もりけん語録
テーマ:「空間系と時間系」
書き込み期間:2005/07/12〜2005/08/05
要旨:
今までは相冲に注目することが多かったですが、今回は相合に着目してみたいと思います。
一緒にいる者同士は似てくるという話を孫さんから聞いたことから、宇宙は差が無くなる方向に進んでいるのではないかと考えました。しかし、差をなくす方向で本当に良いのでしょうか・・。差を創り出すために宇宙が出来たのかも知れないのにです。
しかし差が全くなければ「似ている」ということさえ起こらないのではないでしょうか・・。つまり「似ている現象」を抽出させるためにわざわざ差を抽出したのではないか・・・という、面白い仮説が浮かびました。
似ている現象もシンクロニシティも、一種の相合関係と呼べそうです。そしてネットワークと繋がった状態が相合なのではないかと思います。
ユングは、シンクロニシティ現象はどちらが原因でどちらが結果か分からない、という説を唱えていました。相合関係では、どちらが先とも言えなくなるのです。そうすると、「人生は問いの結果」というのが私の仮説ですが、問いが先にあったのか結果が先にあったのか分からない、ということになります。
では、運命変更はどうなるのでしょうか・・・。問いを持つことも決まっていたとすれば自由はゼロですが、変更後の運命が最初から卦に出ないのはどう説明すればいいのかという疑問もあります。
問題が再び振り出しに戻りました。

今回、空間系か時間系か、という切り口から、運命の解明を考えてみたいと思います。
もし地球に地軸の傾きがなかったら、季節の変化もなくなります。そうすると、月の十二支をどう割り振ればいいのか分からなくなりそうです。ということは、地軸の傾きによって差が生じたことで、十二支が決定された可能性も考えられます。
六爻占術では、空間を使った運命変更と時間を使った運命変更の両方があります。しかし、時間は地球と他の天体との位置関係に置き換えることも出来るかも知れません。つまり丑の刻は時間ではなく場所が「丑」なのではないかと・・。
また、一次元的に流れている時間と比べて、空間の方がやり直しが利いて自由度が高そうです。通常原因から結果に近づくほど自由度が減っていくことを考えれば、空間系の方が原因の世界に近い可能性も考えられます。
しかし、空間の中に十二支が配置されたのも、時間の結果かも知れません。どちらの可能性も切り捨てないで考えていきたいと思います。

ここまで、原因の世界は空間系と時間系のどちらにあるのかを議論してきました。
ここで次の問題提起をしてみたいと思います。そもそも原因というものはあるのでしょうか?
最近、親戚夫婦の不妊を六爻占術で改善したことがありました。夫の体に問題があると言われていたにも関わらず、妻の方が十二支ストラップを身に付けることで改善しました。原因は一体、どこにあったのでしょうか・・・。
会社で売り上げが落ち込んだ時に十二支の置物で改善したことがありましたが、売り上げが落ち込んだ原因は今考えても分かりません。
十二支を使って改善した時、原因を突き止めて修復したわけではありませんでした。対象にすべきなのは、最終的に変化させたい「結果」だけでいいのかも知れません。
どこに原因があるか分からない・・ということは、全てが原因だとも言い換えられます。そこから私が出した仮説は、「私以外のすべてが原因なのではないか」ということです。ある一つの原因に絞ると、それ以外の全ての原因を切り捨ててしまうのです。
さらに言えば、「私にだけは原因はない」ということになります。ネットワークの中では私は空洞であり、私以外の全てが原因となって外側から作られていくからです。
目次
○ 差を無くす方向で、本当に良いのでしょうか・・
○ 「似ている現象」を抽出させるためにわざわざ「差」を作った
○ 「似ている現象」は「相合関係」
○ どちらが先か?
○ 相合の相手は鏡に写った自分
○ 磁場女
○ 「運命自動化システム」はあるかも知れません
○ 地軸の傾きが、十二支の始点を決定したのかも知れません
○ じゃあ、日はどうすんの?
○ 仮説「場の方が回転する」
○ 伊勢神宮のお陰参り
○ 空間系的視点から攻める
○ 時間系的視点から攻める
○ 再び空間系から攻める
○ 原因って、あるの?
○ 私と原因
○ 問われた人は自由を失う
○ 答えが問いを越えるとき
○ 下位の問いは、たった一発されるだけでOK
○ 快楽構造
差を無くす方向で、本当に良いのでしょうか・・

 孫さんの蘇生セミナーの朝のことです。机の並べ替えをしていると、参加者の一人が私に言いました。
「もりけんさんてだんだん犬に似てきましたよ。フェルルにです。ゴールデンリトリーバーそっくりです」(笑)この話を孫さんにしました。
 すると孫さんは、「そうです。一緒にいると顔が似てきます。夫婦でもそうです。だからお手伝いさんを雇うときは綺麗な人を雇わなければいけません。お手伝いさんはその家の子供にとって第二の母親です。綺麗な人を雇えば子供も綺麗になります。」と言いました。
 これを聞いて私は思いました。宇宙は、差が無くなる方向に進んでいるのではないか・・・と。
 しかし、あの世では差が少ないと思います。ビックバンの前も、差が少ないと思われます。そしてビックバンが起こりました。
 でもこれから数億億年も経つにつれ、宇宙の温度差が無くなり、宇宙も死んでいきます。
 こうして考えると、時空はビックバンによって、わざわざ差を創り出したと思われます。
 男と女がいなければ、エッチも出来ません(笑)。生と死がなければ蘇生も出来ません。コインに裏と表が無ければ、占いも出来ません。
 しかし私達は差を嫌います。個人的に言えば、ファッションなどはその良い例です。
 社会的に言えば貧富の差は、ない方が良いとされます。男女の差も、ない方が良いとされます。
 うーん・・何か変だと思いませんか?差は、罪悪視されるときもあるからです。
 差を無くす方向で、本当に良いのでしょうか・・。わざわざ差を創り出すために宇宙が出来たとさえ言えるのに・・・。
 今日は問題提起で終わります。
「似ている現象」を抽出させるためにわざわざ「差」を作った

