セミナーの参加者は私にとっては、失礼ながら被験者でした。彼の予知を初めて受けた日本人達でした。これから何年かかけて、結果の追跡調査をしたいと思います。
 またもや、日本での日々が再開されます。そこで私は、常識という鎧をどこまで脱げるのでしょうか?
 でも、私は日常という鎧を付けることに、何の躊躇もありません。いつでも脱げるものならば、着ていてもOKなのです。きっと・・・。

三次元を越えた時空を飛ぶUFO



 出ました、今日も・・。これが時空間を飛ぶUFOかどうかは、不明です。でも孫さんがUFOと名付けたから、UFOなのです。
 このUFOは、両方とも猛スピードで接近し、ぶつからずに交差していったとのことです。何かのエナジー交換でも、したのでしょうか??それとも情報交換でもしたのでしょうか?それともHなことをしたのでしょうか・・・。
 まるで意志を持っているように飛んでいるそうです。
 ビヨンド35かどうかの確認を取るのを忘れましたが、35以上の世界である確率は高そうです。
 それにしても、孫さんの天目って、とても美しい世界ですね。

 昨日のことです。雑談をしていると突然孫さんは目をつぶり、瞑想に入りました。
 「あ、あのUFOが来ています。・・・・・コンタクト・・んんんん、取れない・・。」
 すぐに目を開け、雑談の続きを始めました。
 そのとき孫さんは「まだ、そこにいるわ」と、何もない空間を指さしたのです。
 私は「どこどこ」と・・。「あ、見えないのでしたね・・。」(くくくく、私はまだ・・)
 でも、次元間航行をしているらしく、フッと消えてしまうのだそうです。彼女がコンタクトするには、少し同じ次元で停止してくれないとダメなのだそうです。
 時空の彼方を撮っても、証明のしようがありません。だから孫さんは、三次元の画像に挑戦中です。たとえば10月31日の××時のもりけんとか・・。
 まず時差が生じないかをテストするために、大学の時計の念写をすると言っています。
 私は、ビヨンド35の方に興味があります。だって孫さんの能力は、既に分かっているから・・。
 UFOの飛んでいる領域は、ビヨンド35のはずです。
 孫さんは何も意識しないと、フォーカス27は常に越えてしまうのです。
 では27〜34ではないかと言うと、孫さんの話を聞く限り、彼女は地球輪廻転生系はいつも越えている様子だから、ビヨンド35だと思うのです。
 マスターと対話できるのはそのためです。
 35を越えた途端に、再び宇宙的になります。でもある領域からエナジー一杯の色に変わりますが・・。
 孫さんは三次元の映像でも、時間を超える可能性があります。
 念写の次の実験予定は、私がポラロイドに手を置き、孫さんが離れた位置から私に映像を送ります。私がそれを念写すれば同じ写真が撮れると言っています。
 遠隔伝送に、距離は関係ないと言っています。

「時空のトンネル」の説明



 上の画像は孫さんが念写したものです。ビヨンド35には、このようなトンネルがあります。まるで女性器に似ていると思いませんか?
 そうです。この女性器は異次元に通じています。生命へのトンネルなのです。
 さて、色を見て下さい。赤と黒です(ちなみに孫さんが好きな色は赤と黒です)。これは対称的な色だと思うかも知れませんが、エネルギー的には、とても近いのです。
 赤という色は色の中で最も波長が長く、エネルギーが低いのです。
 ですから、このトンネルはフォーカスレベルの比較的低い所にあります。
 もしも高い所に上がって行きたければ、このトンネルの中に飛び込む必要があります。飛び込むとまず吸い込まれ、次に高く打ち上げられます。
 自然に任せたまま上昇すれば良いのです。ちょっと怖い気もしますが、飛び込んでしまえば暖かいのです。それまで真っ黒だった世界が、段々と赤みを帯びてきます。
 そして吹き上げられた世界は、赤いエナジーで包まれています。時空のトンネルは、そんな世界への入り口なのです。正確には、これは出口です。
 それは渦です。ひだではありません。
 前回出したUFOと時空のトンネルを見ても、孫さんがアクセス出来る領域は、黒と赤の領域が多いです。孫さんにとっては、まだまだ上の領域があるということでしょう。

