TOP >  もりけん語録集 >  新刊本『運命を変える未来からの情報』編
「新刊本の本音&裏話(前編)」
 序章は軽快なテンポで進みます。どちらかと言えば、私の感情抜きに進みます。
 あの時は悲しかったか楽しかったか・・そんな主観的なことは書いてありません。
 なぜなら序章での主役は「私」ではなく、私の「問い」だからです。
(序章に書いた「(理由はあとで説明します)」)

 ところでこういう生活は、表現の仕方によっては「到達点」とも言えます。
 でも私には「出発点」なのです。どんなに会社が反映してうまくいっても、それは出発点なのです。
(序章に書いた「白紙の手帳」の部分)

「運命は決まっていますが、ある程度、変えることも出来ます」
 しかし、私の耳には「変えることもできます」など、どうでも良いことでした。
「決まっている」というのが、衝撃的だったからです。
 だって今までの時空の概念が180度ひっくり返ったのですから・・・
(第一章「占いを信じていなかった」「人生は白紙ではないか?」)

 基本さえしっかりしていれば、卦の情報量はあまり関係ないのかも知れません。
 六爻占術に挫折されている方、まずは新刊本に出てくる事例を理解されたらどうでしょうか?株なんて、あれで充分です。
(第一章「卦の簡略化」)

 私の本で世界が変わるとすれば、「台本から外れることはできるのか?」という、この章の認識だと思っています。
(第一章「台本から外れることはできるのか?」その1)

 真実とはとても理解できない・・世界的、宇宙的な大問題だというのは、私が持った実感でした。
(第一章「台本から外れることはできるのか?」その2)

 私たちはどこから来て、どこに向かっているのか・・・
 私は今まで、仮説にせよ、この問いに対する回答を書いたことがありませんでした。
 それは、今までの世界観からは、時空を理解することが出来なかったからです。
 でも『運命を変える未来からの情報』には書くことが出来ました(仮説ですが)。
 この一歩は、大きいのです。
(第一章「台本から外れることはできるのか?」その3)

 そしてある日、運命は決まっている・・という概念が答として押し寄せました。
 その瞬間、私は個の確立が出来てしまったのです。
 なぜなら私は、個を確立する必要など、全く必要のないことが分かってしまったからです。
 そしてその事を知ることが、逆に個の確立につながることだと、分かってしまったのです。だって個の確立とは、自分の全肯定なのですから・・
(第一章「台本から外れることはできるのか?」その4)

 そのとき私は、何気なしに、トロッコに乗せられている絵を描いていました。
 そしてその「長い時間」のあと、「自由」を手放すと同時に、「個の確立」も手放していました。
 それがもっと大きな自由へと広がることを、その時は知りませんでした。
 それが「個の確立」にも繋がることを、その時は知りませんでした。
(第一章「台本から外れることはできるのか?」その5)

 みなさんが方程式に対してどういう感覚を持っているか知りませんが、私は感情が入らないものだと思っています。善悪も入らないものだと思っています。
 それが理由で理数系が嫌いだと言う人もいれば、だから好きだと言う人もいると思います。私は後者です。
(第二章「占いで運命を変更する」)

 それでもこの陰陽の部分は、編集者のリアクションも良かったのでした(笑)。
 くどくなく、情報提供に徹して、簡潔に述べていったのが良かったと思います。
 未来は陰だから、変えることが出来る・・実に分かりやすいと思います。
(新刊本の本音&裏話・・第二章「未来は陰の世界」)

 しかしインテリ層でユングを知らない人はいないはずです。
 でも、そのユングがコインを振っていたのです。傍観者ではなく、体験者として・・・
 私はこの本を、心理学者に読んで欲しいです。特にユング派の人に・・・
(第二章「集合無意識にアクセスしているのか」)

 未だかつて一人も「私の占いでも同様に運命変更できます」とか「私の占いのほうがすごい」というのが来ていません。
 そのくらい「運命変更のレーザー砲」という概念は、六爻占術特有なのです。
(第二章「運命変更のレーザー砲」)

 今までの占いというのは、ある程度の霊感のようなものが必要でした。
 でも六爻占術は、全く違います。霊感は無くても出来るのです。
 凡人でもできる運命変更・・これが第二章の隠れたテーマなのです。
(第二章「占いで運命を変更する」(続))

 外応という現象は、あまりにも深い問題を秘めています。
「すべてはつながっている」という一言に、私はエゴ的なものすら、感じるのです。
 中心には常に「自分」がいて、その周りが「つながっている」というニュワンスを感じるからです。
(第三章「未来と現在がシンクロする」)

 一般的精神世界の本には、自分のレベルを上げなさいという話がよく出てきます。それをまるでお説教の様に書く本が多いです。
 でもそれは外応からすれば、逆効果です。今のあなたはそうではないから、そういう方向に意識で変わりなさい・・と言っているようなものだからです。
(「外応」が与える社会への影響)