 時空は、わざわざ差を創り出すために宇宙を創った・・というのが昨夜の仮説でした。今日は一歩進めてみたいと思います。
 そもそも事の始まりは、私がフェルルの顔に似てきたということでした(笑)。
「似ている」を拡大解釈すれば、シンクロニシティという単語に辿り着きます。
 シンクロニシティ・・・それは、例えば神父さんについて考えていたら、目の前を神父さんが通った(笑)。
 シンクロニシティについては、『運命を変える未来からの情報』に次のように書きました。
*********************************
 C・G・ユング(一八七五〜一九六一) という心理学者がいました。彼はシンクロニシィティとか集合無意識とかいう概念を、最初に考え出した人です。
 彼の親友だった宣教師がキリスト教の普及のために中国に行き、そのとき持ち帰ったのがコイン占いでした。ユングはその占いに興味を示して、自分でも修得します。
「ユングと共時性(イラ・プロゴフ著/河合隼雄・河合幹雄訳)創元社」という本の中にはユングが占う場面が出てきます。

 ユングは言った。共時性とは単なる偶然を越えた何かを意味する時間、空間上の事象の符合である。二つの事象のうち一つは人の人生のそのときの状態である。もう一つはコインを投げてその結果としてコインのパターンが示す易のテキストを読む行為である。どちらの事象も、他への明らかな因果的影響を何ら持っていない。それにもかかわらずほとんど常にその卦の内容は、その人の人生に神秘的に関連している。
 実例として私(イラ・プロゴフ)が二十年前スイスでユングとともに易をたてた経験をあげてみよう。
 一九五三年六月のある日、私たちはチューリッヒ湖のほとりにある彼の家の庭に座っていた。そのとき彼は突然「あなたは易をたてたことがありますか?」と私に尋ねた。
「いいえ」と私は答えた。
「やってみたいですか?」
「ええ、是非」
「それならやりましょう」と彼は言った。
 ユングはポケットの中から使い古した小さな皮財布を引っぱり出した。そして三個のスイスの小銭を私に手渡した。
 そして彼は「投げるのはあなた自身でなければなりません」と言った。
 私は三個のコインを投げる用意をした。ユングは私を止めて
「待ちなさい。あなたはどのような問いを持っているのですか?」
 私は何も問題を想像することができなかったというのが実情であった。私には空に一辺の曇りもないように思われたのである。それでもなお問いは多数あった。
 問いを設定したあと、私はコインを投げた。庭椅子に腰をかけたままユングは、コインが地面に止まる間、地面のほうへと深くかがみ、注意深くコインを凝視していた。彼は裏表を見定めて勘定した。裏が二枚で表が一枚で、ユングはそれを破線(〓)で表した。二回目は表二裏一で実線(−)、三回目は三個とも表だったので陰線(〓)となった。
 最後の一投が終わると、六画卦を記録した紙を私に渡した。
 実線と破線を組み合わせて六画卦を形成する易経の方法は全部で六十四の異なった組み合わせを作ることができる。
 易経はそれを信じない人々の場合でさえ、一貫して意味のある答を出す。

 さらに次のようにも書かれています。
『コインと人生は表面的には偶然のように見える。しかしユングにとってそれは、明らかに偶然をはるかにしのぐものであり、しかも因果関係でもなかった。』
 あまりに当たる占いの結果を見て、ユングはシンクロニシィティという概念を生み出します。
 それは、「意味ある偶然の一致現象を説明する非因果的関連の原理」と訳されました。
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 さて、シンクロニシティは「似ている」とも考えられます。未来の現象と卦が、似ているからです。
 この「似ている現象」がないと、六爻占術では占うことが出来ません。
 外応も同様です。株価の未来と、バッタの飛んだ曲線が「似ている」のです。それも、ほぼ完璧に・・(笑)。
 うーむ・・面白くなってきました(笑)。
 ビックバンでわざわざ差が創り出されました。でも差が無いと、似ている現象すら起きることが出来なくなるからではないでしょうか・・。
 あの世では全て「似ている」から、「似ている現象」だけを抽出することが出来ないのです。
 つまり「似ている現象」を抽出させるためにわざわざ「差」を作った・・・
 なんか、とても面白い事が出てきそうな今回のテーマです。
 もったいなくて、先に進めません(笑)。
「似ている現象」は「相合関係」

 今日の仮説も飛んでいます(笑)。心して読んで下さい。
 六爻占術には「相冲関係」というのがあります。
 9月に亡くなると言われていたお父さんの病気を、ウサギ八匹でやっつけました。
 十二支で卯(うさぎ)と酉(9月)は対極にあり、お互いに攻撃し合う性質を使ったのです。
 相冲の逆は「相合関係」です。私は卯年生まれですが、卯と水平に位置するのが戌(いぬ)です。だから私は犬と仲が良いのです(笑)
 似たもの夫婦がコインを振れば、世応(相手と自分)は相合関係になっているでしょう。
 フェルルと私も、きっと相合関係です(笑)。
 こうして考えると、「似ている現象」は「相合関係」だと考えることが出来そうです。
 今までこのHPでは「相冲」がモテました(笑)。
「問い」は相冲行為であり、お互いに刺激し合うという概念があったからです。
 でも今日から、相合もモテてきます(笑)。
 なぜならば相合こそ、ネットワークが完璧に繋がった状態ではないかと思うからです。
「バッタが飛んだ軌跡」と「翌日の株価」は、相合関係だったのではないでしょうか・・
「落ちたコインの裏表」と「未来の現象」は、相合関係だったのではないでしょうか・・
 つまりシンクロニシティという現象は、相合関係が引き起こす現象なのではないかと思ったのです。
 相合関係のことをトラさんは「引っ張られる現象」と表現しています。つまり、お互いに引っ張られて、それしか身動きがとれない状態です。自由がなくなるような状態です。
 バッタは黒板にぶつかるしか、身動きの取りようがなかったのです。
 赤ずきんを被って他人の金運を自分に持ってきた人も、相合関係を使いました。
 つまり赤ずきんを介して、他人と自分をネットワークで結んだのです。
 この仮説が正しければ、あらゆるものが同じ強さでネットされているとは、限らなくなります。
どちらが先か?

