もりけん語録
テーマ:「導師来日」
書き込み期間:2000/03/31〜2000/04/15
要旨:
導師が来日し、セミナーと伝授会が開催されました。
導師は宗教を教えに来たのではないこと、仙道は先人達が実験から創り出した科学の一つであることを、しきりに強調していました。
初日講演会から導師のテンションとエネルギーは次第に上がっていき、どんどんノッてきました。イベントの大成功を喜び、オフ会も楽しんで大満足でした。
イベント終了後は、長崎や京都を巡る逍遙旅です。導師は桜や竹の風景と非常に溶け込んでいました。そして旅館に宿泊し、初めての温泉、畳部屋、浴衣、和食を堪能しました。導師は日本をとても気に入った様子です。
導師は喫茶店の窓から見える地平線を指し、仙道では混沌こそが天人合一に近い状態であるという話をしました。私達は互いの境界や違いをはっきりさせようとしますが、それはある要素を切り捨てていることになるのです。
道教での神の概念を「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」というそうです。これは潜在的な神のことです。この概念からすると、神すらもハンドルを切っているのではなく、ワダチに乗っている存在かも知れないのです。そして顕在意識を作ったのは、自由を感じるためではないかと私は思います。
顕在意識と潜在意識の合一が「天人合一」なのではないかと思いました。魂を磨いて顕在する神に近付くのではなく、潜在的な領域で神にアクセスするのです。そのためのエネルギーを養い高めるのが、仙道の動功と静功です。
私達は普通、意識が主導権を持つと考えていますが、もしかしたら潜在意識の方がインプットする側なのかも知れません。理性で決めて起こした行動には葛藤が残ります。世の中では理由ないことは通りにくいですが、潜在意識からの信号をそのままに受け取って表出すると、それは理由なしの行動になるような気がするのです。
目次
○ 導師はご機嫌(2000/03/31
○ 船井さんと導師(2000/03/31)
○ 東京セミナーと伝授会とオフ会の雑感(2000/04/02)
○ 長崎にて(2000/04/02)
○ 長崎の道観(2000/04/04)
○ 長崎最終日(2000/04/05)
○ 櫻花中的仙女(2000/04/05)
○ 講演会とその後(2000/04/09)
○ 混沌とした水平線(2000/04/12)
○ 「宗教を教えに来たのではありません」(2000/04/12)
○ 強力な仙道(2000/04/12)
○ 再びトランプ占い(2000/04/12)
○ 導師の意外な一面の発見(2000/04/13)
○ 潜在的神(2000/04/13)
○ 日本の道観(2000/04/13)
○ 道教→道家→仙道(2000/04/13)
○ 「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」はインプットする側(2000/04/14)
○ 『混沌からの出発(五木寛之、福永光司著)致知出版社』より(2000/04/15)
○ 秩序とは切り捨てること(2000/04/15)
○ 導師の経過(2000/04/15)
導師はご機嫌(2000/03/31



これは、前回、導師の誕生日に私がプレゼントした着物の生地で作ったという道パウです。もう、これでバッチリです(笑)。
講演会も、伝授会も、なかなか充実しそうな雰囲気です。
中国でさえ一度も教えていない仙道を、初めてここで教えると何度も言われました。
既に原稿の一部は通訳に渡っています。とても難しい単語ばかりなので、通訳は徹夜かも知れません(笑)。しかし素晴らしい熟語がたくさん出てきます。
講演会は三時間です。最後の30分は導師が会場を回り、エネルギーを送りながらの瞑想です。
私の喋りは、たったの30分。でもこれでいいのです。なんか、少しホッとしました。
ところでこの来日期間中も、私は次のステップの修練です。明日から始まります。
船井さんと導師(2000/03/31)



