もりけん語録
テーマ:「モンロー研究所」
書き込み期間:1999/08/05〜1999/08/13
要旨:
 中国での道教修行から帰国してすぐに、今度はアメリカのモンロー研究所に行きました。今回調査したいのは、高次元の存在、ルーシュの出所、フォーカス35を超えた世界などについてです。高次元の存在達は人間にルーシュを生産させてそれを食べているという話があり、ルーシュとは愛に相当するもののようなのです。
 最初のセッションはフォーカス27からです。私は1年ぶりのドアに遭遇し、「あなたが生きていく目的は何ですか。」という質問を受けて、「成長するためではなく、本当の自分自身であるためです。」と答えました。ドアは開きました。
 その後のセッションでは、ITC(電子機器を使った霊界通信)にチャレンジする、フォーカス27に置かれた情報を見てくるなどの課題が出ました。

 もう一つのセッションは、課題を設けず自由にフォーカスレベルを探査するというものです。私は存在からMエナジーの攻撃を仕掛けられました。しかし私には何ともありません。また、彼らは「なること」「変わること」をしきりに教えようとします。私が「あることの方が大切なんだよ」と伝えると、彼らは姿を消しました。
 私は存在から脅しを仕掛けられた時、「やってみなさい/私からは愛を送ります」という二つのメッセージを同時に送りました。このとき私の頭が二つになっていたことに気付き、それ以来、私は矛盾する二つの考えを同時に持てるようになったのです。
 私が存在に愛を送ると、「ありがとう」というメッセージが返ってきて、融合する感覚がありました。彼らは、我々に情報を送ることでしか存在できなかったのかも知れません。本当は愛が欲しかったけれど上手く伝えられなかっただけなのかも知れません。
 フォーカスの最高領域を体験して気付いた事があります。「本当の私」であるためには、「誰でもない私」でなければなりません。「私は誰でもない瞬間」の中に、全体と融合した私がいるのです。囚われ領域の存在達は、私達に選択や成長を迫ります。しかし、私自身と遭遇することは私自身でしか出来ません。他の存在に遭遇させてもらうことは出来ないのです。私達はパラドックスの世界に生きている・・・だから「生」は面白いと言えるのかも知れません。

 最終日のセッションで、自由についての気付きを得ました。自由とは、「〜からの自由」と「〜への自由」の二つがあるということです。「〜からの自由」は物理的な束縛からの自由です。もう一つの「〜への自由」とは、精神的な自由です。
 「〜への自由」を勝ち取るために戦ってきたのが人類の歴史でした。しかし「〜への自由」は、外的な環境や条件に関わらず、誰にとっても変わらず平等に存在します。それこそが本当の自由ではないでしょうか。
 もう一つ得たのは、「私達は『全体』の中にいる」という気付きです。自己を意識する私達は、同時に孤独を感じます。しかし本当の自分は、自分の中には無かったのです。自分という意識を捨てて瞬間に生きる時、全体と融合した本当の自分が入り込みます。
 自分でも戸惑うほどぶっ飛んだ仮説ですが、この視点から考えれば、私達は全てオンラインで繋がっている存在なのです。その全員を通じて、神は世界を体験しているのです。

目次
○ ワシントンDCの空港にて(1999/08/05)
○ ルーシュについて(1999/08/05)
○ 第一日の報告(1999/08/05)
○ 瞑想と体操(1999/08/05)
○ 二日目の午前中(1999/08/06)
○ ITC(1999/08/06)
○ よもやま話(1999/08/06)
○ いくつかの報告(1999/08/07)
○ 二つの顔(1999/08/07)
○ 発想の転換が必要(1999/08/07)
○ 今回の最高領域での体験(1999/08/08)
○ あれから(1999/08/08)
○ ワシントンDC空港にての雑記(1999/08/09)
○ 帰りの飛行機の中で1(1999/08/09)
○ 帰りの飛行機の中で2(1999/08/09)
○ 自由の違い(1999/08/09)
○ 私の感覚(1999/08/10)
○ 私のバンガロー(1999/08/10)
○ おやつコーナー(1999/08/10)
○ 兄弟(1999/08/10)
○ ローリー・モンロー(1999/08/10)
○ 最後の写真(1999/08/11)
○ 囚われたマスター達(1999/08/13)
○ 私達は「強い」、しかし上ほど「弱い」(1999/08/13)
ワシントンDCの空港にて(1999/08/05)

 今度のモンロー研行きは、中国調査とこんなに接近して行うつもりではありませんでした。私は9月の後半に行く予定でした。しかしそのコースは既にいっぱいだったのです。
 フォーカス35を越えるというコースは、少数精鋭ということでMAX18人なのです。他のコースは25人のところをです。
 そして8月のコースならあと二人空いていると言われ、ここに申し込んだのです。今回を逃すと、来年の5月までありません。それでは遅すぎます。
 中国で仙人ローブを貰った直後にモンロー研に来るのも、何かの意味(そんなのないって??)があるのかも知れません。

 今回のモンロー研では、いくつかの課題を持っています。
 ●「存在」と「存在世界」と「非存在」について調べる予定です。特にルーシュに関して調べたいです。これを読む人は、ルーシュって何?と思うでしょう。ルーシュとは、私たちの「愛」のようなものを指し、それをご馳走にしている「存在」がいるらしいのです。さらに、「存在」について論じる地球人達が、なぜ波動が低い(私は正直なところそう感じる)のかを知りたいです。
 ●フォーカス35を越える世界と、導師が案内した六次元の関係を知りたいです。
 ●モンローさんは、時空の始まりまで行きましたが、私はそれを越えてみたいのです。
 ●「気」と言われるMエナジーについて、もっと調べたいです。

 あと30分で飛行機が出ます。30人乗りくらいの小さなプロペラ機です(笑)。これでモンロー研の近くの飛行場に行きます。
 着くと自己紹介から始まり、いよいよ外人達に混じってモンロー研の日々が始まります。

ルーシュについて(1999/08/05)

 私は今までのモンロー研究所では、ルーシュについての情報を貰っていません。このルーシュはフォーカス35を越えないと出てこない課題なのです。
 モンロー氏は、このルーシュについての情報を貰ったとき、怒りまくります。モンローさんの言葉を書き写してみましょう。
 「もしこれが本当だとしたら・・、私にいろいろな感情がわき上がってきた。怒りの念、大がかりな詐欺を受ける側にいる感覚。操られていることに対する反感。私たち人間全部を欺いている者たちに一発食らわしたいという欲望。私たちの許可や許しも無しに私たちから何かを奪っている者たち。自由という考えはどうなってしまったのか。単にどこかの朝食のテーブルに載ったり、燃料タンクに供給するためのルーシュとかいう何物かをより多く生産するために私たちは存在するのか?」
 まあ、こんな感じです。モンローさんが体脱の際に怒るのは、この部分だけです。
 そして色々調べた結果、ルーシュは愛ではないかという結論に達します。
 つまり高次元の存在達は、人間に愛を生産させて、それを食べているのです(笑)。
 しかし考え方によっては、これは大変面白いのです。だって、私達は愛を崇高なものだと思っています。愛しさえすれば、何も要りません。愛が全てです。何故でしょうか?
 もしも愛が大好物の高次元の生物がいたとすれば、どうやって人間に愛をたくさん生産させるかを考えるはずです。モンローさんは、乳牛に例えています。そして高次元の存在を人間に喩えています。
 私達人間の存在は、それほど崇高なのでしょうか?ルーシュの理論からは違います。
 私達は乳牛なのです。愛に失敗した誰かさんがいたとすれば、それは乳の出が悪い乳と同じなのです(笑)。
 みなさんは乳をいっぱい出して、高次元の存在に貢献していますか?(笑)
 まぁ、こういったところです、ルーシュとは。
 しかしモンローさんの2冊目の著書『魂の体外旅行』のメインテーマは、ルーシュだといっても差し支えありません。
 私はルーシュの出所を突き止めたいのです。しかし、本当にこの通りのルーシュだったとしたら、どうしましょう・・。

第一日の報告(1999/08/05)