最初は点から

 孫さんが初めてやった、文字の念写です。
 (消しました。見られなかった人、諦めも肝心です。)
 これは孫さんが念写で文字を書こうとした時の、最初の写真です。
 彼女は時空間に文字を書こうとしました。だって普段、彼女の天目は時空間にアクセスしているからです。
 そして時空間に画用紙の様なスクリーンを意識しました。そのスクリーンに、孫さんは天目から光を出します。その光そのものを写真に撮ってみたのがこれなのです。
 真っ暗な時空間に対し、彼女の光は白です。スクリーンに当たると、その部分は赤く広がります。エナジーを受けているからです。
 いかに彼女のエナジーが凄いか、分かりますか?そしてこの点を移動すれば、字を書けることに気が付きます。

UFOと時空のリング

 (画像は消しました。)
 画面が真っ赤なのは、フォーカス的にも相当高い次元と思われます。全体がある一定レベルのエナジーで満ちています。
 そこにUFOが飛んできました。UFOは青と紫と白です。
 バックの赤に比較してこれは寒色です。しかし波長が短いので、UFOの方がエナジーレベルがずっと高いのです。
 さて、向こうにはリングが見えます。このリングは時空のリングと名付けました。時空間によくあるのです。一つの次元の入り口です。
 ここに飛び込んだら、突然時空のトンネルが出現する場合が多いです。UFOは時空のリングに飛び込んでいき、そして消えたと言いました。
 さて、このUFOは一体、何なのでしょうか?和合ちゃんのような人が乗っているのでしょうか?
 孫さんは天目にこのタイプのUFOがよく現れると言います。しかし赤を背景に撮れたのはこれしかありません。
 前回、赤い光のUFOが黒い空間を飛んでいましたが、あれよりこの方が、写真から出ているエナジーも格段に大きいそうです。
 しかし、UFOは、いったい何なのでしょう・・ビヨンド35と私達は、距離はゼロなんだ・・。距離がゼロということは、あのUFOは、私の体の中を突き抜けていくことも可能なのです。
 そう言えば、念写を始めてから、教授がやたらとUFOの文献を集め始めたのです。ということは・・。
 そう言えば孫さんは、「私は、これらのUFOを実際に呼ぶことができるかも知れません」と言っていました。

時空の天使2

 北京から新しい画像が届きました。



 とにかく、孫さんはまだまだ上昇中です。淡々とチャレンジする顔が目に浮かびます。
 天使は再び捉えられました。全く同じ感じの姿です。
 今までの天使とどこが違うかと言えば、なんと、ヒューマノイド系なのです。
 うんうん、そうですよね、天使は元もとエンジェルであり、ヒューマノイド系が当たり前でした。しかし当たり前がそうでないのが私の調査です。
 実際にはヒューマノイドでない天使が圧倒的に多いと、孫さんは言います。そんな中で、やっとヒューマノイド系とコンタクト取れたのです。
 孫さんのことだから、次回のコンタクトでは、もっと鮮明な画像を送って来るでしょう。
 この天使はこちら側を向いています。左手に杖を持っています。そして右手には笛を持っています。背中には光り輝く羽が生えています。頭の後方にはエナジーの渦巻きも見えます。
 孫さんに言わせると、この天使は、ものすごいエナジーを持っているとのことです。

