もりけん語録
テーマ:「道教修行1999.10(前編)」
書き込み期間:1999/10/11〜1999/10/26
要旨:
今回は三度目の道教修行になります。導師の講義は、大変に素晴らしいものでした。
道教では、災害で死んでいく人こそ最も素晴らしいといいます。神(道教ではタオ)がいつも私達と一緒にいるのに、この世にはなぜ悪や災害がなくならないのでしょうか。
道教の答えは、タオが完全だから悪のはびこる余地があるというのです。完全だからこそ、陰と陽の両方があるのです。

ある夜、導師に「道教には愛という単語はあるのでしょうか」と質問すると、「ありません」と即座に答が返ってきました。それは、愛を言葉で説いた途端に愛そのものが死んでしまうからです。
知恵の実を食べたことでエデンを追われて原罪を背負った人類は、理想の生き方を追い求め続けています。それが精神の死に繋がることを知らずにです。
道教の目指すところは逆に「理想の生き方」を手放すこと、「あるがまま」を通り越して「ないがまま」に向かうことです。キリスト教が成長だとすれば、道教は退行です。

導師は人の病気に興味はないと言い切ります。「私は自分のためにしか生きたいとは思いません」とも言いました。導師は冷たいでしょうか。
しかし、あるとき私が北京で夕食をまとめておごった席で、偶然居合わせた導師はただ一人「シェーシェー」とお礼を言ったのでした。一般に中国の人は、おごられたときにお礼は言いません。このときの出来事が、私がシンセンで道教修行の伝授を受けることになった最初のきっかけでした。
修行の最終日は山中で行われました。私が山頂を目指して登っていると、導師は「頂上を目指してはいけません」と言いました。
私達はいつも目標(山頂)を目指して頑張っています。それが達成されなければ意味がないと思っています。しかし道教では、中腹にこそ山頂があるという考え方なのです。
私達は山の中腹に座り、みんなでおやつを食べました。風が吹き抜けていきました。

導師から「ワダチの車」の話を聞きました。車を運転していて交差点にさしかかった時、右に曲がったとします。なぜ右に曲がったのかと問えば通常は自分が右にハンドルを切ったと答えますが、「右にも道があったから」というのがタオの答えなのです。
つまり、私達の人生は常にワダチにはまっていて、ワダチが右に伸びていたから右に行ったのです。右にハンドルを切るのは無意識の私で、右に切った理由付けをするのが意識の私です。
老子が言った「為さずして為す」は、まさにワダチのことを言っています。それに対して愛のある人間になろうとするのは、自分で愛する方向にハンドルを切るようなものです。しかしもともと、ハンドルを自分で切ることは出来ないのです。ハンドルから手を離して自然に任せれば、私達は自動的に愛する方向に向かうのです。

香港に着いた最初の夜、私は導師に秘伝の修行について聞こうとしました。しかし導師は、それを伝授するには正式な道士になることが求められると言いました。道士にならないとすれば、これ以上の秘伝を教えることは出来ないとのことです。
その選択を迫られた時、私の心は相当に揺れました。道教の神髄を体験できる、この上なく魅力的なチャンスです。しかし、私の答はNOでした。理由はありませんでした。すると導師は翌日、トランプ占いを行いました。そして私が切ったトランプは、完璧な形で集結したのでした。次のステップに進んでも良いという結果が出ました。道士になるのを断ったのは、私が初めてだったそうです。私は道教への正式加入をしませんでしたが、心はいつでも道士です。
道士になることを断ってからトランプ占いでカードが集結するまでの間、私は諦めも肝心の心境でいました。その時の私はハンドルを手放していたのでしょうか。そしてこの先のステップは、どうなるのでしょうか・・・。
目次
○ 運がゼロ(1999/10/11)
○ 導師との再会(1999/10/12)
○ 素晴らしい導師の講義(1999/10/12)
○ 天と人間(1999/10/13)
○ 「森田さん、自信を持ちなさい」(1999/10/13)
○ 無いもの(1999/10/14)
○ 日本人が修行に参加する条件(1999/10/18)
○ セレモニー(1999/10/18)
○ 混沌が食べた智恵の実(1999/10/18)
○ 山頂を目指してはいけません(1999/10/18)
○ 導師のテスト(1999/10/19)
○ ワダチの車(1999/10/19)
○ 自分のため(1999/10/19)
○ 導師との対決(1999/10/23)
○ 香港での風景(1999/10/23)
○ 香港の道観は御利益的なのか??(1999/10/24)
○ 生と死と(1999/10/25)
○ ありがとう(1999/10/26)
運がゼロ(1999/10/11)

<北京空港にて>
みんなは国際便の入り口から入り、私は国内便の入り口から入ったので、もうみんなの姿は見えなくなってしまいました。団体ツアーがここで終了しました。
みんなの書いたアンケート用紙を読んだところ「陳さんの未来予知ですが、陳さんが出したすべての回答は私自身が元々知っていたことに、今気づいた。なのにそれを人(陳さん)に聞こうとしたことが恥ずかしかった」というコメントを書いた人がいましたが、とても良い気付きだと思えました。

<機内にて>
さて、陳さんの予知を受けた後に報告に来る人達を見ていて、私自身もある気付きに出会ってしまいました。
私は占い師から「あなたは44歳から運がゼロになります」と言われたことがありました。その時は40歳だったので、この占いが当たるか当たらないか、4年間待つことになりました。
そして4年の月日が経ち、私の運は本当にゼロになりました。私は44歳から本格的に不思議研究所を始めたからです。
それが運とどういう関係があるかというと、私に良い事があっても運が良かったとは取らなくなりました。悪い事があっても運が悪かったとは取らなくなりました。
単に私を通り過ぎていく現象としか思わなくなったのです。
運が良い悪い・・それは環境に対して評価を下す感覚です。
私の運は常にゼロ。そう・・運は常にゼロでなくてはなりません。
ゼロでないとすれば時空に貸し借りを生じてしまいます。時空から借りた借りは時空に返さなければなりません。
私は瞬間にそれをやってのけたいです。だから常にゼロでなければなりません。
「あなたは44歳から運がゼロになります」この予言は大変に意味深いものだったのです。それを気付きました。
陳さんの予言を聞き、一喜一憂にひたる参加者達・・。彼らの発する波動を受けながら、失礼ながら私は「あなた達の人生はなんて濃いのだろう・・」と思いました。もっと薄くしてしまえばいいのです。
事象はあなたを通過していくだけ・・・、あなたにとって、それが運が良いだの悪いだの、幸福だの不幸だのという評価を取ってしまえばいいのです。
私は今、シンセンに向かっています。この気付きはこれからのシンセンでの私の変化に、何らかの影響を与えるような気がします。
導師との再会(1999/10/12)

部屋にチェックインすると、すぐに導師が飛んできました。
彼女は嬉しそうに一つの報告をしました。それはこの9月に香港の大学から医学博士号を授与されたのです。
彼女には一つの過去がありました。それは彼女に接することによって、体の病気が直った人が多いのです。それが原因で、ある大病院に招待をされ、治療を依頼されました。
しかし治療を始める前に公安に乗り込まれ、危うく逮捕されるところでした。それ以来、彼女の頭の中からは人の病気に関する観念が消えました。
しかし、どうしても試験を受けてみなさいと言われ、ボールペン一本で挑み、西洋医学から東洋学まで全ての質問に対して、ほとんど直感を使い、確信をもって答えられたと言います。
道教始まって以来のことなので、彼女よりもむしろ、組織の上部が喜んでいると言います。
しかし医学博士号の授与で三次元の世界の自由が増えましたと言っていました。仙女とて、三次元で生きるには大変なのです。
さて、夜は「私がおごるわ」と言い、シンセン料理店に連れていってくれました。
その後、夜は道教の講義が始まりました。
導師は今回の通訳を見るなり「あなたは素晴らしいわ。OKよ」と言いました。以前私と一緒にいた通訳は、見た瞬間でNOだったのです。
さらに「あなたは○○の部分が△△よ。私が治すわ」と、体の不調部分を指摘しました。
それは彼女が長く悩んでいた部分なので、言われた瞬間、鳥肌が立ってしまいました。
夜の講義は大変に面白いものでした。

私はこれから約10日間、導師と共に過ごします。前回は通訳がいなかったので論理的な話が出来ませんでしたが、今回は出来ます。
「時間がある限り、シンデンシェンに道教と仙道の神髄を教える」と言ってくれました。
さて前回、私は仙人のローブを授与されていましたが、あれを授与するために、導師は道教教会と中国政府の両方の許可を取ったのだそうです。
外国人に与える初めてのローブなので、問題を起こしてはまずいと思ったのです。
そうでないと、もし万が一、私のローブを着た写真が中国に渡ったとき、クレームをかける人もいるとのことなのです。
通訳も「森田さんは講演会の時、終始あれを着ていません。その話になった時にしか着ていません。とても大切にしています」とフォローしてくれました。

