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「中国紀行2000.03」
 私が道教に魅せられたのは、真面目な修行から一転してパーティーに移行する様変わり、 これらは老子が言うところの教えに結びついていかないのです。
 そして人を切り、トランプで未来を決め・・・そんな側面なのです。
(中国紀行はじまり、はじまり・・)

 トランスペアレント・・・つまり私はそれ以上、裏切りようがない自分になっているのです。言ってしまえば「最悪の私」になっているのです。
 そのとき私と超能力者との間に流れるエナジーは、逆にプラスに変換されています。
(透明度)

 外国人に全てが記録されているという状態は、いったいどういう状態でしょうか?
 でも、私はどこかで感じています。彼女が生まれてきた意味の一つを、彼女自身もこれで知りたいのだと・・・。
(テレポーテーションの撮影)

 私達が住むこの時空は、とてもフニャフニャとしたものなのかも知れません。物がそこにあると言っても、あちらの次元から見れば不確定なのかも知れません。
(テレポーテーションの撮影)

 超能力の実演というのは、ワダチそもののを突っ走るようなものだと思うのです。手放し運転をした時、傍にいる男性の信頼度・・それを直感で判断していると思います。
 また、調査する側も相手の女性超能力者の女性の部分を好きになっていないと、彼女は精魂込めてやらないような気がするのです。
(超能力調査と男と女)

 さて、私がランちゃんカクちゃんに興味を持っている点の一つに、指導霊がいないということです。
これを言うと彼女達のレベルが低いと評価する人がいますが、私はそうは考えません。自分の能力だけでそれをするのは、我々に一つの希望を与えてくれます。
(ランちゃんカクちゃん)

 私もよく言われます。「森田さんが集めた映像とか資料を公表して、否定派をぎゃふんと言わせればいいじゃないですか」と。しかし、そんな事には何の興味もありません。
 私は、私一人が向こう側を見ることが出来ればいいのです。
(透視能力がある中学一年の女の子二人)

 ワダチのど真ん中を行く時、人はアンチテーゼには生きないと思います。
 私はここに来ると(不思議調査に入ると)、アンチテーゼがなくなります。つまりそれらに関して、全く別の世界の出来事のような気がしてきます。
(アンチテーゼ)

 足が地に着いていないのです。ひどいですよね、足が地に着いていないなんて・・・。
 でも、今の私はどんなに批判されても、何でもないと思います。批判というものがどんなにくだらないか、足を浮かせて見ると分かります。
(時間)

 好き勝手して犬に吠えられる・・、しかしそれで彼の善悪を決めることは出来ない・・。
 親切を理解しないと愚痴をこぼす人にこれを言うのです。理解しない相手の善悪をあなたは決められないと・・。
(リトンビンが犬に吠えられた!!!)

 三次元の諸々の出来事は、とても重いです。それを軽くするには、上も下も見ないことだと思います。
 上も下も、過去も未来も見ない・・こうすると、だいぶ軽くなります。
(北京到着)

 私達は結果を創り出しているのではなくて、原因を創り出しているのです。ワダチに乗ることは、原因に乗ることです。
 なのに私達は、結果を求めてワダチに乗ろうとしていた・・。
 因果同報とワダチは、まさに同意語でした。
(因果同報)

 想いを持つことが大事だという考え方は、私の天人合一のスタンスではありません。外部が内部に変わった瞬間、「想い」というものは必要なくなるはずだからです。
(ミニミニツアーと道教伝授)

 私はこれから、科学の領域と宗教の領域を同時にやっていきたいのです。
 信用・・・理由が必要、信頼・・・理由は問わず、信仰・・・理由があってはならない
 ここでの信仰を、信頼の領域に引き上げたいのです。
(ミニミニツアーと道教伝授)
「中国紀行2000.05」
 そこに描かれた世界には、蘇生をする機械は登場していません。
 もしもこれが本当だとすれば、我々は全ての機械を捨てるのです。身一つでどこにでも行き、何にでもなれます。ほとんどが右脳の世界になるのです。
(地球のワダチ)

 つまりロバートモンローが垣間見た未来は最初、日本のような環境で実現するような気がするのです。
 そしてそのスピードは意外に早いという気がします。私達が死ぬまでの間に不老不死が実現してしまうかもしれません。
(地球のワダチ)

 さて、人は生きる目的を考えようとします。しかし・・この問いは、本当に意味がある問いなのでしょうか?
 生きたいと思う理由や目的があるのでしょうか?それがなければ私達は生きないのでしょうか?
(山西省到着)

「時の流れに身を任せ・・」過程に身を任せる楽しさは、結果よりもずっと大きいです。
(過程)

 聞けば、検証に行ったのは私が初めてだということでした。しかし、私が充分に楽しんだのは言うまでもありません。噂を頼りに山中に入るだけで楽しいです。
(金魚おやじ)

 彼女達は、本当に愛すべきオババなのです。
 私達が文明の下に忘れてしまったものを思い出させてくれる、大事なオババなのです。
(爆竹オババ)

 彼は商用電源の220Vでは飽き足らず(刺激が少なくなったのでしょう)、変圧器を持ち出して、250Vに変えて、それを身体に付けたのです。だから彼の身体のどこを触っても、高電圧でビリビリきます。
(電気おやじ)

 私は、初めてやる外人(私)の前での実演がうまく行くように、ただひたすら祈っていたのです。
 薬が出た時のおばあちゃんの嬉しそうな顔・・彼女から、超能力の気は充分に出ていました。
(時間の流れに乗ったまま)

「うまくいく」という価値判断は、何を基準にされるのでしょうか?暗黙のうちに何らかの達成する目標があり、そこに向かっていくための「うまくいく」ではないでしょうか?
 ワダチに乗っていながら、どうして「うまくいく」という評価が生まれるのでしょうか?
(すべてはうまくいっていない・・・受難の日)

 同様に「すべてはうまくいっている」というのは・・「すべてはうまくいっていない」と言い換えたとき、初めて「うまくいく」という人生肯定系から離脱できるのではないでしょうか?それで初めてゼロになると思うのです。
(すべてはうまくいっていない・・・受難の日)

 私達はいつも「解釈」しようとします。起こった出来事の意味・・生まれた意味・・・
「前世で出来なかったことをするために生まれてきたのでしょうか?」と訊けば、「目的を持った途端にレールから外れてしまいます」などと言われてしまいました。
(未来予知看護婦)

「不老不死は実現します。しかし今のように争いが絶えない世界では実現しません。国が幾つもある状態では出来ません。世界の平和と不老不死は同時に実現するのです。」
 うーーん、なかなか素晴らしい歌ではありませんか。
(不老不死を投げかけた一日)

 不老不死に入ると、時空に終わりは無くなると思うのです。
 以前「善悪は時空の最初から最後まで見てみないと分からない」と言いましたが、これは崩れることになります。時空は開放系入り、始めも終わりもなくなるからです。
(不老不死を投げかけた一日)

 でも、不思議なことを調査していると、私にとってはむしろ、死の方が不自然に思えて来つつあるのです。死は過渡現象なのではないかと・・。
 死がないと生きていけない(笑)から、死があるのです。
(不老不死と世界平和)

 でも私の場合、「答」が欲しいのです。「世界はどうなっているか」という問いに対する・・
 ですので皆さんに報告するという「仕事」は、その時どこかに吹っ飛びます。
(冷静さ)

 私が冷静さを取り戻してしまうと、オババも取り戻し(笑)、何かは失敗に終わります。
 冷静になった途端、ワダチから外れます。善悪を考え、人格が顔を出します。
 そして「すべてはうまくいっている」などと考えるようになります。
 ワダチ・・それは運命に対する解釈ではなく、非冷静さではないでしょうか。
(冷静さ)

 色々な人の脳象図を見せてもらった後、いよいよ孫さんのが出てきました。
 はっきり言って、ほとんど目が点になりました。それほど他とはかけ離れているのです。
 偶然かも知れませんが、右脳の図には太陽と月がくっきりと描かれているのです。線も私の図のように繊細ではなく、孫さんのはぶっとくなっているのです。
(山西省最後の一日)

 世界全体の捉え方が変わってきたとき、自分にも変貌が訪れます。そういう状態を望んでいます。
 私はマニアという言葉が好きです。マニアはその対象を手段化していないからです。楽しむために楽しむのがマニアです。
(マニアと流れ)

 人間関係もそれと同じで「好きで付き合っているんだ」
 HPもそれと同じで、「好きで見ているんだ」・・それでいいと思うのです。
(マニアと流れ)

「俺は自由に発想が出来る」と言ったって、「俺は生まれていないから、死にもしない」とは、なかなか言えないでしょう。
 しかし・・人は生まれて、必ず死ぬという前提が崩れつつあります。
(成田にて)
「中国諦め紀行2000.10(1)」
「そうだ、諦めてかかれば何だって楽しいんだ・・」そう思うようになりました。
 今回も全く同じです。これから始まる中国紀行に対して「何かを得よう」とか思えば、あなたは失敗するでしょう。
(「中国諦め紀行」を始めるにあたって)

「諦めないで最後まで頑張れ」これはビジョンがある場合のみ、有効なセリフです。
 元々なければ、頑張りようもありません(笑)。
 いえ、逆にこうも言えます。「頑張れば頑張るだけ、可能性が狭まる・・」
(何故「諦め」か?)

 いつ諦めるのでしょうか?それは結果が出る直前に諦めるのです。
 それまでの努力とこれから起こる結果とは、全く関係ないと思わなければなりません。
 良い結果が出れば「ラッキー」なだけです。運が悪くても、諦めているから元々です。
(諦めの瞬間)

 期待や願望を満たしたとき、何か淋しいものを感じるのは、やはり枠組みから出ていないからなのではないでしょうか・・・。
 私達が無限大のものに共振できるのは「ある瞬間」でしかないと思いますが、それはやはり枠組みを越えた時ではないでしょうか?
(枠組みを越える)

 諦めと見返りは、比例するのです。求めれば求めるほど、与えられないのです。逆に諦めれば諦めるほど、与えられるのです。
 だから、諦めるということは至難の技です。
(枠組みを越える)

「あの人は気が強い」「あそこの場は良い」この表現は空間的なのです。
 気が強くても、それが一定レベルで推移するタイプの気であるなら、それは空間的なのです。エイッとやって何かに投入するタイプの気は、空間的なのです。
(速度の変化)

 私達はいつも維持をしようとします。得たものは失いたくありません。
 しかし時間系が変化の中にしかないのなら、私たちは失うことと得ることを同時に行っていく必要があります。
(速度の変化)

 変化そのものこそ、生・・
 だとすると、不老不死というのは、とてつもない変化の中に身を置くのかも知れません。
 永遠不変という概念は、間違った先入観かも知れません。
 私達は未知の「変化」が怖いから、死があって欲しいと思うのかも知れません。
(23歳の超能力者)

 通り過ぎていく景色は、単に景色だったのです。そこで「感じて」いれば良かったのです。視点は「全体」でした。
 しかし、今は違います。私は自分というピンポイントの視点を持って見ています。
(視点)
「中国諦め紀行2000.10(2)」
 私達は極楽を自分の中に持っていながら、どこへ出ていこうとしているのでしょうか?
 もともと極楽を持って生まれながら、いったい何に変わろうと言うのでしょうか?
(極楽は自分の内にある)

 仏教では悟ると輪廻から抜け出すと言われています。
 これはチベット密教風に言い換えると、「極楽を知ると輪廻はしない」なのです。
 これは一種の仙人なのです。これは一種の不老不死の世界です。
(極楽は自分の内にある)

 ですから思考している余裕がないのです。ああだこうだと考える前にキーボードを打ちます。 
 すると、そこに表出されるのは自分そのものなのです。「私」はピンポイントではなくなり、全体になります。
(世間法と出世間法)

 現象の中にいないと、現象が起こらないのです。現象の中にいないと、体験的に知ることができないのです。
 そしてリアクションを返さないと、いられないのです。リアクションを返さないと、増幅しません。
(世間法と出世間法)

 さて、チベット密教における「出世間法」とは、世間「から」出るということではありません。世間「に」出るということです。
 何が出るかというと「私」が出るのです。
(「出世間法」には極楽がある)

 私は、作られる愛はいけないと書いたことがあります。
 しかしです。本物の愛も、価値があるものなのでしょうか?
(内なる極楽)

 嫉妬心は不満足な心の現れです。でも、嫉妬心を抱えたまま、極楽に行くのでしょうか?
 エデンから出た(出つつある)人間が今そのまま極楽であるという考え方は、私にとっては衝撃的であり、新しいものです。
(内なる極楽)

 仏教にはエネルギーという概念は、あまりありません。しかしチベット密教の中心をなすものは、エネルギー修行だと言われています。だからチベット密教では、超能力者が出やすいのだそうです。
(チベット密教)
「中国諦め紀行2000.10」(3)
 私は子供の頃、洞窟があるとそこで遊びました。そしてそこに泊まる冒険をしてみたいと言って親を困らせたことがありました。それは実現しませんでした。
 ちょうどその夢をそのまま実現しているのです。
(黄色い大地)

 黄色い大地・・それは家が無いからつけられた名称でした。
 しかし穴蔵生活という、外から見れば貧民としか思えない人々が、実は私たちが忘れ去った豊かさを持っていたことを・・・。
(黄色い大地)

「災害で死ぬ人は幸せ」・・どころではありません。密教では極楽に行くためには争いさえも必要なのです。
 つまり、善の道を突き進む菩薩道を極めると、地獄にさえ落ちる可能性があるのです。
(密教の寺)


 日本の仏教は真面目すぎやしませんか?弥勒菩薩はオリジナルの通りではいけなかったのでしょうか?ばか笑いしていては、いけなかったのでしょうか?
 善悪の概念といい、何か変ではないでしょうか?
(密教の寺)

 つまり密教では色と空は同居しているのです。しかも一番上が織(色)なのです。
 これは先ほどの争いに関する件と関係があります。道教における陰と陽のように、ここでもプラスとマイナスは両方とも必要なのです。
(密教の寺)

 前述の弥勒菩薩といい、善悪の概念といい、いったい何が本物(本物という概念すらおかしい)なのでしょうか?
 私達は平気で仏教を語りますが、それは数多くの人間の手によって作り替えられたのです。ですから逆に素晴らしいとも言えるのではないでしょうか?
(三蔵法師1)

 彼のお母さんはお父さんを殺した人と一緒になり、その後もちゃんと暮らしました。
 赤ちゃんの時に川に捨てられ僧侶に助けられた彼だから、きっと生きていく意味を知りたかったのではないでしょうか。
(三蔵法師2)

「色即是空」とは、色と空は区別が無いという意味です(密教では)。色を否定し、空を目指すのでは涅槃に入れないとされています。
 この解釈は、非常に面白いと思います。日本での解釈は、色を否定するタイプではないでしょうか・・。
(中国の宗教)

『不思議の科学・』に出てくる道教では、個人は決して外部から救われることはなさそうです。無為の世界などと、とても難解なことを言います。
 タオは、宗教になりにくいのです。むしろ哲学に近いとも思います。
(中国の宗教)
「中国諦め紀行2000.10(4)」
 彼らのパフォーマンスは、真面目なのでしょうか?それとも本当の力を隠すためでしょうか?それとも笑いを取るためでしょうか・・。私は最後の目的としか考えられません。
(東の密教修行者)

 個人=宇宙として考え、他人もその同じ宇宙を共有しているというのが密教です。つまり他人と自分は、同じ宇宙を通して密接に関係しているのです。
(道教と浄土宗と密教)

 浄土宗は日常の生き方はあるがままで良いと言っています。もしも悪い事をしても、南無阿弥陀仏と唱えれば、浄土に行けるのです。愛に生きようが欺瞞に生きようが、その価値は無いのです。
 これって、今回の私の気付き「すべては同等である」に近いものがあります。 
(浄土宗)

 理屈の上では「価値観は皆同じ」だと分かったりもします。しかしそれは感覚、あるいは感情の上でも分かりますか?
 私には分かりません。分かる瞬間もあるのですが、分からないときの方が多いのです。
 価値観が同等だという感覚は、よほど自由にならないと持てないのではないでしょうか?
(帰りの飛行機の中で)

 常に私達は無為と有為の間をさまよっています。無為は時間系です。有為は空間系です。
『不思議の科学3』では時間系に生きることを提案しました。でも、空間系を捨てることが出来ないのは、明白です。
 その空間系に対して切り込んだのが仏陀なのではないでしょうか・・。
(帰りの飛行機の中で)