 昨日は自己紹介とイントロダクションだけで終わりました。
 私はさっそく仙人ローブで登場しました。非常にウケは良かったです。「おお、東洋の強者が来た」と言う感じで、印象は悪くありません。
 今はこちらの時間では朝の7時前です。私は昨夜、22時に寝てしまい、それでも朝の4時に目が覚めました。4時に外に出ると満天の星でした。
 ここはモンロー研の旧校舎から1キロほど山中に入ったところです。
 私は個室が与えられ、部屋にはシャワーとトイレが付いています。旧校舎は4人に一つだったので、だいぶ改善されています。部屋は10畳近くある広さです。
 歩いて行ける所にクリスタルヒルという場所があります。水晶だらけです。
 昨夜のイントロダクションで、一人で山中に入らないようにと言われました。熊などの野生の動物にたくさん出くわすらしいのです。
 今回のセッションは、ローリー・モンローという、モンローさんの娘さんが全部取り仕切っています。
 「ケン、明日の昼食は二人で食べましょう。じっくり話しがしたいわ」と言われてビビっています(冗談)。
 結局昨日は24時間以上起きていましたが、それでも6時間寝ただけで快調です。
 今日から何と、一番メインのセッションは朝の三時から行われます。これはモンロー氏が、睡眠と睡眠の間に行う体脱が、最も確率を上げたということからきています。
 いよいよ本格的に始まります。

瞑想と体操(1999/08/05)

 前の記事をアップしてから森の中に入り、仙人エナジー体操(太極拳に似ている)と仙人瞑想をしてきました。しばらくやって後ろを見ると、外人たちが真似をしました(笑)。
 今回は15人の参加者で、アメリカ以外ではドイツから2人、デンマークから1人、それに東洋からは私です。
 昨日の自己紹介では、英語がそんなに上手くないからねと言ったら、日本に一年住んでいたというアメリカ人が「ケン、日本語よりも上手いよ」とお世辞を言ってくれました。
 彼は一年も住んでいながら、「どういたしまして」しか言えなません(笑)。さらに、その意味すら知りませんでした。
 前回とても嫌なヤツがいて、「あんたの英語は全く解らない」と言われました。さらにそのオヤジは、「お前の研究なんか、アメリカじゃぁ100年も進んでいるよ」と言ったのです。彼は嫉妬のかたまりだったような気がします。今回はそういう右翼はいそうもありません。
 今、顔を洗ってきたら、ちょうど顔の真ん中が赤くなってきていました。これは仙人瞑想と仙人体操の効果だと思います。朝食は8時からで、それが済んだら9時からセッションです。
 その前にもう一度体操と瞑想をやりましょう。

二日目の午前中(1999/08/06)

 いきなりフォーカス27から始まりました。私の体調はとても良く、何の抵抗もなく体脱は成功しました。
 私は久しぶりにあのに世にある「ドアさん」に直行しました。質問が待っているはずだからです。さらにこの一年の出来事について、私もドアに確認したかったからです。
 ドア「あなたが生きていく目的は何ですか。」
 きましたきました、とっておきの質問が・・。
 私「成長するためではなく、本当の自分自身であるためです。」
 ドアは開きました。これで一年間の総決算が出来ました。
 この話を発表会でしたのですが、「あること」と「なること」をも喋ったので、外人達も黙って聞いていました(外人達はえてして人が喋っている時にジョークを入れることが多いのです)。
 そして喋り終わると、「今のを録音しておけば良かったわ」と言う人までいました。
 そしてお昼の時に、ある外人からプライベートに呼び出されました。そして小さな紙切れを渡されました。そこには「す、す、好きです」とは書いてありません。
 「私達はずっと兄弟だったような気がします」と書いてありました。
 しかし60歳くらいのオジサンにそう言われても・・。どうして良いか(笑)。
 お昼を食べた後、私はモンロー女史から呼び出され、車に乗せられて・・。
 そう言えば二人で話がしたいと言っていました。しかし何も車に乗らなくても・・。
 私の妄想が始まりました。いよいよ、カーセ○クスで迫られると思いきや・・。
 旧校舎に連れて行かれ、なんとそこには3人の日本人がいたのです。2人は男性、1人が女性です。3人とも、私に会えてとても感動してくれました。
 そうです。『不思議の科学』を読んで、モンロー研のゲートウエイを受けに来たのです。
 今日は彼らにとっての最終日でした。3人のうち、1人は2回ほど、完璧に体脱に成功した様子でした。
 3人とも20代の若者です。普段は瞑想仲間だそうです。インターネットで私がここに来ていることを知り、是非会いたいと頼んだらしいのです。
 友達同士で来るのも悪くありません。少しでも日本語が使えるというのは、ストレスを減らしますので・・。
 彼ら3人とも、仙人ローブの私と写真を撮りました。フナイオープンワールドには行くと言っていました。
 彼らと別れ、私が新校舎に戻ると、外人達はプールに入っていました。そうです。ここにはプールがあるのです。私も持ってきた水着を着て、外人達とプールのバスケを楽しみました。
 さあ、午後のセッションはこれからです。どうなるのでしょうか?

ITC(1999/08/06)

 午後はITCにチャレンジしました。ITCとは電子機器を使った霊界通信です。
 『不思議の科学』には、モンロー研究所も研究していると書きました。
 今日はあそこに書いた通りのことをやったのです。私達はあの世に行って、モンロー研のパソコンにメールを送ります。
 あの世のインターネットカフェにあたる所は、「タイムストリーム27」と言うらしいです。もしも死んだ誰かに通信を送って欲しかったら、まず「タイムストリーム27」に行かなければならないことを知らせる必要があります。
 しかし今回の我々被験者は、全員が通信文を送れませんでした。たぶん、「そんなことはできるはずがない」という意見が多々出てしまったことに原因があるでしょう。
 何故そういう意見が出たかというと、最初、資料となる通信文をみんなで聞いていたとき(それは電話を通じて来た)、あの世の存在が「息継ぎ」をした箇所を発見してしまったのです。あの世で、息継ぎをするのか???
 体脱をすれば宇宙にだって出て行けます。肉体が無いから空気は要らないからです。
 さて、明日の朝は3:30に起きて、セッションをしなければなりません。では。

よもやま話(1999/08/06)

<UFO遭遇>
 これは来るときの飛行機の話です。
 私の乗った飛行機はアラスカ上空にさしかかりました。夜でした。機内の電気も消え、乗客はみんな寝ていました。
 私はふと、外に気配を感じて窓を少し開けました。するとそこにはUFOがあって、飛行機と同じ速度で飛んでいました。私は比較的後方に座っていましたが、UFOは私のすぐ横でした。UFOはオーラの様に輝いていました。
 「カメラ、カメラ・・」と私が鞄に手をやろうと思った瞬間でした。それは光速で後方に飛び去りました。

<朝三時半のセッション>
 それは始まりましたが、周波数が狂っていました。ガイダンスの声は1オクターブも高く、ヘミシンクも明らかに狂っていました。ヘッドホンをしているだけで頭が痛くなります。
 突然、私のブースが揺れました。ミシミシという音までしました。
 私は飛び起きて外を見ました・・。タンスの上に無造作に置いたTシャツの、蛍光プリントの宇宙人のみが輝いていました。
 後から聞くと、周波数はおかしくなかったといいます。
 以前、鹿児島講演ではマイクが3本も壊れ、スライド映写機が二台も壊れました。講演をやっていられる状態ではありませんでした。その時、上空にUFOを見た人がいたといいます。
 深夜のセッションで、面白いメッセージを受けました。彼ら「存在」こそ、癒されるべき存在だったのです。私達のルーシュによって・・。
 バシャールさん、銀河連合の××さん、ラムサさん、寂しかったのですね・・。

いくつかの報告(1999/08/07)

 午前中のセッションは二つありました。その一つは、変わった透視ゲームです。
 ロバートモンローの娘さんが、あるインフォメーションをフォーカス27に置いてくるといいます。私達はそれを見に行くのです。
 あるインフォメーションは疑問形の文章で、何を書いたかは封筒の中に入っていると言って、分厚い封筒を見せてくれました。
 正直言って、私はこういうのが嫌いです。自由にフォーカス27を楽しんできたいのに、課題があるとそれに縛られてしまうからです。
 それでもフォーカス27に出て行った私は、あちらのモンロー研に到着し、そこで一つの封筒を見つけたのです。開いてみると英語の文章が書いてあります。
 「あなたの友達や、あなた自身をヒーリングするとき、一番大切なことは何ですか?」
 そう書いてありました。
 帰還してから渡されていた紙にそれを書き、提出すると、なんと私だけが当たっていたのです。それも一字一句間違わずに書いていたのです。
 実は、私もびっくりしました。体脱は夢ではないかと思いつつあったので、このテストは再び確信をプレゼントしてくれたからです。
 伊達に仙人ローブは着ていないな・・とある外人から言われました。私は中国語でシェーシェーと言いながら両手を合わせる真似をしました。それはとてもウケました(笑)。
 私はその質問に対する答も書いておきました。
 「ヒーリングは、子供心の純粋な気持ちでやることです。意識を持ってはいけません。意識は念力に変わり、副作用を起こします」と。

