TOP >  もりけん語録集 >  「もりけん語録集(娯楽編)」
映画「ラストサムライ」
 変容・・すなわち環境で変わること・・すなわち変化に乗ること・・
 変容として生きることは、そうでない場合よりも、大変だと思います。
 信じるのは外には無いのですから・・・
(ラストサムライ)

アン・パーフェクトな世界に入り、人は、生を続けます。
(パーフェクト)

私には命より優先するものはないですし、そういうものを押しつける何かに反抗します。
 「命を賭ける」・・素晴らしい言葉です。
 しかし「演じる」ほうが、もっと素晴らしいです。いつでも「降りる」ことができるからです。
(演じる)

生きることを優先したとき、人は何にでもなれると思います。
 逆は、死です。
 つまり、あるものを選び取ったとき、それは死を意味すると思います。選び取ったことは、逆に言えば、
変化を放棄したからです。
 信仰は、死の、最たるものです。
(生)
映画「ロード・オブ・ザ・リング」
 世界を滅ぼすのは指輪ではなく、あの「価値」なのです。
 支配することへの価値がゼロになれば、指輪の価値もゼロです。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第一部)・・りんごの副題:指輪なんか道ばたに捨てなさいの巻(笑))

 点の最たるものは自分でしょう。自分に目がいっていると、全体が見えません。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第一部)・・りんごの副題:指輪なんか道ばたに捨てなさいの巻(笑))

 みなさんは、自分の欲望にどれだけ忠実でしょうか?
 それとも欲望に忠実なのはいけないことだと思っているのでしょうか?
(欲望) この映画の言おうとすることは、「悪を作った奴は外側に指輪を置いた」・・です。
(『ロード・オブ・ザ・リング』(第三部))

 「指輪」を本当に捨てるには、マーケットそのものを変化させないといけません。
(邪悪な心はマーケットになる)

 問題は、「個」か「全体」か・・です。
(邪悪な心はマーケットになる)

 全員が指輪をはめないと、歴史は進みません。邪悪な心を肯定しないといけないのです。
 肯定すれば、消え去ります。
(マーケットと指輪・・最終編)
映画「ザ・キッズ」「恋はデジャブ」
 自分が変わるというのは、今までのアイデンティティが過去のものになってしまうということだと思い
ます。ちょうどそれが経験できました。
(『ザ・キッズ』のストーリー)

 実は、本人にすらよく分からないのではないでしょうか・・。
 勝ち負けは解釈の違いに過ぎない・・ような気がします。
(勝ち負け)

ループの中に入り込んだ主人公は、ある意味では人生を捨てることからスタートしました。余裕の笑いで
はなく、瞬間を生きる輝きがありました。
(『ザ・キッズ』と『恋はデジャブ』1)

 無と空・・この違いは非常に分かりにくいのですが、もしかすると似ているのかも知れません。
 変化に乗ったとき、結果として無になっているのかも知れません(無になるから変化に乗るのではな
く・・)。
(『ザ・キッズ』と『恋はデジャブ』2)

 私は世界と対面しながら、自分とも対面しています。
 私が神を感じるのは、他の人間を含む「世界」に対面している時と、「自分自身」に対面している時で
す。
(アイデンティティ)

 人が負けるか勝つか・・この相手は自分しかいないと思います。自分・・それは神です。
(アイデンティティ)

 ハッキリとした夢を持つのは男性です。勝ちか負けかを決めたがるのは男性です。
 それに対して女性は曖昧です。何かを目指す度合いは、女性の方が少ないと思います。
(女性性)
映画「8マイル」
 「あらゆる瞬間がチャンス」・・しかし、「ひとつのチャンスを得れば、全てを逃す」と思います。
「全て」とは、自分自身です。
(あらゆる瞬間がチャンス)

 「未来」とか「守るべきモノ」が無くなったとき、本当のチャンスが訪れました。
それは外からのチャンスではありませんでした・・
(肝が据わってきた)

 運とツキ・・クソ食らえ・・俺は俺で生きる・・
そう言っているような気がしました。
好きなことをするのに、運やツキは関係ないかも知れません・・
(運とツキ)

 中途半端に成功したかったら、運やツキを呼べばいい・・
 本当の「生」を感じたかったら、運やツキを無視した方がいい・・
(運とツキ)

 チベットの高僧は「変化に乗れ」と言いました。
しかし、彼は周囲のリズムに乗ろうとはせず、ひたすら自分のリズムの方を大事にします。
(自分のリズムと周囲のリズム)

 外からのチャンスでのし上がる人は、魅力無いと思います。
そうではない人にとって、チャンスは一度では無いような気がします。
逆に言えば、いつでもチャンスなのかも知れません。
(自分のリズムと周囲のリズム)
映画「サイン」
 出来事は起こるべくして起こっているのだから、それを気付けと言わんばかりです。
私にはこういう考えが、最も自己中心的に聞こえます。
(サインと六爻占術)

