もりけん語録
テーマ:「トラさんダンさん来日2006.11(後編)」
書き込み期間:2006/11/28〜2006/12/11
要旨:
セミナーは大成功に終わり、その後私達は京都を訪れました。
祇園閣・霊山観音・清水寺と巡り、撮影をしたり紅葉を集めたりなどして満喫しました。
次に、安倍晴明が奉られている晴明神社へ行くと、そこでは占いをやっていました。通常は長時間待たなければならないそうですが、私達が訪れたこの時に限ってはすぐに順番が回ってきたのです。
神主の判断は表現力がとても素晴らしく、よく当たっていました。トラさんも絶賛していました。

広隆寺を訪れた時、トラさんから仏像についての話を聞くことが出来ました。
この寺には弥勒菩薩が奉られていますが、私は元々ここにあるような美しい仏像が好きではありません。しかも仏は人を救うなどと言われています。
ところが中国の弥勒菩薩は、仰天するほど全く異なる風貌でした。太っていて満面の笑顔をしています。中国では苦しみから救われるためではなく、財運を上げるために弥勒像が飾られているのだそうです。
京都にあるもののほとんどは中国から伝来したものです。しかしただ一つ日本固有と呼べるものは、この自然だと思いました。自然は私達の環境であり、ブツや文化と違って輸出入することは出来ません。日本の自然は、人間が作った文化や仏像などよりも、ずっと大きく私達に影響していると思います。

トラさんセミナーのエキスを一つ紹介します。
同じ問いについて何度もコインを振った場合、それぞれの卦をどう判断するかという問題です。
常識的には、同じ問いには同じ答えが出なければおかしいと考えるでしょう。
ところが実際には振るたびに卦も用神の五行も違うものが出て、しかもそれらは全て正しく矛盾が無いのです。
これはどういうことかというと、同じ問いに対して毎回違った角度からの情報が乗っているのです。
時空は何故こういう性質を持つのかと考えました。
時空は時間の流れと共にストーリーが展開されるように、この世界を作ったのかも知れません。
もう一つ言えるのは、時空に絶対的真理は無いのではないか、ということです。同じことを問えば何度でも必ず同じ答えが出るとすれば、それは絶対的真理と言えるのかも知れません。しかし時空は問うたびに異なった側面を見せ、その中で展開されるストーリー全体が真理と呼べるのではないかと思います。
同じ回答が二度は出ないことから、時空のバッファ(データ記憶領域)は小さいのではないかと考えられます。だから一度振っただけで全ての情報を出すことは出来ないのです。

セミナーBグループでの質疑応答の時、大運の切り替わりの日に出かけて相冲する人に出会った場合、その影響は10年間にわたって及ぶという話がダンさんから出ました。
それについて私の方からトラさんに聞いたところ、関係ないとの見解でした。それで運に大きく影響するとしたら、占いは当たらなくなるからです。
私もこの見解を支持し、大運の切り替え日でも普段通りに過ごすつもりです。
新幹線や富士山を撮影し、トラさんとダンさんは成田空港から帰国しました。
セミナーは今後も定期的に開催する予定です。


目次
○ 雨上がりの京都
○ 清水寺
○ 晴明神社
○ 西に引っ越すのは吉
○ 「なぜ彼は顔を隠す必要があるのか?」
○ 「今」を知る
○ 弥勒菩薩
○ 文化よりも自然
○ 根源的な問いは、命式には出てこない
○ 「努力」して運命を変えるのって、どういうこと?
○ 振るたびに卦が違い、用神の五行が違うのは何故か?
○ 時空は「ストーリーがお好き」
○ 絶対的真理は無い
○ 「人生、いったい何だったの?」
○ 時空のバッファはなぜ小さいのか
○ サイチェン
雨上がりの京都

 今、京都にいます。150年前に建てられたという和式の旅館で、もともとLANが無いのは分かっていました。
 しかし・・ボーダホンのパケット通信が繋がらないとは・・。京都は秘境か?
 旅館の電話線を引っこ抜いて繋げたら、繋がりました。
 昨日着いた頃には雨も上がり、雨上がりの京都を探索できました。