さて前回、私は導師から大変なものを見せてもらっていたのです。それは不老不死のノウハウと、それを世界に伝える方法を書いた伝授書です。
私は驚き、もう一度見せてくれと言いました。しかしNOだと言われました。通訳がいなかったから見せたのだと言われました。直感でしか見ることの出来ないものらしいのです。
道教教会の会長にさえ、見せていないと言いました。見方によると、これを使い世界制覇も可能だということです。そこからヒットラーの名前まで話題に登場しました。
今日も午後から講義が始まります。生徒は私一人だけ・・。
「二度と同じ事は言いません。注意して聞いて下さい」と言われました。
道教・仙道という切り口から見た世界、それはどうなっているのでしょうか・・ワクワクします。
報告できるところは、すべて報告します。お楽しみに・・。
素晴らしい導師の講義(1999/10/12)

何が素晴らしいかって、自然に任せた授業そのものだからです。導師とお昼を一緒に食べて、それから授業が始まりました。
15時を過ぎた頃、導師が突然「シンデンシェン(森田さん)、少し寝なさい」と言ったのです。実は昨晩もその一言で終わりました。
私は北京での不摂生(毎晩朝方まで話しをしていた)がたたったのか、シンセンに来てから眠くて、集中力がイマイチです。
でも私は人が講義をしている時に寝たことはありません。だから一生懸命に自分を駆り立てて集中しようとしていました。でもそれは導師にはお見通しでした。
私が言われた通りにベッドに横になると、導師は通訳の部屋に引き上げてしまいました。
私は寝入っていまいました。1時間ほどした頃でしょうか・・私は夢を見ました。導師から電話がかかってきた夢です。でも声が小さくてなかなかよく聞き取れません。
「起きてますか?起きてますか?・・・」簡単な英語でそう言っているように聞こえます。
私は「ウエィ?ウエィ?(もしもし)」と中国語で言いましたが、電話は切れてしまいました。その瞬間です。本物の電話が鳴ったのです。
通訳の声で「起きてましたか?」「いや、寝てました」「ああ、やっぱり・・」
通訳からの電話はこれで切れて、本人達が私の部屋に来ました。
通訳の部屋では導師も休んでいました。しかしなかなか私から電話がないので、通訳は導師に「森田さん、本当に寝たのかしら。あの人はこんな時に寝るような人じゃない。もしかしたらパソコンをやっているかもしれません」と言いましたら、導師はちょっと瞑想し、「いや、彼は今、寝ています。私が彼の頭に入って確認しました」と言いました。
驚いた通訳は私に電話をしてみて、それが本当であることを知りました。しかし私も導師が確認に来たことを夢の中で知ったのです。どちらも凄いと通訳は驚いていました。

さて、講義は道教でよく使う言葉の説明から始まりました。これはなかなか面白いです。しかし中国語の単語が多いので、日本語のワープロで書けないのが悲しいです。
その神髄は、楽しみながら修行する・・まさにこの一点です。修行法に関しては老子よりも荘子の言葉が多いです。
例えば座禅のことを道教では坐忘(リューワン)と言いますが、これは座って忘れるという意味です。特に自分の賢い部分を忘れることが大切だと言われました。
賢くなる必要は、何もないそうです。賢い部分を忘れない限り、成長はないそうです。
ところで10月17日に、私は道教の寺に入り、ちょっとしたイベントに参加します。
10月17日・・それは旧暦では9月9日、今年は1999年なので最大のイベントなのだそうです。
「1999.9.9」ノストラダムスでも言われそうな、世間では最も悪いとされる日が、道教では最も良い日なのです。
だからおみくじで凶を引くことが、最も素晴らしいのだそうです。それが人生を最も楽しめるのだそうです。
災害で死んでいく人、それは最も素晴らしいのだそうです。自然と共に死に、自然とともに生まれる・・。これはすごい思想です。
「森田さんは死後の世界に興味がある様子ですが、私にはほとんどありません。なぜなら、この生の世界にすべてが含まれているからです。あらゆるものを合一することが大切です。その考えに至れば、六次元はいつでも三次元に合一します。凶は吉と合一しなければなりません。死は生と合一しなければなりません。1999年9月9日、だからこの最も半端な日を最も大切な日として祝うのです。」

今、休み時間です。この時間を利用して導師は知人の誕生パーティーに行っています。夜はまた戻ってきて講義が始まります。
でもこんなに自由な講座は初めてです。生徒が私一人だからです。道教が直接伝授しかしない理由もここにありました。生徒の頭が冴えている時にだけ授業をする。
みなさんも端末の前で、私からの直接伝授を意識して読んで下さい。
天と人間(1999/10/13)

今授業が終わり、導師が帰りました。こんなにやっても、予定の半分しかこなせません。
何故かと言うと、質疑応答の時間がとても面白いからです。
今日の最大の質疑応答は以下のものでした。
森田「キリスト教では神がこの宇宙を作ったと言われていますが、道教では誰が作ったのですか?」
導師「天です」
森田「天ですか・・、人は全く関与してはいないのですか?だって現在、人はモノを創造できるまでに至っています」
導師「天という字をよく見て下さい。人という字が入っているでしょう。天を構成する要素の中に、人は元々入っていたのです。」
なーーるほど。私は深く頷きました。
森田「では、天には意志はあるのですか?」
導師「天にはキリスト教の神のような意志はありません。」
ここで私は直感的に閃きます。
森田「意志ではなくて、意があるのでしょう?」
導師「その表現はとても近いです。」
森田「逆に訊きますが、人には意はあるのでしょうか?」
導師「ある意味では有り、有る意味では無いです。人は意を持っている状態では幸せにはなれません。人は無我になったとき、天の意と合一します。その時初めてニルヴァーナに至れます。ところで人は時々決心をします。決心の状態にはまだまだ意志があります。それが信心になったとき意に変わります。さらに衡心になったとき、無我になります。」
森田「衡心とは何ですか。」
導師「終わりのない決心のことです。無止境ともいいます。」
終わりのない決心・・それを決心と言えるのでしょうか・・。

授業の中で面白かったのは、「求道方法静為根」という老子が言った言葉です。
葉が落ちて根に帰るように、道(タオ)を求める方法は静かになること・・静かに戻ったら命まで戻ります・・という意味らしいです。
さらに道(タオ)を求めていると、必ず元に戻ってしまうという現象が起こるらしいです。しかしそれが重要なことだとも言っていました。
私に対しては、「あなたはとても広い心で道(タオ)を求めています。道は求めなければ出来ません。私も教え甲斐があります」と言ってくれました。
明日もまた講座は続けられます。
天と人間(1999/10/13)



この人は、いったい・・・と思うときがあります。
何のために・・・何を目指して・・・。
この人に目標なんて、あるのでしょうか??
でも、「私なんて、まだまだ何も知らない・・」と呟いた時がありました。
師が欲しいのか、弟子が欲しいのか・・その両方なのか・・・。
「森田さん、自信を持ちなさい」(1999/10/13)

今日も午後は講義が行われました。道教特有の難しい単語の解説です。私は眉にしわを寄せていたと思います。
その時、ふと見ると導師が私を見つめています。そしてこう言ったのです。
「ウォー・スー・シンデンシェン(私は森田健だと思いなさい)。」
ひょえーーーーーー。
私は人一倍に自信がある方だと思っています。家内からはありすぎると言われています。
「あなたは自信があり過ぎるから、人の弱みが解らないんじゃない?」と言われた時もあります。
なのに「私は森田健だと思いなさい」というフレーズに続いて、「もっと自信を持ちなさい」と言われたのです。その後に理由を言われました。
明日から山の中に入り、本格的な仙人寺で修行をする予定になっています。
導師は「そのとき、あなたを批判する人も出るでしょう。だってろくに道教のことも知らずにローブを貰ったのだから・・。既に批判する人も出てきています。しかしその寺に入った時、あなたは仙人ローブを着て堂々と歩くことが必要です。堂々として存在感があれば、それだけで誰もあなたを批判しません。だってあなたは六次元に行った人なのですから。」
(批判という言葉には多くの意味があると思いますが、我々の持っている日本語の批判とは少し違うと思います。)
しかし残念ながら私には自信がありません・・・。この自信がないというのには、一つの理由があります。

私は先日の東京公演の際、一つの質問を受けました。
「神はいるのでしょうか?いるとすればそれは意志を持っているのでしょうか?」
私は分かりませんと答えました。しかしその後、その人からEメールが届きました。あの回答には大変に不満だったと・・。
しかし、私は自分を探求者だと思っています。神に対する回答は、死んでも出ないと思っています。なのに神はこうだと語る人間を、逆に私は信じることが出来ません。
導師は私を一生懸命に引き上げようとしています。道教の全てを教えようとしていま。
しかしどこまで行っても、私は道教に対して自信を持つことはないでしょう。
私は瞬間の私には自信がありますが、道教というフィルターの入った自分には自信がありません。いえ、むしろ自信が無いということに対しての自信すらあります。
だってその点に自信を持った途端に私の成長が終わることを知っているから・・・。
そう思い、導師を見つめた瞬間、導師は「OK」と一言だけ言いました。