船井さんを訪れた導師です。お互いに持ってきた水晶玉を交換している写真です。
二人のメインの会話は、神についてでした。導師は言いました。
「サムシンググレートという呼び名は良いと思いますが、そこに括弧書きで(創造主)と書くのは、誤解を招く恐れがあります」と導師。「大変勉強になりました」と船井さん。
とても良い雰囲気でした。
「日本に来たのは、道教よりもむしろ仙道を広めるためです」と導師。明日の講演会の内容を少しだけ船井さんに喋りました。
そこで初めて知ったのですが、仙道は道教よりも古いのです。
「シンデンシェンも仙道は、ほとんど知りません。ですからシンデンシェンも伝授会では生徒ですよ。しっかりね」と言われた私・・。
「道教は宗教ですが、仙道は宗教ではありません」と言っていました。
「最終的には体の構造を変える道です」と言っていたような・・。v 導師は言いました。「明日の講演会は、仙人になる一番近道を教えます。伝授会は、その方法です」と。
明日の準備はOKです。さっき踊りの練習もしました(笑)。
東京セミナーと伝授会とオフ会の雑感(2000/04/02)

セミナーでは最初の二時間は、まるで大学の講義のようでしたね。
しかし、私はああいった講義を一度も聴いたことはなく、体系立てて仙道を勉強するためには、とても良いと思いました。
ただあれから入ると、退屈する人が多いのではないかと思います。
「つまらない講義はこのくらいにして・・」という導師の発言を受け、「今までの話は、つまらないのですか?」という聴衆の質問(抗議)を受けて、たぶんあの話は二度としないと導師は言っていました。
ですので、大阪のセミナーは変わると思います。
後半部分の「流れ」は踊りが入ったりして、良かったと思います。
「エイッ」とやるタイプの気を入れる動作などどこにもなく、全ては流れるような踊りで行われました。
伝授会での「伝授」も、一度に五つのパターンを教えてくれました。
私がシンセンにいたとしてもおそらく5日かかるであろう伝授が、集中して行われました。
でも、伝授の時に教えられたあの手法は、何か具象的で楽しいですね。
東京オフ会は、導師がとても気に入ってくれました。
まず、掘りごたつの下が畳だった点です。とても日本的で良いと言っていました。
みんなに率直な意見を聞かせて欲しいなどと言ったりして、入っていこうとしていましたね。
導師は帰りのタクシーの中で、とても喜んでいました。大成功でした。
長崎にて(2000/04/02)

桜の木の下で・・・


桜と遭遇して、ご機嫌の導師です。

浴衣


雲仙温泉に入った私達。初めての温泉、初めての畳部屋での夕食・・大変に堪能しました。
日本は都会よりも田舎の方が好きだと言いました。
道教以前の「道家」は宗教ではなく、導師は宗教を教えに来たのではないのだそうです。
ぶらぶらと旅をすることは、道家では逍遙功という修練そのものなのです。
みなさんが書き込んでくれた(メールで送ってきてくれた人も同様です)リアクションを食い入るように、一字一句通訳させて読んでいます。みなさん、ありがとう。
長崎の道観(2000/04/04)

長崎の道観を訪れました。
今日は二箇所行きましたが、いずれも道教と仏教が混在しているような所です。
当時中国から伝来した二つの宗教は、神がいないという特徴からして、両者とも同じように扱われたのではないでしょうか。



長崎最終日(2000/04/05)



小浜温泉という所に泊まりました。部屋数が10個という、とてもこじんまりとした旅館でしたが、最高に気に入ってもらえました。
長崎のドライブは、海あり山ありで楽しいです。

櫻花中的仙女(2000/04/05)

京都の山中にある、ひなびた宿に着きました。お客さんは私達しかいません。
近くの林を散歩したときに撮った写真です。
京都は長崎よりも寒いので桜は満開というわけではありませんが、自然そのものの中に咲いている桜の下で写真を撮りました。まさに逍遙そのものだと言っていました。



林をもっと中に入ると、竹がありました。道パウがなぜか竹とマッチしています。
雨上がりで、とても清々しい散歩でした。
講演会とその後(2000/04/09)

講演会は、「まとまっていた」という感じでした。
東京のように、初めてだからハラハラするという感じはしませんでした。
扇子の踊りは大阪だけのものでした。
「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」という神の概念は、私が是非挿入して欲しいと頼んだものです。今度、内容についてはもう一度書き込みしたいと。
さて、その後のオフ会とカラオケは、導師は大満足でした。
カラオケのリズムに合わせて仙道の基本パターンを、笑いを取るという目的(笑)で踊る参加者にはびっくりしました。一瞬どうなるかと思いました。
しかし導師は大爆笑し、「修行はああやってやるものよ、日本に来て良かったわ」とまで言わせました。