 一つ大事なことは、運命を変更するのに、執着を手放すことなど全く不要だということです。
 これが意味することは、釈迦やキリストといった過去の偉大な先人の誰よりも、私たちは前進をしてしまったということだと思います。2000年もかかりましたが・・・
(「外応」が与える社会への影響)

「生かされている」と「すべては決まっている」とでは、天と地ほどの差があります。
 しかし私は「すべては決まっている」と思うようになってから、外応を多くキャッチできるようになりました。
(第三章「未来と現在がシンクロする」)

 外応は外側のことでした。しかし「卦を間違える」のは、自分の内側の出来事です。
 時空は外だろうが中だろうが、お構いなしに介入してくるのです。
 何のために?それは問われたことに対して、正しい答を送るためです。
(第三章「未来と現在がシンクロする」(続))

「残った不思議体験と六爻占術と接点は何か」・・これをずっと考え続けました。
 しかし、列挙していくと幾つも出てきたのです。こうして第四章が出来上がっていきました。
 その結果、この第四章は後から読み直しても、本の中では大変な広がりを見せ、しかも科学的な切り込みが入るという、素晴らしい章になったと思います。
(第四章「不思議現象と占いもシンクロしている」)

 第四章は「なぜ」という原因の世界を追求しています。
「世の中にはこんなにビックリする現象がある」という世界を通り越しています。
「なぜ」の追求は、自分としてはとても科学者的だと思っています。
(第四章「編集者からの問いの応酬と私の気づき」)

 でも根本の原因が分かれば、すべて分かるかも知れません。根本が分かれば、世界はひっくり返るかもしれません。
 作為的にひっくり返さなくても、自動的に・・です。修行も何も、必要ないと思います。
(第四章「なぜ方程式は存在するのか」)

 私の今度の本は、絵に書いた餅ではありません。私だけが体験できるものではないのです。
 世界一の六爻占術師と世界一の蘇生超能力者から、直接指導を受けられるのです。
(第四章「因果律が逆転する現象」)

 ところで右回転、零時、東向きと聞いて、『不思議の友』等から、今でこそ「ああそうか」と思う人は多いと思いますが、何もない状態からこれを作り出すことは、たぶん無理でしょう。私でも、完璧に無理です。
 ここが神坂さんの天才的なところです。
(第四章「誰からも信用されなかった異端の科学者」)

 ですから新刊本の情報は、運命の解明だけではなく、エネルギーの新天地も切り開いているのです。こんなに凝縮された本も、珍しいと思います(自負)。
 私の本は、いかがわしいトンデモ本ではなく、科学の最先端だと思います(自負2)。
(第四章「12年周期の天然エネルギー」)

 京房は六爻占術を通じて、時空の秘密を知っていたかも知れません。だとすれば自分の命が、時空と同じだけあることを(つまり時空と自分は一つであることを)、知っていたのではないでしょうか・・
(第四章「運命は100%決まっていると言った超能力者」)

 人は運命を変えたいと思うのです。だって意識があるから・・ 
 でもその変える方法が意識では相当難しいというのが、新刊本の隠れたテーマでもあります。
(第四章「運命は100%決まっていると言った超能力者」)

 私は運命の問題を科学的に検証したかった・・でも今の科学では無理だった・・
 だとすれば、科学では「範疇外」のことがらにシンクロを求めました。それが第四章です。
(第四章「あってはいけないモノ同士のシンクロ」)
「新刊本の本音&裏話(後編)」
 普通ならば十二支の置物などで対処するところですが、トラさんは違いました。「数値」で挑戦をしたのです。
 これはトラさんが「六爻占術は方程式のようなものだ」というのが分かっていたからこそ、出来た判断だと思います。
(第五章「数値一つで運命が変わる」)

 もしかするとこれを読んでいるみなさんの中でも、この現象が自動的にみなさんを助けてくれたことだって、あるのかも知れません。
 無駄遣いをすることによって、身内の誰かの命が救われるということが・・
(第五章「数値一つで運命が変わる」)

 霊感には、おどろおどろしい感情のようなものがありました。しかし波動は、無味乾燥の、ただの波です。
 無味乾燥のただの波に乗れるか乗れないかが、人生のキーになるのです。
(第五章「運命は波動が作り出しているのではないか」)

 だから「行いを良くしろ」とか「レベルを上げろ」という人は、他人が言う「脅し」を批判しますが、自分がそれをやっていることは、棚に上げています。
 どんな崇高な宗教にも、この要素はあったと思います。
(第五章「運命は波動が作り出しているのではないか」)

「自分に原因がある」・・ということに何の根拠もなかったことに、それを受ける側も気付くべきだったかも知れません。
 ただ、偉い人がそう言うから・・で、鵜呑みにしてしまったかも知れません。
(第五章「運命を変える二つの方法」)

 ハンドルが無くなった船で何が出来るかと言えば、流れを変えることです。
 そんなことが出来るのかと言われれば・・出来るのです。時空に作用することが出来るエネルギーを使うのです。
 これによって人生は、内側から外側の時代に入りました。
(第五章「運命を変える二つの方法」)