ところで今日の講座は、房中術がメインでした。その詳細はここで書くことを禁じられました。道を間違う人の方が多いからだと言います。
さらに、その授業の時に良いことを聞きました。「道(タオ)に入ると、してはいけないことが減ってきます」という言葉です。なかなか良いです。
「私は教える人じゃない」「私は病気を治す人じゃない」「私も森田さんと同じ、単なる探求者です」これは今日、導師が言った言葉です。
彼女の所に病人が来ても、一切治さないと言います。平等に治さないといいます。ただ、実験的に難病には挑戦をしてみたい・・その好奇心のみです・・と言い切りました。
森田さんに教えるのは、森田さんからも教えられるから・・そうとも言いました。
導師は導師ではなかったのです。
導師は、人の病気には興味ないと言います。患者が来ると迷惑だと言います。なぜなら、自分の探求の邪魔になるから・・・。
災害で死ぬ人は幸せだと言います。導師は冷たいでしょうか・・・?
無いもの(1999/10/14)

今日は、宇宙の始まりの話から始まりました。
道教において、宇宙の始まりは一つの「気」でした。この「気」は字が違います。日本語には無い漢字です。しかし「気」で代用します。
さて、その気のことをタオと言います。つまり宇宙が始まる前のことをタオというのです。
一なる気が分裂して陰と陽が生まれました。陰と陽が混じり合って物質が誕生しました。これらは全てタオが創造したのです。
では、宇宙を創造した以後、タオは何をしているのでしょうか。天国や時空の彼方にいて、この世界を見下ろしているのでしょうか?高い所から見下ろしていて、三次元の私たちを採点しているのでしょうか?
違います。タオは私達の内部にあって、生きとし生けるもの全ての生命サイクルを助けています。いつも私たちと一緒にいます。
例のお陰様の世界です。だから六次元体験を導師に送ったとき、本当に喜ばれました。それが黒のローブになったわけです。

でも、タオはいつも一緒にいるのに、どうして天地異変などが起きるのでしょうか?
どうして悪人がいて、凶悪な犯罪が起きるのでしょうか?それによって殺される人が出るのでしょうか。
どうして病気で死ぬ人がいるのでしょうか?タオの力はそこまで及ばないのでしょうか?
見下ろしている神なら理解できます。出来の悪い私達に試練を与えていると考えれば良いのですから・・。
道教ではなんと、この答は・・・タオが完全だからこそ、世の中に悪がはびこる余地があるのです。ふ〜〜〜う・・すごい・・。
もしもタオによって管理されていたらどうでしょうか?私達に自由が無い代わりに、悪も災害もなくなります。
完全だからこそ、陰と陽の両方があるのです。完全だから、一般的に悪と言われるものが存在するのです。
では、完全とは何ですかと訊くと・・それは名前を持たない状態だそうです。
言葉で説明できる限り、完全ではないのだそうです。部分を取り出すから言葉で解釈され、悪として取り扱われるのです。
車輪の真ん中は、軸を通すための空白があります。器の真ん中は空白です。その空白が無ければ車輪は回転しないし、器に盛ることも出来ません。タオとはこの空白のことです。
その空白を言葉でどう説明するのでしょうか?空白から覗けば向こう側が見えるだけです。何もない空間です。
世界の最初は何も無かったのです。もしも何かがあれば、何も創造されなかったのです。

さて、私は思いました。
私達は無いものを目指しているでしょうか、有るものを目指しているでしょうか?
力を付けようとし、誉められようとし、感謝されようとし、自己の存在を残そうとし、成長しようとし、得を積もうとし・・・私たちは有るものになろうとします。
なぜ道教には愛という言葉に相当するものがないのでしょうか・・私の疑問でもありました。
ひょっとすると、愛は「有る」世界なのかも知れません。無いものをめざしたとき、愛すら落ちるのではないでしょうか。その時、人は本当に愛の世界に入れるような気がしてなりません。
私は明日、車で5時間も走って山の中に入ります。その中で天人合一の修練と、講義を聴く予定です。
日本人が修行に参加する条件(1999/10/18)

山あいの道教寺巡りから帰りました。
導師は大した人でした。4件の寺を回りましたが、彼女はすごい尊敬の眼差しで見られていました。私もローブを着て行ったので、私まで偉い仙人の卵だと思われたくらいです。
道教の修行は気エネルギーの増強に重点を置いているようです。
ところでこれらの修行法を私以外の日本人が受けることは可能かと訊きました。すると可能だと言いました。それほど人数が多くなければやってもいいそうです。
しかしそれに参加するには条件があるとのこと・・。もちろん道教そのものには条件などありません。導師が勝手につけるのです。
何事もOKだとすれば彼女の条件付けもOKです。では条件とは何でしょうか?
●恩義を忘れる人は、最もだめだそうです。
ところでこれは孫さんも言いました「日本人は取っていくだけだ・・」と。
これは恩義の点を突いています。恩義とは物を送ることではなく、報告をすることです。
●得が高いこと
目的が狭くないこともこれに含まれるそうです。
●品があること
●行為が端正であること
まあ、よく分かりませんが、こんなところです。
日本を案内しましょうかと訊いたら、ものすごく喜びました。その際、修行法を伝授できますかと訊いたら、上記の条件を満たす人ならOKだそうです。
道教の修行はエネルギーに重点が置かれているので、大変なエナジーアップの効果があります。

正装した私。私が青のローブを着ているのは、導師と交換したからです。右に写っているのは道士です。


セレモニー(1999/10/18)

行くときは、途中で車のネジが全部取れるのではないかと思うほど悪い道を走り、山中に入りました。
そこには小さな、小さな道教の寺がありました。道長ともう一人の道士がいるだけの、本当に小さな寺でした。(道教の寺を寺と言っていいものかどうか、不明ですか・・)。
寺の近くは山林とわずかばかりの水田かあります。寺の関係者が耕作しています。


写真のように、私は山鳥とだいぶ戯れました。
12時近かったので、挨拶もそこそこに昼食が出てきました。
その寺はあまりに人里離れているために買い出しに行けず、全て自給自足です。
出てきた料理は畑でとれた野菜と、庭で殺したばかりのニワトリと、田んぼでとれた蛙です。その美味しいこと・・。
道長「森田さん、お酒はイケますか?」
森田「これから修行でしょう。お酒を飲んでも良いのですか?」
私がこう答えると、道長の口が開いたままになりました。
おお、そうだっのか・・と思い「大好きです」と答えると、「それは良かった。うちで作った酒があるのですよ。」
「えっ、寺で酒を??」
道長は「ひひひ」という薄笑いの後、壺に入った酒が出てきました。それはそれは、うまい酒でした。
いい加減酔っぱらった後、道長が寺を案内してくれました。
まず、本道にでかでかと安置された像の前に立つと、彼はおごそかに言ったのでした。
道長「このお方は生前は大変なエライ仙人でしてな、こうして祭られておる・・・」
森田「ほう、どんなにエライ??」
道長「すごくエライ・・だって、酒の神様になってしまったのですから・・」
森田「生前も酒が好きで??」
道長「あの腰元を見なさい。ひょうたんがぶら下がっておるじゃろう・・」
という訳で、目の前の神様は酒の神だったのです。
その後、外人(私のこと)が来たというのでセレモニーをやってくれました。
客が来たのは本当に珍しいのでしょう、やり方がよく分からないのです。途中で私の導師に注意を受ける場面もありました。
セレモニーは寺の外でも行われました。それはそれは、のどかな風景でした。私の導師も参加しました。


一番後ろが私の導師です。

さて、セレモニーは音楽が中心でした。笛や太鼓や弦楽器を使って演奏するのですが、弦楽器を演奏する人は、何と老子達の像が並ぶ本堂の中で、くわえタバコで演奏するのです。
ここまで「なんと不謹慎だ」と腹の立った人は、以後を読まないことを勧めます。
しかし、これが道教なのです。酒を喰らい、くわえタバコでOKなのです。
寺には湧き水がありました。そこで手を洗い、体を洗い、食物を洗います。


これは私と導師が水を飲んでいるシーンです。
トイレにはもちろんドアはありません。紙もありません。だから湧き水でお尻を洗います。ベッドはベニア板でした。
夜は導師にとっておきの質問をしました。
「道教にはキリスト教で言うところの愛という単語はあるのでしょうか?」
即座に答が返ってきました。「ありません。」
やはり無いのです。私はこの答に内心、ゾクッとしました。
混沌が食べた智恵の実(1999/10/18)