片桐すみ子さんのHPでの天使

 片桐すみ子さんという、精神世界関係の翻訳者からメールをいただきました。

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 はじめまして。片桐すみ子と申します。
 もりけんさん(なんて親しくお呼びしていいかしら)の「興味本位」というところがとてもいいです。あちらの世界でなくなられたお子様に会われたところを読んで、感動しました。
 10月からある出版社のHPのひさしをお借りして「スピリチュアルワールド探検」という連載を始めました。
 2回目の「生と生のはざま・中間生・バルド」の中の天使の項にもりけんさまのHPのことを書かせていただきました。
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 天使は輪廻転生の間の中間性だといいます。最近、精神世界でも天使は盛んです。
 孫さんは、天使の映像を念写しました。
 天使とはいったい、どういう存在なのでしょうか??
 片桐さんの本や情報は、とてもためになりそうです。
 片桐さんのHPでの天使は人間の輪廻転生の中間生です。それもいます、もちろん・・。
 でも私は中間性という枠をもう少し広げたいと思います。
 なぜなら、天使はビヨンド35に多く見られるからです。もしも人間の輪廻転生の中間生だけなら、ビヨンド35にいるというのが、矛盾するからです。
 これは惑星間の転生の間の生ではないでしょうか?
 フォーカス27の天使は、ビヨンド35ほどのヒーリングエナジーは持たないようです。フォーカス27の魂だけを癒している様子です。
 しかしビヨンド35の天使は、この三次元に直接関与するみたいです。
 何故でしょうね・・。次元は高いはずなのに・・

片桐さんよりのEメール

 片桐さんからメールが来ました。

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 もりけんさんのご意見、なるほど、と思いました。
 あのホームページ原稿を書いたときには、とりあえず「天使とは中間生の進歩した魂」という考えしか頭に浮かびませんでしたが、それよりももっと高い?(高低があるかどうかはよくわかりませんが)世界にいる存在も、<天使>と呼ばれるのかもしれませんね。まず、<天使>という語の定義をしてから検討する必要がありました。
 例のニュートン博士の本にあった話を、もう少し詳しくお伝えします。
   * * *
 博士は中間生の魂を、進歩に応じて6段階に分けています。
 レベル1〜2が初級、3〜4が中級、5〜6が進歩した魂で、博士のところに相談に来る(つまりセラピーを要する)のはほとんどが中級までの人です。レベル5の人物の話は彼女がたまたま退行催眠に興味を持ったために催眠下での話がきけたのですが、レベル6以上の魂の持ち主からの情報はここには書かれていないのです。
 博士は、レベル5の魂は、肉体を持つガイド(incarneated guides)で、社会の主流の位置にいて人々に影響をおよぼすことが多いのだそうです。ここではカルマ的な転生はあまり見られないようです。
 もちろんレベル5の魂にも、さらに階層が上のガイドがつきます。
 レベル6の高度に進歩した魂も、自ら志願して地上に戻ってきます。彼らsages(賢人・哲人)は、街中には住まず、人里離れた場所で簡素に暮らしながら、地上の人々を見守るwatcherとして直接人々を助けているそうです。
 レベル5の人物のガイドは、このレベル6の魂よりもはるかに進化した魂で、Old Onesと呼ばれます。このオールドワンたちは<源>(神に近いニュアンスだとおもいます)にきわめて近いところにいるが、<源>自体ではないのだそうです。

 ニュートン博士の被験者が世界には4つあるとしている話を、連載記事に書きました。
 4つとは、
  ・わたしたちの住む現実界(World of Alterd Time)
  ・魂の起源の場となる世界(World of Ego)
  ・マスターたちが住む至高界(World of All Knowing
  ・中間生に存在する魂だけが行くこと のできる地球に 似た物理的世(World of Creation and Non-creation)
 ですが、レベル5,6を導くのは、この、マスタークラスの魂なのではないでしょうか。(ニュートン博士はそれについてははっきりとは書いていないようです)
 孫さんの念写にあった<天使>も、このマスターと呼ばれるような存在かもしれませんね。
 中間生を「人間として転生する魂のすみか」(といっても<場所>ではないそうですが)と限定するなら、孫さんの天使は中間生の住人ではないのかもしれません。

