テーマ:「2007年のお正月」
書き込み期間:2006/12/31〜2007/01/15
要旨:
2006年を振り返ると、惰性で動いた一年でした。中国語の勉強も、パフォーマンス講演会も、易学シンポジウムも、自分からではなく誘いの声を受けてやり始めました。
運命通りに無事に一年を過ごせたことで、良かったと思っています。
普通、新年には抱負を考えたり一年の計画を立てたりするものですが、それは惰性的ではありません。しかし、真実は惰性なのだと思います。私自身、惰性を認めることで前ばかりでなく横にも視界が拡がるようになりました。

2007年、不思議研究所のロゴが新しいものに変わりました。これは、私が出した卦をトラさんに判断してもらい、六爻占術を勉強している大連のデザイナーに委託して出来上がったものです。不思議研究所の未来のみならず、みんなの運も上げる力を持った素晴らしいロゴです。
トラさんの判断は見事なもので、ロゴのデザインの中には、隠れた意味がいくつも含まれています。但し、誰が見ても意味が分かるような描き方はされていません。例えば胎児の絵が描かれていますが、これには寅の意味が込められています。しかし胎児を見て寅だと気付く人はいないでしょう。
このように、間接的でありながら的を突いたデザインが成されているのです。これは一般の人に分かる共通言語ではなく、時空だけに伝わる言語と言えるかも知れません。そしてこういう表現でこそ、運命変更には最も強い効果を発揮するのではないかと思います。
このロゴを作ったのは、改善をしないで突然に悪い運に遭遇した時、その事で頭を占有されることのないように、三次元の生活では常にハンドルを手放した状態でいたいからです。いわば自動操縦ロゴです。

ところでみなさんは、新年に初詣に行ったりご来光を拝んだりしたでしょうか。
一神教の欧米と違って、日本人は色々な所に祈る対象を持っています。それは、一つの神ではなく自然の全てが運命を形成しているという考えから来ているのではないでしょうか。
一年の始まりというだけでこれほどお正月を祝うのは、日本ぐらいのものです。これに対して、欧米では宗教がらみの祭日が多いです。1月1日という日自体に特に意味は無いのに祝うのは、時間そのものを祝うということで、「私は結果」という概念があるから祝えるのだと私は考えています。
また、お正月にはリセットして水に流す効果があるのではないかと思います。何日もかけて体感を伴いながらお正月という場に染まり、その間だけは「個」から解放されて過ごすのです。
個が呑まれるのは、長い物に巻かれるとも言います。これは欧米からはよく批判されます。しかし、人前で個を発揮している普段の方が偽っていて、長い物に巻かれている方が真実なのではないでしょうか。
日本人はお正月という区切りで真実の姿に戻り、普段も流行に乗ったりして長い物に巻かれることで、真実に近い姿を生きようとしているのではないかと思います。
目次
○ 一年を振り返り
○ 今年はどんな一年にしたいですか?
○ 不思議研究所の新ロゴ(自動操縦ロゴ)
○ 不思議研究所のロゴと風水絵の解説
○ 初夢とコイン
○ 初詣は行きましたか
○ 年賀状はどういう人に出しますか?
○ ご来光を拝んだことがありますか?
○ 「私は結果」なお正月
○ リセット効果のお正月
○ もしもお正月が欧米並みだったら、体感を伴わないのではないでしょうか
○ 「時空的」なお正月が終わり、また「前進的」な一年が始まります
○ 「個」から解放されるお正月
○ 長い物に巻かれるのは真実の姿
○ 目標を持たないお正月
○ お正月は一体誰が作ったのか?
○ 「場」としてのお正月
一年を振り返り

 今年も目一杯「惰性」の年でした(笑)。中国語を本格的に始めたのは3月ですが、妻から「中国語でも勉強してみれば?」と言われたからです。
 言われなければやっていません。私は語学が嫌いだからです(笑)。
 娘の部屋に既にノバの端末があったので、初期投資が少ないというのも理由の一つでした。
 主体性ゼロで始めたのですが、いざ始めると、やはり惰性で止まりません(笑)。
 パフォーマンス講演会も、編集者から「やってみないか?」と言われたのでやりました。私は自ら動くタイプではありません。惰性でやりました。
 7月には中国紀行がありました。これも「易学シンポジウムに出ませんか?」と言われて出ました(笑)。
 私を中国で案内するトラさんも同様です。7月の中国紀行で回り切れなかったのです。なので10月にもまた中国に行きました。
 運命は決まっています。なので主体的に生きるということは、ほぼあり得ないです。
 普通なら、年初に立てた計画がどれほど実行されたかを評価したり反省するのが年末のやることです。でも生まれる前に何の計画も立ててこないのに、生まれてからどうして計画などを立てられるでしょうか?
 運命に逆らわずに無事に一年を過ごせた・・これでOKです。
 みなさんの一年は、いかがでしたか?