 アンバランス・・それは時空自身が自問自答するためにも、必要なことでした。
 出版記念講演会で最後に出した、崖から飛んでいるスライドは、まさにアンバランスな世界にジャンプするシーンでした。
 その後のシーンは、アンバランスを良しとする人にだけ開かれる五次元の扉・・です。
(第五章「エネルギーで運命を変える」)

 自分ではアンバランス感覚がいい・・と思っています(笑)。
 なぜなら、アンバランスなことを実行可能にできるように、それを「バランス」に見せかけているからです(笑)。
 人生の面白さは、アンバランスをいかにバランス良くやるか・・です(笑)。
(第五章「エネルギーで運命を変える」)

 一緒に商売に出かける相手の金運がとても良いので、その人の金運をこちらにも持って来ようというものです(笑)。
 これは普通では出来ない発想です。だって金運は、その人固有のものだという固定概念があるからです。
(第五章「金運などは、自分に固有の運ではない」)

 普通ならば何かしら努力をするものです。しかし私は、毎日ブラブラしています(笑)。
 それは未来から流れてくる小判を、私の方に来るように流れを変えただけです。
 私はざるをセットして、自動的にそこに溜まる小判を時々回収すれば良いのです。
(第五章「金運などは、自分に固有の運ではない」)

 また、トロッコに縛り付けられて身動きが取れない人からすれば、リモコンを手にしてトロッコのポイントを変えるのです。
 私はどうしてもトロッコの喩え話の方が好きです。
「こんちくしょう、おまえ(運命)の好きにはさせないぞ」という感じがするからです。
(第五章「運命変更のGを楽しもう」)

 私は昼間も夜も、ほとんどの時間は、時空の秘密の解明に当てています。
 だから変更をかけるときは、並ではありません(笑)。並な変更(チマチマした変更)ならばかけない方がマシです。
 言い換えれば「G」のかからない変更は、しても面白くないのです。
(第五章「運命変更のGを楽しもう」)

 善人しか使えない六爻占術ならば、私は降りています。降りて、本物を探します。
 本物には善悪の考えがあってはなりません。
(第五章「運命変更のGを楽しもう」)

 リモコンでスイッチを入れるのは、外を流れるエネルギーを制御するためです。
 このリモコンは、巨大なエネルギー源へとつながっていると思います。
 このエネルギー源の凄さ、怖さを私は何度も体験しました。もしかすると神に近いことすら出来るのではないかと思います。
(第五章「五次元の扉を開く鍵の一つは意識」)

 五次元から「あなた、問わなくていいの?」と、問いかけられるのです。つまり問いの元は五次元なのです。
 この解釈を拡大すれば、時空は私たちを使って(笑)自問自答しているとも言えるのです。
(第五章「励起パルス」)

問いがドアへのノックだとすれば、時空はあなたの心をノックするのです。いきなり踏み込みません(笑)。そしてこちらがノックしないと、時空のドアも開きません。
 うーん・・節度のある恋人関係です(笑)。双方向通信・・
(第六章「問いと答え――運命変更の鍵としてのシンクロニシティ」)

 私の仮説の一つは、私の問いが低周波だったのではないかと思うのです。
 相手も問いを発しますが、私よりも周波数が高いとすれば、つまり短いスパンの問いだとすれば、長いスパンの問い(低周波の問い)に巻き込まれてしまうのです。
(第六章「コインを振らないで未来が分かるか」)

 人間が時空と対等の関係の問いにしか、時空は答えません。なんて素晴らしいのでしょうか・・
 答は自分で探すものではないのです。探すのは問いだけです。
(第六章「問いがキー」)

 問い・・それは人間を独立させ、自由への一歩を踏み出させるものです。
 人間は長いこと、答を求めてさまよってきました。宗教にもすがりました。そこに答があるような気がしたからです。
 でも、たった独りになって時空に問いを発してみたら、なんと答えてくれたのです。
(第六章「問いがキー」)

 この章は意味付けは意味無しだということを比較的論理的に言っていますが、私の本音は「意味付けする人って、バカじゃないの?」・・の一言です(笑)。
(第六章「意味付けと外応の違い」)

 意味付けも、スパンで変わります。意味付けなど、やってられないと思いませんか?
 そしてもう一度言いたいです。「あんた、何様?」
 しかも意味付けは、意味のあるメッセージを送ってくれる存在を上に見ています。
(第六章「意味付けと外応の違い」)

 私の言う問いとは、潜在意識のレベルからの問いです。そうでないと、さすがに人生までは影響しないと思います。いいとこ、外応止まりです(笑)。
 潜在意識では、すべての人が何らかの問いを持っていると思います。だから人生が顕在化しているのだと思います。
(第六章「問いは人生を変える」)

 何を言いたいかというと、私は「求めて」いなかったのです。これは成長が奥手だったということが原因かも知れません。
 だから私の潜在意識の中に、幸福を求める心とか愛を求める心が少ないと思います。
 欲しいのはレスであり、私と同じような時空に対する「目」です。
(第六章「問いは人生を変える」)