 時空の主人公は「あなた」でしょうか?
もちろん「あなた」でしょうね・・だって時空は「あなた」のために「サイン」を出すのですから・・
でも、この考え方でいくと、六爻占術師になれるでしょうか・・
(サインと六爻占術)
映画「容疑者」
 「神とて、超法的存在ではありません」
本当にそうでしょうか?ほとんどの人はそうは思っていません。
(超法的存在)

 六爻占術は、ルールです。未来方程式そのものです。
では、そのルールを作った存在(神)は、そのルールを越えているのでしょうか?
私は、越えてはいない・・と思えて仕方がありません。なぜなら、私たちが神自身だから・・
(善と悪)

 テロの犯人はひょっとすると、自分たちを「超法規」だとは思っていないでしょうか・・
思っているような気がします。「超法規」で、しかも「善」・・だと。
私たちの神に対する考え方とよく似ています。
(善と悪)

 弁護士が言うセリフ「裁判官とて超法者ではない」というのは、「誰しも法を犯す存在」ということを
言っているのではないでしょうか・・
もしも弁護士が全く法を犯していなかったら、私はこの映画に感動したでしょうか・・
(誰も法を犯さない者はいない)
映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」
 私が感じたのは、人間は外から作られてしまう可能性がとても高いことです。
 外からの恐怖をあれだけ植え付けられれば、私も銃を買いに行きそうです。
 そして外の恐怖と闘う大統領は、肯定されます・・
(見えない恐怖)

 『ボーリング・フォー・コロンバイン』の監督は、犯罪の原因を「社会のせい」だとしています。
 『ボーリング・フォー・コロンバイン』のサイトにある掲示板には「社会のせいではなく個人のせいだろ
う」という反論が載っていました。
 しかし私は、社会のせいでも個人のせいでもなく、時空のせいだと思います。
(父の話)
映画「e's(エス)」
 看守をSとして囚人をMとすれば、SもMも同等なのです。同等の恐怖心と快感があるのです。
(ある心理学の実験映画)

 戦場に行くと人は変わるという映画が多いです。だから戦争はいけないと結論づけます。
でもこんな身近に、しかも数日前までは会ったこともなかった人たちの間で、しかも「実験」なのに、戦
場と同じようになるのです。
(ある心理学の実験映画)

 看守も囚人も降りない人は、「自分」を守る為なのです。「自分」というプライドです。
映画の中に出てくる全ての人が、自分の中にも住んでいると思いました。
(降りるということ)

 人は、何に降りて何に降りないかで「決まる」のです。
みなさんは何から降りているでしょうか?
そして何から降りていないでしょうか?
(降りるということ)
映画「トーマス・クラウン・アフェア」
 私は、自分が下位の問いからブレないように、自分自身を刺激しているようなところがあるのです。
 だから上位の問いが満足しても、大泥棒をする必要はありません。
 いえ、大泥棒のトーマス氏よりもずっと刺激のあるのが、私の生活です。
(下位の問いからブレない刺激を)

 普通の人は、上位の問いの人生を送っていると思います。
 しかしそういう人達は、いったい何が面白くて生きているのでしょうか?
 「幸せな金持ち」という状態は、そんなに良いでしょうか?
(「生き方論」も大事)

 下位の問いの追究に対するもう一つの「相殺」は「金儲け」なのです。
 金儲け無くして下位の問いの追究など、恥ずかしくてやっていられないのです。
 こうして考えると、「生き方論」というのは重要なテーマだということが分かってきました(笑)。
(「生き方論」も大事)

 今までの世界観では、時空は一方方向の「善」に向かっているというのが通説でした。
 それはまるでトーマス氏の前半の人生です。どう考えても面白くなさそうです。
 そういう直線的な目的の人生は、やはり変です。
(トリックに気づかない可哀想なトーマス氏)

 彼は下位の問いを持っていなかったからトリックに気付けませんでした。そして下位の問いがあると、何が始まるでしょうか・・・
 時空との騙し合い・・時空との謎解き・・こんなに面白いことはありません。
(トリックに気づかない可哀想なトーマス氏)

映画「いろいろ」
 船員が予知をして、無視をする船長。
それは予知が微弱だからです。経済の論理(ひとやま当てようぜ)には勝てません。
(『パーフェクト・ストーム』)

 ヨットの女性は微弱信号に賭けた・・遭難した漁船の船員は、微弱信号に賭けなかった・・
何か、こんな気がしました。 
(『パーフェクト・ストーム』)

 彼がこうつぶやくシーンがあります。「私には予知は出来ない」・・と。
21世紀初頭・・スターウオーズの時代の遙か昔・・
蘇生や予知(六爻占術)はすでに始まっていたのです・・
(『スターウオーズ・エピソード2』)

 『エピソード2』では大事な人の死に遭遇します。
しかし「フォース」はピーナッツ一つ、生き返らすことは出来ません。
もちろんエビフライも戻りません(笑)。物をねじ曲げ、動かし、破壊するだけです。
(『スターウオーズ・エピソード2』)

 でも、神はこういう風な融通が利くと思いますか?
たぶんいくら祈っても、無駄です(笑)。
(『ブルース・オールマイティ』)