今年はどんな一年にしたいですか?

 今年も年の始めがやって来ました。でもなんか、好きじゃありません(笑)。
 年が変わって気持ちを新たにしたって、仕方がないです。毎日は惰性で過ぎているのですから・・(笑)。
 昨日も「惰性」という単語を出しました。惰性が脱出する方法は、加速度をかけることです。
 一年の始まりが「スタート」ならば、それは加速度を意味しています。スタートは普通、止まっている状態からするからです。
 今まで出来なかった何かに向かう事・・それがスタートの意味するところでしょう。
「今年こそは○○をやるぞ。」こうやって新たな目標に向かおうとします。
 しかし・・それも惰性だったのです。
 ところで人は惰性を、良く言いません。「惰性で生きる」などというのは、良い生き方ではありません。でも真実は、やはり惰性なのです。
 私は惰性を認めました。すると前を見なくなりました。すると、横に目が行くようになりました。
 惰性であることを認めるのは、本当は大切なことかも知れません。
 みなさんにとって今年はどんな一年にしたいですか?

不思議研究所の新ロゴ(自動操縦ロゴ)

 2007年1月1日の0時に、新ロゴが出現しました。
 10年間に渡って親しまれてきた「ロボットとお化けロゴ」には「ありがとう、10年間楽しかったよ」と言って、新しいロゴにバトンタッチしてもらいました。
 新ロゴは私が振ったコインの目から、トラさんが判断ました。判断は、とても華麗でした(次の『不思議の友』で公開します)。

 ところでこの写真は大連です。


 大連には、その土地では有名なデザイナーがいました。大手の銀行のロゴなどを一手に引き受けている人です。そして彼はトラさんの弟子でした。
 大連で色々な人を紹介してくれたのも、そのデザイナーでした。その傍ら、彼はトラさんに食らい付いて、六爻占術を勉強していました。
 運命変更のテキストが発売されていない中国で、そのレベルまで達した数少ない弟子の一人になりました。
 そして私の振った卦に対するトラさんの判断は大連に送られて、彼がロゴとしてデザインしました。六爻占術が商業デザインと合体したのです。
 このロゴには数々の秘法が隠されています。運命変更には通常、色を使うときが多いですが、ロゴはそういうわけにはいきません。下のようにモノクロで使うときも多いからです。



 この中に十二支が隠されていて、「反吟」や「絶の地」を解除しています。しかもそれらは全て、不思議研究所が追求している「下位の問い」に引っかけています。
 このロゴを見て、誰もそんなことには気づかないと思います。
 それどころか、このロゴはおそらく世界最強のロゴだと思います(笑)。なぜなら、左脳と右脳の情報が両方入っているからです。
 今までロゴと言えば、どちらかというと右脳の領域でした。美術系の大学を出たデザイナーが、感覚的に作るのがロゴでした。
 しかし未来情報は「感覚的」には来ません。理知的な情報として来ます。芸術系と理系を両方理解しないとこのロゴは出来ません。
 なのでこれからのデザイナーは、美術の能力の他に、数学的な能力も必要となると思います。将来、商業デザインの学科には、理系の学科が必須になる時代が来るかも知れません(笑)。
 その一番最初の作品が、この不思議研のロゴなのです。
 しかし不思議研内部のためだけに作られたロゴではありません。トラさんは次のように言っています。
「不思議研究所のために設計したロゴには生命のエネルギーが入っていて、みなさんの運を上げる力があります。例えばTシャツとして使っても良いです。」
 というわけで今、ロゴ入りTシャツを五色分、作成しているところです(笑)。