みなさんは私がエデンの園の話をしたことを覚えていますね。このHPでも相当長い間に渡って意見交換がありました。
しかしあの時「知恵の実」とは何だったかについては除外視されていました。何ということでしょうか・・。とても大事なポイントでした。
知恵の実とは何だったのか・・これはキリスト教の世界と道教の世界とでは、捉え方が逆だったのです。
キリスト教についてはみなさんご存じだと思いますので、ここでは省きます。道教の場合を説明しましょう。
道教の場合は、「荘子」という本の中に出ている「混沌説話」が失楽園のそれです。
昔々、セッカチという王様とスグサマという王様が住んでいて、日頃お世話になっているコントンという王様にお礼をすることになりました。二人はコントンがのっべらぼうなのを気の毒に思い、色々な手を尽くして耳や口を作ってあげました。すると7日後にコントンは死んでしまいました。
おしまい。
どこが知恵の実ですって?どこが失楽園ですって??すみません。しかし解釈をすれば分かります。
セッカチとスグサマは都会の人間です。感覚器官は知恵のシンボルです。コントンは田舎の人間です。その田舎の人間に色々な情報を与えたら、死んでしまったのです。
しかしこの物語をよく読むと、与えた情報は儒教の説く「仁義礼智信」つまり、理想の価値観であったことが分かります。

さて、私は8月末に野田俊作(アドラー心理学を専攻するマイナーな心理学者)のことを書き込みました。彼はこう言っています。
「権力側の代理人として出てきた孔子に対して、民衆側の反論が老子だった」と。
孔子は皇帝に仕えていました。義を尽くしなさい、良いことをしなさい、欠点を直しなさい、愛を持ちなさい・・と「なる」べき事項を皇帝を通じて民衆に伝えました。
それに対する反論か老子だったわけです。ですから、老子は実在の人物ではありません。
この点は非常に重要てす。ヒーローが不在なのが道教です。ヒーローは民衆一人一人の心だったのです。つまり老子は孔子という権力に反対したのです。
道教はあるがままの自分でOKだと言います。だから権力を握った人たちは、道教が目の仇でした。文化大革命では道教のお寺はしらみ潰しに破壊されました。
私が訪れた、この、誰も行かないような山中のお寺とて例外ではありません。あとかたなく破壊されました。今でも良く思われていません。だから寺の具体的な映像は出しません。
「ある」の世界に生きるのはとても大変なのです。
ところで、吉田松陰の師は孔子でした。だから松蔭は社会改革を目指しました。彼の影響を受けて活躍した勤王の志士達は、「なる」世界の住人だったとは言えないでしょうか?
誰もがヒーローとして否定しない坂本龍馬が、この日本を「なる」の世界に改悪したとは、言えないでしょうか?
精神世界では地球はこれから宇宙に向けて門を開くのだから、みなさん一人一人が吉田松陰のようになりましょうということを言う人がいますが、これは第二の「なる」世界を作る可能性があります。
孫さんも好きで、なおかつ導師も好きな言葉があります。それはメイクエンシィ(自然に任せろ、問題ない)という言葉です。私はこの漢字を初めて知りました。「没関係(関係が無い)」と書くのです。
まさにあなたと私は関係ない・・のです。

さて、失楽園に話しを戻しましょう。コントンは知恵を得て死んでしまいました。アダムとイブは知恵を得て苦しみ始めました。
ところでアダムとイブの食べた知恵の実は、いったい何だったのでしょうか?
道教では、コントンが食べたの明白です。「理想の生き方」という実でしたから。
ではアダムとイブが食べたのは何でしょうか?私の推測ですが、それは「原罪の実」だったのではないでしょうか。
つまり原罪の実を食べてエデンを追い出されたから、彼らは世間に出てからやっと理想の実を食べ始めたのです。実は人類はこれを食べている最中です。ひょっとすると歴史をかけて食べ続けているのです。
その先はどうなるかは、分かります。コントンが辿った結末です。アダムとイブは生から死に向かっているのです。肉体的な意味ではありません。精神的な死に向かっているという意味です。
理想の生き方の代表選手である「愛せよ」というスローガンの元、精神的な生から死に向かっています。
「道教に愛はありません」導師はこう言い切りました。愛という単語を口にした途端に愛が死んでしまうのを知っているのです。
道教がやること・・それは以前のコントンの状態に戻ることです。つまり顔のないのっべらぼうの自分に還ることです。誰でもない自分に還ることです。
キリスト教は生きている元々の状態を罪としています。だから「ある」がままを発散してしまうと罪を発散してしまうことになるのです。だから毎日「理想の生き方」というお薬を飲んでいます。それが精神の死に繋がる薬であることも知らずに・・。
道教は「理想の生き方」というお薬が死につながることを知っています。だから不老不死を目指す彼らは、絶対に飲みません。何を飲むかと言えば・・・、しいて言えば、それを吐き出す薬です。
彼らは「ある」がままを通り越し、「ない」がままを目指します。五官できる以前の世界に戻ろうとします。
キリスト教が成長だとすれば、道教は退行です。
そう、道教には胎息という修行法があります。胎児の状態に戻って呼吸をするという修行法です。これは姿勢さえも胎児に戻った格好をします。

私は導師とは北京で偶然に会いました。ある会社を訪問したとき、たまたまそこに居合わせた人達を、私がまとめて夕食に誘ったのです。そこにたまたま知人を訪ねてきていた導師が入っていました。
私は彼女が何者か知りませんでした。夕食の席はたまたま彼女と隣り合わせになりました。そして私がお金を払うことを知ると、「シェーシェー」と言ったのです。
中国ではそういう場面で「シェーシェー」を言いません。孫さんでさえ言いません。
物をあげると言いますが、食事では言いません。だって大きなテーブルを囲んで食べる時、お互いに自己紹介もなしにおごってしまうケースも多々ありますから・・。
半年以上中国を旅していて、食事の時に初めて聞いた「シェーシェー」という言葉でした。とてもシンセンで妙に感動しました。
これは導師が慣習に囚われていないから出たのだと思います。さらに無から出てきた言葉だからこれほど美しかったのかも知れません。
「愛せよ」と言われている西洋で「サンキュー」と言われても、これほどの感動は無かったかもしれません。
私が「どういたしまして」と言うと、「今度、シンセンにいらっしゃい」と言いました。
たったこれだけで私はシンセンに来たのです。彼女の「シェーシェー」が無ければ私は来なかったと思います。たった一言のありがとうが私の人生を変えつつあります。
山頂を目指してはいけません(1999/10/18)

今回は何件かの道教の寺を回りました。その二件目で出会ったのがこの像です。
本堂に鎮座している像です。


太乙救苦天尊という人です。彼は地獄に落ちた全ての人々を救うのだそうです。
いました、お陰様そのものの人が・・。
理想の生き方があるからダメな自分という観念が生じます。同様に天国があるから地獄が生じます。
しかし、悪いことをして地獄に落ちるのは当然だという考えたもあります。
地獄には殺人者もいるでしょう。肉欲に溺れ不倫しまくり、女性を傷付けた男もいるでしょう。戦争で虐殺を企てた司令官もいるでしょう。
しかしこの太乙救苦天尊は「あなたこそ天国にいくべきだ」と言い、一緒に天国のドアを叩きます。
私は人を罰する神様が大嫌いです。自分を何様だと思っているのでしょうか(神様だと思っているでしょうが・・)。
人を罰するのは、自分が「なる」世界に生きているから出来るのです。
さて、今回の旅では導師以外の道士と話しをする機会がありました。私が最も興味があったのは、道教では女性をどう扱っているかという問題です。
「またっく男女差はない。道教は2000年の昔から男女平等だった」というのが彼の回答でした。だから仙女という単語すら、ほとんど使いません。
「森田さん、あなたの導師は仙人を目指している」と言います。
仙人が男性のイメージとして変化したのは日本に輸入されてからでした。ここ中国では仙女もひっくるめて仙人と言います。

最後の日(きょう)はシンセンの山中で行われました。別に修行をしたわけではなく、旧暦1999年9月9日の祭りを山の上で過ごしただけです。
昨日、山中の寺で「不老不死の水」というのを貰い、それに導師が特別のエナジーを入れてくれるという儀式です。道教は、常にエナジーが付きまといます。
お祈りをする時はまず額に手を持っていきますが、これは天目を刺激するためです。
次に頭を下げますが、これは百会を開くためです。目の前にいる仙人像を特別に敬っているわけではないのです。
さて、そんな儀式のために行った場所がここです。写真の場所です。