 わたしの連載は、とりあえず自分の知り得た情報を整理して、自分の考えをまとめていくための作業なので、このようなご指摘はとても嬉しいです。どんな結論に行きつくか、自分でも予想できないところが楽しみです。(もしかすると、結論じたいあり得ないかもしれないです。こうして考えることそのものが目的だったりして……)
 さいきん日本語版がでた『セスは語る』という、10数年まえから英米ではとてもよく読まれているチャネリングによる本があります。これを著者に「書かせた」セスという存在は、かつて何100回も人間として生き、いまは転生する必要のないくらいに進化した魂なのですが、このセスの言うことも、モンローの『究極の旅』に匹敵するおもしろさです。セスは自分が<セス2>という集合魂の一部だというあたり、これからわたしも天使の話やモンローの話と照らし合わせて、すこし考えてみたいと思っております。

 それともうひとつ、ニュートン博士がおもしろいことを言っていたのをおもいだしました。
 「……自分の患者のうち進歩した魂の持ち主たちは、「スピリットの世界で<地球のゲームのルール>を変える動きがさかんになっている」といっている。彼らがいうことには、今は人間は自己Selfと中間生について忘れてしまっているけれども、大昔はその記憶をもっとはっきりと持っていた。この何千年でその記憶はブロックされてきた……地球を導くマスターたちは、地球人が喪失した記憶をとりもどし、自分とは誰なのかを理解するようにもっと情報を流すようにしているらしい……」
 この部分、翻訳推敲してなくてすみません。だいたいの意味だと思ってください。
 では、長くなりました。これにて。
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片桐さんのメールを読み

 私は最近、一つの気付きに出会っています。それは、モンロー研究所での体外離脱に関してです。フォーカス27が、最も遠い・・という気づきなのです。
 いちばん遠いはずのフォーカス35、あるいはビヨンド35は、それよりずっと近い・・
 いえ、距離はゼロだと言われているので、こういう表現は正確ではありません。何というか、波動的な距離・・なのです。
 フォーカスレベルの低い、とらわれ領域は消滅すると思いますが、その後は、フォーカス27も消滅するのではないかと思います。つまり不老不死がこの地球に実現するのです。
 そのキーになるのが、孫さんの蘇生か道教の導師の教えかは、分かりません。
 さて、それにより輪廻転生が無くなるわけですが、なくなった後はどうなるか・・。
 これは私の全く大仮説ですが、人類は自由に向けて、大きな一歩を踏み出すと思います。自由でない限り、輪廻はあると思うからです。
 だとすれば、博士のおっしゃるマスター達は、自由への手助けをしているはずです。天使とて例外ではありません。
 進化とは、何なのか・・。
 もしも進化が教師の指導で達成されるなら、私はそこには自由はないと思うのです。
 愛に満ちた両親は、子供が自立していくことに喜びを感じます。しかし、愛が欲しい両親は、子供に固着します。
 つまり、人類を本当に愛するマスターは、次第に何もしなくなるのではないかと思います。
 実は、天使はその一つの存在のような気がします。
 天使は、お陰様の世界・・すなわち、草の影からバックアップしているのではないでしょうか・・。

 話は戻ります。
 この三次元の世界は、流入口であり、流出口だと思います。あらゆる次元に対してです。
 孫さんには五人のマスターがいますが、いずれもマスター相互のコンタクトはありません。孫さんを通じてでしか出来ないのです。
 つまり、この次元は全ての次元の通路なのです・・。
 でも、孫さんがアクセス出来ない領域があります(もちろんその気になればできるのかも知れませんが・・)。それはフォーカス27です。
 他の霊能者でも、フォーカス26以下にはアクセス出来ても、27にはなかなか出来ません。それは死の領域を我々から遠ざけているのかも知れません。死んだ人に対する我々の固着をなくするためかも知れません。
 しかしそれを越えたフォーカス35は、すぐそこです。孫さんもバンバン念写します。とても不思議ですね・・。
 私はこれを、外の喫茶店で書いています。下には愛犬フェルルが寝ています。
 この世界には苦もあり、楽もあります。
 いったい私達は、何のために生まれたのでしょうか・・。