「洛匠」という甘味屋さんで順番待ちをする私達


黒い魚も泳いでいます。


考古学研究所の、元門番が登場(右側)


 彼はトラさんから日本語の勉強を勧められ、それで日本に留学しました。今は奈良の大学の考古学学科で勉強しています。それからずっと彼が同行することになりました。

 甘味屋さんを出ると、お寺が見えました。そこから出てきた人に「すみません、何寺ですか?」と訊けば、「わ・・分かりません」という返事が・・(笑)。
 すると寺の女性が呼び込みを始めました。「ここは非公開の寺院ですよ。本邦初公開。しかも12月6日で再び門は閉ざされます。」
 そう言われちゃあ入らないわけにはいきません。龍池山大雲院・祇園閣という所でした。


雨上がりの京都を撮影するトラさん


織田信長と石川五右衛門の墓があるようですが、私達は行きません(笑)


お釈迦様の足跡だそうです。トラさんは「これは冗談でしょう」・・と(笑)。


 トラさんは仏像を見て「釈迦が手を広げて前に出しているのは、極楽の世界にいらっしゃいと言っているのです」と言いました。

案内されている人に説明を受ける私達(笑)


 そこから歩いて霊山観音という所に行きました。私達が持っているのは、お線香です。入り口で強制的に配布されます。


うーん・・壺も柳も持っていない・・


夜はセミナーの成功を祝って梅酒で乾杯



清水寺

 今日は清水寺から始まりました



紅葉を集める・・
何故かと言えば、トラさんの奥さんが蝶とか紅葉を集めるのが好きなのだそうです。




清水の舞台から紅葉を撮影するトラさん


清水の舞台の上でおみくじを引く




すると「凶」が(笑)


こりゃあ珍しいと言って、みんなが撮影する(笑)
ちなみに道教では、「凶」と「大凶」が吉なのです。


紅葉が綺麗な清水の舞台


ダンさんにシャッターを依頼する女性って、一体・・・


清水の下で、抹茶とおはぎと湯豆腐を食べました。美味しいと言って、みんな平らげました。



晴明神社

 陰陽師として有名な安倍晴明が奉られている神社に行きました。


 境内に桃のモニュメントがあり、桃に触れば厄除けになるということなど、六爻占術とも似ています。トラさんは「桃花なので、これに触れば異性運が良くなります」などという冗談も言いました(笑)。


 さすが晴明神社です。占いをやっていました。この後ろの建物がそれです。


 待合室に入り、そこでしばらく待ちました。一人15分くらいで回転していきます(セミナーと同じ(笑))。

トラさんが部屋に入るのが一歩遅くて、他の女性が間に入りました。


天井に書いてある文字は、「運命は神様がコントロールしているけれど、人間も知ることが出来る」という意味だそうです。


 いよいよ私の番が回ってきました。机の向こうには、おじいさんが座っていました。そして私の生まれた日と時間を訊いてきました。生まれた時間が分からなくても、ある程度は対応してくれるようです。
 彼は生年月日をもとに、スラスラと命式を書きました。そして判断を言い始めました。
彼「あなたは孤独です。しかし一般的な孤独ではありません。一匹狼です。サラリーマンはダメです。事業家の運です。それも大きくすればダメです。小さな会社でスーと長く上に伸びていくような感じです。」
私「はい、私は中小企業の社長です。」
ここで彼は妻の誕生日を訊きました。
彼「あなたは奥さんが良いです。奥さんが良いから、あなたは一匹オオカミとなって外に出て行けるのです。」
私「当たっています。」
彼「あなたは男の子に縁がありません。」
私「おお、ドンピシャリです。」
彼「なのでもしも妊娠すれば流産となります。」
私「その通りです。」
彼「あなたは物品を流通させるような仕事には向きません。閃きが形になる職業が良いです。自分の発想で勝負する仕事が向いています。」
私「そうです。当たっています。」
彼「精神的な世界を形にしていきます。お坊さんとか先生に近い運命ですが、それとも違います。ところであなたの財運はゼロです。」
私「えっ、お金はある方だと思いますが・・。」
彼「あのね・・、芸能人とか野球の選手の財運はみんなゼロなのですよ。彼らが財運を直接の目的にしたらダメになります。逆にゼロだと向こうからお金が入ってくるのです。財運のある人はそれを目指そうとするから、大したことはないのです」