 だから精神世界の本には「前回の宇宙が滅んだのは人間の行いがいけなかったからだ」などと書いてあるのが多いです。それに乗ってしまった多くの人達・・
 頭に来ませんか?戦う相手が違うのです。自分じゃありません、業(ごう)は・・。
(第六章「全体の業」)

 一方は超高次元、一方は超低次元・・(笑)。
 しかし時空はワンピースの色を問う娘と、キリストの区別がつきません(笑)。
 これは六爻占術が持つ価値観の中では、トップクラスに入るでしょう・・
(第六章「時空は価値観を持たない」)

 キリストの例に対抗したのが、デートの服を選ぶ女性だから問題ないのです。
 もしも凶悪犯を逃がす例だとすれば、そのまま受け入れられたかどうか・・・。
 時空には価値観が無い・・・これは結構重い問題なのです。
(第六章「時空は価値観を持たない」)

 時空と繋がるには、どうすれば良いでしょうか・・それは三次元を諦めることです。
 メチャ、簡単でしょう?(笑)。
 みんな三次元で頑張っちゃっているから、繋がれないのです。
(第六章「時空はどうすれば答えてくれるか」)

 時空のカフェは、忙しい人が立ち寄る所ではないのです。それはむしろ、何もしない部屋から通じるカフェなのです。
(第六章「時空はどうすれば答えてくれるか」)

 五次元からのパルスはリラックスしている時に突然降ってきて、とんでもないことを告げます。
 それに乗れるか乗れないか・・そこで人生が決まると言っても過言ではありません。
(第六章「運命のジェットコースターに乗る」)

 好きな部分を肯定するのは簡単です。嫌な部分を否定するのは簡単です。
 そして否定する部分を変えて、肯定するようにするというのが今までのやり方でした。
 でもここで言っている手法は違います。否定する部分を、そのまま肯定するのです。
 実はこんなに大変なことはありません。
(第六章「今の自分を肯定する」)

 だから自分を肯定出来る人が、全時空を肯定できるのだと思います。だから五次元への道なのだと思います。
 そしてそう言う人は、自動的にオールを手放せるのだと思います。
 となると、すべては「自分」が始まりなのです。
(第六章「今の自分を肯定する(続)」)

 二度の逆転が起こった時、既に私の肉体にあると思われた「個」など、問題ではないのです。そこで欠点に気付こうが認めようが、問題ではないのです。
(第六章「人は自由になれるのか?」)

 いかに無駄な言葉を省き、研ぎ澄まされた文章でエネルギーを盛り上げていくか・・
 私のライターとしての力量が試されたのは、やはりこの六章なのです。
(第六章について)

 自分だけいいとこ取りをして、時空を信頼していると言えるでしょうか?
 リスクを冒さない人間に、信頼という言葉はあるでしょうか?
 しかしその先には、とんでもない乗り物があります。レールのないジェットコースターです。
(第六章「時空との信頼関係へ」)

 目的のある人生なんて、本当につまらないと思います。今日一日の行動がある目的のためだったら、本当につまらない・・
 だから私の手帳は白紙です。好奇心には目的が無いのです。
(第六章「個を持ったまま時空と繋がる」)

 時空の恋人として立候補するのは大変です。だって個を確立していないといけないからです。敵も互角の勝負をしたいからです。
 自由への一歩・・それはまず、依存から脱出することです。
(第六章「個を持ったまま時空と繋がる」)

 この本での「自分が源」とは、二回の反転を経験しないと出てきません。
 そうして出てきた「源」は、自分という枠をはるかに超えたものになるのです。
(第六章「時空全体に広がった私こそが「源」である」)

 私の講演会を聴いた人は分かると思いますが、最後にゆっくりとした「まとめ」などはやりません。
 私は正確に時間を気にしながら、最後の一秒まで本論をマシンガンで喋ります。
(第六章から「おわりに」へ向かうにあたって)

 文字の一つ一つが弾なのです。最後のトドメの一発まで、無駄玉を使いません。
 そして、もしかするとこれは、私の人生かも知れません。
(第六章から「おわりに」へ向かうにあたって)

 もともと人間は快の原則で動いていました。だからそれを認めるだけでいいのです。
 地球の方向転換とは、快を認める・・たったのそれだけなのです。
(おわりに「人間と地球の運命は」)

「遊び」という言葉がその人から消えたとき、その人は本当の遊びそのものの世界に入ったのだと思います。
「人生に遊びを持て」・・・悲しい言葉です。もっと本質的に高純度な快を追求しませんか?
(おわりに「人間と地球の運命は」)

 地球の危機にシビアな顔をして「みなさん生き方を変えましょう」・・だと?
 まず、言っているあなたが脱ぎなさい。服だけではなく、その凝り固まった常識を・・
 そう言っています。この神話は・・
(おわりに「人間と地球の運命は(続)」)

 さて、子孫は官鬼を剋します。官鬼は事故や災害や病気です。楽しめば、事故や病気を減らすのです。
(おわりに「人間と地球の運命は(続)」)