ホテルに帰ったのが深夜の1時半。それから私は導師と修行です。
寝たのは私も導師も2時半で、翌日は9時半から伝授会でしたが、疲れている様子は微塵もありませんでした。
伝授会が終わったのが12時で、12時半には予約していたレンタカーで神戸に行き、道観を訪問しました。
この神戸の道観が、最も本場の中国に近いものでした。そして大阪市内に戻り、今、導師は買い物中です。私は一人レンタカーを返し、ホテルに戻り、書き込みをしています。
混沌とした水平線(2000/04/12)

下の写真は今日、熱海の植物公園の中にあるハーブティーの喫茶店から撮ったものです。
なぜ撮ったかと言えば、導師が次のように言ったからです。
「あの水平線を見て下さい。空と海の境がよく分からなくなっています。ああいう状態が天人合一に近い状態です。あの水平線の状態は混沌としています。混沌としているのは、とても大切なことです。」
私達は善悪の境をはっきりとさせようとします。違いに注目しようとします。
混沌としている状態のままでは落ち着きません。
しかし、仙道では混沌こそ、天人合一なのです・・・。
写真に写っている人影は、導師と通訳の人です。
「宗教を教えに来たのではありません」(2000/04/12)

この一言は導師が私と一緒にいるときに、何度か出てきた言葉です。
それを最初に聞いたのは船井さんの所です。船井さんはそれを聞き、『不思議の科学3』の彼のパートを道教から仙道に変えると言いました。
確か、講演会の最初も次の言葉から始まりました。「仙道は宗教ではありません。」
私がシンセンにいる間、彼女の口から仙道という言葉はほとんど出ませんでした。出た言葉は「道教」あるいは「道家」でした。
中国の歴史は4000年、道教の歴史は5000年、仙道の歴史は6000年・・だと言いました。
仙道の頃は、神はいませんでした。いてもそれはコントンでした。
そうしているうちに、老荘思想と土着の宗教が結び付き、道教が生まれました。
道教には神様がいます。沢山います。ある意味では老子もその一人になっています。リトンビンさえも神様になっています。
日本に来る2ヶ月ほど前、つまり導師の誕生日の2月の訪中で導師はこんなことを言っていました。
「仙道を教える許可をマスターからいただいた。日本では仙道を教えることにしたい」と。
講演会では仙道が科学の一つであることを、何度も強調していました。
「仙道は先駆者の仙人達が多くの実験によって創り出したものです」と。
強力な仙道(2000/04/12)

実を言うと、仙道の修練コースに入ったのは、私も今回が初めてなのです。
それは、導師が3月30日に来日した日から始まりました。毎日一時間ですが、導師のマンツーマンの指導のもと、修練が始まりました。
もともと基本的な静功(瞑想)は続けていたのですが、動功と一緒になったのは初めてです。
ところで仙道というのは、エネルギー主体なのですね・・。私はやっているうちに、汗びっしょりになりました。
東京講演が終わり、オフ会で花をいただいていました。その花を横浜、長崎、京都と持ち歩いていました。公共交通機関が多いので、全く水を上げられなくて京都に着く頃は、花はぐったりとしていました。
「もう捨てようか?」と言ったら、「それはテストに使います」と言われ、京都でそれは行われました。
陰陽が交差する23時・・。
私はぐったりとなったチューリップの蕾(つぼみ)に春のエネルギーを送るポーズをとりました(それは蕾のままで枯れてしまっていたのです)。
一分ほど経った時でしょうか、それは開花してしまったのです。その蕾だけです。
私はきゃーと叫び、導師も大喜び。ふたりでパチンと手を合わせました。
その後、夏のエネルギーを送ると、花は反っくり返るほど開きました。
次に秋のエネルギーを送ると黄ばんできました。
最後に冬のエネルギーを送るとしおれてしまいました。
再びトランプ占い(2000/04/12)