下の方に建物が見えますが、あれは私が六次元の旅をしたときの山荘です。
ところで今回も導師は面白いことを言いました。
私が先頭に立って山頂を目指していると、「森田さん、道教の人は山頂に行ってはいけません」と言ったのです。
今日は晴れていたので何人かのハイキングの人達が山頂を目指していました。私はもうすぐ山頂という場所でこれを言われたのです。
追い打ちをかけるように、導師が言いました。山頂に真理はありません。
どひゃーーーーーー。
私達は常に目標を目指して頑張っています。その目標が達成できないと幸せになれないと思っています。
山登りなどは典型的な例でしょう。山頂を極めないで、何が山登りでしょうか・・。
しかし導師の言葉には深い意味がありそうです。
山登りが九合目で国旗を立ててきたら、お笑いです。しかし道教にとってはこれが本物なのてす。客観的な山頂はその人にとっての山頂ではないはずです。
私達が生きている道のりは、まさにこれです。中腹にこそ、山頂があったのです。
おみくじで凶を引くことも、その人にとっての大吉だと言われました。
世の中で一番を取ることが何でしょうか?世の中から認められることが何でしょうか?一番は、自分が決めれば良いのてす。
私達(香港の弟子やその家族も一緒)は中腹に陣取りました。中腹だから誰からも邪魔をされません。そこに敷物を広げ、おやつを出して、みんなで食べました。
吹く風は、私達を通り抜けていきます。それまで山頂を目指してきた私をなだめるように・・・。
その瞬間、それまで意識できなかった鳥の鳴き声が、聞こえるようになりました。
導師のテスト(1999/10/19)



午前中はこの写真の通り、綺麗なお姉さんがいる美容院に行きました。でもただの美容院ではありません。導師の旦那さんが経営する、道教による若返りの美容院です。
頭髪が中心ですので、ここで毛が生えてきた人の写真が沢山展示されてありました。道教の妙薬を使った秘密の方法で行うのです。
しかし、私は綺麗なお姉さんに頭をいじってもらっているうちに、別の場所が若返ってしまったのでした・・。
午後は私にとって大変な時間でした。導師のテストを受けたのです。
テストのことは前の日から言われていました。だから美容院でマッサージされている間も、私は講義を受けたノートを手放しませんでした。
テストは筆記試験と面接試験でした。かなり難しい問題でした。例えば内胆法と外胆法の違いを述べよとか、聴息とは何かとか、入静するにはどうしたら良いか・・とかいう質問が並んでいました。
知識だけではなく、私の体験も書く必要がありました。補足する部分は面接で行いました。そのとき導師の笑みは消え、非常に真面目な表情でした。
結局私の取った点数は89点でした。でも合格でした。合格どころか、歴代の弟子の中では、非常に高い点数だそうです。ちなみに道教では100点を取る必要はありません。
そしてご褒美にいただいたのがこの写真のひょうたんです。


以前いただいた仙人ローブにこれを付ければ、酒飲み仙人の出来上がりというわけです。
ところで私が点数を落とした箇所が面白い点でした。
そのとき導師の出した問題は「森田さんが今回訪れた道教の寺で、常に一番真ん中に飾ってあるのは誰の像でしたか?」という問題です。私はてっきり老子だと思っていました。
しかし正解はあの「コントン」だったのです。当然実在の人物ではありません。
言い換えれば、宇宙根元の「気」なのです。その根元に「理想の生き方」を教えてはならないのです。宇宙はコントンだから良いのです。
そのあと導師の家で合格記念パーティーを開いてくれました。それで今まで飲んでいたのです。
明日から導師と香港に行きます。無計画の旅は、まだまだ続きます。
ワダチの車(1999/10/19)

日本道観のHPを見てきましたが、まあ、別にこれといって間違いはないと思います。
導師に聞くと、道教の流派のようなものは、導師の数だけあると言っても過言ではないとのこと。それは道教にはマニュアルが無いからでもあります。キリスト教の聖書、仏教の般若心経のようなものが無いから、解釈が無限に広がります。
また、教えることを許可されたと言っても、それはどこかの権威が認めるわけではありません。導師が「教えていいよ」と言えばそれでOKなのです。
実は私自身は、昨日のテスト合格でもって、「日本で教えていいわよ」と言われました。
しかし私は道教そのものを教える気はありません。道教という切り口を通して見た世界観を伝えても良いとは思っていますが・・。
もっとも道教もまだまだ奥が深くて、私はもう少し追求してみるつもりです。

導師は午後五時に私のホテルに来ます。それから私と一緒に香港に出かけます。
さて、導師には3歳の息子がいます。可愛い盛りです。
「息子と一ヶ月も離れて寂しくありませんか?」と訊くと、「全く寂しくない」と言いました。
もちろん香港からは毎日電話を入れるそうですが、それ以外は思い出しもしないそうです。それは思い出しても意味がないからだそうです。
それよりも目の前の事象に100%の自分を放り込むことが大切だと言いました。これが道教の単語に出てくる「入静」だそうです。
心のさざ波を静かにすれば、純粋な自分になれるという方法です(昨日のテストでは入静についての面接で、「無我」という単語が出てこなかったがために、私は3点引かれました)。
しかしこの話を聞くと、導師という人は少しドライなのではないかと思いませんか?
実際は全然違います。子供といる時はとても暖かい母親です。旅先から電話を入れる時も、暖かい母親に戻ります。

さて、これに関連した話ですが、例えばあなたが車を運転していたとして、交差点に来てあなたは右に曲がったとします。
何故あなたの車は右に曲がったのでしょうか??あなたがハンドルを切ったから・・というのは通常の答です。
でもタオはそう答えません。右にも道があったから・・というのが道教の答です。
何をバカな・・と思うでしょう。
精神世界で主流を成している考え方である「すべては自分自身が創り出している」ということからすれば、自分でハンドルを切ったとしか解釈しようがありません。
すべては自分が創り出している・・なんと傲慢な考え方でしょうか・・あなたは何様でしょうか?
しかしすべては自分で創り出しているという考え方は、私たちに何かしらのプレッシャーを与えます。「責任を取れ」と・・。
さて、道教はどうでしょうか。まず、右にも道が無ければ曲がりようがありません。
それとも、元々なかったのに、あなたが右に道を創り出したのでしょうか・・・そんなことはありません。あるものはあったのです。
さて、「右にも道があったから」・・という答は、「ではなぜ左にも道があったのに左には行かなかったのか?」という質問に答えていません。
しかし「右にも道があったから」という回答をよーーーーーく考えれば、左に行かなかった理由がわかるはずです。しかし、これはとても深い洞察が必要です。
ここまで読んできた方で、分かった人はいますか??
答を言いましょうか・・それとも次の機会にしましょうか・・
まぁ、もったいぶらずに言いましょう。タオの回答を言います。
私達の人生を乗せた車は、常にワダチにはまっているのです。つまりその時、ワダチが右にしか行っていなかったので、右に行ったのです。
右に切るのは、私ではありません。無意識の私なのです。私はその解釈・・つまり右に切った言い訳をするだけです。
だから理屈がうまい人は、言い訳上手な人なのです。

右にも道があったから・・という答は、このワダチという問題を実にうまく突いています。
老子が言った「為さずして為す」という言葉は、まさにこれを言っています。
キリスト教の「愛せよ」・・これも「愛する方向に自分でハンドルを切るのですよ」と言っているようなものです。言われると嫌な気持ちになり、しようがなく切ります。
いえ、実はそれは反対方向になってしまっていることも知らずに・・。
愛する方向に自分でハンドルを切ることは出来ません。
もともと切れないハンドルなのですから、無理を生じると車を壊してしまいます。
ハンドルをどちらに切るかは、天のみしか決められないのです。だから道教では天人合一をしようとします。
天と一つになり、本当の自分に近付けば、本来の道は自然と選択されるのです。それは自分自身で選択するのではありません。天が選択をしてくれるのです。
これは理解しにくい話かも知れません。でもよく考えると深い意味があるはずです。
前回のレポートでコントンが死んでしまったのは、これが理由でした。「理想の生き方」という薬を飲むことは、ハンドルを無理やり切ろうとしたことと同じです。
孫さんや導師が言う「自然に任せなさい」という言葉は、このことでしょう。私達はもともと愛する方向に向かっていたのです。
さあ、ハンドルから手を放そうではありませんか。無理やり切っていた時よりも、精神的にも随分と楽になるはずです。

さて、話を導師に戻しましょう。
彼女は旅先で息子に対して無用な心配をしてもしようがないのです。そんな時間が一瞬でもあると、目の前の相手に失礼だと言います。
彼女にとっては、運命を天に任せているので、あとは目の前の事象に飛び込むだけなのです。
まさに誰にとっても、「すべてはうまくいっている」のです。
自分のため(1999/10/19)

「私は自分のためにしか、生きたいとは思いません」導師はこう言い切ります。もちろん私も同様ですが・・。
 しかし道教とて一つの宗教のジャンルに入ります。宗教のジャンルに入りながら「自分のためだけ」と言い切れるのは、少ないのではないでしょうか。
「道教に愛は無い」こう言い切るのと、とても似ています。
 エゴを捨てて他人のために生きなさいという宗教がとても多い中でです。
 彼女は盲目の子供や耳の聞こえない子供を、みんなの前で治したことがありました。
それが理由である聾学校に招待され、治療を依頼されました。しかし彼女は待合室の窓から逃げてしまいました(導師にはまだテレポーテーションができません)。
 災害で死ぬ人も幸せ・・こういう価値観に立つ彼女にとっては、盲目も見える人も同様なのです。
ところで彼女は何が面白くて生きているのでしょうか・・。
 そんな質問をした時、「宇宙のことを考えている時が幸せ」と答えました。
「宇宙と一体になった時、もっと幸せ」と答えました。「だから私は修行をするの」と答えました。「だから私は好きな人と話をするのが好き」と答えました。
 今、彼女は穀避法(一種の断食)をしていました。私と一緒にいる時も、ほとんど食べません。その修行も楽しくてしようがないのだそうです。
 そしてその修行を終える時、ちょうど昆虫が脱皮するような、何とも言えないエクスタシーがあるのだそうです。
導師との対決(1999/10/23)