 私はHPの他のコーナーも見るだけは見ています。『蛍の墓』のことが書いてありました。
 彼ら兄弟は、親戚の家を出ますよね。あれがキーになって二人は死んでしまうのではないかと思いました。でも二人は自由が欲しかったのですね。不自由に生きるよりも自由に死にたかったのだと思います。
 ここモンロー研でも、私は孫さん達の写真を見せています。それを見せると、大半の人は驚きます。何人かはどうでも良いという顔ですが・・。
 私は彼らに言いました。「多くのアメリカ人はこれをトリックだと言いました。理由は中国人は共産主義者だからという理由で。」
 するとそれを聞いていたアメリカ人が言いました。「とんでもないです。私たちは主義主張で差別はしません。」
 私は咄嗟に次の言葉が出てしまいました。「そうでしょうか?NATOは、中国大使館を破壊しました。」
 これには全員が黙ってしまいました。
 孫さんが呟いたことがあります。スタンフォード大学が孫さんの調査に来たときです。
 「アメリカ人は、私達をモルモットみたいに見ています」と。
 フォーカス27に行き、「自由こそすべてだ」「ワンネスだわよね」こう言いながら涙の発表をするアメリカ人に、例えばあの『蛍の墓』はどう映るのでしょうか?
 アメリカ本土が空襲を受けたことはありません・・。
 アメリカ人にとっての自由、私にとっての自由、孫さん達にとっての自由、そして『蛍の墓』の二人にとっての自由は、みんな違うような気がしました。

 さて、午前はもう一つのセッションがありました。それは何も課題がなく、自由にフォーカスレベルを探査できるセッションでした。
 私は既に何体かの「存在」と遭遇しています。そのやりとりの詳細は、この1時間の休み時間では、とても書き切れません。
 フォーカス35の外側には、存在達の囚われ領域があったのです。ちょうど三次元の外側がフォーカス23という囚われ領域で、一次元落ちた感じになったようにです。
 その上には囚われていない存在の領域があります。両者の差は、まさに「あること」と「なること」なのです。囚われている存在は、「なること」で存在しているのです。
 Mエナジーの技術を磨いている者もいました。しかし残念ながら、私には何の効果もありませんでした。逆に私が導師から教わった密法でエナジーボールを作ろうとすると、彼らは消えてしまいました。
 彼らは「綺麗事」の攻撃を仕掛けてきます。彼らは自分達がグル(導師)になりたいのです。地球を死滅させない方法を教えたりもします。あなたはそのために選ばれた人だと私に言いました。
 私は「冗談を言ってはいけません。私の心が読めないのですか?選民意識なら、別の人にあげて下さい。私は私であることで充分なのです。それが最終的には地球を救うとさえ思っています。」こう伝えると、彼らは消えます。
 バシャール、ラムサ・・彼らは私たちに「なること」を教えます。「周りを変えるのではなくあなたが変わりなさい」と言って、「変わること」=「なること」を言います。
 彼らの言葉を受けることの出来るチャネラーにより、精神世界には「自分を変えよう」という機運が広まりました。それはある領域の「存在」からのメッセージだったのです。
 彼らはMエナジーを直接送ることは出来ません。送れるのは情報だけです。情報により、私達を引っ張り込もうとしています。
 それ無しには、彼らは存在出来ないからです。まさに自分達が存在したいがために、我々に情報を送っていたのです。
 「あることの方が大切なんだよ」と言うと、彼らは消えます。どこに行っちゃうのでしょうか?
 そうそう、瞑想コーナーに「今この瞬間に100%生きる」ということと「体験に学び進化すること」とは厳密にいえば両立しないのだろうか?という書き込みがありました。
 これが両立しそうなのです。

二つの顔(1999/08/07)

 フォーカス35に行く旅は、何とも感動的で、言葉を越えたものがあります。今回は参加者みんなが行けた様子です。
 今、こちらは夜の11時半です。また朝の3時半から、セッションがあります。
 実は夜のセッションの体験発表を今までやっていました。寝るのがやっとというスケジュールです。だから簡単に報告を書きます。
 今回の報告会では、「存在」のことが話題に上りました。他の人達も遭遇しているのです。
 ある参加者は「肉体を持たない存在が、私たち肉体を持った存在に干渉すべきではないんじゃないかしら・・」という意見を出し、これはかなりの賛同を得ていました。
 私はといえば、面白い体験をしました。脅しをかけてくる存在にA「やってみなさい」B「私からは愛を送ります」これを同時に言ったのです。
 このとき初めて気が付きました。私の頭が二つになっていたのです。それ以来、私は矛盾する二つの考えを同時に持てるようになりました。
 私は「存在」に愛という感情を意識しました。すると向こうからも近づいてきて、私達はしばらく融合しました。存在からは「ありがとう」というメッセージが返ってきました。
 ルーシュ・・きっと彼らは欲しかったのだけど、うまく言えなかったのです。
 今回、健一には「声」のみでしか遭遇できません。映像エナジーとして現れません。理由は不明です。では。

発想の転換が必要(1999/08/07)

 三次元の我々は最も次元が低いので、何か劣等感のようなものがありました。
 それは大きな間違いです。上は下を支配する・・いやいや、そうではありません。
 どの次元の存在も、その次元の存在同士か、もしくはこの三次元の我々としか連絡を取れません。
 孫さんの指導霊は5人いますが、それぞれの指導霊同士は知らないのです。孫さんを通じてしか、連絡を取れないのです。
 また、指導霊だけでは何も出来ません。ピーナッツ一つ蘇生できません。
 最も力を持ったのが我々なのです。

 以上は夜書きました。しかし今は朝で、とても眠いです。
 だから内容のある話はやめて、受講生のよもやま話を書きましょう。
 私の昨夜の発表以来、神と呼ばれる人が出てしまいました。私が『神との対話』に出てくる「神」のような存在の話をし、風体が××さんに似ていると冗談を言ったら大ウケし、とうとう彼は神になりました(笑)。
 すぐに上半身を裸になるヤツがいます。私は彼に向かって「パカパカ走ってこい」と言ったら、なぜかそれ以来「パカパカ」だけを口にするようになりました。パカパカ普及会のアメリカ支部長になれそうです(笑)。
 名犬ラッシーのドラマに出てくるママ(ルーシーだっけ?)にそっくりな女性がいます。とても「ポジティブ」でついて行けません(笑)。
 「今の話は彼の英語が早すぎて理解できていないでしょう」と、私に向かって通訳をしたがるドイツ人がいます。嬉しいのだけど、とても迷惑です(笑)。
 「ケンと私は兄弟だった」というヤツ・・いつも発表の時に「今回もケンに助けられて・・」と妙に感動しながら発表します。
 中国には車で行くのか?と聞いたヤツがいます。地続きだと思ったらしいです(笑)。
 編み物しかしない女性がいます。ルーシー以外はみんな結構無口です。マニアしています(笑)。
 最終日が始まります。ビヨンド35をバンバンやるでしょう。しかし・・まだ、眠い・・。

今回の最高領域での体験(1999/08/08)

 フォーカス35の上には囚われた存在達の領域がありました。
 なぜこの領域が出来たのでしょうか?それは地球のフォーカス23で地球の輪廻転生の際に引っ掛かった霊たちのように、他の惑星を含む輪廻転生で引っ掛かった存在達によって作られたのです。
 地球の輪廻転生を終えると、他の惑星の経験が始まります。それをいくつかこなしていく段階で、何かの原因で引っ掛かるのです。
 フォーカス23では肉体への執着から引っ掛かりが生じていました。
 囚われの存在たちの領域では、成長に対する執着から引っかかりが生じていました。
 フォーカス23の霊たちが孤独だったように、ここの存在達も孤独です。仲間が欲しいのです。成長という執着を一緒に味わってくれる人達が欲しいのです。
 フォーカス23の霊たちは霊能者によってコンタクトされます。囚われた存在達はチャネラーによってコンタクトされます。
 その上の領域は次への飛躍を待つ存在達の領域です。次へ行くまでの束の間を楽しんでいるという感じです。ちょうどフォーカス27から35にあたります。
 私達の本当の実体も、ここにあるのではないかと思います。
 囚われの存在達の領域も、飛躍の存在達の領域も、非常に細かく領域が分かれています。領域間のコミュニケーションは、なぜかありません。
 飛躍の存在も、三次元の我々にコンタクト可能です。しかしコンタクトや補助があっても、彼らは私達の生き方に干渉しないのが原則のようです。
 何故かというと、生き方に干渉することは、せっかくの私達の肉体体験に制限を加えることになるからです。
 その領域の上には何があるのでしょうか。
 その上には、信じられないと思いますが、全体と融合した「私自身」があります。
 私達は最終的には、どうも、ここを目指しているのではないでしょうか・・。私は私であり、全体でもあるというところです。