これは彼が書いた私の命式です。


 次はトラさんが座りました。
彼「あなたは流れるように、柔らかく生きています。頭が良く、閃きが敏感です。商売や経済などの先を読める人です。霊感が強くて素晴らしい才能を持っています。雲に乗って上空に上がった時のように、遠くを見渡すことが出来ます。」
トラ「そうですか」・・と(笑)。
彼「あなたは科学的な仕事よりも心理学に近い分野に興味を持っています。でも宗教家ではありません。ところで、生まれた故郷を離れて仕事をする人ではありません。あくまで故郷を中心として仕事をします。」
 ここでお子さんの誕生日を訊きました。
彼「お子さんはあなたとは違い、理科系が得意です。」
トラ「はい、息子は物理は学校で一番です。」
彼「日本とは良い縁を持っています。もっと日本に来て下さい。」
トラ「はい・・。あなたはよく当たりました。記念写真を撮りたいです。」




 一人3000円です。日曜日は占いはやらないそうです。しかも16:00で終わりなので気をつけて下さい。
 大運や流年は出していないのでデジタルな応期の判断はありませんが、全体運を見る能力はかなりあると思います。トラさんも彼の表現能力を絶賛していました。

 彼(神主)は「2時間も待つよ」と言いました。なので諦めようと思いました。でも部屋に入ると、待っている人は一人しかいません・・。
 前の相談者は「えーーーー!!」という声に続いて「親元に帰るのなんか、嫌です」と叫んでいました(笑)。
 待合室にいると、弟子が誕生日と時間を聞きに来ました。しかし、トラさんの命式が違いました。トラさんは言いました。「あの・・誕生時間を間違えています。」
 しかし神主はさすがです。命式をサッと直しました。
 なので自分の命式(八字)を知っているみなさんも、こういうことに対処できそうです(笑)。
 トラさんの後の男性は、既に晴明神社で作った命式の紙を持っていました。固定客なのです。
 神主(彼)はバリバリの京都弁なので、私の通訳が入りました(笑)。それでも、彼の表現はとても素晴らしいです。
 帰りのタクシーの運ちゃんは、「待ち時間が15分なんて、普通はあり得ません。今日は特別です」と言いました。なので、待ち時間に読む本などを持参した方が良いでしょう。
 ちなみに、晴明神社はとても小さいです。

神社の外には、こんな店がありました



西に引っ越すのは吉

 晴明神社の件です。あそこは子連れがダメです。子供がいると気が散るから・・とか書いてあったような(笑)。
 ところで宮司の判断で一つ書き忘れた事がありました。以下の部分です。
*************
彼「最近引っ越しをする予定はありますか?」
私「あります。たぶん一ヶ月後です。」
彼「どちらの方向に引っ越しますか?」
私「100メートルほど西の方向です。」
彼「それはいい。西は運を上げますよ。」
**************
 彼は大運や流年の計算をしていないので、引っ越しの応期は取っていないと思います。彼は方向のアドバイスがしたかったのだと思います。
 私の命式には水の五行が吉です。西は金の五行にあたり、水を生じます。なので西に引っ越すのは吉なのです。


「なぜ彼は顔を隠す必要があるのか?」

 清水寺で修行僧に出くわしました。
トラ「なぜ彼は顔を隠す必要があるのか?」
森田「さあ・・」
トラ「恥ずかしいからでしょうか?」
森田「そうかも・・」
トラ「恥ずかしがっていては、修行にならないのではないでしょうか・・」
 確かにそうです。こんなのなら、誰でも出来ます(笑)。