昨夜のことです。再びトランプ占いが行われました。
昨年の10月には、道教に入会しないと断言した私に、導師はトランプ占いをやりました。
それが一回で収束(全てのマークと数字が揃う)したので、12月には天人合一の修行を受けることが出来ました。
そして今回・・次のステップに行けるかどうかを占われたのです。
理由の一つは、「シンデンシェンは、ちっとも努力している風に見えない。こんな人に次のステップに行かせていいものか・・」という導師の悩みなのです(笑)。
以前徳のない弟子の話をしましたが、彼はとてもとても努力をして修行を続けています。
しかし、私は導師に言われた最低線しかしていないのです(笑)。
既に弟子の間ではこんな話も出ているそうです・・「なぜ導師はシンデンシェンに伝授を続けているのか?我々はその秘密を探るべく、彼を研究すべきではないか。」
この話は、ある時の伝授会でも言っていましたよね(笑)。
その秘密は・・まさかトランプ占いで偶然に勝ち続けているとは思わないでしょう(笑)。
そして今回も、一度で収束してしまったのです。
私は他の弟子達に対してトランプ占いが行われるところを何度も見ていますが、一度も収束をしたのを見たことがありません。
私は悪運が強いとしか言いようがありません。導師さえも「私がやきもちを焼くくらい、あなたは運が強い」と言いました。
次のステップの修行は三ヶ月後、または六ヶ月後に行われます。
「シンデンシェン、あなたはもう勝つしかない」などとも言われました。
それにしても、「次にハートの4が出ないと収束しない」というようなシチュエーションが何度かあったのですが、偶然にもそんな時はハートの4が出たのです。
既にトランプは切って、積まれているのにです。人生がトランプで決まっていく私です(笑)。
導師の意外な一面の発見(2000/04/13)

今回の来日で感じたのは、これほどまでにしっかりとやるとは思いませんでした。
これは導師に関する過去の私の書き込みとの差異になると思います。
実は、もっと「適当」な講演会と伝授会をやると思っていたのです。
私がシンセンにいるときは、もっと「適当」なのです。道教や仙道について、その時の思いつきで喋ります。
伝授ももっと「適当」です。一つの技を教えるのに二日はかかります。でも彼女が教えるのはほんの10分です。
私はそれを一日練習し、次の日に披露します。すると、例えば足の位置が違ったりすると、その足を蹴られます。
中国中級ツアーに参加した人は私が踊りを教わっているところのビデオを見たと思いますが、結構乱暴に教えていましたよね。
ところが来日して行った伝授会は、全然違うではないですか。私もあんなふうに教わりたいです(笑)。
社会性という点から見れば、彼女はかなり高いランクをいくのではないでしょうか。
東京のオフ会で「司会はどなたですか?」と訊いて、まず最初にその人と乾杯した時は、さすがだと思いました。
私が最初に言われた「シェーシェー」に通じるものがあります。
大阪オフ会に向けて、彼女の中で一つの計画が持ち上がりました。受けた以上の感謝の気持ちを返したいということで、天女と地球男性の恋の物語の寸劇が計画されました。
その後カラオケに誘われるのですが、翌日9時半からの伝授会を控え、私はどうしようかと迷いました。
しかし帰りのタクシーで彼女は言いました。「あれを断ってはいけないです。みんなものすごいエネルギーがありましたから・・。ああいう時には疲れません。」
その言葉通り、次の日はエネルギーたっぷりでした。

「切る」という言葉に誤解があったのでしょうか?
しかし私は彼女の「切る」という行為が常に行われていたような気がします。
まず、彼女はいつも高いエネルギー状態にありました。これは相手が彼女を切ろうとして切り込んできても、その刃はその人に向けられるような気がします。
つまり自分で自分を切ってしまうのです。
講演会と伝授会が終わった時、彼女は私に言いました。「教えた人の中で、たった一人続けてくれればいいんです。」これも、どこかで切ってはいないでしょうか?
大阪での扇の舞は、予定外でした。ですのでその時のテープの音はひどいものでした。
扇の舞をする気になったのは、ホームページのリアクションでした。
「感じ」を掴むことのできる聴衆だと分かったのです。呼吸を肌で聞けと言った通り、肌で感じることが大切です。
私はこの性質は、日本人の方が多いのではないかと思います。
彼女が褒めた和食の食器の様に、日本人は感情を大切にします。だから扇の舞を加えて、感じで伝えることを多くしたのだと思います。
こういう経験は、私個人がシンセンに行っても、決して得られるものではありません。
私に対する接し方は、ある程度固定されているからです。
毎晩二時間もかけてHPの書き込みを正確に訳させて、吟味したのにも驚きました。
彼女の記憶力はかなり良くて、一度出てきたハンドルネームは大抵覚えてしまいました。
今回日本で仙道を教えることは、彼女のマスターの許可を取っています。ですので帰国時に彼女が持参したハードコピーは、マスターにも見せるのではないでしょうか。
彼女はおみやげを全部自分のお金で買いました。当たり前のような話ですが、これは私にとって新鮮でした。
その中には旦那さんへのおみやげ、子供へのおみやげ(新幹線のおもちゃ)などがあります。自分へのおみやげは、着物の生地三着です。
彼女は一度パリに行ったことがあるのですが、道パウにしたい生地はパリに一つも無かったといいます。しかし日本ではことあるごとに生地屋さんに行き、迷いに迷って買います。どれも買いたいからです(笑)。
昨夜、香港の弟子から電話がありました。導師は「もう中国語は喋りたくない。日本語を喋りたい」などと言っているそうです。
私にとっても発見の多い仙道導師の逍遙旅でした。
潜在的神(2000/04/13)