好奇心駆動型と使命志向型

 帰りの飛行機で読みかけた本『科学・技術と社会(村上陽一郎著)』を読み終わりました。まあまあの本でした。
 彼は研究者を二つのタイプに分けています。一つは好奇心駆動型、もうひとつは使命志向型です。
 中世以前の科学者は好奇心駆動型しかいかったと言います。逆に現代は使命志向型がほとんどだと言います。
 私は以前、国費の予算を申請したらどうかと言われたことがあります。私のようにいい加減な調査にでも金を出す仕組みもあるのです。
 でも成果を報告する義務は無いと言われても、暗黙のプレッシャーを感じました。結局しませんでした。もちろんしたとしても、受理されるかは分かりませんが・・。
 しなかった最大の理由は、いつも好奇心駆動型でいたいからです。
 孫さんの研究室は好奇心駆動型が本音ですが、建前は使命志向型で動いています。
 大学側から成果を問い正されますが、それは正当科学の方なのです。教授は正当科学に書き換えて提出します。ですから念写などは評価の対象にはなりません。

 さて、私のような不思議研究者で、全く個人的にやっていても、使命志向型が多いと思います。
 つまり「自分の使命はこういうことを研究することだ・・」とか「自分は神からの啓示を受けた・・」とか・・・。
 いえ、それと「不思議なことは存在する・・」ということを証明するために活動している人も、使命志向型のような気がします。
 彼は発見者になりたいだけなのてす。世間への紹介者になりたいだけなのです。
 ところで孫さんについては、もっと日本の協力者が出ないものかと思います。でも私に提案してきたほとんど人は、自分のジャンルのために孫さんを使おうという人ばかりでした。使命志向型なのです。
 精神世界でも使命志向型が多いと思います。人類をよりよい方向に持っていこうとする使命を持っている人が多いからです。
 何故それがいけないのか、それはそこに正義が存在するからです。指向すべき使命は、正義だからです。
 地球環境を良くしようという人に、私のような好奇心指向では歯が立ちません。
 道教の導師の言う内容に反感をもつ使命指向者は多いはずです。道教は使命感そのものがおかしいと言っているのですから・・。

 私は念写などには、全く興味はありませんでした。
 でもあれだけ正確にされると、今度は、それを見る側が姿勢を正さなければならないことに気付きました。
 孫さんも今までに念写をしたことはありました。媒体は歯医者の使うレントゲンフィルムでした。念写してから現像までに時間がかかりました。
 私も結果を見させてもらいましたが、白黒しかないのとサイズが小さいので、今回のような迫力はありませんでした。
 何故か今までポラロイドの案は浮かばなかったのです。それが来日し、ある人のカメラを借りたことがきっかけでした。私が帰国する前日に、教授が自作しました。

 今後、講演会等で公開してはどうかと言われたので、そうする予定です。

ビジョン

 本を読まないと言いながらも、読者が送ってくれる本は読んでいます。
 今読んでいる本は、「ビジョン」というものを扱ったものです。
 その本では、ビジョンが全てを変えると言うのです。これは精神世界では良く言われることです。その最初の例がライト兄弟の話でした。
 人間はずっと長いこと空を飛びたいというビジョンを持っていたから、ライト兄弟がそれを実現させたと言うのです。
 だから、そのビジョンがなければ実現しなかったと言うのです。すべて最初にビジョンありきだから、ビジョンを持つことが社会であれ、人間であれ、持ちさえすれば変えることが可能だと言うのです。
 だからあなたも自分自身をどういう方向に変えるかというビジョンさえ持てば、それは可能だと言うのです。
 しかし、私は最初のライト兄弟で引っかかりました。ライト兄弟は、人類のビジョンを実現するために飛んだのでしょうか??
 「好奇心駆動型と使命指向型」という書き込みをしましたが、ビジョンを実現するというのは、使命志向型なのです。
 しかし私には自転車屋をやっていたライト兄弟が人類の使命を背負って立っていたとも思えないのです。逆に彼らにそんな使命感があれば、私は白けてしまいます。
 むしろ、ビジョンという重荷が全く無かった彼らだからこそ、飛べたのではないかと思うのです。
 同じように、自分を変えようとか進歩させようとかいうビジョンを持ったら、自分は飛べるのでしょうか?ビジョンは全てでしょうか?
 私にはビジョンが無くなったとき、その人の本当のビジョンに生きることが出来ると思うのです。
 ところで、使命指向を好奇心駆動に変えることは、私はほとんど無理だと思っています。
 「自由」とは自分に理由があると書いたことがありますが、使命は他由なのです。他由を自由に変えることは、ほとんど不可能です。
 でも、世の中の中の多くの人がそれをやろうとするのは何故でしょうか?
 それは自由が怖いのではないかと思います。自由が怖いから、他に理由を見つけるのです。

