テーマ:「『生まれ変わりの村@』が出来るまで」(5)
書き込み期間:2008/04/08〜2008/05/07
要旨:

最初に河出書房へ『生まれ変わりの村@』の企画を持ち込んだ日から二ヶ月が経過し、ようやく契約が成立しました。
『生まれ変わりの村@』の本には、作者である私の自己紹介はありません。代わりに、解脱することや死の恐怖から逃れることなどがあの世の調査の目的ではないことを明記しています。
本文は、前置きも無しにいきなり生まれ変わりの取材の話が始まります。私が初めて調査をしたときも、偶然のきっかけで、行ってみなければ分からない状況から始まったのです。その後の調査も全く無計画のままに進められました。読者も同じ感覚を味わえるのではないかと思います。

目次
○ あらゆる「解釈」は「事実」によってひっくり返される(2008/04/20)
○ 『生まれ変わりの村@』いよいよ始動(2008/04/26)
○ 書店向け「新刊委託申し込みチラシ」(2008/04/29)
○ 自己紹介が無い本(2008/04/27)
○ 前書きの無い本(2008/04/28)
○ ノンフィクションであるためには(2008/05/02)
あらゆる「解釈」は「事実」によってひっくり返される(2008/04/20)

 私が「データ本」にこだわったのはそれが事実だからです。一言で言ってしまえば、これは書物ではありません。科学データのつもりです。
 今までどれだけ多くの本が出てきたか分かりませんが、そのほとんどは自説(解釈)を述べるものでした。自説(解釈)は、読んだ時は納得するかも知れませんが、すぐに忘れてしまうと思います。
 そしてあらゆる解釈は、事実によってひっくり返されると思います。これは科学の基本です。
 もしも私が理科系の出身ではなかったら、解釈本を書いてしまったかも知れません。しかし一つの実験データは、100の解釈を超えてしまいます。


『生まれ変わりの村@』いよいよ始動(2008/04/26)

 体制が決まるのに四ヶ月かかりました。発行はアクセス、つまり私の会社です。発売は河出書房新社です。
 どういう事かといえば、私の会社で全て作り、河出書房に配本してもらうのです。
 もっと噛み砕いて言えば、『不思議の友』を本屋さんで売るようなものです。本の中身から表紙まで、あらゆるところを私が制作します。
 何故こういうことになったかといえば、データだけの本を出版してくれるところが無かったからです。
 連休目前にして、やっと体制が整いました。
 解釈を出来るだけ省いた「データ本」が、いよいよ始動します。


書店向け「新刊委託申し込みチラシ」(2008/04/29)

 河出書房が大手の書店2500店に配布してくれると言ってきました。書店に予約注文してもらうための告知ビラです。意外と効果があるそうです。
(書店は何冊注文しようが、売れなければ返品できるので、リスクはありません。)
 うちで印刷して、河出に送ります。5月20日に各書店に配布されるそうです。
 今まで私の新刊で、こういうことは無かったような・・。


自己紹介が無い本(2008/04/27)

 普通の本を買って読めば、作者の自己紹介のようなことはどこかに書いてあります。しかし今回の本には、それがありません。
 読み終わり、「森田健という人は一体何をしている人なのか?」というのが不明のままです(笑)。こういう本は、珍しいのではないでしょうか・・。
 でも本の中には次の一節が出てきます。
「生まれ変わりの村の調査をするのは、生まれ変わりの調査自身が最終的な目的ではないのです。あの世の仕組みを調べて、よりよい死に方をするにはどうすればよいかという問題には興味がありませんし、あの世で裕福に暮らすにはどうすればよいかということにも興味はありません。死の恐怖から逃れるにはどうすればよいかということにも興味はありません。僕があの世を調べるのは、あの世の向こう側を知りたいからなのです。」
 これで終わりです(笑)。しかし、この「自己紹介」が私は好きです。
 宗教の入る多くの人は、死の恐怖から逃れるためだったりもします。あるいは、解脱(あの世で別の場所行く)だったりもします。
 そういうことには興味が無いと、作者は書いているのです。


前書きの無い本(2008/04/28)

 本を開けると、いきなり次のような文章から始まります。

******************************
 ここは中国の生まれ変わりの村です。
 最初に会ったのは四二歳の女性でした。
「あなたは前世の記憶を持っていると聞いてやってきました。ぜひ、その話を聞かせてください」
 僕がこういうと、彼女は喋り始めました。
******************************

 普通の本には前書きというものがあります。例えば『生まれ変わりの村』という本ならば、その村はどこにあり、どこが特殊なのか、何故そこに行くようななったのかというようなことが書かれるはずです。その中には簡単な自己紹介のようなものも含まれるはずです。
 でも今回の本は、いきなり始まります。なぜなら私は、偶然に行ったからです。トラさんが「私の故郷の近くには・・」と言ったからです。
 じゃあ、行ってみなければ分からない・・ということで、行ったからです。
「行ってみなければ分からない・・ということで、行ったからです」が重要です。行ってみる私に、目的はありませんでした。
 だから、前書きは無いのです。みなさんにも同じことを味わってもらいます。

 ところで人生に、前書きってあるでしょうか?
 無いと思うのですよ。みんな偶然に起こっています。「偶然」と書いたのは、自分の意志に反して・・です。
 しかし・・人は、そうじゃないと言いたいのです。自分が起こしたのだ・・と。それが「前書き」です。「意図」です。


ノンフィクションであるためには(2008/05/02)

「データ本」で何が問題になったかと言えば、事例を時系列に並べることでした。
 これが原因で、出版社がどこになるか、どういう方法で出版されるかでモメました。
 そして自費出版しか道は無いということになりました。
 時系列だと、私の意思をそこに反映することが出来ません。
 小学校の作文で、朝から晩まで起こった順に書いて、怒られた人はいると思います(笑)。
 今回の本がやろうとしているのは、それなのです。
 みなさんが同じ事をやろうとすると、その壁の厚さに驚くはずです。それは今でも立ちはだかっています。出版の世界で綱渡りが続きます。


書き込み期間:2008/04/08〜2008/05/07