 シンクロニシティというのは、どちらが「先」なのか・・という問題があります。
 アメリカのデューク大学にライン博士という人がいました。
 彼は横幅が広い滑り台の上から何かを落とし、それを念力が強い人に右や左に振らせました。それを統計に取ると、明らかに相関関係が発見できました。
 彼は念力が存在することを発表しました。それを見たユングは、反論しました。
「右に行くから、右への思念を持ったのではないでしょうか?」・・と。
 つまりユングは、念力で動かす関係も、シンクロニシティで解釈したのです。
 そしてユングは、シンクロニシティは、原因と結果が不明だという仮説を持っていたのです。どちらが先か、分からない・・と。
 ここで、今回の私の書き込みで、初めて「問い」が登場します。
 問いをした結果バッタがぶつかったのか、バッタがぶつかるからそういう問いを持ったのか、ユングに言わせれば不明なのです。
 人生は問いの結果だと言っていますが、そういう人生を歩むから、そういう問いを持ったとも言えないでしょうか・・。
 相合関係では、どちらが先とも言えないのではないでしょうか・・。
 こうなると、運命変更すら決まっていたという人も出てきそうです。
 しかし変更された運命が、元旦の振った年運に出ないのはどうしてでしょうか?
 大局的に言えば、そういう問い(元旦の振った年運に出ないのではないかという問い)を持っていたから・・とも言えます。
 しかしその問いも、元もと持たさせていなくては、つじつまが合いません。
 ここまでくると、自由はゼロです。
 再び振り出しに戻りましたが、私はこういう状態(スタートライン)がとても好きです。
 なぜかと言えば、どこかの方向に出発してしまうと、相合する先が限定されてしまいそうだからです。
相合の相手は鏡に写った自分



 今日は少し、理系の話です。図は、十二支の相合関係を円にして関係を書いたものです。
 横の関係が相合関係です。
 子−丑
 寅−亥
 卯−戌
 辰−酉
 巳−申
 午−未
 この関係は、鏡に写った関係だと思いました。それぞれ陰陽が反転しているからです。
 でも私には、もっと気づきがありました。
 六爻占術で振ったコインの陰陽に十二支を貼り付けるとき、納甲の歌というものを使います。あれによれば陽は時計回りであり、陰は反時計回りでした。
 さらに私の仮説によれば、全ては18ビットで表すことが出来ますが、それは「開始情報」でした。
 つまり始点から何度ずれた位置からスタートしているか(位相のずれ)が問題なのです。
 多くの人はすべて同じ方向に回っていると解釈します。だから
 子(345°)−丑(15°)
 寅(45°)−亥(315°)
 卯(75°)−戌(285°)
 辰(105°)−酉(255°)
 巳(135°)−申(225°)
 午(165°)−未(195°)
 という風になります。
 でも私はそうは考えません。陰は逆転しているからです。だから
 子(15°)−丑(15°)
 寅(45°)−亥(45°)
 卯(75°)−戌(75°)
 辰(105°)−酉(105°)
 巳(135°)−申(135°)
 午(165°)−未(165°)
 となります。
 回転方向は逆ですが、開始する位相は同じなのです。つまり陰陽が逆転しているだけで、あとは同じなのです。これが相合を、位相で捉えた姿です。
 つまり、鏡に写った同士の関係なのです。
 もっと言ってしまえば、お互いに鏡に写った自分と相合しているのです。
磁場女



 今日はこの取材に対して、事前にレジュメを作りました。
「私は原因説」から脱却していないですが、それでも面白いのではないかと思い、今日のメインの書き込みとさせて頂きます。

磁場とは何か? なぜいろいろなものを惹きつけるのか?
●本物の「磁場女」は実在する
 中国の蘇生超能力者孫儲琳(そん・ちゅうりん)の指導の元でセミナーを受けると、磁気黒板に刻印を出すことの出来る人たちが現れます。天目(第三の目)やひゃくえい(頭上)といったところから磁場が吹き出しているのです。3,000ガウス以上あります。ちなみに理科の実験に使ったU字型磁石は200ガウス程度です。
 磁気反応が出た女性たちは男性から大変にモテるのが現状です。
 もちろん磁気反応が出た男性達も女性からモテています(私もそのひとり(笑))。

●孫さんはどういう指導をしたのか
 孫さんの瞑想は、右手に太陽、左手に月をイメージして、エネルギーのボールを作るという練習をさせます。実際にボールが写真に写った人もいます。
 つまり陰陽を両方とも同時にイメージさせて、出現させる練習ですが、陰陽が同時に発生すると回転を始めます。世の中のものは、ほっておけばみんな回転を始めます。惑星しかり、原子しかり・・。体内でも同じです。
 陰陽はプラスとマイナスに相当して、それが回転すると磁場を発生します。
 これが磁気刻印の原理です。

●磁場女はなぜモテるのか
理由1
 陰陽は電気磁気を含むすべてのエネルギーの原型に当たり、男女の陰陽の原型でもあります。それが回転することで異性を惹きつけるエネルギーに変わるのだと思います。
 試しに私は女装して測定しましたが(念力計)男性だけのときの倍くらいエネルギーが出ました。
 では普段、女っぽい男性あるいは女性(中性系)で、なぜダメかと言えば、中性系の人は陰陽の差がハッキリ出ていないので、ダメなのです。
「磁場女」は肉体を含む表面はかなり女っぽいですが、内部はそれと同じくらいの男性性を持っているのです。だから磁場が出るのです。それが性的な引力エネルギーに変換するのです。
理由2
 六爻占術によれば「相合」する男女はうまくいきます。相合とは十二支を円に書いたとき、鏡に写ったような状態です。
 この状態は人によって固定されたものではなく、時間や場所、相手によっても変わります。占う対象(精神的相性、肉体的相性)によっても違ってきます。
 しかしこれは人が意識して変化させることは出来ません。潜在意識(無意識)の領域なのです。
 陰陽が固定された人は、相手によって変化させることが難しいのです。つまり自由度が低いです。
 こんな人のために不思議研究所では、十二支の携帯ストラップを提供しています。相手を占い、その相手の十二支と相合する十二支のストラップを付けてデートにいくと良いからです。
 陰陽を両方持っている女性は、相手によって自分の十二支を無意識に移動出来るのではないかと思います。そして相合をかけます。
 つまり「磁場女」は相手に相合をかけるのが自動的なのです。相合をかけられた相手は(知らず知らずに)その人を好きになるのです。
 図を見れば分かるように、相合する相手の陰陽は、必ず逆です。もしも女性性(陰性)しか持たないとすれば、相手の男性の陽性とだけしか相合関係に入ることができません。でも陰陽を両方持っていれば、二本の線で繋がる可能性も持っています。これがなぜ有利かと言えば、プラトニックな部分と肉体的に部分の十二支は、違うときが多いです。両方が相合関係に入ることが出来る人は、精神面でもエロチックな面でも、バッチリと繋がることができ、それが相手に事前に伝わり、モテるのです。
 ちなみに不思議研究所でこれから売り出すグッズの中に「ラブコイル」というものがあります。ゆらぎをかけて作ったコイルですが、これを持っているだけでモテまくります。これも磁場を作ることと何かの関係があるのではないかと思います。