 さて、私はこれまで「本当の私であること」を何度も言ってきました。
 しかし、「本当の私である」ためには「私は私ではない」あるいは「私は誰でもありません」にならなければなりません。何故でしょうか?
 ブッダは「すべての真理は否定形にある」と言いました。実に良い表現です。
 私は私であると言った途端に、私は全体ではなくなります。私は私であると言っている限り、私は相変わらず孤独です。自然から切り離された存在でしかありません。
 しかし「私は誰でもない瞬間」を味わってみて下さい。そこには全体と融合した私がいます。孤独ではない私がいます。
 私は本当の私であると言うとき、私という人は支点(視点でも可)が必要になります。責任を持って選択するための支点です。何かの支点がないと、人は選択できません。
 しかしよく思い出して下さい。あなたが支点を考えた瞬間、それはあなた自身から離れるはずです。その支点は本で読んだ論理であったり、社会の規範だったりするはずです。
 選択という行為がなければ、人は支点を必要としません。人は自動的に選びます。その瞬間、人は本当の自分と遭遇しており、全体とも遭遇しています。
 囚われの存在達が、なぜ次元が低かったかと言えば、選択を迫り、成長を迫っていたからです。バシャールしかり・・ラムサしかり・・神との遭遇に出てくる神もそうです。
 しかし彼らのファンは多いでしょう。なぜかって、私達には永遠とも言える成長欲求があるからです。
 そこから解き放たれた初めての人物は老子であり、ブッダではないでしょうか。無になることによって、初めて有を得たのです。

 私はアラスカ上空で見たUFOと同じものを、囚われの存在の領域で見ました。まさに地球を救う宇宙連合の艦隊の幻でした。
 どうしてUFOや宇宙人にこの地球を救ってもらわなければならないのでしょうか?
 地球は人の魂よりも重いのでしょうか?地球は死んでも死にません。人も死んでも死にません。
 私自身と遭遇することは、私自身でしか出来ません。他の惑星の存在に遭遇させてもらうことは出来ません。
 モンロー研で遭遇した最終段階の世界は、導師が案内した世界そのものでした。その世界を知らなければ、囚われた存在の世界で終わっていたことでしょう。
 外に行けば行くほど微細になり、瞬間になります。
 経験が成長に繋がるのは、本当の自分で生きられなかったときに、反省として行えば良いのです。成長とは何かを身に付けることではなく、付けたものを落とすことなのですから・・。
 私達はパラドックスの中に生きているのかも知れません。だからブッダの表現はあれほど単純だけれど、難解なのです。
 だからこそ、「生」は面白いのではないでしょうか?

あれから(1999/08/08)

 さっきの記事をアップしてから、プールに行って泳いできました。今はベランダでこれを書いています。
 ここから見える景色は最高です。バージニア州の山々が連なっています。風と共に去りぬを生んだ大地でしょうか・・ここは。
 このモンロー研には、食事を作ったり掃除をしたりする女子高生がいるのです。私達が妙な顔をしてブースから出て来るとき、彼女は一生懸命に食事の支度をしています。その差が何とも言えません。
 私は私の世界を探索しているのであって、あなたの世界を探索しているのではありません。だから『神との対話』に感動した人は、そのままでOKなのです。
 今回、私は別の惑星を見に行きたかったです。しかし止められました。「あなたは帰ってこないかも知れないから」というのが理由です。
 そうかも知れません。他の惑星にでも行った日には、そこでしばらく暮らしてくるかも知れません。そうこうしているうちに、主人を失った私の肉体は死んでしまうでしょう。
 兄弟(笑)がさっき、感動して泣きながら飛んできました。なんと一年以上前に、私は彼にEメールを出していたのです。私もそれを確認しました。
 「会う1年以上前に、ケンは私にメールをくれた」・・と、感動していました。
 私は単にアドレスを間違えて出したのです。しかしこういうこともあるのでしょうか?
 兄弟は涙涙・・です。
 彼は私が高校生の頃、ベトナム戦争の関係で、横須賀に駐留していたのです。
 「今晩、外で二人で瞑想しよう」と言ってきました(たった今)。
 午後はあと20分で開始です。最終日とは言え、まだまだ旅は続きます。

ワシントンDC空港にての雑記(1999/08/09)

 まだ本格的な報告ではありません。ワシントンで時間があるので、これを書いています。
 モンロー研で、あのイヤな奴に遭遇してしまいした(笑)。
 三日目の夜でした。今日は特別ゲストが来ていて、その人の話を聴いてもらいますと言われたので、私はカメラを持ってミーティングルームに行こうとしました。
 その時、玄関であのイヤな奴に出くわしてしまったのです。
 以前、「お前の英語は全然分からない」、「お前のやっている研究など、アメリカでは100年も前にやっているよ」と言う嫌味を言ったヤツです。
 ・・まさか、特別ゲストとはこいつでは・・という私の読みは当たっていました。
 しかしなんというシンクロでしょう。確か、行きのワシントンDC空港で彼のことを書きました。また帰りに書くとは思いませんでした。
 彼のスピーチが始まりました。私の英語力は大したことはありません。だからというわけではないですが、つまらないと思うスピーチの時は脳の「英和CPU」を切っています。だって緊張して聴いていないと分からないですから。
 しばらく英語のCPUを切ったまま妄想にふけっていると、みんなが私の顔を見るではありませんか。
 イヤな奴が言いました。「ケンは聞いていなかったのでもう一度言うけど、私は変わったのです。そこにいるケンと一緒に受けたフォーカス35のプログラムでです。」
 ・・ふむふむ・・私はスイッチを入れました。
 彼は続けます。「私は科学者です。私は物質という視点から研究してきました。しかし私はモンロー研で多くの体験をしました。フォーカス12では空間が無くなるという経験をしました。そのとき空間とは何だろうと考えました。フォーカス15では時間が無くなりました。そのとき時間とは何だと思いました。その後、私は何度かフォーカス35へのコース受け、実際に体験をすることができました。その世界で私はユニティ(一つであること)を体験しました。その時、そこにいるケンが格闘していた"Who are you?"という問題に初めてぶつかったのです。私はずっと外の世界探索してきました。しかし一番の問題は私は誰かということです。」
 彼は上の世界は一つに繋がってること、愛が大切だということなどを、とつとつとしゃべりました。イヤな奴がいい奴になってしまいました。
 そして彼は地球がいい波動を持つためにビジョンを持たなければならないといいました。
 「みなさん、最近は車のナビゲーションは、衛星の電波とCDマップを使っているでしょう。目的地をインプットすれば自動的にナビゲートしてくれます。目的さえ持てば、良いのです」と締めくくりました。
 みんなからは感動の拍手が送られました。彼は満足した顔で私を見ました。私は苦笑いをしました。私はよほど反論しようと思いました。
 「ナビゲートしてくれる人生が面白いですか? 目的など持たぬ方が良いのです。」
 もしもこの反論をしたとして、彼らには理解可能でしょうか?
 アメリカ人には悪いのですが、この点の理解は相当難しいと思います。彼らはビジョンの中で生きているからです。