 さて、ロゴマークから「攻めと守り」ということを考えてみたいと思います。
 オシムサッカーは、ディフェンス(守る人)が攻めまでさせられます。最近のニュースでは、ゴールキーパーまで攻めをする方向に転換させられるようです(笑)。
 コインを振った結果、私の未来は「絶の地」と「反吟」に遭遇する予定でした。それは金運に悪い影響を及ぼすものでした。もしも何も改善をしなければ、ある時期、金運を上げるために私の頭は占有される可能性があります。
 でも私は「手抜きの人生」を歩みたいのです。つまり、大して考えなくてもお金が舞い込んでくるような生活をしたいのです(笑)。
 つまり私は、三次元の生活においては「攻めや守り」を考えたくないのです。飛行機で言えば自動操縦です。私はハンドルを手放していたいのです。
 新ロゴは、「自動操縦ロゴ」と言い換えても良いのです。

不思議研究所のロゴと風水絵の解説

 今年は不思議研も「アート」の世界に足を入れます(笑)。ロゴがその一つです。
 今までの「アート」は猿以下でした。だって右脳勝負だから・・。これは左脳も使うので、猿ではちょっと無理です。
 ちなみに、ちょっとだけ不思議研のロゴの解説をします。
「天地人」という順序があります。「天」は最初で、「人」は三番目です。十二支で「天」は「子」から始まります。「人」は「寅」から始まります。
 人の最初は胎児です。つまり胎児を描けば、それは寅を意味するのです。
 トラさんは次のように書きました。
「寅と亥水の相合関係で、お金の流失をとめようとして、寅の情報を図に入れました。」
 私は訊きました。「寅なんて、どこにも書いていないでしょう?」
 ところが、胎児が寅なのです。しかも胎児は、「人間の起源」「私は誰?」「生まれ変わり」「スタートライン」・・数多くの意味と共有できます。
 この理由を書かなければ、『ダビンチコード』と勝負を張れると思います(笑)。
 それほどまでに、このロゴの解明は深いものがあります。
 その他このロゴには、数々の秘伝が隠されています。それらは緻密に計算されています。
 芸術家がよく言う「自己表現」など、入る隙間もありません。逆に「自己表現」など、されては困るのです。

 さて、ロゴに引き続いては「風水絵」の話です。
 新居の風水はとても良いのですが、コインを振れば、それでも月破とかがあります。
 それを根本的に改善してしまおうと、再び大連のデザイナーの登場です。
 なんと、龍が氷の入ったグラスに口を入れようとしている絵です。龍も氷もグラスも全て意味があり、月破を解いていきます。
 六爻占術も、いよいよ芸術の領域に入ったのではないかと思います(笑)。
 私はトラさんに訊きました。「絵を入れる額の色は、どの色が良いでしょうか?」
 トラさんは答えました。「額の色がたとえ忌神の色だとしても関係ありません。絵のパワーが大きいので色の五行など無視されます。」
 私はロゴと風水絵の制作を通じて、一つの気付きがありました。
 ロゴは、寅はどこにも描いてありません。胎児を見て寅だと思う人は、この地球上にはトラさんしかいないでしょう(笑)。
「氷」とか「グラス」だってそうです。それで月破が解けると解釈できる人は、初段の中にだって一人もいないでしょう。
 つまり「間接的」なのです。それに対して、五行の色は直接的です「間接的」が「強力」だとすれば、やはりアートの登場です。
 ただし、間接的だとはいえ、非常に的を突いています。ということは、意外に「五行の色」の方が間接的かも知れません。
 ところで、大連のデザイナーを使ったサービスは、誰でもが受けられるように考えています。

 以前メインで「共通言語」という話題が出ました。しかし「グラス」に「氷」が入っていても、それを「月破の解消」だとは誰も思いません。
 でも龍の前に置かれているので、「あれ、変だな」とは、思うでしょう。
 なぜなら「グラス」は西洋のイメージで、龍は中華のイメージだからです。
 しかも龍が洋酒を飲む時、わざわざオンザロックを作りますか?(笑)
 つまり、これは共通言語ではなく、「一人にしか分からない言語」かも知れません。
「一人にしか分からない言語」は言語でしょうか?私は言語だと思います。なぜなら、時空との間の言語だからです。
 一般の人に分からせる必要はないのです。時空が分かれば良いのです。
「言語」という単語が出ましたが、今私達がやっていることは、まさに時空との言語の習得だと思います。
 例えば「六爻占術は分かりにくい」という人がいます。「もっとテキストを分かりやすく書け」と言う人もいます。しかしその人は、一般言語と勘違いしているのです。
 たぶん「氷」と「グラス」と「胎児」が、ストレートな表現なのです。
 しかしストレートな表現を体得するのは大変です。なので一般的な「五行の色」になったりするのだと思います。
 だから、一般的な五行の色は、運命変更には一番効き目が薄いのです。