 空間系では「選択」が出てきます。あれかこれかを選ばなければなりません。
 道教では選びません。タオが自然に選択するから、我々はそのワダチに乗れば良いのです。しかし仏教にはその概念がありません。
 でも全ての価値観が同一だとしたら、どうでしょうか?選ぶという行為は、全く無意味になるのです。何を選択しても同じだからです。
(帰りの飛行機の中で)
「シンセン紀行2000.12」
 タオ、すなわち時間系に生きるとき、対極にあるものはどうなっているのでしょうか。
 この状態の時は、自動的に対極にアクセスしていると思います。道教のタオは無為です。
 ワダチに乗るということを肯定した道教は、やはりすごいと思います。
(分離)

 これはタオの考え方でもあります。時間系に入ると、楽しみも苦しみも同等になるのです。だから楽しみという部分だけを抽出するとタオから抜け出てしまいます。
(分離)

 合一するために分離するというのは、正しいのでしょうか?
 より分離するために合一すると言っては、いけないでしょうか?
(分離)

 この瞬間、対極は自分の中に入っています。ボーダレスは自動的に作られないと、ボーダレスではありません。「相手のため」を意識で考えた時、分離の世界に入ります。
 しかし合一が一方であるように、ボーダレスも分離もそれぞれ一方なのです。
(ボーダレスも分離も、どちらも「一方」)

 この「楽しむ」という単語は精神世界でもよく使われます。楽しむために人生はある・・・
 しかし、楽しむ方向にハンドルを切ることは出来ないのです。楽しむことは、自動的に起こらないといけないのです。それが悟りの功法にある様子なのです。
(悟りの功法)

 でも、エネルギーが高いということは、そういう不完全な状態をあるがままと認め、それを肯定できる力ではないでしょうか・・・
 不完全な状態を完全に直すことではないのです。
(エネルギーについて)

 あるがままを認めるエネルギーは、強いエネルギーではないのです。
 むしろ弱いエネルギーを養うために仙道はあるような気がします。
(エネルギーについて)
「シンセン紀行2001.02」
 役割の中にある時、人は安定しています。人の役に立っている時、生き甲斐を感じます。
 役割というのは、社会が要求すると同時に自分もそれを求めているのだと思います。役割の中での安定感をです。
(役割)

 人生に意味や目的が生じるのは、生が限られているという幻想があるからではないでしょうか。
 人が神であるとすれば、やはり役割はないと思うのです。
(役割)

 為すことは意味を見出すことです。役割を見出すことです。
 為す、すなわち「決める」ことは、役割を決めることです。
 老子は言いました。「人から必要とされる人間になってはいけない」・・と。
(役割と道教)

 通常、物の価値はマーケットとは関係なく決まっていると思いますよね。
 ところが簿記の世界では違いました。値引きをするとそのモノの価値は下がるのです。これは私にとって大発見でした。
(役割と需要と供給)

 役割という需要が低くなったとき、すなわち老子が言うところの「役に立たない人間になりなさい」になったとき、生きがいは外の尺度では計れなくなります。
 この境地に達したとき、値引きをしても初めて価値は落ちなくなるのではないでしょうか。
(役割と需要と供給)

 昔から時折夢に出てきたので、りんごは過去に会った人だと思っていました。
 それが女装でもって表面化されてきたので、次第に会った人ではないことが分かってきました。りんごは、私の主体の一部なのです。
(自分の中にいる対極の存在、あるいはもう一人の自分)

 私は100%の男になりたいなんて、全然思いません。
 だから自分がりんごという女性に半分乗っ取られることに、とても快感を感じます。
 これにより自分という存在は、宇宙のなかでちっぽけな存在だとは思えなくなりました。
(自分の中にいる対極の存在、あるいはもう一人の自分)

 フォーカス27では似たような体験をしました。性差が少なくなるのです。
 しかし三次元では、性差が少なくなるのではなく両方共が前面に出現してきて、お互いに干渉し合っているという感じです。
(りんごと共に・・・)

 男女の性は、自分の中に内在していると思います。それが一方しか出ていないのは、一方が無意識の彼方に抑圧されているのではないかと思います。
 その抑圧されている部分を表面に出すことは、とても気持ちが良いのです。
(りんごと共に・・・)

 おそらく時代も、一気に変わるということはないのです。ステップ・バイ・ステップ・・
 その代わり、今の変化は確実に未来に伝わると思います。自分が変わろうと思ったら、ほんの少しずつでもいいのです。
(機内での書き込み1)

 エネルギーさえあれば、人は島流しにならず、村八分にもならないと思いました。
 自分の殻を打破していくには、このエネルギーが必要なのです。しかしこのエネルギーは強いのでしょうか?
(機内での書き込み1)

「どうせアホなら、踊りゃにゃ損損」を神自身がやっているのでしょうか?
 もしもそうだとすれば、殺人も愛も同格です。だってどちらもアホ踊りには違いないからです。私はこれが、信じられないようで信じられるのです。
(機内での書き込み1)

 私は小心者です。ところが「神はひょっとすると小心者ではないか・・」と思い始めました。
 神がもともと強かったら、神である我々がどうしてこうも小心者なのでしょうか・・。
 神は小心者であるが故に宇宙を作ったのではないでしょうか・・。
(機内での書き込み1)

 あの日ああすれば良かったという話をする人がいますが、「あの日ああすれば」は既に用意されていたのであり、それしか選択の余地は無かったのではないかと思います。
 人の人生も社会の歴史も、ステップ・バイ・ステップで進んでいるのです。
(帰国後の書き込み)

 大義名分を持つと、人は命すら懸けることが出来ます。人は強くなります。でっかい夢を持てば、人はそれに邁進できます。
 でも、人は小心者だから大義名分が必要だとは思いませんか?
(大義名分と小心者)

 自分の選択肢なんて本当に狭いのです。そういう意味では、私たちの人生は「決められている」と言い切ってもいいほど選択肢は少ないのです。
 自由に未来を創造している・・なんて言う人、それは本当ですか?
 100%イエスと言えないのは、大義名分、あるいは理由が原因だと思うのです。
(人は弱い方向に進化している)

 未来の人間は、一般的に言うところの独立独歩をしてはいません。
 繊細で弱く、お互いの愛がないと生きていけないのが私の未来の人間像です。
 正義は減ってきます。正義があると弱さを出しにくいからです。
 相手が過ちをした時、それを許せる人間が増えてきます。
(人は弱い方向に進化している)
「チベット紀行(1)」
 トラさんは言いました。「森田さん、コイン占いだと言って軽んじてはいけません。密閉されたビンの中に何が入っているかさえ、当てることが出来ます。」
 古代人の解析方法はとても複雑らしいのです。CD−ROM一枚分の情報量があると言います。
(出発)

 魂に性差はありませんでした。魂のレベルに近付けば、境を無くした情報に出会えるはずです。それには「私」を無くする必要があります。
(ラサに着いた晩)

 期待はエネルギーとなり、微弱な信号の邪魔になります。夢など、捨てることです。
 夢が無ければ何でも叶います。
(ラサに着いた晩)

 このチベットに密教が栄えたのはこの自然と関係があるのかも知れません。
 宗教は論理的ではないとされます。
 しかしこの自然の中にいれば、論理以上のものが存在するということは、肯定されるような気がします。
(グル登場)

 正確に言えばやはり原因と結果の世界であり、因果応報の世界なのです。
 ただ、それが同時に起こっているのではないかと思うのです。
(グル登場)

 この宇宙が二極の世界だとしても、それが瞬間的に合一、あるいは清算されていれば、その向こう側の一体化された世界も常に見えてくるような気がします。
 私達はいつも外の世界に対極を求めてきました。でも対極が内在化されているとすれば、瞬間清算はいつでも可能です。
(グル登場)

 生命に関する限り、エネルギー保存の法則は成り立っていないと思います。
 なぜなら地球の自転や公転にはエネルギーは必要ないのに、その運動から生命の源が降りてきているからです。
「私達は生かされている」・・という表現よりも、「神は私達と共に生きている」・・のです。
(青空の下で)

 生まれ変わりの村はその周辺も含めて霊的エネルギーが高いので、自分自身のエネルギーが低いと霊に入られてしまうらしいのです。
 自分自身のエネルギーが高いと、入られても主導権を自分が取れるそうです。これはトラさんの場合がそうです。
(海抜4500メートル)

 もしも現地で聞いた情報が「本当の情報」とは違っていても、私は聞いた情報の方を大切にしたいと思っています。
 先入観があると、それ以外のものが目に入らなくなる可能性があるからです。私があまり本を読まないのはこのためです。
(標高4500メートルでの夜)

 でもこの怖さが・・この寂しさが・・私の原動力になっていることは分かっているのです。
 それが大きくなっていることは、私のエネルギーが上がっているのだと勝手に解釈しています。
(業)

 業とはカルマです。しかし一般的に言うところの業ではありません。
 チベットに来て知ったのですが、業とは個人のものではないのです。全体の業なのです。
(業)
「チベット紀行(2)」
 風(ルン)は無色透明でないといけないのです。それを相手がどう使うかは相手次第なのです。
 チベット密教系ではいわゆる手かざしを見たことがありません。
 相手に気を送るということはあまり良いこととはされていない様子なのです。
(風(ルン))

 ハンディタイプを持っている人は読経に合わせて回していました。
 しかしその回転は銀河運動装置と同じなのです。
 ひょっとしてそれは風(ルン)を作っているのではないでしょうか・・
(マニ車)

 ここまでで次のようには言えないでしょうか。「物は内部に絶対的価値は持たない」と。
 バラを美しいと感じるのは、バラが美しさを持っているからではないのです。
 私達が勝手に外から(外在的に)美しいという価値を与えてしまったに過ぎません。
(ミラレパ瞑想からのインスピレーション)

 仏陀は「空」を説きましたが、菩提樹の下で悟った瞑想法を誰も知りません。
 私はテクニックがあると思っているのです。孫さんの瞑想法にもテクニックがあります。
 導師の瞑想法にもテクニックがあります。仙人になる瞑想にはテクニックがあるのです。
 同様に仏陀の悟りにもテクニックがないとは誰も否定できないと思います。
(ミラレパ)

 内部に絶対的価値を持たないとしたら、どうしてあるがままでいられないのでしょうか・・。
 なぜ成長しようとするのでしょう・・なぜ努力をするのでしょう・・。
(宙ぶらりん)

 ある方向・・これは地球の自転・公転と関係しています。当然時間も関係しています。
 私はこれを知った時、チベット密教とは大変に科学的であり、宇宙の縮図がここにあるのだと思いました。
(超高僧との会見)

 風(ルン)には意思は入れてはいけないのです。ですから渦になりやすいのだと思います。
 繰り返し言うと、意思を取り去った気が風(ルン)なのです。
(超高僧との会見)

 さて「人は内部に絶対的価値を持たない・・」
 これは「人には不変な実体はない」とも言い換えられると思います。
 なぜなら、あなたがやっていることは流動的すぎます。
(不変な私は存在するのか)

 その中で印象的だったのは、涅槃に行くためには善行を積みなさいとか、人に感謝をしなさいとかは、一切出てこなかったことです。
 むしろそれは空の概念が外れるとさえ言いました。
(高僧との問答)

 微細な風(ルン)・・それは規模に関係するでしょうか?
 地下の瞑想室では本当に小さな風(ルン)の輪しかできないかも知れません。
 しかし小さいから効果が薄いというのは三次元の考え方かも知れません。
(高僧との問答)
「チベット紀行(3)」
 魂が抜けた肉体は服と同じだから、もしもそれを食べてくれる生き物がいたら、それに供した方が良い・・という考え方です。
 まるで物なのです。物をリサイクルに出すのと同じです。
(肉体は衣服か)

 しかしあなたの家族が鳥に食べられるのを、あなたは何でもありませんか?死体を鳥葬の丘に放置し、そのまま帰ることが出来ますか?
 肉体は単なる衣服に過ぎない・・私達は本当にこう思っているでしょうか・・
(肉体は衣服か)

 粗い風(ルン)があるうちは人間は死ぬことはありません。
 しかし粗い風(ルン)がゼロになると人は死の世界に旅立ちます。
 ということは粗い風(ルン)は、生命エネルギーそのものかも知れません。
(死と風(ルン))

 瞑想でなくても空の境地を理解し、微細な風(ルン)を浄化することは可能だと言いました。それは日常生活でいくらでも可能だと言いました。
 逆に出家して瞑想修行しなければ空の境地に入れないとすれば、その事こそおかしいと言いました。
(死と風(ルン))

 今回の「空の概念」は、今までの私自身の精神世界を一歩深く入ったような気がします。
 何故かと言うと、嫉妬をなくしましょうとよく言いますが、嫉妬は悪い・・だからやめようというのは執着にあたるわけです。
(空の概念)

「人の内部に実体はない」と思えれば、嫉妬は自動消滅すると思います。怒りも同様だと思います。
(空の概念)

「空とは何か・・」こういう議論をここでふっかける気は、全く起きません。
 そういう議論をすること自体が空から外れる・・そんなことを無言のうちに言われているような気になりました。
(尼寺でのお経)

 涅槃などという場所をつくった存在・・すなわちもともと楽園にりんごを植えた神を知りたいのです。
 ですので「空」は私の実験にすぎません。でも私の実験はとことん実験しないと気が済まないのです。本当の空の世界をどうしても知りたいと思っています。
(尼寺でのお経)

 愛情って何でしょう?友情って何でしょう?
 私達は衣服であるはずの身体にいったいどれほど縛られているのでしょうか・・。
(あれもこれも・・)

 愛とか慈悲とか言いますが、あの行為そのものがそれだと思います。
 強かったからあれが出来たのではなく、弱かったからあれが出来たと思います。
(あれもこれも・・)

 偶然にはそれ以上の意味もそれ以下の意味もないでしょう。ただお互いに、その変化の一瞬に出会っただけ・・
 だからこそ美しいのかも知れないと思いました。
(変化)

 空性=(今のあなた)−(あなたの身体)です。
 バカにするなと思うでしょうか?今のあなたから、あなたの身体を引いたらそれが空性なのです。
(標高が世界最高のお寺へ)

 例えば霊性です。霊性は蓄積しますか?それを磨くものですか?
 そういうものがあるとすれば、空になることは出来ません。
(標高が世界最高のお寺へ)

 ロバートモンローも言っていました。「私達は肉体以上の存在である」・・と。
 でも肉体以上の存在であるとすれば、私達は空にはなれないのです。
(空の方程式)

 もしも空性がゼロなら、(今のあなた)=(あなたの身体)となります。
 これはいわゆる唯物論に近くなります。でも私がチベットで得た空性はこういうものなのです。あなたの身体以外にあなたのアイデンティティの原因はないのです。
(空性)

 本当は私達の魂は無色透明なのです。風(ルン)と同じです。
 無色透明だからこそあなたの身体に入ると、全面的にあなたというアイデンティティになることが出来るのです。
(空性)
「チベット紀行(4)」
 何かを目指して精神世界に生きることは・・言い換えれば肉体以外の何かの価値に向かって成長しようとすることは、本当に正しいのでしょうか?
 怒りもせず、悔やみもせず生きようとすることは、本当に神の意図でしょうか?
(尼寺)

 男性の寺で感じたものはやはり『ザ・キッズ』なのです。
 いつか涅槃に至ろうとして修行をしているものを感じさせるのです。
 反対に尼寺は映画『恋はデジャブ』なのです。ループなのです。
 いつか涅槃で楽しく生きるのではなく、今楽しく生きているものを感じるのです。
(尼寺)

 人生は必要必然などと言いますが、無駄だと考えた方が良いのではないでしょうか・・。
 神は無駄な時間を浪費するために宇宙を作った・・こう考えてはどうでしょうか?
 これは空の概念にかなり合致すると思います。
(北京に向かう機内にて)

 神が時間的未来に対して何らかの目的をもってこの宇宙を作ったとしたら、初めからそれを作ったと思いませんか?
 そうではないという考え方が空の概念であり、ゾクチェンの「はじめから在りし」の概念だと思うのです。
(北京に向かう機内にて)

 女装した時点では「魂には性差は無い」でした。チベットでは「魂は無色透明」でした。
 これは性差どころの話ではありません。アイデンティティそのものが吹っ飛んでしまったのですから・・。
(簡単な旅の感想)

 時間軸の垂直領域に入ると、同時に二つの側面から人生を生きることが出来ると思います。今この瞬間は一つじゃない・・
 神は縦方向の視点も持ち合わせています。人間は普通横方向だけです。
(神と人間の視点の違い)
「中国紀行2001.10(前編)」
 当たる時もあれば当たらない時もある・・未来など、分かるわけはない・・
 しかし今まで私の調査活動を振り返ると、常識が覆されたことばかりなのです。
(中国時空旅行はじまり)