 セッションの一つに、2050年を見に行くというプログラムがありました。それはビジョンを作るためなのです。
 『不思議の科学』の中にも書きましたが、ここアメリカは未来に生きています。聖なる預言や神との対話がヒットするのはそのためです。
 思った通りの未来が開ける・・未来は自分で作っている・・そういう視点で書かれています。ここモンロー研でもアメリカナイズされた世界観が主流です。
 我々は目的を持って生まれてきた・・バースビジョン・・まるでナビゲーションシステムです。
 幸せになるために・・欠点を直すために生まれてきた・・まるで目的指向のビジネスです。
 しかし今回のモンロー研では、私は人の意見に対する反論はしませんでした。その代わり、自分の体験を一生懸命に喋りました。
 やはり、人は反論では変わらないのではないでしょうか・・。
 「人の欠点を言ってはいけない。その人が気づくまでじっと待つ。」
 これは『不思議の科学』を解説した船井幸雄氏の言葉です。まさにそうかも知れません。
 発表をした彼が変わったのは、私がドアとのやりとりを、とつとつと発表していたからかも知れません。
 「Who are you?」どんな科学もここから出発すべきだと思います。
 ところで、モンロー研の書庫に面白い題名の本を見つけました。
 『Who are you before you are you』という本です。
 「あなたがあなただと言ってしまう前にあなたは誰ですか?」とでも訳すのでしょうか・・。
 実はこれから機内で書き込みする内容は、これに似ています。
 私は今回、「Who are you?」に対するとんでもない答を得てしまったのです。
 いえ、「Who are you?」に対する答と言うのは正確ではありません。今回は「Where are you?」という疑問詞が課題として出されたのたです。
 もうここまで書けば、大体の予想はつくかも知れません。しかし機内までとっておきましょう(笑)。
 
 フォーカス番号は、モンローさんが遭遇した世界に番地を付けたものです。私は、これはアメリカの素晴らしさが出た点だと思います。日本人だと天の世界だの地の世界だとの命名するかも知れません。
 天国がフォーカス27・・何という味気ないネーミングでしょうか?しかしこれにより、後から追体験する人は楽になりました。
 それでもモンロー研で番号をふってあるのは35が最高です。それ以上は厳密に番号をふれなくなるのです。なぜでしょうか?
 それは、35が地球輪廻転生の最高ポイントではないからだと思うのです。それ以上は固定した数値ではなくなり、他の惑星の影響を受けた変数になるからだと思います。
 35まではモンロー研だけで飛ばせることが出来ます。しかしそれ以上になると、ガイドが必要になります。ガイド・・それは独立系の霊体です。
 私は道教の霊体とおぼしき存在に案内されました。これが孫さんが言うところの私のマスターかも知れません。
 上の存在は下に行くことは出来ます。下の存在は上には行けません。そういう意味では、神に会うことは、神にガイドされるしか方法はありません。
 もしくは、そこには究極のパラドックスがあり、神にだけはガイド無しで会いに行けるのかも知れません。それは鏡の前に座るだけで良いという話もあります。
 私は他の惑星に行くことを止められました。その理由は先に書きましたが、別の理由もあるのではないかと思います。
 まずガイドがその世界を知らない(笑)のではないでしょうか・・。
 もう一つは、他の惑星を生きているうちに知ることは出来ないのではないでしょうか。
 何故かと言うと、私はそこに通じる道に、私に対するシールド(通せんぼ)を感じたからです。
 それではUFOでは可能かといえば、きっとそうなのです。私達は輪廻転生のルート(フォーカスの最高値からのルート)では行けない何かがあるのです。

 モンロー研は、モンロー氏の死後も拡大を続けています。新しい実験所は素晴らしい建物でした。小さなバンガローみたいなのが全てオンラインで結ばれています。
 被験者はしゃれたバンガローで過ごせます。食事をしたりする建物は、ヨーロッパ調で作られています。食事はバイキング、おやつはいつでもOK、コーヒー紅茶は飲み放題。
 環境も素晴らしいです。私が深夜、コーヒーをもらいに食事する建物まで歩いていくとき、なんとキツネと鹿に遭遇しました。私は彼らのための果物も持ち出すことを忘れませんでした。鹿が私の手からイチゴを食べたのです。私は鹿の隣でコーヒーを飲みました。
 フォーカス1の世界も捨てたものではありません。
 少し先にはクリスタルヒルがあります。2メートルの水晶がごろごろしていることは書きました。モンロー研はそこら辺の山林一帯を買い取っています。
 所長(モンロー氏の娘)の部屋で財産一覧図を見て、びっくりしてしまいました。広大な山林を私有地として買い取っていたのです。
 恐るべし・・。小さなレンタル事務所の不思議研とは訳が違います。
 こういう素晴らしい環境だから、体脱もやりやすいのだと思います。
 確か、私は先週の今日、中国から帰ったと思います。間髪を入れずのモンロー行きは正解でした。中国で合わなかったジクゾーパズルが、ここで合ってきたような気がします。
 一週間後の今日、今度はハワイに出かけます。10日間を家族で過ごします。カウアイ島とハワイ島に行きます。
 別に何をするという訳ではないのですが、何かの進展があるかも知れません。
 では、そろそろ搭乗ゲートに移動します。
 これから12時間の飛行です。無国籍状態になる雲の上は、決して嫌いではありません。

帰りの飛行機の中で1(1999/08/09)

 今、飛行機の中です。
 モンロー研の最終日はみんなワインで乾杯しました。今も、ワインを注文しました。
 少し飲みながら書きましょう。でも『プリンス・オブ・エジプト』いう映画が上映されるので、始まったらそれを観る予定です。
 飛行機はガラガラです。私は窓際ですが、向こうの窓際まで誰もいません。

 さて、最終日の午後のセッションで、自由について一つの進展がありました。
 これらを引き出してくれたのはある「存在」なのですが、そのやりとりを書くととても時間がかかるので、ここではその結果のみを書かせてもらいます。
 自由とは二つに分けることが出来ます。一つ目は「〜からの自由」、二つ目は「〜への自由」。そもそも自由は、分けないで考えることが出来なかったのです。
 さて、江戸時代を考えてみましょう。江戸時代は士農工商で職業選択の自由はありませんでした。
 さぁ、あの時代に私たちが生まれたとしたら、自己実現は出来なかっでしょうか?
 確かに自由はありませんでした。しかしよ〜く考えてみて下さい。本当に自由はなかったのでしょうか・・。
 私は同じ質問をアメリカ人達にしました。自由という言葉は福沢諭吉がアメリカから輸入したのだと言うと、彼らは嬉しそうな顔をしました。
 しかし、「古池や、かわず飛び込む水の音」これを作った松尾芭蕉は不自由だったのでしょうか?
 アメリカ人がいつも言っているfreedomとはいったい何でしょうか?
 自由を求めて新大陸に渡った彼らの先祖は、本当の自由を手にしたのでしょうか?
 封建体制の中に残ることを選んだヨーロッパ人よりも新大陸に渡った人達の方が、本当に自由だったのでしょうか?
 この質問にはアメリカ人の参加者は、誰も答えませんでした。
 実は、ある部分では自由を手にしたと思います。それは「〜からの自由」です。
 「〜からの自由」は束縛からの自由を意味します。どちからと言えば、身体的なものです。職業選択の自由はこれに当たります。

 私達はいつも「〜からの自由」を欲しています。その自由を獲得するためには、フランス革命のように、血さえ流されました。自由は命より大切でした。
 親からの自由、規則からの自由・・。私達は「〜からの自由」を得られれば、本当の自由が得られると思ってきました。
 しかし親から離れ、一人暮らしをした人は気づくと思いますが、何も変わらない自分を発見します。私は私のままだったということを・・。新大陸に行っても、彼らは彼らのまま・・。
 自由とは何か・・。「存在」は言いました。大切なのは「〜への自由」だと・・。
 「〜への自由」とは何でしょうか・・それはスピリチュアルな自由です。「〜からの自由」は物質的、身体的な自由です。
 松尾芭蕉は確か、地位的にはかなりいい身分なはずだったです。それでも現代から比べれば物質的な自由は、月とすっぽんでしょう。
 「古池や、かわず飛び込む水の音」何故こんな自由な歌が詠めたのでしょうか?それは「〜への自由」があったからではないでしょうか?
 私達は自由が無いことを環境のせいにします。持って生まれた境遇を理由にします。経済力を理由にします。性の差を問題にします。
 ひょっとすると本当の自由は、そういう外的なものとは無関係だったのではないでしょうか?
 「〜への自由」は精神的なものを意味します。それは外的なものから独立しています。職業を変えても、住む場所を変えても、付き合う相手を変えても、何も変わらないもの・・それが「〜への自由」ではないでしょうか。
 そう、江戸時代にも自由はあったのです。それは現代の私達とほとんど変わらないかも知れません。
 さて、よく考えてみて下さい。だとすれば、家庭に入っている主婦も刺激を求めて外を歩いている人も、条件は同じなのです。「〜への自由」という視点からは、誰でも同じなのです。
 輪廻最終者は平凡に暮らす・・このモンロー氏の言葉は、正解でしょう。平凡な中での自己実現・・、これがひょっとすると最終試験かも知れません。
 だとすると、ブッダは本当に二度と転生しなかったのでしょうか?誰も知らない平凡な人生で本当の光明を得て、最終コースを終わったような気がします。
 自由とはどこにでも誰にでも平等に存在する・・これが私が得た気づきでした。