やはり出ました。何がって、宗教問題がです。
まず発端は私がシンセンで道教の寺巡りをしている時です。
導師はまず、寺の入り口にいる警備員に身分証明書のようなものを出していました。それを出すと入場料がタダになりました。その身分証明書とは道教の道士であることの証明です。警備員達はそれを見ると大変な敬意を表していました。
さて、香港についた最初の夜のことです。私は導師にある秘伝についての修行を聞こうと思いました。しかし彼女は言いました。
導師「それは大変にハイレベルの修行になりますから、道教の正式な道士にならないと出来ません。」
森田「道士になるという意味は、一種の信者になることですか?」
導師「そうです。」
私は信者になる方法を聞きました。その方法については、別にこれと言って特別な感じはありませんでした。多額のお金のお布施をするようなこともありません。秘密保持の誓約をするのが目的です。
仙人修行ゲームでは道士は振り出しですが、実際はそうでもないのです。道堂とか・・
あと一つは忘れましたが、とにかくでっち奉公の様な名前があり、その上が道士であり、その上が道長となります。
その上はいよいよ仙人です。仙人と呼ばれるには、実際歳も120歳を越えないとダメなのだそうです。ですので120歳以下での最高の位は道長です。

導師「森田さんは日本の道長になれます。テストで高成績を取ったことでも証明されています。できれば正確な道教の考え方を日本に広めて下さい。」
森田「・・・・・。」
このとき私は何を考えたでしょうか・・。内心は相当揺れたのです。
私は体験型の人間です。本で読むことは信用せず、実際の体験の方を優先します。
私が導師から道教の指導を受けていると言うと、その道の人は「よく会えたなぁ・・中国人でさえ導師に会うのは難しいのに・・」と言います。
もしも道士となることが出来れば、私は内側から道教を体験することが出来ます。
仙人に会えるチャンスも増えるでしょう。もちろん仙人そのものになる修行も受けることが出来ます。しかし・・・・・
導師「私のところには沢山の人が来て、道士にして下さいと頼んできます。でも私が許可するのは極めて少数です。誰でもが道士になれるわけではありません。」
私は決心しかかりました。私は仙人への道への一歩を踏み出そうとしていました。
森田「私は誰でもない自分でいたいから・・・」出た答は逆でした。
森田「私は今のところ、道士にはなりません。」
実はこれを言っている時も、相当に揺れ動いています。仙人は魅力たっぷりです。
しばらく間を置いて導師は言いました。
導師「ではあなたに、これ以上の秘伝を教えることは出来ません。」
森田「・・・。」
実は秘伝を教えないのには、ちゃんとした理由があるのです。教える条件というのを数日前にアップしましたが、あの条件に合わない人には教えてはならないのです。
つまりマスコミに乗せてはならないのです。ちゃんとした人にステップを踏んで教えないといけないのです。だから道教の本質は書物には載っていないのです。
特にその修行法は載っていません。道士になるときにはそれを堅く厳守するという誓約をさせられます。秘密主義の道教と言われるのは、ここにあります。
その夜は2時近くになってしまったので、私は部屋に引き上げようとしました。すると最後に導師が次のように言いました。
「道士は心です。沢山の弟子達は形式だけの人が多いです。でも、あなたには心があります。とても惜しいです。」
と言われても、次のステップへのGOサインが出たわけではありません。私はその夜、少し眠れない夜を過ごしました。

次の日の朝、導師は言いました。「今日の夜は占いをやります。トランプを買っておいて下さい。」
そして香港巡りをしたその夜、占いは行われました。
私はこの占いをされるのは2度目でした。最初は六次元の時空の旅の時です。
何度目の幽体離脱で六次元に行けるかを占ったのです。三度目にその占いは完璧な形で集結しました。
その占いは、トランプに私の元神と言われる魂をコピーして行うので、コピーの瞬間も相当に迫力があります。魂が本当にコピーされたような感じです。
時空の旅では占い通りに三度目に六次元に行きました。
しかしトランプが三度目に完璧な形で集結した時、導師はそのこと自体を喜びました。
だってある規則通りに列べていったとき、全てのカードがマークも数字も完璧に順番に並んでしまうことなど、確率的にはそうあるものではないでしょう。
通訳の時には集結せず、そのカードの状態が今の彼女をそのまま反映していて、導師がそれを説明している時、彼女は泣き出してしまったくらいです。
さてその夜、私は心してトランプを切りました(占いをされる人が自分で切るのです)。
そして導師に渡し、導師は私の目をじっと見て元神をトランプにコピーします。
そして最後に「ハッ」と気合いを入れて始めました。その「ハッ」で、占いをされる人は後ろにひっくり返りそうになります。それほどの気合いです。
占いは10分ほどかかるのですが、その間、導師は何かをブツブツと唱えていました。しかし何を占っているかは教えてくれません。
私は別世界の出来事を見ているような感じがしました。そして・・・
「やったわ」と言う声で我に返って見ると、そこには完璧に集結したカードが並んでいました。
導師「あなたは本当に運の強い人です。私は今、あなたが次のステップに進んでも良いかを占ったのです。ここには私のマスター(仙人)の魂も来ていました。結果はこの通り、何の躊躇もありません。次のステップに行きましょう。」
森田「と言うと、どうすればいいんでやんしょ、オヤビン・・」
導師「次の指示はEメールします」
おお、さすが現代仙女・・指示はEメールなのです。もはや実際の仙人修行もPC不在では出来ないのです。
導師「ところで道士になるのを断ったのはあなたが最初てす。」
中国では道教の道士になることは、一つの隠れたステータスなのです。
「私は××導師から秘伝を伝授され、教える許可も与えられました」などと言ってみたい人が多いそうなのです。

香港では、女子大生と間違えた主婦の弟子が一緒でした。彼女は何度も私に言ってました。
「マスター(導師は英語でマスターと呼ぶ)はあなたを道士にしてくれるわよ。このチャンスを逃す手はないわよ」と。
だから前の晩に同席していた彼女は、私がああいう答えをすることが信じられなかったと言いました。もちろん彼女は正式な道士です。
三泊四日の香港の旅が終了する日、チェックアウトしようとしていると電話が鳴りました。彼女からでした。
「今、マスターの部屋です。マスターはあなたに訊いています。あなたの「心」は道士であると思っても良いかと・・・。」
「もちろんです」と答えました。そうです。私はいつでも心は道士です。
さて私は今回、道教には正式加入しませんでしたが、道教を否定したわけではありません。
ある意味では今回のやりとりを通じて道教の懐の広さを再認識したような出来事でした。
私は今回のやりとりを経た今なら、正式加入しても自由を失わないような気がしました。
しかしあのトランプが集結しなかったらどうなっていたのでしょうか・・・。
人生、諦めも肝心・・これは香港での最初の夜に噛み締めた言葉でした。だってこれ以上の伝授はありませんと言われたのですから・・。
だからトランプが集結しなくても良かったのです。諦めも肝心なのですから・・。あの夜、既にその状態に入っていましたから・・。
私はハンドルを手放していたのでしょうか、それとも握っていたのでしょうか・・・。
そしてこれから先、どうなるのでしょうか・・・。
香港での風景(1999/10/23)





上の写真は導師と電車に乗る私。導師はローブをホテルに置いてきてしまい、私のローブを貸してあげました。ローブを着て電車に乗ると、乗客の視線をかなり浴びます。
下の写真は道観での風景です。道教の寺は道観というのだそうです。左から観光客、導師、主婦、私です。
さて、今回は導師といる時間が長かったので、色々と聞くことが出来ました。その中でも興味深い話がありました。導師がなぜ山を下りたかという話です。
導師はずっと長いこと、山中で修行をしていました。仙女・仙人の弟子になって修行し、時空の操作を体得しました。
ある日、山を下りて何十人かの前でセミナーをする機会がありました。
その時、聴衆である三次元で生きる人達にとっては、導師の修行法や考え方が、あまりに生活とかけ離れていることを知りました。
山の中で修行して何になる、そこで何かを得て何になる、人間というのは人間関係の中で生きて初めて人間ではないか・・と思ったそうです。
さらに、物質を拒否して生きるのは物質に執着しているのと同じではないかと・・。
世間を拒否して生きるのは、世間に執着して生きるのと同じなのではないかと・・。
彼女は山を下り、シンセンや香港といった都会で生きるようになります。
さらに、生活を拒否して悟って何になると思い、結婚もします。そして子供まで産みます。
彼女の弟子達も、やはり生活を持っている人達ばかりです。
つまり彼女は道教を三次元に引き下ろすことに興味が出てきたのです。彼女自身も山の中ではなく、欲望渦巻く三次元で仙女になることを目指しています。