初夢とコイン

 今年は初夢は見ないで爆睡してしまいました(笑)。
 ところで「1月2日の朝方に見る夢」というのは、何か意味を持つのでしょうか?
 夢は無意識からの通信だと思います。先方からはいつ来るか分からない・・そういうものだと思います。
 もしも「1月2の朝方に見る夢」というのが重大な意味を持つとすれば、それは「重大な外応」を探す行為だと思います。外応を意識して探せば、外れると思います。
 ところが無意識からの通信を、常に引き出せるものがあります。それはコインを振ることです。
 いつどこでもコインを振り、卦を判断すれば、広大な無意識の海での出来事が手に取るように分かります。これは、夢を常に見ることが出来る状態と同じです。
 エドガー・ケイシーは、いちいち催眠にかからなければ未来を見ることは出来ませんでした。しかもその未来を変更することなど、思いもよらないと思います。
 初夢などと言うばからしい言い伝えから、早く自由になりたいものです(笑)。
 ところで皆さんは、初夢を見ましたか?
 

初詣は行きましたか

 今までお正月は妻の実家で過ごすことが多く、その近くには八坂神社があり、毎年遊びに行っていました。今年は妻の両親の方が私のほうに来てしまった関係もあり、八坂神社には縁遠くなりました。とはいえ、下北沢にも神社はあります。
 娘がまだ幼稚園の頃に行きました。テキ屋の屋台が並び、それは楽しいものでした。
 ところが数年経っていくと、暴力団締め出しでテキ屋はいなくなり、近所の商店の人達が、健全ですがつまらない店を出していました。テキ屋・・私は好きですけどね・・。
 そんなこともあり、下北沢の神社には行かなくなりました。こうなるとアウトです。我が家は今後、初詣には行かないでしょう。
 ところで六爻占術は、神とは関係ありません。神頼みをしても意味が無いということが広まると、今後神社の経営はどうなるのでしょうか?
 何からの形で占いに関係していない限り、人は行かなくなるかも知れません。
 これって凄いことです(まだそうなってはいませんが(笑))。第二次世界大戦の時、日本は「いつか神風が吹く」と言っていたそうです。しかし吹きませんでした。
 神社は日本固有の文化だと思います。それが根底から崩れるのです。
 みなさんは初詣に行きましたか?

年賀状はどういう人に出しますか?

 日本人の多くは、お正月に年賀状のやりとりをします。
 年賀状を誰に出すかと言えば、昔大恋愛をして、破綻した相手には出さないでしょう(笑)。そういう相手から「明けましておめでとう。今年もよろしく」などという年賀状が来れば、「あの3年間は何だったのよ?」と言いたくなるでしょう(笑)。
 そして、今まさにギンギンに付き合っている人にも、出しそうにありません。
 年賀状の大半は「過去の人」が相手です。そして「別に返事が来なくても良い相手」が多いです。
 言い換えれば、極言になるかもしれませんが、「どうでも良い相手」が多いと思います(笑)。だって別に、その人から年賀状が来なくても、生活に困るわけではありません。
 で・・時空と私たちの関係も、そういう関係かどうか・・です(笑)。
 私という「個」は、時空にとって「どうでも良い相手」でしょうか?
 私の答えは「YES」に近いのです。つまり年賀状の関係です(笑)。
 しかし精神世界では逆です。自分が存在する「必然的意味」を探そうとします。それは「使命」と表現されたりします。
 この問題は、一回の書き込みでクリアーできる問題ではなさそうです。いつかここで復活したいと思います。
 お正月をテーマにした書き込みの中で、意外に面白いテーマが見つかりました。

ご来光を拝んだことがありますか?

 1月1日の初日の出を見に行ったことがありました。高校の時ですが、2年連続で見に行きました(笑)。
 徹夜で山に登り、ボーとした東の空を眺めていると、雲の間だからおてんとうさまが・・。
 そこは日の出山と言って、日の出を見るために出来た山のようです(笑)。
 しかし当時私が住んでいたのは日の出村で、そこにある山だからです。おめでたい名前です(笑)。
 ご来光の時、回りには100人を超える人がいました。みんな手を合わせて何かを祈っていました。彼らはおそらく、神社に行っても同じことをやると思います。
 つまり何が言いたいかと言えば、日本人は色々な所に祈る対象を持っているということです。
 しかし欧米は違うと思います。メインに祈るのは、おそらく教会やモスクの中であり、祈る対象は神だと思います。彼らは一神教なので、運命をコントロールしているのは、一つの神だと思っています。
 でも日本は違います。日本は色々なもの、いえ、自然の全てが運命そのものを形成していると思っているのではないでしょうか・・。だから、ご来光に祈れるのだと思います。
 みなさんは、ご来光を拝んだことがありますか?