「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」これは仙道における神の概念です。
今回の導師の来日で、私が得た気付きの中で、最大のものでした。
大阪講演では、私が導師に頼んで、この単語を黒板に書いて貰いました。
神は潜在的なのです。妙々冥々的とは、ボヤっとしたという意味です。
私はこの言葉に出会うまで(2000年3月31日まで)、神は意識的だと思っていました。いえ、前から直感的インスピレーションはあったのです。
お陰様という神は、潜在的神を言い換えたものなのです。蔭なる存在だから、潜在的なのです。ワダチという捉え方も、潜在的なのです。
私達はワダチに乗っていて、ハンドルは後から付いてくるものだと私は言ってました。
しかし神についての概念は違いました。神は相変わらずハンドルを切っていると思っていたのです。
しかし、神ですらワダチに乗っていないと誰が言えるでしょうか。神が潜在的だとすれば、この世の存在は全て潜在的かも知れません。
それでは何故、顕在意識を作ったのでしょうか?私はやはり、自由を感じるためだと思えるのです。
とは言え、潜在的神論は私の中に生まれたばかりなので、もう少し時間が必要です。

「いのちの世界」という、私の描いた図があります。あれはやはり人間の内側世界かも知れないと思いました。外側の世界を描いたつもりなのに、内側なのです。
大阪講演では少し喋りましたが、私達のすぐ近くには顕在意識があります。しかしその外側には広大な潜在意識の世界があるのです。
そして顕在意識と潜在意識の合一が「天人合一」なのではないでしょうか?
魂を磨いて神に近付けと言われても、私には辿り着けない遠い世界のように思えます。
それは顕在の世界だからです。私は顕在の世界で善人になり切ることなど、出来そうにありません。
しかし神が潜在的なら、私にもチャンスはありそうです。
チャンスどころか、私は「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」という言葉を知った瞬間、神との一体感を感じることが出来たのです。
仙道は動功と静功をします。動功でエネルギーを高め、静功で潜在的神にアクセスするのではないでしょうか。
瞑想で本当の自分に遭遇できるのは、潜在的神に遭遇できるからではないでしょうか。
日本の道観(2000/04/13)

横浜、長崎、神戸、箱根の道観を訪れました。
函館にも鎌倉にもあったのですが、いずれも閉鎖されていました。
横浜では入場券の他にお線香も買わされ、お線香を立てる順番まで指定されていて、初心者の私ですら少し閉口しました。
長崎では仏教と同居し、まさに混沌としていました(笑)。
神戸はかなり純粋な道観でした。小柄ですが、美しさがありました。
箱根は、やはり仏教と同居していました。おまけに住職さんが出てきて、台湾の道観との深い関係を、政治家の名前も出しながら説明し、少し閉口しました。
感想を導師に聞くと・・・日本の道観は香港と似ていると言いました。
潜在的妙々冥々的無形的主宰力の世界を感じさせないのです。
神様を祀ってあるのですが、それは願望実現系の神様なのです。
修練エネルギーというものも感じないと言っていました。
一番気に入ったのは、神戸の道観です。ひっそりとした住宅街にあります。
道教→道家→仙道(2000/04/13)