 私達は歯車の様に繋がっているということを書きましたが、自分中心に考えるとそれはとても嫌です。「なんだ、世界はがんじがらめなのか」・・と。
 ところが表記の様に考えると、何だか楽しくなります。楽しいことががんじがらめになれば、より楽しくなります。
(おわりに「人間と地球の運命は(続)」)
「新刊本を執筆中の気付き(前編)」
 マジメに真っ向から問われることは、とても快感です。私自身が活性化するようです。
 たぶん奴(神)も、同じです。奴は問われることが快感なのです。
(問いかけられること)

 私は「自力」が好きなのです。
 「良いものは自然に伸びる」こういう手法をとりません。
 私が独自で作るメディアのお客は自分で獲得します。
(自分のメディア(1))

 私は時空を愛しています(笑)。だから、解明したいのです。
 好きな人のことをもっと知りたいのと同じです。
 だから時空が決めた運命は、受け入れたいのです。
(コインは振らない・・)

 今までの現場は、私でなくては行けないところが多かったです。
 でも今度の現場は、誰でもが行けます。
 私と読者が共有できる現場です。こんなすごいことはありません。
(現場が変わった)

 時空の謎がわかったとして、お腹の足しになるでしょうか・・
 でも、もしも私が「何故」の問いをやめて、占いを利用する側のいわゆる工学の本を書いたら、それでオシマイだと思います。
(理学と工学)

 最大の気づきは、「問いに答えているのは、私自身である・・」ということ。
 しかし人は、まさか自分自身の答が外から聞こえるとは思ってもいません。
 もう一つは、「未来は、原因である・・」ということ。
(本を書くことは決まっていた)

 やはり、個ではないと・・。いかに個にこだわった世界観だったかと・・。
(本を書いていて思いました)

 「問いがその人を決定づける」・・・と。
 生き方は、その結果にすぎません。
 その人の生き方は、問いの、答えなのですね・・
(問いがその人を決定づける)

 精神世界とか不思議科学分野で私が生き残っているのは、たぶん問いを手放さないからだと思います。
(問いと距離感)
「新刊本を執筆中の気付き(後編)」
 この世界は、なぜこうも、逆説的なのだろうと思います。
 これをテーマに研究しても、何かの成果は得られそうです。
(逆説的)

 私は始めから自分の快だと言っています。回りくどいことは言いません。
 何をするのも自分の快のためです。
 ですが、回り道をしていない分、相手を手段にしてはいません。ダイレクトな快同士のやりとりだからです。
(何のための成長??・・生き方は目的か?)

 概念とか、考え方・・これが世界を変えると言っても、過言ではないと思います。
(概念)

 がんじがらめを意識できない点が、最も問題なのです。
(概念)

 「私の言いたいことや、伝えたいことは、これなんだ。変な風に取るんじゃないぞ。私は私の言いたいことを伝えるために、この本を書いたんだ」
 という気持ちを、最後まで持続させないといけないのです。
(解釈を読者に投げてはならない)

 「人それぞれ」だと言う人は、人の意見を尊重していません。
(解釈を読者に投げてはならない)

 何かを付けようとしたとき、ひとつだけ失うものがあります。変化です。
 付けたものは、変化を嫌うからです。
(何かを付けようとして)

 私は、成功してはいけません。成功を目指しては、もっといけません。
(何かを付けようとして)

 私は自分に価値があると思っています。その理由は、ただ一つです。私の「問い」です。
(問い)

 私の問いの前では、すべての人が対等です。
(問い)

 外に真実があり、それによって内なる自己が形成されるのです。
 自分の内部に真実は何もありません。
(新刊本のイメージ)

 おそらく、戦略は精神の100倍の威力を持ちます。だから運命変更が出来ます。
 本は戦略で売るものです。コンビニと同じです。個性で売る時代は終わりました。
(戦略)

 個性とは何でしょうか?個性のばらつきも、一定なのです。
 つまり、変人がいる確率も、一定なのです。
(マーケット)

 マーケット、それは原因です。結果ではありません。
 私たちがマーケットを作り出しているわけではありません。
 マーケットが我々を作り出しているのです。
(マーケット)

 趣味に生きる人たちで出来る本だということです。それが世の中で最強です。
(新刊本の表紙の絵が出来ました)

 趣味に生きる人たちは、言い方を変えると、縁でつながった人たちです。
(新刊本の表紙の絵が出来ました)
「新刊本の社会への影響を考える」
 でも、個人の運命は違います。それを知り、さらに変えられるとき、人間はよりエゴに走るのか、それとも善的行動に向かうのか・・
 しかし、社会の流れを変えることができないと知ったとき、人類はどういう方向に変わるのか・・。
 個人あるいは社会にとって、それらは善か悪か、いったいどちらなのでしょうか・・
(社会への影響)

 まず大きな変化は「相手」が変わると思います。
 戦争での敵や味方は、時空の操り人形にすぎませんでした。
 敵としてお互いに銃を向け合っていた者たちが、その銃口を時空に向けます。
(社会への影響・・職業編)