「今」を知る

 まずは旅の道中です。

試食




どれでも1050円




トラさんは友達へのみやげに、日本人形を買う


ダンさんは女物のバックを買う


 さて、晴明神社の続きです。
 私とトラさんの間に、一人の女性が座りました。


 私は、私の前の相談者の声が聞こえてくるので、それを聞き耳を立てていました。そして私はトラさんに言いました。
森田「なんか宮司の方から色々と質問しているようです。」
トラ「え?黙って座ればピタリと当たるのではないのですか・・」
 すると間に座った女性が訊いてきました。
彼女「どんなことを訊いているのですか?」
森田「何を聞きたいのか・・と。」
トラ「中国では四柱推命なら普通、過去のことです。私なら過去のことを聞きます。」
彼女「えっ?過去なんか聞いてどうするのですか?」
トラ「過去が当たらなければ未来を聞いてもしようがありません」
彼女「そ・・そうですよね。そんなこと考えも及びませんでした。お二人はどんな方ですか?」
森田「(トラさんを指差して)実はこの人は中国では指折りの占い師です。しかも考古学者です。」
彼女「え??占い師??考古学者??」
森田「そうです。東京で占いのセミナーを開いてきました。」
彼女「有名な方ですか?」
森田「有名ではありません。百姓ですから(意味不明)。」
彼女「・・で、どんな占いをするのですか?」
森田「コインを投げるのです。」
彼女「コ・・コインを投げる??」
森田「そうです・・・。あっ、順番が来ました。では私が先に行ってきます。」
彼女「は・・はい。」
 というわけで、四柱推命は過去から始まるのです。それで腕を試されるわけです。これは面相占術とて同じです。過去が当たらなければダメなのです。
 ところが六爻占術はそうではありません。六爻占術は占い師の腕を試そうとすれば、別の情報が載るのが普通です。

 さて、晴明神社の宮司はどうしたでしょうか・・。私とトラさんの判断を見てもらえば分かりますが、「今」を占ったと思います。
「今」は過去と未来の接点です。「今」を知れば未来も知ることが出来るというのが、宮司の判断を見れば分かります。
 私の金運はゼロだそうです。それは「今」の情報でありますが、過去も未来もゼロでした。それを知ることで私は金運の束縛から外れることが出来ます。
「今」を知るというのは、とても大事なことかも知れません。大抵の人は、「今」を知らないのではないでしょうか・・。
(ところで晴明神社で占ってもらう時は、家族の生年月日をすぐに出せるようにしておいた方が良いです。私の前の相談者は母親に電話して聞いてました(笑)。)


弥勒菩薩

 晴明神社で占いが終わると、私達は外に出ました。境内に、命式を間違えて書いた弟子がいました(笑)。
「この辺にラーメン屋はないですか?」
「ラーメンですか・・境内を出て右に200メートルほど行くと、道の右側に中華料理屋さんがあります。」
 ということで私達は行ってみました。するとその店は定休日・・。
 私達は、その直前にあった食堂に入りました。トラさんとダンさんは「ラーメンよりも日本のおうどんが食べたい」と言いました。ちょうど良いです。その店には、おうどんがありました。


 二人とも美味しそうに食べました。その後行ったのが金閣寺です。






 さて、今日のテーマはこの寺です。イチョウの木を見ながらトラさんは言いました。「イチョウはその昔、遣唐使が日本から持ってきたのです。元々の中国にはありませんでした。」




 イチョウの話がテーマではありません。話を進めます。
 ここは広隆寺と言って、弥勒菩薩がいる所です。中は撮影禁止になっていたので、パンフレットを撮影したのを載せます。




 
 私は元々仏像が嫌いでした。特にこの弥勒は好きではありません(笑)。いかにも・・という感じです。
 でも、この弥勒の美しさに惹かれてファンになっている人も少なくないと思います。
 ところが私は、パンフレットに書かれている文章も好きになれません。
 人を救うのが、ホトケの役割でしょうか?だったらこの世界など、作らなければよいでしょう。作ってから救うとは、どういうことでしょう。
 もっともこの概念は、人間が作ったものだと思います。人間は、作った存在に救われたいのです。そういうことを考えた奴は、アホだと思います。