このコーナーのタイトルはこのように変遷しました。全部導師の指示です。
「私は宗教を教えに来たのではありません」とも言いました。
日本にいる間、彼女は「道教」という単語をほとんど口にしていません。
しかし、私がシンセンで聞いていたのは仙道ではなく、道教です。
でも、彼女が専門にやっているのは仙道だということは、知っていました。
「仙道を教える許可が下りた。」日本に来る二ヶ月前に彼女はこう言いました。
秘密にしていた仙道の世界を一般に出すときが来たと、導師のマスターは言ったらしいのです。その最初が日本でした。
ですから伝授会の時にも言っていました。「これは中国でも教えたことはありません。」
伝授会のビデオを撮ることは、始めから禁じられていました。受講者はあの場で記憶するしかないのです。
あれだけでは分からないので図解で説明してくれという要求が不思議研所に来ていますが、それは無理なのです。
道教→道家→仙道という道筋は、歴史を逆行しています。
仙道は道教の一部だと言われていますが、彼女の中では分かれています。一部だというのは、人口的な意味だと思います。仙道をやっている人は道教の中でも一部なのです。
しかし仙道は道教に入会しなくても奥深く入っていけます。今のところ、私がそれです。
「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」はインプットする側(2000/04/14)

奇妙な題名です(笑)。何がインプットでしょうか?
私達は自分の肉体に対して命令をしています。ああせい、こうせい・・と
思考し、決断し、それを自分自身の肉体にインプットするのは理性(顕在意識)だと思っています。この視点からすれば潜在意識はインプットされる側なのです。
潜在意識にはいくつもの設定項目が付いていて、それをクリックしながら設定を変えていきます。その行為が「成長」だと思っています。
コントロールする人生が可能だと思っています。悪を無くし、善に生きようとします。
しかし・・神は「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」でした。
システムは逆なのではないでしょうか?潜在意識はインプットする側なのです。主導権は理性にあるのではなく、潜在意識にあるのです。
しかし、これとて全面的に主導権があるわけではありません。理性の側は「成長」しようとするからです。それでぶつかります。
「そんなバカなこと、出来るわけないよ」と言います。子供じみていることは、カットされます。
潜在側は、インプットしたいことは、たくさんあるのです。でも、出来ないのです。
潜在意識こそ神に繋がっているのに・・・。
私は学生の頃、放送研究会というところにいて、ラジオドラマを作っていました。まさに頭でっかちで精神論をぶっていました。
でも、卒業するときに思いました。「もう、語ることでは勝負できない」・・・と。
どんなに良いこと言っても、自分でやらなければダメなのです。「やる」とはどういうことでしょうか?
理性がやった時、それは偽りなのではないかと思います。理性がやった時、本当の理由は別にあるのです。

話は脱線しますが、不思議研究所で『時空の旅』というCDの売れ行きが良いのです。
嬉しい話なのですが、不思議研究所はそれで忙しいのです。残業まで発生してしまうのです。
「じゃあ、値上げしてしまえばいい」と私が言いました。しかし理由が必要だと言われました。
「理由など無いと言えばいい」と私が言うと、「所長はそう言えますが、私達はそうは言えません」と言われました。それで値上げはペンディングになりました(笑)。
確かに世の中では「理由なし」なんて通りません。「ちゃんとした説明をしろ」、「納得できるような説明をしろ」と言われます。
納得できるような説明・・・私達は自分自身にもこれをしています。
潜在意識からインプットされた信号は、その時点で消え失せます。葛藤だけが残ります。
「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」はインプットする側・・これが本当だとすれば、私達自身はアウトプットの側なのです。
なのに、自分の意識が主役だと思ってきました。意識を変えればすべてが変わると思ってきました。
しかし、そうやっても葛藤が増えるだけ・・私はそう思います。
しかしこれだけでもなさそうです。
導師は講演会で言いました。「自然は私達も作り替えることが出来る」・・と。
つまりこの情報も、インプットされる側に入れてしまえば良いのです。
修練は創造的に、しかも自然と一体に・・
とすれば、「潜在的妙々冥々的無形的主宰力」はインプットする側&アウトプットする側・・とも言えるのです。
この場合、あくまでもインプットが先だというのが、この書き込みのメインテーマです。
『混沌からの出発(五木寛之、福永光司著)致知出版社』より(2000/04/15)