 私たち日本人はどうでしょうか・・運命や環境に対して受身的ではないかと思うのです。
 むしろ外部からの変化はそのまま楽しむという傾向にあるような気がします。
 欧米は環境を人間が変えるものという意識があると思います。
 そして中国は、環境も自分のためにうまく使えないか・・と思うのではないでしょうか。
(超能力会社)

 悪いことがなければ良いことは来ないと考えるのは間違い。
 そこに関連性はない。悪いことを苦労と考えるほうが良くない。
(直感予測師)

 株を始めても能力が落ちないと言うところがいいです。
 これは「そういう能力は神聖なものだ」という価値観があると落ちると思いました。
(直感予測師)

 私はこういう出会いにものすごいものを感じるのです。
 以前は「ああ、何もできないオババじゃないか・・」と思ったものでした。
 でもそういう時期は過ぎ去りました。
(遠隔風水師)

 何か悪い原因があって魂が出られなくなった・・・とんでもないのです。
 ここは磁場が良すぎて、魂が出たくないのではないでしょうか・・。
 温泉に浸かって出たくなくなった魂のように(笑)。
(牛を経由した人)

 少女と手をつないで帰る彼の背中は、現世の今が大事だと言っているようでした・・
 前世の血の繋がりになぜ感情がわかないか・・その回答もあるような気がします。
 そして私たちは「前世の縁」などという言葉を連発します。でも、「今」だとすれば・・・
(牛を経由した人)

 私はこのケースを取材することにより、考えさせられたことがあります。
 それは男女の愛です。一言で言うと、これほどクールでしょうか・・
(生まれ変わり、そして前の夫に男性として再会した彼女)

 今の家族を愛するのなら、前世の夫は忘れても良いのではないでしょうか・・・
 今が大事だとすれば・・
(生まれ変わり、そして前の夫に男性として再会した彼女)

 一般に、未練は残すものではないと言いますが、このケースの場合は逆に感動してしまいました。
 雨や雷のときに「早く帰って来なさい」などと無意識に言う話を聞いたとき、私は涙が出たほどでした。
(三日で生まれ変わり、母性愛を引きずった男)

 もしかするとこの村は、宇宙と通じているのかも知れません。
 宇宙から来た魂が最初に降り立ち、地球人としての肉体を初めて経験するのがこの土地なのかも知れません(大仮説です)。
(スープを飲まなかった彼女)

 相手を体験するということは、価値判断を抜きにすることです。
 私は生まれ変わった相手と接しているとき、いろいろな質問をしますが、それは相手を分析することではありません。相手を体験したいと思っているのです。
 ですので論理からずれた世界に入っても、私はそれを良しとして追随しようとします。
(観察的か体験的か)

 私は生まれ変わりの人たちと会っていても、苦しいような気持ちは全く起こらないのです。
 この大自然の前に、彼らは生まれ変わりというものを、自然摂理として受け入れてしまっているのかも知れません。
(磁場が良い)

 考えてみれば生まれ変わりという現象は、一つの「蘇生」あるいは「若返り」と見ることもできます。
(孫と同級生になった女性)

 魂のレベルでは客観的記憶というものは無いのかも知れません。
 すべてが主観的記憶ならば、自分に関する情報が欠落していても、何となく説明がつくような気もします。
(孫と同級生になった女性))
「中国紀行2001.10(後編)」
 我々の視点からすれば、生まれ変わりという現象は「しんどい」というイメージがあります。しかしエネルギーの高さのなせる技が、「しんどさ」でしょうか・・
(生まれ変わりの村にネルギーの見地から辿り着いた人)

 これは一種のオーリングテストのようなものなのです。
 しかしコインのすごさは多くの情報を持っているのです。
(コイン占い1)

 メチャクチャ強運の要素ばかりだと、それは安定したような状態で、お金の流通が起こらないのです。
 そこになんと、「墓に入る」という要素が出てきたとき、お金が入るのです。
(全てが吉になると、うまくいかない)

 たった一人の人間でも、宇宙全部の情報を持っているのかも知れません。
 おまけに時空を越えていそうです。
(コイン占い2)

 この規則を発見した人は、まさに古代の神坂さんだと思います。そこに微妙な規則性を発見したのです。まさにそれは、誤差の世界に埋もれている情報でした。
(コイン占い2)

 裏表の概念をひっくり返されます。行き過ぎた善は、悪になるようなものです。
 こういうことが時空のルールだとすれば、私たちの生き方も考えたほうが良さそうです。
 このように、コイン占いは多くの問題提起をしてくれます。
(コイン占い2)

 私は今は、未来の変え方を知るところまでは習っていません。
 というのは、未来の事象さえ正確に出せないのに、変えようがないからです。
 まずは正確な未来を知るところからスタートなのです。
 しかし変えなくても、時流に乗ることは出来ます。
(コイン占い3)

 コイン占いというのは、微妙なエネルギーの関係なのです・・たぶん。
 時間もエネルギーの一つとして循環しているのです。
(コイン占い4)

 コイン占いの面白い点は、ピンスポットで設問を作り、それを訊けるのです。
(女装外出とコイン占いの続き)

 毎日女装するのも良くない、一生男装のままなのも良くない・・それはこのことかも知れません。
 内部に潜む二つの性を肯定してこそ、調和が取れるのではないでしょうか・・。
(男性性と女性性の融合・・コイン恋愛占い)

 人が違っても、日が違っても、結果は同じなのです。
 コインは、同じ人が何度振っても同じ結果が出るそうです。
 トラさんは、「他の占いではこういうことは起こらないでしょう?」と言っていました。
(男性性と女性性の融合・・コイン恋愛占い)

 結婚は別々だったからこそ意味があるのです。
 自分の中にも反対の性があるのに、なぜ神は男と女を作ったのか・・
 ここにヒントがあるような気がしてきました。
(違和感を覚えた写真)

 我々は神に操られているだけなのか、それとも神の意図を知り、それに挑戦することができるのか・・コイン三枚で、神のシステムに近づけるのかも知れません。
(今回の中国時空紀行の最後の書き込み)

 コイン占いは、コインを振ったのが最初なのです。理論が先ではないのです。でもここが重要です。
 コイン占いとその対象となる現象に相関関係があるとすれば、コイン占いのシステムを解析することは、時空そのもののシステムを解析することなのです。
(帰りの飛行機の中で)

 コインのすごいところはデジタルなのです。
 デジタルだから超能力のようなものは必要ないのです。誰でも出来ます。
(帰りの飛行機の中で)
「中国紀行2002.3」
 うまい話に乗っているときは意味ではなく裏があり、うまくない話に乗っているときには裏ではなく意味があるのです。
(『運を味方にする達人』より1)

 裏にはドキドキしたものを感じます。
 意味にはドキドキしたものを感じ ません。むしろ、イヤーーな雰囲気すら感じます。
(『運を味方にする達人』より1)

 裏があると知りつつ、うまい話に乗らなければ、儲けはできない。
 裏があると知りつつ、変化に乗らなければ、「奴」を追い詰められない。
(『運を味方にする達人』より1)

 「あなた」を変えるためには身体を変える必要があるのです。
 いや、身体でしか、「あなた」は変わりません。
(『運を味方にする達人』より2)

 「短所なんか直さなくていい。短所を直しているほど、人生は長くはない」
(『運を味方にする達人』より2)

 「あんな好きなことをして、お金を稼げていいな」・・まさにこれです。
 コインを振ってお金を儲けたら、みなさんも言われます・・きっと。
(『運を味方にする達人』より3)

 人生の切り替えポイントは、0.000001秒なのです。
 そのとき引き金を引けないと、プロの殺し屋ではないのです。
(『運を味方にする達人』より4)

 努力とか才能は、「自分」にすべての原因があると言っているようなものです。
 精神世界はみんなこれを言います。
 しかしです。自分にすべての原因があるほど、時空は狭くないのです。
(『運を味方にする達人』より5)

 人生は結果ではありません。
 努力が通じるほど、世の中は甘くない・・私には、こっちの方が楽しそうです。
(『運を味方にする達人』より5)

 ある事柄が目の前に来た時、実用性があるかないかで判断します。
 無ければそれを掴みません。チャンスもこれと同じです。
(『運を味方にする達人』より6)

 目指していなければタキシードになると思います。
 目指していれば、それは、その人の延長上の世界にはなるからです。
 チャンスとは、そういうものだと、私は、思います。
 そこから延長線が引かれるものだと、チャンスではないのです。
(『運を味方にする達人』より6)

 タキシードを買えなければ・・言い方を変えれば、占いをタキシードのように使えなければ、何も変わりません。
(『運を味方にする達人』より6)

 この六交占術でもそうです。基礎がわからないからとブツブツ言う人がいます。それは飛び込めないことの言い訳だと思います。
 人生は突然に変わるのです。だから人生は突然にわかるのです。
(『運を味方にする達人』より7)

 わからなくても先に進む能力は、とても大事だと思います。
 それはわかる能力よりも大事だと思います。
(『運を味方にする達人』より7)

 「理性的」に対する言葉として「感情的」というのがありますが、感情的は、はずみではないと思います。むしろ感情を抜いていった状態だと思います。
(『運を味方にする達人』より8)

 その差は、透明感のような気がします。その差は、視野の広さのような気もします。
 その差は、自分の無さにあると思います。
(『運を味方にする達人』より8)

 念じたりするのは、コインを振り始める前にしなければならないのです。
 これで私はスッキリしました。私が「当たった」と思われるのは、降り始める以前にその状態に入っていたときが多かったからです。
(コインをジャラジャラかき回し始めたら、何も考えてはいけない)

 どうもこの世は、違っているから発展していくのです。
 合(ごう)されると動きが止まり、五行が同じになると発展しないのです。
(トラさんとの授業から)

 「責任を持つ」などと断言する人が、いかに責任の持てない人であるか、周りを見れば分かると思います。
 責任を持つなどと言ったとたんに、人はその言葉に囚われるだけです。
(ニッセン)

 「ああ、これはこの写真を出すなということかな・・」
 そういう風に考える人もいるかも知れません。
 しかし、「奴」がそんなお節介をすると思いますか?
 こういう行動は、しないほうより、したほうが良いに決まっています。
(パソコンが壊れた意味)

 何かハプニングが起こったとき、その意味を考える人は多いです。
 しかしもしもその意味の通りにしたら、私たちは自由にはなれません。
 「これは××をするなということなんだ・・」と思ったら、逆に××をすることです(笑)。
(パソコンが壊れた意味)

 内面を変えないと運命は変わらない?
 とんでもありません。外側からでしか、変わらない様子です。
(会社の災難対策)

 一方では、「そんなに正確に当たる占いならば、地震もちゃんと占って世の中に役立てたらどうか」という意見もあると思います。
 しかし私にはその気はありません。私にはみんな、「サンプル」なのです。
(この占いは遊びでしょうか?)

 人は未来を恐れ、未来に期待し、「世爻」が良くなることを願います。
 私がトラさんをすごいと思うのは、人の運命を私以上に「サンプル」として見ることが出来るからです。
 占いの開発は、実験室では出来ません。実際の結果のみが、「データ」なのです。
(この占いは遊びでしょうか?)

「中国紀行2002.07」

 罪悪感からフリーになることが、自由になることかも知れません。
 罪悪感は良い子でいたいという気持ちです。
 あなたにとって、何が罪悪感ですか?
(罪悪感)

 「変化に乗れ」と言ったのはチベットの高僧でした。
 その変化を作り出すものは、八割ではなくおそらく、二割なのです。
 変化に乗るということは、八割に乗っても、遅いのです。
 いえ、乗るのではなく、二割に入って変化を作り出すことかも知れません。
(2−8の法則)

 六爻占術でいくら良い結果が出ても、そのチャンスを利用しないと、現実化しないそうです。
 逆に、悪い結果もある意味で一つのチャンスであり、それを回避することでダメージを最小限に出来るのです。
(運命とチャンスに対する考え方)

 反対者のいない存在は、凶なのです。マイナス要因のないことは、うまくいかないのです。
(過ぎたるは及ばざるがごとし)

 自分が変わることによって運命はほとんど変わらないそうです。
 むしろ運命が変わることによって自分が変わるそうです。
(トラさんからの話)

 風水では月日の生剋をあまり見ません。その代わりに爻の間の関係を見ます。
 それは、風水は地上のエネルギーの関係だからだと思いました。
(森田家の風水)

 六爻占術は、「場」を取ってきます。場の中には未来も情報もあります。
 財運の良い人は、いつ振っても財運の良い卦が出る確率が高いと言います。
 それは、良い財の場に、自然と波動を合わせているのではないでしょうか・・。
(愉しむ心)

 欲がからむとコインは当たらない??・・冗談じゃありません(笑)。
 コインは欲の味方です。しかもこれらを最適にゲットできる方法と時期を教えてくれます。
(低次欲求をバカにするな)

 運命を変えることができるのは「情報」かも知れません。
 未来の情報を先取りする情報で、運命は変わるのです。
(帰りの飛行機の中で)
「中国紀行2002.09(1)」
 私が今回の事態を卦から気が付くことが出来たとすれば、自分の運命どころか、性格も変えていたと思います。
 人の性格って、何でしょう・・
(性格について)

 しかし現実は小説よりも奇なり・・です。
 昨日、目の前で耳から声が出ているのを聞いて、自分が固定概念にいかに縛られているかを思い知らされました。
(9月13日の報告)

 しかし六爻占術の方がすごいのですよ・・
 だって、株価の予測とかは、精霊は嫌がるそうです。
 六爻占術にはそういう「対象を選ぶ」ような性質はありません。
(陰の世界は女性の世界)

 トラさんは「未来も陰で、精霊も陰で、女性も陰で、陰の世界に通じるには女性の方が有利なのではないでしょうか・・」と言いました。
(陰の世界は女性の世界)

 トラさんが言うには、超能力者は他人の未来は見えても、自分の未来はなかなか見えないのではないか・・とのことです。
 しかも直感でアバウトには見えても、これほど正確には見えないのではないかとも言っていました。
(超能力と六爻占術)

 ああ、この人は分かっていると思いました。この人に、大義名分は・・無いのです。
 好きだから・・とか、みんなを楽しませるためだ・・とか。
 この人は、かなりの部分で、自分自身と向き合っていると思います。
 人はここまで行ったとき、逆に偽善ではない愛が表出するのではないでしょうか・・
(『快楽であたしたちは生きている(安彦麻理絵著)』より)

 人は、一人ぼっち感覚を乗り越えようとして生きているのです。
 それは崇高な愛の教えで乗り越えられるものではありません。
 それは崇高な芸術で乗り越えられるものではありません。
 この本の中に出てくるような、日常的な小さな戦いの積み重ねで乗り越えるしかないのです。
(『快楽であたしたちは生きている(安彦麻理絵著)』より)

 (高次元の存在は)食わなくて済むのです。この差は大きいのです。
 存在だって、人間界に降りてくれば、食う為に色々しなければならないはずです。
 そういうことを、太陽系の妖精はよく分かっていました・・
(9月15日の報告)
「中国紀行2002.09(2)」
 これらの出会いは、全て決まっていました。トラさんは昨日、言いました。
「私たちは決められた運命の俳優をしているにすぎない」・・と。
 これに関して抵抗を示す人も多いはずです。自分の運命は自分で決めていると・・
 でも、私も「俳優説」に乗っています。特に人と人の出会いは、そうです。
 おそらく神の意図ではなく、自然に決まっているのです。
(縁の不思議)

 強い意志を無くせば、直感が降りる・・・
 ああなりたい、こうなりたい・・という夢や希望を無くせば、直感が降りる・・
 トラさんは淡々と生きてきたような気がします。
(縁の不思議)

 認識するということは、それだけで状況を変えると思います。
 だから「情報」は結果的に世界を変えてしまうのです。変えようという意識無しにです。
 自分を「変える」前に、まず自分を「知る」こと。それが結果的に「変える」ことになると思います。
(9月18日の報告)

 彼女の透視した内容は六爻占術でも出すことができるものでした。容姿とか体の状態とか・・
 しかし未来までは見えません。
 こうして超能力者に会って調査をしていくと、いかに六爻占術がすごいかが分かります。
(9月21日の報告)

 トリックスターの原因は何かと思えば、たぶん、全てを肯定できないからなのではないでしょうか・・・
 お金を儲けた状態も、損をした状態も、全て肯定できれば、トリックスターは働かない気がします。
(『あなたも心理学者だ』より1)