 それは、仕掛けをするような形で、外側から起こるのではないのです。
 内部から、来るはずです。
 「気づき」などを与える必要は、何も無いのです。
(社会の大変革)

 資本主義・・そこでは、資本のある者が有利でした。
 資本の下に、人が位置づけられていました。
 しかし・・・これからは、場が取れる人が有利です(笑)。
(社会への影響・・経済編)

 私の価値観は、二度に渡って転換します。それが本を読むとき「ドキドキ感」に変わり、途中で投げる人はほとんどいないと思います。
(社会への影響・・精神世界編)

 本の中でも次元上昇に似た単語を使っています。アセンションです(笑)。
 だからこそ、精神世界に与える影響は大きいと踏んでいます。
(社会への影響・・精神世界編)

 六爻占術や私の新刊本は、今までのものと矛盾するデータで一杯です。
 ですので「立派」な科学者は、これを否定しようとするでしょう。
(社会への影響・・科学編)

 パソコンで波動を反射させて気づきました。
 反射係数が1なら、共振して波形が止まることを・・・。
 それを時間系に乗せたら・・そう、運命は「止まって」見えたのです。
(社会への影響・・科学編)

 科学がこれほどのパラダイムシフトに遭遇するのは、宇宙誕生以来初めてだと思います。
 第二の地動説などと書きましたが、地動説もこれに比べると、小さいです。
(科学の世界)

 あるとき、ファックスDMを占い師に送ったことがありました。そして詳しい資料を請求してきた占い師の3割以上が、六爻占術テキストを買ったのです。
 手相、占星術、霊感・・・そんな看板を出している人たちが、六爻占術を買ったのです。
(社会への影響・・占い業界編 )

 おそらく昔の皇帝は、こういう状態を恐れたのです。
 平民が未来を知ったり、変えたりすることを・・
 占い業界という視点から見ても、これから大きな変化が押し寄せてくるはずです。
(社会への影響・・占い業界編)

 成長というのは本人に自由が与えられている場合の言葉です。
 だから、成長しただのというのは、自己満足の何ものでもありません。
 逆に、どんな失敗をしようが関係ないことになります。
(社会への影響・・「成長」)

 前世の行いが今世に影響すると言われてきました。
 だから少しでも善行を積んで、来世に徳を持ち越そうとしました。
 この世はカルマの解消にあると言われてきました。
 でもカルマは、個人に帰するものではなく、全体に帰するものなのです。
(社会への影響・・「成長」)

 成長という執着から自由になる時、結果として、本当の成長ができるような気がします。
(社会への影響・・「成長」)
「運命改善について(前編)」
 運命改善というのは、価値観との勝負でもあると思います。
 「生きるとは何か?」ここまで揺らぎます
(『第六章 エネルギーは方位の形で存在している』の実例)

 価値基準も結果だからです。人間に、価値基準の選択は不可能です。
(『第六章 エネルギーは方位の形で存在している』の実例)

 運命変更は意識でやります。願望も、意識です。
 老子は「無為」と言いました。でも無為では、運命変更は無理です。
(願望実現)

 願望実現も、未来方程式の一つのパターンの現れかも知れないと思った次第です。
(願望実現)

 強制的に外応を作り出すのがかなりの効果を生むのは、驚きです。
 笑顔も外応改善法に一役買っているかも知れません。
 逆に不満ばかり言う人は、やはり外応を自分で作りだしているかも知れません。
(外応改善法)

 運のいい人と付き合うと、自分の運も上がる・・六爻占術はその上をいっています。
(運を借りる改善法)

 第三巻までは、滑走路です。第四巻で、やっと離陸したという感じです。
 だって、自由が再び戻ってくるのですから・・
(元気の出る第四巻)

 十二支の置物とか五行の服は、バランスが取れていません。
 エネルギーは、一方から一方に、強烈に出ます。
 それだからこそ、局部的な改善には最適なのです。
(十二支とか五行のモノには要注意)

 運命変更は、局部の手術ほど、痛快です。
 局部手術は、卦の上でも完璧なのです。そうすると、現実も完璧に変わるのです。
(置物とハンドル)

 未来はいくら変えてもかまいません。
 しかし「今」は、すべてを肯定する必要があると思います。
(「運命を自在に変えるための第一歩は、今を肯定すること」)

 外応というのはあくまで、具体的な問いを発した時だと思います。
 さらに、「するな」という外応は無いと思います。時空に意志は無いから・・
(「運命を自在に変えるための第一歩は、今を肯定すること」)

 正確に言えば、「本人」と「××運」は別物だということです。
(世爻と用神)

 努力することなどやめて、大河を探してマッチングしたほうが良いと思います。
(世爻と用神)

 運命変更というのは、自分とセットの運命を「変更」するのではなく、「乗り換え」だと思うようになったのです。
(世爻と用神)