この本は道教についての本です。ちょっと面白い事が書いてあります。
 湯川秀樹の理論物理学を、同じ京都大学出身・ノーベル賞科学者の朝永振一朗氏が次のように論評しています。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
彼の仕事を通じて気がつくことは、モヤモヤとしたものをモヤモヤとしたままでとっつかまえて、あれこれ考えをめぐらす独特の型である。
 彼自身しばしば言っているが、彼は「こんとん」を愛している。「こんとん」の好きな人は少なくないが、彼の場合はこんとんが物理と共存している点で独特であるようだ。いや、こんとんの中からいつのまにか物理があらわれてくる。
 モヤモヤしたつかみどころのないものをつかまえるということは、精神の非常な集中と執念を必要とする・・・。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
『儒教は正邪、正しいか間違っているか、善いか悪いか、が価値判断です。これによって価値判断し、上下関係を秩序づけます。
 しかし本来的な道教にはそのような価値判断はありません。道教においては、正しいか間違っているか、善いか悪いかなどは二義的な問題なのです。』
 これは本の抜粋ですが、私が興味を持ったのは「上下関係を秩序づけます」という点です。
 価値判断というのは、上下関係なのですね・・。考えてみればこれは正しいかも知れません。
 数多くの精神世界では、「選択」とか「価値判断」が重要視されます。しかし、それは上下関係を作っているのです。
 思想の上下・・価値の上下・・そして・・人間の上下・・
秩序とは切り捨てること(2000/04/15)

導師に「混沌の逆は何ですか?」と質問しました。例の、空と海の混沌を見た喫茶店を出た直後です。
随分と長いこと考えているので、「不混沌てすか?」と訊いたら「そういう単語はない」と言いました。
結局混沌の反意語は見つかりませんでした。
ふと思ったのですが、混沌の逆は「切り捨てること」だと思うのです。
精神世界ではすべては自分が創り出しているとよく言いますが、これは他の要素を切り捨てているのではないかと思います。
精神的な安定を得るために、秩序を必要とする人が多いです。
例えば、「超能力はトリックだ」・・これも一つの秩序です。「超能力はある」・・これも秩序です。
これらは肯定文ですが、よく考えると他の要素を切り捨てるという否定的行為のように思えます。
360度の可能性を切り捨てて、ある方向に向かおうとします。
行動規範書とは、切り捨て方を書いた書かも知れません。
導師の経過(2000/04/15)

最初、東京に来たときは、導師はあまりノッていませんでした。
税関で全ての荷物を調べられ、ご機嫌斜めで出てきました(笑)。
リムジンバスで新宿に着いた時、言った一言は「東京って、なんて暗いの?」でした。
確かにシンセンの方が明るいのです。しかもシンセンの方が高層ビルが沢山あります。
ただ、ヒルトンホテルでは和室付きのスイートを予約しておいたので、その点では満足していました。
ノッてきたのは、講演会の日あたりからです。前日とは全然違うエネルギーレベルになっていました。やはりさすがです。でも導師は少しあがっていたと思います。
私も初めての講演会ということで、少し緊張していました。でも・・
導師はあの私との踊りで、彼女のステップを間違えたのです。私の方がリードしていたような感じの踊りでした。
その後、オフ会に出て、エネルギーは次第に上がっていきます。

導師が変わってくるのは、みなさんのリアクションを読むようになってからです。
そして、みなさんへの返事を書きたくなりました。
長崎、京都、奈良と旅する中で、扇子の踊りをすることに決め、さらにオフ会の寸劇も決めました。
私との修練も厳しくなる一方でした。「シンデンシェンはやる気があるのか?」と言われたこともあります。私は正直に黙っていました(笑)。
そして大阪講演会になります。
踊りでは、私が間違える羽目になりました。一瞬ですが、私のステップが遅れたのが分かりましたか?
そしてオフ会。一時はオフ会には出ないかも知れないなどと言っていましたが、導師がいちばんノリノリだったのではないでしょうか?
結局、導師の調子は尻上がりに上がっていきました。
しかし、東京講演会は仙道を教えるという最初の機会ということで、緊張感もあり、エネルギーは凄いものがあったと思います。大阪の方がリラックスしていました。どっちもどっちでした。

この写真は、導師が最も気に入っているものです。
書き込み期間:2000/03/31〜2000/04/15