 エゴを無くそうとか、私利私欲を無くそうとかした時、無くしたように見えてもそれは無意識の世界に封じ込められます。
 そしていざという時、コインの目すら狂わせるかも知れません。
(『あなたも心理学者だ』より1)

 もしも限界突破しようと思えば、自分の否定する部分を肯定しないといけません。
 肯定するのは、ある意味、ナルシストになることです。
(『あなたも心理学者だ』より1)

 私は、子供から大人に「成長する」のではなく、「移行する」のだと思っています。
 子供は不完全ではありません。完全から完全に移行するのです。
 なのに「成長」という言葉を使うのは、不完全という意味があるのだと思います。
(『あなたも心理学者だ』より2)

 悪いとか、未熟というイメージは善と成長という概念を作り出します。
 そうすると、全てが完全という中間的状態に漂うことが出来なくなります。
(『あなたも心理学者だ』より2)

 「私」が関与すれば、みんな「私」が達成したのだと思い込んでしまうのです。
 精神世界にもこういう人は多いです。「思ったことは全て実現してきた」・・と
 なぜ思うのでしょうか・・それは、自分に価値を置きたいという、人間の性(さが)かも知れません。
(『あなたも心理学者だ』より3)

「まずは与える方から先にしなさい」などとも言われます。与えるということは善でした。
 しかしこの本に書かれた実験によれば、人は与えることを依頼される方に「快」を感じるのです。
 だとすれば、与えることを依頼されるほうが、自然の摂理に適っているとも言えます。
(『あなたも心理学者だ』より4)
「中国紀行2002.09(3)」
 臨死体験者は、実際に死んではいません。だから、実際に生まれ出るまでのストーリーを話すことが出来ません。
 しかしここは違います。一サイクルの輪廻を全て語ることが出来ます。
(生まれ変わりの村に到着)

 この村はずっと前から存在していたのに、今まで誰も調べませんでした。
「知らなかったから」ではないと思います。
 そういう情報の切り口を持たなかっただけだと思います。
(9月23日の報告)

 時空にとって、どんな死に方をしたかなど、関係ないのです。
 そういうことに優劣をつける価値観こそ、問題かも知れません。
 自殺を含めて、もっと私たちは自由に生き死にしようではありませんか(笑)。
(9月24日の報告)

 銃殺された人は、反省をしている風がありません(笑)。
 いえ、銃殺された人以外であっても、前世の行いを反省したりした様子はありません。
 そういう場所もないし、反省を促す存在もいない様子です。
 凶悪犯も、肉体は死んでも、魂は反省をせずに生き続けます(笑)。
(9月25日の報告)

 私達は何かの目標に向かって成長しているのではなく、変化そのものが目的のような気がします。
 だから生まれるときに両親を選べず、性別も選べないのです。
 選ぶという行為には、何らかの価値観が必要だからです。
(9月25日の報告)

 私が生まれ変わりの村という地域に大きな興味を持ったのは、具体的な世界との関係性が存在するからです。
(ミニチュアの地球)

 神坂さんはミニチュアの地球を作って実験して、生命を生み出しました。
 ここ生まれ変わりの村は、ミニチュアの地球なのです。もしかすると、未来の地球の・・
(ミニチュアの地球)
「中国紀行2002.09(4)」
 スープを飲むまでは、誰でも前世の記憶を持ったままです。
 そして飲むか飲まないかは、個人の選択なのです。
 ですから、ある意味、私はとても大変なことをしたのかも知れません。
 だって、この情報をインターネットのオープンコーナーでばらまいたからです。
(生まれ変わりの村の気づき1:生まれ変わりの村は、未来の地球)

 数多くの事は、選択できませんでした。
 しかし前世を覚えているかどうかの違いは、「スープ」であり、これは私たちに残された3%の自由を行使できる部分なのです。
(生まれ変わりの村の気づき1:生まれ変わりの村は、未来の地球)

 輪廻で一番取り上げられるのが、「人間関係の補習」だからです(笑)。しかし人間関係に「補習」は無いのです。
 補習しようと思えば、時空はマイナスのエネルギーを送ります。
 人間関係は、今ある一回だけなのです。
(生まれ変わりの村の気づき2:人間関係についてのやり直しは無い)

 スープを飲まない人が増えれば、世界の価値基準は、自動的に逆転するはずです。
 風が吹けば桶屋が儲かる式に、戦争も無くなるかも知れません。
 それはたった一つの情報・・スープの選択です。
(生まれ変わりの村の気づき2:人間関係についてのやり直しは無い)

 但し、一つだけ選択できる事がありました。それはスープを飲むか、飲まないか・・です。
 本当に不思議なことに、これだけは意志の自由領域として、残されているのです。
 そして、その意志決定は、地球を大変な変化へと導きます。
(生まれ変わりの村の気づき3:選択できるのはスープのみ)

 実際に生まれ変わりの村の調査をしたら、反省の場所があった人はいませんでした。反省の機会すらありませんでした。
 あの世に行ったら、冒険を始めたという人もいました。反省など、している暇は無いのです。
(生まれ変わりの村の気づき4:反省する場所が無い)

 ご先祖様は守らないのです。しかも、呼び戻す行為はいけないのです。
 いえ、それ以前にもう一つありました。魂を墓の中に入れてはいけないのです。
(生まれ変わりの村の気づき5:死の世界は「生きている」)

 死んでも死なないことを知っています。だから両親の生活を助けるために、そのまま命を落としても良いと思うかも知れません。
 しかし彼は、生きました。
(生まれ変わりの村の気づき6)

 時空は、まさに、生きているのです。
 反省・・魂を磨く・・善行・・
 ひょっとしてこれらこそ、死の行為なのかも知れません。
(生まれ変わりの村の気づき6)

 私は自由は3%だと言いますが、その3%をとても重要な風に捉えるという感じでもあります。
 しかし方程式は誰にでも適用されています。97%が不自由だとすれば、私たちの差異はほんの微々たるものです。
(共通項)

 伝説は今、少なくともあなたに伝搬しました。
 後はどうなるでしょう?100匹目の猿現象を待つのでしょうか・・
 来世が楽しみです(笑)。
(生まれ変わりの村の気づき7)

 紹介者も紹介される人も、その運命に乗っているだけです。
 ということは、時空のルートの中に、「スープの存在」が公表されることが織り込まれているのです。
(生まれ変わりの村の気づき8:主観的な感想)

 現世でどんな事をしても、死後は同じだということ・・
 だからこそ、自分のやりたい事や楽しみたい事に対して、より忠実にフォーカスしようと思います。だって価値観は、私だけもの・・
(中国不思議紀行の最終日・・帰国)

 私は神というものに非常に興味がありますが、それは「運命を決めている神」という意味です。その決められた運命から脱却したいのです。
(中国不思議紀行の最終日・・帰国)

 既に「生まれ変わりの村」という閉鎖空間を越えています。
 特殊な地域の現象だということを打破できると思います。
(帰国後の書き込み)
「中国紀行2003.8〜9(1)」
 森田「勝つ者はいつかは負けます。勝ち続ける秘訣はありますか?」
 大家「一度勝ったやり方を次に使わないことです」
(大家)

 「病気になるのはあなたの生き方に原因がある」という人は、とても多いです。
 それを気づかせるために病気になったのだと言う人もいます。
 ひょっとすると、その言葉とかそういう考えが病気を起こしているのではないでしょうか・・・
(女性三人からアチコチ触られた一日(笑))

 よくいますよ・・・「超能力者は人格が高くなければならない」と言う人が・・
 「自分の欲のために使えばそのうち無くなる」・・と
 しかし彼女は以前会った時より、能力は倍増していました。なぜでしょう・・・
 キーのひとつは、子供心だと思います。大人になるにつれて超能力が減るのは、常識が自分をセーブするからではないでしょうか・・・
(中国ナンバーワン級に入る超能力者)

 「次はどんな超能力者に会えるか・・」「次はどんな報告が聞けるか・・」
 私にこのような期待感があると、今回のような人には会えません。
(機内での書き込み)

 今日行った地域の人たちには、肉体に対する所有欲が少ないと思いました。
 とにかく霊だろうが宇宙人だろうが、多ければ多いほど楽しいということを言うのです。
(肉体をタダで貸し出す人たち)

 今日の地域とか、生まれ変わりの村に特異な現象が多いのは、住んでいる人たちに肉体に対する大らかさがあるのかも知れません。
(肉体をタダで貸し出す人たち)

 孫さんの蘇生術も三次元の地球産ではありませんでした。高次の存在から情報を得たものでした。
 もしも今日の件が正しければ、六爻占術も三次元の地球産ではありません。
(霊を注入して治療する父親と六爻占術の発明者を呼び出す娘)

 京房は運命を変える気はありませんでした。
 でも、自分の死期まで正確に記された本が、後の世に発見されるのでした。
(霊を注入して治療する父親と六爻占術の発明者を呼び出す娘)
「中国紀行2003.8〜9(2)」
 国なんて、あって無いようなもの・・「個」なんて、あって無いようなもの・・・
 彼らが他の生命体に肉体を貸すのは、そういう環境下にあるからではないでしょうか・・。
 自分の肉体にこだわる私たち・・憑依されたらとても嫌がる私たち・・
 反面、自分の肉体にこだわらない彼ら・・憑依してくる存在を嫌がらない彼ら・・・
(読心術&超国際人)

 超能力というのは一人では成しえない・・
 しかし、指導霊に協力は求めても、彼らに自分の身体を明け渡せないとすれば、成し得ない・・と、思いませんか?
(読心術&超国際人)

「場とは、神坂さんの発見した天然エネルギーと同じではないか」・・という事です。
(場とは神坂さんの発見した天然エネルギーと同じではないか)

 「健という名は、私の両親が『この子はバカでも良いから健康にだけはなってほしい』と付けたのです。でも小さい頃は病気ばかりしていました。」
 と言うと、トラさんが言いました。「それは健(健康)という願いが病気にさせたのです。」
(期待)

「同じように超能力を求めすぎる人にはあまりその能力は無いはずです。無いから求めるのです。」
 これを聞きながら、私は自分が源だとは思わなくなって初めて源にもなれたような気がしました。
(期待)

 自分が源か・・環境か源か・・周易をやれば誰でもが遭遇する問題です。
(山岳地帯への移動)

「森田さんを守る仙人の名前に「りんご」という人がいます。これは道教関係の人です。この人を入れて、道教関係の人は女性2人と男性3人の5人が見えます。」
(なぜ「りんご」か分かった午後の昼下がり)

 それにしても金運のために修行したという人に初めて会いました。でも彼の目はとても輝いていました。正直に生きているのだと思います。
(今日の報告)
「中国紀行2003.8〜9(3)」
 私が生まれ変わりの村の取材に力を入れるのは、臨死体験とか体脱とは違うからです。
 アメリカ人が書いた臨死体験の本には大抵「光の存在」が出てきます。
 今日は中国の人でしたから閻魔大王でした。
 生まれ変わりの村と臨死体験はなぜ違うのか・・・
(体脱で病気治療をする人)

 こんなことがあっても良いのでしょうか・・・・
 映画陰陽師でも、ここまでのストーリーは書けないでしょう・・
 異次元を描いたアニメでも、ここまでのストーリーは作らないでしょう・・
 モンロー研究所と神坂さんの実験と物質化とテレポーテーションと六爻占術を全て語らないと今日の出来事は説明できません。
 彼女が体脱先から持ち帰ったもの・・それは「生命の玉」だったのです。
(今日起こったすごいこと)

 運命が100%決まっているとすれば、前世の私の行いにも、選択の余地は無かったと思うからです。
 100%運命が決まっていると断言した人は初めてでした。
 しかも私のことは、ほとんど当てました。
(運命は100%決まっていると言った人)

 目が見える人でも「六爻占術は難しい」と言う人が多いです。
 しかし彼の努力は、たぶん、語り尽くせないと思います。
 彼は運命を恨んだでしょうか・・
 壁の言葉・・運命は天が定めている。道は自分で行く・・
(盲目の六爻占術師)

 スープを飲んだ人がする臨死体験と飲まない人がする臨死体験は、違うようなのです。
 飲んだ人は大抵、「人の生きる目的は成長だ」と言います。
 しかし飲まないで生まれ変わりを経験した人は、それを言わなくなります。
 たぶん、その一言では片づけられないのだと思います。
(2003年9月10日の記録:臨死体験と本当に死ぬ体験を両方した女性)

 森田「前世を覚えていたいですか。」
 彼女「覚えていたくありません。前世の記憶は今の生活に影響が大きすぎますから。男女の問題にしても・・」
 生まれ変わりの村の調査をしている本人としては、時空はなんてダイナミックなのだろうと思います。
(前世が男性だったので今世で男性を愛せない女性)
「中国紀行2003.8〜9(4)」
 もしも部屋の中に十二支の置物があったとき、その影響はあるのでしょうか・・・
 実は単なる飾り物などのためだとすれば、影響は無いのです。
 人が運命変更の意識を持って何かを置いたとき、初めて影響が出始めるのです。
(六爻占術の運命変更について今日習ったこと・・・私の金運を例に取って)

 ほとんどの場合、風水は住む人によって違うそうです。ある人にとっては良くなくても、ある人にとっては良いそうです。ですので当人が振ってみないとわからないそうです。
(六爻占術の心得)

 彼女は言いました。「命の玉は、買ってくるものなのです・・・」
(命を金で買う)

「命は金では買えない」というのは、よく聞くセリフです。
 命を金で買い、宝石店からは盗んでくる彼女・・
(命を金で買う)

 私たちは理由が先にあって存在しているわけではないのかも知れません。理由が先にあって決めているわけではないのかも知れません。
 しかし私は、その存在理由を求めて中国に行きました。
「選択は幻想だ。」本当にそう思いました。
(今、家に着きました。)

 知りたい・・だからこそ、「100%決まっている」という彼の説を、否定したくはありません。運命が100%決まっているならその仕組みを突きとめないといけません。
(知りたい・・)

 私は問い続けて死にたいと思います。そうすれば、答の領域に行けるからです。
(知りたい・・)

 精神世界で言われているように、光の存在かなんかが出てきて、「今までの人生を反省しなさい」とか「次の人生を計画しなさい」とか言われたとしたら、生まれ変わりの村の人はどうするのでしょう・・
 そんな存在が出てくるのなら、私は時空から降ります。
(ハイアラキー的かシステム的か)

 私のやっている調査は、普遍性とイコールではありません。
 しかし、普遍性に含まれています。なぜなら、方程式は例外を作りません。
 例外に見える現象は、それまでの常識がそうさせているだけです。
(ハイアラキー的かシステム的か)

 私は今回の中国調査では、相手に対する質問は、あらかじめ用意していません。
 用意すれば、うまくいきません。直感の勝負です。
(生まれ変わりの村の調査)

 彼らに「データを取っていくだけの日本人」というイメージを与えると、来年はありません。
(生まれ変わりの村の調査)

 私の中で一つの仮説が崩されました。
 スープは、産道を通るときの分泌物だと思っていたのです。
 でもこの事例は、そうではないことを告げています。
(「スープを飲めば、また他人から始めなければならない」と言った人)

 この村の人は、どこかでわかっているのです。
 あの世が、この世の延長であることを・・
 あの陽気な音楽で送り出されたら、成仏するしか無いです(笑)。
 恨みを持って「化けて出てやる」と思っても、あの陽気な音楽では・・(笑)
(生まれ変わりの村のお葬式)

 この世に生を受けた人間は、みんな「幸福」という名の下には平等だと思いました。
 何かが足りないとか、あれがあれば・・とか・・
 でも、あれほどの超能力を持っても、「幸福」は平等だと思いました。
 六爻占術は、どんな超能力者とも対等に渡り合っています・・・
(超能力者の意外な一面)
「中国紀行2003.8〜9(5)」
「どうやったら寿命が延ばせるのか?」「どういう種類の善行を積めば良いのか。」
 私はそういうことには、興味が無かったのです。
(地獄に人を連れて行くことが出来る人)

「自分の手が小さいのでおかしいと思いました。」
 これって、すごいと思いませんか? マヒしてませんか?
 この瞬間、生んだお母さんよりも経験豊富なのです。
 この瞬間、生んだお母さんよりも大人なのです。
(臨死体験もした女性)

 トラさんは次のように言いました。「スープは少しだけ飲むのが良いのです。」
(現在82歳で、生まれ変わりに加えて臨死体験もした女性の続き)

 私の三年間の調査によれば、子供の時代を含めて、無意識的行動に出るのは、母性だけなのです。他の前世の記憶は、彼らは情報として使っています。
(現在82歳で、生まれ変わりに加えて臨死体験もした女性の続き)

 自分の手が小さくなったことで生まれ変わったことを知る人が多く、その後記憶が薄れていきます。森田の仮説ですが、それは魂を肉体にマッチさせるためではないでしょうか・・
(隣の家に生まれた人!!)