「運命自動化システム」はあるかも知れません

 昨日の書き込みは少々くだらない書き込みでしたが(笑)、一番の問題提起は次の点でした。
>「磁場女」は相手に相合をかけるのが自動的なのです
 例えばエアコンは、一度快適な温度設定をしておけば、あとは自動的にその値をキープしてくれます。
 それと同じ事が運命の世界で起こっていないでしょうか?つまり運命自動化システムです。
 もちろん今までも、「金持ちはいつも金持ちで、貧乏人はいつも貧乏」という仮説は正しそうだと言われてきました。
 これが成り立つためには、金運自動化システムが仮定されると便利です。
 そして、この原理が解明されることは画期的なことです。なぜなら自分の値を上げに行くだけで良いからです。それが出来れば、いちいちコインを振る必要がなくなります。
 これを可能にするのに、一つ方法があるような気がしました。
 それは・・いつでもスタートラインに帰るということです。
 六爻占術の卦の中で、月日以外は固定されたものです。固定されたものが何かと言えば「開始情報」でした。
 卦の中に出ている開始情報に対して、月日が変化を始めて、吉凶が変化し始めるのです。ある時には運が良かったり、ある時には運が悪かったり・・
 しかし、いつでもスタートラインに帰るということは、昨日振った卦(開始情報)をリセットしてしまう可能性があるかも知れません。
 数日前の書き込みで、次のセンテンスを書いたことがありました。
>ここまでくると、自由はゼロです。
>再び振り出しに戻りましたが、私はこういう状態(スタートライン)がとても好きです。
>なぜかと言えば、どこかの方向に出発してしまうと、相合する先が限定さてしまいそうだからです。
 運命を遂行するシステムにとって最も怖いのは、ゴールに向かわないヤツかも知りません(笑)。
「運命自動化システム」は、もしかすると存在するような気がします。そうでなければ一生運で人間を縛れないのではないでしょうか・・。
地軸の傾きが、十二支の始点を決定したのかも知れません

 まずは、下のアドレスのページを見てきて下さい。
http://www.city.itako.ibaraki.jp/ayame/ayame/index/005/koudo.htm
 夏の太陽は78.4°の角度に見えます。90度から引くと11.6°です。
 中国の北京あたりだと、15°くらいになると思います。
 何故こんな話題を出したかと言えば、相合にするための「鏡」がなぜ子と丑の間に置かれるかという問題があるからです。
 一番考えられるのが、日にちが切り替わる0時(子時のど真ん中)が妥当だと思うからです。0時は陰陽が切り替わる場所で、孫さんの瞑想でも重要視されています。
 でもそうなると、子と午は相合する相手がなくなります。何故1時(子時と丑時の間)なのか・・
 0時から1時までは、十二支の回転で言えば15°です(360÷12÷2=15)。太陽の傾きに似ています。
 ふと、閃きました。ひょっとすると、地軸の傾きが「鏡」の位置を決定したのではないでしょうか・・。
 ところで私の、六爻占術等を使った運命の解明に、今まで地軸の傾きが登場したことはありません。今回が初めてだと思います。
 なので多少強引かも知れませんが、地軸の話題を出してみたかったのです(笑)。
(しかし大事な点は、地軸の傾きさえ、「結果」のはずだということです。)
 さて、ここまでは自転系でした。なぜなら一日の時間を話題にしてきたからです。
 ここからは公転系の話題に入ります。
 もしも地軸の傾きが無かったら、月の十二支をどういう風に割り振って良いか、分からないと思いませんか?だって夏でも冬でも、差が無くなるのですから・・。
 太陽の周りをぐるぐると回るだけで差が発生せず、どこを子に割り振って良いか分からなくなるはずです。
 しかし、最初の動画を見れば分かるように、地軸の傾きがあるから差がはっきりと出てきます。
 こうして考えると、地軸の傾きが十二支の始点を決定したのだと言えるかも知れません。
じゃあ、日はどうすんの?

 昨日は、地軸の傾きが「時間」と「月」の十二支の始点を作ったのかも知れないという書き込みをしました。
 しかし「日」はどうすんの?
 日は、六爻占術の中では最も重要です。用神は、月から生剋を受けるよりも、日から受けるほうが効くからです。
 今日は7月20日ですから巳日です。次の巳日は12日後の8月1日です。
 ところで「時間」と「月」の十二支は、次が訪れるときは、一周した時でした。子時は毎回23時と決まっています。未月は7月と決まっています。
 7月20日から8月1日にかけて、どこかを一周したでしょうか?どこも一周していません。
 日は自転と公転の中間に位置するような感じです。なのに一番「効く」のです。
 うーん、どうしてでしょうか・・そして、どうなっているのでしょうか・・。
 ここで荒っぽい仮説を取り入れれば・・「とにかく一回転したら、一個進める」です(笑)。
 これが適用されるのは日だけでなく、年の十二支の移り変わりもです。卯年から卯年になっても、銀河系を一周するわけではないからです。
 もう一つの荒っぽい仮説は、「一周するものがあれば、12等分する」です。
 これが適用されるのが、月の移り変わりです。しかも月は、日がまだ回転の途中にいきなり変わります。
仮説「場の方が回転する」