 私はそれを見て、思いました。「神って、大変なんだ」(笑)
戦争の一つや二つ、起こっても、しようがありません(笑)。
ブルース君と同様に、私にも神の役は、出来ないと思いました(笑)。
(『ブルース・オールマイティ』)
「米国観光旅行」
 一言で言えば「感情は自分のものではない」という学説を持っています。恋の感情すらも全く関係ない
ところから来ると言います。
(下條さんの研究室)

 つまり、目線を向けられた方を好きになるのです。
 ですので、話をするときは、相手の目を見る方が特です。
 写真を撮られるときは、カメラ目線が特です。
(下條さんの研究室)

 100ドルを与えた人よりも、1ドルを与えた方が満足したのです。
 なぜかと言えば、1ドルの人は自分で満足を見つけようとしたのです。
(下條さんの研究室)

 下條さんは自分でも言っていますが「主観」という問題に切り込んだ、初めての人かも知れません。
(「感情は自分のものではない」)

 下條さんの最新の研究は、「自由意志は自分のものか?」・・です。
 六爻占術の運命論の問い方を変えた感じです。
 東洋人だから、このアイディアが浮かんだのだと思います。
 これを実験で証明しようとする下條さんは、まさに心理学の神坂さんだと思います。
(「感情は自分のものではない」)

 予知が出来る人は、40ドルの「確実な投資」をすることができます。
 しかし普通の人にとっては「不確実な賭け」です。
 運命は後から変えることができません。
(ユニバーサル・スタジオ)

 心理学は二手(ふたて)に分かれています。一つは脳とか身体にまつわることだけを研究する分野、も
う一つは心とか精神だけを研究する分野です。
 下條さんはその両者を合体させた分野に切り込もうとしています。
(アメリカ観光旅行最終書き込み)

 六爻占術というのは自然の中から生まれたものでした。
 それを科学の分野に引きずり出したいと思います。
 その行為は、神(奴)を引きずり出したいと思うことと同じです。
(アメリカ観光旅行最終書き込み)
「ハワイ紀行2000.08(前編)」
もしも水平になったどうでしょうか。ハワイも日本も同じ水平線上にあります。
 上下はありません。同様に、時空そのものもそうなのではないでしょうか????
 この状態に行き着くと、孤独もだいぶ変わるような気がします。
(水平方向)

 水平という価値観は、内部的だと思います。外から見て不平等でも、水平であるかどうかに影響は無いと思います。
 孤独に対してマイナスなイメージが生まれるのは、外部的に比較をするからではないでしょうか。
(人間の由縁)

 孤独は個とも関係していて、もともと一つだという概念で個を解決することは無理だと思うのです。概念で解決するのは静的、言い換えれば空間系です。
 覚醒についても同じです。覚醒は空間系ではあり得ないというのが私の考えです。時間系ではあり得るにせよ・・です。
(非覚醒のすすめ)

 人は忘れる方向に進化しているというのは、まんざら間違ってはなさそうです。
 意識すればするほど、人は背負っているものに重さを感じると思います。
 覚醒など、しなければいいのです。非覚醒のすすめ・・です。
(非覚醒のすすめ)

 昔のこと??忘れましょう・・。一秒前も「昔」です。残る前に出しましょう。
 計画性の無い表現には、エゴは無いと思います。
(ラッキーハプニング)

 反射的に何かを言う場合、理由を考えてはいけません。
 通常、人は理由を考えるからそれが出来ないのだと思います。
 実は、この反射的に出てくる事柄は、未来予知をしている場合がほとんどです。
(不連続)

 私達を取り巻く時空は、不連続ではないかと思わせるフシがあります。
 不連続だから次はどこに行くか分からないのに、あえてそれを、かなり無理をして、連続的な線にしてしまっているのではないでしょうか・・・。
(不連続)

 意識を全開にする世界はエゴの世界だと思います。
 ですので意識と関係する覚醒は、往々にしてエゴと関係していると思います。
 意識無しの覚醒なら良いのですが、それを覚醒と呼ぶのでしょうか?
(リリース・・今年編)

 去年のリリースは、「出すこと」でした。でも、任せるというのもリリースと関係しています。
 で、今年のリリースは、手を離すことです。任せるのです。特に無意識に対して・・。
(リリース・・今年編)

 意識で世界は作られているとして、意識を変えることによって世界を変えようと言い出します。
 そして正義は、変えることの方に傾きます。意識がすべて・・
 しかし、この会報誌は言っています。タオの中に入れば、何もしなくて良いと・・。
(『プシケー』の中から)

 惚れるということ・・これはとても大切だと思います。惚れるに、理由はありません。
 理由ありは、まだ「好き」という段階なのです。
(惚れること)

 彼は内と外の場を整えていたのです。これはまさに孫さんがやることです。
 孫さんはピーナッツを握り、一心に瞑想します。それはピーナッツにエネルギーを与えてはいません。蘇生場を整えているのです。マッチングです。
(問題提起)

 人工と自然をどこで分けるのだろう・・と。
 同じように意識と無意識はどこで分けるのだろうと・・。
 とは言え、さっきも言ったように単位が違うのです。片方は空間でもう一方は時間です。
 分けることや比較することは、かなり難しいのです。
(混沌な私)