 60体も入った霊がトラさんの体に影響を与えないのはなぜでしょうか・・
 病気になる人とならない人の差は・・
 自分の肉体に固執している人が、他の霊の影響を受けるような気がしました。
(霊に憑依されても、何でもないトラさん)

 生まれ変わりの村は、リアルです。
 デジタルすぎて、精神世界の入り込む余地も、なさそうです。
 しかも意味を持った生まれ変わりの例は、一つもありません。
(前世の母親から声をかけられた人)
「中国紀行2004.09(1)」
 運命変更の「G」は、バイクで急カーブを曲がる「G」など、比べものになりません。
 六爻占術関連のエネルギーは、地球を救うどころか、宇宙を変えてしまう可能性もあるかも知れません。
(中国紀行2004初夜)

 陰陽五行は何故正しいのか、ほとんど分かっていません。六爻占術が何故当たるのか、ほとんど分かっていません。まだ工学の世界なのです。工学とは「使い方」の学問のことです。
 これから私達は理学に持っていかなければなりません。それは「何故」・・の世界です。
(中国紀行2004初夜)

 さて、この方法はコインを振らない六爻占術と言えそうです。
 無意識に数字を書いたのが五次元に通じていれば、何もコインを振る必要はないのです。
(三つの数字と六爻占術を結びつけた占い師)

 物質化をこんなにお気楽にやった人は初めてでした。孫さんとて、もう少しパワーを使います。サイババは愛を売ります(笑)。
 たぶん彼女は100%出来るのだと思います。患者さんは絶えなく来ると言います。
(物質化が出来る女性)

「不思議な事なんて解明してどうするんだい?どうにもならないでしょう?」
 これを言った背後には彼女自身、自分は行為をすることだけに徹しているという自負と自信があると思いました。
(「不思議な事なんて解明してどうするんだい?どうにもならないでしょう?」)

 ビデオが回る中で、うまく行くか失敗するか・・などという恐れは、彼女にはゼロだったと思います。彼女は、ひたすら行為をするのみでした・・。
 超能力にとっての「敵」は、自分自身の孤独であると思いました。
(「不思議な事なんて解明してどうするんだい?どうにもならないでしょう?」)

 陰陽と八卦の組み合わせを作り、卦から判断するところなどさすがです。判断もほぼ当たっていると思いました。
 ということは、単にトランプを切るという行為にも「場」が乗るということです。
(トランプで八卦を作り、占う女性)

 彼女は答えました。「神様なんか関係ないよ・・私の力だよ・・」
 というわけですが、ここでのキーは「酒飲み」と「掌」です。
 これだけの酒を飲みながら超能力を発揮するのを見たのは、初めてでした。
(大酒飲みの天才予知能力者)

 真実を知ることは、運命変更の第一歩なのです。だから卦を出すと、それを判断できる人なら、既に運命変更モードに入るのです。しかも、戻れないのです。
 こういう場合、卦は生き物だというのが私の実感です。
(トラさんは、やはり凄い)

 六爻占術師にとっては、悪い卦が出てもその通りにならないのは、変更モードに入るためだと思います。逆に言えば、良い卦が出たのに実現しない可能性もあると思います。
(トラさんは、やはり凄い)
「中国紀行2004.09(2)」
 私達はどこから来てどこに行くのか・・
 全体の業・・またそのフレーズが横切りました。
 私はその昔、もしかしたら輪廻の始まりにも、こんな大地に座って、同じフレーズを感じたのかも知れません・・
(内モンゴルまでの風景)

 元々の人生はどういうシナリオだったのか・・そして六爻占術で運命を変更した人生との差は・・・
 自分の人生をかけた実験としてこんなに面白いデータは、他では得られないと思います。
(西に飛ぶ機内で)

 四柱推命には、運命の選択肢というものがあるのだそうです。
 例えばダンさんは、軍隊に入れば大変に出世したのです。でもそういう道を選択しませんでした。
(四柱推命初体験)

 私の性格というのは肉体の影響下ではなく、ましてや魂が持っているものでもないということでしょうか・・
 私の性格は単に、生まれた日によって決定されたということでしょうか・・・
 だったら認めるしか、ないですよね・・(笑)
(占いの村)

 ダンさんが使っているのは、盲目の占い師にしか伝わってこなかった手法なのですが、盲目だからこそより具体的な情報を知りたかったのかも知れません。
 その盲目の師匠が何故ダンさんに託したのか・・もしかするとダンさんに託したときの未来が見えていたのかも知れません・・
(ダンさんの四柱推命・・「盲師派」)

「自分が送ったエネルギーは、普通、相手に吸い取られて終わっていました。まさか相手から倍増されて自分に返るとは、思ってもいなかったです。」
 そして不思議なことに、私には彼女に返したそのまた倍以上のエネルギーが残ったのです・・ 。
(光の超能力者)

<トラさん語録>
「性格は生まれた日で決まります。ですが運命を変えれば、性格も変わるときがあります。しかし、性格を変えて運命を変えることはありません。」
(占いの村)
「中国紀行2004.09(3)」
 私は既に六爻占術において運命を変更しています。でも、四柱推命で解釈したのが昨日なので、変更されたルートで解釈されたと考えられます。
 やはり四柱推命とて、固定された運命を出すわけではないのです。
(運命の分かれ道は内在されていた)

 やはりこうなると、四柱推命と六爻占術は両方とも必須かも知れません。
 そしてトラさんとダンさんが親友だったというのは、凄いことだと思いました。
(運命の分かれ道は内在されていた)

 トラさんは「六爻占術が当たるか外れるかは、自分の運に左右される」と言いました。
 例えば九割当たる実力があったとします。その九割を大事な占いに振り向けられるか・・・逆に当たらない一割を大事な占いに持っていってしまうか・・
 六爻占術師は自分の運を知ることが大事かも知れません。
(トラさんの名言が続出した午後)

 六爻占術を「役に立つ」から買った人は多いはずです。当たり前でしょうと言われればそうです。10万円もするのですから・・・
 しかし『努力なしで成功する法』を読めばわかるように、役に立ったらオシマイなのです。
(雑誌の取材)

 四柱推命に似ていますが、大きな違いは、占った日と時間を使うことです。まるで六爻占術と四柱推命が合体したような感じです。
 これで株や商品先物取引まで占えるというのですから、驚きです。
(たった一人しか知らない占い方法)

 私は傍(はた)から見ればとても幸せな生活をしています。
 なのに、これからもっと孤独にならないといけないのでしょうか・・・
 孤独の方が辛くて嫌です。今日の占いは、当たっていそうなだけに、辛いです。
(たった一人しか知らない占い方法)

<トラさん語録>
「前世で悪いことをしたのが原因で事故で死んでしまったのなら、今世に良いことをするという気持ちあるのでしょうか?矛盾していると思います。」
「出家した人とて、宇宙のルールから外れることはできないのです。しかも占いが当たるか外れるかは、来訪する相談者とは関係ありません。レベルを問うならば単に実力と運です。」
「私の運が良いときはほとんど当たります。卦を間違えても当たります。外すのは私の運が悪いときなのです。これは占い師以外でもそうだと思います。」
「魂はもともと陰陽的なものなのです。悪魔がいなければ、仏が出来ません。全員が仏になることは、この世の成り立ちとして矛盾します。」
「肉体は陰陽を持っています。だから五行からの影響を超えることは出来ません。胎児はお腹にいるときは陽性です。産まれる瞬間、魂が入り、陰的になり、バランスします。」
(トラさんの名言が続出した午後)

「普通の人の目から見ると宇宙は昔と違って見えます。しかし卦の式は同じ時があります。人生が違って見えても、本質から見ればたぶん同じなのです。」
(たった一人しか知らない占い方法)
「中国紀行2004.09(4)」
 やはり大幅に変えるには、自分の外側に何かを置いて変える方法を見出すことが出来る六爻占術をおいて、他には無いそうです。
(選ばれた人達)

 ひょっとすると時空は、極めて少数の人にだけ、変えることを許すシステムにしたのかも知れません。
 それは全員が変えると時空が歪むとか(笑)、何らかの支障があるのかも知れません。
(選ばれた人達)

 彼の卦の式と今回の盲目の人の卦の式は、同じだそうです。生年月日と生まれた時間は全然違うのに・・です。しかも60年以上離れてもいません。
 四柱推命でもこういう現象が起きるのです。
(盲目の占い師)

 ところが日本ではどうでしょうか?霊感系の方がもてはやされます。
 理詰めで予測する四柱推命など、あまり見向きもされません。
 日本は、直感で何でも当てるという人のほうが、マーケットがあるのです。
 この傾向が、四柱推命を流行らせなかった原因なのです。
(中国では超能力は儲からないけど、占いは儲かる)

<トラさん語録>
「四柱推命で良い運の出る人は、五行がアンバランスな人が多いです。逆に全ての五行が揃っている人は、運が良くありません。」
(お墓の風水を遠隔で見る人)
「中国紀行2004.09(5)」
 そこには「運命変更」の余地がないのです。
 だとしたら、当たっても当たらなくても、同じだと思いませんか?
 日本人のみなさんは、願望実現に「生きて」いませんか?
(最後は、本物登場)

 注目すべきは、「改善点」です。運命改善法が出るのは、六爻占術ならではです。
 四柱推命でも超能力予知でも、これはありませんでした。
(六爻占術師登場)

 三次元の世界から風水を判断するというのは、実際に当たるのでしょうか?
 私は六爻占術のような陰的な世界からのアクセスでないと、風水も当たらないのではないかという考えに至っています。
(風水師登場)

 するとトラさんは言いました。「この時間に座ったのは、森田さんだけです。」
 日本の占いの世界では、ここまでシビアには言いません。だって、運命変更の予知がなくなるからです。
(座った位置で占う人)

 そうなのです・・意識と無意識を両方使うのです。
「運の良いときは、良く当たる」・・こんなことは、四柱推命では少ないのです。しかし六爻占術では、これが起きます。
(六爻占術師VS四柱推命師VS超能力予知師)

 運命を変更できるのは、六爻占術です。時空は、研ぎ澄まされた頭脳と勝負したいのです。
(六爻占術師VS四柱推命師VS超能力予知師)

 もちろん皆さんは見ていないからショックではないと思いますが、私は木星人によって性が変わった人に会い、かなりショックです。「木星人」「性が変わる」のダブルショックです。
(木星人によって性が変わった男性(元女性))
「中国紀行2004.09(6)」
 五行が出来たのは3000年以上前だそうです。誰が発見したのか分かっていません。
 その後2000年以上経って、太陽系の惑星が発見されました。
 そこに、五行にちなんだ名前が付けられました・・・
(酉月レポート)

 陰陽五行は3000年前からありますが、誰も解明していません。だから自分がやっても解明は無理だろうと思う人は多いはずです。
 でも私は無理ではないと、どこかで思っています。
(機内にての書き込み)

 いったいどうしてこういう状態の「私の生き方」が出来上がったのか、私も不思議です。
 でもそこには答が無いかも知れません。生まれた時間と、その後の幾つの人生の選択肢によって「決定」されてしまったのです。もう、戻りようがありません・・。
(機内にての書き込み)

 外国では天才学者の精子が高く取引されると聞きました。それを使って子供を作っても、占い師に頼まないと意味が無いかも知れません(笑)。
 今後、遺伝子学者と占い師はペアで仕事をする必要がありそうです。
(夕食の席での話)

 神すら作れる宇宙というシステム・・いったい私達の出会いで、何をしようとしているのでしょうか・・。システムに目的は無いのかも知れませんが・・。
(ダンさんとトラさんと私の出会い)
「中国紀行2004.09(7)」
 今回の彼女は10年間も死んでいたのに、死んだことを知りませんでした。すごいことです。
 また、あの世には行っていません。行っても行かなくても、関係ないような気がしてきました。
(10年間も死んでいたのに死んだことを認識しなかった人)

 私の調査によって「スープの秘密」が広がると、世界は一変するはずです。
 その本は、まだ出ていません。このHPでしか・・・
(死んでから殺人の罪を着せられそうになった男)

 前世と今世が同じ場所というのは初めてです。ループしています(笑)。
 19歳まで育てた子供が、またゼロ歳に戻ったというのを知ったとき、お母さんはどういう気持ちだったのでしょうか・・
(同じお母さんに子供となって再び生まれた男)

 前世のことを覚えていると、殺された人が生まれ変わって、殺した人の前に出てくることがありそうです。でも殺人ということが最悪の罪に当たるのかは、疑問です。
「死ぬシステム」を作ったのは時空です。自然死も殺人も、運命のままです。だとすれば、殺すのはシステムの側だからです。
(刀で殺された男)

 ひょっとすると、時空も一抹の夢を見ているようなものかも知れません。
 生まれ変わりの村の調査をしていると、現実とは何か・・という問題にブチ当たります。
(寝ているうちに死んだ男)

 この人は、おそらくあの世にも行かずに瞬間的に生まれ変わってしまったのでしょう。
 ショックが大きいと、生まれ変わるのも瞬間なのでしょうか・・。
(蛇が喉に入り窒息死して、男性から女性に生まれ変わった人)

 天国だの地獄だの、誰が作った概念なのでしょうか・・
 反省する場所とか、来世を決める場所とか、誰が作った概念なのでしょうか・・・・
 この世中心の物の考え方は、捨てた方が良いと思いました。
あの世に行っていないのにスープに出くわした人
「六爻占術2004.09(8)」
「世応が相合することで利益が一人に集中することなく、ずっと合作して仲良くやっていくことが出来ます。」
 何を捨てて何を拾うか・・・トラさんは相合を拾いました。
(「合作」について)

 他の項目は後から変更可能だと思います。でも世応の相合は、後から作り出せません。
 相合(合作)を最も大事として始まった盲師派四柱推命・・もしかすると盲目の師には、これが見えていたのかも知れません。
(「合作」について)
「中国不思議考察紀行2005.09(前編)」
 現地に行けば、「待つ」作業が大半を占めます。いつでも出かけられるようにして、部屋の中で待つのです。
 例えば私がりんごの部屋でワクワク生きているでしょうか・・。
(ワクワクしない)

 運命は誕生日という一瞬で決まっています。その後、パーツの入れ替えが出来ますか?
 そうなのです。運命を変更するというのは、運命のパーツを変更することなのです。
 六爻占術では一部のパーツ(運命の一部)を変えることが出来ます。
(運命変更は、新品では出来ない)

 運命変更の世界でも、新品を追ったらいけないのです。新品は、「私が創り出すもの」だからです。
 新品を追う限り、運命変更はないと思います。
(運命変更は、新品では出来ない)

 おそらくトラさんにとっては、観音様とて対等なのだと思いました。
 この態度は、時空を解明しようとするとき、とても大切です。観音様とて、真理を掴んでいるわけではないからです。
(観音様が降りる男&盲師派推命占術情報)

 以前「制御」という単語が出ましたが、制御されている命式の人は、自分でコントロールできる範囲が広がるそうです。
 何も制御されていない人は、運命をコントロールすることも出来ないのです。
(観音様が降りる男&盲師派推命占術情報)

 私がこのような調査で「ワクワク」できなくなったのも、内と外が切り離せずに絡んできたためだと思います。「ワクワク」というのは、自分と外側が切り離されているときに起こる現象だと思います。
(OSの入れ替え)

 前提はパソコンのOSのようなものだと思います。多くの人は、OSを変えないで一生を終わります。
 もしも私の調査で社会変化があるとすれば、OSの入れ替えに相当すると思います。起こる変化は並ではないと思います。
(OSの入れ替え)

 意図と問いは、ひらがなでは逆に書きます。もしかすると、この二つは相反する事項かも知れません。意図は願望とも言い換えることが出来ますから・・。
(武装警察特別捜査官)

 一生運でも私の卦の世爻は空亡でした(笑)。
 時空がなかなか捕まえられないのも、同様な理由かも知れません。
 時空に意図があれば、武装警察特別捜査官にでもキャッチされそうです。
(武装警察特別捜査官)

<トラさん語録>

 「私と森田さんは似ています。そんなことが現代社会の中で何かの為になど、なり得るはずがありません。私も同じです。考古学を研究しても、直接今の私達の為にはなりません。でも私たちはいったい何なのかを知ることには繋がります。それが何の役にも立たないと言われれば、その通りです。」
(ワクワクしない)

 「それだけですか・・。全く具体的ではないですね。もう一度ちゃんとやって下さい。」
(観音様が降りる男&盲師派推命占術情報)

 「自分の意識でコントロールしにくいものは、逆に改善しやすいのです。」
(易の達人の二人が来て交流)
「中国不思議考察紀行2005.09(中編)」
 四柱推命は因果応報の仕組みの上に成り立つシステムではないかと思いました。
  現世が決まっているのは、前世のせいだと・・。
  だから六爻占術は封殺されただけが原因で広まらなかったのではなく、「私は結果」という考え方にあるような気もしました。
(今日の報告)

  理由を聞けば、「標準時を決めたのは日本の法律です。盲師派推命占術では法律も自然の一部と考えます」ということでした。
  つまり地球の自転を換算する必要はないのです。これはとても不思議な感じがします。
  誕生日がハード的なものではなく、ソフト的なものに感じられるからです。
(盲師派推命占術・・法律(決めごと)も自然の一部)

  普通私達は、同じ時期に出会う異性は選択の対象になります。しかし盲師派推命占術によれば、未来に出会う異性も対象になるのです。まさに時間を超えた選択をするわけです。
(盲師派推命占術・・人生には選択の余地があった)

  昨日は、結婚するチャンスが二度訪れる女性の例を出しました。こんな劇的なものではなくても、「未来を知ること」によって改善される例は沢山あるそうです。それを求めて占いに来るのです。
(盲師派推命占術・・運命は改善する)

  当たる時ほど、シンプル・・だと。さらに、自分の意識を保持している・・と。
  自分の右手を見ながら私の未来を予知した人は、実にシンプルでした。
  自分の右手の脈を測りながら私の未来を予知した人も、実にシンプルでした。
  儀式も憑依現象もありません。偉そうなごたくを並べることもありません。
(仏像が何だ!!指導霊が何だ!!)