帰りの飛行機の中で2(1999/08/09)

 以下は午後のコースと、夜のコースで得たものです。
 「Where are you?」「私達はどこにいるのか?」こういう質問です。
 「当たり前でしょう、私達は私達の中にいます。」こういう答が返ってきそうです。
 しかし、私は全く発想を逆転させられる経験をしてしまいました。それは「私達は私達の中にはいない」というものです。
 ではどこにいるのでしょうか?それは「全体」の中にいるのです。
 「全体」とはキリスト教的には、神とも言い換えることが出来ます。道教的には、天とも言い換えることが出来ます。
 では、私達の肉体には何があるのでしょうか?何もありません。
 ふ〜〜〜う。これは私がこの情報に出会った時についた溜め息です。
 通常、私達は、自分自身は自分の中に宿っていると思っています。だから死ぬのが怖くなります。他人とは切り離された自己を感じ、同時に孤独を感じます。善行を積んで、死後、評価されようとします。
 人間は生まれるときはたった一人、死ぬときもたった一人・・こんなふうに言われるようになりました。
 しかし私達の本当の自分は、なんと、自分の中には無かったのです・・。
 だとすれば死とは、何もないものから何もないものへの移行なのです。もともと無ければ、死にようがありません。
 では、有るもの・・つまり「有る自分」とはどこにあるのでしょうか?
 本当の私とは、例えばフォーカス100くらいの上空にあるのです。上空という表現を使いましたが、距離はゼロです。
 では本当の自分とは、いつ自分の体に入ってくるのでしょうか?
 表現がややこしくなりますが、それはあなたが自分を捨てたときなのです。あなたが自分という意識を捨てたとき、全体の中に融合していた本当のあなたが、あなたに入ります。
 「私は誰でもありません。」こう思えた瞬間に、あなたには本当のあなたが入り込みます。
 責任を取ろうなどと考えている時には、入りません。選択をしようなどと考えている時には、に入りません。未来に生きている時も入ってきません・
 あなたが、あなた自身を忘れて何かをしている時にしか、入ってきません。
 私は瞬間に生きる時、自分自身を失ってしまうのてはないかという心配がありました。しかし逆だったのです。

 『蛍の墓』という映画がHPで話題になりました。あの兄弟のことを考えてみましょう。
 もしもあの兄弟の魂が身体の中に宿っていて全体と分離していれば、やはりとても悲しい映画です。しかし彼らの魂は元々からして上にあったと考えれば、とても救われると思いませんか?
 彼らは天国に行けたか行けないか・・そんなことは問題てばありません。彼らは彼らの生を、正直に生きただけなのです。彼らの魂は上とずっと繋がっていたのです。彼らは本当の自分であり続けた・・。
 映画を観終わって、私達はこれで良いのかと考えさせられると同時に、彼らに対してどこかに、かすかな嫉妬を覚えるのは、そのためではないでしょうか。
 彼らに比べて私達は贅沢過ぎる・・しかし・・どこかで生き生きと生きていない・・と。
 死ぬと××グラム減る・・だから肉体には魂が宿っている。いえ、そうではありません。私達の本体は、死ぬ前から既に上にあるのです。
 まさに、神そのものが私を通じて、この世界を体験しているのです。
 ではどうすれば神が入って来られるのでしょうか?それは私達が「無」になった時です。
 別にこれは大それたことではありません。「〜への自由」がどこにでもあるように、「無」はでこにでもあるのです。あなたが笑った瞬間、あなたは無です。あなたが怒った瞬間、あなたは無です。
 「ポジティブに生きなさい」こう言われて生きる世界に、神は入りようがありません。あなたは、あなたのままでいいのです。
 「〜への自由」に何の努力も要りません。あなたは自分を外に開くだけでいいのです。今のあなたを何も変える必要はありません。
 この世の中はパラドックスです。何も変える必要が無くなった瞬間、世界は変わるはずです。

 さて、この情報に私はかなり戸惑いました。私は私の中に存在しない・・。
 しかしこの視点から考えれば、すべての人は繋がっているのは当たり前だということになります。
 コンピュータで言えば、私達は独立したパソコンではなかったのですから・・・。神の世界の大きなコンピュータに、全てオンラインで繋がっていたのですから・・。
 あなたと私・・それは一つのコンピュータから出た端末に過ぎません。『蛍の墓』の兄弟は、ある意味では私達でもあるのです。
 モンロー氏の話で引っ掛かっていた点がありました。それはもう一人のモンロー氏が同時期に生きていたという話です。
 しかし私が受けた情報はそれを越えています。もう一人どころではなく、全員なのです。全員をして、神は世界を体験しているのです。
 私から苺をもらった鹿も、広い意味では私なのです。私は私自身に苺をあげていました。
 おそらく神は、掛け替えのない人としてあなたを誕生させたはずです。それをどうして変えようとするのでしょうか?
 成長とは、別の人間になることです。みんなが同じ「人かどの人間」になったら、個別のあなたを作った意味がないではないですか。
 私達は個別の人間として、孤独な旅をしているのではないのです。
 お陰様という名の全体と融合した私・・その旅はモンロー研究所で、少しばかりの言葉にすることが出来ました。
 「Who are you before you are you」
 「あなたがあなただと言ってしまう前にあなたは誰ですか?」
 その答は・・私は誰でもありません。やはりこの解答しかありません。
 「私」を前面に押し出した瞬間に、神(全体)は私から遠ざかります。
 さりとて、私が体験したこの内容は、あまりにホットすぎます。自分の中でも煮え切っていません。女性で言えばまだ熟女になっていません(笑)。だって、たった一日前に受けた情報なのですから。
 それでもリアルタイムな書き込みをすることは、大変に意味があると思っています。私はこれで逃げも隠れも出来なくなっています。野球で言えば、9回裏の監督がべらべらと作戦を喋っているようなものですから。
 明日は、「やはりそうではなかった」という書き込みをするかも知れません。それはそれで良いのです。
 とにかく、帰りの飛行機の中で私がまとめた、モンロー研の総括なのですから。

 今までの私の書き込みに対して、色々なリアクションをありがとうございました。私はディスク上に吐き出し、回線を切ると、いつもお気に入りの切り株に座って読ませてもらいました。その内容が次のセッションの気付きに繋がったことは、言うまでもありません。
 『プリンス・オブ・エジプト』が始まりますので、ここでいったん筆を置きます。

  * * *

 『プリンス・オブ・エジプト』が終わりました。モーゼが主人公のアニメでした。モーゼがエジプトの奴隷、ヘブライ人を解放しようとするストーリーです。
 絶体絶命に陥った彼らの前で、海が割れるシーンは凄いものがありました。
 神が分離した存在として、人間達をコントロールしている時代の話でした。しかし笑えません。神に祈る人は今でもとても多いはずですから・・(祈りは決して悪い波動ではありません)。
 いつも思うのですが、発想は転換してみないと分かりません。
 「私は私自身の中にはなかった。」
 これは高次元、あるいは全体ということが分からないと、掴めない感覚だと思います。
 フォーカス35までの世界では、魂はあくまで孤立した魂でした。輪廻を終えるためのキーは自由か善行か努力か・・そういうことが話題でした。
 しかし神は評価などしようがありません。だって、私達そのものですから。
 神は私達そのもの・・これは精神世界ではよく言われてきました。しかしどうしても感覚的に理解できなかったのは、私たちが個別の「個」を「所有」していた点です。個別の個でありながら、あなたは神です・・と言われても・・。
 私達は個別の「個」を所有してはいないのです。ふ〜〜〜う。これは今ついた、溜め息です。個別の「個」は瞬間的に入り込むだけなのです。ふ〜〜〜う。
 この発想の転換は、どう処理すれば良いのでしょうか?しかし、無いものは死にようがありません。
 だからフォーカス27以下の世界は、全く仮の姿なのです。
 今回は、ジグゾーパズルの幾つかがくっつきました。しかし本質的に問題は解決されてはいません。
 宇宙そのものがなぜ始まったのか、存在している目的は何なのか???つまり神そのものは、どうして作られたのかという点です。
 これは考えてみれば、私達はなぜ作られたのかという問題と同じです。結局自分に返ってくる問題なのです。
 仮説としてはあります。神は自由を求めている・・。ふ〜〜〜う。
 しかし、それがどうしたと言われそうです(笑)。