 このHPなどを通じて、私やみなさんは裸になつりりあるような気がします。それは無意識を追っているのが原因かも知れません。時間系を追っているのも原因かも知れません。
(ハワイ最後の晩に乾杯・・そして多数決からの脱皮)

「みんなが決めたことには従いなさい」こう言われて育ちました。
 多数決は正義です。これに勝てるものがあるでしょうか?
 あります。それは私達の心の声です。
(ハワイ最後の晩に乾杯・・そして多数決からの脱皮)

 さて、イルカはなぜ陸に上がらなかったか。陸には空間があったから・・というのが理由かも知れません。空間を獲得すると時間を切り捨てるのかも知れません・・・。
 もう一つあります。それは「境界」に生きているということです。
 空間(陸上)と時間(海中)の狭間(海面)で生きています。
 これは意識と無意識の狭間で生きていると言えるかも知れません。
(イルカは時間系)

 私達はどうすればイルカのように生きられるのでしょうか?
 それは自分を信じることに尽きるような気がします。
 自分を信じるとはどういうことでしょうか・・それは自分の言った事に責任を持たないことです。
(イルカは時間系)

 で、どうしようも無い事実、飼われているという事実に向かって何をするか??
 この「何をするか?」の対象は、私の場合、「私」なのです。
 通常は「イルカ」かもしれません。しかし、私は私に対して・・なのです。
 拉致されてきたかも知れないイルカの前で、私は私に何が出来るか・・なのです。
(イルカについて私の意見)
「ハワイ紀行2000.08(後編)」
 私は不思議研究所という仕事を通して問いを発し、答を準備する。みなさんは、みなさんの仕事を通して問いを発し、答を準備する。
 だとすると神は「問い」なのかも知れません。だとすると、なんて素晴らしいのでしょうか・・・。
(問いは流れ)

 問い続ける世界には流れがある。答はよどみます。
 だから悟ったら、すぐに捨てることです。覚醒などしたら、すぐに捨てるこです。
(問いは流れ)

 因果応報と言います。ものには原因があり、結果があると・・。
 しかしユングは同時に起こっていると言います。因果同報だったのです。
(きっと面白いことがある)

「一つだから愛しなさい」というのは、ユングの元型から外れるのです。愛するという行為、あるいは伝達という視点が加わるからです。
 おのずから起こる・・という表現は、道教が言うところの「為さずして為す」に似ています。
(元型)

「意識が世界を変える」だの「プラス思考でいきなさい」と言われますが、実際にそれはその通りの効果を生むものなのでしょうか?
 私は逆の仮説さえとります。変えるための元の世界は悪く、プラス思考できない今は悪いという視点を持っているからです。
(元型への服従)

 ワダチに身をまかせることも服従と関係しますが、これは周囲の状況に受け身になることではありません。
 上の例にでもあるように、すべてをやり尽くした時の「手放し感」にあるのではないでしょうか。
(元型への服従)

 そうなのです。手放すことは、客体となることを意味します。
 選択をしない・・責任をとらない・・・だから瞬間に反応できる。
 0.0000001秒の世界・・「一なる世界」。
(動かされるもの)

 彼の問いは、カルマとなり私達に引き継がれています。
 そういうカルマ(問い)なら、どんどん引き受けようではありませんか。
 カルマは悪いものだという価値判断は、誰が付けたのでしょうか・・・・。
(動かされるもの)

 大きな流れは、もちろん主体が作っていると思います。
 しかし、私に関して言えば、主体を交代したくて主体的に動いているのです。
 歴史や背景は、ない方がいいのです。
(瞬間を生きるために)

 ほとんどすべてと言っていい精神世界では、因果関係を主体にしています。
 意味を探そうとするからです。意味があったか・・あれば安心するわけです。
 しかし元型は意味を越えていると思います。意味付けした瞬間、主体が自分に戻ります。
 歴史や背景が目に見えてきて、瞬間を取り逃がします。
(瞬間を生きるために)

 でも、「私は、私が作り出したわけではない」とも言っています。ということは、「個人」すら元型が作り出したと思うのです。
 では、「問い」は誰が作り出したのでしょうか?これすら元型だというほかはありません。
 元型が人間をして「私って、誰?」と問うているのです。
(元型は言いました「私は誰?」)

 さて、マザコンはどこにあるか・・・それは「無い」と表現したいのが、私の仮説です。
 どこに「無い」のか・・「空間」に「無い」のです。だってそう考えるより他にない。
 でも、「時間」に「有る」のです。
(High Intelegent Information Processing)

 つまり、意識が空間系で無意識が時間系なのは、もともとマッチングが前提となっているのです。

 男が意識(空間)だとすれば、女は無意識(時間)。両者が必要なのです、もともと・・
(High Intelegent Information Processing)

 つまり、一方が最大で一方がゼロといった大きな「差異」ができた状態がマッチングしていると言うのです。
 つまり、男はできるだけ男になり、女は女になる。同化じゃないんです。
(個性)