ところで彼女には大きな夢がありました。自分の道観(寺)を持つという夢です。
そこには私達のような道教には入らなくて興味だけある人達が来て、六次元の体験をするような場所があったり、数日間だけ道士の生活を味わったりする場所があったり・・そんな三次元との接点としての道観でした。
ある日、弟子の一人がお金を出しても良いといいました。そして場所を選定した時です。天安門事件が起き、認可が下りなくなってしまいました。
今、彼女の三歳の子供はイギリス国籍です。なぜそれが出来たかは、事情があってこのHPには書くことが出来ません。
道教は中国国内では大変な迫害にあっています。その具体的な事も、このHPでは書くことが出来ません。
中国という国は、いったい何を選択しようとしているのでしょうか??
道教の人達は、道教の生まれ故郷を捨てようとしています。

さて導師は私と会って、次元という言葉を初めて使ったと言います。なぜなら、今の中国には高次元という言葉はないのだそうです。あっても今の中国人には理解不能なのです。
彼女が修得した時空の術は、次元という概念抜きには考えられないものでした。そこにモンロー研究所で作った「いのちの世界」をひっさげて登場した私は、とても刺激的だったと言いました。
私(導師)だったらこの人(森田)に、モンロー研究所以上の体験をさせてあげることが出来ると思ったそうです。時空の旅への一週間は、彼女にとっても大変なチャレンジだったのです。
さて、トランプ一つでゴーサインが出た次へのステップは、一体何なのでしょうか・・
私自身だけでなく、彼女にとってもチャレンジなのかも知れません。
香港の道観は御利益的なのか??(1999/10/24)





上の写真は香港の、ある道観の館内です。左から私、主婦、導師、導師の友人です。
ずらっと並んだのは小さなバケツに入った御利益願いです。
バケツの中にはそろばんとハサミとお米と願いをかける本人の名前を書いた名札です。
衣食住(ハサミとお米)とお金(そろばん)の願いを掛けているのです。
下の写真は境内で御利益願いをする参拝客です。
こういう風景は中国本土の道観では見られませんでした。
しかし道教のお寺で願い事をして何になるというのでしょうか?
願い事をする人達は、自分のハンドルをそちらに向けたいのでしょうか?
完全だから悪の入り込む余地がある・・こう言い切る道教に何を願うのでしょうか?
災害で死ぬ人も幸せ・・こう言い切る道教に何を願うのでしょうか?
為さずして為す・・道教の大ボスである老子はこう言っています。「為さずして」という意味は、何も願い事をせずにという意味です。
さすがに導師は「嘆かわしいことです。お線香を売るだけで食べていけるのになぜ願い事ビジネスに走るのでしょうか」と言いました。
上の写真の道観には道士さえもいませんでした。それまでは導師が「日本人か来たので、だれか道士の方、説明をお願いします」と言えば、われ先にと修行中の道士が出てきて、館内を説明してくれました。 しかし下の観の事務所に入ると、そこにはパソコンが数台並び、制服を着たOL達が働いていました。導師が説明を依頼すると、「私達はここで働く単なる女子所員です。ここには道士はいません。私たちには館内のことは全く分かりません。どうぞご自分でご覧になって、参拝して下さい」と言いました。
道士が誰もいず、コンピュータによって売り上げが管理されている寺。
その寺はお願いごとをする参拝客でいっぱいです。ビジネスの上では大成功の寺です。
これでもれっきとした道教の寺です。香港の寺のほとんどはこのスタンスでした。

さて、みなさんはここまで読んで、私と同じく、批判的な気持ちになったでしょうか?
しかし、私はそれに対する反論も述べたいと思います。
みなさんが日本で手にする道教の本は、いったいどの切り口なのでしょうか・・。
道教は「無い」というのが基本概念です。無からは有が無限に生成されるというのも基本概念です。もともと道教の寺は、「無い」はずなのです。
キリスト教はどうでしょうか・・。キリスト教には神がいます。
教会に行けば、神と対話することが出来ます。もちろん教会でなくても神との対話は可能ですが、教会にはキリストの像があり、その感じをより増強させてくれます。
しかし、道教には神がいません。もちろん低レベルの神はいますが、宇宙の創造主は「無」なのです。いたとしてもそれは「コントン」なのです。
つまり道教にとっては、寺が存在すること事体、一つの矛盾であると思うのです。具体的なものは作るべきではないのです。
寺の中でお賽銭を数える仙人など、聞いたこともありません。カスミの中で生きるのが道教のはずです。
さらに、道教の教えは言葉にした途端に消え去ると言われます。ですから書物の道教など、何の役にも立たないはずです。だから寺など、もってのほかです。
では仏教の寺はどうでしょうか。仏教は輪廻転生を基本概念としています。
そこではカルマが発生したり、過去の罪が問題となったりします。だからブッダの像を置いて輪廻の世界に思いをふけることが出来ます。
そう、仏教の世界には悠久の時間という概念があるのです。過去世が現世に影響を与え、現世が来世に影響を与えます。
しかし、道教にはその概念がありません。ですから私の描いた「いのちの世界」は仏教的世界なのです。道教にはフォーカスの概念は通用しません。
だからいきなりフォーカス69、つまり六次元なのです。途中の領域は無いのです。
ですので、私がこのまま道教の世界を追求していくと、いつか、大きな矛盾にぶち当たるはずなのです。私の描いたフォーカスの世界は一体何なのかという・・。
現在の私は、まだその矛盾に当たるほど修行が積まれていません。おそらく次のステップに入ったとき、クローズアップされるはずです。ですのでトランプが集結して良かったと思います。
「森田さんは死後の世界に興味があるようですが、私にはありません」導師はこう言い切りました。死んだらそのまま手放しでワダチの通りに・・・。

仏教が「無」を強調していながら、輪廻転生を言っているのは一体なぜでしょうか。カルマを言っているのは何故でしょうか。無の世界に因果応報など無いと思うのですが・・。
さらに「いのちの世界」で強調されるフォーカス番号とは、一体何でしょうか?
私は「いのちの世界」を描いたとき、時空の世界の一部ではあっても、それが分かったと思いました。
しかし道教に入っていくうちに、ある日あの図が崩れるのではないかという思いが出てきました。
私はまたもや、スタートラインに戻されようとしています。
そう言えば、道教はスタートラインに戻ることだと導師は言っていましたっけ・・それを今、思い出しました。
「進もうとするところには真理は無い」とも言っていました・・。
成長して輪廻転生をクリアーする・・何て「進もうとする」概念でしょうか・・。愛する人間になる・・何て「進もうとする」概念でしょうか・・。
道教は私達に、全ての概念の反転を要求しているのでしょうか・・。
香港の御利益的道観・・それを批判することは、ひょっとすると「進もうとする」概念かも知れません。
三次元で生きる人間として、御利益願いがなぜ悪い・・そういう香港人の声が聞こえてきそうです。
生と死と(1999/10/25)





香港の道観に描かれていた生死を司る仙人です。二人います。
この壁画は道観の入り口の両サイドにあったものです。さて、どこが違うでしょうか?
基本的に違うのは一カ所です。ヒゲの色です。一方は白で一方は黒です。
みなさんがこの道観に行ったとしたら、どちらを拝みたいですか?
もちろん白ですよね。光の色は白だったりしますし、逆に黒はお葬式の色ですから・・。
しかしこのHPの住人なら、そんなことには引っかからないでしょう。
そうなのです。生を司る仙人は黒いヒゲです。死を司るのが白のヒゲです。
ですから、もしもあなたが道教の寺に行き、このように対称的に描かれた白黒のものを見たときは、黒が生命を象徴していることを忘れないで下さい。黒を拝まなければいけないのです。
なぜ黒なのでしょうか?道教の世界は陰陽の世界です。陰は良くないというイメージが我々にはあります。しかしあの太極図の黒の部分にこそ、生命があるのです。
生殖器のことを陰部と言いますよね。でも陰部こそ生命の源でしょう。
私はあるとき孫さんから「森田さんは陰です」と言われたことがありました。それを聞いたのは、まだ孫さんに会って間もない頃でした。だから陰という言葉に良いイメージを持っていませんでした。
最初の孫さんツアー(今年の二月)の時に「あれはどういう意味でしょうか?」と訊きました。すると
「道教では男性を陽、女性を陰と分けていることは知ってますよね。でも女性が陰だとは言え、いわゆる陰気だということではありません。森田さんが陰だというのは森田さんの中に女性の部分が非常に多いという意味です。でも、これは外観とか性質を見ただけではわかりません。ナヨナヨしているという意味では全然違います。セックスにおいて男性機能が少ないという意味でもありません。ただ単に、エネルギー的に女性のものがたくさん流れているという意味です。」
「そういう人は多いのでしょうか?例えば今回の孫さんツアーに来た日本人の中にそういう人はいるのでしょうか?」
「ツアーの人達の中にはいません。これはとても少ないのです。」
ということなのですが、私が孫さんに幽体離脱させてもらった時に出た黒い色の魂も、「陰」に関係しているのかも知れません。
導師に聞くと、女性が陰だというのは、やはり生命と結びついているからだと言いました。
「進もうとするところに真理はない」導師のこの言葉からすれば、陽は前進なのかも知れません。だとすれば、ポジティブという単語も陽なのかも知れません。
ヒゲの色で分けられた陰陽において、白は死を意味するのです。
でも「私は死に興味はありません」と言った導師のように、白が死を意味すると言っても、それがどうだということにもなりそうですが・・。
それでも、私達は長いこと陽の方が良いと思ってきました。陰は陽に変換すべきだと思ってきました。
長所、ポジティブ、プラス、男性の生殖器・・・それはみんな陽(+)でしょう。
しかし、短所、ネガティブ、マイナス、女性の生殖器・・・それはみんな陰(−)でしょう。
キリストの神は「光あれ」と言いました。キリストやブッダの像からはオーラが出ています。
しかし老子や酒飲み仙人リトンビンからは何も出ていません。もちろんコントンからも出ていません。もしも、どうしても描いて下さいと頼めば、黒いオーラを描くような気がしてなりません。