 さて、PCのバッテリーも少なくなりました。ここで書き忘れていた事を書きましょう。
 最後の夜パーティーが終わって、その深夜、フォーカス35への旅がありました。35に打ち上げられる瞬間、私の体は痙攣し、バウンドしました。
 「ヒョェ〜〜」と思った私は、咄嗟にヘッドホンを外してみました。すると私の体の痙攣は止まりましたが、なんとバンガローそのものがバウンドしているのです。
 バンガローそのものに仕掛けがある?・・まさかでしょう。そこまでモンロー研も凝らないでしょう。ディズニーランドではありません。
 感覚的には時空そのものがバウンドしているようなのです。
 やはり凄いなと思いました。ジェット機が音速を超えるとき衝撃波を出しますが、まさに時空の衝撃波だったのかも知れません。隣では兄弟が離脱していましたから(笑)。
 すぐさま私もヘッドホンを付け、後を追いました。再びバウンドを感じた直後、私は静かに時空を漂っていました。
 今回、私は白のローブしか持って行きませんでした。黒も貰ったと言ったら、なぜ持って来なかったのだと言われました。
 彼らアメリカ人は、東洋的なものにとても惹かれるようです。だから私がブッダの言葉を引用して発言するときは、シーンとなりました。しかし彼らにとっては理解不能の世界です。
 幸運にも、私たち日本人は両方が理解可能です。両方が理解可能な国は、日本くらいかも知れません。
 モンローの娘さんに「ケンのお陰か知りませんが、最近、日本人の参加者が増えて、とても嬉しいです」と言われました。宗教的にモンロー研はフリーな立場をとっています。
 霊性、愛・・こんな言葉も滅多に使いません。よく使われる単語は「エナジー」です。「フォーカス35のエナジーはどうでしたか?」という感じです。

 さて、ここまで書いてきましたが、「おお、そうか、このままでいいんだ」と思った人は多いのではないでしょうか。
 しかし今までの歴史で、「あなたであるだけで良い」・・こういう時代は一回もなかったのです。社会はずっと「あなたは、あなたのままではダメだ」と言い続けてきました。
 もっとやれ、もっと頑張れ、もっと成長しろ、もっと自分をコントロールしろ、よく考えて選択しろ、選択支はたくさん持て、したことには責任を持て、あなたは持って生まれたもの(欠点)を直すために生まれてきたのだ・・と。
 それら地球人の言葉でさえお腹いっぱいになるのに、宇宙人が「自分を変えなさい」と追い打ちをかけてきます。
 たぶん今、地球は「自己変革エナジー」でいっぱいです。それだけ言われ続けてきて、「これでいい」と、心底から思えますか?
 では何故「変われ」と言われたのでしょうか?
 一つは、社会の要請だと思います。本当の自分と遭遇し、各自が勝手な生き方を始めると、統制がとれなくなるからです。だから社会が良しとする方向に「努力せよ」ということになったのではないでしょうか。
 二つ目は、人間は本来怠け者であり、なおかつ本当の自分と遭遇すれば何もしなくなるという、どこかで性悪説に近い考えがあるような気がします。
 だとすると、「〜への自由」を持ち、全体と融合して本質的な自分として生きること・・これほど大変なことはないのではないでしょうか。特にこの現代社会の中では・・。
 綺麗事を言うことは、最も簡単です。本当の自分として発言することは、最も大変なことです。ふ〜〜〜う。
 こう考えると、士農工商のような競争がなかった時代、選択支が少なかった時代の方が幸せだったのかも知れません。

 モンロー研では、瞑想を続けていました。だから顔の真ん中が赤いです。
 導師から教わった天人合一のエナジー密法は、効果てきめんでした。囚われた存在達との一騎打ちは、まるでドラゴンボールZでした。
 この話は別に書いても良いのですが、あまりに活劇風で内容に乏しいのです(笑)。向こうの世界はMエナジーしかないので、それは遊びの一種なのです。
 機内では、モンロー研で会った日本人の一人、福島健さんが出版した『グレートポイント』(東京経済)という本を読んでいます。それはエジプトにダリルアンカ(バシャールのチャネラー)と行ったときの話を書いたものです。
 友達同士で行った話を書いているのですが、大変に面白いです。この本を船井幸雄氏に贈ったら「君の言うことは正しい」という返事が来たそうです。
 バシャールについては彼から本を貰う前に、この旅行記に書いていました。エジプトについては機内で映画を観ました。
 なんというシンクロでしょうか。シンクロの嫌いな私であるにせよ・・。

 さて今、成田エクスプレスです。
 「Where are you?」についての推測をありがとう。いい線いってますね、みなさん。
 私は今まで、この問いをしたことはなかったのです。私の解答は上に書いた通りですが、ひょっとすると「When are you?」なんて問いもあるのかも知れませんね。
 「私たちはどこにいるのか?」ますます面白くなってきそうです。
 ルーシュのこと、Mエナジーのこと・・まだまだ報告事項はありますが、今日は家に帰ってお休みです。
 実のところ、一ヶ月もいたような感じです。逆浦島現象です。ではこの辺で送信します。

自由の違い(1999/08/09)

 ●〜からの自由=フィジカル・フリーダム
 ●〜への自由=スピリチュアル・フリーダム
 モンロー研ではこの表現でよく伝わりました。違いは何だという突っ込みはありませんでした。だとすると、昔、福沢諭吉以前に自由という単語が無かったように、〜への自由だけでは伝わらないのでしょうか?
 先日も、ある日本人に30分もかけて喋ったのですが、〜への自由は全く伝わらなかったのです。
 やっぱり何か、この単語には問題があるのでしょうか・・。

 〜への自由・・
 ・・例えば牢獄に入っていても、心は無限大のような・・
 ・・例えば身体に障害があっても、心は自由自在のような・・
 ・・世界といつも繋がっていたり、何かを作り出したり、愛を生み出したり・・
 ・・自然からの距離を保つこと=孤独を放棄しないこと・・・

私の感覚(1999/08/10)

 私は感情的に生きています。
 つい最近、ある人が私に対して「感情的議論はしたくありません」というファックスをくれました。すると私はこの人に対して、二度と話が出来なくなります。
 私は100%、感情的でありたいと思っています。同様に、私は孤独感も大切だと思っています。
 これは今までの私の書き込みに対して大きな矛盾があるかも知れません。全体と繋がっていながら、なぜ孤独なの?と・・。
 実は、私が何故このような調査をしているかというと、「私は孤独だ」という感覚を持っているからです。
 人は深遠な孤独感を持っていると思うし、それが一つの成長のバロメータだとさえ思っています。

私のバンガロー(1999/08/10)




私のバンガローと、バンガローのベランダで書き込みをしている私

 私はこのバンガローの右側の棟に住んでいました。手前は道路ではありません。舗装されていますが、広場になっています。この舗装された広場を中心にして色々な棟が並んでいます。橋が見えますが、この下には小川が流れています。
 小川のほとりで鹿とコーヒーブレイクしました。ちょうど橋を渡り、そのまままっすぐに進むと、ベランダがあります。ベランダでPCをたたく向こうに広がるのは山々です。
 この場所は高台に当たり、ベランダの下は崖です。見晴らしは素晴らしいのですが、写真には写りませんでした。

おやつコーナー(1999/08/10)



いつもおやつは食べ放題。コーヒー紅茶のコーナーは、この写真の右側に同じようなテーブルがあって、そこにセットされています。24時間、暖かいコーヒーが飲めるように、写真に写っている女子高生がテキパキと働いています。

兄弟(1999/08/10)


前世で私と兄弟だったビジョンを見てしまったリチャード

 後ろに写っている建物は私が泊まっているバンガローですが、リチャードは私の左側の棟に泊まっていたのです。つまりバンガローからして、ペアでした。
 私は仙人ローブに裸足というスタイルが多かったです。気温は25度〜28度で、とても過ごしやすかったです。湿度も低いのでローブを着ていても、汗は全く出ません。

ローリー・モンロー(1999/08/10)



 モンロー研究所の所長は、この写真の女性、ローリーモンローが引き継ぎました。
 背の高さは私と同じなのですが、私が常に裸足で、みんなが靴を履いているために、私はいつも小さく写ります(言い訳)。
 ローリーモンローは体脱テストをするため、ある疑問文のセンテンスをフォーカス27に置いてきました。何の文章を置いたかは、分厚い封筒に入れられ、第三者に渡されました。その様子はリアルタイムな報告の時に書いた通りです。
 しかしそのテストが文章を変えて、次の日も行われたことは書きませんでした。それも私は当ててしまいました。私には三次元での透視能力はありません。だから体脱現象は、やはり本物なのでしょうか?
 ローリーモンローは、非常にしっかりした女性です。ロバートモンロー氏が存命中は、フォーカス27までしかコースはありませんでした。フォーカス35のコースを作ったのは、この娘さんなのです。