 自分自身も、外応になる可能性がありそうだ・・ということです。
(世爻と用神)
「運命改善について(後編)」
 2004年はどういう年かと言えば、「運命変更元年」です。
(運命変更元年)

 私は、「良い卦」に対してあまり「良い感じ」を持ちません。
(運命変更元年)

 合よりも冲のほうが、生(せい)を感じます。
(「冲」と「合」)

 自分を冲するのは、とても大変なことなのです。
 冲するよりも、周りに合するほうが、楽なのです。
(「冲」と「合」)

 「明」は月日からの独立をも意味するそうです。
 「明」という状態は、五行からも独立してしまうそうです。
(「明」という文字)

 名前から自分というものを知るのです。
 言い方を変えれば、その名前から作り出される自分があるのです。
 自分があって卦が出るのではなく、卦が自分を教えてくれるのです。
(名前による運命改善)

 多くの宗教では、密通は良くないこととされています。それは本人のせいだとされます。
 宗教は、このことに、荷担してこなかったでしょうか?
 時空への問いではなく、人間への問いに、すり替えてこなかったでしょうか?
(吉日を選ぶ)

 「浮気をするのが、式の日と時間で決まった」というのが本当だとすれば、吉日を決めるということは、大変に意味を持つと思います。
(吉日を選ぶ)

 六爻占術には、生き方を反省させたり、エゴや欲望を否定するところは、ほとんどありません。
(今までの運命変更書とは違っている第四巻)

 努力や反省という文字が消えたら、世の中はどうなるか・・良くなるんです(笑)。
(今までの運命変更書とは違っている第四巻)

 運命変更が出来ればそれがゴールだと考える人は多いと思います。
 そうでないのは、その向こう側の仕組みを知りたいからにほかなりません
(今までの運命変更書とは違っている第四巻)

 運命変更の事例は100件を越えています。
 しかし「自分の生き方を変える」という事例はほとんどありません。
(原因と結果)

 「内面」は運命にほとんど関係ないと思います。
 むしろ内面は、運命から規定されたような感じすらあります。
(原因と結果)

 運命は自分が源だという意識は、とてつもなくエゴだと思えてきました・・・
 運命を変えたかったら、「生き方」は放棄しないといけないと思います。
(原因と結果)

 「占いの目的は楽な人生を送るためです。」私も同感です。
(第四巻の序章の抜粋)

 運命変更をするためには、敵側のシステムを正確に知る必要がありました。
(第四巻の序章の抜粋)

 おそらく「動き」は、時空側のプログラムから脱しているのかも知れません。
(「動く」ということ)
「ユングに易を伝えた宣教師・ヴィルヘルム」
 ヴィルヘルムは大変な問いを持ちます。「キリスト教は相対的なのではないか・・」ということです。
 なぜ相対的だという視点に立てたかと言うと、神がこの世を作ったのなら、すべての宗教に神がいるはずだと思ったからです。
(「リヒアルト・ヴィルヘルム伝」(筑摩書房))

 信者は、癒しが欲しいです。それを、エゴだと言ったのです。
 「神の恵み」などという言葉を、口にするなとも言います。
 この考え方の裏には、神は沈黙して当たり前・・という概念があります。
(癒されるためにキリスト教に入るのは、エゴ)

 洗礼が差別だというのは、まったくその通りです。
 神の名の下に生きる者がいたとすれば、その人を洗礼をしようがしまいが、関係ないはずです。
 逆に言えば、洗礼を受けようとする者は、何を得たいのでしょうか・・
(洗礼を受けようとする者は何を得たいのか)

 ヴィルヘルムという人は、超越しているような気がします。
 彼は彼の神の世界を、しっかりと生きています。
(ヴィルヘルムの孤立)

 布教という行為も、ものすごくエゴではないかと思えるようになりました。
(伝道者の思いこみからの解放) 著者は書いています。『ヴィルヘルムのおかげで「最後の一瞬において善となりえ」た人も、決して少なくなかったに違いない』・・と。
 神に生きるというのは、こういうことだと思いました。
(ヴィルヘルムと日本兵)

 自分の価値観をしっかりと持ち、イエスや釈迦であろうが、ただそれだけでは崇めるのを止め、自らの体験に根ざしたことをよしとするヴィルヘルム・・・
 これが、「時空の最初から決まっていた」と一言でぶった切れない私です。
(ヴィルヘルム最終章)

 ヴィルヘルムは、人のために生きたのではないと思います。自分のために生きたから、一人も洗礼をしなかったのだと思います。
(ヴィルヘルム最終章)
「『不思議の科学』文庫化」
 『不思議の科学』の文庫化はすごいです。だって巻末には「今」の私でエッセイを書きます。ということは、六年かかって書いた本に匹敵します。
(文庫化スタート)

 原因が外側だという考え方は、極めて斬新だと思います。だって世界観がひっくり返るからです。『不思議の科学』は、その先駆的な本だったのです。
(原因の世界)

 体脱や臨死体験はこの世の肉体とまだ繋がっています。だからこの世の価値観を持って行っている可能性が高いと思うのです。
(輪廻転生の管理責任者は実在するか)