 さて、中国ではどうでしょうか・・。これが中国の弥勒菩薩です。

 
 最初にこれを知った時は、ぶったまげました。仏像をおちょくっていると思いました(笑)。
 この弥勒は、日本には来ませんでした。やはり日本人には拒絶反応があったのです(笑)。
 中国の弥勒も、最初は日本の弥勒と同じでした。ああいう形でインドから来たからです。
 ではなぜ中国では、この弥勒になったのでしょうか・・。
 ある所に和尚さんがいました。彼はまるで、晴明神社の宮司でした。相談者が来ると、未来を予測してあげました。それは、とてもよく当たりました。
 彼は死ぬとき言いました。「実はな・・私は弥勒菩薩の生まれ変わりなのじゃよ」
 彼はとても太っていました。彼の風体を形取り、中国の弥勒像が出来たのです。
 中国に行くと、お店の入り口には弥勒の像が飾ってあります。財運が上がるように・・です。苦しみを救うのではなく、財運を上げるのが目的です。
 仏像から「救済」という概念が消えました。これなら私も同意できます。弥勒が単なる「アイテム」に成り下がったからです。


文化よりも自然

 昨日の弥勒菩薩の情報も、トラさんから聞いたものです。つまり私はトラさんの情報を引き出したくて、広隆寺に連れて行ったのです。
 京都は日本文化の代表格とされています。しかしそこにあるほとんどは、外国が起源です。一体どこに日本固有のものがあるのでしょうか?
 今回の旅行で、日本固有の文化だと思えるものなど、何もありません。京都や奈良にあるもののほとんどは、中国から伝来したものだからです。
 しかし・・です。日本固有のものが、あると思いました。それはブツではありません。「自然」です。
 以下の写真は、「自然」に関係するものです。

日本食のコースが始まるのを神妙に待つ二人(笑)


新幹線で食べる駅弁を選ぶ二人


紅葉をバックに記念撮影


 これら三枚の写真は、中国では、ほぼ不可能なものばかりです。なぜなら全て「自然」に関連しているからです。
「自然」を輸入したり輸出したりすることは出来ません。「自然」は私達の「環境」です。「環境」は「私」を決定する重要な要素です。
「自然」からの影響を考えれば、仏像などほんの些細なものだと思います。
 私達の「内面」とて同様です。あまりにも大きな幻想としての自由があったとしても、「自然」に対面したら、吹き飛んでしまうと思います。
 今回の旅は、高尾山に行き、雨上がりの京都に行き、紅葉を楽しみ、自然を満喫しました。それは人間が作った「文化」などよりずっと大きなものです。
 日本的なもの・・それは日本の自然そのものだと思います。


根源的な問いは、命式には出てこない

森田「私のように、命式がどうなっていようが(つまり命式を無視してまで)、根源的な問いを追求しようという者は、人生を無駄遣いしているのでしょうか?」
ダン「命式には結果しか出てきません。つまり成果が出来高として出てくるのです。その人が勝手に追求していることは出てきません。無人島で金持ちになってもそれは命式には出てきません。」
 このやりとりは、Bグループのダンさんコーナーの最後に行われたものです。これが聞けて良かったです。
 私は命式に関して、ずっと誤解していたからです。自分が何をやるかということも命式には出ていると思ったからです。
 つまり私と同じ誕生日・誕生時間の人は、みんな下位の問いを持っているのか・・と(笑)。ところがそれは違うのです。
 ある人はサッカーの監督になったかも知れないし、ある人は歌手になったかも知れません。
 ダンさんは確か盲師から「あなたは占い師にならなければ軍人になりました」と言われたと思います。
 つまり同じ時間に生まれたとしても、職業というのは千差万別なのです。
 そして成果(出来高)というのもが相対的に計れる分野ではないとすれば、命式には出てこないということになります。
 これは面白いと思います。時空の盲点かも知れません(笑)。
 時空が自分自身(運命自身)を研究しようとすると、それは計ることが出来ないのです。


「努力」して運命を変えるのって、どういうこと?