「私は結果」なお正月

 一月のお正月を、なぜこんなに祝うのでしょうか。
 去年はニューヨークに行きました。そこではニューイヤーを祝うのはたった一日だけで、2日以降は普通の日に戻りました。
 私は世界中で、一月のお正月をこんなに祝う所を日本以外に知りません。
 他の国の人は言うと思います。「地球が自転・公転しているだけで、1月1日にそんなに意味はないでしょ?」
 私の娘がアメリカに留学しているとき、祭日と言えば宗教がらみが多かったような気がします。しかし日本では宗教がらみの祭日は少ないです。
「地球が自転・公転しているだけで、1月1日にそんなに意味はないでしょ?」・・という問いは、「地球がそういうふうに回っているのは神様が作った結果ですよ。結果を祝ってどうするのですか。もっと原因を祝ったらどうですか?」という反論でもあると思います。
 そうなのです。一月のお正月を祝うのは、「私は結果」という概念が無いと、祝えないのではないかと思います。
 だって「お正月はなぜおめでたいの?」と訊かれれば、答えに窮するでしょう(笑)。原因を答えることが出来ないからだと思います。
 こうして考えると、一年では最大のイベントとも言えるお正月は、何とも奇妙に思えます(笑)。
 しかし宗教的意味合いがゼロなだけに、どんな宗教の人でも参加することが出来ます。
 料理に喩えるなら、まるでご飯のようなのが、お正月だと思います。

リセット効果のお正月

 1月1日は新しい年が始まる日です。日本人は「区切り」を祝うのがとても好きなのだと思います。娘は明日成人式ですが、これも「区切り」です。
 何故「区切り」を祝うのが好きかと言えば、たぶん「流す」のが好きのだと思います。去年までの一年を「流す」のです。
 私は盆暮れの贈り物も、同様な効果を狙っていると思います。「色々あったが、流してね」・・と(笑)。つまりリセットです。
 欧米諸国はリセットが嫌いです。未だに「リメンバー・パールハーバー」などと言っています(笑)。
 欧米諸国でお正月を盛大に、長く祝わないのは、リセットに焦点が当たるからだと思います。「去年は去年だとは、言わせない」・・と(笑)。
 欧米諸国の離婚率が高いのは、たぶんそれが原因でしょう(笑)。
 運命が決まっているとすれば、過去を背負って生きても仕方がないです。
 阿弥陀仏さえも、作った世界に責任を持ちません。「誰か、世直しに行ってこない?」などと、他のホトケに振ります(笑)。
 見ればマッチョがお化粧を始めています(本来はこういうストーリーのはず)。
 リセットするというのは身軽になるということです。
 パソコンに喩えれば、ブンブンと動いていたソフトを止めて、再起動かけることです。

もしもお正月が欧米並みだったら、体感を伴わないのではないでしょうか

 欧米には年末年始という言葉はないと思います。ニューイヤーという単語だけです。
 日本は年末から準備を始めて、1月1日の0時に年始に切り替わり、約一週間を過ごします。
 もしも日本のお正月が欧米並みだったらどうでしょうか・・
 たぶん、欧米と日本では、時間の捉え方が違うのではないかと思います。
 もしも日本のお正月が欧米並みになったら、年の切り替わりが数字の上だけのような気がします。つまり体感を伴わないのではないでしょうか・・。
 もともと時間には体感がありません。時間はどちらかと言えば抽象的に進んでいきます。
 1月1日の0時を挟んだ時間とて、前後には何の違いもありません。
 しかし日本人はそこにわざわざ体感を作り出しました。自分はどうあれ、日本中の環境が変化して、年末から年始に移ったのだということを知らせてきます。
 遠い将来、欧米でもイエスキリストなどどうでも良い時期が来ると思います。それは個人的にやれば良いことであり、国を挙げて祝うことではない・・と。
 そうなった時、彼らは何を祝うようになるのでしょうか・・。
 祝う対象が、過去の人物でも過去の遺産でも無くなったとき、単に時間を祝うようになるような気がします。
「単に年が変わっただけで何がおめでたいの?」・・と訊いているうちは、まだ気付いていないのです(笑)。