実は、黒のヒゲの仙人を見ながら思った事がありました。リリースという概念です。
私はハワイの海岸でバカみたいに目を閉じているブッダの像を見て、「リリースしなさい!!」と思ったのがリリース概念の最初でした。本当に美しい海岸で目を閉じて彼はバカみたいに瞑想しているのです。
しかしその後、私はリリースという言葉を頻繁に使わなくなりました。きっとどこかでピンと来ていないのです。
まず、女性にリリースという言葉は当てはまるのでしょうか?
リリースとは男性用語のような気がしてなりません。ベクトルが外に向かっているからです。それはまるで男性性器のようであり、なおかつ精子の飛んでくる方向でもあります。
それに対して女性は内側に開いています。そして精子を受け取ります。
あと、基本的に女性には成長欲求というものがあるのでしょうか??外見はそうだとしても、内部の奥深いところでは、原点に戻っていこうとする欲求の方が強いような気がするのです。
地球に女性しかいなかったら、誰も月に行こうなどと思わないでしょう。月は眺めて楽しむもの・・着陸してあばたもえくぼの状態を壊したいとは思わないでしょう。
それに反して男性は建設的です。外に出よう出ようとします。男性にとって原点は出発点であり、女性の様に行き着く先ではありません。
リリースとは魂を外に出すことです。しかし、それはまさに男性的ではないでしょうか?
たった二枚の壁画なのですが、私に投げかけた問題提起はとても大きなものがありました。
ですのでこの写真についての報告を、香港での本格的リポートの最後とさせてもらいました。
(白ヒゲさん、黒ヒゲさん、ありがとう。あなた達二人には名前すら付いていない聞きました。でも美しい仙女をはべらせて、何だかとても羨ましいです。本当は生死を司るなんて、ウソなんでしょう?)
ありがとう(1999/10/26)

今日は私の48歳の誕生日でしたね。お祝いの言葉をありがとう。
さて、私は誕生日になると毎年「この一年はどういう事を目標にするかなぁ・・」と考えてきました。
「正直な自分に近付こう」というのが若い頃の目標でした。これは何年も続きました。本音と建て前があるとすれば、本音で生きたいと思ったのです。
それも飽きた頃、次は「やりたい事をやろう」と思いました。これも何年も続きました。
次は「やりたい事だけをやろう」と思いました。これは大変でした。だって、やりたくない事をやってはいけないのですから・・。嫌な事は絶対にやってはいけないのですから・・。
私はこれで挫折しました。やりたい事だけをやるなどということは、不可能だと思いました。今だってそうです。やりたくないことは山ほどやっています。
でも不思議研究所の活動を始めてみると、自分の価値観があまりに固定されていたことを知らされました。
ポジティブに生きるとか、短所を直すということ自体がおかしいことに気付いたのです。
本当の自分はもっと自由なものだと思いました。欠点とか長所は外から見た視点でした。
私が私であるならば、やりたい事とかやりたくない事とかが、あまり関係なくなってしまうことに気付きました。

ある時、自己変革セミナーに出ました。そこで自分の夢を語るという時間がありました。
語る時間は1分間で、その夢が実現しそうな時は、他の受講者が手を挙げるというものでした。
みんなそれぞれ発表し、それぞれ適当に手が挙がっていました。しかし私の時には、40人の受講者のうち、たった一人しか手が挙がりませんでした。
先生が何故こんなに手が挙がらないのか、みんなに訊きました。
「森田さんの夢は絵に書いた餅です。だって不思議な事だけを研究していこうなんて、出来るわけありません。森田さんは口先だけの男です」ほとんどの人はこう言いました。
でも私はショックではありませんでした。そして何故みんなの手が挙がらなかったかも分かりました。
私はそのとき既に夢の中にいたのです。つまりその夢は切り離された未来ではなかったからです。夢や希望に輝く夢ではなかったのです。だから説得力がなかったのです。(しかしその時だって不思議研究所を具体的に開始していたわけではありません)。
つまり目標である限り、それは目標にしか過ぎないのです。
好きな事をやっていこうと思えば、好きな事が自分から離れていきます。
自分を変えていこうと思えば、自分は自分から離れていきます。
だから48歳の私は、このまま惰性で生きればOKなのです。何の努力もしません。
夢は失わないと実現しないと思うのです。夢は夢のままだと実現しない・・これは私の仮説です。

ところで私は夕方の18時に生まれました。農家だったせいもあり、産婆さんが来ました。そして庭にセットされた大きなたらいの産湯につかりました。
森田健(当時はもりたたけしといいました)の健は、バカでも良いから健康にだけ育ってくれればいいと名付けられました。その後、もりたけんと呼び名を改名しました。
一キロ四方、家が無く、自然だけが友達でした。
小学校の頃、宇宙パイロットになりたいと思った時期がありました。宇宙パイロットになって月に行くんだと作文に書いたときがありました。
でも今は、フォーカス35を越え、三次元よりも面白い時空パイロットをやっています。

自己変革セミナーでは、なぜ一人だけしか手が挙がらなかったのでしょうか。それはもう一つの理由があります。
実は一人だけ手を挙げてくれた人も、彼の発表の時には、私しか手が挙がらなかったのです。共通点は、自分の事しか考えていなかったのです。
他の人は地球の緑を増やすのだとか、青少年の教育のためだとかいう、いわゆる社会という視点が入っていたのです。
「森田さんは、自分の事しか考えていない、エゴそのもので生きています」とさえ言った人がいました。私はそういう人達に何の反論もしませんでした。
私のためにたった一人手を挙げてくれた人は、一週間前に生まれたばかりの自分の子供を失いました。その発表を少しして、その人が涙を流した時です。
「ここではそんな個人的な発表はしないで下さい」と言った人がいました。もちろん彼はそれで座りました。
その時「社会性が個人を優先する時代はもうお終いにしませんか?」私がこう言うと、「森田さんの発言は、今後無視しましょう」と言われました。
私はそれ以来、そのセミナーでの発言を許可されませんでした。でも最後の最後に、彼の発言の続きを聞きたいと言いました。彼は立ち上がり、言いました。
「私の娘は、一週間前に5日間だけ生きて亡くなりました。生まれたとき、指が六本だったのです。なぜ六本だと死ななければならないのでしょうか?私は娘のためにも、自分自身のために生きたいと思います。社会のためなんて、まっぴらです。」
少し沈黙がありました。そして先生が言いました。「今、食べることを越えている人は手を挙げて下さい。」手を挙げたのは、私だけでした。

仙人は食べることを越えているのでしょうか?もしそうだとすれば、私は食べてはいますが、仙人と対等です。
人をエゴだと言う人は、食べることを越えているのでしょうか?
実は、社会性に生きないということは、「ある」ことの第一条件だと、私は思います。
なおかつ、社会性に生きていない人こそ、本当に社会性に生きているのではないかと思うのです。
私が大学生の頃は、学生運動の盛んな時期でした。マルクスだのレーニンだの・・。
彼らの意見には「正義」がありました。私は何故デモに参加しないのだと殴られたことがあります。殴った彼は今、何をしているのでしょうか??
私が綺麗事が嫌いな理由は、ここにあります。「正義」は「なる」世界であり、それは「ある」世界よりも強いのです。「ある」世界は微弱なのです。
私は時空のパイロットをしていますが、本当は三次元に一番興味があるのです。
久しぶりに昔を思い出し、熱くなってしまいました。
書き込み期間:1999/10/11〜1999/10/26