「忙しい」ということ

 時々、忙しいという言葉を目にします。忙しいから返事が書けない、忙しいからHPを見ることが出来ない。忙しいからHPのメンテが出来ない・・。
 さて、私は「忙しい」のでしょうか??帰国して三次元の仕事が溜まっているとは言え、忙しくはありません。もともと忙しいという言葉が好きではありません。  何故「忙しい」が好きではないのでしょうか・・。考えてみましたが、実はよく分かりません。
 忙しいの「忙」は心を忘れるという意味でしょうか?特に不思議なことを研究する人は、忙しくあってはならないとも思います。
 忙しい人は、本を読んだりするのでしょうか?私は中国にいる間、一冊も本を読みません。帰国する機内でちょっとだけ読んだだけです。
 ですから忙しい人は、本など読んではいけません。忙しいという言葉は、きっと言い訳なのでしょう。
 それに暇な人が「忙しい人」に出会うと「いいなぁ・・」と思うのは、やはり「忙しい」という台詞も、自慢の一つとして働くことがあるのかも知れません。

 私はある時期から、忙しいと言わなくなりました。最初は言えなくなったというのが本当のところです。
 忙しいと言った途端に「じゃあ、不思議研なんて、やめちゃえば・・」と言われそうだからです。
 でも、言えなくなってしばらく経ち、私は言わなくなりました。
 孫さんも結構忙しいです。正当科学としての仕事(地質探査の仕事)をこなした後に、アフターファイブで超能力の研究をする教授のために、沢山の現象に挑戦する。そして家に帰ったら中学生の息子の母親として主婦業をこなす。
 私が北京にいる間、「明日は何時頃、来られますか?」と訊くと、「明日になってみなければわかりません」と言います。
 そして夕方の五時過ぎから八時くらいまで私のホテルで念写の実験をします。それから食事をして帰りますが、帰りには必ず息子のために食べ残しを包んでもらって帰ります。
 それでも、「明日は忙しいから夕方の5時頃になります」と言ったことはありません。それを言うと、私を嫌な気持ちにさせることを知っているからです。
 だから「明日になってみなければ・・」としか言いません。
 道教の導師も同じです。彼女は三歳の息子を持っています。それでも何泊も山中に入り、私に道教の指導をしてくれました。電話をする時以外には息子のことを忘れると言います。

 ところで私はほんどと本を読みません。体験と感覚思考だけが私の頼りです。
 しかしこれにはもう一つの訳があるような気がします。本を読んでしまうと私が忙しくなってしまうからだと思います。
 特に中国で一冊も本を読みたくないのは、その時間があれば体験を書きたいと思うのです。
 私にとってアップする情報は、私の日記代わりなのです。だから自分のために書いているのです。決してこのHPのみなさんの為に書いているわけではありません。それが間接的にみなさんのためになっているかも知れませんが・・。
 もしも私が忙しい、忙しいと言いながらアップしていたら、どんな気持ちでしょうか?何か、読むのが嫌になってしまいませんか?
 どんなに忙しくても、フラッと来て読んだり、書き込みしたりする・・。
 忙しいのは、言わなくても分かっている前提のような気がするのです。
 だから、さよなら宣言をしたり復帰宣言をしたりするのが、好きではありません。忙しい時には理由抜きに去って行けばいいのです。暇だったらフラッと来ればいいのです。
 人は、自分に決め事をする時、自然に生きてはいません。
 全ての時間が自分の人生になった時、忙しさから解放されると思うのです。