  まず「未来を知る」というのは新しいスタートラインに立ったと言えると思います。
  誕生日に運命が決定されて、人間はずっとそれで一生を終わりました。
  でも選択肢さえ存在することを知ったとき、その瞬間に未来も変わると言えるのです。
(盲師派推命占術・・占った日(未来を知った日)が大切)

  盲師派推命占術の師匠は、占いに来た人の誕生日を聞かずに、占いに来た日を誕生日の代わりに命式を作り、ほとんど当てたそうです。
  これによれば、占いに来た日(未来を知った日)というのは、新しい誕生日に当たるわけです。
(盲師派推命占術・・誕生日の情報は必要ない)

  生死の卦は、紙一重です。時空にとって、「死」とは大したことのないイベントかも知れません。だから怪我で死ぬのかも知れません。
(「死」の情報)

  精度が高くなればなるほど、未来は変わらないと言うようになります。
  逆に、精度が低いと「生き方を変えれば未来が変わる」とか言い出します(笑)。
  つまり、そういう人にとって未来とは適当にしか決まっていなくて、あとの部分は人間が創り出すものなのです。
(精度)

  六爻占術はその点、ずば抜けて精度が高いです。それが運命変更の大きな要素だと、私は感じています。
  つまり、未来を正確に知ることが、変更への大きな一歩なのです。
(精度)

  トラさんは言いました。「生まれた時間を判断するとき、二時間が最小単位です。ですが二時間を十二等分して、もっと細かく出す方法があります。でも私は占いに来た日と時間でも、同じくらい正確になると思います。」
(盲師派推命占術・・同じ誕生日で同じ時間の人)

  一つの要素を変えると他の要素に影響が及ぶと考えがちですが、トラさんとダンさんによれば、他の要素にはほとんど影響が無いそうです。
(盲師派推命占術・・例えば恋愛運を変えても、金運には影響は無い)

  人は「全てが決まっている」というのを認めるのが嫌なのだと思います
  科学が占いを否定するのは、決して「非科学」だけが理由ではないと思います。
  歴史を刻むのは自分たち人間なのだという自負があるのだと思います。
(諦め)

  彼らは「諦め」から入ったような気がします。しかし完璧に諦めて研究した結果、その向こう側に、何と、決まった運命を変更する方法を見つけたのだと思います。
(諦め)

  一つの要素を変えると他の要素に影響が及ぶと考えがちですが、トラさんとダンさんによれば、他の要素にはほとんど影響が無いそうです。
(盲師派推命占術・・例えば恋愛運を変えても、金運には影響は無い)

  面相占術はあたかも顔が原因であるかのような印象を受けますが、顔も結果だと思います。面相(空間)から人生(時間)に置き換えたのだと思います。
(すごく当たった面相占術)

<トラさん語録>

  でも仙人が憑依している真っ最中にトラさんは言いました。「もう、行きましょう。」
「えっ、まだ憑依されたままですよ・・。私達のために・・。」
「いいでしょう・・ほっておけば。」(笑)
(仙人が憑依)

  能力者「どうして分かるのですか・・図星です。」
  森田(小声でトラさんに)「どうして分かったのですか?」
  トラさん「私の霊感です。」(笑)
(トラさん、ヒット(笑))

  森田「ということはやはり、盲師派推命占術の命式で寿命として死ぬと出ているとき、難しいのですね。」
  トラ「はい、そうです。全てに効き目があれば占い師は死ななくなりますから。」
(トラさんを従来の四柱推命で占う)

「私は子供の頃、まともに車に轢かれたことがありました。しかし無傷でした。」
(盲師派納音推命占術師2人)

 
「中国不思議考察紀行2005.09(後編)」
 トラさんの実家には、お父さんとお母さんの木棺が既に用意してあります。いつ死んでもいいように・・。
 普通の家庭では木棺は50歳を過ぎた頃から用意しておき、使わないときは保存箱にしているそうです。「寿棺」といって、作っておくと長生きが出来るといわれています。
(生まれ変わりの村のお葬式関係の情報)

 中国で仏教の信者は1%以下だそうです。だから99%以上の家では、お坊さんは不要なのです。
(生まれ変わりの村のお葬式関係の情報)

 私が取材した自殺のケースはこれで二度目です。ちゃんと死んだ人と何の変わりもありません。
 自殺をすると反省する場所があるとかいうのは、誰が作った話なのでしょうか・・・。
(自殺した女性)

 隣で死んだ子を育てる両親はどんな気持ちでしょうか・・
 死んだ子が隣で生まれ変わったことを知った両親は、どんな気持ちでしょうか・・
(隣の家に生まれ変わった人(男→女))

 今日の取材は3人でしたが、共通点があります。あの世をほとんど経験していない点です。しかも赤ちゃんの時から前世の記憶を持っています。
 この二点は関係あるのかも知れないと思いました。
(自分の子供も他人だと思える女性)

 生まれ変わりが一般化すると、「歴史から抹殺すること」自体が難しくなるかも知れません。
(前世が有名人だった人)

 ダンさんは泣いた時間で命式を作り直しました。すると全て当たったのです。
 これにより、ダンさんは次の仮説を作りました。「泣いた時が誕生刻なんだ」・・と。
 そして次の仮説も作りました。「水中出産はしばらく水から出さなくても赤ちゃんに影響は無いはずだ。それで誕生刻を延ばすことが出来る。」
(盲師派推命占術・・誕生時間をずらす)

 あの世に貨幣はありそうだったのです。だから是非、あの世の貨幣を入手したいと思っていました。そして今、私の手元にあります。
(光の超能力者があの世から、あの世の貨幣を持ってきた)

 ですから私は、外に出るしかありません。外に出て情報を知り、それで仮説を作りますが、それは「仮の仮説」とでも呼んだ方が良いです。当面、証明する気などないからです。
 なぜならこんなに少ない情報で作った仮説など、たぶん崩されるためにあるようなものだからです。
(「前提」と「仮説」崩しの旅)

 つまり私は、150人以上にお世話になったのです。これがまた、新たなネットワークを構成していきます。
(「前提」と「仮説」崩しの旅)

 私はあの世の貨幣で金儲けするつもりはありません(笑)。「私はどこから来てどこに行くのか」を垣間見られるような気がするからです。
(再現性)

 今、このHPでは占いを研究しています。占いが対象にするのは、人の人生です。
 人の人生に、再現性があるでしょうか?
(再現性)

 でも盲師は思いました。「誕生日と誕生時間という条件が一緒なら、人生は再現する」・・と。 
 科学者は、この点に関しての再現性を見ようとはしません。何故かと言えば、再現性を議論する対象に、自分を含めていないからです。自分を外側に置いてしまうのです。
 対象と自分を切り離し、自分は誕生日などでは再現しないという前提を持っています。
(再現性と自由)

 私は外のモルモットが再現性のサンプルだとは思わず、自分自身だと思っています。
 だから彼ら科学者から何を言われても、影響を受けません。
 だって再現を迫る相手が違います。私の相手は、時空であり、神なのです。
(再現性と自由)

 生まれ変わりの村が「特殊」なのは、何故でしょうか・・・。それは「他と違う」からに他なりません。「あの現象はあそこの特殊現象だ・・」人はこう言って安心していました。
(「北京でもパリでもニューヨークでもなく、生まれ変わりの村なのだと。」)

 私は「生まれ変わりの村」を掘り出したわけでは無いのです。トラさんのネットワークにより、埋もれていた情報を掘り出したのです。
(「北京でもパリでもニューヨークでもなく、生まれ変わりの村なのだと。」)

 しかし、とても細かい点まで占うことは不可能なのです。なぜなら私達が今接しているのは、デジタルな占いだからです。
 アナログ的な部分は、会ってみるしかないのです。会ってみて、相手が大したことない人なら「そろそろ行きましょうか」と言って、去るしかないのです。
(行ってみるしかない)

 「行ってみるしかない」・・これを言い換えれば「やってみるしかない」のです。
 精度の高い占いに長けている三人のチームでさえ、そうなのですから・・。
(行ってみるしかない)

 道教だって一つの宗教です。面相占術師がなぜ道教を祀っていたか、それらに対する疑問は生じなかったでしょうか・・。私は随分と考えさせられました。
(宗教について)

「中国冬紀行2005.11-12(前編)」
スキーにもしてもサーフィンにしても、波に乗るにはおそらく、少し前傾ポーズを取る必要があるのではないでしょうか・・。そして視点は、少し前を見ているのではないでしょうか・・。
(前倒し)

 六爻占術や盲師派推命占術とて同様です。全ては正確な未来を知るところから始まります。それは前倒しで生きることと、何か関係があると思えてなりません。
(前倒し)

「そうです。だから命式を知ることによって多少の運命改善が出来ます。つまり効能が強くなる方向に引っ越すとかすれば、運命が改善できるのです。」
 やはりそうでした。盲師派推命占術の運命改善も「空間系」で行えるのです。
(美人になることも決まっていた(笑)、でも地域差も関係していた)

 誕生日は運命だけを作り出していたわけではありません。顔を含めた、私達の肉体も作り出していたのです。ということは、私達はあらかじめ出来ていた肉体に入ったわけではないのです。肉体すら、魂が入った瞬間(誕生の瞬間)に決定されたのです。
(美人になることも決まっていた(笑)、でも地域差も関係していた)

 墓には、墓標すらありませんでした。私がこの日、彼の墓を訪れるのも、知っていたかも知れません。そしてこの書き込みを読んでいる人の中にも、盲師派推命占術を勉強する人が出ることも、知っていたかも知れません。
 全く名もない彼の墓・・・。しかし彼が世界を変えるきっかけになるかも知れません。
(都会に出た盲師、そして名もない彼の墓)

 実際に命式に出現して、それに対してある判断を下し、それが本当に当たったかを確認するまでは、「確定的ルール」とはならないのです。だから盲師派推命占術は、机上のルールではないのです。
(「回答不能」)

 六爻占術は十二支などを使った改善が多いですが、面相師は本格的に風水を研究しただけあって多彩に富んでいます。そしてこれらは私達の生活を豊かに変えるだけでなく、時空解明にも大きく役立つと思います。
(面相で運命を底上げするには、風水が最適)

「中国冬紀行2005.11-12(後編)」
 あらゆる事柄は繋がっています。しかしそれは直接的ではありません。ある変換方法を通して繋がっているのです。その変換方法が、易のシステムなのです。 (直接的な意味付けは出来ない)

 人体は宇宙の縮図だと言われています。   面相師も相手の過去未来のすべてを見るときは、顔だけでなく身体全体を見ます。  個が空洞だとすれば、身体を通して見えるものは時空全体かも知れません。 (日本に向かう機内の中での書き込み)

 トラさんは六爻占術第四巻目以降のノウハウを、中国ではまだ4人にしか教えていないと言いました。情報の伝達に制御をかけているのです。本当に使えそうな人にしか、教えていないのです。年収に当たる大金を払っても、弟子達は平等に扱われていないのです。 (日本に向かう機内の中での書き込み)

 第一条しかない契約書はおそらく、世界最短の契約書かも知れません。しかし面相占術が普及していけば、世の中の契約書はみんなこうなるかも知れません。そして最後は契約書は無くなるとも言えます。 (占い師との契約書)

「時空の秘密かぁ・・。それって天機を漏らすことだよね・・。だとすれば天機面相占術はどうだろうか・・。」  トラさんが言いました。「それ、いいですね。」  赤ちゃんの名前が決まった瞬間でした。 (天機面相占術)

 六爻占術に長けている森田さんが、指の事故くらい事前に察知して、回避できなかったのかと言う人もいるはずです。しかしです。回避すれば、何かを失うはずです。その何かとは、もちろん分かりません(笑)。  しかしあえて理由を言えば、私は貪欲だからです。欲が強いから回避しなかったのです。 (指の事故は回避しない(笑))

 トラさんは日本でも初段合格者には、やはり口述で秘伝を教えると言っています。とすれば、それを教わることが出来る人は、それ相応の人的交流がある人が望ましいです。 (「商標登録」と「法制度」と「メインへの書き込み」)

 法制度と言えば、とても反自然のような気がしました。でも違うのです。  日本に法制度が整っていたことも、自然の流れなのです。 (「商標登録」と「法制度」と「メインへの書き込み」)

 面相占術は言いました。「整形手術をすれば運命は変わりますよ。」  これが本当ならば、どうも結果の世界から原因の世界を変えることが出来るようです。そしてその原因の世界とは、ネットワークと空洞論からいけば、私以外の全てです。 (時間系と空間系が揃った)

「中国夏紀行2006.07(1)」
 予定が分からないというのは、何故なのでしょうか・・。その理由は、紹介者すら、自分が紹介する対象を知らない時が多いのです。その家に入って初めて「あんら、こんな能力があったの?」と驚くケースがほとんどです。
(今回も、どこに行くか分からない)

 この方が「意識」の邪魔が無くなり、「無意識」の世界にアクセスできるのだと思います。
 もう一つのキーは「歌」だと思います。言葉は左脳的ですが、歌は右脳的だからです。
 なので、寝て歌を歌いながらアクセスする世界は、「五行のくくり」の世界かも知れないと思いました。
(恍惚となり未来を予知する女性2)

 ところで、新しい人に会うたびにトラさんは言います。「この人は3ヶ月前に中国語を始めたばかりです」・・と(笑)。
 なんかトラさんにとっても、自慢みたいです(笑)。
 そしてみんなが率先して単語を教えてくれるので、ここに来てからも上達しています。
(7月4日のひとりごと)

 ネットワークは密である必要はなく、疎の関係の方が、かえって情報量が高まる・・と。
 なんと、トラさんもそれを地でいっています(笑)。
(「あなたは誰?」・・(笑))

 そうです。彼女は六爻占術テキスト第四巻に匹敵する内容で、姓名判断をやっているのです。つまり名前を五行に変換しているのです。五行に変換すると、ここまで当たるようになるのです。
(五行を使った姓名判断)

 彼女は言いました。「だって生まれた日と時間は変えることが出来ないでしょう?名前なら、変えることが出来ますよ。」
 そうなのです。戸籍はそのままにして、普段使う名前を変えるだけでも運命は変わるのです。その例は、六爻占術テキスト第四巻にも載っていました。
(五行を使った姓名判断)

 場の流れに乗ったとき、そこには善も悪も良心も邪心も無くなると思います。
 私はいわゆる「作家」にはなれないと思いました。私は「私」という視点がとても薄くなるからです。
(客観性を失う中国紀行)

 以前の私は、物理現象のみが時空を解明するキーだと思っていたからです。
 ところが六爻占術との出会い以来、物理現象は「ブツの世界の現象」であり、結果の世界だと思えてきました。
 そしてあれほど嫌いだった占いが、原因の世界に近いものだと思えてきたのです。
(東洋四柱推命と西洋占星術の混合占い)