「じゃあ、日は、どうすんの?」という問いに対して昨日出した仮説は、「とにかく一回転したら、一個進める」でした。これは、あまりにアバウトです(笑)。
 こういう動き方をするものは、自然界にはほとんどありません。
 それで今回考え出した仮説は、「場の方が回転する」です。つまり12日周期で、場の方が回転しているのです。
 本体が物理的に回転していないとすれば、周囲が動けば良いというわけです。
 この理由は二つあります。
●時間の十二支の細分化
 トラさんによれば、時間の十二支はもっと細分化できるのです。
 巳時は9時から11時ですが、デイトレ(株などを日ベースで売り買いすること)などをやるときは、もっと細かいのがあると良いです。
 その時は、巳時の2時間をさらに12等分できるのだそうです。
 これなども、場が回転していると、説明が付けやすいです。
●銀河運動装置の誤差
 今、銀河運動装置を実験していますが、理論的にはあり得ない時間帯に、良い結果が出たりするのです。これに対して私は随分と悩みました。
 つまり地球は、自転公転以外の運動をしているのではないか・・と。
 でも場が動いていて、それが銀河運動装置に影響を与えているとすれば、理解できそうです。
 神坂さんは誤差から未知エネルギーを発見しましたが、今遭遇している現象も、誤差に相当するのです。
 以上の理由から、場が動いているのではないかという仮説が生まれたのです。
伊勢神宮のお陰参り

 伊勢神宮の神主さんから手紙が来ました。
 伊勢神宮には60年に一度、大規模な参拝が発生する年があるのだそうです。その年は国民の10人に1人が伊勢神宮に参拝に行くのだそうです。
 伊勢神宮ではそれを「お陰参り」と呼んでいるそうです。その年は決まって、江戸時代からずっと「庚寅年」なのだそうです。今度の庚寅年は2010年です。
 さてメインの話題に入ります。
 十二支だけが移り変わっているわけではありません。甲・乙・丙・丁・・の十干も回転するように移り変わっています。十干は十進数です。十二支は12進数です。
 十干と十二支の最小公倍数のサイクル(60年)で、「お陰参り」を発生させています。
 伊勢神宮は、20年に一度の遷宮を使って三合局を作り出すほどの時空操作の達人です。しかも天照大神は日本の神々を相互にくっつける接着剤の役割を果たしていると、神主さんは言っています。
 さすがです。「神頼み」だけで成り立っているわけではないのです。
 さて、伊勢神宮の三合局は巳酉丑です。この三つの年以外に遷宮をしません。
 ここで今日の新しい仮説が登場します。
 伊勢神宮は「時間の三合局」を使っているのではないかも知れません。
 何でそんな仮説を考えたかと言えば、巳年、酉年、丑年に来る地球の位置は、計算できるからです。
 地球の自転にしろ公転にしろ、その運動によって位置が変化しているに過ぎません。
 時・日・月・年というように時間系で考えてしまうから、十二支は時間の回転の一つであると考えがちですが、位置としての空間系だって良いはずです。
 いえ、実はここまでくると、本格的な問題が生じます。
 それは、時間系と空間系は、どちらかが「原因」でどちらかが「結果」である可能性があるからです。
 空間の中に配置された十二支は、もしかすると時間の結果かも知れません。
 だとすれば、おおもと(原因の世界)は、時間系だということになります。その逆も真かも知れません。
 今日の書き込みは少々混乱を招きそうですが、全ての可能性を捨てたくはありません。その意味もあって書きました。
空間系的視点から攻める

 電波は時間系のイメージがあります。見えないし(笑)、「波動」とか言って、時間の関数だからです。
 しかし私にはどうしても空間的に見えます。朝の3時にだけエネルギーを出す電波など存在しないからです。
 電波は発信源から出て、空間を飛んでいきます。時間はあくまで補助をしているに過ぎないと思います。
 私のバイクには燃料が入っていますが、朝の3時にだけ燃焼するガソリンなど聞いたこともありません。
 しかし十二支は違います。丑の置物を置くことと丑刻に事を始めることは、同じ効果を持ちます。だから十二支は空間と時間の両方にまたがっているように思えました。
 しかしです。今回は思考ゲームとして、「どちらか一方」に寄せて考えてみようということになりました。そして私は、空間説を採ってみました。
 朝の3時には、地球はある場所にいるはずです。もしかすると、「時間」が「丑」なのではなく、「場所」が「丑」かも知れません。
 さて、十二支の側が何らかの形で我々の周りを「空間的」に回っている可能性があります。12日に一回転の割合で・・・
 そうだとすれば、全て空間説で解釈することが出来ます。
 もう一つ理由があります。時間は一次元です。時間を元に戻すことは、今の科学ではありません。孫さんの蘇生にしても、時間が戻っているという証明は出来ません。
 伊勢神宮の遷宮を一年間違えたら大変です。時間は一方方向にだけ流れていくからです。
 しかし空間ならば、間違いを正すことができます。酉の置物を間違えて南に置いたら、間違いを気づいた時点で西に置き直せば良いのです。
 つまり空間の方が自由度が高そうです。自由度の低い時間系は、「原因」の可能性は低いと思います。なぜなら通常、原因から結果になるに従って自由度が減るからです。
 地球や太陽系という「場所」があるから、時間の中の十二支も存在するのではないでしょうか・・空間に配置された十二支によって・・
 しかし、もしも十二支が「時間」の中にあったとします。そのとき、宇宙空間に孤立して浮かんだ物体に、十二支が時間とともに変化しているでしょうか?
 どうもそうは考えられないのです。
 自転も公転もせずに止まった物体に、十二支が変化しているとは考えられません。
 だとすれば時間説は、おかしいのではないでしょうか・・。
時間系的視点から攻める