私の社会性

 私は不思議なことの解明の傍ら、それを伝えるということを副業的にやっています。伝える手段はこのHPであり、本の執筆であり、講演会です。
 その伝えるということも私の不思議研究の一環になるというのが、伝える原動力になっています。伝えることで、私も初めて社会性が出てきます。
 さて、私は何を伝えようとしているのでしょうか??私は教育によって築かれた世界観を崩すのが楽しくてしようがありません。
 「おお、世界は、こうも広かったんだ」という喜びに出会えるからです。それは、これでもか、これでもか・・とやってきます。
 だから、凝り固まった正義感を持っている人が好きじゃありません。自由ではないからです。
 蘇生が一般化すれば殺人は罪ではなくなります。そこら辺も考えに入れたいところです。
 人は、辞書を持って生きていると思います。過去の体験の色々な事を入れているのです。殺人が罪だというのは、その辞書から引っ張ってきているのです。
 小説の凄いところは、殺人さえも肯定してしまうところです。だから殺人が罪だと言う人は、小説の読み方が深くありません。

 さて、辞書に話を戻します。私は、私達の辞書は自由なほど良いと思っています。
 自由になるにはどすれば良いかと言えば、辞書を捨ててしまうことです。しかしこれは不可能に近いと思うようになりました。ブッダのように家庭を捨て、世を捨て、食べるための職業を捨てれば可能かも知れません。
 苦は、自分の辞書が存在するから発生するのだとすれば、辞書を捨てる(自己を捨てる)ことによって達成できるのですから・・。
 しかし最近、辞書は捨ててはならないと思うようになりました。
 ではどうすれば良いかと言えば、辞書に「別の見方」という項目を付け加えるのです。
 私の社会性は、そんなところにあるような気がします。
 仏陀は一回悟ってそれでお終い・・そこに疑問は持ちませんでした。当然疑問など生じるのなら、それは悟りとは言えませんから・・。
 私は仏陀の悟りを得たとして、それに対して迷いもせずに一生保持することは出来るものでしょうか?終わった世界、悟った世界は、精神の死では思います。
 生きているうちに、なぜ死ななければならないのでしょうか?何故それほど苦から逃れたいのでしょうか?
 こんな事も分からない私は、まだまだ修行が足りないのかも知れません。

蘇生豆の芽

 二つの芽(1999/10/31)


 左が大阪帝国ホテルで出した2センチの芽です。右が九十九里の海岸で出した21センチの芽です。
 21センチも一時は危なかったのですが、やっと復帰しました。二つの枝に分かれています。
 それにしても、2センチの芽は、本当にマイペース。
 最初、高次元でググッと伸ばされた芽は、三次元では適応しにくいのです。
 ひょっとすると、色々な意味を持っているのかも知れません。

 21センチの芽のみ、拡大


 はがきの裏を置いて、見やすくしました。右下に枯れた茎が見えますか?
 枯れた茎が、当時21センチ伸びた芽だったのです。21センチはその後、枯れてしまいました。
 しかし蘇生されたピーナッツは生命力がありました。そして新しい芽を三次元で出したのです。

 花が咲いた(1999/11/01)


 朝のピーナッツ(1999/11/03)


 夜のピーナッツ(1999/11/03)


 花は閉じて寝ました。
 見えにくいですが、葉もすべて閉じています。開いているように見えるのは、二枚葉があるのです。朝の写真と比べるとよく分かります。

 二つ咲きました(1999/11/08)


 21センチの芽に、初めて花が(1999/11/12)




 ここまで見せてきた花は、大阪帝国ホテルで出た2センチの芽のものです。
 その後、九十九里の海岸で21センチの芽を柿ピーナッツから出しました。
 一時それは枯れそうになりましたが、また復活し、2センチの芽を追い始めました。
 そして、めでたく今朝、初めての花が咲きました。
 ところでピーナッツの花は、一日しか咲きません。