最後の写真(1999/08/11)

 食事風景です。最後の日なので、ワインで乾杯しています。
 ヨーロッパ調の建物です。向こうにはグランドピアノが見えます。その向こうには庭があり、プールもあります。



 それにしても、モンロー研は素晴らしいですね。あの世に番号を振り、自由に行き来できるシステムを作ったのですから。
 私のように、たった4回目でビヨンド35に行ったという人は、アメリカ人にはいないのです。近いせいもあり、みんな10回以上は通っています。
 モンロー研は、本当にアメリカ的だと思います。何から何まで・・。

 そう言えば、私と一緒に参加したメンバーのほとんどは、トレーナー(先生)志望でした。私だけ志望じゃなかった・・・。
 実際、私の時のトレーナーの女性(男女ペア)は、ライフラインで私と同じ参加者の一人でした。
 別にトレーナーコースというのがあるのですが、私はそれを受けなくても、トレーナーを日本でやっても良いと言われています。
 しかし、今、モンロー研の日本版を作ると、私は、私自身がそこで止まってしまうような気がするのです。

囚われたマスター達(1999/08/13)

 フォーカス35を越えたところに、「囚われたマスター達」の領域がありました。
 フォーカス35が5次元なのに対し、ここはフォーカス35を越えている(私が勝手にフォーカス36から45と付けた)にも関わらず、4.5次元に落ちます。
 これはちょうど、フォーカス21が3次元にも関わらず、フォーカス23が2次元に落ちるようなものです。
 上に上がっていく段階で、必ず一回、落ちるポイントがある様子です。
 さて、「囚われたマスター達」の領域とは、いったい何なのでしょうか?
 ここは指導症候群マスターと名付けさせてもらいました。さらに「なること(未来・選択)強い神の世界」という副題を付けました。また「陰を否定し、陽のみをめざす」という副題も付けました。
 いわゆるチャネリングに登場する存在たちです。「神との対話」に出てくる神的存在も、たぶんこの領域でしょう。
 この領域の存在達は、とても指導したがります。地球人に対して「アセンションの時がきました」「気づきなさい」「ポジティブに生きなさい」「思いは実現します」等々の指導をしたがります。
 そしてまるで申し合わせたように「世界を変えようとする前にあなたが変わりなさい、あなたが変われば世界は変わります」と言います。
 そうです。変わること・・を一生懸命に指導します。変わらなければ、あなたは地球の次元上昇についていけず、消滅する可能性さえあると言います。
 なるほど・・変わることが必要なんだ・・そう考えると人は、今の自分ではいけないと思います。潜在的な自己否定が生まれます。変わらなければ・・気づかなければ・・と。
 しかし本当の自分になることは、自分自身でしか出来ません。

 では存在達はなぜ、私達にメッセージを送り続けるのでしょうか?
 彼らは孤立しているから・・というのが私の仮説です。
 孤立しているから自分の生徒が欲しいのです。それはちょうどフォーカス23の霊たちが孤立しているから、生きている人間にアクセスしてくるのと同じです。
 しかし、フォーカス23の霊たちと存在達には、大きな違いがあります。存在達は、一度はどこかの惑星の輪廻転生をクリアしているのです。だから、でかい顔が出来るのです。
 しかし、その上の領域に上がることが出来ません。何故でしょうか?彼らは囚われているからです。「なること」が上に上がる要素だと思っているのです。
 なるためには、今の自分を否定する必要があります。
 フォーカス23の囚われ領域や、フォーカス24から26にかけての信念体系領域は、消滅する方向にありました。いわゆる霊界は、もうすぐ無くなるのです。
 地球にもフォーカスがありました。アースコード27と言います。フォーカス35に行くときは、必ずアースコード27を通らなければなりません。
 そのアースコード27のエナジーレベルが上がりつつあるのです。それが原因で霊界が癒されているのだと思います。
 また、孫さんはアースコード27のエナジーを使っているのかも知れません。
 このように、フォーカス35以下の地球輪廻転生系は、素晴らしい世界に改善されつつあります。
 しかし、問題はフォーカス36から45の「囚われた存在達」です。これは地球の圏内を離れているために、我々だけでは対応できません。
 私達に教えようとしていた存在の世界が問題だとは思いませんでした。
 その上にはフォーカス46から68があり、ここには「本物のマスター達」がいます。
 ここは陰陽のバランスがとれています。5.5次元です。
 「あること(現在・無選択)あるがまま」という副題を付けました。
 このマスターは、人間に付いたとしても、生き方についての細かい指導はしません。本物に近づくほど、何もしないのです。
 その上にはフォーカス69があります。ここは全体の世界です。六次元です。陰陽が融合しています。なぜ69と付けたかというと、太極図に似ているからです。
 この世界は「無いこと(瞬間・微細)お陰様の世界」という副題を付けました。
 私が今まで行けた世界の最高領域は、フォーカス69なのです。

 さて、囚われている存在達はエネルギー使いの達人ですが、これは見かけ倒しでした。自慢しているだけ・・そんな感じがしました。
 精神的レベルも問題がありました。愛しなさい、気づきなさいと言っている割には、問い詰めると突然怒ったりします。
 「あなたにもいつかは、私の言っていることが正しいことが判るでしょう」などと、先輩風を吹かせます。
 言葉はとても巧みです。しかし、私は彼らのことが書かれている本を読んで、暖かみを感じることは少なかったのです。ワクワク生きなさい、愛を大事にしなさいと言う割には、愛がないなぁ・・なんて思っていました。
 別名アセンション症候群のこの存在達は、地球人の中に同朋を求めます。プレアディス、シリウスの情報だと言って、その周波数に合わせる人を求めます。
 しかし繰り返しますが、私自身には、私自身でしか遭遇できません。
 また地球は、こういう地球人としての生を体験するために存在しているのです。プレアディスやシリウスに「なる」必要はありません。
 私達はどこの星でもない、この地球人で「ある」ことが大切なのです。
 指導者になりたがっている彼らに愛を送ると、彼らは震動しました。嬉しかったのです。
 彼らは本当は、友達になりたいのです。
 私自身は存在と遭遇し、かなりのやりとりをやりました。しかし、私はチャネラーではありません。実際にプレアディス等からの情報を受け取っているわけではありません。
 ただの、一つの仮説にすぎません。

私達は「強い」、しかし上ほど「弱い」(1999/08/13)

 私達は最も低い次元に住んでいると思っています。しかし、次元が低い高いは問題なのでしょうか?
 何故かと言えば、私たちはあらゆる次元の存在よりも強かったのです。エネルギー的にも、意志的にも・・。
 私達が意志を持つことは、それだけで時空にひずみを起こします。時空はその意志を優先します。しかもその意志は残存します。
 意志を持つ本人の意思が変わっても、過去の意志は生きています。まるで意志の慣性の法則のようにです。
 2050年を見に行くというプログラムがありました。私はそのツアーが始まった瞬間に、ヘッドホンを外してしまいました。
 未来を見る意味があるでしょうか?もちろん、未来は変えることが出来ます。しかし私には興味がありません。未来を見ることは、その未来に私の意志を投下します。
 まぁ、これらの理由は後から付けていますが・・。
 さて、次元が上がると、どうなるのでしょうか。次元が上がると、エネルギーのレベルは落ちてくるような気がしました。これはあくまで感触ですが・・。
 私は囚われた存在達に、まるでドラゴンボールZのような試合を挑まれました。しかし凡人の私でさえ、アリと像の戦いでした。私が像なのです。
 5.5次元は、もっとエネルギーが小さくなります。六次元は、ゼロに等しくなりました。微細なのです。
 前回、孫さんを念力計で計ると、私とほぼ同等でした。しかし彼女が超能力を始めると、4Dメータやプラントーンが鳴き続けました。
 孫さんのエナジーはきっととても微細なのです。微細だから生命が反応するのです。
 私達はより強いもの、よりパワーのあるものに憧れ続けたのかも知れません。「強く願って・・」「強く愛して」「強く頑張って・・」
 本当は微細なものほど、次元が高かったのです。あることを強く願う必要は無いのかも知れません。

書き込み期間:1999/8/5〜1999/8/13