 時間と月の変化は地球の自転・公転の上に起こる変化なので、時間がキーだと言えるかも知れません。しかし日と年は困ります。
 でももしも、12日で一回転するような時間の流れがあれば解決します。
 その流れが我々の時間の流れとは直交するものなら、我々が関知できないのはないでしょうか。エネルギー状態だけが影響するものであれば、日と年の説明は付きそうです。
 ところで困ったことが発生します。方位の十二支です。
 卯は常に東です。何時間、何日、何年経とうが、卯は東です。
 時間がキーだとすれば、どう解釈すれば良いのでしょうか?
 でも空間系とも言い難いのです。なぜなら、車に乗っていくら東に進んでも、卯を追い越すことが出来ないからです。
 逃げ水のように、進行方向に卯が固定されたままです。馬がニンジンをぶら下げて走るようなものです。
 だから、距離と時間から独立しているように見えるのが方位の十二支です。 
 では、どうしましょう・・。
 100メートル先(東)が卯だったとしましょう。しかし100メートル進むと、また100メートル先が卯なのです。つまり基準が「自分」なのです。
 日や月は誰にとっても同じ変化が訪れます。しかし方位は、人によってそれぞれ違うのです。
 時計でいえば、日や月は、私達が時計の周囲(文字盤)にいるようなものです。しかし方位は、時計の中心にいるようなものです。中心が移動すれば、時計の文字盤も移動しますから・・。
 こうして考えると、方位は、自分の周りにできる別次元の時間の輪なのかも知れません。
 方位というのは、とても自己中心的なものです(笑)。
 ところが置物で運命を改善するときには、抜群の効果を発揮します。酉が忌神で卯で冲するときは、わざわざ西に置いたりします。
 もしかすると卯の置物が、他の人の運命を変えたりしないように・・かも知れません。方位とは、あくまで個人的なものだからです。
 ところでこう書いていると、変な感じです。私が生まれた瞬間に、私だけの方位が出来たのですよね(笑)。私が死ねば、私の方位も死にます(笑)。
 ところで何故「私だけの方位(笑)」が存在するのかといえば、私は空洞だからだと思います。周囲の十二支こそが、「私」の原因なのだと思います。
 だからそこに、十二支を配置することで自分の運命を変更できるのです。
再び空間系から攻める

 親戚に子供が生まれました。
 夫の側に問題があり、治療も無理で、子供を持つのは諦めろと言われていました。
 夫婦でコインを振ってもらいました。
 妻の卦は、原神が退神していました。夫のは、原神が回頭剋でした。
 退神と回頭剋の両方をバッチリと押さえる方法は見つかりませんでした。別々の十二支が必要でした。
 そこでトラさんに相談すると、言いました。「妻の方を主に変更した方が良いです。」
 うーむ・・しかし問題があるのは妻ではなく、夫の方です。
 でも言われた通り、退神をさせないように羊のストラップをさせました。そして、それをするのは妻の方です。
 一ヶ月もしないのに妊娠しました。病院は、「こんなことは全くあり得ないことだ」と言いました。
 妻のほうの両親は小さな羊に向かって、両手を合わせてお礼を言いました(笑)。
 トラさんは、「羊は生まれるまで持っていなさい」と言いました。
 そして彼女は、陣痛が始まり病院に駆けつける時も、羊を持って行くことを忘れませんでした。
 羊を握り締めていた手に力が入った瞬間、彼女は一児の母となりました。
 未月でしたが、生まれた日と時間は応期とは合っていません。
 原神が退神していたので、何も運命変更しなければ、生まれることはなかったと思います。退神はやはり、相当効くからです。
 そして、赤ちゃんが誕生しました。
 もしかすると、時空のプログラムには無かった、最初の赤ちゃんかも知れません。
 そして彼女(妻)の側の運命変更をすれば、自動的に夫の体も治ったのです。
「原因」とはいったい何なのでしょうか・・

 さて、彼女が幼稚園の頃、私の家(日の出村)に遊びにきました。冬でした。
 彼女を連れて、サマーランドの屋外スケートリンクに行きました。
 スケートをするのが初めてという彼女に、私は彼女の両手を持ち、私はバックをしながら教えました。
 お腹がすいたので彼女をリンクの脇のベンチに休ませ、私はリンクの向こう側にある屋台に、フランクフルト・ソーセージを買いに行きました。
 ケチャップとマスタードをたっぷりと付けてたフランクフルトを一本ずつ持ち、スケートしながら彼女の元に戻りました。
「ケンちゃんおじさんはすごいんだよ。両手に持ってスケートして持ってきたたんだよ」
 彼女の両親に何度もこう言ったそうです。
 そしてもう一度私とスケートに行きたいと言っていました。
 でも私が富士通を辞め、独立して忙しくなり、それも叶いませんでした。
 彼女は大学を出て、スチュワーデスになりました。そして幸せな結婚式を迎えました。
 その直後でした。子供を持つことは出来ないと宣言されたのは・・。
「こんちくしょう・・時空の好きにはさせないぞ・・。」
 試作品の携帯ストラップが第1号として、彼女の元に出荷されました。それを強く握り締めて彼女は陣痛にも耐えました。
 子供が生まれてから、私は思いました。「そうだ、帝王切開して生年月日移動することで、運命も変えることが出来たんだ。」
 ところでそんな気は、初めからありません。生まれるということだけで100点満点だったのです。
 実は卦を見たとき私は呟きました。「行ける・・。」
 用神が月から生じられていたからです。でも原神は退神でした。
 まるで時空から「さあ、やってくれ」と言われているようでした。
 しかもトラさんの「妻の運命変更だけで良いです」という一言は、時空から「あんたがフランクフルトを持っていったのは彼の方ではなく、彼女の方だろう」と言われているようなものでした。
 そうなのです。彼の側を治したとしても、ただそれだけで終わってしまい、子供は生まれなかったのかも知れないのです。
 時空は無情だと思います。しかし問いを上回るとも思われる答えが返ってくる時もあるものだと思いました。
 羊のストラップをすることは、空間系でしょう。それをどうやって時間系で説明できるのか、私にはアイディアが浮かびません
原因って、あるの?