「時空的」なお正月が終わり、また「前進的」な一年が始まります

 年末年始編も、そろそろ終わりです。「いつまでお正月気分でいるのか?」という文句は、よく聞くからです(笑)。
 そうなのです。「お正月気分」というのは、誰もがだらけることを許されるのです。
 ノバでは「お正月は何をしたの?」という質問が飛び交います。「家で酒飲んでいた」と答えるだけでOKなのです。
 しかし夏休みは違いました。「家でゴロゴロしていた」などと答えれば「それは充実しませんでしたね」などと言われます。バカンスは積極的に遊ばないといけないのです。
 でもお正月には、ゴロゴロしていようが積極的に遊ぼうが、同格のところがあります。
 ところで時空に人の人生を評価する性質があったとして、ゴロゴロ一生を過ごした人と積極的に色々とやった人と、どちらを高く評価するでしょうか・・。
 私は同じだと思っています。それは生まれ変わりの村の現象を見れば分かります。どんな前世を送っても関係ありません。
 ということは、日本のお正月は「時空的」だと言えるかも知れません(笑)。
「時空的」なお正月が終わり、また「前進的」な一年が始まります。

「個」から解放されるお正月

 ほとんどの人は、既に仕事始めをしたと思います。そのとき意気揚々と始めた人は少なかったのではないかと思います(笑)。
 私も同様です。ああ、また仕事か・・と思いました(笑)。
 これは夏休みを取ったときとは大違いです。夏休みの後は、意外に元気でした。これだけ遊んだのだし、さあ、また仕事をするぞ・・という気分でした。
 何故お正月はこうも違うのでしょうか・・。
 それはお正月というのは、大きな流れが外側にあるからだと思います。年末年始は国家的イベントであり、「個」を呑み尽くすところがあります。
「個」は呑み尽くされると、結構気持ち良いのです(笑)。
 ところが仕事始めで、また「個」に戻らなければなりません。それがきっと、快感ではないのです。
 こうして考えると、快感というのは「個」を手放すことで得られるような気もします。
 個性的な年賀状なんて、ほとんど聞きません。個性的な門松なんて、ほとんど聞きません。個性的なお雑煮なんて、ほとんど聞きません。
 おせち料理の作り方をテレビで放映する時がありますが、「個性的におせち料理」などたぶんやらないと思います。
 お正月は「個」から解放された時なのではないかと思うのです。

長い物に巻かれるのは真実の姿

 お正月は「個」から解放されるので快感を感じると書きました。では何故そうなのでしょうか・・。
 それはたぶん、普段は「偽って」生きているからだと思います。「個」など無いのに、あるふりをして生きているからだと思います。
 すごいです。一年のうち360日は「偽って」生きていて、たった5日が真実の姿に戻るのです(笑)。
 でも欧米はもっとすごいです。真実の姿に戻る日など、ありはしません(笑)。
 日本は普段の日では、お祭りなどが「真実系」だと思います。我が町下北沢では、阿波踊りをそっくりガメてやっています(笑)。あれも「我を忘れる系」だと思います。
 しかし日本人は「個」が無いと、外国からは批判されます。
 日本では、「長い物には巻かれろ」と言います。流行モノは、すぐに日本に充満します。
 しかしよく考えれば、それは真実に近い姿です。
 お正月だけでなく普段も真実に生きようとする日本人の姿だと思います。

目標を持たないお正月

 昨日、同窓会がありました。残りの人生の「夢」についての話題が出ました。
 私は「夢は無い」と言いました。すると、成功して次の目標に向かおうとしている人(以下「成功者」)が言いました。「夢が無いの?(可哀相に)」・・と。
 でも他の参加者が言いました。「りんごちゃんは夢が無くても、なぜかやりたいことをやって、とても楽しそうに見える。それに反して成功者は、とても大変そうに見える。ハンドルをぎっちり握り締めているように感じる。」
 小学生や中学生の頃、新年が明けると「今年の抱負」を書かされたりしました。それは楽しいというよりも、ある種、辛いことでもありました。
 このHPの参加者の多くは、新年を迎えたとき「今年の目標」などと言わなくなったと思います。 
 何のためにお正月があるかと言えば、「長いものに巻かれるため」などと言うようになりました(笑)。これでは世間と反対です。
 しかし、もしもこれが多少なりとも真実に近いならば、真実を知るというのは楽しいし、生き方を楽にさせる働きがあるのではないかと思います。
 先日風の強い日に、義理の父が置いておいた自転車が玄関口で倒れていました(笑)。妻がそれを起こそうとしているので、私は言いました。
「倒れたというのは、不安定から安定になったんだ。だから起こさない方がいい」・・と(笑)。
 妻は納得していました。同じ理屈を父にも言っていました(笑)。
 頑張って立とうとするのが人生です。

お正月は一体誰が作ったのか?