 レーダーは、ものすごい強力なパルス信号を発射した後、ゼロの状態になります。そのゼロの状態は、発射した時間の10倍以上です。
 つまり、レーダーはほとんど受信状態なのです。
(なぜ心を静かにしないと受信できないか)

 で、元型は・・そう、「場」なのです。ただの・・。場だとすれば、実体はない・・・
 元型はエナジーの塊か何かだと思っていたので、「場」と気が付いただけでも良いのです。
(なぜ心を静かにしないと受信できないか)

 大胆な仮説ですが、元型が「場」だとすると、元型からの信号は自分の出したエコーだとも言えます。まるでイルカが自分の位置を知るように・・そう、まるでレーダー・・
(イルカとエコー)

 彼らは100%受け身的な「無」になって瞬間行動をしているわけではありません。強いて言うなら、1%の能動と99%の受動ではないでしょうか。
(イルカとエコー)

 以上の記述でとても印象的なのは、意識(本人の意思)と無意識(宇宙のインフォメーションセンター)との交信がバンバンと行われているという点です。
 決して全てが無になっているわけではありません。
(意識と無意識のコンビネーション)

 今までこの世界は、「エネルギー」が中心だったと思います。相手にエネルギーを送るの、送られるだの・・・
 しかし孫さんのやり方を読むと、情報が中心であることが分かります。念写でさえ「写す」と言わずに「移す」と言うのです。
(意識と無意識のコンビネーション)

 私は、自分が端末でも良いと思っています。いえ、端末以下でも良いのです。
 なぜかと言うと、元型に惚れています。惚れているからこんなに追求ができるのだと思っています。
(元型は過去の情報に関しては、ROMのみ)

 私達が何かをリリースするというのは、「生命」をリリースしているのではないでしょうか。
 宇宙のインフォメーションセンターが生命の源だからこそ、孫さんはそこにアクセスして蘇生をしているのではないでしょうか・・。
(生命)

 生命という概念は、魂とは違いそうです。魂には空間的なイメージが伴います。一生懸命に磨きたくなります。
 しかし、生命は磨けそうにありません。そして生命こそ、時間の中に存在しているような気がします。
(生命)

 私は私・・という考え方は、私というものに「線」を思わせます。
「同一性の原因を自分に与えるのをやめる」と言うことは、「点」を思わせます。「点」だからランダムに振れても良いのです。
(もりけん流ナンパ法)

 そのとき彼が生きているという感覚を、彼女に表現すればいい・・。
 それは一瞬でいいと思うのです。その瞬間において、結果的には「同一性の自分」なんて無くなっていると思います。
(もりけん流ナンパ法)

 私は思考の結論を得たいと強く願っていると、ほぼ100%結論は出ません。思考を楽しんでいる時しか出ないのです。あらゆる事にこれは言えないかと思ったのです。
 だから、男女間にも言えると思うのです。
(遊び遊ばれ・・、人生は遊び・・・)

 生命が生命であるためには、遊んでいたいのです。だとすると、元型も遊んでいたいのです。
 人も、ずっとこのまま遊び続けたいから、不老不死になるのです。
 とすると、不老不死になっても男女間は残るのかも知れません。
(遊び遊ばれ・・、人生は遊び・・・)

 つまり、全体論と還元論を越えるものだと思うのです。全体論にしても還元論にしても、組織として考えているわけです。でも、元型は組織ではないような気がするのです。
(私達は全体の一部か?)

 私はずっと神に答を求めていました。しかしですよ・・神も同様に問い続けていることだって、充分にあり得ます。
 だとすると、なんて素敵な神でしょう・・・。
(私達は全体の一部か?)

 こうだと答える世界は、信念の世界です。信念の世界は、答えの世界です。
 問いは不安定です。答は安定です。問いは動的です。答は静的です。
(ハワイコーナー最後の書き込み)

 私も問い続けていきたいです。答の向こうには、また問いが出てきても・・・それでもいいんです。
(ハワイコーナー最後の書き込み)
「ハワイ紀行2001.08」
 あらゆる感情に対して、持ち上がる生命エネルギーの素は、同じなのではないかと言います。
 それが何に変化するかは、ほとんど環境が決めると言うのです。そこに個々の魂が介入する余地はほと
んど無いと言うのです。
(吊り橋の実験)

 時間の流れを横軸に捉えた場合、それを横時間と呼びたいと思いますが、横時間に私の魂は存在し得な
いと思えたのです。
 それまで感情だけは自分のものだと信じていました。しかし下條君に言わせるとそうではありません。
悲しみや愛すらも、自分のものではないのです。
(吊り橋の実験)

 横の時間に対しては、がんじがらめの私達・・
 しかし・・縦の時間というものはないのでしょうか・・
 縦の時間・・それは生命の時間です。生命が躍動する時間です。
(吊り橋の実験)

 さて、私達は「自分がある」と思っています。そして「自分を大切にしよう」などと言います(笑)。
でも自分が無いのに、大切にしようとは・・矛盾します。
(縦時間の服)

 私達は今の環境に順応する方向にしか行かないのです。
 変わった人を排除しようとする動きも、社会全体の「順応」の一環だと思います。
 では私達は環境のなすがままでしょうか・・
 私は3%の自由くらいはあるような気がします。
(縦時間の服)