 人は一生かけて何かを成し遂げなければならないのでしょうか?そんなことはないはずです。
(結果にこだわらなくなりました)

 病気の人は、修行どころではないと思います。人形を燃やすことは、修行とは逆行することだと思います。でもそれで治るような気もします。
 なぜなら「私は結果」だということを理解しているからです。
(「私は結果」の能力者と「私は原因」の能力者)

彼女:「はい、全て決まっています。未来のことが前もってわかるのは、それが決まっているからです。」
 これは彼女の体験から出てきているはずです。これを自分で気付くのは、とてつもないことだと思います。
(「私は結果」の能力者と「私は原因」の能力者)

 さて、この能力者の気になった点は「8割は決まっている」と言った点です。ある意味とても「正確な仮説」だと思います。
 六爻占術とて当たり確率は8割だと言われています。場が取れないときもあるからです。
 だとすれば当たらない2割をどう考えるか・・これは重要な問題です。
(私に触って予知する女性(笑))

「中国夏紀行2006.07(2)」
 世の中には組織の中で「名」を得て「出世」していく者が多いです。地位が上がることで、その人の価値も上がると勘違する人が多いです。
 中国では一般の人を「百姓」と言うらしいです。
 トラさんは「私はずっと百姓でいます」と言いました。
(易学シンポジウム前夜)

 この世は、百姓が運命を変えているのです。
 百姓でなければ、「進む」ことが出来ません。これは今回の中国紀行で、より鮮明になったことです。
(百姓)

「運命は決まっています。しかし感じ方は人それぞれです。事が起こった時、どう感じるかは決まっていません。」 
 これは周りにいる人の多くの賛同を得ました。でもトラさんは、それをも否定しました。
(本当に少ない「私は結果」という考え方)

 メインコーナーでは、私が有名になるとか、これをきっかけに何かが変わるとかいう書き込みもありますが、それはあってはなりません。私の調査活動が出来なくなるからです。
 だから私も、百姓でなければならないのです。
(百姓であることは、必須)

 私の発表で「ホンちゃん」の何かが変われば、私の自由が少なくなるはずです。だから自ら「変化」など、起こしてはいけないのです。
 そして「変化」を起こさないことを誓う行為が、「名」を受け入れることなのです。
(百姓であることは、必須)

「中国夏紀行2006.07(3)」
 それはまるで、本物のアガスティアの葉に出会ったようでした。何しろ古代の文献に、私の人生が文章で書いてあるのです。でも一連の長い文章としてではありません。一年ごとの断片として・・です。
(一回15万円の占い)

 15万円の占いを体験した最初の感想は、やはり「現場」だと思いました。日本でいくら頭をひねっていても、これに出会うことはありません。
 そして思いました。これを改竄(かいざん)して伝えてはならない・・と。
(7月15日のひとりごと)

 この古文書を書いた人は、理科系であり、文化系であったと思います(笑)。そして運命を、とても肯定している人だと思いました。
(本物のアガスティアの葉に出会って・・)

 私が今繋がりを持っている人達は、「自分のプライド」など、どうでも良いのだと思いました。
 トラさん、面相師、そして私は、これで世の中が変わるとか変わらないとか、眼中にはありません。
(ここに来るまで)

 彼らの生き様は強烈です。しかし今の私には、見ていて白けます(笑)。彼らは誰が見ても、「悪」に対して戦っています。でも私の眼下には今、偽物の街が広がっています(笑)。
(凄腕FBIと、見つめ合うだけの面相)

 社長は何が大事か、分かっていたのです。それは、未来を正確に知り、それを変える能力がある人を味方に付けること・・。
(空港のエライ人に案内されて一等席に乗った私達)

「中国夏紀行2006.07(4)」
「人生に意味はありません。」こう答える占い師が多いです。
 この答えを日本で聞くことは、ほとんどありません。
 当たるからこそ、こういう結論になったのだと思います。
(「人生に意味は無い」2)

 さて、トラさんは確かに凄いです。でもそれぞれの凄い分野の人達を全部弟子にしてしまったのが、もっと凄いことだと思います。
(今日と明日の案内人)

 運命の問題を前にして、言語の差など小さいと思います。卦は、全世界の共通言語なのです。
(共通言語)

 私はなぜ「生放送」をするのでしょうか?それは、文字で書くのとは全く違う世界だからだと思います。
(なぜ「生放送」をするのか?)

 ばかばかしいかも知れないけれど(笑)、やってみる価値はある・・。
 これって宇宙誕生の「意図」にも通じるところがあるのではないかと思いました(笑)。
(ばかばかしいかも知れないけれど、やってみる生放送(笑))

 80%を伝えられれば良いのです。この瞬間に、他を拾います。テキトーでも、する事の方が重要なのです。
(ばかばかしいかも知れないけれど、やってみる生放送(笑))

「私は原因」の考え方になりそうですが、私はあのときずっと笑顔で喋りました。もちろん作り出した笑顔ではありません。日本とのやりとりが楽しくて、自然とそうなっていました。それが「外側」になったのではないかと思います。
(ぎっくり腰から学ぶこと(笑))

 いいんです、適当で・・(笑)。100%を目指すプロになる必要など、無いのです。ずっとアマチュアで、遊び半分でいいんです。そうでなければ、下位の問いなど追えません。
(ぎっくり腰から学ぶこと(笑))

 一つは、生放送の80分間は、未来の心配が全部吹き飛んでいました。
 それは7億円事件の時、私が帰国して三日後には家屋敷を売ってしまったことと似ています。そこには未来の心配など、微塵も考えてはいませんでした。
 もう一つは、現状肯定でした。時空に対しては「好きにしろ」と思いました。しかし「こちらはこちらで(今の体で)好きにやるから」と思いました。
(ぎっくり腰から学ぶこと(笑)2)

 ところでパフォーマンス講演会では、ネットワークに繋がることが運命を変えると言いました。それがまさに実行されたのが、今回の出来事ではないかと思ったのです。
 でも繋がっただけではダメだと思います。表出が無いと・・。
(ぎっくり腰から学ぶこと(笑)3)

 腹が減ったら飯を食う・・そこにトラさんがいるから判断してもらう・・これは同じだと思うのです(笑)。
 そこにトラさんがいるのに占ってもらわないことは、腹が減ったのに、修行の一環だとか言って我慢するのと同じです。
(ぎっくり腰になったときトラさんに卦の判断を頼んだことは、ハンドルを手放していないか?)

 中国紀行の前に振る卦は、いつでもその程度しか判断しません。これはそっくりそのまま「ハンドルを手放している」ことに繋がると思います(笑)。
 もしも詳しく見れば、回避することばかりを考えてしまいます。 
(コインの落ちるのを、ただ見つめるトラさん、メモも無し)

 そしてトラさんは、卦を忘れることも無いのです。私が三年前に振った卦をすらすらと書くことも出来ました。私はとてもビックリしました。
(コインの落ちるのを、ただ見つめるトラさん、メモも無し)

「何か変だ、何かありそうだ」・・というのは、私の基本です(笑)。
「私は誰?」、「時空はどうなっているの?」いう問いも、「何か変だ、何かありそうだ」という問いに似ています。
(生放送は自分のため)

 私はインターネットに入れられたみなさんの問いをまとめていました。その中に私自身が発した問いがありました。つまり私の問いを、他の人から私に向けて発してもらったのです。
(生放送は自分のため)

「トラさん」だからこそ、日本に普及しつつあるのです。
 トラさんの名前を正式に書けば、それだけで一段敷居が上がりそうだからです。水平ネットワークから外れてしまいそうです。
(帰国の途へ・・)

「中国夏紀行2006.07(5)」
 メイドだけが、カメラ目線ではないのです。ここに時空の秘密があるのではないかと思いました(笑)・・いえ、マジです。瞬間的にこれに気づく私は、軽く生きているから?(笑)
(7月25日のひとりごと)

 それは、未来を知るものと知らない者の差なのです。
 未来を知らない者は、職務を全うすることが大事なのです。しかし未来を知ることの出来る人は、浮遊が可能なのです。
(7月26日のひとりごと)

 中華料理は割り勘ではありません。しかも払った人に「シェーシェー」という習慣もありません。もしかすると、「シェーシェー」の一言では済まさないぞ・・ということかも知れません(笑)。
(7月27日のひとりごと)

 思いました。「私らしい」・・と。カッコ良く行くのは、私らしくないからです。
「そう、きたか」とも、思いました。7億円のときも、流産のときも、思いました。
(7月27日のひとりごと)

 これから先も、トラさんの主要な弟子達には、私の本が配られると思います。
「森田さん、あの本、今、持ってますか?」この言葉は、トラさんにとっても誇りの言葉だと思います。
(7月28日のひとりごと)

 コインを振らないで、ピンポイントの占いが出来る人です。今、テキストを翻訳しているところです。この彼が、主催者の一人だったのです。というか、中心人物の一人です。
 つまり彼は、占いの分野では政府の中核に入り込んだ人なのです。その彼が私を招待したのです。だから、わざわざその時期に中国紀行が行われました。
(7月29日のひとりごと)

 六爻占術、盲師派推命占術、面相占術、○○○・・たぶん現段階の中国に存在する占いとしては、最高峰だと思います。去年から今年にかけて、一気に増えました(拡大しました)。モリケン=六爻占術のような図式がありましたが、そろそろ塗り変わります。
(8月1日のひとりごと)

「中国夏紀行2006.07(6)」
 中国で会った人達は、私の間で約束をしません。
 約束の一番典型的なのが、契約書です。トラさんにしてもダンさんにしても面相師にしても、誰であれ、契約書に書かれるのはたったの一行(金額)だけです。
(約束)

 私が関係している中国の人達には、被害者意識が非常に少ないです。無いと言っても差し支えありません。だから「私は結果」を受け入れやすいのかも知れません。
(8月2日のひとりごと)

 おそらく、死にに行く人は、契約書など作らないでしょう。それは諦めているからだと思います。他の契約条項を作っても無駄だという諦めです。
 決して「未来を知れるから」ではないと思います。
(8月3日のひとりごと)

 みんな自分のことで精一杯です。余裕なんか無いんです。積み上げたものなど無いんです。守るべきものも無いんです。つまり、スタートラインは「諦め」です。
(8月3日のひとりごと)

「全部、食いたい。」
 彼がそれまで格闘していたのは、日本人向けのテキストでした。今格闘しているのは日本食です。食えなかったら、日本人との繋がりが切れると思ったのだと思います。
(8月4日のひとりごと)

 演出は嫌いだと言って、私の講演を「食べなかった」人もいました。しかし面相師は、カレー南蛮に対面していました。カレー南蛮の向こうに、日本の多くの読者が見えたと思います。
(8月6日のひとりごと)

 別に約束なんて、していません。食わなくたっていいんです。しかしこの一言で、加筆された部分を「適当」に処理することが出来なくなったのです。
(8月6日のひとりごと)

「中国秋紀行2006.10(1)」
 目的を設定しなければ、当然「自己成長」もありませんし、「社会の成長」もありません。こんなに気が楽なことはありません(笑)。
 中国紀行はこれと同じです。目的が無いので、成功も失敗もありません。
(明日から中国秋紀行)

 中国語には他動詞が無く、全て自動詞だというのは、間違ってはいないそうです。しかし正確に言えば、中国語には自動詞と他動詞の区別すら無いということだそうです。
(中国秋紀行・・二日目の一日)

 霊は簡単に取り憑き、簡単に離れ、憑かれても気にしないというところが面白いと思いました。
(中国秋紀行四日目)

 今回登場した人達は、プロではありません。普通の人達です。
 でも大筋は外していないと思います。
 ということは、人間には直感で見る能力がかなりあるのだと思います。
(中国秋紀行四日目)

 この「学歴」というポイントが違ってくれば、それ以後の人生の多くの面で、狂いが出そうです。
 しかし私の直感は、それに対して問いを投げかけました(笑)。「それは本当か?」・・と。
 そしてトラさんに訊いた結果、特に学歴は、人生に対して大きな影響は無さそうなのです。
(学歴が変わっても、運命は変わらない)

 今回の中国紀行は、一つの傾向があります。今回は「仏像」と「奉る」です。
 その傾向を、「同じところにアクセスしている」とか「場を引きずっている」とか言う人もいますが、そう簡単に結論を出さない方が良いと思います。
(八卦の指導霊が降りてくる人)

 憑依現象というのは、未来予知の一つの方法なのです。
(憑依されて占う人等)

 こういう調査というのは、犯人割り出しのために「無駄」な聞き込み調査を続ける格下の刑事のようなものでしょうか・・。
 時効の10年がくる直前まで続ける刑事もいると思います。しかし幸か不幸か、こちらには時効がありません。
(内モンゴルにも「憑依現象」が・・・)

 取り憑く霊達は、多少なりとも時空に広がっているような気がします。それが未来予知に繋がるのではないでしょうか・・。
 しかし彼ら霊は、肉体が無ければ伝えることが出来ません。だから憑依をして、初めて予知内容を伝えることが出来るのです。
(衣装替えと憑依)

「中国秋紀行2006.10(2)」
 それにしても、ふとっちょの弟子の「少し休みましょう・・ね・・」は、何か迫力がありました。彼も、コックリと頷きましたから・・(笑)。
(よく当たる面相師・・実は)

 今回の中国紀行は「仏像」に始まり「仏像」に終わると言っても過言ではありません。
 しかし・・です。それが問いへの答えだったことを、今になって分かったのです。
(再び「仏像」)

 今回の極めつけは、人を管理する皇帝と、ハチを管理するハチ飼いは、同じ命式で表現されるということです。
 このことを彼はこんな言葉で言いました。
 「命式の良さを本当に表現できる人は、同じ時間に生まれた人の中で、一人か二人しかいません。」
(「人を管理する皇帝と、ハチを管理するハチ飼いは、同じ命式で表現される」)

 他の「大家」は理論ばかりで、実践的なものは何も出来ないそうです。
 昨日の「大家」は、稀に見る本物の「大家」なのです。
 つまり彼は、外れるというリスクを張って、大家をやっているのです。
(昨日の人は、本物の「大家」)

 考えは、運命から来ているものです。お金が欲しいというのも宇宙から与えられた考えです。だから結果を生きるだけです。
(「大雨の時生まれたのであれば、命式の中に水が無くても、判断の中では考えなくてはなりません」)

 運命をよく知っている人は、幸せで、よく生活できます。知らない人は動物と同じです。運命を受け入れること、良く知ることは100万円のお金を100万円手に入れられることです。知らなければ50万円だけしか手に入りません。つまり命式を全うすることが人生の目的の一つかも知れません。
(「大雨の時生まれたのであれば、命式の中に水が無くても、判断の中では考えなくてはなりません」)

 トラさんが言った「生まれた時の天気の状況は大事です。大雨の時、生まれたのであれば、命式の中に水が無くても、判断の中では考えなくてはなりません」というのは、四柱推命においても、「外応」のような概念が必要だということです。命式は情報の一部だということになります。
(「大雨の時生まれたのであれば、命式の中に水が無くても、判断の中では考えなくてはなりません」)

 私が仙人だったかどうかは別として(笑)、私が不思議調査をやっているということを明言したのは、彼女が初めてだと思いました。
 そして私が天から降りてきたことが本当なら(笑)、天にいる人達も、世界の成り立ちを何も知らないということになります(笑)。
(不思議調査をしていることを初めて明言した予想師)

 生まれ変わりの村では、「体験者」と「傍観者」というフレーズも出たことがありました。
 「データ」として取り扱えば、傍観者になります。
(生まれ変わりの村の「データ」)

 今回は「生まれた瞬間」でした。
 ●いつ胎児の中に入ったのか?
 ●そのとき、嬉しかったか、悲しかったか、またかと思ったか
 そういう質問は、今までしませんでした。
 それは、死ぬことにばかり、焦点が当たっていたからです。
(生まれ変わりの人に対する質問)

「中国秋紀行2006.10(3)」
 今度発売される占いに「金口訣」というのがあります。それはまさに、入ってきた時間で占ったりもします。しかし今回の彼のように、私達が使い慣れた 「卦」を使うわけではありません。彼は「入った時間」を普通の「卦」に書き換えたのです。
 部屋に入るという一瞬の出来事の中に、私の過去から未来までの情報が入っているのです。
(玄関から入った時間で判断した男)

 六爻占術でも盲師派推命占術でも天機面相占術でも、100%ではありません。100%でない部分は、西洋医学の検査を使って確認するというわけです。
(面相師は自信が無いのでしょうか?)