 最近このメインコーナーは、本当の原因は空間か時間か・・という問題を取り上げてきました。
 時間こそ、原因だ・・空間こそ、原因だ・・真っ二つに分かれました。
 さて、そこで問題です。原因って、あるの??????
 疑問文禁止のメインコーナーに、「?」が六個もつきました(笑)。
 不妊に関して、親戚の妻の側に原因は無いとされました。夫の方にある・・と。
 夫は新聞社(朝日ではない(笑))に勤めていて、とても多忙で、とてもストレスが多いです。おそらくそれが本当の原因です。
 しかし世の中には「あなたの・・、短小ね・・」と言われて不能になる人だっていないとも限りません(笑)。この場合は、妻が原因です。
 私の会社で売り上げが落ち込んだときがありました。その原因は何だったでしょうか?
 分かりません(笑)。それは景気が悪かったのか、商品が悪かったのか、社長の私ですら分かりません。
 でも羊と猿の置物を置いたら、途端に回復しました。この場合も、「原因」を修復しようとはしていません。
 そもそも原因って、あるのでしょうか??????
 宇宙の始まりから私達の運命は決まっていました。なのに原因を追及するのって、何か変ではないでしょうか・・・。
 不妊の場合、夫の側も、全て結果の世界だと思います。
 だとすれば、最終的に変化させたい「結果」だけを対象にすれば良いのです。
私と原因

「原因って、あるの?」という問題提起を昨夜しました。それに対する仮説は「原因は無いのではないか」でした。
 しかしです・・。どこかに原因が無ければ、変わりようがないのではないでしょうか・・。
 変わるというのは、どこかに何らかの原因があると思うからです。そこにアクセスしているはずです。
 今日の仮説は、「私以外のすべてが原因なのではないか」というものです。
 ネットワーク論でもこれは出ました。私は空洞であり、私以外の全てが原因である・・と。
「私は結果である」というのは「私以外のすべてが原因である」と言えないこともありません。
 羊の携帯ストラップは、彼女以外の原因の全てにアクセスしたのです。
 もしも「夫が原因である」と思い込み、夫だけの改善に焦点を当ててしまうと、それ以外の全ての原因の要素を捨て去ることになるのです。
 だから最終的に改善すべき「結果」だけに焦点を当てないといけないのです。
 仏教の世界には「因果応報」というのがあります。自分の行動が原因で、それが応報となって返ってくるというものです。
 逆に言えば自分のレベルを上げれば、自分に対する応報のレベルも上がってくる・・と。
 やめて欲しいです。彼らはどこまで説教したがるのでしょうか・・。
 ところで今回の「原因説」でただ一つ、これだけは言えるというのがあります。
 それは「私にだけは原因はない」です。そして私以外の全てが原因なのです。
 こんなことがいつか、学校でも教えられるようになるのでしょうか・・。
 人格は外から作られる・・・金持ちは外から作られる・・ありがとうと1000回言うしかないかも知れません(笑)。
問われた人は自由を失う

『もりけん密着24時間(仮題)』というビデオ撮影のとき、オフ会で、撮影チームが参加者に質問をする時間がありました。
 そこで思ったことは、問われた人は自由を失う・・ということです。
 問われた問いを問う・・ということまでする人はほとんど無く、与えられた問いに答えるのが精一杯の印象を受けました。
 問いを問うことをしないだけでなく、撮影チームが「森田先生」という単語を使っているのに、それに突っ込みを入れる人もいません。
 つまり言い方は悪いですが、問いに入墓しているような感じでした。
 しかし別に参加者に問題があるというわけでもありません。
 思い出してみれば私達は、道を訊かれた時も、その問いに答えようとして他の事は忘れます。
 つまり問われた方は、その問いに支配されるのです。逆に問う方は、相手を支配します。
 私は娘の相談を受ける時、よく言われます。「私の話、聞いてんの?」これなどは私を支配できないときの不満です(笑)。
 支配する関係と支配される関係・・それが問いなのではないでしょうか・・。
 これって人間関係でも言えるかも知れません。問いのレベルが低いと(失礼)、その二人の関係は低くなるのです(笑)。
 ところで、問われた問いを問うということは、並大抵なことではありません。
 例えばビデオ撮影を例にとれば、撮影隊は練られたプランの元に問いを発していると思われるからです。
 さらにその直前の講演会はタダで、お菓子と飲み物まで付いていました(笑)。
 なのに「あなたのその問い、変よ!」などと言えません(笑)。
 孫さんセミナーでは一人につき一個の問いしか出来ません。以前は一人何個も質問出来たのですが、あまりに問いの質が落ちるので、そういう風に変えたのです。
 すると問いの質は格段に上がりました。
 たった一個しか問いを出来ないというルールが、問いを問い直したのです。
 だから問いというのは、よほどの事が無いと問い直されない・・のです。
 それは問われた人は、自由を失うからです。
答えが問いを越えるとき

 オフ会でインタビューがあったことは昨日書きました。
 私の女装についての質問を、参加者にしていました。
 そのとき出たことは「もりけんさんはプライドを捨てている」ということでした。
 次の瞬間、私にマイクが向けられました。「もりけんさん、本人としてはどうですか?」
 私は答えました。「私はプライドがとても強いです。だから捨ててないです。ですが捨ててます(笑)。外見が男だとか女だとかというプライドは捨ててますが、女装をすることによって得られるかもしれない『私は誰?』という問いに対する答えを得るためのプライドは、捨てていないのです。つまり下位の問いに関するプライドが強すぎるので、他のプライドはどうでも良くなるのです。」
 これは、相手から浴びせられた問いを、私は自分の中で問い返したのだと思います。
 つまり相手の問いと私の問いの両方に答える形で、喋ったのだと思います。
 私が面接に強いのは(笑)、どうもこの傾向があるためだと思います。
 面接官が問おうとしたもの以上の答えが返ってくれば、それは、ビジネスの世界では「発展性」につながるからです。仕事を依頼した場合、依頼した以上の成果を上げる可能性があるからです。
 今まではずっと「答えは問いを越えられない」でした。でも越えることもあり得るということです。
 ですが、やはり「答えは問いを越えられない」のです(笑)。なぜなら拡大されて返ってきた答えは、その人の中で新たに作られた問いが原因だからです。
 しかし結果的には、最初の問いへの答えを上回っています。
 これは一人の人間の内部で問いが増幅されたような現象ですが、ネットワークならどうでしょうか・・。
 ネットワークで連鎖反応を起こすと、問いが増幅される可能性があります。
 つまりAさんが発した問いにBさんが答え、それを知ったCさんが最初の問いに何かを付加して、その答えを出すこともありそうです。 
 こうなると、ネットワークにおいては、答えが問いを上回ることは日常茶飯事で起こりそうです。
下位の問いは、たった一発されるだけでOK