 自分を変えるには、視点を変える必要があります。その視点を変えるのは、環境なのです。環境には自
分の身体も服装も含まれます。
(縦時間の服)

 報酬が高くなると逆に不満が多くなるのです。常識に反した結果になったのです。
 これを幸せに置き換えれば、給与が高くなると幸せではなくなるのです。
(1ドルの報酬)

 お金を貰うにせよ誉められるにせよ、報酬といいうのは横時間を発生させると思います。
 絵を描くという行為に対して、未来に報酬を貰うためだという目的が発生してしまうのです。
(1ドルの報酬)

 私たちはよく「魂を磨く」とか「霊性を上げる」とか言います。
 この時、磨くことや上げることがコストなのです。
 せっかくの面白いことを、それらの価値観が壊していきます。
(1ドルの報酬)

 縦時間に突入するには、空性をゼロにするしかないと思います。
 空性をゼロにするには霊性をゼロにする必要があると思います。
 霊性とさよなら・・です。魂を捨てて身体に戻らなければなりません。
 しかしそれらを捨てた瞬間、その本当の姿が顔を出すと思います。
(1ドルの報酬)

 人は皆、違うのです。同じ色の眼鏡を掛けていたら、別の人間である必要はありません。
 しかし、それは「体験する」ためでしょうか?
 馬に生まれ変わって、それが体験とは・・どうしても思えません。
(お馬の親子はトコトコと歩く・・)

 魂には性差が無い・・それどころの話ではありません。魂には動物差も無かったのです。
 無色透明な風(ルン)は何にでもなれます。
(感情は風(ルン)のエネルギー)

 縦の振動を感じられるようになったら、もうそれは止まりません。
 馬になっても・・・人間になっても・・
 だからこそ私は、その時の気持ちを大事にしたいのです。それは神の気持ちだからです。
 この肉体でもっと感じ、もっと表現したい・・
(感情は風(ルン)のエネルギー)

 私は主体的にその感情を発生させたのでしょうか?
 決して主体的に発生させてはいませんでした。どこかに何か、違った感覚を持っていました。それらを
本心だと主張した時、孤独感に襲われたこともありました。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 どれが本心の感情か・・などと言えるわけがありません。
 あなたに会えて良かったか悪かったか・・そんなことを判定できるわけはありません。
 今の私から今の身体を引けば、ゼロなのです。そこに「良かった」、「悪かった」の評価は残らないので
す。その評価が横時間の概念でしょう・・。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 泣き笑い、感動して人生を生きるのは素晴らしいと思います。
 ただ、一つの状態を抜き出して評価分析しないことです。
 変化に乗るというのは、そういうことだと思います。乗れなくても後悔などしないことです。
(空の方程式とゾクチェンの教え)

 夢とは「良い」対象への欲望に他ならないのです。
 これを聞いて反論する人もいると思います。夢は欲望ではないと・・
 でも、欲望とは手に入れたいもの、成し遂げたいものではないでしょうか・・。
 それは固執であり、欲望だと思います。
(夢がなければ何でも叶う)

「悪い」対象に怒りを感じない方よりも、「良い」対象に欲望を感じない方が、大変そうに思えます。
「良い」対象:夢、希望、愛、友情、親切・・これらとお別れしなければならないからです。
(夢がなければ何でも叶う)

 自由を行使するとは、どういうことでしょうか?未来に対する二者選択を決めることだと思います。そ
こに自由を行使してどうするのでしょうか・・
(刹那(せつな)の認識)

 もちろん狭い意味では、感情は自分のものです。しかし・・
「正直な気持ち・・」などということは、二度と言えなくなりました(笑)。
 正直な気持ちと言うのは存在しないのです。
(感情は自分のものではない)

 感情が自分のものではないと知った時、とても楽になりました。
 逆説的なことですが、「ああ、これで自由に感情を表現できる」と思ったのです。
(感情は自分のものではない)

 シングルが「あれかこれか」なら、マルチは「あれもこれも」です。
 みなさんも自分自身のことを思い出すと、縦時間に生きている時・・すなわち横の時間の流れを忘れて
いる時は、マルチに事が進んでいると思いませんか?
(ハワイ最後の長編書き込み)

 感情は自分のものでは無いという概念は、果たして人を無感情にするでしょうか?
 むしろ反対なのではないかと思います。
 自分の感情に浸っている間は、外に開かれていないのではないかとも思います。
(ハワイ最後の長編書き込み)

 心は無色透明で、何にでもなれるのではないでしょうか・・。
 気はどちらかと言えば感情に近いもの・・。
 気くばりが相手に合わせているものなら、心くばりは風(ルン)がそのまま表出したものかも知れませ
ん。
(「気ばたらき」(機内の書き込み))

 心を癒すことや魂を癒すことは出来ないのです。
 心や魂は、もともと完璧に癒されている状態なのです。
 その領域に近付くのがゾクチェンの教えなのではないかとも思えました。
(「気ばたらき」(機内の書き込み))
「ハワイ紀行2002.12」
 著者は幸福よりも真実に重きを置きます。しかも両方取るということは、無理だと言います。私もこれ
には同感です。
(『不幸論』)