 面相師は自信が無いのでしょうか?はい、無いのだと思います。
 しかし一番信頼出来るのが、自信の無いことを認める態度だと思います。
(面相師は自信が無いのでしょうか?)

 「仏教と道教に関係しています」というフレーズは、他の能力者からも再三言われていました。「仏教と道教に関係しています」ということは、他の十二支よりも仏像の方が良いとさえ言えるのです。
(何故「仏像」か?)

 戌と亥が揃う人は、意外に多いかも知れません。
 つまり私本人の信仰などには関係なく(笑)、生まれた日と時間で仏像との相性が出てくるのだと思います。
(八字の中で、戌亥の文字が揃うと仏像に繋がる)

 日本の仏教は、財の世界と一緒にされるのを嫌がっていると思います。財の世界は、煩悩の世界だ・・と。そして「美」を追求します。
 宗教と美・・「ケッ」と思います(笑)。
(宗教と美と財)

 戌や亥があろうが無かろうが、同じだと思っています。あればあるでそれを利用して解明するし、無ければないで、それを利用して解明するだけです。
(仏像との縁)

 ところで私はいずれ、観音菩薩を奉る予定です。でもその時、言うつもりです。
 「何のインスピレーションもくれなければ、タダじゃおかないよ」(笑)
(仏像との縁)

 カットアンドトライが行われないで出会うと、たぶんマッチングは取れないのではないかと思います。
 逆に言えば、私の情報と格闘する人は、戌と亥が無くても、仏像とマッチングが取れるのではないかと思います。
(個別ということ)

 私はあくまで「個別」で勝負しているからです。中国紀行でも、個別の勝負をしているから、情報が次第に集約されてくるのだと思っています。
(個別ということ)

 私と同じ命式の人は、過去に沢山いました。しかし誰も解明出来ていません。
しかし、私は解明したいのです。
(私に力を・・)

「中国秋紀行2006.10(4)」
 面相に関することなら、どんな情報でもその場でメモったのです。だから彼は、ここまでになったのです。
 本を買って読むというような「後回し的生き方」は出来ないのです。彼はその時、リアルタイムで取り込むのです。
(ここまでするか、面相師(笑))

 運命は不平等です。それを受け入れるのがタオだからです。幸福とか不幸は、不平等から出てきます。そうだとすれば、いくら運命を改善しても、不幸は消えないと思います。
(リアルメイドと不平等)

 周文王は投獄されている時から、自分が将来皇帝になることを知っていたそうです。だから投獄生活もゆっくり楽しんでいたのです。しかも本まで書いて・・。
 未来を知っているということは、凄いことです。
(周易の発祥地(3100年前の遺跡))

 今、私達が手にしている占いの手法は、何千年のも間の、知恵の結集なのです。
(周易の発祥地(3100年前の遺跡))

 六爻占術の開発者達は超能力者ではないかという推測もよく聞かれますが、私はそうは思わなくなりました。
 むしろ逆で、自分が凡人であることに対して100%の肯定をしてしまっている人ではないかと思います。
(残留孤児の超能力者)

 日本の仏像は、何も持っていないのが多いです。アイテムなど持ってはいけないのではないかと思います。悟った仏像が何故アイテムを持たないといけないのか・・と。
 中国では仏像は、しっかりとパーツに分かれています。それぞれの五行を担当しています。そういう考え方すら、日本は受付けなかったのではないかと思います。
(やはり観音様は水壺を持っていた)

 ひょっとすると、上下関係ではなくなった時、能力が出るのかも知れません。孫さんだってマスターとは上下関係ではないと思います。
(仏像との上下関係・水平関係)

 もしも日本なら、能力者がこういうおばちゃんで、何げに行う人は少ないと思います。
(器に入れた水を見て判断する女性)

 もしも「私有」というものがなくなったら、どうでしょうか?運命のなすがままでも良いと思いませんか?
(私有ということ)

 セミナーに出た人は分かると思います。ダンさんは中国語でした。トラさんは日本語でダイレクトに話しました。その差は、物凄く大きかったと思います。
 私達は六爻占術の開発者から、ダイレクトに伝えてもらうことが出来るのです。
(トラさんの電子辞書)

 それは六爻占術をはじめとする占いは、「共通言語」に近かったのだと思います。普段使う言葉が違っても、「占いの言語」で書けば通じたのです。
 だから56の民族があっても、そこでのフィルターにはかからなかったのだと思います。
(他民族国家だからこそ、共通の「占い言語」が残ったのだと思います)

 何でも食材になり、「産地」や「鮮度」も気にしない・・。そして常にみんなで囲んで食べる・・。これが六爻占術の場にも繋がると思いました(笑)。
(食にこだわればこだわるほど、そこから抜け出られなくなります(笑))

 主役は、あくまで客の側なのです。言われた店の側は、作り替えてきます。
 つまりパターンから外れた料理や、客の要望が盛り込まれない料理はダメなのです。
(中国では全ての料理を、ご飯のように作っているのではないでしょうか)

「裏方」というキーワードが出ましたが、時空は裏方なのだと思います。問いを待っていて、それに答えてくれるのが時空だからです。
(中国では全ての料理を、ご飯のように作っているのではないでしょうか)

 キリスト教で言うところの神に私は問いたいです。「あなたは誰?」・・と。
 神の教えはもういいんです。私は神に問いたいだけなのです。「あなたは誰?」・・と。
(クリスマスに問う・・「神よ、あなたは誰?」)

「中国秋紀行2006.10(5)」
 
 生まれ変わりの村の現象は「文化」ではないと思います。六爻占術を代表とする五行占いが、都市化の波にも駆逐されなかったように、それは「文化」ではないのです。これはよく考えてみる必要があります。
(文化を越えている生まれ変わり現象)

 しかしテープは切られたのだと思います。いよいよ外に向かって情報が流れ出す時が来たのだと思います。都市化によって、他の地域との接点のスイッチが入ったのです。
(文化を越えている生まれ変わり現象)

 あの世へ行っていないとすれば、いわゆる「成仏」していないことになります。
 でもこのおばあさんは、あの世に行っていなくても、何の支障も無い様子です。
 成仏するって、何でしょうか?全く関係ないと思いました。
(老衰で死んだ女性)

「私は結果」という仮説は六爻占術から出てきました。しかしこの人は、生まれ変わりを体験する中で「私は結果」という仮説を得たのです。
(再び人間に生まれて、嬉しいと言った人)

 解脱をすれば輪廻から脱出できるという思想は、この世を「克服すべきもの」として見ていると思います。
 しかしこの女性は、生まれ変わって、また人間になれて嬉しいと言いました。これを聞いて私も何だか嬉しくなりました。
(再び人間に生まれて、嬉しいと言った人)

 工業化の波が押し寄せていると既に書きましたが、もともと工業都市だったのです。
 しかし農業だって盛んです。土地も肥えています。だから農産物も豊富です。
 それがどう影響するかと言えば、生きることに対するリスク(危険)を少なくすると思います。食べられないことに対するリスクがもともと少ないのが、この地域なのではないでしょうか・・。
(手を抜いてもやっていける生まれ変わりの村)

 日本は豊かだと言われています。しかし成功者になるためにはミッションを作り、目標に向かって前進しないといけません。多くの人は現状ではいけないと思い、未来を創造しようとしています。これって、本当に豊かなのでしょうか?
(人生において今が豊かなら、目標を作って頑張らなくても良いのではないでしょうか)

 私は外国人として、生まれ変わりの現象だけを調査していると思われていました。
 しかし今回、案内人が初めて占い師を案内しました。
 トラさんがそういう風に言ったのだと思いますが、これは生まれ変わりの現象を調査する上で、決してマイナスではありません。どこで何が出てくるか分かりません。
(生まれ変わりの村の、盲目の占い師)

 彼女の記述を読むと、両親の選択など出来ていないと思います。
 生まれ変わりの関係の書物には、「子供は両親を選んで生まれてきた」というのが多いです。あれはいったい何だったのでしょうか・・。おそらく、単なる願望なのだと思います。
(生まれる直前に、これから生まれるべき子供が外からお母さんを見ている・・なんておかしな光景でしょうか)

 前世の反省だの、来世の計画だのと言っている場合じゃありません。そういうことを言って個を大事にする人達は、全体を見ないことで、本当は個を大事にしていないのかも知れません。
(全体を見ない人は、本当は個を大事にしていないのかも知れません)

 こうして考えると、あの世の構造を解明することは、運命の仕組みを解明することに関係すると思います。
(エネルギーの無い世界)

 エネルギーがゼロではあっても、泣けるのです。これがとても不思議に感じました。
(泣くのに、エネルギーは要らないのでしょうか?)

 あの世は単に、この世のバックアップなのか・・??
 そんなことはないような気がします。だって向こう側からも、泣いて別れを惜しむことが出来るからです。
(この世が「表舞台」であの世が「楽屋裏」というのは正しいでしょうか?)

 意図には偶然はありません。意志でもって作り出すのが意図です
 しかし今私達が研究している運命のテーマからすれば、偶然は存在しません。
 全ては必然で動いています。そこに理由を見出せないだけです。
(ここに生まれたのは偶然ですが必然でもあります)

「中国秋紀行2006.10(6)」

 私達の目は、人工の光が無ければ、基本的には太陽の反射光を見ています。
 太陽が無いのに見ることが出来るあの世は、知覚体系が違うのだと思います。
(あの世は少なくとも太陽系ではない)

 ところで今回の件は、もう一つのことを示唆しています。それは、「あの世はこの世のもの(感覚を含め)を持ち越しているのではない」ということです。
(あの世は少なくとも太陽系ではない)

 太陽が無いなどという信念を持つ人は、滅多にいないです。暗い世界を想像していたからだ・・という人もいるかも知れませんが、今回は太陽が無くても明るい世界だと証言しています。
(やはり、想いが原因であるという仮説は成り立たなくなるのではないでしょうか)

 その人をそういう運命に追いやったのに、その人には責任はない・・ましてや、想念などに着地してはいけない・・。
 環境がその人のあの世を作り出しているとすれば、その人以外の全てを見なければいけません。
(作り出しているのは環境の側)

 泣くのは内面で泣けます。一人でしみじみと泣けます。しかし笑うというのはそうではないです。周囲のものに対して反応した時でないと、なかなか笑えないです。
 ということは、笑いを誘発するような事が周囲で起こっているのです。
(幽霊が死にそうなくらい笑い転げていたら、生まれ変わったときそれを報告すると思います)

 笑いというのはパルス的だと思います。つまり平坦な状態だと笑えないのです。外側から何かの突発的な刺激が無いと、笑えないのです。
 つまりあの世は、パルス的な刺激のある世界だということです。これは、あの世の常識をかなり崩すと思います。かなりどころか、私の中では大ヒットしています。
(あの世はパルス的な刺激の多い世界かも)

 もしすかるとこの世が「否定」で、あの世が「肯定」かも知れません。だとすれば、死んだ方がマシです(笑)。それは言い過ぎですが、どうせならこの世も肯定したいものです。
(あの世は「肯定」かも知れません)

「それは肉体を持っていたときの名残なのよ」・・と言う人がいます。でも、それで片づけてしまって良いでしょうか?
 それで片づけられないとすれば、大変な問題提起がされることになるのです。
 それは・・・個は肉体の配下にはない・・ということです。 
(個は肉体の配下にはない可能性もあります)

 幽霊が幽霊を殴って「痛い」と感じる・・既に幽霊の世界ではありません。この世の世界です。
(「殴られた」というのがとても興味あります)

 放っておけば、「個」はどんどん強くなるのだと思います。
 そこに登場するのがスープだと思います。スープは今までの記憶を消すので、一旦「個」を減少させるのだと思います。
(人は放っておけば「個」を増強する方向にあるのか、それとも「個」を手放す方向にあるのか)

 つまり「五行が変換された形の肉体」の上に、実際の肉体を着ているだけなのです。
「五行が変換された形の肉体」は死んでも残ります。「五行が変換された形の服」も、死んでも残ります。だから死んだことを認識しにくいのです。
(「生前の記憶、あるいは死んだ時に残った意識」は原因でしょうか)

 当然の事ながら、彼女はあの世で虐められる運命にあります。そのためにも、その服を着ている必要がありました(笑)。
 彼女は死の準備のために、その服を着ていた・・と言えるわけです。
(この世であれあの世であれ、諸々を決定しているのは過去の側ではなくて、未来の側ではないか?)

 あの世とこの世は似ている部分が多いですが、私は「安定した生活」というところだけは違っていると思います。
 この違いを考えてみると、この世は蓄積することを主としていると思います。
 それに対してあの世は、蓄積することを考えてはいないようです。
(この世の人は蓄積したがり、あの世の人は蓄積したがらない)

 エイヤッで仮説を出せば、両方の世界を経験するため・・ということになるような気がします。だってそうでしょう、蓄積が無い人生なんて、この世で実現するのは難しいと思うからです。
(あの世はこの世に戻るための準備期間か?)

 あの世は太陽は無いけれど、いつも明るいということでした。だからあの世にいる人は、寝ないで昼間の世界をずっと過ごすわけです。この世の側から見れば、考えられません。寝ないなんて・・。
(この世は寝ることを体験する世界であり、あの世は寝ないことを体験する世界と言えそうです)

 人が一杯なら、鍋を囲みながらみんなで考えてみたいです。ここはどこ?私達は誰?・・と。でもそういう「問いの意識」が発動できるか、分かりませんが・・。
(あの世は「狭い」のか?)

 マーボー豆腐は、暖められて出てきたのです。チンジャオロウスも同様だと思います。湯豆腐も同様だと思います。彼らはこの世の食べ物をあの世でも楽しんだのです。泣いたり笑ったりしながら・・。
(火が燃えていたということ)

 六爻占術をやっていてそれがよく当たるので「私は結果」という仮説が出てきましたが、生まれ変わりの情報はもっと強烈です。生まれ変わりを身をもって体験し、そこに「私」が介入する隙間は全く無いということなのですから・・。
(自分では決められない・・)

 ということはあの世は、私達と同じ次元数か、もしくはもっと上の次元ということになります。そして200Kmの距離を一日で移動したなどという事例もあるので、次元数は高い可能性があります。
(循環と入れ替わり)

 もしも幽霊達が何も食べなければ、周囲と「分断」されるような気がします。食べるという行為で、初めて他と「接続」するのだと思います。そして排泄することで「循環」するのだと思います。
(循環と入れ替わり)

 死ぬと、物凄くスムーズに「あの世の側」に移行します。本人には認知できないくらい違和感なく、移行するようです。
(変わらない肉体感覚)

 ここから仮説を導き出せば、「時空は前世との関係性を切りたがっている」と言えるかも知れません。記憶として持っていてもいいが、実際に関係性を持つのはダメだ・・と。
(使い捨ての人間関係(笑))

 私が「何もしないで座っている」というセンテンスを最初に取り上げたのは、今回の証言では一番「大きい」と思えるからです。
 それは何か・・「生き甲斐」の問題です。あの世の生き甲斐って、何でしょうか・・。
(あの世の生き甲斐って、何?)

 しかし「何のために生きているのか?」という問いはむしろ、この世の人に発したいです。何のために生きているのですか?
 これに答えられる人は、数少ないと思います。なのに何故、ガンガン生きているのでしょうか・・(笑)。
(「この世って、疲れそう・・」)

 運命が決まっているということが知れ渡ると、「生き甲斐」も変わると思います。それはあの世とこの世の生き甲斐が、中和されるような感じになるのではないでしょうか・・。
(将来、あの世とこの世の生き甲斐が、中和されるような感じになるのではないでしょうか)

 生まれ変わりの村の情報は沢山の常識を崩しますが、今日焦点を当てた部分は、その最大の一つです。誰でもが同じことを証言します。「あの世はこの世と同じだ」・・と。
「審判」も「反省」も「天国地獄」もなく、ただ、この世と同じな世界があるだけです。
(「住み心地は、この世と同じです」)

 途切れなくあの世に移行するのに、趣味や仕事は持ち越さないのです。
(ロボットが「自分はロボットだ」と認識した時)

 私だってそうです。決められた運命を、ロボットのごとく生きています。オシムだってそうです。羽生だって俊輔だってそうです。みんなロボットです。
 しかし生まれ変わりの村の情報があるだけで、ロボットが「自分はロボットだ」と認識できました。これはすごいことです。
(ロボットが「自分はロボットだ」と認識した時)
 中国紀行というのは、そういうデータ集めのためだと思います。
 日本でHPを見ていると、「なんだ、今日の結果は大したことはないな」というのもあると思います。しかしそれは、「メインフレーム」を期待しているのかも知れません。
(これで中国紀行を終わります。レスをくれたみなさんありがとう)