 個人が勝手に「計画する」ことなど、あり得ないと思いませんか?
 こんな誰でも分かることなのに、どうして今まで「個人計画説」がまかり通ってきたのでしょうか。
(『死後体験』)

 普通の人は、自著を超えられなくて終わっていきます。それは「自著」という過去に縛られたのと同じです。
(自分の著書をどう乗り越えるか)

 私は精神性とか生き方論とか、嫌いです。
 そんなことを言う奴は、ケツに発信器でも入れたろか・・と思います(笑)。
(一方方向からではない『不思議の科学』)

「あなたは誰?」と訊かれて、その問いを迂回するわけにはいきません。
 もしかすると「LAST QUESTION(最後の質間)」と定義する人は、いつも迂回しているのではないでしょうか・・。
(LAST QUESTION)

 私は好奇心でやっているのですが、それはエゴだと思わせられる時があります。好奇心は自分のためであり、自己満足そのものだからです。
(好奇心)

 発信器を入れられる瞬間、私は神に祈ったわけではありません。
 血も涙もない、大量虐殺までしでかす秩序の神を信じていたのです。
 ルール通りにコトが運ぶと・・私の仮説通りにコトが運ぶと・・。
(奇跡の神と秩序の神)

 視点移動・・・実はこれを成し遂げたくて、体外離脱に挑戦したのです。女装だって一つの視点移動なのです。
 そして『不思議の科学』では、根本的な視点移動が行われました。それは原因と結果の関係です。
(結果の世界と原因の世界)

「自然界は我々が質問するのを待っているのではないか。その質問に合うように物理世界を作り替えているのではないか。万物の奥底にあるものは、答ではなく質問なのだ。」
 これは六爻占術で出会った世界そのものではないでしょうか・・・。
(おおもとは問いで変わる)

 私の講演会は、問いかけが多いです。最初に「私の発表は仮説です」と言い切り、みなさんには問いかけをします。それは世界を変えるきっかけになっているかも知れません。
(おおもとは問いで変わる)

 私は結果・・
 人類は、歴史が始まって以来、ずっと自分を原因だと思っていました。
 なのに、人は、なぜこうも自分という個に固執したがるのでしょうか・・
(『「私は結果」原因の世界への旅』)

 私は奇跡の神を信じません。秩序の神は信じます。だから孫さんの蘇生も、何かの方程式を使っているのです。
(孫さんの蘇生)
「中国語版『運命を変える未来からの情報』」
   この本では、六爻占術を開発した偉大な人物を『虎兄』と呼んでいるところが、本の後半の「時空的自由」の説明を、より理解的にしていると思いました。
(トラさんの呼び名)

 日本の神話は素晴らしいと思います。しかし天照大神は天皇とも繋がっていて、中国では肯定的には捉えられていないような気もしました。それがこういう形で紹介されるのは、とても良いと思いました。
(日本神話)

 翻訳本『未來情報,改變命運』は、もう一度スタートラインに戻ってみようという本だと思います。そして今日、メインコーナーでは「神の手が動き出す」が出てきました。「私は誰?」の副産物は、すごいんじゃないかと思います。
(「私は誰?」)

 私の原本の中でも、「自由」は、本当に定義が難しいものです。時空と一体化するのが「自由」であるというような表現になっていて、それは社会で言えば、体制に飲み込まれるようなものです。少なくても「個」の自由を、「自由」だとは書いていません。
(自由の定義)

 私の書いた自由という単語に対して、訳者は「自由」と「自由自在」に書き分けていると書きました。
 今気づいたのですが、「私は誰?」というセンテンスは「我是誰?」「我為何者?」という二つに書き分けているのです。
(自由の定義)

 占いは個人の生活を上げるために存在するのに、「私は誰?」というテーマに変換されたことが翻訳のきっかけになり、だからこそ中国の人が読んでも納得してくれる本になったのだというような気がします。
(なぜ翻訳されたのか)

 しかし私の本が翻訳されたのは、「源」を「ある日本人の目から見たもの」から、もう一度見直してみよう・・という理由もあったのではないでしょうか・・。
 それは「源」を、より知ることのできる行為になるから思います。一種の「ループ」だと思います。
(なぜ翻訳されたのか)

 新しく会う人なら、この本を読んでもらえば、私の調査スタンスが分かってもらえるます。「私は誰?」を知るために中国全土を回っていることを・・。
(占いを見直す動き)

 21世紀は科学の世界であり、理性が勝つ時代だと思われてきました。「私は結果」などは、あり得ないと思われてきました。
 今回、翻訳本『未來情報,改變命運』が出たと言うことは、事は日本だけでは済まなくなったということかも知れません。
(占いを見直す動き)

「私は原因」から「私は結果」への移行は、「他動詞」から「自動詞」への移行と考えられます。
 しかも運命を変えるときも、「他動詞」だとうまくいかないと思います。運命変更すら「自動詞」の世界に入ることが、自由の世界に近付くことだと思います。
(他動詞、時制が無い)