 これが言おうとすることは、自分の考えを変えれば幸福になれると言っているのです。 でも著者はこ
れに反対します。自分自身を変えて、幸福になるな・・と。
(『不幸論』)

 自分自身とは何かというと、幸福を形作るものの中にはないと書いています。
 自分の本当の部分は不幸の原因だから、それを覆い隠すために嘘の幸福を作ろうとしているのだと・・
(自分自身の不幸を生きる)

 彼らとは「善」が仲介に立って結ばれたのではないのです。だから本物なのです。本物は善悪を越えて
いないといけません。
 善が仲介で結ばれれば、カルマを残し、それはやがて裏切られます。これは私の仮説であり、私の人生
の大きな方針です。
(自分自身の不幸を生きる)

「成功のダークサイドを知る」は、まさに成功の頂点で不幸に転落するケースが書いてあります。
 そうはならないように、精神性を充実させなさい・・と書いてあります。
 ところが『不幸論』の著者は、まさにダークサイドがスタート地点なのです。
(『非常識な成功法則』)

 世の中にはこれが多いです。一度付き合った相手をけなすこと・・
 個人ではなくて組織の時もあります。「××はひどいところだよ、行った俺が言うんだから間違いな
い・・」こういう人は、とても損をしていると思います。
(『心理学講義』)

 よく言います。「一軒しか取れなかったよ。」
 でもその一軒がなぜ契約してくれたかを知れば、全部が取れる可能性があるのです。
(『あなたの会社が90日で儲かる』)

 『不思議の友』は物を買ってもらうためのマーケッティングだけではありません。多くの不思議情報が
来ます。その中で「善」の匂いのしないものに、私は反応します。
(『あなたの会社が90日で儲かる』)

 この本の著者は書いています。「単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけは・・まだ私た
ちが知らない別の要因(方程式)があるのではないか」・・と。
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 ビッグバンで宇宙が出来る前は、エネルギーだけは必要だったというのが一般的な見解でした。始めに
は、エネルギーありき・・・
 しかしエネルギーすら無くても可能だということです。
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 六爻占術を採用した民族は、生存の可能性を高めるでしょうか・・高めると思います。
 いつかは六爻占術を持った民族が、持たない民族を駆逐する・・・
(『単純な法則に支配される宇宙が複雑な姿を見せるわけ』)

 『不幸論』の中に、「意味付け」が出てきました。今の不幸は、何かを勉強するための意味だと・・そ
して「あれがあったおかげで・・」とか言います。
 こういう人にとって不幸はステップでしかありません。でもこの本は言いました。「自分の不幸と一緒
に生きなさい。」
(私にとっての『不幸論』)

「では殺人をしていいのか?」・・いいに決まっています。理由は、分かりますか?
 この理由が分からない人は、小説の読み方が足りないと思います。
(私にとっての『不幸論』)

 しかも、人は嘘しかつけません。
「私は正直に生きています」と言う人、もしも本当なら、マトモじゃありません。
 なぜ嘘しかつけないか・・それは、嘘が「快」だからです。
(私にとっての『不幸論』)

 世の中には「こういう研究は利益とは切り離すべきだ」と言う人が多いです。
 でも私は全く逆です。もしも利益を出さないと、お金以外の部分で精算しないといけません。それは道
を誤ります。
(感情マーケッティング)
書物「ミーム論」
 物質的な遺伝子は「種の存続」という方向性です。個の存続よりも種の存続です。
 しかしミーム(精神的遺伝子、社会的遺伝子)があるとすれば、そこにも方向性がありそうです。それは・・たぶん、神の領域に入りそうです。
(ミームとは)

 遺伝子からの指令「最良の模倣者を模倣せよ・・」
 ミームの環境変化についていけない遺伝子に出来ることはこれだけなのです。
 スーザンさんによれば、模倣のために脳は肥大したと言うのです。
(脳が巨大化した理由)

 噂話なんて、言語の能力の無駄使いだと思っていました。しかし、それがホンチャンだったのです。
 目的を持っている内容がホンチャンだと思いましたか?それは付随的な付録だったのです。 
(脳が巨大化した理由)

 東洋のものはミームに乗りにくいと同情しています。なぜなら体験主義だからです。
 私は経験的にワダチ論を言いましたが、著者は自己はすべて他者のミームの複製だと言うのです。
(ミームの本を読み終えました)

 DNAがハードの入れ替えだとすれば、ミームはソフトの入れ替えです。
 DNAは全ての動物が持っているのに対して、ミームは人しか持っていません。
 そういうわけで、ミームは場が変化した時にこそ威力を発揮するという感じなのです。
(模倣プール)

 我々は世界を変えることは出来ないのでしょうか?いえ、きっと出来ます。
 無意識は無意識によって変わる・・これがたぶんキーです。
(私達を取り巻く環境)

 私はミームが望むところの「本当の自分」さえあるのではないかと思います。
 何故かと言うと、ミームは過去に属しているからです。ミームは複製子・・つまりコピー・・つまり過去です。過去の複製子は道具にしか過ぎないと思います。 
(私達を取り巻く環境)