 お正月は誰が作ったのでしょうか?歴史を紐解いていくと、必ず起源にぶつかります。それが歴史を研究する大きな目的でもあります。
 江戸時代から平安時代にさかのぼり、そして奈良時代を経て飛鳥時代に・・。
「××天皇が祝い始めたのがその始まりです」・・とかいうフレーズに納得して、追跡は終わります(笑)。つまり「人」を原因にして終わります。
 なぜなら人が歴史を作っている原因という仮説で、世界は動いているからです。
 これは本当でしょうか?
 うちの娘が学校の課題でドキュメンタリー短編映画を作ることになりました。
 娘は街で見かける外人にインタビューする企画を立てました。
 外人から見た日本というテーマです。そして私に相談してきました。
「パパは変わっているから、面白いアイディアがあるかも知れない・・。ある?」と訊いてきました(笑)。
 私は少し考えた末、次の提案をしました。
「もしもあなたが日本に生まれたら、日本人になりましたか?」・・という質問です(笑)。
 外人は「人は原因説」で話すはずです。「私なら、今の日本人が持つような、長いものに巻かれるような生活態度はしないだろう」・・とか(笑)。
 しかし、「もしもあなたが日本に生まれたら、日本人になりましたか?」という質問は、「人は原因説」から「環境原因説」への転換です。
 もしもこの質問に「YES」と答えるなら、日本人という「人」に対する批判は出来なくなります。
 インタビューされた外人は考えるはずです。一体何が原因なのか・・と。
「それは面白い質問だ」・・と娘は言いました。
 さっそく娘は昨夜インタビューに出かけましたが、どういう回答が得られたか、まだ報告はありません。
 だからお正月は、環境が作ったのだと思います。言い換えれば、環境が環境を作ったのです。

「場」としてのお正月

 昨日の問いへの仮説としての答えを書きます。お正月は、場が作ったのです。
 場とは何だと言えば、まだメインコーナーではその本格的な斬り込みもしていません。だからまだ、得体の知れないものです。
 六爻占術において、場が取れれば未来が分かります。場は、時間の中に存在しています。
 でも捜し物の場所が分かったりするときもあるように、空間の情報も持っています。
 場がこの世界を作っているという仮説も、決して否定できないと思います。
 何故こんな話を出したかと言えば、去年の正月はニューヨークで過ごしました。なのでリセットがかかりませんでした。区切りが無く次の年が始まったような感じでした。
 前の年を「水に流すこと」が出来ませんでした(笑)。場を持てなかったので、水に流することが出来なかったのです。
 つまり私達が経験するのは、お正月という場なのではないかと思うのです。

 ここでインタビューされた外人に焦点を移します。
 彼らは通常、日本がこういう国になったのは日本人という「人」に原因があると思っています。昨日はそれに対して環境という仮説を出しました。
 環境は目に見えます。しかし場は目に見えません。
 突然ですが、私は誰かという問いは、本当に深そうです(今更ながら)。
 きょうのノバは、「許せない人」というテーマでした。約束に遅れてくる人とかが話題に上りました。でも私は言いました。「遅れても、来るだけマシでしょう」(笑)。
 何を頼んでもゴロゴロしているばかりで何もしない人というのも、話題になりました。
 私は言いました。「そういうダメな人がいなければ、努力する人が脚光を浴びません」(笑)
 ちょっと基準をずらせば、みんなOKです(笑)。文化の差などはそんなものです。
 外国旅行に行ってその土地が分かったのだとか言いますが、どうでも良い話です。その差を作り出す場の追求の方が大切です。
 みなさんはゴロゴロとしてお正月を過ごし、バッチリと場に染まったと思います(笑)。良かったです・・。
 これでお正月の話題を終わります。

書き込み期間:2006/12/31〜2007/01/15