 咲きほこってます(1999/11/13)


 よく見えませんが、実は2センチの芽(左の鉢)からは3個の花が、21センチの芽からは2個の花が咲いています。花は地面すれすれに咲きます。
 我が家は、柿ピーナッツの花盛り・・朝日をあびて・・
 ピーナッツの花が地面すれすれに咲くのは、訳があるのです。  花は、次の日から何と、地面にもぐり始めるのです。もう、謙虚どころの話しではありません。
 「私の仕事は、地面の中で実を実らせることよ」と言いながら・・。毎日咲いては、地面にもぐります。

 花ざかり(1999/11/20)


 どんどん咲いています。咲くと、どんどん地にもぐります。

遺伝子

 遺伝子は受け身的な存在だと思います。
 その手の本を読むと遺伝子が主役で、我々がそれに従っているように書いてあります。遺伝子こそ、神のような存在ではないかと・・・。
 しかし、孫さん蘇生された植物は、遺伝子が全く別のものに変化しているという論文を、孫さんの教授が書いています。もちろん蘇生そのものが学会から相手にされていないので、この論文も相手にされていないのです。これが本当かも知れないと思うのは、このHPの人達だけです。
 孫さんによって死から生に変更させられるとき、それは全く別の肉体として蘇生されている可能性があるのです。
 私の仮説では、遺伝子すら、ハイパースペース(教授は高次元をこう言う)の何か本質のものの下にあると思います。遺伝子はある精神的存在(たぶんエナジーを持つでしょうが)の言う通りにやっているだけだと・・。

日本の協力

 孫さんが初来日したとき、クローズな講演会で「蘇生の研究のために私達は何が出来るでしょうか?」と問うたことがありました。彼らの中には学者もいました。
 まず「もっとデータをとってもらわにゃ、いかん」と言われました。
 私は「孫さんも教授も、正当科学から認められていません。だから研究はすべてアフターファイブに行っています。これ以上彼らに要求するのは、どんなものでしょうか・・。日本には進んだ機器がたくさんあります。データを取るのに、そういう協力はできないものでしょうか?」
 その発言を聞いていなかったのか、別の人が言いました。
 「今、日本にとっての緊急課題は北朝鮮問題です。孫さんにミサイル発射を止めてもらいましょう」と言ったのです。
 私は通訳に「訳すな」と言いました。
 その後、私はサムシング・グレートを言い出した遺伝子学者と親しい人に会いました。
 彼に相談すると「日本ではそういう研究はムリだ。日本の最先端の遺伝子工学はノーベル賞が取れるか取れないかのレベルに来ているので、逆にそういう研究には首を突っ込まないはずだ。結局孫さん達のためにならない」と言われました。
 私は葉の再生縮小のサンプルを日本に持ってきたとき、いろいろな研究機関を当たりましたが、全て断られました。
 孫さんは実験に極めて協力的だし、自分の使命も科学の世界にあると思っています。出来れば日本でもアフターファイブ連合が作れないでしょうか・・。
 でも、その成果をどうするかとか・・いろいろ問題もあるのでしょうね・・。

科学者か哲学者か

 「もりけんさんは哲学者になってしまった」という意見がありました。
 私は哲学も科学も、両方とも手段だと思っています。
 私の本は精神世界の所には置かれませんし、私が精神世界の探求者だとは思われていないようです。
 しかし、精神世界というジャンルが何故あるのか、私には不思議でしようがありません。
 肉体世界とか物質世界とかが無いように、本当は精神世界も無いのです。
 あらゆるジャンルは精神世界だと思うからです。
 そこに科学的メスを入れると、精神業界人は嫌がります。科学で認められたりするのでさえ、嫌う風があります。単に私は、手段だと思うのですが・・。
 私は不思議現象が存在することを科学的に証明しようなんて気は、さらさらありません。私にとっての問題解決に繋がるかどうかが、問題なだけです。
 哲学者になっているわけでもなく、科学者になっているわけでもない・・そんなところです。

書き込み期間:1999/10/27〜1999/11/20