 一昨日は、問われることは自由を奪われることだと書きました。昨日は、問いを問うことについて書きました。この二つの間に何かが存在するかも・・と思いました。
 オフ会でインタビューされた「女装するとき、男のプライドを捨てていますか?」という質問は、外部からの問いです。
 その問いを問い直すという時の二番目の問いは、いったいどこから来たのでしょうか・・。
 それは下位の問いではないかといういレスもありました。
 さて、下位の問いの代表格として「私は誰?」があります。
 ところで普通の生活で「あなたは誰?」という問いを、根源的な問いとして投げかけられるチャンスは滅多にないでしょう。
 なのに私は、何故いつも考えているのでしょうか・・・。
 内部には自発的パルスはない・・というのが下條さんの仮説です。だとすれば全て、外部からの問いのはずです。矛盾します。
 先日、ビデオの取材で昔の写真を説明しました。そのとき高校生の頃の写真を見せました。「この頃、下位の問いを持ったのです」と言いました。
 でも「持った」のではないかも知れません。もしかすると高校生のとき、誰かに問いかけられた可能性があります。例えば高校のカノジョとか・・(笑)。
 交換日記でそんな問いが書かれた記憶があります。
「神はいるのか?」・・この問いは大学だと思います。
 それらは外部からやってきました。そして私の根底(潜在意識)に定着しました。
 それらの問いに対して、私は答えを出せませんでした。だからとても歯がゆいのです。
 それらの問いに対する答えが欲しいです。だから私には、それらの問いがいつも顔を出すのです。
 もしもこの仮説が正しいとすれば、下位の問いは、たった一発問われるだけで良いのです。そうだとすれば、たった一発の問いが、人生を決定するのです。
 そして誰かから問われ時、それが上位の問いであっても、自分の中に元もとある潜在的な問いと一緒になって考えることになるのです。
 下位の問いはその人の特有なもので、なかなか他の人は持ち得ない・・というような風潮がこのHPにもありました。
 でも私の問いが「たった一発」の問いとなり、潜在化された人だっているはずです。
 FOWでは3000人に向かって問いかけますが、あの中にだっているはずです。
 下位の問いを持つことは、色々な面で有利に働くと思っています。なので影響を受けてしまった人は、決して悪い人生に入ったわけではないと思います(笑)。
快楽構造

 今日も勝手な仮説を展開します。下位の問いは、下位のみで成立するのだろうか・・という問いです。
 上位の問いは快楽を伴います。エッチする場合、相手をどう攻めればもっと感じるだろうか・・(笑)どうやったら楽してお金儲けが出来るだろうか・・。
 これらの問いは、快楽と結び付いています。
 上位の問いは「もっと快楽を」「もっと苦を少なく、快を多く」が動機だと思います。
 しかし、下位の問いはそうではありません。「私は誰」の問いは、快楽が動機になっていないと思います。
 いえ、語弊がありそうです。上位の問いは、肉体が快楽を感じるタイプなのです。
 エッチにしてもしかり・・金儲けにしてもしかり・・です。
 下位の問いで肉体的にイクことは、ありません(笑)。
 ではいったい何がイクのでしょうか・・精神だと言いたいですが、とても難しいです。
 なぜなら昨夜は次のように書きました。「だからとても歯がゆいのです」
「歯がゆい」のが動機となるでしょうか・・・。
 歯がゆいのが苦痛だとすれば、苦痛から逃れる方法は、それを忘れることです。
 こうして人は、下位の問いから遠ざかるのではないでしょうか・・。
 そんなのを考えるのは面倒であり、考えることが快楽にならず、考えても無駄死にする可能性の方が大きいからです(笑)。

 では私はどうして下位の問いを持ち続けることが出来たのか・・自問自答しました。
 それは快楽構造の変化があったかも知れないと思います。
 7億円の借金を別に苦痛とも感じなかったので、構造変化はそれ以前だと思います。
 富士通とも考えられません・・では大学でしょうか・・
 大学に神父は100人もいて、宗教学を履修すれば、事あるごとに問われます。神について・・。
 しかし同じ大学の学生の多くが下位の問いを持ったとは思えません。「森田はそんなことを考えて、どうするんだ?」とよく言われましたから・・。
 もっと以前、すなわち中学時代を考えれば、下位の問いはおろか、問いをする前提としての自我すら持っていませんでした。
 では下位の問いを快楽化したのは、やはり高校時代だと思います。
 上位の問いは、答えが来ることに快感を感じます。
 六爻占術で金運を振って答えが来て、それで置物を置いて改善されれば快感です(笑)。
 しかし下位の問いは、答えがくることの方が稀です。
 ということは、下位の問いは、問うこと自体に快感を得ている可能性があります。
 ああ、やっと思い出しました。私はそれまで(中学時代)、人生を諦めていました。
『もりけん密着24時』で中学時代の写真を指さしながら、「この時代にだけは戻りたくない」と言いました(笑)。
 当時テレビなどに、どんなに活躍している人が写っていても、「うらやましい、ああいう人生を送りたい」とは思いませんでした。
 私にはなるべき人間像のようなものが無かったのです。つまり、既に人生を諦めていました。
 しかし高校時代に入り、キラキラと輝くようになりました(笑)それは「私は誰」を考えることが楽しくてしようがなかったのです。
 今でもそうです。りんごの部屋に一日いても飽きません。
 今日の書き込みは、全くまとまっていません。でも快楽構造に何らかの変化がある(あった)のではないかというのが、今日の仮説です。
書き込み期間:2005/07/12〜2005/08/05