森田「私は太ってはいませんが、それは命式に出ているのでしょうか?」
ダン「森田さんは、努力すれば太らないという命式なのです。放っておけば太るのです。」
 これはAグループ、Bグループ共に、授業中に聞いたものです。ここで気になるのは「努力」という言葉です。「私は結果」の世界では「努力」という言葉は消え去るはずなのに、出てきました(笑)。
 ところで実際の私は、すぐに太ります。中国から帰った当初、60キロありました。その後トラさんダンさんのセミナーに忙しくて全く努力をしていないので、体重が落ちません。
 私の理想の体重は57キロ代なので、少なくても2キロは落とさないといけません。これから『こりゃタマラン』に乗って努力を始めるところです。えっ?『こりゃタマラン』は努力じゃないって?(笑)

 さて、私と同じ誕生時間に生まれた男性の多くは、たぶん太っているのだと思います(笑)。男性の方がダイエットには気を遣わないと思うからです。
 ところで何でも努力すれば達成できるのでしょうか?そんなことはないのです。努力が通じる領域と通じない領域があるのです。私の場合には、体型に関しては努力が通じるのです。
 この情報は大きいです。だってそれは一つの運命変更の手段ですから・・・。
 しかし大きな疑問も生まれます。「努力」は、元々の運命に入っているのかいないのか・・。
 たぶん私と同じ時間に生まれた人は、運命に入っていないのです。そんなことって、あり得るでしょうか?
 努力という言葉が頭にこだましています(笑)。

振るたびに卦が違い、用神の五行が違うのは何故か?

 トラさんのセミナーのエキスを、一つだけ紹介します。
 みなさんは同じ問いに対して、何度もコインを振った事があるかと思います。良い卦が出るまで振るとか(笑)。
 しかし・・です。疑問に思ったのではないでしょうか?振っている本人も問いも同じなのに、卦が違い、用神にくる五行が違うのは何故?・・と。
 この謎に対してトラさんは、やはり何度も振ってみて(笑)、挑戦したのです。
 同じ問いを持って振れば同じ答えが返ってくる・・これは私達の「常識」でした。
 しかし、そうではなかったのです。振るたびに卦が違い、用神の五行も違ったのです。
 こういう場合、どうすれば良いのでしょうか・・。通常は、最初の卦を使うように言われています。しかしこれも違うのです。振った卦は、みんな正解なのです。
 えっ??しかし・・です。振った卦を判断していくと、吉凶すらも逆転している場合があります。
 恋愛運を振ったとすれば、一回目はうまくいかないと出たのに、二回目はうまくいくと出たりします。これがみんな正解とは、どういうことでしょうか・・。
 ここに挑戦したトラさんは、さすがです。
 それは、同じ問いに対して、別の切り口からの答えが返ってくるのです。 
 というか・・ですね・・時空は一度送った答えは、送ってこないのです。
 つまり時空はこう言いたいのです。「さっき送った答えはもう送らないからね。今回送ったのは、その問いに対する別の側面だよ。」
 別の側面の答えとは、どういう答えなのか・・セミナーに出ていない人は、今後発売される予定のDVDをご覧下さい(笑)。
 ところでさっきも書いたように、何度も振る人は、何度でも同じ答えが返ってくると思っていました。しかしそういう人に時空は言いたいのです。
「同じ答えを何度も言う気は無いよ。一回で聞けよ。」


時空は「ストーリーがお好き」

 問いは同じなのに答えが違う(違う側面の答えが返ってくる)というのは、どういうことでしょうか。私には「並列」と「直列」という言葉が浮かびます。
 並列は横にずらっと並んでいるという風景です。店と客の関係で言えば、客の注文(問い)に対して均一の製品がずらっと並んでいるのです。
 客はいつでも同じ製品を手に入れることが出来ると認識しています。それが今までの私達の概念でした。これは本で言えば、一回読み切りの本を販売するようなものです。
 直列は縦に並んでいるという風景です。本で言えば、連載本を販売するようなものです。一冊目のストーリーが三冊目で逆転したりします。
 時空は後者なのです。つまり私達が時空から受け取るのは、連載小説という形の答えなのです。しかし一回目配布の小説(卦)にはサマリーが載るという性質もあるようです。
 何故こういう性質を持つのでしょうか・・。たぶん時空は「ストーリーがお好き」なのです(笑)。だからこの世を作ったのかも知れません。
 私は大学時代に放送研究会にいました。そこではラジオドラマを作りました。ラジオドラマと絵では決定的な差があります。
 絵は一瞬見るだけで伝わります。しかしラジオドラマは、その時間を聞き続けなければなりません。時間の中に展開されたのがラジオドラマなのです。
 これは三次元が、時間の流れと共に展開されているのに似ています。
 卦もその性質を持つのかも知れません。