 私は理系ですが、数式で理解することが好きではありません。数式で理解しても神を理解した気になれないからです。表出したいのは情報プラス感情なのです。
 ブラックモアさんも書いていますが、感情はミームではありません。
(ミーム論の切り口)

 インターネットを検索していたら「ミームとしての貨幣」というページがありました。伝達するものは、何だってミーム化できるわけです。
 しかし「未来からのミーム」を伝達できますか?
(馴染まなかった所、良かった所)

 ミーム論は、因果律に基づいています。誰かが発信して、それか伝わり、誰かが受信してミーム化するわけです。この因果律が破れたことの一つが、ユングの言う共時性です。
(原型との関連)

 ミームに乗らない戦略は、果たしてミームの仕業なのでしょうか?
 それは人間の意志のような気がします。そしてそれは人間の空間的な自己が決定した事なのです。
(ミーム戦略に乗らない道教)
「マインド・タイム」
要するに、喋ってみないと自分が何を言いたいのか、自分でも分からないのです。私が何かを書くときも同様です。書いてみないと分からないのです。
ということは、何かを表現しない限り、自分が何者かは分からないと言えると思います。
(指の事故での数日の空白・・書いてみないと自分が何を言いたいのか、自分でも分からない)

感情は0.5秒の間に、無意識が勝手に作っているのです。「あなたの意識」はそれに参加することは出来ません。
彼氏に別の女の裸体を見せたとき彼氏がコーフンしても、それは彼のせいではありません(笑)。
(感情は0.5秒の間に、無意識が勝手に作っている)

これを読んだとき、意識は会社組織で言えば、エラそうな社長ではないかと思いました。
細かな現場の声は上がってこないで、しかも上がってくるときは遅れて来るのです(笑)。
車に喩えれば、メチャクチャ「あそび」が多いハンドルです。
(意識はとても「鈍くさい」)

一般的精神世界で言われていることに「あなたの意識で世界を変えよう」というのがあります。意識が主人公となるのです。これを「自由意志教」と呼びます(笑)。
でもよーく考えて下さい。科学者の大半も「自由意志教」の信者です。だって占いを相手にしません。
(自由意志教)

みなさん、分かったと思います。無意識が勝手に我々を動かしているのに対して、意識はストップをかけることが出来るというわけです。
「神よ、お前の好きにはさせないぞ」と呟いた私に似ています(笑)。
(意識的な拒否)

さて、奇妙な大仮説を書くとすれば、多くの人たちは0.1秒の抑制を行っているのかも知れません(笑)。
本当は誰でも真実を知りたいのに、「私は誰?とか言い出せば、頭が変になったと思わそう・・」などと思って抑制しているのかも知れません(笑)。
(全ての抑制を取っ払ったとき、本当の自由が出現する可能性だってあるような気がします)

この本が前半で終了していれば、歴史を動かす本になったはずです。しかし自由意志が全く無いという結論そのものに、彼自身が耐えられなかったのだと思います。
「私は結果」、「私は空洞」を受け入れるのは、科学者であっても大変なことなのです。
(リベット博士への反論の続き(最終回))

「ニューヨーク紀行」
「変更することさえ決まっていた」などと言う人もいますが、盲師派推命占術はそれに対してキッチリとした比較論を提示できます。私の親戚で生まれる予定の無い子供が誕生した例などがそれです。
(2005年から2006年へ)

私が大事にするのは「情報源」です。情報源を大事にしない人は、時代から取り残されるのではないかと思います。
(2005年から2006年へ)

ユングは早いうちから、無意識を意識的に扱うことに疑問を持っていたのです。それは意識が「創り出す世界」になってしまうのです。
(『ユングの心理学』・・・催眠療法を否定するユング)

人間というのは「生き方」がとても大事です(笑)。だから自分の異性性などと会話するのは、かっこ悪くて出来ないものです。ましてや女装など、もっての他です(笑)。
ユングは女装こそしませんでしたが、自分の内側に住む異性性と真っ向から向き合ったのです。
(『ユングの心理学』・・・内面に潜む女性性と男性性)

私は女装するなどということは、最低のところに「落ちる」ことを意味していました。心のどこかで「もう、どうにでもなれ」と思っていました。自分にとって築きあげた「自分」など、維持する必要はないという境地にまで達していました。
(『ユングの心理学』・・・内面に潜む女性性と男性性(続))

ユングは霊的な世界にもかなり通じていたようですが、やはりさすがです。それらを全て、対等に見ていたからです。霊的なことを感じられる人の多くが、上からものを言うからです。
(『ユングの心理学』・・・内面に潜む女性性と男性性(続))

ここで一つの気付きに出会いました。幸せになる秘訣は、「やることが無いこと」なのです(笑)。だって元もと目標が無いのだから、どこ行ったっていいんです。
(やることの無い私)

目標を持てとか、夢に向かっていけとか言う人が多いです。しかし私の家族には一貫してそれが無いのです(笑)。
でも、無くてもいいんじゃないか・・・
(やることの無い私)