絶対的真理は無い


 何度振っても同じ卦が出るとすれば、卦はその問いに対する絶対的真理だと思います。だってそれ以外に答えようがないのですから・・。
 だから「同じ問いなら、何度振っても同じ答えが来る」という概念は、もともと絶対的真理に対する幻想のようなものがあったのだと思います。それは私達の学生時代を思い出せば理解できます。「正解」というものが必ず存在したからです。
 でもそうではなかったのです。トラさんが発見した「吉凶すら逆転してくる」ことをも考えれば、時空には絶対的真理というものは無いのではないかと思います。
 同じ問いに対して一生振り続けることも可能でしょう・・。そのときは問いに対する答えは、壮大なストーリーになって返ってくるかも知れません(笑)。
 そのとき真理は何だと言えば、壮大なストーリーそのものだと思います。
 六爻占術が当たるとか外れるとかを議論することがあります。しかしそれは、事象(答え)のほんの一部を切り取って議論しているにすぎないと思います。


「人生、いったい何だったの?」

 絶対的真理はない・・をもう少し書いて見ます。
 学生時代にラジオドラマを作る際、一つの議論がありました。それは「言いたいことがあるドラマ」と「別に言いたことは無いドラマ」です。
 当時学生運動が盛んで、作る価値のあるドラマと言えば前者でした。
「みんな!そんな風にボーっとしていていいのか?もっと社会を良くする方向に働きかけるべきよ!」というドラマばかりでした。
 しかし私が作るのは、専ら後者でした。だからみんなから槍玉に挙がりました。
「社会に働きかけないドラマなど、何の意味があるのだ?」・・と。
 私の作るのは、起承転結はあり、途中では何かを言わんとするような気配はありますが、聴き終わると「何が言いたかったの?」というドラマです(笑)。
 これじゃあ当時の風潮に合わないばかりか、今だって批判されるかも知れません。
「一時間も費やして聞いたのに、問いかけばかりで何も得るものは無い」とか言われて・・。
 ところで私が好きな山田太一のドラマも、それに似ているところがあります。途中はやけに盛り上がりますが、エンディングは適当です(笑)。
 しかしキムタクが主演するドラマなどを垣間見ると、そうではないのが多いです。最後は格好良くキメています(笑)。
 こうやって生きればカッコ良いんだよ・・と暗に言っているところがあります。
 社会派のドラマなどはもっとそうです。社会の悪なんかに向かっていきます。
 私はそういうのが好きではありません。なんか「百匹目の猿」に通じるものがあります。

 さて、これを時空で考えてみます。
 時空はドラマを、時間の中で展開しています。私が作っていたラジオドラマにも似ています。人の一生に喩えて言えば、あるときは「泣き」があり、あるときは「笑い」があります。終わってみれば差し引きゼロで、「何だったの?」ということになりそうです(笑)。
 私は2012年は苦労すると言われています。しかし「後から思えばその時期が一番素晴らしい時期だったと思うことになる」とも言われています。
 これは時間の持つ面白い側面だと思います。
 シークエンシャル(順序立て)で体験するのです。ランダムアクセスは出来ません。
 これはある所(高次元)に真理があり、その断面を体験するのではないと思います。
 つまりこの世界は高次の「切り口」ではないと思います。
 宇宙が一生を終わってみればやはり「いったい何だったの?」ということになりかねません。しかし、その方が面白いと思います。
 ラジオドラマにしても作者が「意図」を持って作ったものは、私には聞くに堪えません。メガホン持って街頭で先導でもしていろ・・と言いたいです。

時空のバッファはなぜ小さいのか

 同じ問いでコインを振るたびに別の回答が来るということを、パソコンに置き換えてみます。
 バッファとかキャッシュメモリとか聞いたことがあると思います。これはデータの受け渡しをするための領域です。バッファが大きければ、一度に大量のデータを持ってくることが出来ます。
 しかし時空はそうではないようです。一回に少量のデータしか配送されてきません。だから全てを知りたければ、何度も振る必要があるのです(私は一回だけが多いですが)。
 ところで未来のことを動画で見ることができれば一目瞭然です。しかしそれは、今のところ出来ません。この理由の一つが、時空のバッファが小さいからではないでしょうか・・。動画はサイズが大きいので通らないのです(笑)。

 ではなぜ時空のバッファは小さいのでしょうか・・。私の仮説を述べます。
 私の家にテレビが入ったのは、小学校高学年の時です(笑)。それまではラジオドラマを聴いていました。
 私は二つのドラマが好きでした。
 一つは『少年宇宙探検隊』というような題のものです。少年のみで編成された宇宙パイロット達が、宇宙を探検に行くのです。見知らぬ惑星に不時着するシーンなど、今でもよく覚えています。ゴツゴツした岩の惑星に、煙を上げて不時着していきます。
 もちろん「映像」は、私の想像の世界ですが・・。
 もう一つは題名は忘れましたが、カーレーサーの物語です。
 サーキットで相手の車を追い抜くシーンだけで一日分(10分間(笑))を使ってしまうときもありました。風の音とエンジンの音・・。そして時々聞こえる大歓声・・。もう私は主人公になり切りました(笑)。
 選手はその後女性とペアを組んで、日本一周ラリーに出ます。「あれが明石天文台だよ」という一言を聞いたがために私は、大人になってからわざわざ明石駅で降りたことがありました(笑)。自分が想像した世界との違いを確認するためです。

 小学校高学年になると、家にテレビが入りました。その後テレビで色々なドラマを観ますが、記憶に残るシーンは数えるほどしかありません。
 テレビは画像を使うので情報量が多いです。ラジオは音声のみなので情報量が少ないです。
 私が大学に入った頃はビデオ機材がまだ開発されてなくて、放送研究会といえども、テレビドラマを作るのは不可能でした。だからラジオドラマを作っていたのです。
 現在の放送研究会は、テレビドラマを作っているそうです。しかしそれは、時空的ではないかも知れません。
 ラジオドラマは、聴く人によって思い浮かべるシーンが別々です。絶対的真理が無いというのは、そういうことにも似ていると思います。
 私達はこの世界を体験していますが、その体験を人に伝えるのは大変です。なぜならそれは、自分だけの主観の問題だからです。
 もしも時空のバッファが拡大して未来の動画も送れるようになれば、主観の入り込む余地は減ります。そうなると、一体何のために生まれたのか・・という問題にも繋がります。客観的な世界に「個」は必要なくなるからです。
 卦は少ない情報量だから良いのだと思います。というか、それが時空のシステムなのだと思います。だからバッファが小さいのだと思います。


サイチェン

 Bグループの夕食会に出た人は不安になったと思います。次のような問答があったからです。
質問者「大運の切り替わりの日には出かけない方が良いと書いてあります。もしも出かけて、そこで相冲する人に会ったりしたら、どの位の期間に渡って影響があるのでしょうか?」
ダン「10年間です。」
参加者全員 「げっ」
(笑)
森田「これは私が詳しく聞いておきます。」
 ということで、最終日に和食を食べながら聞きました。主にトラさんの見解です。
トラ「関係ないと思います。今までだって大運の切り替えは何度もあったはずですし、そこで変な人に会うことで運命が悪くなれば、占いはどんどん当たらなくなります。そんなことはないでしょ?」
森田「はい、そう思います。」
 というわけで、私はこの考え方を支持します。なので私は大運の切り替え日も、生活パターンを変えないで過ごします。

 その翌日は帰国の日でした。まずは新幹線です。良い感じで撮れました。

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(この写真は行く時に東京で撮ったものです)

帰りは富士山がよく見えました。トラさんもカメラ撮影しています。

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成田から帰るところです。


 セミナーは大成功で、旅も楽しいものでした。サイチェン
 セミナーはおそらく定期的に開く予定です。今回参加できなかった人も、是非次は会場でお会いしましょう。
 これで『トラさんダンさん来日編』を終わります。


書き込み期間:2006/11/28〜2006/12/11